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ありがたきさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[24301]2004年1月31日
ありがたき
[24259]2004年1月29日
ありがたき
[24128]2004年1月25日
ありがたき
[24122]2004年1月24日
ありがたき
[24010]2004年1月22日
ありがたき

[24301] 2004年 1月 31日(土)02:45:23ありがたき さん
桜木町駅の一番長い日…そして祭りの後
つい先ほど、東横線桜木町行きの最終電車に乗って帰宅したところです。桜木町駅は無論すごい人出でしたが、高島町駅も普段に比べればものすごい人でしたよw
お客さんもですが、あんなに駅員が居る高島町駅というのは初めて見ましたね。殺伐とした雰囲気の桜木町駅とは違って高島町駅は実にアットホームな感じで、駅員さんは気軽にカメラのシャッターを切ったり、一緒に写真に写ったりしてましたし。

[24283]スナフキん さん
今日がそのファイナルデーなので、残業が終わったあと足跡を残しに桜木町まで遠征するつもりです。一応、今の勤務先が最も忙しくて、最も稼ぎがあった頃、一番利用していたのが東急東横線なので…。記念モノの入手や、写真に収めるなどははなから頭になく、ただ自分が最終日に訪れたことを示す「パスネの刻印」があればそれで十分です。

[24295]みかちゅう さん
定期券売り場は大混雑。前日に買っといてよかった

ちなみにわたしは、ちょっといろいろあったので、夕方からの行動になりました。日割定期券は、直前まで思い悩んだのですが、やはり欲しくなってしまいました。しかし、桜木町駅は長蛇の列。大変そうな感じだったので、思い切って渋谷に出てみました。というのも、定期券購入の為に電車に乗る場合は定期券購入時にその運賃をキャッシュバックしてくれる制度があるものですから。新渋(東横線渋谷駅が「東渋」なのに対して田園都市線渋谷駅は新玉川線時代の名残で今でも「新渋」と呼びます。)の定期券売り場は実にすいていまして、つつがなく「桜木町~高島町」「高島町~横浜」の2枚を購入できました。後者は110円でしたから、30日に購入した定期券の中で最安値だったことでしょう。
ちなみに、さっき桜木町駅を出るとき、駅員さんの列に見送られて来ました。両脇には沢山のファンとマスコミと東急関係者がいまして、拍手の中を歩いていたらまるで自分は卒業生かと思うような。卒業するのは東横線なのに…。ちなみに、お客さんにも駅員さんにも涙ぐんでいる方がちらほら見受けられました。かくいうわたしもグッとくるものがありました。
明日(日付が変わってますから実際は今日)からは、電車の走らない高架橋を横目に通勤することになるんですねぇ。寂しいなぁ。線路向こうのみなとみらい地区では2/1にはお祭りですね。
[24259] 2004年 1月 29日(木)19:55:07【1】ありがたき さん
桜木町駅の一番長い日…の前日
※地理から離れるお話ですが、横浜市民にとって、しかもご近所さんにとっては比較的大事件ですので、2月1日を迎えるまでのつかの間の祭と思って寛大に見てやって下さい。

1月30日の東横線横浜~桜木町のファイナルデーを控え、桜木町駅散策記念入場券が30日の日付で前売りしていると聞きつけ、27日に買いに行ったのですが、残念ながら売り切れ。そのときの話では29日(今日)に再入荷するとのことだったので、今日仕事帰りに早速桜木町駅に寄ってみたのですが、11時半の段階で既に売り切れ。駅員さんにさりげな~く次に入荷するのがいつか聞いてみたところ、今日の「夜」ということだったので、ひとまず帰宅。しかし、この「夜」ってのはアヤシイ単語だなぁと思って、様子見のつもりで15時半頃に駅に行ってみると、なにやら行列が。定期券売り場のそれとは違いそうだったので、とりあえず並んでみると、先日閉店したドトールコーヒーのカウンターが臨時記念切符売り場になっていて、そこに続く列ではないですかw
ということで、無事に購入できました。なんでも、これまでは一人あたりの購入枚数に縛りをかけなかったので、50枚とか買う人がいて即尽きてしまったとのことでしたが、今回は5枚までという制限もあったせいか、割に余裕な感じでした。ただし、今回の入荷がどうも最後のようで、夕方には帰宅ラッシュの通過客も買って行っているような感じだったので、明日の在庫は微妙かと思います。
ちなみに、この散策切符ですが、切符自体は廃止に際して特別にあつらえたものではなく、みなとみらいの風景(ランドマークタワーがメイン)の写真の入った普通の切符よりも長めのもので、普通に台紙付きで売られているものでした。が、台紙は今回新しく刷ったらしく、「開設以来長い間、ご利用いただきましてありがとうございました」との挨拶が。裏にはみなとみらい地区の散策マップが刷られていました。
ところで、高島町駅にも行ってみると、桜木町よりは短いもののウィンドウラッチに行列が。こちらは赤い帯の入った普通の硬券でしたが(普通といっても現在は普通に売られていない)入場券を販売していました。高島町駅のものは1万枚だけ入荷したそうです。
ということで、明日桜木町駅もしくは高島町駅にいらっしゃる方、参考になるかどうかわかりませんが、参考までに。
[24128] 2004年 1月 25日(日)01:10:37ありがたき さん
北総開発鉄道、開業当初は吊り革が全くなかったんですよね~
[24112]hmt さん
リコ式吊手

[24127]Issie さん
東西線が西船橋に乗り入れた頃,子供の私はこの吊り手につかまる日が来ることを楽しみにしていました。
けれど私が大人になった日… には,すでにこの吊り手は廃止されてしまっていました。残念。

バネで跳ね上がっていて、使うときに下に引っ張って使う吊り革のことでしたっけ?
わたしが小学生のとき、遠足で乗った京阪電車でも見かけました。やはり、アレにつかまる日を夢見たものです。その後、吊り革ではなく、その上のポールを直接つかんでいる様がかっこよくて、夢の対象が変わりましたが。
そういえばバネ吊り革ってなくなりましたね。
[24122] 2004年 1月 24日(土)22:43:00ありがたき さん
営団車両の網棚と窓の関係
[24112]hmt さん
300形電車は足回りも量産新性能電車のはしりとして画期的なものでしたが、何よりも真っ赤な車体にサインカーブ入り白帯のデザインが目を引きました。両開扉も初物。私が注目したのは荷物棚が登場したこと。但し、出入口付近だけの小さなものでした(後に現在のような全長に改造)。従来の地下鉄は路面電車の伝統か、荷物棚はありませんでした

(中略)

丸ノ内線・銀座線の荷物棚は、営団が好んで使っていたリコ式吊手との位置関係に問題があったのかもしれません。

わたしの聞いた話ですと、暗いトンネルを走る車両とはいえ、電車の窓は大きく取るべきとした方針から、営団地下鉄の窓の上端はドアの上端と揃えられています。その関係からでしょうか、初期の網棚は窓にかからない戸袋窓の上に限っての設置だったようです。
その後、窓ガラスを保護するように工夫して全体に網棚を設置しました。近年の車両はアクリル板を付けているので、ガラス保護と視界の確保を同時に実現しています。
銀座線車両で窓の高さに例外があったのは、新1500型の第1期ですね。いわゆるみかん箱電車の後期に登場した車両で、6両編成の中間に連結された旧型車両や運転台付車両を淘汰するために登場した中間車両なのですが、こちらは電光式広告を設置したために窓の高さが低くなりました。その後電光式広告は撤去されました。
日比谷線3000系車両以降、東西線5000系、千代田線6000系の初期、有楽町線7000系の初期までは窓高さが低かったのですが、6000・7000系の後期と8000系でやや高さが復活し、0系シリーズでドア高さと揃うまでに完全復活しました。
そういえば、駅に設置された駅名表示は、車内に立つ人の目線に合わせた高さに設置されていますが、当時の日比谷線車両の窓が低かったことからか、しかも仲御徒町駅のみでしたが、駅名表示板の書式が変則的で、窓より高い位置へ設置しておきつつ、その表示板の半分下の窓から見える位置に偏って駅名を書いていたんです。
[24010] 2004年 1月 22日(木)00:01:10【1】ありがたき さん
横浜から、また少し「緑」が消えた
今回は、開発だとか、環境破壊だとか、そういうことが起因した緑地面積が減ったとかのお話ではありません。あ、でも「開発」というキーワードは関係あるかな?
先日、新しい地図を買ったのですが([23843]参照)、読み込んでいたところちょっとした発見を。横浜市西区の町名が1個減っていることに気付きました。その町は「緑町(みどりちょう)」です。実はこの緑町、1993年発行の地図の段階で既に消滅も時間の問題かと予見される状態だったものでして、結構気になる存在だったんです。ちなみに調べてみたところ、この緑町は平成元年にその大部分がみなとみらい2・3・4丁目に編入されたという経緯があります。残った町域は西区高島1丁目と西区みなとみらい4丁目に挟まれた場所だったのですが、みなとみらい地区の開発の途上、東急東横線高島町駅前の高島交差点からみなとみらい方面に向かう道路(すずかけ通り)の付け替えの際にちょうど道路になった部分と重なっていますので、地図上で見た限りでは高島1丁目に編入された模様です。なお時期は不明ですが、すずかけ通りの南側は高島1丁目からみなとみらい4丁目に編入されています。
ちなみに、横浜市のサイト内にある人口推移の統計資料を見るところ、住民は長い間ゼロ、平成13年10月1日現在の事業所はサービス業は1という結果が出ました。サービス業1とは、都市基盤整備公団でしたが、こちらは近所に引っ越しています。
ではいつ頃に緑町が消えたものかと思い、今日本屋さんにて色々地図を立ち読みしてきたところ、2003年3月発行のユニオンマップには存在し、スーパーマップルには存在しない、という状態でありました。この前後がクサイ感じはするのですが、すずかけ通りの付け替えが大きな引き金のような感じが確認できたので、ひとまずこの調査はここで打ち止めとしました。参考までに、今日現在でyahoo地図情報を見たところ、まだ生きていました。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.27.26.162&el=139.37.43.321&la=1&fi=1&sc=2

ところで、タイトルに「また」と書いたところですが、前回「緑」が消えたのは、平成6年11月のことですね。港北区と緑区から都筑区と青葉区を分区した際、区の面積の半分前後を青葉区と都筑区の一部に提供した、緑区のケースを指しています。いつものことながら、お遊びタイトルですので、よろしくお願いします>各位


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