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Issieさんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[77718]2011年2月26日
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[77708]2011年2月21日
Issie
[77697]2011年2月19日
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[77695]2011年2月19日
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[77685]2011年2月17日
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[77674]2011年2月15日
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[77669]2011年2月15日
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[77666]2011年2月14日
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[77640]2011年2月12日
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[77635]2011年2月12日
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[77633]2011年2月12日
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[77622]2011年2月9日
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[77617]2011年2月7日
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[77601]2011年2月5日
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[77596]2011年2月5日
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[77590]2011年2月4日
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[77587]2011年2月4日
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[77584]2011年2月3日
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[77554]2011年1月30日
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[77542]2011年1月29日
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[77531]2011年1月27日
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[77482]2011年1月18日
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[77479]2011年1月18日
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[77459]2011年1月16日
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[77422]2011年1月13日
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[77385]2011年1月10日
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[77347]2011年1月5日
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[77326]2011年1月4日
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[77318]2011年1月4日
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[77149]2010年12月31日
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[77139]2010年12月31日
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[77126]2010年12月28日
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[77124]2010年12月27日
Issie
[77121]2010年12月27日
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[77117]2010年12月26日
Issie
[77077]2010年12月21日
Issie
[77039]2010年12月18日
Issie
[77024]2010年12月12日
Issie
[77012]2010年12月11日
Issie
[77007]2010年12月10日
Issie
[76996]2010年12月8日
Issie
[76968]2010年12月5日
Issie
[76958]2010年12月4日
Issie
[76941]2010年12月1日
Issie
[76910]2010年11月28日
Issie
[76899]2010年11月27日
Issie
[76897]2010年11月27日
Issie
[76867]2010年11月23日
Issie
[76864]2010年11月23日
Issie
[76856]2010年11月23日
Issie

[77718] 2011年 2月 26日(土)01:30:28【1】Issie さん
1万人に1人
[77716] 白桃 さん
本日、総務省より発表されました。

というわけで,25日付の「官報」号外 に各都道府県市区町村ごとの人口総数(平成23年総務省告示第66号)が掲載されています。
いつの間にか,2月も終わりなのですね。

相模原市(717,561)は静岡市(716,328)を超えました。

名ばかり政令市。
増える要素よりは減る要素の方が多い気がするんですけどねえ。高齢化の進む南区と,過疎の緑区(旧津久井郡)とで。中央区だって,どんなもんだか。県会議員の定数は南区で1人減らされるそうです。せっかく抜いた県庁所在地に抜き返されることは,…あるのかしら。
ともかく,世界の総人口は現在 約70億人と見積もられている そうなので,世界中の人の1万人に1人強が相模原市民なわけで…(静岡市民,とも言えるのだが)。

で,町丁別の細かいデータはどうなっているのかと,相模原市の人口統計のページ に行ってみたら,昨年(2010年)の9月1日現在で更新が止まっています。
最初に

-------------------------------------------------
平成17年国勢調査確定数を基礎とし推計しています。
-------------------------------------------------

なんてことが書いてあるから,11月分以降の“推計”の基礎となる今回(2010年=平成22年国勢調査)の確定値が出るまで更新はお休みなんでしょうかね。

25日,関東では春一番が吹きました。つい,キャンディーズを思い出してしまうのですが,彼女たちは暑中お見舞いの歌も歌っているのですよね。あれも佳作なんだけど,やっぱり「春一番」の印象の方が強い。“総集編”である「微笑み返し」の出だしも「春一番」ですからね。
しかし,75年前の今頃の時間,首都(←「帝都」と言った方がいいかも)では大雪(東京にとっては…)の中,歴史的大事件が進行中なのでした。
日付が変わった今日は,ニー・ニーロク。
[77708] 2011年 2月 21日(月)23:31:45Issie さん
レトロスペクティブ
[77707] 伊豆之国 さん
1927(昭和2)年の地下鉄開業当時から約40年間にわたり親しまれた旧1000形をモチーフとし,当時の車体色を再現するなどレトロ調の外観となっている

最近設置されたホームドアに隠されて確認できていないのですが,丸ノ内線の「サインカーブ」の“復活”も進んでいるんでしたっけ。
銀座線といい,何か昔を向いていますねえ,東京地下鉄。そういえば,「メトロ」という言葉も「昭和モダン」を連想させます(←ついこないだの「昭和末期」じゃないよ。昭和ヒトケタ…)。「電灯が消える」銀座線の“黄色い電車”も,戦後間もなく登場した丸ノ内線の“赤い電車”も,当時の“最先端”だったんですけどね。

[77705] k-ace さん
神戸市が和田岬線の廃止を要望。自治体から廃止を要望するのも珍しいような。

まちづくりに邪魔だから廃止しちゃえ,という理屈は,1970年前後に自治体(と警察)が率先して路面電車を次々と廃止していったのと同じトーンを感じます。地下鉄へ誘導したいというのは穿ちすぎた見方かなとも思うのですが,それが「本音」だとしても,三菱系事業所への通勤輸送がほぼ全部を占め,地域交通としては恐らくほとんど機能していないであろう現状からみれば,当然の施策だろうと私は思います。
JRとしても,昔のように「特別な車両」を「特別な形態」で運用することがなくなったにしても(今は普通の電車が走っている),本来の役割であった貨物輸送から撤退した今,あえて短小な盲腸線を維持する必要もないと判断するのも自然だと思います。輸送需要が集中するラッシュのピーク時,バスには荷が重いとしても,今では地下鉄という代替手段があるのだから。
ファンとしては「遺構」として何らかの形で保存されたらいいな,とは思うけど,「生きた鉄道」として存続させるのは経済的,あるいは政治的に難しいのではないかと思います。
[77697] 2011年 2月 19日(土)12:02:25Issie さん
ベーリング
[77695] のつづき。

Bering の方も見てみました。
ロシア語表記は Витус Ионассен Беринг ,デンマーク語の Vitus Jonassen Bering をそのままキリル文字に転写しただけのようですね。ミドルネームの Jonassen(ヨナセン)はノルマン系の人々に見られる「~の息子」という名前だと思われるけど,これをロシア人と同様の“父称”と見なすものなのかどうか。少なくとも Петрович と,完全にロシア式の父称を名乗っている Spanberg の方が,より「ロシア化」の度合いが強いのかもしれません。

「ベーリング」は,日本では人名よりも地名としてとてもよく知られているけれど,日本で最もよく知られているデンマーク人の姓は恐らく Andersen でしょう。hmt さんご紹介のページでも言及されているように,「アナーセン」ないし「アナスン」とするのが本来の発音に近いと言われていますが,有名な童話作家も含めて日本語ではもっぱら「アンデルセン」と表記し,読んでいます。
その伝で言えば,Spanberg をデンマーク人として呼ぶならば(実際にどのように発音しているかは関係なく)「スパンベルグ」で,とりあえずはいいのかもしれません。

ところで,ゲーテが「俺の名前」かと驚いた o-ウムラウト のカタカナ表記ですが,トルコ語をカタカナに翻字するときは「ギョエテ」式で表記する習慣です。たとえば日本で徳川幕府が成立し,ロシアでロマノフ朝,中国では清朝が成立した17世紀前半に父子2代にわたってオスマン朝の大宰相として政治をリードした キョプリュリュ・パシャ の「キョ」がそれに当たります。
これはトルコ語の「母音調和」という現象に関連する母音で,ドイツ語の「ウムラウト」とは性格の違うものですが,似たような音ではあるようで,だからオスマン帝国解体後のトルコ共和国の指導者アタチュルク(ムスタファ・ケマル)の文字改革(アラビア文字の廃止,ラテン文字の導入)でウムラウトによる表記を採用したのでしょう。でも,日本語のカナに転写する際にはドイツ語とトルコ語で違う形に定着した。

というわけで,結論はまた同じなのでした。
[77695] 2011年 2月 19日(土)03:05:55【1】Issie さん
虹色のトロツキー
本題への反応ではないのですが…

[77693] hmt さん
Bering も Spanberg も デンマーク生まれのロシア海軍大尉でした。

外国の人名や地名をカタカナで表記するのは実に難しいですね。ずっと以前に書いたことがあるように,ラテン文字(ローマ字)を共有している言語同士なら,元の言語での綴りをそのまま持ち込んで実際にどのように読むかは頬かむりをして知らん顔をしてしまう,という手も通用しないではないですが(日本語でいうなら,共有する漢字で「欧陽菲菲」と書いて無理やり中国語風に「オーヤン・フィフィ」と読ませるようなものかしら),残念なことにローマ字を“通常の表記手段”としない日本語ではカタカナに翻字しなくてはなりません。だから,「ギョエテ」などという無理な表記も現れてくるわけで。

“近代少し前”のロシアは,その成り立ちの過程から多くのドイツ系あるいはスカンジナビア系の貴族を抱えていました。また,“ユダヤ訛りのドイツ語”(イディッシュ語)を話すたくさんのユダヤ人も。彼らの名前は基本的にドイツ語を含むゲルマン語系のものです。
たとえば,ユダヤ系の出身であるトロツキーの本姓は Bronstein 。ドイツ語式に読めば,「ブロンシュタイン」なのでしょうが,通常はロシア語綴りの Бронштейн に合わせて「ブロンシュテイン」と読む習慣です。同じく,ソ連初期の代表的な映画監督である Eisenstein も,ドイツ語式の「アイゼンシュタイン」ではなく,ロシア語表記の Эйзенштейн により「エイゼンシュテイン」と呼ばれていますね。
この流れでいけば,Spanberg も“ロシア海軍大尉”としてなら,たぶんロシア語では Спанберг となって「スパンベルグ」または「スパンベルク」,いや,もしかしたら Шпанберг と翻字して「シュパンベルク」が正しいのかもしれませんが,実際これは“日本語の問題”であって,「正しさ」の基準はどこにもないように思われます。その前に,キリル文字(ロシア文字)で表記するロシア語の場合も,ラテン文字からどのように翻字するか,という問題を抱えているのでした。ただし,ロシア語の場合は日本語の場合よりはカッチリとした規則ができていそうな気もしますが。

結局のところ,外国語の固有名詞をカタカナで表記するのはいろいろ面倒だよね,という始めの話に戻ってしまうのですよね。

※追記
ネット上の百科事典(ロシア語版)によれば Шпанберг, Мартын Петрович と表記するようです。人名についてこういう場合,ロシアでは 姓,個人名・父称 の順番で記載する習慣のようですが,日本で「西洋式」と理解されている 個人名・父称・姓 の順番でカタカナ化すれば マルティン・ペトロヴィッチ・シュパンベルク となるのでしょうね。Мартын(マルティン)という名前が,ロシア…というよりスラブっぽくありません。
[77685] 2011年 2月 17日(木)19:41:08【1】Issie さん
コンニャクの花
…なんて書いたら,チューリップ(←バンド名)の歌みたいですが…

[77684] 山野 さん
そんなに臭いのでしょうか。蒟蒻の花って。

私も植物の状態のコンニャクを見たことはないので(たぶん),花がどんな匂い(臭い?)がするのか知らないのですが,確か以前にNHKが「ダーウィンが来た!」という自然番組で紹介していた「世界一臭い花」というのがコンニャクの仲間ではなかったかな,と思って検索してみました。名前は,スマトラオオコンニャク(スマトラ大蒟蒻)。ただ,番組のHPには“決定的なこと”が書いてなかったので,それはこちらのページで。

お互いにとても近い仲間であるようですから,わが国のコンニャクも推して知るべし,なのかもしれませんね。
サトイモ…,というより“世界的視点”からは「タロイモ」の仲間ですが,いろいろなものがあるものです。とはいえ,同じサトイモ(タロイモ)の仲間のミズバショウがそのような臭いでなくて良かったですね。もし,その臭いだったら,“尾瀬のあの歌”の2番はひどいことになっていたでしょう。
[77674] 2011年 2月 15日(火)19:57:04【1】Issie さん
カタカナ字名
[77657] グリグリ さん
字名ができた当初からカタカナ表記だったのでしょうか

個別具体的な例ではなく一般論としてですが,これは,あったろうと思います。
もともと,(小)字レベルの地名は村落共同体内で用いられてきたもので,そもそも必ずしも文字で表記されるものではなかったのではないか。だとすると,これらの地名の中には,近世初期の検地や,明治初期の地租改正に伴う地券の発行と台帳の作成で初めて文字化されたものも少なくないのではないかと思います。その際に何らかの漢字が宛てられてごく自然に漢字表記が行われるものもあったろうし(本来の語源を正しく表しているとは限らないが),逆に初めからカタカナ表記で済まされてしまったものもあるでしょう。中には「暫定的なカタカナ表記」もあるけれど,カタカナ表記が“プロパー”なものもあるかもしれない。

参考までに,国立国会図書館の 近代デジタルライブラリー でも画像の形で見ることができる 『新編武蔵風土記稿』 (ここに収録されているのは 1884(明治17)年の内務省地理局版ですが,この書物自体は江戸時代後期の化政年間に幕府の昌平坂学問所地理局で編纂されたものです)にある江戸時代後期の各村それぞれの項目内に記載されている「小名」(←厳密には「小字」とは違うものでもあるらしいですが)には,漢字表記のものと一緒にカタカナ表記のものも多く収録されています。

だから,「初めからカタカナ表記」の(小)字名があっても,私は特別なこととは思っていないし,十分にあり得ることであろうと思っています。
[77669] 2011年 2月 15日(火)00:35:19Issie さん
旧軍用地跡
[77665] 白桃 さん
明日が心配

雪,降ってますねえ。先日の連休の時の雪がある意味「肩すかし」だったので,今晩こんなに「大雪」になるとは意外。気象庁としても予想外だったのではないでしょうかね。この季節の南関東,雪になるか否か,積もるか否かは,実に紙一重。まあ,予想は難しいのは確かなことなのでしょう。テレビが騒ぎすぎのような気もしないではないけれど,雪国ではない人口密集地にたまに降る雪,大目に見てください。
※とうとう,NHKは台風の時と同じ終夜放送を始めちゃったよ…。

[77667] ぺとぺと さん
神奈川県高等学校教科研究会社会科部会地理分科会の記事

ご利用,ありがとうございます。

東海道本線から通じる引込線の跡(不自然に弧を描いている道がそうです)

国土地理院HPの 国土変遷アーカイブ に掲載されている空中写真。平塚駅周辺の1946年撮影のものを検索して眺めてみると,敗戦直後だけあって,駅から火薬廠までの引き込み線がとてもきれいに写っているのが見て取れます。
このアーカイブに掲載されている空中写真,画像の品質が写真によってかなりバラつきがあるのですが,平塚付近の1946年の写真はかなり状態のいいものが掲載されています。

そんなわけで,ここで空中写真の検索を始めてしまうと,ついつい時間を忘れて眺め入ってしまいます。こないだも,津田沼駅から幕張周辺の写真を眺めて,そうそう,俺らが小学生だった頃はあんな風景だったよなあ,と見入ったりして…。
横須賀や平塚が「海軍の町」であるなら,習志野や津田沼は言わずと知れた「陸軍の町」。
小学校に上がる前,私は国鉄津田沼駅近くの市立幼稚園に通っていました。そこは,戦前の鉄道第二聯隊の敷地の中。主要部分が千葉工業大学に転用されたことはよく知られているのですが,その西隣の敷地は市立中学校や幼稚園に転用されたのでした。で,その幼稚園,年少組の教室が入っていた園舎はかなり年季の入った木造平屋の建物でしたが,これって昔の鉄道聯隊の建物の一つだったんじゃないか,と今は思っています。
その幼稚園と中学校の敷地は70年代後半,駅南口の再開発で大型商業施設と文化施設に変わってしまいました。中学校は移転したけど,幼稚園は廃園。この間に習志野市は市内の各小学校に幼稚園を併設する政策をとったので,単独の市立幼稚園は役割を終えたのですね。もちろん,旧軍施設転用の園舎も跡形もなく,一部が京成電鉄の車両工場に転用されていた総武線北側の関連施設もすべてなくなって,今かつての鉄道聯隊の記憶をとどめるのは千葉工大の正門と,むかし総武線の両側の敷地を結ぶ構内鉄道が利用していた新京成線の架道橋だけです。
※ちなみに,このあたりの変遷も,「国土変遷アーカイブ」の空中写真で追うことができます。
[77666] 2011年 2月 14日(月)23:01:37Issie さん
駅ができる,市役所がやって来る
[77664] ぺとぺと さん
南陽市役所と南陽市役所駅

既報ですが,一昨年の“9月の大型連休”で米沢に行ったとき,ついでに山形鉄道にも乗ってみました。確かに,市役所の目の前に駅がありましたね。言うまでもなく,地平駅ですからホームから地面までの段差もわずかしかなく,市役所に入れたはず。
国鉄長井線だった時代にはもちろんこんな駅はなく,3セク移行時の1988年に開設されたそうですが,当然これは“市役所の脇”というロケーションを選んでわざわざ設置したものですね。ま,その前提として,長井線が“たまたま”市役所の脇を通過していたからこそできたことですが。

市役所の移転に伴い、結果として駅から遠くなった

逆に市役所が駅の近くにやって来た例もあります。
たとえば新潟市役所。
元は,郡区町村編制法による「新潟区」の時代から旧市街地の中心に近い 西堀通6番町 にありました。現在の NEXT21 のある位置。
けれど,信濃川の左岸(旧市街側)にあった県庁が右岸に移転したので,1989年にその跡地に移転。旧市街の中心からは遠くなったけど,かえって町外れにあった越後線の 白山駅 に近くなりました。
ちなみに,白山駅は元々国有化以前は私鉄の越後鉄道のターミナル駅で現在の鏡淵小学校の辺りにあったので,そこからだともっと現在の市役所(元の県庁)に近いのですが,それより何より,新潟交通の“路面電車”が健在であれば「県庁前」という駅があったのでした。県庁移転後の最末期には「白山前」と改称しましたが,名前の通り県庁のすぐそば。だから,県庁跡地に市役所が移転してきた1989年から,東関屋 までの軌道区間が廃止された1992年までの間は,まさに 白山前駅 のすぐそばに市役所があったのでした。
惜しいなあ…。
[77640] 2011年 2月 12日(土)20:50:59Issie さん
鉄鉱石は錆びた鉄
[77637] ソーナンス さん
忘却の彼方

今となっては鉄道が走っていたなんて記憶が消え去っているところもあるでしょうしね。
こうして並べてみると,やはり地方ローカル私鉄が消えた1960年代後半,そして国鉄→JR移行がらみで多くのローカル線が切り捨てられた1987年前後に集中しているのがわかります。

[77632] ソーナンス さん
小美玉市を追加したランキングに訂正

ちなみに 小美玉市 の場合は,「小」(旧小川町)と「玉」(旧玉里村)をこないだまで 鹿島鉄道 が走っていたのだけど(2007年廃止),市役所は「美」(旧美野里町)にあって,ここからだと元から常磐線の羽鳥駅が一番近いみたいですね。

蛇足
「全く以て」と書いた方がいいと思いますよ。
[77635] 2011年 2月 12日(土)12:14:38Issie さん
Re:駅から遠い市役所2
[77633] のつづき。
[77632] ソーナンス さんのリストには,たとえば 南さつま市 がありません。市内に(現在)鉄道の駅のない市は初めから省いているものと思われます。けれども,皆様ご案内の通り,南さつま市役所のある 加世田 には昔は鹿児島交通の 加世田駅 がありました。
そこで,
・現在の市役所の近くにむかし鉄道の駅があったけど,現在は市域内に駅がない市

紋別市紋別駅JR名寄本線1989年廃止
三笠市三笠駅JR幌内線1987年廃止
歌志内市歌志内駅JR歌志内線1988年廃止
神栖市神之池駅鹿島臨海鉄道鹿島臨港線1976年駅廃止
(神栖駅)同上1983年旅客営業廃止現在は貨物線・貨物駅として営業
富里市富里駅成田鉄道八街線1940年廃止
輪島市輪島駅のと鉄道七尾線2001年廃止旧国鉄・JR
珠洲市飯田駅のと鉄道能登線2005年廃止旧国鉄・JR,のと鉄道移管前は「珠洲飯田駅」
南アルプス市小笠原駅山梨交通電車線1962年廃止
御前崎市浜岡町駅静岡鉄道駿遠線1964年廃止
牧之原市榛原町駅静岡鉄道駿遠線1968年廃止
山県市高富駅名古屋鉄道高富線1960年廃止
洲本市洲本駅淡路交通鉄道線1966年廃止
八女市筑後福島駅国鉄矢部線1985年廃止
大川市筑後大川駅国鉄佐賀線1987年廃止
宮若市筑前宮田駅JR宮田線1989年廃止
南島原市西有家駅島原鉄道2008年廃止
山鹿市山鹿駅山鹿温泉鉄道1960年休止,1965年廃止
菊池市菊池駅熊本電気鉄道菊池線1986年廃止
豊後高田市豊後高田駅大分交通宇佐参宮線1965年廃止
国東市国東駅大分交通国東線1966年廃止
西都市妻駅国鉄妻線1984年廃止
鹿屋市鹿屋駅国鉄大隅線1987年廃止
垂水市垂水駅国鉄大隅線1987年廃止
南さつま市加世田駅鹿児島交通枕崎線1984年廃止
伊佐市薩摩大口駅JR山野線1988年廃止
浦添市城間駅沖縄県営鉄道嘉手納線1945年消滅戦災による破壊
南城市大里駅沖縄県営鉄道与那原線1945年消滅戦災による破壊
糸満市糸満駅沖縄県営鉄道糸満線1945年消滅戦災による破壊

こんなものですかねぇ。
ほかに,現在の豊見城市役所の近くにも馬車軌道の駅があったのですが。

要するに,全国津々浦々,鉄道が入り込んでいたんですねえ。鉄道と縁のない市,ってのがとても少ないことが改めてわかります。
ま,だんだん当初の趣旨から外れ始めているので,この辺で。
[77633] 2011年 2月 12日(土)02:01:08【1】Issie さん
Re:駅から遠い市役所
[77632] ソーナンス さん
こういった市役所から駅が遠い市のパターン

5.もっと近くに駅のあった鉄道が廃止された

というものもあるように思われます。
リストに挙がっているものの中では

1位南九州市知覧駅鹿児島交通知覧線1965年廃止
2位曽於市末吉駅国鉄志布志線1987年廃止
3位登米市佐沼駅仙北鉄道登米線1968年廃止
4位志布志市安楽駅国鉄志布志線1987年廃止
5位嘉麻市臼井駅JR上山田線1988年廃止
6位栗原市築館駅仙北鉄道築館線1950年廃止
8位篠山市篠山駅国鉄篠山線1972年廃止
11位杵築市杵築町駅大分交通国東線1966年廃止廃止時は「杵築市駅」かも
14位倉吉市打吹駅国鉄倉吉線1985年廃止開業時~1972年の駅名は「倉吉駅」
16位能美市本寺井駅北陸鉄道能美線1980年廃止
20位大田原市大田原駅東野鉄道1968年廃止
25位尾花沢市尾花沢駅山形交通尾花沢線1970年廃止
26位桜川市雨引駅筑波鉄道筑波線1987年廃止
31位藤枝市藤枝本町駅静岡鉄道駿遠線1964年廃止
34位下関市唐戸停留所山陽電気軌道1971年廃止軌道(路面電車)

…あたりが,これに当たるのではないかと。
もちろん,これらの中には市になるずっと前に鉄道が廃止されたものも多いのですが,ま,鉄道が健在だったら今頃は…,ということで。

 
[77622] 2011年 2月 9日(水)21:06:25【1】Issie さん
Re:多摩丘陵
[77621] k-ace さん
「多摩丘陵」交差点・バス停

バス停の名前は,しばしばとても大雑把ですからねぇ。
なぜこんな名前がついているのか,もちろん私も知りません。なので,周辺情報を。

私がここを通る路線バスに初めて乗ったのは,(家族が)多摩ニュータウンに越してきた30年近く前のことでした。当時は,多摩センター駅から八王子駅までバス路線が通じていて,それに乗ってみたのですね(ちなみに,当時は京王相模原線も小田急多摩線も多摩センターが終点でした)。当時,すでに絹ヶ丘・北野台の大規模な宅地造成は完了していましたが,丘陵上の造成地から浅川沿いの旧市街へ下りる幹線道路はまだ整備が完了しておらず,北野駅方面へは「多摩丘陵」バス停のある野猿街道の古く細く曲がりくねった道しかありませんでした。

このバス路線,今は終点が南大沢駅に付け替わっていたかと思いますが,元々は合併前の旧由木村中心部と八王子駅を結ぶ路線で,かなり早い時期から運行されていたものです。絹ヶ丘の宅地造成は1970年代のことではないかと思うのですが,それ以前は近くの都立長沼公園や町田市との境の御殿峠周辺のような丘陵地帯でした。
1960年代末頃の景観を想像するに,たぶん,北野駅の近くに形成された古いタイプの住宅地が終わり,未開発の丘陵地帯に入っていく境目に当たるのが多摩丘陵バス停の辺りではなかったのか。で,バス停を設置するのはいいけれど,名前を付けるのに都合のいい目ぼしい目標物がないので,まあ「多摩丘陵」でいいや,なんて風に決まったんじゃないか…。そんな光景を想像してしまいます。
いや,もっとちゃんとした理由があるかも知れませんよ。

交差点の方は,バス停が先にあって,そのあとから信号機付きの交差点になったんじゃないかなぁ。そもそも,信号のある交差点に一々名前を付けるようになったのは,そんなに古い話ではありませんよね。
たった40年前には,まだ信号のある交差点の方が珍しかったんだから。
[77617] 2011年 2月 7日(月)23:38:09Issie さん
関内駅南口前
[77611] k-ace さん
駅に一番近い市役所・町村役場・特別区の区役所

横浜の市役所(←横浜市は「市庁」と呼んでいる)が,かなりの線いってると思いますよ。
何しろ,根岸線の関内駅南口の海側出口を出たら,線路(高架橋)に並行する歩行者専用街路を横断して,確か十数歩で市役所の中に入れたはずです。
もっとも,市役所の「正面玄関」は,少し離れたところにありますが。

千葉市役所も,モノレールの「市役所前」駅のそばですね。ただし,モノレールという性格上,地平面へのアプローチが長く,また市役所の敷地にはいってから庁舎内に入るまでの距離も少しあります。

ついでに市区町村ではありませんが,地下鉄大江戸線の「都庁前」駅は,名前の通り“都庁前”です。
[77601] 2011年 2月 5日(土)10:48:38Issie さん
上から読んでも,下から読んでも
[77598] oki さん
ここの海苔屋さん

山本山。そう言えば最近,あまりCMを見かけないような。

でもやっぱり,「中巻き」というのがイメージわきません。
細巻きの方に近いのか,太巻きの方に近いのか。

[77599] グリグリ さん
とろろ昆布やおぼろ昆布を巻いたおにぎり

我が家には,おにぎりを昆布で巻く習慣はありません。ただ,私の住んでいた埋立地の団地は,全国から移り住んだ余所者の集合体ですから(もちろん,大部分は関東甲信越+東北。むしろ,地元の千葉県は少数派),小学校の同級生がそういうおにぎりを持ってきた記憶があるような,ないような。
目の前の海で海苔を養殖して,国道沿いの漁家の庭先で海苔を干していた,まさに海苔の産地だったわけですが,別に産地だから,というわけではありませんよね。もともと,昆布を薄く削ったもの,というものがマイナーな食べ物だったのだろうと思います。
私,とろろ昆布とおぼろ昆布の違いがわかりません。

[77597] 桜トンネル さん
おにぎりを買うと「温めますか?」と聞かれる

できたその場で食べるとき以外,おにぎりや弁当というものは本来,冷めているものだと思うのですけどね。冷めて食べてもおいしくなきゃ。
おにぎりの海苔も,湿気を十分吸ってしっとりとしているもの。
コンビニで売っている,海苔を別パックにして食べる直前にご飯に巻いてパリッとした状態で食べる,というのも,それはそれで悪かないけど,やっぱり海苔がしっとりして,表面がきちんと塩辛くないと,おにぎりらしく思えません。ついでに,梅干しも甘くなんかなくていいから,余計な味のついていない,ちゃんと塩っぱい梅干しが食べたいです。
[77596] 2011年 2月 5日(土)00:08:11Issie さん
one hundred peanuts
[77595] 右左府 さん
節分に落花生をまく

私,落花生の産地の近くに住んでいたわけですが,産地にはそういう習慣はないんじゃないかなぁ。
「信」のお寺の前の町に住んでいた頃,学生寮の豆まきで落花生を蒔いていたけど,当時も今も私には「大豆の代用品」という感覚しかありません。

[77591] 千本桜 さん
この辺りでは栃木と違ってかんぴょう栽培している家はあまりないはず

たびたび表明している通り,私の母方の田舎が越後のチャーザァ村(の少し奥)というわけで,何でも新潟県は栃木県と並ぶユウガオの栽培地域だそうで,田舎に行くたびにユウガオの入った味噌汁を出してもらいました。そういう意味で私には“干していないユウガオ”の方が,“干したかんぴょう”よりもなじみの深い食材なのですが,東京近辺ではマイナーな食べ物のようですね。
[77590] 2011年 2月 4日(金)20:06:23Issie さん
海苔巻き
[77589] oki さん
東京に出てきた頃は、お店に太巻と細巻しか並んでいないのを見て、通常の巻き寿司より太いのを太巻、細いのを細巻と呼ぶのだと思いこんでいました。

あっ,これ,よくわかんない。
河童巻きや鉄火巻きのような細巻きと,でんぶや卵焼きを巻いた太巻きとの間の「中間の巻き寿司」ってのがあるのかしら。

そういえば,久しく かんぴょう というものを見ていません。
子どもの頃は,「海苔巻き」(←「巻き寿司」とは言わない)と言えば「かんぴょう巻き」がデフォルトで,アラカルトというか,“変わり寿司”として「河童巻き」や「鉄火巻き」なんかがあるんだと思っていました。「ネギとろ」なんて,昔は聞いたこともなかった海苔巻きが出てくる一方で,いつの間にか かんぴょう巻き を見ることが減ってしまいました。お寿司屋さんの出前にも入ってないですよね。

いや,かんぴょう もさることながら,その原料である夕顔の実もあまり見ないなあ。

ところで,昨日2月3日は旧暦の1月1日,旧正月。
惜しいなあ。立春の今日が旧正月だったら美しかったのに。
月の暦(旧暦)のサイクルと,太陽の暦(立春,春分など)のサイクルが,たまたま一致して(…と言っても,このサイクルは決まっていて,別段「たまたま」ではないのだけど)「月の暦の正月」≒「太陽の暦の新春」となったわけだけど,立春=旧正月 となるのは何年おきなんでしょうね。…計算が面倒。
[77587] 2011年 2月 4日(金)00:01:43Issie さん
転用に次ぐ転用
今晩の「ブラタモリ」は,いつになく鉄分が多めでした。ま,今シリーズは昨年度のシリーズに比べて鉄ネタが多いのですが。
なるほど,「牛込駅」の駅舎はあそこにああいうふうに建っていたのか…。

[77586] スナフキん さん
どこまでを「復活」とするか

私としてはやはり,保存鉄道やアトラクション的なものではなく,「完全な鉄道」として「本来の役割」で営業している路線,としたいところです。その点では,一旦廃止した路線の形態を転換(軽便鉄道→新交通システム)した上で“復活”した西武山口線も,(法律上の扱いに関わらず,実態として)西武の遊園地群を結ぶアトラクション的な存在で,私的には「アウト」かな。
逆に旧土電安芸線は,まさに「ストライク」。

北丹鉄道や頸城鉄道

北丹鉄道は由良川沿い,というよりも,ほとんど河川敷内と変わりないような,かなり条件の悪い所を走っていましたよね。そのままでは「国鉄」の完全な路線とするには無理だったのでは…。
頸城鉄道は信越線の黒井駅から浦川原に向かってほぼ東に進んでいましたが,ほくほく線は一旦ずっと北の犀潟まで進んでそこで信越線と分かれ,わざと北の丘陵に突っ込んで豪雪地帯をトンネルでやり過ごしています。どちらも以前に走っていた鉄道ルートとは違ったところを走っています。

湖西線が江若鉄道のルートの大部分をなぞっていることは,よく知られていますね。
最近,むかし鉄道雑誌の“P誌”に掲載された記事を復刻編集したものを読んで知ったのですが,湖西線への転用がらみで江若鉄道には「国有化」への期待があったようなことが書かれています。けれども,戦前の「鉄道省」ではなく,“公共企業体”である国鉄の時代,しかも1960年代後半となれば,それはやはり時代錯誤ではないか,と今から見れば思えます。

路線の転用と言えば,これも知られていることだろうと思いますが,京都・伏見間での二重転用の例があります。
京都の東山を突き抜けるトンネルを掘ることなどとてもできなかった明治時代,東海道線は当初,逢坂山を越えたあと山科の谷の南の方を迂回して伏見稲荷の前を通って北上し,何とか「七条ステーション」に到達。後にこの京都駅から東寺の東側を通って伏見,木津方面へ奈良鉄道(現JR奈良線)が開業しています。
大正になってようやく東山トンネルを掘ることができるようになって,大津と京都をほぼ直線で結ぶ現在の東海道線のルートが1921年に開業。それに合わせて,伏見稲荷前の旧東海道線ルートが奈良線に転用され,廃線となった東寺前の奈良線旧ルートは奈良電気鉄道に払い下げられ1928年に新装開業。これが現在の近鉄奈良線。1928年というタイミングは,「御大典」がらみなのですね。
“多い”というほどではないにしても,“使われなくなった”線路敷を別の路線に転用するという例はままありますが,こういう二重の転用はそうはないように思います。
[77584] 2011年 2月 3日(木)22:09:06Issie さん
消える電車,よみがえる電車
鉄道の廃線に関わる話2題。

長野電鉄屋代線(屋代-須坂)は乗降客の減少による赤字の累積が進み,沿線3市による活性化協議会でも委員の投票によりバス代替を受け入れて,同線の廃線が決まった,というニュース。
元は「河東線」の名前で 屋代-須坂-信州中野-木島 間を結んでいたこの路線。長野や湯田中に乗り入れる路線の方が後からできたんですよね。でも,やがてはこちらがメインとなり,「木島線」となった信州中野以北の区間は既に廃止。須坂以南も「屋代線」となって,細々と運行されていたのですが,とうとう“引導”を渡される時が来た,ということでしょうかね。
もともと沿線の主邑である松代は,長野との間を“縦”に直結するルートの方がメインであって,屋代-松代-須坂を“横”に結ぶ流れはあまり太くないし…。思えばもう四半世紀前,国鉄の昼行急行削減・特急格上げ政策による上野からの直通乗り入れ列車の廃止と,屋代駅を介した貨物の連絡運輸の廃止とで既に役割の大半を終えていたわけで,今まで生きながらえてきたことを良しとすべきなのかもしれません。
それでも四半世紀前には長野の「地下鉄」と松代を直接結ぶ新線をつくろう,なんて構想が語られたりもしたんですけどね。

一方,広島では2003年に廃止された可部線の末端区間の一部を復活させようという動きがあるのだとか。元は非電化のディーゼル区間であって,本当のところは電車が「よみがえる」のではなくて「伸びる」というお話。
よみがえるのは廃止された46キロのうち2キロほど。全体からすれば1割にも満たないわずかな区間ですが,それにしても一旦完全に廃止された鉄道がよみがえる,というのは少なくとも最近は聞かなかったような気がします。
[77554] 2011年 1月 30日(日)11:15:02【1】Issie さん
山口県は九州北部
[77553] 白桃 さん
「オーストラリアってアジアなの?」

「オセアニア」だけで地域大会を開こうとしても難しそうですからね。だから本当は「アジア plus」。

自治体名以外にも、地域が関係する事柄へのネーミングは難しいものですね。

本当に。分けるのも,くっつけるのも,名づけるのも大変です。

ちなみに,「かっこいい」かどうかは別にして,私も「南アルプス市」,大好きですよ。「北杜市」も「北斗市」も,どちらもいいなあ。
「安曇野市」も好きなのですが,振り仮名の方で「現代仮名遣い」のルールから逸脱する「づ」を「正しい」とする表記には個人的には賛同できないのだが…,まあ,いいでしょう。
※ややこしい話ですが,私が賛同していないのは「あづみの」という表記を「正式な表記」として“行政が定めている”点です。私自身は“旧かな表記大好き”ですから,実は「あづみの」という表記を好もしく思っています。ただ,現代仮名遣いのルールにしたがって「かずさ(上総)」「こうずけ(上野)」という表記が行われているのに則るならば,「安曇」は「あずみ」と表記されるべきで,行政がわざわざそれに反するのはどうかと個人的には思います。
蛇足ながら,「吾妻」の場合は「あ+つま」と分解できるから連濁原則により「あづま」と表記する,と強弁できなくもないのですが(ただし,現代語に「あ」という“独立した単語”がないので,本来この言い訳は成立しません),「曇」(ドン)という音に「づみ」という読みをあてはめた「安曇」の場合は,“初めから濁っている”ので「頭痛」「地震」が「づつう→ずつう」「ぢしん→じしん」と書き替わったように,「あずみ」と表記すべきもので,これは「現代仮名づかい」の適用で「とうきやう」が「とうきょう」(東京),「おほさか」が「おおさか」(大阪)と書き替わったように,自動的に行われたはずのものです。
けれども繰り返し,「あづみ」「あづま」「あづさ」という表記の方が私自身は好きです。

[77546] ぺとぺと さん
石川県市制条例

神奈川県の現行の条例(都市としての要件に関する条例,昭和29年条例第44号)では,こうなっています。

----------------------------------------------------------------------------
(3) 公立又は私立の図書館、博物館、公会堂、公園等の文化施設を有すること。
----------------------------------------------------------------------------

すでに「映画館」はありません。
「博物館」という名前の施設も藤沢市にはなかったような。ただし,よく知られている「水族館」や「植物園」があって(ただし私立),これが広い意味での「博物館」にはなりますね。藤沢市で特筆すべきことは「文書館」があって,これは全国市町村に先駆けた先進事例なのですが,ほかの分野は貧弱で何ともチグハグです。

言い忘れた。
「山口県は九州北部」というのは,天気予報の区分です。
[77542] 2011年 1月 29日(土)00:33:06【1】Issie さん
Re:藤沢市が
[77541] 笠津前浜 さん
シネコンは除くようですね

そのシネコンも,今のところはありません。
辻堂駅北口の再開発で,今年の秋にはシネコンが出店するようなのですが。
藤沢市に映画館がない,という話の前段には,それまで唯一残っていた(古いタイプの)映画館が昨年の夏に閉館してしまった,というお話があります。

映画館は,銭湯とともに街中から急速に消えているものの一つですね。そう言えば,以前は町田駅の近くにあったはずの映画館が,いつの間にかなくなっていて驚いたことがありました。一応,市の南はずれのショッピングモールにシネコンがあるので,藤沢市よりもわずかに人口の多い町田市が「映画館のない最大の市」にはならなかったわけですが。

私は学生時代からあまり映画を見に行く人ではなくて,ごくたまにしか映画館まで足を運ぶことがないのですが,やはりしょっちゅう行くには高いですよね。でも,高く設定しなければ経営を維持できないようになっているのでしょう。その,スパイラル。
朝日新聞の記事には,どうもシネコンも飽和状態にあるようなことが書いてありました。
「映画」という媒体をめぐるシステム全体が,かなり厳しいのかもしれませんね。出版や新聞という紙メディア,あるいはレコード(←という言葉は,もはやほぼ死語ですが)という媒体の状況も合わせて,“時代の変わり目”にいるのかもしれませんが,寂しさの前に,いまは不安を感じています。

※追記
私は今,秋葉原の石丸電気のCDショップがこの3月で大幅縮小される,というニュースに大変ショックを受けています。
この20年ほど,最盛期にはビル3館で営業していたものが数年前にビル1館に集約されて「あれっ?」と思ったのですが,とうとう電器売場などがある本店ビルの1フロアに吸収されてしまうのだとか。
このお店は,私が高校生だった頃から折に触れて利用してきたのですが,最近メジャーなCDショップとは違って,歌謡曲とかフォークとか,アイドルとか,つまり「J-POP以前」のジャンルが充実していて重宝したものです。新しい売り場も覗いてみたのですが,DVDもあるわけだし,あの規模では期待できないな。
さて,4月からはどこにCDを買いに行きましょうか。
[77531] 2011年 1月 27日(木)00:06:23Issie さん
きれえやで,かっこええ,ピンクの戦車やでぇ
[77528] ころすけ さん
街のイメージとか印象ではなく、単純に市名のみで日本一かっこいい市名はどこでしょうか?

横綱 氷見市(富山県)

「氷見市」の,どこが,どのようにかっこいいのでしょう?
そして「由利本荘市」以下がランクアップされた理由は? なぜ,あんな順番でならんでいるのでしょう? 北の方がかっこよくて,南の方はそうでないのか? いっぱい市があるのに1つもランクアップされない北海道は,かっこよくないの?
別に「氷見」に恨みはないけれど,このリストから外れた市の人は怒っちゃいますよ。だって,理由がわからないから。

つまり,何の基準も示されずに「かっこいい」と言われても,何をどのように答えていいいのかわからない。そもそも,「かっこいい」というのは思いっきり“主観的”なものであって,いかなる客観性もない。私には ころすけ さんがリストアップされた12市の名前のどこがかっこいいのか,全くわかりません。

「かっこよさ」は人それぞれ。特別な思い入れのある人にとっては,その市の名前が一番かっこいいのだろうけれど,ほかの人には別にかっこよくも何ともない,なんていうようなものじゃないかと思います。
というわけで,

皆さんは、どう思いますか???

といわれても,困ってしまうなぁ…。
[77482] 2011年 1月 18日(火)23:27:04Issie さん
ナマコの入り江
テレビ朝日の「世界の車窓から」。
関東ローカル以外では同じ時間帯に他番組が放送されていたり,放送されていても時期がずれていたりするものですが,関東ではこれからシベリア鉄道に乗るようです。
(昨日,じゃまなサッカー中継があったのでチャンネルを合わせなかったのですが,オーストリアの旅は先週で終わったのですね。)

とうわけで,今日・明日は「東方を征服せよ」という意味のウラジオストク。ちなみに,ロシア領化される前の中国名は「ナマコの入り江」。
私がソ連に行った頃は外国人が入れなかった町ですが,やっぱり行ってみたいところではありますね。私がシベリア鉄道に乗ったのはもう20年前。この番組が以前にシベリア鉄道に乗ったのは確か15年ほど前だったと思うのですが,まあ,どんな姿になっているのか。
毎晩,楽しみではあります。
[77479] 2011年 1月 18日(火)22:17:08【1】Issie さん
あはれせうじよよ
[77477] 白桃 さん
某国営放送の歌謡番組

あたしも見てました。残念なことに,“懐メロコーナー”はお風呂に入っていて,寸での差で見逃してしまったのですが。
実は私,あるコーラスグループの一人が亡くなって,もう“4人”で歌うことがなくなってしまったことに大変ショックを受けています。メンバーの年齢を見ると,やむを得ないこととは思うのですが,一番若い方ですからね…。
だから,

ご本人が歌われてました

というのには,たいへん感慨深いものがあります。

念のため、シラフです。

あたし,酔っ払っています。
[77459] 2011年 1月 16日(日)11:37:19【2】Issie さん
S, A, G, A, 佐賀!
何気なくテレビを見ていたら,CMに テツandトモ が出ていました。久しぶり。もったいないなぁ…,「平成の牧伸二」になれるかと期待していたのに。

問.次の各都市の中で,2000~2005年で最も人口が増えたのはどこか。また減少したのはどこか。
 A:愛知県豊田市  B:長崎市  C:兵庫県西宮市

…というような意味の問題がセンター試験「地理B」に出題されていました(実際の問題文は少し違います)。

そう。センター試験ですねぇ。実際の受験生の皆さんがこれを読む頃には,試験は終わっているはずですが。
私がセンター試験ならぬ「共通一次試験」を受けたころは,共通一次の日は東京近辺の雪の特異日などと言われたものです。正しくは,雪が降りそう,雪が舞う,積もらない程度に雪が降る…,というものですが。実際,私が受けた時は“2回とも”千葉大構内に雪が舞っていた記憶が(←“2日とも”という意味ではないので,念のため)。
昨日,東京は寒い曇天だったけど,雪は舞ったかな?

そんなわけで,昨日の「地理B」の問題をざっと眺めてみました。最近は,某予備校が pdf 形式で問題を配信してくれるのでいいですね。新聞の不鮮明かつ小さい紙面で地図を見せられても,読み取れません(最近,30cmくらいのところがよく見えなくて…)。

まあ,今年もオーソドックス,というところでしょうか。ほぼ満遍なく,重箱の隅をつつかない程度に細かめの問題が出ています。
地形図の読図を含めた問題。昔はわざわざ地名を書き換えて出していたものですが,学習指導要領で地域調査が重視されるようになって,具体的な地域をストレートに出すようになりました。で,今年の対象地域は 佐賀県。
1966年には佐賀城の南側はまだ田んぼだったんですねぇ…。地図の上では,まだ藩政時代の面影が残っているようにも見えます。最後の問題,有田焼の知識なんかもあると役に立つかもしれませんね。

…冒頭の2人に対して,はなわ はうまく生き残っているよな,と思う今日この頃。
[77422] 2011年 1月 13日(木)21:41:53【1】Issie さん
あき
[77418] 山野 さん
ところで、土佐国である高知県に何故「安芸市」及び「安芸郡」があるのかと。その由来は?

[77421] 雲雀山 さん
壬申の乱の頃に土地を治めていた豪族”安芸氏”からとったようです。

「安芸郡」について言えば,これはたぶん逆です。
該当のページをよく読めばわかるように,「安芸氏」がこの地を治めていたのは“中世”です。通常,日本史で“中世”という場合は鎌倉時代(早ければ平安時代末)から室町・戦国時代までを指すのが習慣です。で,ここでは戦国大名の 長宗我部氏 に滅ぼされた,とありますね。
「壬申の乱」は一般に“古代”と呼ばれている時代でも前の方の 672年 のできごとです。
土佐の 安芸氏 が“言い伝え”の通りに壬申の乱に敗れた 蘇我赤兄 の子孫かどうかわからず,あるいはハクづけのために“捏造”した話かもしれないのですが,いずれにせよ,中世のある時期,この地域で勢力を拡大した豪族がその支配圏の地名である 安芸郡 から「安芸氏」を名乗った,あるいは,そう呼ばれるようになった,ということでしょう。
たぶん,「安芸氏」よりも「安芸郡」の方が先にあった。

では「安芸郡」の地名がいつからあったかというと,少なくとも7~8世紀に律令制下の国郡が編成される過程(それこそ,壬申の乱の前後ですね)で,「土佐国」の中に「安芸郡」が編成されているようです。
で,「あき」という地名自体は,瀬戸内の「安芸」とは関係なく,それ以前からあったらしい。

「大野郡」という郡は,飛騨・越前・美濃・豊後 の各国にありました。まあ,素直に「大きい野原」というほどの意味でしょうから,これはどこにでもありそうな地名ではあるでしょうね。実は,飛騨国大野郡 と 越前国大野郡,また 越前国大野郡 と 美濃国大野郡 はそれぞれ隣接しているのですが,これは元々「大・大野郡」として存在していたものが 飛・越・濃 3国に分割されたというよりは,元々“野原”について与えた地名を“山”まで広げて行ったら,偶然隣接してしまった,ということだと思われます(この「大野郡」については,結構以前に話題になったことがあります)。

「海部郡」という郡も,尾張・紀伊・阿波・豊後 の各国にあります。現在,尾張(愛知県)では「あま」,阿波(徳島県)では「かいふ」,豊後(大分県)では「あまべ」と読み,紀伊(和歌山県)の 海部郡 は 名草郡 と合併して「海草郡」となっていますが,古代ではいずれも「あま」と呼んでいたようです(ただし,阿波国海部郡 は古代は 那賀郡 の一部で,中世になって独立したようです)。
尾張の 海部郡 は,中世以来分割されていた「海西郡」「海東郡」を再統合して1913(大正2)年に“復元”されたもので,その時にわざわざ大昔の「あま」という読み方を持ち出したものですが,別の読み方もあったことは近隣地域出身の「かいふ」元首相を見ればわかりますね。
「あま(海士・海女)」という言葉が現代語にも残っていますが,古代の部民制では漁撈や航海などの海上作業を生業とする人々が「あまべ」という職能集団に編成されました。各地の沿岸地域に「あまべ」が配置され,律令国郡を編成するに当たって各「あまべ」の本拠地を中心い編成された郡が「海部郡」なのだろうと思います。
そして,中央(大和)にはこうした各地の「あまべ」を統括する集団がありました。壬申の乱の一方の当事者である 大海人皇子(天武天皇) は,その名前からこうした中央の「あまべ」集団と深い関係があったと考えられています。

※ちなみに,兄の 天智天皇 は元々の名前を 葛城皇子 と呼び,それはかつての有力氏族であった 葛城氏 と関係のあるものと考えられています。そして,彼は「大兄」の皇子でした。それに対して,弟の名は職能集団に由来する 大海人皇子。たとえ両親が天皇(舒明 と 皇極/斉明)であっても,「大海人」とはいかにもランクが低い。日本書紀の記述とは違って,そもそも 大海人皇子 には初めから皇位継承の芽などなかったのでは…,などという説が最近はあるようです。ま,天武天皇とは要するに壬申の乱に勝利した“叛乱軍の総帥”であって,彼(と彼の後継者)が編纂させた「日本書紀」には当然に“粉飾”がある,という前提のお話です。

話戻して,
そんなわけで,各地の 海部郡 はお互いに関係がありそう。

古代の海上集団としては「あずみ(阿曇/安曇)」という部族も知られています。元は現在の福岡市周辺を本拠としていたものが,古代の始まり頃に全国各地に移住したらしい。
で,彼らが移住したとされる先々に「あずみ(<あづみ)」「あつみ」などという地名が成立した。そのうちの幾つかは律令国郡編成の過程で 郡 となり,それがたとえば,三河の「渥美郡」であったり,美濃の「厚見郡」であったり,信濃の「安曇郡」であったり,さらには出羽の「飽海郡」もこれと関係がある,などと言われます。
実際,信州・安曇野の 穂高神社。奥宮が上高地にあって,北アルプスの穂高岳もこれと関係があるわけですが,ここの祭神は“山の神様”である前に“海の神様”ですね。

というように,全国には“同じ名前の郡”のグループがいくつかあって,その中にはお互いにとても深い関連のあるものもあれば,偶然の一致と思われるものがある。
では「安芸郡」はどうか,というと,よくわからない。

「あき」という名前そのものの語源については様々な“憶測”が語られているのですが,たいていはアテにならないので,ここでは話題にしません。
ともかく,瀬戸内の「あき」の方は,すでに律令以前の段階で「阿岐国造」というものが見られます。その支配領域をもとに「安芸郡」が編成され,さらに周囲の各郡を合わせて管轄する国府をこの郡内に置き,その国を「安芸国」と呼ぶことにした。
一方,四国の「あき」の方でも,そのように呼ばれている地域に「安芸郡」が編成されたけれども,こちらはもっと広い平野部を支配拠点とした「都佐国造」の領域をもとに編成された「土佐郡」に国府が置かれたので,その「土佐国」に含まれることになった。
そんなわけで,ずっと古い歴史をさかのぼってみたら 安芸国安芸郡 と 土佐国安芸郡 の間にもしかしたら何か関連があるのかもしれませんが,とりあえずはお互いに別個の存在であったと考えておくのがいいのかもしれません。

一方,「安芸市」の方は,その 安芸郡 において中世の 安芸氏 以来,郡の支配の中心であったわけで,その意味では“安芸氏に由来する”と言えるのかもしれません。
[77385] 2011年 1月 10日(月)01:43:07【1】Issie さん
Re:パスポートの申請
[77375] 白桃 さん
浦安市に住んでいる人は千葉市まで出向くわけですが

千葉(中央旅券事務所)か松戸(東葛旅券事務所)まで出向けば,受け取りだけは船橋(葛南県民センター)でできるみたいですね(千葉県の該当ページ)。葛南県民センター,その昔,私がある書類を提出しに行った時よりも,ずっと便利な所に移ったのですね。
これも昔の話ですが,千葉市の中学校に通っていた頃,足繁く通っていた千葉市中心街。市川市の高校に進学したら見事に全く出向かなくなり,今に至ります。千葉市に通っていた頃は,総武線は複線で,稲毛駅で貨車の入換をやっていたものですが。

でも何故、丸亀ではなく善通寺、三本松ではなく津田、なのでしょうか???

香川県の出先機関(県民センター)がそこにあるから,みたいですね(香川県の該当ページ)。
 ・東讃 ---津田
 ・小豆島 ---土庄
 ・中讃 ---善通寺
 ・西讃 ---観音寺
という配置は,1942年設置の 地方事務所 にさかのぼるようです。その前の 大川郡役所 は 長尾 にあったようですが,1878年の郡区町村編制法による 大内寒川郡役所 は最初 津田 にあったものが,三木郡も合併した時に 長尾 に移って,そのまま郡制による 大川郡役所 になったみたいですね(郡制施行で三木郡は山田郡と一緒になって 木田郡)。

そう言えば,私,神奈川県民になってからパスポートを作ったことがない(直近は,東京都民だった時に新宿まで申請しに行った)ので今調べてみたのですが,千葉県の場合とは逆に,申請だけなら相模原でできるけど,受け取りは横浜か厚木まで出向かなければいけないようです(神奈川県の該当ページ)。
相模原の申請窓口(神奈川県企業庁「プロミティふちのべ」ビル)なら,我が家から歩いて10分足らずなのに。
[77347] 2011年 1月 5日(水)23:48:08【3】Issie さん
…いつか「蓮(はちす)」の花と咲く
タイトルは [77318] の続きということで。

[77331] グリグリ さん
[77147]実那川蒼さんからの情報

ごめんなさい。読み落としてました。重複しちゃいましたね。

[77338] ペーロケ さん
改称?

実はこの件に関しては,自分のHPでどのように取り扱うか,考え中なところです。
が,基本的には 88 さん([77341])と同様,“手続き”を重視すべきである,というのが私の意見です。
今回の件は,「総務省告示」という文書を「官報告示」という形で一般に周知する,という手続きを経たことを何よりも重視したいと思います。
実際,自治体名等の表記の変更について,「自治省/総務省告示」という形で周知された例として1960年7月1日以降では
 ・1972年3月30日付の 鹿児島県噌唹郡→曽於郡(同年4月1日施行,昭和47年自治省告示第82号)
 ・1991年12月3日付 奈良県山辺郡都祁村(“しめすへん”の書体変更。同年10月24日施行。平成3年自治省告示第167号)
の2例があります。…というか,2例しか“ありません”。
大筋は 88 さん([77341]) の説明にある通りです。私も全く同じ認識を持っています。

「字体」の扱いについては 88 さんが [77341] で抜粋された自治省の通知がありますが,“そもそも”の「当用漢字字体表」(昭和24年内閣告示第1号)に付随して出された“内閣訓令”(「当用漢字字体表の実施に関する件」)には以下の下りがあります。

--------------------------------------------------------------------------------------
今後,各省庁においては,この表によって漢字を使用するとともに,広く各方面その使用を勧めて,当用漢字字体表制定の趣旨の徹底するように努めることを希望する。
--------------------------------------------------------------------------------------

実は,市町村はあくまでも“自治体”であって“国の官庁”ではないことは,現行憲法・地方自治法の下はもとより,旧憲法の下でもそうであったととらえるべきなのでしょうが,それでもこの「訓令」には相当の強制力があったと理解すべきであろうと思います。「長野県諏訪郡ちの町」の例を考えれば,少なくとも「公」の分野における「当用漢字」の強制力はとても強かった。だから,「廣島市」は“当然に”「広島市」と“書き替わる”(←“受け身(受動態)”ではなく“自発態”)ものであって,告示の必要など全くない
(ところで,「廣嶋市」という表記は“公式に”行われていたのでしょうか)。
全国の自治体名が“自動的”に「新字体」に書き替わったものと思われます(現在,わざわざ“旧字体”表記を(勝手に)主張している自治体も含めて)。

一連の「国語改革」は戦前からの取り組みの歴史を踏まえて 文部省 が主管官庁となって推進されました(決してGHQが「日本の伝統を破壊する」ために押し付けたものではありません。明治以来積み重ねられた試行錯誤の到達点として,獲得されたものです)。ところが,占領終了とともに,旧内務省系の官庁が 自治庁→自治省 と整備されていく中,自治庁/自治省では公文書の表記について文部省系のそれとは若干違うルールを採用しました。たとえば,横書き文書の読点について,文部省系では「,(コンマ)」としているのに対して,自治省系では「、(点)」で表記するものとしています。
常用漢字表において「全て」という表記が“公認”されたのは実は今回の改定が“初めて”です。これまでの常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)では「全て」という表記は認められておらず,「ゼン」または「まったく(まっとう)」としか読めませんでした。けれども,自治省系では「全て」という表記はずっと以前から認められていたようで,公文書でも普通でした。
私が県庁勤務であった時に戸惑ったことの1つは,この“文部省系”と“自治省系”の表記ルールの違いであったわけですが,それはつまり,“自治省の縄張り”である地方自治体において,文部省系の表記の縛りは,最近であればあるほど強くはなかったといえそうです。それとは対照的に,検定教科書における文部省ルールの縛りは極めて厳格でありました。
一方で,その「厳格な」学校における漢字教育を受けた世代においては漢字の一点一画が極めて厳格に決められているものとの「誤解」が芽生えて,それが今回の「しんにょうの点の数」にかかわる「名称の変更」告示につながったのでしょう。
…そんなこと,蓮田市に言われる前っから,あたしゃ「蓮」の字を“一点しんにょう”で書いていますって。

過去に何度も表明しているように,私自身は今回の件は「文字(活字)のデザインの相違」に過ぎないと考えています。“二点しんにょう”であろうが,“一点しんにょう”であろうが,どちらも“全く同じ漢字”。たとえ「正字」というものがあっても,それは“明朝体活字”のお手本であって,それを筆で楷書で書けばそのお手本とされている唐代の字体が“正字体”と違う例はいくらでもある。過去に話題になった「塚」の“点”の有無もそう。「ヶ」や「ッ」の大小もそう。[77344] で にまん さんが紹介されている「葛城市」の例もそう。どちらの形の「葛」が“正しい”かなんて,およそナンセンス。
少なくとも,“手で書く”際にそのようなことにこだわる必要は全くない。ただし,個人名や私企業のような「私」の存在については,それぞれのアイデンティティは尊重されねばならず,字体の違いも最大限区別するべきだと思いますが,逆に「公」の存在である自治体の表記については個々の住民による表記を縛るものであってはならい(“ガバメント・アイデンティティ”というものがあるにしても。それ(たとえば“旧字体/新字体”とか,“ヶの大小”とか)を住民に“上から”強制してはならない。どちらが「正しい」かを決めるのは,住民の多数の“慣用”です。

ただ,冒頭の繰り返しですが,今回の「蓮田市」の件は手続き上,「公的」な表記について“総務省告示”という形で告示されるに至りました。何となく書き替わった「広島市」の例とは違って。この手続きは,重視してしかるべきです。
したがって,記録性を重視するならば,そのような手続きが“わざわざ”行われたことを“記録”として残しておくことは,十分に妥当なことであると思います。
[77326] 2011年 1月 4日(火)18:55:14【2】Issie さん
捕らぬ狸
[77324] 山野 さん
敢えて命名するならば「安芸府中市」でしょうか。

町の公式HPに「あきふちゅうの歴史」なんてコーナーもありますから,そのあたりが穏当ではあるでしょうね。
単独市制であるなら「さくら」や「みどり」のような新奇な地名を創作する必要はありませんよね。お隣りの山口県の例に倣って「芸府市」と言って言えなくもないけど,あまり耳慣れないし,古代の国府の有無にかかわらず近世以降の人々の感覚では「芸府=広島」でしょう。「甲府」が,本来国府のあった 笛吹市 ではないように。
北海道の広島に倣った「西府中市」は,あるか,どうか。
まさか,挙母市の真似をして「マツダ市」とか「東洋市」は,ないと信じたいけど。

ま,今の段階から“皮”の値段の算段をしてもね…。
[77318] 2011年 1月 4日(火)10:50:01【1】Issie さん
どぶに落ちても根のある奴は
今年の 総務省告示第1号 (←pdfファイル。たぶんリンクが有効なのは2月初めまで)は「市の名称変更」というものでした。埼玉県の 蓮田市 の名前を変更する,というもの。
で,何か新しい名前になるのかと思ったら,変更後も「蓮田市」なんですね。
何が変わったかというと,「蓮」の“しんにょう”の点が2つから1つになった,ということ。PCのディスプレー上では,特別なフォントを用いない限り区別できなさそうですが。

これは,昨年11月の告示で差し替えられた「常用漢字表」(平成22年内閣告示第2号)を受けてのことなのでしょう。もっとも「蓮」は常用漢字ではないので,直接には無関係のはずなのですが。
もしかしたら,これからこのタイプの「名称変更」が続くのかもしれません。

なお,蓮田市の「名称変更」は本日,2011年1月4日より有効です。
[77149] 2010年 12月 31日(金)20:44:19Issie さん
明日という日は明るい日と書くのね…
「幸い」という字は「辛い」という字に似てるわ…
なんて言ったら,この歳取りの夜には似つかわしくありませんね。なので,以下自粛。

[77141] 伊豆之国 さん
「十干」(甲乙丙‥)地名の宝庫

さすがに,10分の8番目までは回ってきませんかね。
ひとつ前の「庚(かのえ)」だと,庚申信仰にちなんだ地名が多いし,次の「壬(みずのえ)」も「壬生」なんて形でよく見かけますけどね。
だからやっぱり,本来の意味の「からい」「つらい」に期待しましょうか。

…今,テレビを視ずにベートーベンを聴いています。ベタですが。
[77139] 2010年 12月 31日(金)09:42:50【2】Issie さん
百年
明日の今頃はイベントの解答で埋まっていそうなので,今年のうちに。

明けて2011年は,実は「大正百年」です。
「明治百年」のときにはいろいろなイベントがあったりしたようですが(子どもなのでおぼえていない),今回はあまり話題にならないようですね。明治天皇の誕生日(明治節)は「文化の日」に姿を変えて残っているし(現行憲法的には「憲法公布記念日」),何を記念したいのか,「昭和の日」などというものも作られてしまいました。なのに,大正天皇の誕生日(8月31日)は,ほとんど誰も祝っていません。命日は,全く別の趣旨で勝手に盛り上がっていますけどね。
短い,というだけ以上に,扱いの淡白な「大正」。
けれども,明治年間に形の整った「近代日本」の“熟成”が進んだのが「大正」です。
このページに関連したものでいえば,9年(1920年)の「第1回国勢調査」。初期の頃に話題になっていた,戦前の教育制度がほぼ完成するのも大正年間で,旧制高等学校や高等専門学校の配置もほぼこの時期に固まりました。14年(1925年)には「普通選挙法」が成立,この時に導入された衆議院議員選挙の「中選挙区制」は,東京・大阪の都心部を除いて,ほぼそのまま1993年の小選挙区制導入まで続きました。
鶴見沖が埋め立てられて京浜工業地帯の造成が始まるなど,その後の重化学工業化が始まるのも,この時期。
「明治」や「昭和」ばっかり話題にするけれど,短くても実はとっても中身の濃い「大正」。

ついでに戦前の二大政党制の枠組みができあがるのも大正年間です(紆余曲折がありますが)。昭和に入って,両政党は相互にあまり程度の高くない政争と自党内の内紛を繰り返して“自滅”しました。今の二大政党,どうも「戦前昭和の二大政党制の失敗」とよく似た道を通っているようで…。

ところで,2011年の干支は「辛卯」。「卯」の方は話題になっているので,「辛」の方に注目すると,実は「辛亥革命」(1911年)からちょうど百年。革命政権は明けた1912年1月1日に 中華民国臨時政府 を南京に樹立してこの年を「民国元年」としたので,2011年は「民国百年」でもあります。
ちなみに,革命政権は成立してすぐに太陽暦を採用したのですが,「民国元年1月1日」の段階でまだ存続していた北京の清朝は旧暦(太陰太陽暦)で「宣統3年(辛亥)11月13日」。宣統帝(溥儀)が退位して清朝が滅亡するのは1912年2月12日ですが,旧暦ではまだ宣統3年の12月25日。清朝は(旧暦による)「壬子=宣統4年」を迎えることができなかったのですね。

その「辛(かのと)」。「卯」の方は既にリストアップされているのですが,「辛」のつく地名はどれくらいのあるのでしょう。
熊本の「辛島町」というのが,すぐ頭に思い浮かぶのですが…。

[77134] hmt さん
「業平橋」はそのまま存在し続けているようです。

その通り,運河ではなくなっても“溝”はそのまま残っているで,橋もそのまま存在します。
ちょうど,運河がそのまま首都高になって橋がまるごと残っている東銀座・築地周辺のように。
[77126] 2010年 12月 28日(火)01:09:42【1】Issie さん
二人の銀座・ふたたび
[77125] 伊豆之国 さん
現在の「109」の西側の大通り辺りにもアーケード街があったのですが

都南デパート,って言いませんでしたっけ?
私自身が原町田を歩くようになったのが25年ほど前なので,あまり古いことは知らないのですが,いつの間にかマラソン道路のアーケードがなくなっていてビックリしました。
次にビックリしたのが,JR町田駅の北口下からズドーンと大通りが抜けたこと。
仲見世の方は最近,入口に出店した小籠包屋が人気で,先日も東京12チャンネルの番組で紹介されて賑わっていますね。
商店街の通りの狭さと人の多さにあまり変わりはないけれど,一連の区画整理・再開発でやっぱり街の印象が変わりました。初めて原町田へ行ったときには,何て乾物屋の多い街だろう,というのが第一の印象だったのですが,今はだいぶ減っている様子で。
それでも,原町田こそが“政令指定都市・相模原”の商業中心地であることに変わりはありません。…市内にない情けなさ。

[77123] oki さん
戦後の一時期、アーケードが商店街近代化の切り札的な存在だった時代があり

私は,アーケードに“昭和30~40年代”のイメージを強く感じます。ずっと前に書き込んだことがあるのですが,時代に取り残されたような東京タワーのビルを訪れた時に感じたような。私が「昭和」という区切りで感じるイメージ。

※これも以前に表明したことがあるように,“62年と2週間”もあり,それぞれの時期も多様で一括りにできないはずの時代を「昭和」という言葉で振り返ってしまうのは,私は本来適当ではないと考えています。「昭和だよね…」って言ったとき,それは“いつの「昭和」”ですか? まさか,「バブル」じゃないですよね? 違う,戦争の時代。 いや,もっと前の「モボ」の時代。…っていう風に,同じ言葉でお互いに全く違うものを連想しあっているかもしれない。だから,やっぱり適当じゃない。
でもあえて「昭和」というなら,私には自分がよく知っている40年代後半以降ではなくて,そのちょっと前の30~40年代前半かな,って感じです。

話戻して…

銀座の場合、道路幅は広いし、日本を代表する商業地でイメージアップの必要などなかったため

まさしく“目抜き通り”である旧電車通り(四丁目で交わる中央通り(東海道)と晴海通り)にアーケードをかけるわけにはいかないでしょうが,裏に入った みゆき通り や すずらん通り なんかは大阪の心斎橋筋に対応しそうなものだけど,アーケードはかからないのですね。商店街としての性格が違うのか,文化が違うのか。

でも,仙台の中心商店街もアーケードですよね。商店街としては崩壊寸前ですが,秋田の駅前にもあります。大都市ではないけれど,熱海や清水にもあります。
大都市の「町の中心」と言うと,どうも南関東だけがスコンと抜けているような気がします。
[77124] 2010年 12月 27日(月)20:27:51Issie さん
名にし負はば
とあるところで見つけた記事ですが,
東武伊勢崎線の「業平橋」駅が,例のものの完成・開業にあわせて2012年から「とうきょうスカイツリー」駅に改称するのだとか。
…まあ,“地主”だし,営業上の観点からすれば当然ではあるけれど,何かもったいない気が。

駅名が変わるからと言って,「言問橋」も「業平橋」自体もなくなるわけではないんですけどね。
[77121] 2010年 12月 27日(月)09:49:02【2】Issie さん
アーケード
[77120] ペーロケ さん
大きな都市の中心には必ずアーケードがあるものだ

そう言えば,学生時代に初めて広島へ行って(ちょうど広島カープの優勝を祝う花電車が走っていました)地元の学生に飲みに連れて行かれた時,街の真ん中に延々とアーケードが続くのを見てものすごくビックリしたことを記憶しています。
言われてみれば,新潟の 古町 や富山の 総曲輪(そうがわ) もそうですね。少し規模が小さいですが,長野の 権堂(ごんどう) もそうです。以前は、松本の 六九(ろっく)商店街 もアーケード街でした(今は中心商店街の地位から脱落して,アーケードも撤去されているようですが)。

「言われてみれば」と書いたのは,私自身にとっては都心にこういうアーケード街があるということの方がむしろ珍しいから。
ここでいう「アーケード」とは,(少なくとも買い物時間中は)自動車を締め出して道路全体に屋根をかけるものですよね。で,それが数百メートルから数キロも続く…。
私の知る南関東3都県では,このようなアーケード街が“都心”にある,というのはあまりないように思います。

まず,東京。
都心の商店街…とは,銀座,日本橋でしょうが,…ないですね。ここにアーケードをかける,なんて言ったら大きな騒ぎになるんじゃないかしら。
新宿,渋谷,池袋などという「場末」は措いておいて,古くからの繁華街である 浅草 にはまとまったものがあります。有名な 武蔵小山 のように“郊外”には規模の大きなものがたくさんありますね(中央線や常磐線などの沿線各市は「東京郊外」の延長ということで…)。

横浜。
伊勢佐木町や元町。アーケードがかかってそうな雰囲気もありますが,かかっていません。都心を離れた 六角橋 や 横浜橋 には有名なアーケード街があります。
で,川崎にはあるんですね。都心の 銀柳街。横須賀にもあります,ちょっとだけ。
私が子どもだったころにはとても「大都市」などとは呼べなかった千葉には“全天型”のアーケードはなかったはず。ただし,国鉄と京成の千葉駅移転にともなって整備された国鉄千葉駅-京成千葉(現千葉中央)駅間の高架下商店街がそれ近い風景をしていました。

ビルの間の,せいぜい数十メートルの長さに屋根をかけて…,という小規模なアーケードなら,たとえば秋葉原などにも散在するのですが,規模の大きなものは“都心”というよりも“郊外”のもの,というのが私のイメージです。
「名ばかり政令市」の相模原にもありますよ。半世紀くらい前からある 西門商店街 と,こちらは最近(20年ほど前)できた 相模大野。どちらも,都心ではありません(…というより,相模原に「都心」など存在しない)。

ただし,車道を残したまま,雪国の雁木のように店の軒先の歩道に屋根をかけるタイプのアーケードなら珍しくありません。千葉銀座や船橋の 本町通り など,このタイプは枚挙に暇がない。けれども,このタイプのアーケードは最近は撤去される傾向にあるようで,たとえば私が学生の頃は長野駅から延々と続いていた 長野中央通り(善光寺参道) のアーケードはオリンピックの時に撤去されてしまいました。東京の神保町界隈などもそうですね。
[77117] 2010年 12月 26日(日)22:13:59Issie さん
[77111] k-ace さん
卯の付く地名

[77114] 伊豆之国 さん
「兎」の付く駅

“くさかんむり”のついた「菟」というのも「うさぎ」という字ですね。
現在の地名というよりは割と古い表記で用いられていて,兵庫県(摂津国)にあった「菟原(うばらぐん)郡」(現神戸市東部・芦屋市付近)もその1つ。京都府の「宇治」の古い表記も「菟道」ですが,こちらは小学校の名前に現在も生きています。

「兎の楽園」

人間の持ち込んだ動物が野生化,繁殖して島の主人になってしまった,というのは「環境論」的には“楽園”などと喜んでいられないことなのでしょうが,まぁ,好きな人には言うだけ野暮なのかもしれませんね。
[77077] 2010年 12月 21日(火)00:28:17【1】Issie さん
元は自動車関連工場
[77073] 白桃 さん
その市の市役所の隣には、大きなイオン(ジャスコ)があって、その隣にはよりによってイトーヨーカドーがあるのです。

ぺとぺと さんの推理([77074])のとおりであるなら,実はお隣の「なんちゃって政令指定都市」に先行事例があります。
もう20年ほど前,近くを走るJR線上に新しい駅が設置されるのに合わせた開発事業に関連して国道脇の企業グランド跡地に大規模ショッピングセンターが作られ,そこにジャスコとイトーヨーカドーが出店してきました。こちらは,どちらかというとジャスコの方がメジャーで,ヨーカドーの方はマイナーな印象を受けますが。
十数年の時を隔てて工場跡地に開設されたお題の所では,両者対等のような感じを受けますね。もっとも,私はイトーヨーカドーの方にしか行ったことがなく,その先にジャスコが出店しているなんて知りませんでした。

だからね,両方の大型スーパーが隣り合っていても,私は別にビックリしないよ,というお話でした…。

※スカイツリーの足元や,大手町の辺りから乗り換えなしで来れる市ではありますね。
[77039] 2010年 12月 18日(土)09:42:10Issie さん
サンダーバード
[77038] 大龍エクスプレス さん
新鳥栖と久留米のどちらか一方にも停車

他線との接続の件だけでなく,何より筑後地方の中心都市を通過するというのはあり得ないし,佐賀県にも停まるという実績を残しておきたい,という事情を両立させなくてはならない点もあるのでしょう。
駅間6キロ足らずなら両駅を統合できなかったのか,とも思うのですが,やっぱ無理だったんでしょうね。なぜ停まるのか今一つ理解できない 筑後船小屋 とは違って,鳥栖 も 久留米 も停車させるべき駅ではあります。

ところで,同じ3月の改正で北陸線の「雷鳥」で国鉄以来使用していた特急電車が引退し,これを機会に列車名を「サンダーバード」に統一するというニュースもありました。ううう~ん,こちらに統一しちゃうのか…。
某ポータルサイトのコメント欄には,北陸新幹線に「雷鳥」を,なんて書き込みがあるのですが,「雷鳥」は対京阪神の看板列車ですよね。私は北陸新幹線にはぜひ「白山」の復活を,と願っています。

※某所で見かけた,わが国の外相とロシア大統領のツーショットがサンダーバッドそっくり,という話,笑っちゃいました。
[77024] 2010年 12月 12日(日)18:17:10【1】Issie さん
蛇は嫌われているのか?
[77020] oki さん
東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが

町丁字レベルの行政地名としては消えてしまったかもしれませんが,もっと小さなレベルの地名では決して少なくないのでは? たとえば,谷中には「へび道」と呼ばれる街路がありますね。昔の川の跡で,蛇のようにノタくっているから。[77021](伊豆之国 さん)にも出てくる 「へび坂」なんていうのも,割とよく聞くように思います。
ただ,大字以上の地名となっているのは少ないので,「ウォッちず」のような地名検索には引っかかりにくい。

ところで,どうも「蛇は嫌われ者」という前提で話が進んでいるような気がしますが,本当に蛇は嫌われているのでしょうか。
確か,“白い蛇”はおめでたいものとして珍重する風習があったし,全国の神社の中には蛇を信仰の対象とするところが多くありますよね。「お金が貯まる」なんて言って,蛇の抜け殻を財布に入れたりしませんでした?
まあ,積極的に好かれてはいないかもしれませんが,必ずしも忌み嫌われているわけではないのでは…(「蛇蝎のように」という表現がありますが,これは漢文由来ですね)。信仰の対象として崇めつつ,「敬して遠ざけ」ているのかもしれませんが。ヤマタノオロチも,恐れられてはいても敬いの対象であり,嫌われているのではないと思います。

日本の農耕社会では蛇は少なくとも身近な存在ではあり,日常生活に非常に身近なレベルでの小地名でも「蛇」は意外に身近にあるような気がします。
「由来我国民性ノ蛇ヲ嫌忌スル感情」というのは本当なのか。むしろ,そのあとに続く「都市文化ノ中心タル地名ニ蛇窪ナル名称ハ恰モ山村辺輙ノ地名ノ如ク到底不適当タルヲ免レス」という表現に現れているような,農耕を離れた都会の,もしかしたら「アダムとイブ」の説話を持つキリスト教の価値観の影響を(少なからず)受けた人々の勝手な思い込みなんじゃないかな,という気がします。

※NHKの「ブラタモリ」。少し以前に放送された「住宅」の回で,空襲にも耐えた深川の鉄筋コンクリートのアパートで毎年 田中邦衛…,もとい,アオダイショウの抜け殻を集めているおじさんが登場してきました。「ええっ,東京の真ん中の深川で?」と思ったのですが,アパートの裏側は清澄庭園なのですね。後ろに見えていた高い木(ケヤキ?)は庭園の木だったのか。

[77019] 白桃 さん
水戸黄門の主題歌

「あゝ人生に涙あり」というタイトルだそうです。
木下忠司お得意のマーチ調。現在放送中のシリーズでは 東幹久(助さん)・的場浩司(格さん) の2人が歌っています。今回,善光寺宿をあっさり通過してしまって,ちょっぴり不満。
[77012] 2010年 12月 11日(土)11:30:06【1】Issie さん
地上39階の眺め
新幹線ネタ,つづき。
考えてみれば,新幹線は既に 八戸 段階で青森県,そして“青森領南部”には到達しているのですね。今回の 新青森 延伸は,ようやく津軽(の東端) に到達した,ということ。ならば,津軽に偏っていても,まあいいのかな,と思い直してみました。

以下,こちらが本題。
昨日は,県内高校の地理教員の勉強会で野外巡検に行ってきました。対象地は武蔵小杉。
朝,東横線の新丸子駅に集合して,午前中は中原街道を歩いて“昔の小杉”を探索。ここは,今話題の「武蔵小杉」とは違って,もちろん多くの建物がビルに変わっているのだけど,結構古い建物が残っています。「本来の小杉」と「武蔵小杉」は別物なのですね。

ちなみに,このあたり「中原区」といいますが,この「中原」という地名は元からここにあったものではありません。「中原街道」という名は“川崎市の中原”を通るからそう呼ばれるようになったのではなく,徳川将軍の宿舎である「中原御殿」に由来します。で,小杉にもその「御殿」があったのですが,名前は「小杉御殿」。中原御殿があったのは現在の平塚市で,この街道がその御殿の方まで続いているので「中原街道」となった次第。
川崎市のこちらの地名は,1889年の明治の大合併で 小杉村 その他が合併して新しい村を編成するに当たり,ここを中原街道が通ることから「中原村」という呼称が採用されたことによるもの。だから,「中原区」は“交通由来地名”なのでした。

午後は“今の武蔵小杉”に行って再開発地区の中のNECの新オフィスビルを見学をしました。で,先方の御厚意で37階建てビルの屋上ヘリポートに上がらせてもらいました。屋上に出てからさらに階段を上がるので39階相当。
天気がよく,風も弱かったのでよかった。実に見事な眺望でした。ここまで上がると見る角度が変わって,距離感が地上とは全く違うものになってしまうのですね。そこで撮った写真のうちの1枚をうちのHPの表紙に貼っておきました。ただし,サイズを縮小したので,ややわかりにくくなってしまいましたが。

[77010] oki さん
今日、阪奈県境の地峡部で大和川の流れを観察していたところでは、確かに水深は非常に浅く、とても舟で下れそうにないということを改めて確認しました。

水運が主であった時代と,洪水の際にできるだけ早く水を吐くことを主題とする現代とでは川の管理のしかたが根本的に違うそうですね。同じ水量でも,かつては船を通すために一定の水深が確保されるように流れをコントロールしていたけど,今はそうではないので“普通の川”では舟下りができない,ということなのだろうと思います。
[77007] 2010年 12月 10日(金)19:33:13Issie さん
青森県東半の南部
[77006] k-ace さん
三浦さんと泉谷さんはCMで名乗っているので分かるんですが。

そうなんですか。私はテレビでは未見で,毎朝乗ってる京浜東北線電車の扉上のディスプレイに映る“無声CM”で見てるんですよ。で,あのCMにはもう1人,“若い車両整備士”もキャラクターでいるみたいなんですが,あれは誰なんでしょうね。

※CMソングも聞いていないので,私の中では八戸開業時の井上陽水(秋田開業時だっけ?)がBGMに聞こえてきます。井上さん,九州ですね。

でも、津軽に偏ってるような…。

よその地方では,「青森県=津軽」ってイメージが強いんじゃないでしょうか。
この話題,ずっと以前にもやった記憶があるのですが…,
「南部」というと,今では岩手県と反射的につながるのだけど,江戸時代の初めに 盛岡 に本拠地を移すまでは 八戸 や 三戸 が南部氏の本拠だったんですよね。さらに「津軽藩」は,その「南部」から“独立”して成立したわけで。
なのに,「青森県の“南部”」は「津軽」と「岩手県の“南部”」の間に落ち込んでしまって,何か影が薄いですね。あるいは,「南部」の一部である「下北」や「恐山」のキャラが立ちすぎているのかも。
[76996] 2010年 12月 8日(水)21:40:59【2】Issie さん
あかつき
オペレーションセンターが我が家の近くなので,地元の話題。

残念でしたね,「あかつき」。
でも,なぜ「6年後」なんだろうと思っていたら,“金星の衛星”にはなれなかったけど,現時点では金星に近い軌道を周回する“惑星”なのですね。で,金星の公転周期と「あかつき」の“公転”周期が同調してお互いに再接近するのが6年後で,その時にまた逆噴射に挑戦するのだとか。
…なるほど。

それにしても,「のぞみ」「はやぶさ」…と,国鉄/JRの特急の名前のオンパレード。「あかつき」と聞くたびに,数年前まで京阪神地区と長崎の間を走っていた寝台特急の方を連想します。
どうも金銭面の厳しさも“6年後の再挑戦”の理由の1つらしくて,次の打ち上げもなかなか難しそうですが,さて,次に宇宙に行く“特急”は何でしょうか。

[76994] ぺとぺと さん
関係自治体にとって事業継続に向けた利用者の拡大は急務だと思われます。新線開業がその起爆剤になることを期待したいと思います。

しなの鉄道の例を見ると,長距離客が新幹線に移行した後の三セク線に残るのは比較的に短距離のローカル輸送で,そこへわざわざ観光客を呼び込むのは容易ではないようですね。「旧東北本線」である 青い森鉄道 の場合は,貨物輸送や北海道への寝台列車があるけれど,これは通過するだけで沿線に貢献することはほとんどないし。そもそも,JRは寝台列車の運行にどこまで真剣なんだか…。
新幹線のお客をうまく下北半島へ呼び込めれば,八戸からでも新青森からでも 青い森鉄道 の列車に乗ってもらえるのですが(ついでに大湊線にも),今JR東日本がやっているキャンペーンは,どうも津軽に偏っているような気がして。だって,メインキャラクター,“助役”の 吉幾三 はもちろん,“駅長”の 泉谷しげる も青森市生まれだそうで(もう1人の“若い駅員”は誰?)。
新青森から津軽へ,JR線には乗ってもらえるけど,青い森鉄道方面は,だめじゃん。
一応,「せんべい汁」の宣伝もしているんですけどね。

※「逆噴射」と聞くと,いまだ条件反射的に「機長!」という反応をしてしまうのでした。
[76968] 2010年 12月 5日(日)10:21:38Issie さん
飛び地だらけ
[76961] MasAka さん
今の整備計画区間に限って言えば、それほど大きく増えることはなさそうです。

もう少し先まで考えて…,と言っても実はそれほど対象は多くないようですね。

九州新幹線の長崎ルート。嬉野温泉経由で,かつて長崎本線が開通した当初の“大村廻り”の復活ですね。どうも「フリーゲージトレイン」の扱いその他を含めて未確定な部分が多いみたいですが,嬉野温泉-諫早間は新線を建設するけれども,ほかの区間は在来線を利用する,ということのようですね。並行在来線の扱いについても何かすっきりしていない部分があるのですが,少なくともJR九州が運営する,という合意はなされているようで。
そもそも長崎本線自体が「盲腸線」ですから,既に松浦線を切り捨てた今,問題となるとなるのは佐世保線の末端区間かもしれません。

北海道新幹線。計画は小樽経由で,こちらも室蘭本線・千歳線ルートに主役の座を奪われた函館本線・山線区間の復活ですね。で,新幹線開業となれば,“山線区間”(長万部-小樽間)が切り離されるのは確実でしょう。あとは函館本線の(新)函館-長万部間。こちらも切り離されれば,江差線が孤立することになりますね。木古内で新幹線と接続しますが。
…それより,江差の“檜山支庁”が“振興局”になってしまった今(一応,総合振興局と“同格”とは言っているけれど),江差線そのものの存続が心配ですが。

リニア新幹線。現時点では私はまだ実現について半信半疑ですが,これは言ってみればJR東日本の“縄張り”である関東甲信地方にJR東海が“殴り込み”をかけるようなものですから,東日本の方から三セク化することはないのではないか,と。そもそも南アルプスをぶち抜くルートなら,「並行」しないし。
もし中央東線が三セク化されたなら,小海線は両端駅(小淵沢,小諸)で三セク鉄道と接して,中間駅の佐久平で辛うじて他のJR線(北陸新幹線)と接続する,という形になるのですが。

そもそも,そんな遠い遠い未来,JRも三セクも今のままの姿でいられるのだか…。

こういった飛び地路線は私鉄・3セクだとそれほど珍しくもないですね。

1970年代前半まで,地方にまだたくさん残っていた私鉄の多くがそうでしたよね。そもそも,その頃までの私鉄網の骨組みは1938年の「陸上交通事業調整法」で,元々は省線(国鉄)の各駅から別個に伸びていた中小鉄道をエリア内で統合して成立し,さらに戦後の統合も加わったものだから,飛び地だらけであるのは当然です。
たとえば,石川県内の私鉄は 北陸鉄道 に統合されたわけだけれども,バラバラの短い路線の集合体で,金沢近郊の2路線を除いて(この2路線もつながっていない)70年代前半の“地方私鉄大淘汰”を生き残れなかった。この時期,多くの県から私鉄が姿を消しましたが,多くがこのパターンであるように思います。短小な路線がバラバラに国鉄駅から伸びているだけでは,1960年代まではバスとの競合,そして70年代以降のモータリゼーションには勝てないのですね。

先日オフ会が行われた茨城県の県南地域。
ここには4つの私鉄がありました。常総鉄道(取手-下館),竜崎鉄道(佐貫-竜ヶ崎),筑波鉄道(土浦-岩瀬),鹿島参宮鉄道(石岡-鉾田)の4つ。
戦時中に行われた企業統合では,常磐線を境に西側2つ(常総+筑波)で常総筑波鉄道,東側2つ(鹿島参宮+竜崎)で鹿島参宮鉄道。これが1965年に京成電鉄の影響下で対等合併して 関東鉄道 となり“地方私鉄大淘汰時代”を生き残ったものの,1980年前後の“第2次淘汰”で今度は南半分の 常総+竜ヶ崎 が関東鉄道に残って,北半分の 筑波・鉾田(鹿島) が1979年にそれぞれ分離することになりました。戦時中の 西・東 から 南・北 という組み合わせの変換。で,結局は“北”の2路線が最近までに消滅して,今の関東鉄道は“本体である常総線”に“飛び地の竜ヶ崎線”という体制に見える,というわけです。
[76958] 2010年 12月 4日(土)11:27:35Issie さん
JR線の飛び地
[76956] おがちゃん さん
これから「飛地区間」が増えていくのか、注目したいところです。

三セクに移管される並行在来線ともども,今後の経営に大きな不安が残りますから,無邪気に楽しんでもいられないのですけどね。
今のところ,2014年度の 長野“行”新幹線…,もとい,晴れて名乗れる「北陸新幹線」の金沢延長で 長野-直江津-金沢 間の切り離しと三セク移管が予定されているので,七尾線(津幡-和倉温泉)が孤立することになります。もっとも,七尾線の列車は金沢に直通していますから,「孤立感」は少ないかと思います。
在来線としては,以前にも話題のあった 大糸(北)線(南小谷-糸魚川) が「JR西日本」の路線として孤立しますが,北陸新幹線自体は 上越(脇野田) 以西が西日本の路線となりますから,糸魚川で接続するという点でこれは八戸線と同じパターン。
高岡では城端線上に「新高岡駅」が設けられるので,路線としては 氷見線 が孤立しますが,これは 高岡 で城端線と接続,さらに 氷見・城端線 として孤立する路線が 新高岡 で北陸新幹線と接するので「飛び地」となることは免れることができますね。この 氷見・城端線 という“ひとつづきの路線”は,国有化(1920年)以前の「中越鉄道」が復活するようにも見えます。

1945年6月19日までの旧宇和島線

実は,こちらに注目。
予讃本線の 八幡浜-卯之町 間延長で 宇和島線 が孤立状態から脱したのが,この日。予讃本線が八幡浜まで来たのが 1939年2月6日 で,宇和島側の 北宇和島-卯之町 間が「宇和島線」の名で開業したのが 1941年7月2日。時期の遅さもそうなのですが,何ともすごい時期に工事が行われていたわけです。
[76941] 2010年 12月 1日(水)00:17:32【1】Issie さん
京成電車で初詣
[76940] 紅葉橋律乃介 さん
「お寺」は毛がないから「発毛で」は行かないでしょう

一瞬納得しそうになったけど,初詣に行きますよ,お寺。
関東地方で人気の初詣ポイントの 成田山 も 川崎大師 もお寺です。私は今年のお正月,ラーメンを食べに行くついでに 善光寺 に初詣に行きました。
それに,最近のお坊さんは“発毛”している人も多いし…。少数派だけど,神社でお葬式,というのもあるし,お寺で結婚式ってのもあるようです。

[76939] 白桃 さん
「お寺」と「神社」の違いを判らないヒトがいた

ご利益(りやく)を求めるだけだったら,どっちだっていいんでしょうけどね,お寺とと神社とではとりあえず“お参りのお作法”から違いますから,一応は違いを知っていた方がよいのは確かでしょうね。
大きいお寺や神社の場合,明治の初めに無理やり分離させられるまでは両方一緒にあるっていうパターンも多かったのですが,それでも「お寺部分」と「神社部分」には分かれていることが多かったようです。一応,役割が違いますから。
でも「神主の総元締め」である天皇が,譲位した後に出家して「お坊さん」になる,というのは明治以前ではよくある光景でしたよね。跡継ぎ以外の天皇の子どもは,早いうちからお寺に入ってお坊さんになりました。後醍醐天皇なんか,譲位も出家もしない“天皇”のまま,幕府を倒すために仏教式のお呪い(調伏)をしたりもしていたとても熱心な仏教信者でした。
難しいことを言い出せばそれなりの精密な理屈があるのですが,普通の人にとっては「お寺」であれ「神社」であれ,願いをかなえてくれればそれでいい,というのが一般的な日本人の感覚でしょう。
ま,それでよろしいのではないか,と。あとは「常識」に則ってそこにふさわしいお参りができれば。
[76910] 2010年 11月 28日(日)10:56:05Issie さん
ととりべ
[76905] 白桃 さん
鳥取、名張、安来なんかもそうでしょうか?

「なばり」って,「とりとり(鳥取)」と同じように動詞の連用形から派生した名詞のように見えますね。ただ,「名張」という漢字表記はそれほど絶対的なものではなくて,日本書紀の壬申の乱の下りでは「隠」と表記されています。「隠」がどうすると「なばり」と読めるのか,よくわかりませんが。

「鳥取」の古い時代の読み方は「ととり」で,これは「鳥を取る→とりとり」という動詞に由来するのでしょうが,地名としての「鳥取」(因幡=鳥取県だけでなく,和泉=大阪府などにも分布)は,“鳥を取る”という行為(動詞)そのものから直接名づけられたというよりも,6世紀の“部民制”の下で鳥を取ることを生業とする専門家集団として編成された「鳥取部(ととりべ)」に由来するものと思われます。「鳥飼」「猪飼」「犬飼」「玉造」などもそうでしょう。「服部・羽鳥」も現在の漢字表記ではわからないけれども,由来は「機織(はたおり)部」ですね。

動詞から直接…というと,これは集落名でもないですが,千葉県勝浦市の海岸に「おせんころがし」という地名があります。“おせん”という女性が転げ落ちた,というのが事実かどうかはわかりませんが,これなどは「転がす」という動詞から直接地名化したものと思っていいでしょう。「杖突峠」などというのも,このタイプかも知れませんね。

で,「安来」はどうか? …というと,とりあえず漢字表記(“来”という字)は無視しておいた方がいいように思いますが。

ところで、「博多」の語源は???

あの辺り,古く後漢の時代から「な」という地名であったわけで,遥かに時代を下って 小早川秀秋 の「名島城」や現代の西鉄「名島駅」につながるわけですが,その港(奴の大津)に付けられた「博多」という地名も古くて,だから語源はよくわからないみたいですね。
“金印”の時代から半島や大陸に対する玄関口であり続けたから,というわけで,中国語の「博多」が日本語の発音に訛って「はかた」になった…,なんてことはまさかないとは思うけど。
とりあえず,「博多」と表記しないまでも「はかた」という地名自体はほかの地方の沿岸部にも多く分布しますから,語源はそちらに求めた方がいいと思います。
[76899] 2010年 11月 27日(土)10:51:41Issie さん
起こしてお呉れ
動詞・形容詞地名のつづき
そういえば,動詞そのもの(に見える)地名がありましたね。

 「起(おこし)」…愛知県一宮市
 「呉(くれ)」…広島県呉市

ただし,「呉」の場合は動詞(呉れる<呉る)からの派生というよりも,中国の「呉」に由来する元からの名詞であるように思います。
「起」の由来は何だか。

ただ,一般に流布している地名の由来は,たいてい語呂合わせであったり,牽強付会であったり,要は「伝説」であって,ほとんど信用ならないものですが。
[76897] 2010年 11月 27日(土)02:05:31【2】Issie さん
相楽郡
[76892] 白桃 さん
日本の地名というか自治体名に形容詞とか動詞から派生した例

自治体名に限定すると例を探し出すのが面倒くさそうなので,とりあえず地名一般。

動詞由来の地名(直接派生したものに限らず,派生名詞によるもの含む,…というよりほとんどがこのパターンだと思われるが)は,結構多そうです。思いつくだけで,

 追分,沓掛,矢作(←他表記多し),須走,石打,相生・相老,鳥飼,杵築,板付,……

本来は動詞そのものなのに,(たまたま用いられている)漢字表記のせいで全く無関係の名詞に見えている例も多いかもしれません(逆も真)。

形容詞だと,たとえば

 白井,黒井,赤井,高井,若井,…

などの「×井」シリーズ。この「…い」というのを“音便形”(口語体形容詞の終止形語尾)とみなすか,あるいは文字表記を馬鹿正直に信じて「井戸」と解釈するか。もちろん「井」は本来「ゐ」で,音便形の「い」とは別の音のはずですが,少なくとも現在の地名に直接連続する“村”が成立・編成された中世末から近世初期には相当に混同が進んでいたようですから,違いを気にする必要はないでしょう。
文語体連体形を思わせる「荒木」「黒木」などの「…き」シリーズも,たくさんありますね。
形容詞の語幹だけの「荒(あら)」「高(たか)」という地名もあるかも知れません。全国各地に存在した「たか郡」(多可,多賀,…)も,もともとは「高」だったかも(語源を「正しく」伝えるという点で,漢字表記はほとんどアテになりませんから)。ただ,たとえば「赤」「白」などになると,形容詞語幹だか名詞だか区別がつきません(区別する意味もないのだが)。

気になるのが,山城南端の「相楽郡」。近世以降の読みは「そうらく」ですが,古代の読みは「さがらか」。何か,形容動詞っぽいですね。
[76867] 2010年 11月 23日(火)21:24:45Issie さん
紀勢
[76865] k-ace さん
「紀勢」の範囲は特定できない?

ね?
私は,伊勢のうち紀勢本線沿いの区域,というほどの意味なのかな,と思っています。

あくまでも気象注意報や警報を出すための単位ですから,別に県の行政区分と一致しなくてはならないものでもないし,ましてや「郡」などという苔が生え消滅しかかっている過去の遺物にこだわる必要もないと思っています。ただ,伝統的な区分とあまりにかけ離れていると,それはそれで混乱の元になるとも思いますが。

気象庁予報警報規程に「紀勢・東紀州」という地域単位(二次細分区域)が登場したのは1997年5月20日に公布された改正告示(施行は6月3日)です。この時に一次細分区域の「北中部」と「南部」の境界が北に移動し,新たに設置された二次細分区域の「伊勢志摩」が「北中部」から「南部」に編入されました。その際,多気郡大台町と宮川村だけが「伊勢志摩」には含まれずに,従前の「南部」の区域と合わせて「紀勢・東紀州」となりました(詳しくは こちら)。
明らかに「紀州」ではないこの区域,「南勢」と呼ぼうにもそれが「伊勢志摩」と「北中部」のうちの「中部」にもまたがっていて,この2町村だけを「南勢」と呼ぶわけにはいかない。さらに従来から「南部」であった 度会郡大宮町・紀勢町・大内山村 も(一部を除いて)「紀州」ではないわけで(やはり「南勢」の一部),そこでとりあえず紀勢本線沿線だから「紀勢」と呼んでおこう…,そんなストーリーでしょうかね。

東紀州(Wikipedia)

私が Wikipedia を根拠としたくないそもそもの理由が,長野県の「北信地方」について 大北地域(大町市+北安曇郡) を含むという記述があった,ということにあります。確かに長野オリンピック関連の開発で特に白馬地区と長野市のつながりが格段に強まり,あるいは松本の影響力が薄まったかもしれないというのは事実だけれど,それが「北信」「中信」という地域区分の変更にまで及ぶのか。その後,記述は少し改善されたけど,「水内地方」なんて言うのだろうか。逆に,私が知らないだけなのかもしれないけれど。
特に地理関係の記事については,どうもそれを書いた人の思い込みが払拭しきれていないような疑念があって(ある地域の“コアな”ことがらについては,他者が直しづらいものがあります),信用しきれないものがあるのです(中には基本的なところで“明らかな間違い”があります。気が付いたところでは私も直すのですが,とても直しきれません)。
[76864] 2010年 11月 23日(火)18:12:28【1】Issie さん
東紀州対策室
何か(やっぱり)昔も同じようなこと言ってますね,あたし。

[76861] グリグリ さん
Issieさんの最初の記事番号は[54]であることを全員が記憶した

私は全く記憶いたしておりませぬ。でも,なぜ?

[76857] グリグリ さん
東紀州ってあまり馴染みがなかったなぁ。

三重県庁の行政組織 を見ると 東紀州対策室 というセクションが設けられているようですね。県行政上,特別な地域単位呼称として「東紀州」が用いられているのでしょうね。これがたとえば長野県の「東信・北信・中信・南信」のように,お役所の外の一般県民にどれほど浸透しているか,県外の私にはわからないのですが(長野県の4区分だって,元々は筑摩県を合併した後の大・長野県の行政上の区分があってのことで,そんなに古い時代にさかのぼるとは思わないのですよ)。

ちなみに,うちのサイトで10年ほど前に作った (出典は三重県の当時の条例)では,三重県は県内を7地区に区分して「県民局」を設けています(以下の順序は条例上の正式なものではありません)。

 伊賀(上野市),北勢(四日市市),津(津市),松阪(松阪市),南勢(伊勢市),紀北(尾鷲市),紀南(熊野市)

管轄区域は当該ページを見てください。現行の「県民センター」は「北勢」を「桑名・四日市・鈴鹿」に3分割して,地域名でなく所在地名を冠するようになっています。

私は 気象区分 で「東紀州」という地域呼称に初めて出会ったのですが,ここでは「紀勢」というという呼称も用いられていて,それが「紀勢・東紀州」という1つのまとまりになっています。では,「紀勢」と「東紀州」の境目はどこなのでしょうね。

 
[76856] 2010年 11月 23日(火)11:36:35Issie さん
腐った…
[76853] 白桃 さん
関東の人だのにコレが嫌いだとは・・・

私は温泉でもないのに出てくる温泉卵が嫌いなのですが(温泉でも嫌い),やっぱりアレなんですかね。
でも何でなのか,わからない…。


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