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faithさんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[54084]2006年9月20日
faith
[54031]2006年9月18日
faith
[54028]2006年9月17日
faith
[54026]2006年9月17日
faith
[53956]2006年9月14日
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[53955]2006年9月13日
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[53908]2006年9月11日
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[53907]2006年9月11日
faith
[53902]2006年9月11日
faith
[53845]2006年9月6日
faith
[53462]2006年8月17日
faith
[53456]2006年8月17日
faith
[53441]2006年8月17日
faith
[53437]2006年8月17日
faith
[53435]2006年8月17日
faith
[53410]2006年8月16日
faith
[53406]2006年8月16日
faith
[53398]2006年8月15日
faith
[53395]2006年8月15日
faith
[53333]2006年8月13日
faith
[53222]2006年8月9日
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[53193]2006年8月9日
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[53191]2006年8月9日
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[53165]2006年8月8日
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[53123]2006年8月7日
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[53085]2006年8月6日
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[53055]2006年8月5日
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[53020]2006年8月4日
faith
[53016]2006年8月4日
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[52979]2006年8月3日
faith
[52978]2006年8月3日
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[52917]2006年8月2日
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[52870]2006年8月1日
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[52777]2006年7月30日
faith
[52775]2006年7月30日
faith
[52547]2006年7月22日
faith
[52447]2006年7月19日
faith
[51665]2006年6月6日
faith
[51582]2006年6月1日
faith
[50474]2006年4月6日
faith
[49817]2006年3月13日
faith
[49772]2006年3月10日
faith
[49693]2006年3月5日
faith
[49387]2006年2月22日
faith
[49285]2006年2月18日
faith
[49284]2006年2月18日
faith
[49152]2006年2月13日
faith
[49151]2006年2月13日
faith
[49148]2006年2月13日
faith
[48686]2006年1月24日
faith

[54084] 2006年 9月 20日(水)23:53:52faith さん
立あり、立なし 学校名
[54043] ezekiel さん
[54033] ぺとぺと さん

情報ありがとうございました。
戦前の旧制中等学校では“県名を県を含めて冠する"スタイル(県立の場合には「立なし」)
が、結構多かったのかなあ~
そのようです。ただ、「戦前」と言っても、[53908]にも書いたように、府県立中学校が一斉に改称されたりもしています。
推測ですが、(尋常)中学校は、当初は府県に設置が一校義務付けられ、当初は私立の中学校は認めていなかったため、「○○県中学校」で足りたのでしょう。(最後まで私立は認めていなかった(尋常)師範学校は、結局官立移管まで○○県師範学校であり、「立」は入りませんでした。)
山口県桜ヶ丘高等学校(周南市)
北海道栄高校(室蘭市)
香川県大手前高等学校(丸亀市)
香川県大手前高松高等学校(高松市)
広島県新庄高校
ここで挙げられた例については、[15834] 紅葉橋律乃介さんが紹介されている事情が関係していそうな北海道以外は、○○県がなければ、所在地が紛らわしいということが関係あるのかも知れませんね。
[54031] 2006年 9月 18日(月)00:04:47【2】faith さん
ひかりとのぞみ
[53980] ぐりゅん さん
[53853] 桜トンネル さん
をはじめとする「ひかりとのぞみ」スレッドの皆様

すっかり乗り遅れましたが、楽しく拝見していました。
[53958] グリグリさん
「あおば」ってもうないんですね...
[53941] YASU さん
JR東日本の例に倣い(近距離型(なすの、たにがわ)、遠距離型(やまびこ、とき)のように)、会社間にまたがるものは「のぞみ」、自社内運転は「ひかり」という定義にすれば
東北新幹線、上越新幹線も、開業したときは、東海道・山陽新幹線と同じ、
タイプ上越東北
速達あさひやまびこ
各駅停車ときあおば
という区分でした。(種別としてはみな特急ですが)
これが、東京への近距離速達列車(通勤列車など)としての機能(いわば「関東新幹線」としての使われ方)が比重を増す中で、東海道・山陽新幹線の列車愛称とは異なる発展を遂げたということではないでしょうか。
一方、吸引力が強い都市が相対的に均等に並ぶ東海道新幹線(およびその延長としての山陽新幹線)では、近距離型と遠距離形に分ける意義は相対的に小さく、当初のパターンを進化させた、速達型、各駅停車型、および近年のひかりのような「中間型」となっているのでしょう。

※誤字、脱字訂正
※※東北新幹線、上越新幹線の機能に関する表現を変更
[54028] 2006年 9月 17日(日)23:32:17faith さん
北海道の県道
[53965] じゃごたろ さん

関西でも風が強くなってきました。西の方では大きな損害が出ているようで気になります。
この場合の「県道」とは、そこまで深い意味がないものと思います。
ちょっと大仰なことを書いてしまったかも知れません。
ここで問題となるのは、すでに「府」というものがあるにもかかわらず、「縣道」という分類しかないことです。
このあたり、ある意味少し「いいかげん」ですよね。「(表現は)不正確だが、言いたいことは分かる」と学生時代に数学の先生に言われていたことを思い出します。
「戦前は島の名前に過ぎなかった」と言われている「北海道」が学校の設置主体になり得るように読める件と言い、かつての「北海道」(この例はそれだけではありませんが)の法令上での扱われ方は結構微妙なところがありますね。
[54026] 2006年 9月 17日(日)23:12:38faith さん
県名を冠する私立高校について
[54010] ezekielさん
[53981] 逆太郎さん 他

結構あるものですね。あと、
[22968] faith
[17261] まるちゃんさん
[17221] 委員長殿
などでも取り上げられている山口県鴻城高等学校などもそうですね。
このような名称を自ら私立学校が選択する理由は個人的には良く分からないところがあります。
兵庫県播磨高等学校の沿革によれば、ezekielさんもおっしゃるように、戦中に「兵庫県播磨女子商業学校」と改称したのが始めのようですが、「播磨女子商業学校」だけでも兵庫県の学校というのは明らかですし、県名を冠することにどういう意味があったのでしょうか。
[53956] 2006年 9月 14日(木)00:18:48【5】faith さん
まだまだ北海道地方費(&たくぎん)
[53950] hmt さん
また、「北海道地方費令」(勅令第18号)では、次のように記されています。
第1条 北海道地方費に関する行政は、北海道庁長官これを担任す。
第2条 北海道庁長官は、北海道地方費の行政に関し、その職権に属する事務の一部を部下の官吏または区町村吏員に委任し、または区町村吏員をして補助執行せしむることを得。
これこそ私が求めていた説明ですね。ありがとうございます。

(地方自治団体としての北海道は「北海道地方費」と呼ばれていた。)
の部分には、いささか疑問を感じます。
というか、ここまでくると、これが「諸悪の根源」という感じさえします(笑)。
「北海道地方費」は、本来の意味は予算上の名目であるが、法令の条文では、「府県」のような「地方公共団体」としても解釈できるような文脈で使われることがあった用語、とぐらいに思っておいた方が良いような気さえします。
(地方自治団体としての北海道は「北海道地方費」と呼ばれていた。)
はむしろ、当時の法令の条文を今見ると、このようにも解釈しうる、ということであって、当時の人々の実感からはおそらくかけ離れているのではないかと想像します。

“同名の銀行(愛称・たくぎん)は、一応は別の銀行です。”の「一応は」の部分にご注目ください。
こんなことを書くと負け惜しみみたいですが(笑)、hmtさんはご存知で書いておられるのだとは思っていました。
ただ、[53577]のように書かれると、「1997年に破綻した北海道拓殖銀行は、戦前に存在した北海道拓殖銀行とは同名であるが無関係なのだな」と誤解する人もいるのでは?と思いました。
(ちょうど、北海道拓殖銀行に吸収された戦前の北海道銀行と、1951年に設立された北海道銀行のように)

たまたま戦後の体制変換期となった50年後の昭和25年に、日本勧業銀行などと共に準拠法が廃止され、「銀行法」による普通銀行に転換しました。
補足しますと、日本興業銀行のように、普通銀行ではない、債券発行銀行となる道もありましたが、すでに債券発行を中止しており、資金の大半を預金に仰いでいた拓銀は普通銀行に転換することを選択したとのことです。(参考文献 「日本地方金融史」日本経済新聞社)

[53953] 北の住人 さん
「地方費道」以前は「假定縣道」「縣道二假定ス」
これも不思議ですね。こういう表現しか取れない理由があったのでしょうか。当時の北海道を「縣」と表現するのは、政府にとっては、(府県なみの)自治権の要求を促進しかねない、避けたいことのように思えるのですが。

※北海道地方費について加筆
※※「假定縣道」などへの言及を追加
※※※参照発言番号が間違っていたので修正
※※※※拓銀関連の言及の真意について表現修正
※※※※※「北海道地方費」という用語についての解釈の表現を修正
[53955] 2006年 9月 13日(水)23:43:06faith さん
立が付かない校名
[53909] ひぃ さん
ちなみに長野県の公立高校も「長野県立」ではなくて「長野県○○高校」ですね。
情報ありがとうございます。
宮城県、長野県、北海道が、道県立の高等学校の校名に「立」が入らないようですね。
さらに「市町村立」でも「北海道~高等学校」なので、設立主体は正式名称からは分からないのが特徴です。
戦後一旦は他の多くの府県と同じように~立をつけていたのを1950年に一斉に改称しています。(このあたりの事情については[15834] 紅葉橋律乃介さんが解説されています。)
[53908] 2006年 9月 11日(月)02:58:01faith さん
県→県立
[53907]faith
中学校や師範学校の校名には「立」が入らないなど、校名に「立」が入らない公立学校は中等教育あるいはそれ以降ではむしろ普通でした。
師範学校は官立移管まで「○○県師範学校」というような校名だったようですが、府県立の中学校の校名には1901年に(ざっとみたところ)多くの府県で一斉に「立」が入っていますね。(宮城県も同様)
「中学校令施行規則」の改正が関係あるのでしょうか。
[53907] 2006年 9月 11日(月)02:15:33【5】faith さん
「北海道地方費」について
[53601][53577]hmtさん
「北海道庁」と呼ばれたことは聞いていましたが、「北海道地方費」という地方自治体があったとは初耳であり、かつ意外でした。
でも、やっぱりおかしいな…というのが、率直な気持ちです。
詳細なご解説をありがとうございました。
実は私も、「北海道地方費」が今の「北海道」と同じように使われていたとは思っていません。(もしそんな使われ方をしていたら、「北海道地方費」という用語自体、「東京府」と同じように今でももっと知られていて良いはずです。)
どちらかというと「意外でしょ?」という驚きを皆様と共有したかったというところもあります。

その性格は府県とやや異なり、経費支弁団体としての性格が強かった。
そのくだりは私も読んでいましたが、実はこの文章の意味が良く分からなかったのです。
職員などの実体を持たない、予算上の区分ということなのか?それとも経費支弁「団体」なのだから、やはり「団体」、すなわち、職員を持つような「組織」なのか?

要するに、2面性を備えた組織「北海道庁」の中で、国の機関としてフロンティア開拓を進めるための費用が「北海道拓殖費」、そして、開拓をした結果として民政の段階に移り、本州以南の府県に準じた地方団体としての統治を行なうための費用が「北海道地方費」です。
なるほど、そういう観点で
ご紹介頂いた
北海道拓殖費に関する昭和二十二年度予算編成上の措置
を読むと、「北海道地方費」は、予算上の区分のようにも、読めますね。

府県は明治の初期から存在するものであって、(hmtさんもご指摘の通り)地方三新法の制定後は、府県は中央政府に属する地方官庁でありながら、地方自治団体でもあるという二面性を次第に帯びるようになりました。このことには概念的困難はありません。一方、「三県を廃止して北海道庁を置く」という1886年(明治19年)1月26日の布告まで存在しなかった、地方官庁「北海道庁」はそのまま1946年まで存続し、一方地方自治団体(経費支弁団体)としては(「北海道地方費法」以降)「北海道地方費」と呼ばれたという構造が、hmtさんのご解説で少し背景はクリアにはなりつつも、どうもfaith にはつかめていないところがあります。

「立」の字を使わないと言えば
そういえば、公立学校の校名に「○○立」と付けるのはいつごろから広まったのでしょうか。
例えば明治初期に石川県が設立した高等教育機関は「石川県専門学校」「石川県医学校」と呼ばれていましたし、他の府県でも中学校や師範学校の校名には「立」が入らないなど、校名に「立」が入らない公立学校は中等教育あるいはそれ以降ではむしろ普通でした。設置が府県に義務づけられていたことが関係あるのでしょうか。
今でも宮城県立の高等学校の校名には「立」は入っていませんね。
簡単な観察では「市」が設立したものには、「立」が入っていたことが比較的多いように思われます。

戦後、普通銀行として営業し、1997年に銀行破綻のさきがけとなった同名の銀行(愛称・たくぎん)は、一応は別の銀行です。
言われていることを誤解しているかも知れませんが、「北海道拓殖銀行」という特殊銀行が戦後普通銀行に転換した、という意味で「同じ銀行」と言えるのではないかと思います。(日本勧業銀行や横浜正金銀行(東京銀行)のように)

※より文意が明確になるように「戦後まで」を「1946年まで」と訂正
※※公立学校の校名についての記述の表現を修正
※※※その他表現を修正
※※※※公立学校の校名についての記述の表現をより簡潔にした
※※※※※公立学校の校名についての記述にさらに手を入れた
[53902] 2006年 9月 11日(月)01:06:02faith さん
きざみうどん, etc.
[53877] むっくん さん
「きざみうどん」は大阪では一般的なメニューですが京都では珍しいと思います(単に私が知らないだけ?)。
え?そうなんですか。個人的にはきざみうどんはとても好きです。だしにほどよくからんだ細切りのおあげとからむ麺が… あぁ食べたい。

[53869]小松原ラガー さん
もっと要件を緩和して、地方のそれなりの都市がジャンジャンと自治というか、権限強化が出来るようにしたら、今よりも地方が活性化するのではないでしょうか。
自治体の権限強化(地方政府が中央の許可なしにやれることを増やす)も良いですが、地方の活性化のためには、企業や個人の自由度を高めることが重要なのではないかという気がしています。
多くの企業の実質上の本社が東京に移っている理由の1つに、監督官庁など、中央政府との連携の必要性が挙げられます。
かつて繊維業界団体の多くは大阪にありましたが、旧通産省が、対米折衝の関連で半ば強制的に東京に移転させたという話を思い出します。(1960年代の話であって、戦前、戦中の話ではありません。念のため)

[53884] 白桃さん
[53865] 油天神山さん
[53846] YSKさん
[53645] みやこ♂さん
[53476] k-aceさん
[53475] 88さん
[53474] 稲生さん
[53463] 般若堂そんぴん さん

あらためてお気遣いありがとうございます。こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。
[53845] 2006年 9月 6日(水)22:56:34【2】faith さん
ご連絡
白桃さんをはじめ、お気を遣わせてしまった皆様、申し訳ありませんでした。
書き込みしたくなることは当然予想できたので、落書き帳を覗くことも自分に禁じており、お返事すべき書き込みにも反応できませんでした。

[53462]の「書き込みを今後は行わない」宣言は過剰反応のようなので、取り下げます。
今後ともよろしくお願い致します。
(新企画もあるようですし、)しばらくはキャッチアップに努めます。

[53846]YSKさん
あちらでのYSKさんのコメントを見てこちらを見に来る気になれました。お気遣いありがとうございました。あちら同様、こちらでもよろしくお願いします。

※未来へのコメントを追加
※※表現修正
[53462] 2006年 8月 17日(木)23:54:38faith さん
いわゆる「地理的事象」とは殆ど関係ない書き込みばかり
[53459] 白桃 さん
いわゆる「地理的事象」とは殆ど関係ない書き込みばかりのように思えますが、どうお考えなのでしょうか?
お答えいただければ幸いです。
私としては、地理的事象と関係のない書き込みをしているつもりはありませんし、これまでと違った書き込みをしているつもりもありませんでした。
率直に言って、なぜ私が「今」名指しで、「どう考えているのか答えろ」と言われるのか、戸惑っています。(他の方が出された話題を発展させているものも多いわけで、「なぜ私に?」と思います)
地域に結びついた学校史も、地方自治制度史もアーカイブにもなっているぐらいなのに、掲示板の趣旨と関係がないと言われるのは納得がいきません。
これでお答えになっているでしょうか。

とはいえ、私がどう考えようと、他の参加者を不愉快に思わせてまで書き込みを続けようとは思いませんし、その権利もありません。
が、自分の興味や(わずかな)知識のある事柄以外についての書き込みを行うことにも意義を感じないので、そういうことでしたら、今後は書き込みを遠慮いたします。

[53441] については本当に答えを知りたいと思っていたのですが、この掲示板の趣旨には合わないのであれば、皆様無視してください。

皆様、これまでお世話になりました。
この掲示板での議論は楽しかったし、ためになりました。ありがとうございました。
[53456] 2006年 8月 17日(木)22:18:08【4】faith さん
Re:謎が謎を呼ぶ
[53439] 油天神山 さん
大阪人にかなり普遍的に存在する「太閤さんにあやかりたい」という願望の発露ですかねえ。
そういうのって普遍的に存在するのでしょうか(笑)。私には分かりませんが…
ただ、それでは説明が付かないのが、大東校舎の存在はもともと期限付きとされていたことです。
「十周年記念誌」より
大阪府下の中学校卒業者数の急増・急減の時期を目前に控えて、昭和53年7月以来大阪府と大阪府私立中学校高等学校連合会との間で積極的に進められてきた「大阪府公私立高等学校連絡協議会」の第6回協議会(昭和54年9月)の同意に基づき、公私共に従来の高校進学率の維持を基本とした上で、私学は昭和58、59年度の高校進学者に対して積極的に受け入れの努力を行うと共に、府はその条件整備に対する助成に努力をすること等が申し合わされた。私中高連は、私学各校に対して募集定員増等の措置をとるように要請した。
これを受けた学校法人大阪産業大学並びに大阪産業大学高等学校は、(中略)城東区古市の大阪産業大学高等学校校地では在籍者数を増やすことはできないと判断し、比較的校地に余裕のあった大東市の大阪産業大学キャンパス内に新築校舎を立てて分校を開設して、この要請を受け入れることを決定した。(中略)
申請書の生徒募集計画の欄には、昭和64年度以降の募集はゼロであることが明記されており、大東校舎の認可が急増期の間だけの臨時の設置認可であることが分かる。
それなのに、なぜ、母体とも異なる五七の桐という校章が当時から用意されていたのでしょうか。
実は関係者は期限付きのつもりはもとよりなく、学園拡大のチャンスと捉えて大東校舎を作ったのかも知れません。
あるいは、この学校法人は桐の紋章を当時は、他でも用いていたのかも知れません。いずれにしろ真相は不明です。

[53455] 千本桜 さん
大阪桐蔭高校の場所を考えると、その方がピッタリだと思います。
コメントしづらいのですが、新設の私立学校の校歌としては「河内平野」よりは「大和平野」が好まれそうな気はします。

※余計なスペースを削除。[53455] 千本桜 さんに対するコメントを追加。
※※「十周年記念誌」引用部分の文字遣いを原文に合わせた。「建てて」→「立てて」他
※※※同上
※※※※同上
[53441] 2006年 8月 17日(木)05:29:41【2】faith さん
北海道庁と北海道地方費
現在の北海道は、戦前(正確には昭和21年まで)地方官庁としては「北海道庁」と呼ばれ、地方自治体としては「北海道地方費」と呼ばれたと言います。

現在の「道道」に対応するものは旧制度下では「北海道地方費道」と呼ばれていたような形跡があります。(誤りでしたらご教示下さい)
衆議院会議録情報 第006回国会 建設委員会 第6号に、
北海道地方費道札幌稚内線は、北海道の中央部より北海道の北に通ずる、すなわち道北に通ずる陸路唯一の交通路でありまして、その利用度は文化の交流発達に従い、逐次高率を示しておりまして、特に終戰後は進駐軍の視察、あるいは連絡上本路線を利用することが非常に多くなつて参りました。
とあります。

一方、よく知られているように、学校を初めとする、現在の「北海道立」の施設は、旧制度下では「北海道庁立」でした。
この使い分けはどうなっているのでしょうか。

また、旧制度下では、「北海道とは単なる島の名前に過ぎなかった」という記述を異なる箇所で何度か目にしたことがあります(出所は同じ可能性もあります)が、
高等学校令(大正7年勅令第389号) では、
第三条 高等学校ヲ設立スルコトヲ得ル公共団体ハ北海道及府県トス
と、「地方費」も「庁」も付かない「北海道」が「府県」と並んで出てきています。
中等学校令(昭和18年勅令第36号)に至っては、
第三条 北海道及府県ハ中学校、高等女学校及実業学校ヲ設置スベシ
2 文部大臣ハ北海道及府県ニ対シ中等学校ノ増設、拡張及整理ニ関シ必要ナル命令ヲ為スコトヲ得
3 前二項ノ中等学校ノ経費ハ北海道地方費又ハ府県ノ負担トス
と、同じ条文の中で、「地方費」が付いた「北海道」と何も付かない「北海道」が混在しています。(中野文庫の誤りかとも思いましたが、文部科学省の「学制百年史」の中等学校令(抄)を見ても同様です。)

これは、「北海道地方費」と「北海道庁」の使い分けが、勅令を起草するような者でも混乱するぐらい微妙なものだったのか、それとも混乱しているようで、実は厳密な使い分けが行われているのか、どちらでしょうか。

「北海道はなぜ「北海」と略さないの?-都道府県に違いはあるのか-」のようなアーカイブや、
都道府県の沿革
事典 昭和戦前期の日本―制度と実態
を当たっても、結局分かりませんでした。
お詳しい方、お教え頂ければ幸いです。

※リンクが正しく張られていないのを修正
※※第2センテンスの先頭の「ところが、」を削除。他の箇所に接続詞を補った。
[53437] 2006年 8月 17日(木)01:00:32【1】faith さん
大阪府下の市立高校
[53435] faith
兵庫県下の市には市立高校が多いような気がしますね。
たとえば、大阪府下の市で同じようなリストを作ると、以下のようになります。
大阪府下の市立高校のリスト(大阪市立は除く*)

設置した市校名同名の府立高校の存在
堺市商業
堺市工業
堺市第二商業
堺市第二工業
岸和田市産業
東大阪市日新

また、堺の4校のうち、校名に「第二」が付く学校は、「第二」が付かない学校の定時制課程が独立したものであり、同じ敷地にあります。
これを考えると、堺市立の高校は実質的には2校と考えても良いと思います。

*枚方市の大阪市立高校([53123]faith 他)はリストに入れるべきかどうか迷わないでもないです。

※脱字修正
[53435] 2006年 8月 17日(木)00:28:03faith さん
兵庫県下の市立高校、大阪桐蔭の桐
[53423] 小松原ラガー さん
[53422] なると金時 さん
直接ここで問題になっていることではありませんが、兵庫県下の市には市立高校が多いような気がしますね。
必然的な結果かも知れませんが、芦屋、尼崎、伊丹、西宮と、県立と市立で同じ校名を持っているところが多いのも目に付きます。
もっとも市立芦屋は廃校が決まっているようです。
市立芦屋高校 平成19年3月末廃校決まる

兵庫県下の市立高校のリスト(神戸市立は除く)
設置した市校名同名の県立高校の存在
芦屋市芦屋
尼崎市尼崎
尼崎市尼崎東
尼崎市城内
尼崎市尼崎産業
尼崎市尼崎工業
西宮市西宮
西宮市西宮東
伊丹市伊丹
明石市明石商業
姫路市琴丘
姫路市姫路
姫路市飾磨

[53413] 油天神山 さん
桐蔭の「桐」って豊臣家の家紋「五三の桐」から来てたの?
先に紹介した「十周年記念誌」でも、校名の由来を探せませんでした。(どこかに載っていたのかも知れません)
ただし、大阪産業大学付属高等学校から独立する前の同校大東校舎時代に、大東校舎独自の保護者会を結成する際、
当時の副理事長大西利治先生に命名をお願いして、五七の桐の校章から桐の文字を採って「桐友会」という名称を頂戴した。
とあります。桐はここに端を発しているのだと思います。
「五七の桐」自体知らなかったのですが、調べてみると、確かに五七の桐になっているようです。
ということで、なぜ大東校舎が五七の桐の校章を最初から使っていたのかということになりますが、これが分かりません。
大阪産業大学付属中学校・高等学校
では五七の桐の校章は使われていないようでした。
先にも書いた通り、この大阪桐蔭という学校は沿革とか由来を説明することにはそれほど興味がなさそうです。
なお、名前が似ているだけで、系列関係はないようですが、横浜の桐蔭学園の方は五三の桐です。
学校法人 桐蔭学園
[53410] 2006年 8月 16日(水)03:55:55【1】faith さん
学校のイメージと自治体のイメージ
[53409] hiroroじゃけぇ さん
このように、大学があるなしという観点がその市町村のイメージに影響しているという実態があるのです。
おっしゃりたいことは分かったように思います。
[53362] hiroroじゃけぇ さんが書かれた
一般的な「偏差値表」がその大学のある自治体のイメージに、少なからず影響を与えている
は、より広い層に適用しやすいように書き換えれば
「大学自体が持つイメージが、その大学と結びつけて考えられる自治体のイメージに、少なからず影響を与えている」
ということになるでしょうか。
偏差値表を廊下に掲示している高校
のような環境では。「大学自体の持つイメージ」≒入学難易度ということになるのでしょうし、そのような環境にいない人間にとっては、自らが受験生だった時代のイメージだったり、報道から作られたイメージだったり、身近な卒業生から受けた印象だったりするのでしょう。
「その大学と結びつけて考えられている自治体」というのは、多くの場合、その大学のキャンパスが存在していると皆が思っている地域と言って良いと思います。
特定の学校を例に出すのは気が引けますが、関西学院大学といえば、関西でも多くの人は西宮市または阪神間の地域と結びつけることでしょう。
しかし、三田市またはその周辺の住民であれば、三田市と結びつけるかも知れません。
いずれにしろ、このケースでは、明らかに西宮市ないし三田市のイメージに対する影響はポジティブだと思います。
ただ、このような有力私学でなくても、特殊な事情がない限り、大学が存在すること自体が、多くの人にとってはやはりポジティブなイメージファクターであって、
Aという自治体に3つの大学があるとし、1つが上の方に掲載され、2つが下の方に掲載されている。このような場合、数の多い方に引きずられてしまうという現象が起こるのです。
というほど入学難易度に影響されるのは、hiroroじゃけぇ さんもほのめかしておられるように、受験生あるいは、受験生だったころから日が浅い人々に特有の現象、という気もします。

以上、あまり考えたことがなかったので的外れのことを書いているかも知れませんが、いずれにしろ、学校のイメージと、その学校と結びつけて考えられる自治体のイメージの関係は面白い問題だと個人的に感じます。

※過去の発言に入っていない表現については引用機能を用いないことにした
[53406] 2006年 8月 16日(水)00:21:41【7】faith さん
大手前という学校(大阪市編)
香川県にもあることがわかっており(私立の香川県大手前中・高等学校(丸亀市)、およびその系列校である、香川県大手前高松中・高等学校(高松市))、おそらく全国を探せばもっとあると思いますが、ここでは大阪市にて「大手前」と名乗る・あるいはかつて名乗った学校および学校法人について書きます。

1. 大阪府立大手前高等学校
1886年(明治19年)、大阪府師範学校から独立した大阪府女学校は翌年、大阪府立高等女学校と改称します。(1899年(明治32年)の高等女学校令の公布・施行より前のことです。)
以後、所在地移転、移管(府→市→府)による改称を経て、1923年(大正12年)大阪府立大手前高等女学校となります。
その後、1948年(昭和23年)大阪府立大手前高等学校となり、今日に至ります。

2.財団法人 大手前学園
1888年(明治21年)に小学校を開設した大阪偕行社、およびその後を継いだ錦城育英会が戦後解散を命ぜられ、学校の存続のために、学校名を全面的に改称する必要があり、選んだ名称が、「大手前学園」でした。
1947年(昭和22年)4月、これまでの小学校は「大手門学園小学部」、新設の中学校は「大手前学園中学部」という名称で開学しました。
ところが、
昭和22年11月、校名を「追手門学院」と改称。隣接の70余年の歴史を持つ府立大手前高等学校と類似しており、混同をさけるため、府の勧告もあり、校名を変更した。
(「追手門学院小学校 百年志」(漢字遣いはこれで原題通り))
府立の中等学校が「大手前」を名乗ったのは、上に書いた通り、1923年(大正12年)のことなのですが、前身の大阪府師範学校自体は1874年(明治7年)の「教員伝習所」までは遡れそうなので、1947年(昭和22年)の時点で
70余年の歴史を持つ
と言えないこともありません。(実は大阪府師範学校の後進である大阪教育大学は1873年(明治6年)の官立大阪師範学校設立から沿革を始めていますが、これは少し無理があると思います。)
大手前高女はこの時点ではまだ新制に移行していませんが、名称は決定していたのでしょう。
新校名の由来ですが、
学校所在地の旧町名追手通(大手町と明治5年に変更)の追手が大阪城正門である追手門に由来することから、追手門学院となった。名付け親は中田守雄理事長である。なお、昭和23年5月許可を得た。
とのことです。

3. 追手門学院大手前中学校・高等学校
1967年(昭和42年)に、追手門学院が茨木市に中学校、高等学校を開設した際に、それまで存在した中学部・高等学部(中学校、高等学校に相当)に「大手前学舎」と付けて区別しました。
以後、大手門学院中学校・高等学校大手前学舎(1971年(昭和46年))
大手門学院大手前中学校・高等学校(1980年(昭和55年))と改称されて今日に至ります。

4. 学校法人 大手前学園
1946年(昭和21年)、現在の大阪市中央区大手前に大手前文化学院が開設されます。1951年(昭和26年)同地に短期大学が、1966年(昭和41年)西宮市に4年制大学が開学します。
いつから学校法人自体が「大手前学園」を名乗っているかは不明です。
なお、同学園のサイトには
大阪城大手前周辺(大阪市中央区京橋前之町偕行社跡)に学園の前身「大手前文化学院」を創設
とありますが、偕行社は疎開はしていたけれども移転はしておらず、偕行社との関連も含めて詳細は不明です。
短大はその後、伊丹市に移転しており、現在、大阪市中央区大手前には、同学園設置の専門学校である大手前栄養学院、大手前製菓学院が存在します。
大阪府立の中等学校との名称の類似については、現追手門学院とは異なり、各種学校扱いだったため問題にされなかったのでしょうか。

※タイトル「大阪編」→「大阪市編」 そのほか第1センテンスの表現を少し変更
※※「府立の中等学校が『大手前』を名乗ったのは…」で始まる1センテンスを少し修正。第1センテンスに出てくる学校名に注釈を入れた。
※※※変更履歴の表現を修正
※※※※見出しの校名を、「大手前」を含む最終(現存の場合は最新)の校名・法人名に統一
※※※※※「、」と「・」の使い分けを統一。「当時は各種学校扱いだった」の意味を明確にするために少し書き換えた。
※※※※※※「1947年(昭和22年)の時点で」を挿入、西暦、年号の併記を徹底。(面倒なので次回からは併記はやめようと思います。)
※※※※※※※大阪教育大学の沿革に関するセンテンスの意味を明確にするために西暦、年号を追加
[53398] 2006年 8月 15日(火)21:50:39【2】faith さん
いろいろ書きましたが
[53362] hiroroじゃけぇ さん
記憶の怪しい所は、先に復習しておく様にしているのですが・・・。思い込みというのは恐ろしいものです
具体的な事実の誤りのこともありますが、[53333]にもfaith が
それぞれの昇格時期は、2つの異種の教育機関の社会的機能や取り巻く情勢によって決まっていることで、岡山と広島の重要性の比較にはあまり関係がないことです。
と書いたように、断片的な事実を、教育制度史の中に位置づける作業をせずに、都合の良いように解釈するのでは、あまり有意義なことにはならないと思っています。
そういう思いがあったのですが、今見ると何だか牽制するような書き込みになってしまっていました。それに、[53362]を読ませて頂いたところ、余計な心配をしていたようです。
ただ、一般的な「偏差値表」がその大学のある自治体のイメージに、少なからず影響を与えていることには認めざるを得ない
少数の有名な例はあるのかも知れませんが、一般的に、市町村のイメージに結びつくところまで行っているのでしょうか。
最近の、特に私立大学では、これまでの郊外展開の流れ以外に、職業人に対する教育を見据えた都心回帰の流れ(上の年齢層の取り込み)や、新たに系列校を充実させるための展開(下の年齢層の取り込み)もあり、キャンパスの所在地が複雑です。特に関心を持っていなければ、一般人には把握しにくいところもあります。
そういうことも、教育史を探求することで発見できると思います。そのため、「大学コンソーシアム京都」のような単位互換制度の広がり(「環琵琶湖単位互換」「大学コンソーシアム岡山」)は、新たな時代を象徴しているような気がしています。
これは頼もしいですね。faith はえらそうなことを書きましたが、今後のことよりは、昔の話が得意です。(当初は、まだ多くの人と興味が共有できそうな、大学史(旧制専門学校史)を中心に書き込みをして来ましたが、だんだん興味が新制高等学校史(旧制中等学校史)に移り、今や小・中学校史に…)
いずれにしろ、よろしくお願いします。

※「(特に関西私立大学で)新たに系列校を…」の括弧内を削除
※※[53333]の書き込みに対する補足の部分の表現を修正
[53395] 2006年 8月 15日(火)18:43:36【1】faith さん
大阪桐蔭高校の校歌
[53281] 油天神山 さん
大阪桐蔭高校歌の歌詞
二番以降の歌詞
以下同校の「十周年記念誌」に載っていました。3番まであります。
---
1.
大和平野に そびえ立つ
生駒の峯の 松風が
古代のロマン 今もなお
とわに伝える 山麓に
吾が学び舎の 桐蔭高
蛍雪競う 若人の
研磨のおたけび 来り聴け

2.
行手を阻む ものあらば
吾が手に破邪の 剣あり
知徳を磨き 英知とし
技を鍛えて 糧とする
吾が学び舎の 桐蔭は
この世の栄枯盛衰に
変らじ理想の 旗印

3.
豊家二代の 歩みをば
浪速の都 水鏡
淀の川面の 天守閣
今も輝く 桐の紋
徴を誇る 桐蔭高
靴音高く 進むれば
文化と平和の鐘が鳴る
---
記念誌では、ところどころにルビがふってありますが、却って分かりにくいので省略しました。
豊家は「ほうけ」です。私は知らなかったのですが、豊臣家のことをこのようにも呼ぶみたいですね。
「研磨のおたけび」を始め、個人的にはやや違和感を感じる表現もありますが、まあ前にも書いたように「ご愛嬌」ということで。

※表記を原文にあわせて修正 「来たり聴け」→「来り聴け」 「変わらじ」→「変らじ」
[53333] 2006年 8月 13日(日)03:50:27【5】faith さん
Re:アーカイブスからこれだ!と拾う
[53332] hiroroじゃけぇ さん

西より東の「帝大」の開設が早いのは、東の開発を進める目的があった
帝国大学のような、多大の資源を要する大学は、当初は東京に一校開設・維持するのが明治政府には精一杯だったと思われます。
2校目は京都に、そして仙台、福岡と相次いで開設した政府は、比較的バランスを考慮して配置していたと個人的に思います。
北海道、京城、台北の3校の設立目的には、その土地の開発と結びついたものがあったと想像できますが、東日本を西日本に優先する意図は私には見えません。
(特殊なものを除き、「高等教育機関は、東京にまず一校設置する」というのは明治政府の一貫した方針ですが、これは東日本の開発を目的にしたわけではなく、首都に置くのがいろいろな面で有利だからでしょう。)

「岡山医大」の設立(1922年)が「広島理大」(1929年)よりも早いのです。
広島文理科大学のことでしたら、「広島理大」と略されることは決してありません。
医学専門学校と高等師範学校はそれぞれ別の背景と目的があって設立されている教育機関です。
それぞれの昇格(分かりますか)時期は、2つの異種の教育機関の社会的機能や取り巻く情勢によって決まっていることで、岡山と広島の重要性の比較にはあまり関係がないことです。

現存する特定の学校の優劣比較につながるような話題についてはコメントを避けたいと思います。

いずれにしろ、教育史に興味を持って頂けるのは大歓迎です。

教育史分科会より
(雑魚委員長、hmt委員、まるちゃん委員、深夜特急委員、faith…)

追記
実際、「京都大学」が「大阪大学」よりも先に「帝大」に昇格している
京都帝国大学は前身校を持っていないので、何かが昇格してできた大学ではありません。
大阪帝国大学は、すでに大学令に拠って立つ大学であった教育機関が母体になって設立されたものであり、これを「昇格」というのも(意味は分かりますが)多少論議を呼ぶ表現と思います。

※最初のセンテンスを修正
※※「医科大学と文理科大学は」→「医学専門学校と高等師範学校は」と修正
※※※(特殊なものを除き、…)を追加。
※※※※「追記」を入れた。
※※※※※昇格時期の比較に関するコメントを分かりやすく書き換えた。
[53222] 2006年 8月 9日(水)23:57:12【3】faith さん
地蔵盆@大阪
[53217] たもっち さん
[53218] k-ace さん
[53221] いっちゃん さん
僕は、お盆と言えば、8月しかないものと思っていました。7月にもやるところがあることを知識として得たのはごく最近だと思います。京都に限らず関西全般そうだと思いますが、いかがでしょうか?>関西勢の皆さん。
大阪組ですが、まったくおっしゃる通りです。
「東京ではお盆は7月」(合ってます?)と成人してから聞いてすごく驚きました。
ところで、僕は京都に来て、初めて「地蔵盆」という言葉を聞いたように思いますが、よその方は「地蔵盆」ってご存知ですか?京都では極めて当たり前な習慣のようなのですが・・・。
これも大阪でもやってますよ。ただ、古くからの住民が多く住む地域では年中行事として普通に行われていますが、新住民が多い地域では、行わないところも多いと思います。

※タイトルから etc. を削除(etc. に相当する部分がないので)
※※レス先を修正(追加)

[53206] グリグリさん
お気を遣わせてすみません。
[53193] 2006年 8月 9日(水)02:34:40faith さん
甲可村の四條畷村への改称
しばらく前に[52747] Issie さん他で話題になっていた「四條畷」について。
図書館で、「四條畷市史」を見ていると、1932年に甲可村が四條畷村に改称された経緯について、(断片的で、正確な引用でなくて申しわけないのですが)軍国主義的な時代背景から、「楠正行顕彰」の風潮が高まったことが原因と書いてありました。
ということは、
[52777]faith
自治体としての四條畷の「範囲」が決まる前には、大東市域に作った学校に「四條畷」を冠しても不自然ではなかったということでしょう。
については、(これ自体は正しいかも知れませんが)、四條畷高等女学校は、こうした時代背景による命名である可能性もあります。
「甲可」自体は、奈良時代に遡る(河内国讃良(ささら)郡甲可郷)古い地名のようです。
明治になってからあのような神社が造られて、歴史上の一人物が崇められるようなことがなければ、このあたりは今は「甲可(こうか)市」だったりしたかも知れません。
[53191] 2006年 8月 9日(水)02:08:19【1】faith さん
校歌の山
[53179] 油天神山 さん他
実際は平野部の東端近く、生駒山麓と言っても良さそうなところです。ここから生駒の峯(これは「生駒山」「生駒山地」のどちらに解しても構わないと思いますが)を仰ぎ見ると、大阪平野には背を向ける形になります。
そこまで考えて作られた校歌なのかどうかは分かりませんが、理屈からは確かにそうですね。ただ、「生駒」と共起しやすかったのが「大和」だったということも大きいと思います。
それに、うまく言えませんが、「大阪平野」だとあまり詩語としては相応しくないような。
「大阪平野は、関東平野に比べて面積は狭小であるが、それでも巨大な人口が集積している。」というような文脈の方が似つかわしい単語のような気がします。(個人的な感覚ですが)
話が逸れますが、大阪の学校の校歌には、生駒山と大阪湾(歌詞にするなら「茅渟の海」ですか)を対にする表現が多いような気がしています。一度調べてみたいと思っています。
校歌の山 大阪
というページ(他の府県もあり)
にリストされています。(それにしても世の中にはいろいろなページがあるものですね。)
「大阪湾」の方は分かりませんが、これを見ていると、ご指摘通り、大阪の学校の校歌には生駒山は結構出てくるようです。
(話題の大阪桐蔭がリストされていないなど、完全なものではなさそうですが、なかなか楽しいです。)金剛山や六甲山も多そうですね。

※ページの感想を補充
[53165] 2006年 8月 8日(火)01:07:58【1】faith さん
「大和平野」にそびえ立つ
[53145] 星野彼方 さん
大阪桐蔭高校の校歌
でもなんで「大和平野」なのでしょう?昔奈良県にあったのが移転したのかな?
「大和平野」にそびえ立つというのは「生駒の峯」にかかっていて、「大阪桐蔭」にかかっているわけではないので、問題はないのでは?学校の所在地と矛盾があるとまでは思いませんが…
「生駒山は大和平野にそびえ立っているのか?」「そもそも平野というのは山がそびえ立っていないところを言うのでは?」というような根源的な疑問もあるかも知れませんが、この程度の現実からの乖離は校歌というものの性格から言ってご愛嬌でしょう。

この学校はサイトに沿革とか記載しないんですね。faith的には、校歌のことより、このことが不満です(笑)。
新しい割には、重厚というか「近代建築」という感じの校舎ですね。ちょっと通って見たかった気もします。
大阪桐蔭中学校・高等学校

校歌と現実との乖離といえば、共学校でこれは良いのでしょうか。外部の人間がとやかく言うことではありませんが…
日本大学山形中学校・高等学校

※日本大学山形中学校・高等学校に関するコメントを追加
[53123] 2006年 8月 7日(月)00:04:52【1】faith さん
大阪市立中学校
[52917] faith
当時枚方市に旧制中学校がなかったことが、大阪市立の中学校を枚方市に設置した背景にあると思われます。
これに関して、「枚方市史 第四巻」をあたったところ、大阪市立中学校が枚方市に移転した事情は以下のようなものでした。

- 枚方町(当時)は、旧郡役所所在地でありながら、中等以上の公立諸学校を持たない府下唯一の市町村であった。
- そこで枚方町は府立第十六中学校の誘致を図ったが、成功しなかった。(豊能郡池田町に決定。現府立池田高等学校)
- このような状況下、此花区の市立酉島工業学校内の仮校舎にて開校した大阪市立中学校の移転新築が行われるに際し、上記第十六中学校の候補地であった同町中振の土地をもって枚方町が大阪市と懇談し、誘致を行った。
- これは成功し、1943年に同校は枚方町の上記の土地に移転した。これが現在の枚方市域では最初の旧制中学校となった。
- 大阪市立中学校は、5年制の中学校として発足したが、後に7年制高等学校に発展させる構想であった。しかし戦後の教育改革のため、結局実現しなかった。

[52978] faith にもあるように、帝塚山学院(学園)も奈良の地に7年制高等学校を作ろうと当初は考えたのですが、結局は「法令上の制約があり、文部省の指示で」(「帝塚山学園五十年史」)中学校を開校しています。「法令上の制約」というのが良く分からないのですが(私立の7年制高等学校は当時他に存在しました)、認可が下りそうになかったということは確実に読み取れるので、[52978] のように書きました。
なお、1918年の高等学校令では公・私立の高等学校を認めましたが
第二条 高等学校ハ官立、公立又ハ私立トス
第三条 高等学校ヲ設立スルコトヲ得ル公共団体ハ北海道及府県トス
としていましたので、大阪市が高等学校を設立するには確かに法令上の障害があったことになります。
(同じく大阪市立の、大阪商科大学の設立(1928年)にあたっては、公立大学の設置者を同様に府県に限っていた大学令が先立って改正されています。)

いずれにしろ、1941年には、戦時体制下で、高等教育機関の修業年限の短縮が始まっていたわけで、戦争遂行に役立ちそうにない、「計画外の」高等学校の設立が認可されにくい状況であったことは想像に難くないです。

※大阪商科大学の設立に関するセンテンスを読みやすいように修正
[53085] 2006年 8月 6日(日)01:47:35【1】faith さん
学園前&北上高地
[53070] ぺとぺと さん
学園前ブランド醸成に一役買ったのが、あえて特急の停車駅にしたことではないでしょうか。
そう思います。でも、快速急行と2駅しか停車駅が変わらない(快速急行は特急の停車駅+日本橋・新大宮に停車)のを見ると、快速急行に特別料金を徴収する座席指定車両を併結する形にした方が合理的では?という「川島本」の主張に賛成したくならないこともないですが。

北上高地・北上山地についても皆さんの書き込みからいろいろと学ぶところがありました。ありがとうございます。
個人的には北上「高地」という明るい響きの方が北上「山地」より好きです。「ポラーノの広場」などの明るい賢治作品にはこの方が相応しいような気がします。(単なる印象で思いつきを書きちらしているだけなので、文学やこの地域の風土にお詳しい方、気を悪くなさらないで下さい)

北上高地を横断する鉄道路線にJR山田線がありますが、夜に乗車すると、灯りがあるのは駅だけで、駅と駅の間は深閑とした夜闇を走ります。数年前に一度乗車したきりですが、今思い返しても風情があります。(特に大きな街から遠ざかる方向の、盛岡からの乗車が良いと思います)夏休みの旅行の行き先にお悩みの方、いかがでしょうか。
ただし、北上高地を横断する列車は一日に4往復しかないため、「夜に乗車」で列車は1本に限定されてしまい、しかもその日の最終列車です。

※「夜の列車」を他とあわせて「夜に乗車」に変更
[53055] 2006年 8月 5日(土)18:35:24faith さん
学園前
[53042] 油天神山 さん
なんだか自分の後頭部を鏡に映して見ようとしているような
面白い表現ですね。

「学園前」という地名が、その由来となる大学とは無関係に、独自の地位を築き上げるに至った
そのようですね。ひとつには「学園」という言葉が、単独では日常語でないことも関係していると思います。これが「学校前キャンパス」とか、「大学前キャンパス」だったら、もっと奇妙な感じがすることでしょう。
「学園前駅」なんてどこにでもありそうで、実は全国で3駅しかないようですね。(「○○学園(前)」だったらもっとありそうですが)
最初にこの「強引」とも言える名前で駅を開業したことは、無償で広い土地を提供したこととあわせて、近鉄の先見の明を物語るものと私は思います。
[53020] 2006年 8月 4日(金)22:43:48【4】faith さん
学園前になりそこねた金剛
[52978] faith
大阪狭山市
環境の良い住宅都市としての存在を保とうとしている大阪狭山市ですが、実は惜しいところで、「学園前」になり損ねています。
(ここで言う「学園前」とは近鉄奈良線の「学園前駅」を中心とした一帯です。阪奈間の高級住宅街とされています。)

奈良市の学園前とは、帝塚山学園があるからこの名があるわけですが、帝塚山学園はもともとは大阪の住吉で、幼稚園、小学校、高等女学校を経営していた帝塚山学院(「学園」ではない)が、7年制の旧制高等学校を設置しようとしたところからはじまっています。また、将来的には学院全体をそこに移転する可能性をも考えていたようです。(「帝塚山学園五十年史」)
そのため、数万坪の土地を探し、まずは南海高野線の金剛を考えたのですが、手をつくしても、数千坪しか確保できませんでした。そこに、近鉄から、将来、総合学園に発展させることを条件に8万坪もの土地を無償提供する申し出がありました。そのおかげで1941年に開設をみたのが奈良市の(旧制)帝塚山中学校でした。(高等学校は文部省に許可されそうになく、中学校として開設されました)このときに設立されたのが帝塚山「学園」です。

戦後の1966年に、大阪の帝塚山「学院」が、女子大学(現在は共学)の帝塚山学院大学を大阪狭山市に開校したので、大阪狭山市と帝塚山学院の縁は今でもあるわけですが、あのとき、南海電鉄が協力していれば、今頃は大阪狭山市の金剛駅一帯は今の近鉄の学園前のような存在となっていたのではないか、と考えるのは自然でしょう。南海電鉄も惜しいことをしたものです。

ところで、関西でも多くの人に「帝塚山という学校は大阪にも奈良にもあるんだな」と理解されていると思いますが、上記のような経緯で奈良の「学園」が大阪の「学院」から分かれたもので、関連はあるが、別法人です。
大阪の「学院」自身が、1983年に堺市に男子校である泉ヶ丘中・高等学校を開校し(これも現在は共学)、学院の(中学校レベル以上の)共学化のきっかけとなりました。

※一部表現修正
※※最後のセンテンスを追加
※※※「住吉の『学院』」を「大阪の『学院』」に変更(分かりやすくするため)
※※※※帝塚山学園の設立に関する1センテンス追加
[53016] 2006年 8月 4日(金)22:02:02faith さん
何千字も必要となるような説明
[53010] huzisan さん
しかし皆さん方のお書き込みを拝見していると、何千字も必要となるような説明は実はご理解頂けないであろうと危惧します。というのも少し伏線的にだした根拠さえ殆ど理解されていないからです。

私は、この書き込みと、これまでの書き込み(根拠にもならない断片的なエピソードを書いては、すぐ関係のない話に持ち込む)を読ませて頂いて、
「この方は他人を説得するだけの根拠を持っておらず、もったいぶっているだけである」
と判断致しました。
[52979] 2006年 8月 3日(木)23:13:36【1】faith さん
香具山村
[52976] 北の住人 さん
この文章中、「香久山(村)は桜井市に属した」との記述もあります。(香久山村というのがあったのか、天香具山を指しているのかは不明)
桜井市の歴史
によると、
1956/9/1
大福村、香久山村を廃止し、桜井町に編入合併を行い、同日市制を施行。
とのことです。

※リンクが正しく張れていなかったのを修正
[52978] 2006年 8月 3日(木)23:09:12【2】faith さん
大阪狭山市
[52972] 逆太郎 さん
首都圏や関西圏のベッドタウンで人口の集積があるにもかかわらずパチンコ屋がない例として思い当たるのは大阪府交野市ですが、他はどうなのでしょう・・・
[16784]faith でも触れていますが、大阪狭山市がそうですね。
大阪狭山市パチンコ遊技場等及びゲームセンターの建築の規制に関する条例
によって、規制されています。
そのためか、堺市との境界(のもちろん堺市側)に大規模な店舗が建っており、大阪狭山市からの需要をも充たしているように見えます。
ちなみに、大阪狭山市内には警察署はなく、こちらも堺市美原区にある、黒山警察署が管轄しています。

ところで、JTB時刻表を見てみると、大阪狭山市の代表駅は「大阪狭山市」駅なんですね。実際市役所の最寄駅なんだそうです。駅の規模で選ぶと、間違いなく金剛駅なんですが。[51833] まがみ さんが書かれているように、特急停車駅でもありますし。(大阪狭山市駅には急行すら停車しない)

※「堺市との境界」のあとに「のもちろん堺市側」を追加
※「堺市に結構依存している」のくだりを削除
※※リンクが正しく張れていなかったのを修正
[52917] 2006年 8月 2日(水)01:13:32【3】faith さん
塩竈市立第三中学校, etc.
今さらですが、この掲示板はなかなか奥が深くて、「多賀城市にある塩竈市立第三中学校」について投稿しようと思ってたら実は1年以上前に[40975] 逆太郎 さん他で話題になっていました。

創立直後は、塩竈市内の第三小学校に併設されていたわけで、
塩竈市立第三中学校
塩竈市内に置くのが決定的に不都合だったということではなさそうです。(塩竈市立の中学校だから当然ですね(笑))

「創立直後は、小学校に併設」という話が出ましたが、この沿革は大抵の公立中学校に共通しています。
新制中学校は、身近な割には、成立にはかなり困難があったようです。新制中学校が他の新制学校と決定的に違ったのは、前身となるべき、対応する旧制の教育機関がなかったことです。
(例えば、新制高等学校には、対応する旧制の教育機関として、中学校、高等女学校、実業学校がすでに存在したので、ここから移行すればよかったわけです)
また、新制中学校は義務教育とされたため、短期間に一定年齢層の児童を(基本的には)全員収容する教育機関を作らなくてはなりませんでした。そのため、市町村の負担は相当なものがあったとのことです。
多くの公立中学校では、開校に建設が間に合わず、小学校に「間借り」して開校しました。

この話の発端である大阪市立高校([13211] まがみ さん)については未だに資料に当たっていませんが、当時枚方市に旧制中学校がなかったことが、大阪市立の中学校を枚方市に設置した背景にあると思われます。

[17058] 委員長殿の
私立の該当校は高槻しか見つかりませんでした
に対しても、[17082] 深夜特急[北大阪急行] さんが充実した補足をつけておられますね。

ところで、
[52850] らるふ さん
大和盆地=(マイナスかっこいい)の十乗
結局(かっこいい)の十乗と等しいんですが…(わざと?)

※新制中学校に旧制の対応する学校がないことに関して説明を補った。
※※「小学校に併設」された理由について1センテンス補った。
※※※出だしに「今さらですが、」を補った。
[52870] 2006年 8月 1日(火)01:45:13faith さん
奈良平野, etc.
[52855] Issie さん
[52850] らるふ さん他

正しいかどうかとは別に関係ありませんが、奈良や大和は「平野」とはあまり共起しない表現ですね。(関西での日常生活では。)
「奈良平野」と言えば、「奈良盆地だろう」という声が返ってきそう。そういう私の感覚からすると「大和平野」のヒット数が意外に多いです。

広大な盆地に平野を感じる
そういえば、小学生のときに北上山地と教わった地域を、高度は高いが、それほど急峻ではないという理由で今では北上高地と呼ぶことが多くなったと読んだことがあります。(実際にそういう地図も見るように思います)
「海だべかど おらおもたればやつぱり光る山だだぢやい」とうたった宮沢賢治は北上高地に「平野」に近いものを感じていたのでしょうか。
[52777] 2006年 7月 30日(日)01:15:54【3】faith さん
四條畷
[52747] Issie さん
「四條畷」は本来,現・四條畷市域だけではなく,隣接する大東市域にまたがる地名であったのではないかと思います。
http://www.city.shijonawate.lg.jp/h130101/s05/kikaku/s05h160601/082401.pdf
によれば、
「四條畷」が自治体名として用いられるようになったのは、甲可村が四條畷村と改称した1932年ですね。
これより前の1926年には現在の大東市域に四條畷高等女学校(現 四條畷学園高等学校)が設立されています。自治体としての四條畷の「範囲」が決まる前には、大東市域に作った学校に「四條畷」を冠しても不自然ではなかったということでしょう。
これもIssieさんの仮説を裏付けていますね。伊勢市と伊勢の関係みたいなものでしょうか。

一方四條畷警察署も大東市にありますが、こちらも自治体としての四條畷より古くから「四條畷」を署名に用いていますが(1900年に「枚方警察署四条畷分署」として設置)、1978年の移転までは四條畷市市域に存在したとのことです。

※誤字訂正(余計な文字削除)
※※このあたりに→大東市域に
※※※最後のセンテンスに加筆
[52775] 2006年 7月 30日(日)00:42:57【2】faith さん
道州制、新区名
[52752] ハル さん
そして、ほとんどの都道府県で賛成していますね。
そうでしたっけ?
道州制 導入結論先送り
などを見ていると、慎重論も多いようです。県内の都市に州都を持ってくる目論見がある(と疑われる)ところなどは積極的だったりするようですが。

[52750] futsunoおじ さん
興味深いのは、秋葉区を新津区へ変更を求めている旧・新津市側に反対している、旧・小須戸町にある高校の名称が「新津南高校」であったりですね。
今から考えると、区の名称を「堺」と「美原」以外は位置を示す無機的なものにした堺市方式は無難でしたね。

※最後から2つ目のセンテンスを削除
※最後のセンテンスの表現を修正
[52547] 2006年 7月 22日(土)16:02:23【2】faith さん
jugo de naranja
[52542] 般若堂そんぴん さん
[52540] Issieさん 他
orange の語源はサンスクリットにあるようです。
"naranga"(ナーランガ)ですね.
そういえばスペイン語で、"orange" (名詞、形容詞とも)のことを"naranja" (ナランハ)というのですが、「何だか"orange" と似ているような似ていないような…」と思っていた疑問が解決しました。ありがとうございます。
下記には、なぜ"orange" の先頭が "o-" になったかなどの解説があります。(古いWebster 辞書の電子化のようです)

http://machaut.uchicago.edu/cgi-bin/WEBSTER.page.sh?page=1008

(追記)ブラウザによっては、orange の項にā という表記が頻出すると思いますが、長音記号の付いたaのことです。
(参考)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%B3

ところで,aurantium の aur- というのは,金(元素記号:Au)と関係があるのかな。
あるようですが、個人のページでしか言及されているところが見つかりませんでした。
でも以下のページは"Japanese and Korean orenji" まで言及していたり、面白いです。(Etymology の項)

http://www.uni-graz.at/~katzer/engl/Citr_sin.html

ちなみに、ここにあるような、"naranga" はさらにDravidian 起源の可能性があるという記述はスペイン語の語源辞典でも見たことがあります。

※誤記訂正
※※ā の説明を追加
[52447] 2006年 7月 19日(水)22:08:40faith さん
不動岡高校
[51935] 白桃 さん
[51932] YSK さん
[51923]でるでるさん
[51906]ぺとぺとさん

今さら書き込むほどではないのですが、個人的には、(旧制の)私立中学校が府県に移管されているのはかなりめずらしいパターンだと思います。
(旧制)専門学校や大学では、いくつか例がありますが…
同校のホームページ
http://www.fudooka-h.ed.jp/history/h_frame.html
の記述からも、経営が苦しかったことが移管の背景にあったことが伺われます。
それにしても、1889年の最初の中学校令公布以前(1886年)から存在するというのは確かにかなりの名門ですね。
[51665] 2006年 6月 6日(火)00:44:24【2】faith さん
特急停車, etc.
なじみのある話題だなと思ったら一年ほど前に話題にしていましたね。[39117] に書いた通り、乗降客数と周辺駅の配線から言って特に不思議とも思ってませんでしたが…
利用されている方からは不思議なことなのでしょうか。
(単に「岡本に停めて、なぜ私が利用する駅に停めないんだ?」と言った程度の話でしょうか?)
そういえば、(阪神間はこれに入りませんが)近頃の関西私鉄では、かつて「都市間ノンストップ」であった特急の途中駅停車が普通になっていますね。阪急京都線、京阪本線、近鉄京都線(丹波橋を京奈間の途中駅と見なしての話ですが)が挙げられます。
南海の空港特急で、速達タイプの「ラピートα」が停車駅の多いβにほとんど置き換えられているのも似た現象ですね。速達と利便性の両方を追うのを断念せざるを得ないのでしょう。

wikipedia の件ですが、私は具体的な事実を述べたもの(例:「○○が何年に設置された」)については、100%でないものの、比較的信用できるものと思っています。が、「何かがこうなった理由」というような記述は、wikipedia でなくても、ソースのない、結論だけ書かれている場合、信用すべきではないでしょう。

※誤字訂正 神奈川県の人口が大阪府を超えたことについての差しさわりのありそうな感想を削除
※「事実を述べたもの」を「具体的な事実を述べたもの」に訂正
[51582] 2006年 6月 1日(木)04:06:40faith さん
堺市堺区百舌鳥夕雲町
ご無沙汰しております。

[50590] miki さんなど見ていて気づいたのですが、

http://uub.jp/nam/gyakuten.html
で、
百舌鳥夕雲町が堺市北区となってますが、堺市の「百舌鳥○○町」のうち、百舌鳥夕雲町だけは阪和線西側であるためか、堺区に含まれます。(私も最近気づいたのですが…)

###堺市の地図を見ていて大阪府立大学が堺区に(も)ある理由を思い出すのに少し時間がかかりました。
[50474] 2006年 4月 6日(木)00:39:39faith さん
堺登場
[49868] YSK さん
堺もいずれこの並びに挿入されることになるのでしょうか。
Yahoo! JAPANに早速登場していました。
[49817] 2006年 3月 13日(月)02:11:19faith さん
「はまかぜ」についての想像
[49809] 小松原ラガー さん他「姫路駅スレッド」の皆様

駅そばまで眼が行き届いているのがすごいですね。
さて
特急「はまかぜ」は高架化された山陽本線から地平の播但線へとどうやって降りる/上るのでしょうか?やはり連絡線のようなものを残すことになるのでしょうか。
何の情報もないのですが、そこまでして「はまかぜ」を今のまま残す必要もないような気がします。
播但線高架化までは、「はまかぜ」を智頭急行経由にするとか、あるいはこれを機会に「はくと」に吸収とか…

###個人的には姫路着発にしてでも播但線の優等列車を残して欲しいですが。
[49772] 2006年 3月 10日(金)01:41:08【1】faith さん
姫路駅、急行かすがなど
[49703] YASU さん
通常は2両編成ですが、今週末の土日と最終日は混雑を見越して4両に増結するようです。
名古屋の友人によると、昨日の名古屋発車時かなりの立ち客が居たそうです。
情報ありがとうございました。
平日に休みを取って乗れる機会はなさそうで残念ですが、最終日にせめて奈良駅にでも見に行くかな。

[49719] k-ace さん
それに伴なって、山電が26日、山陽姫路~手柄間終日運休・バス代替輸送
山陽電鉄はもともと高架なのに?と思ってましたが、JRの関係で一部線路を付け替える必要があるのですね。
http://web.pref.hyogo.jp/nakaharima/kendoseibi/1/kouka/kouji2.htm

播但線と姫新線を直通させて姫路駅は途中駅としてしまえば双方合わせて1面2線で済むのにと思っていたこともあります。双方とも、山陽本線の北側にあれば良い位置関係だし。
まだ先ですが、高架化でこれが実現するようにも見えますが、そうなんでしょうか?
http://www.geocities.jp/himeji_kouka/station/danmen.html

余談ですが、高岡駅における城端線と氷見線についても互いに直通すれば良いのにと高岡駅を通るたびに思います。もともと双方とも中越鉄道が敷設した路線であることを考えるとなおさらですが、こちらは北陸本線で寸断されているのが痛いところです。

※急行「かすが」の項、一部表現修正
[49693] 2006年 3月 5日(日)23:34:53faith さん
急行かすが
[49589] 小松原ラガー さん
3月18日のダイヤ改正でついに廃止だそうです。これで残る急行は「はまなす」、「能登」、「銀河」、「きたぐに」、「つやま」、「みよし」の6つのみとなる模様です。
情報ありがとうございます。廃止前に「かすが」にも乗っておきたいところですが、最後の方の週末は混むでしょうね。
とはいいつつも、夜行急行は、高速バスなどとの対抗で特急にならないまま存続している面がありますが、昼行急行については、全廃となる日も近いのではないでしょうか。
[49387] 2006年 2月 22日(水)03:33:17faith さん
通勤ズームカー
[49363] 88 さん
両開き2扉ロングシート車両が似合うところなのか? どう見ても旧国電ならば103系ではなく165系、気動車ならばキハ35ではなくキハ65あたりがお似合いでしょう。

私が書くまでもなくご存知と思いますが、一応。
南海高野線の急行には、「山岳線区」(橋本~極楽橋間)直通といえども、橋本(林間田園都市)以北の「平坦線区」では通勤輸送の役割がありました。(過去形なのは、現在この「山岳線区」直通の「大運転」を行う急行が減少したためです。)
この急行用の「ズームカー」の系列も、かつての21000系は当初2扉クロスシートで登場しましたが、後年の増備は2扉ロングシート車で行われました。
ということで、南海電鉄も、「ロングシート」が「山岳線区」に似合っていないのは承知で配備していたと思います。
現在、橋本を境にした列車の分断が進み、「山岳線区」の区間運転を前提としたクロスシート車(2300系)も登場していますので、今後は状況は変わることでしょう。
実際、現在は「ズームカー」の休車が増えているとも聞きますが、この「山岳線区」も「平坦線区」でも良好な走行性能を示し、「山岳線区」の車両限界にあわせつつ(17m長)、通勤需要にも応じる(2扉両開き・ロングシート車)というコンセプトは、きわめて独自性の高いものと思います。

以上、それほど詳しいわけではありませんが、つい口を出してしまいました。
[49285] 2006年 2月 18日(土)04:55:24【1】faith さん
企業由来地名
私が思いつくのは以下です。

兵庫県宝塚市新明和町 (新明和工業の本社がある)
栃木県矢板市早川町 (シャープの旧社名に由来。同社の工場がある)

いずれも資料にあたったわけではありませんが、まず間違いないでしょう。
[49284] 2006年 2月 18日(土)04:25:52faith さん
Re:これは「トンデモ本」?
[49273] 般若堂そんぴん さん
あちこちに地下鉄ファンが噴き出しそうな記述があります.はたして「トンデモ本」か?
実際、「トンデモ本の世界S」という本で取り上げられていました。
私には地下鉄に関する深い知識はありませんが、だいたい、はっきりと何かが分かったのであれば、あんなに延々と引っ張って思わせぶりで終わらないと思いますよ。
でもこういうことが本当だったらそれはそれで面白いなとは思いましたが。
[49152] 2006年 2月 13日(月)03:08:29【3】faith さん
旧四高、雨晴海岸
[49135]EMM さん
[49132][49150]かぱぷう さん

妻が一言「なんか博物館にでもすればいいのにね…」全くそのとおりだと思います。
旧四高校舎は歴博移転後は石川近代文学館となっています。
個人的に興味もあり、これはぜひ訪れてみたいものです。
税法の違いも関連していると聞きますが、たとえば英国では、築100年前後あるいはそれ以上と思しき建築物が普通に使われているようです。日本でもこの手の建築は大切に補修して使い続けて欲しいものです。

全体から見ると一部分で観光には差し支えないようですが、雨晴海岸ではこんな事が起きているようです。
鉄道の話になりますが、氷見線の車窓から眺める雨晴海岸や立山(だと思うのですが)がとても好きです。(それに、氷見の魚料理も良いですね。)

※レス対象の書き込みの番号が抜けていたのを追加・引用を追加
※誤字修正
※一部表現修正
[49151] 2006年 2月 13日(月)02:11:46faith さん
閉市記念碑
最近、福井県の越前市に行く機会がありました。(行くまで武生市が合併で越前市になっていたことを忘れていました。相変わらず合併情報に疎いですね。)

旧武生市役所(現越前市役所)の前には、「閉市記念碑」なるものが建っていました。
越前市は武生市、今立郡今立町を廃止した「新設合併」ということなので、確かに武生市の「閉市」という表現も論理的には分かるのですが、一方では発展でもあるわけで、ここに限らず、この言葉の使用には個人的に違和感を感じます。
何だか、何らかの理由で市全体を放棄して住民がいなくなってしまうようなイメージがあります。
市全体がかつての軍艦島のような経緯を辿るようなところがもしあれば、確かに「閉市」という感じがぴったり来ることでしょうね。
(「閉市」なる行事については、[30957] 作々さん、[7836]special-week[ヒロオ] さんも言及されています。)
[49148] 2006年 2月 13日(月)01:26:46faith さん
新着アーカイブについて
[49129] YSK さん

丁寧なアーカイブ編集の作業、お疲れ様です。一利用者として、大変ありがたく思っています。
早速いくつかの新着アーカイブを個人的興味に従って、推奨させて頂きましたが、どれも推奨しても良いぐらいです。
ところで、全然本質的ではないことなのですが、「地球を図った人々」という漢字使いは、意図的なものなのでしょうか?
[48686] 2006年 1月 24日(火)04:56:14faith さん
金沢文庫を知るきっかけ
[48684] あきすて さん
[48662] かすみ さん

(それにしても何でそんな小さい頃に金沢文庫の存在を知りえたのだろう!?)
おそらく、そこを走る赤い電車の関係では?
私の場合、幼いときとは言わないまでも、小学生のときから金沢文庫や金沢八景の駅名は知っていました。(ここまで書いて駅の話じゃなかったことにようやく気づきました(笑))

以前、聞いた話ですが、京阪の牧野駅でスキー場はどこかと駅員に尋ねた人がいたらしいです。
それに比べればかなりましですが、総武線の幕張駅には「メッセなどに行くのはこの駅じゃないですよ」というような意味の掲示が出ていますね。


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