都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
むっくんさんの記事が50件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[107626]2023年4月16日
むっくん
[107123]2023年3月21日
むっくん
[107100]2023年3月18日
むっくん
[107023]2023年3月4日
むっくん
[107005]2023年3月1日
むっくん
[106915]2023年2月10日
むっくん
[106275]2022年12月19日
むっくん
[106096]2022年11月11日
むっくん
[106025]2022年10月29日
むっくん
[105788]2022年9月23日
むっくん
[105787]2022年9月23日
むっくん
[105785]2022年9月23日
むっくん
[105777]2022年9月23日
むっくん
[105774]2022年9月23日
むっくん
[105350]2022年8月27日
むっくん
[105248]2022年8月7日
むっくん
[104941]2022年7月17日
むっくん
[104860]2022年6月25日
むっくん
[104803]2022年6月7日
むっくん
[104776]2022年5月30日
むっくん
[104730]2022年5月19日
むっくん
[104722]2022年5月17日
むっくん
[104721]2022年5月17日
むっくん
[104627]2022年5月8日
むっくん
[104623]2022年5月8日
むっくん
[104622]2022年5月8日
むっくん
[104612]2022年5月8日
むっくん
[104603]2022年5月8日
むっくん
[104506]2022年5月5日
むっくん
[104505]2022年5月5日
むっくん
[104503]2022年5月5日
むっくん
[104459]2022年5月4日
むっくん
[104413]2022年5月3日
むっくん
[104111]2022年3月26日
むっくん
[104104]2022年3月24日
むっくん
[104103]2022年3月24日
むっくん
[103800]2022年1月14日
むっくん
[103792]2022年1月13日
むっくん
[103780]2022年1月13日
むっくん
[103421]2022年1月2日
むっくん
[103420]2022年1月2日
むっくん
[103327]2021年12月30日
むっくん
[103295]2021年12月18日
むっくん
[103238]2021年11月27日
むっくん
[102330]2021年9月12日
むっくん
[102267]2021年8月23日
むっくん
[102179]2021年7月14日
むっくん
[102161]2021年7月7日
むっくん
[99923]2020年6月20日
むっくん
[99903]2020年6月12日
むっくん

[107626] 2023年 4月 16日(日)15:36:41むっくん さん
香川県綾歌郡久万玉村と鹿児島県薩摩郡入来町
[107174]YTさん
[107611]サヌカイトさん

53 1951(S26).4.1 新設 綾歌郡久万玉村 綾歌郡 栗熊村, 富熊村
兵庫縣報第二千八百號昭和二十六年四月六日p13雑報では
二○ 香川縣綾歌郡栗熊村及び富熊村を廢し、その區域をもつて新たに久榮村を置き、昭和二十六年四月一日から施行された。
とありますが、兵庫縣報第二千八百十六號昭和二十六年五月二十四日p8正誤
昭和二十六年雑報欄搭載の内、市町村の廃置分合並びに境界變更についての二○「久榮村」は「久万玉村」の誤り。
とあります。

兵庫県報の記述からも、S26.4.1に成立するのは久栄村だったがいつの間にか久万玉村に変更されたのは間違いないと思います。


別件で。
117 1948(S23).10.1 町制 薩摩郡入来町 薩摩郡 入来村
兵庫縣報第2509號昭和23年10月6日彙報では
S23.10.1鹿児島縣薩摩郡入來村を廢し、その區域を以て、十月一日から、薩摩郡入來町とすることとなつた
とあり、町制施行に際し、一度自治体の廃止を伴ったようです。
[107123] 2023年 3月 21日(火)16:39:17【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 21日(火)16:40:16
むっくん さん
丸亀五番町
[107114]YTさん
明治22年(1889年)12月31日調の香川県の現住人口について、一点扱いに困っている項目があります。それは、丸亀城下におかれた「丸亀営所(旧一番丁~五番丁)」の扱いです。
(中略)
『新版 角川日本地名大辞典』などによると、例えば那珂郡丸亀五番丁について、
----------------------
明治7年広島鎮台丸亀営所創設にともない,陸軍省が一番丁~四番丁の用地を買収,その後当町も歩兵第12連隊の作業場地域となり,町は消滅した。なお,昭和25年当町域は城東町の一部として再発足した。
----------------------
とあり、丸亀営所は旧那珂郡丸亀一番丁~五番丁に設置されたことがわかります。実際官報の方では那珂郡丸亀六番丁~十番丁の記載がありますが、那珂郡丸亀一番丁~五番丁はありません。
当時の資料を見てみます。

地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

全国現行警察区画一覧(著・出版:東京和泉橋警察署、M21.4.)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

府県管轄区域郡区町村名集覧(編:樋口文治郎、出版:赤志忠七、M21.4.13)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

香川県令第84号(M22.12.28)
M23.2.15に丸亀町を構成することになる町村として丸亀一番町~丸亀十番町が存在。

郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M26.1.27)
M25.4.1に丸亀町大字一番~十番が存在。

これらからすると明治7年に、おそらく、住民の数が0人となった自治体としての丸亀一番町~四番町が無くなり、登記簿上のみに丸亀一番町~四番町が残った。その後、明治23年の市制町村制施行に伴う丸亀町の成立に伴い、他の町村の管轄区域ではない丸亀一番町~四番町(土地の登記簿上のみ存在)が自治体として一瞬だけ復活していることとしていたものと考えます。
#丸亀一番町~四番町のような事例としては、現在の京都市上京区の京都御苑に存在していた西殿町(M19.5.13廃止、M22.4.1に上京区の一部)が挙げられます。

当時の丸亀営所は丸亀五番町にあり、丸亀五番町は丸亀通町外二十二箇町連合を形成する一つの町ではないでしょうか。おそらく、何らかの手違いで丸亀五番町が抜け落ち、その為に丸亀通町外二十一箇町連合となったのでしょう。
[107100] 2023年 3月 18日(土)22:27:37【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 19日(日)01:28:53
むっくん さん
若年で当選した首長PART22
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。

○岡山県
情報源は退職町村長名簿(地方自治法30周年記念発行)(編・出版:岡山県町村会、S52.8.)です。S52.8.現在で岡山県在住の方のみが記載されています。当時の町村数から推測しますと、網羅されているのは全体のおよそ1/3程度だと思います。

まずは新規情報です。

松島 賢さん
上道郡御休村
任期は1948(S23).3.-1952(S27).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1948(S23).3.は34-35歳。

三崎 嘉明さん
児島郡藤田村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).9.、期間は1年5ヶ月
1977(S52).8.現在で62歳、就任時の1947(S22).4.は31-32歳。

星島 睦雄さん
児島郡藤戸町
任期は1947(S22).4.-1947(S22).10.、期間は6-7ヶ月(注1)
1977(S52).8.現在で64歳
閨閥学(星島家(衆議院議長・星島二郎・星島和一郎の家系図))では1913年誕生とありますので、
就任時の1947(S22).4.は33歳7ヶ月-34歳3ヶ月。
生年月日は1913(T2).1.-1913(T2).8.
#(注1)退職町村長名簿では、1947(S22).4.-1948(S23).11.、期間は1年8ヶ月とされていましたが、wikipedia(藤戸町)の1947(S22).4.-1947(S22).10.の方がおそらく正しいと考えられます。

中村 純雄さん
児島郡味野町
任期は1947(S22).4.-1948(S23).3.、期間は1年
1977(S52).8.現在で61歳
Wikipedia(中村純雄)では1916年(大正5年)1月6日生まれとあります。
就任時の1947(S22).4.は31歳2-3ヶ月。

安原 増夫さん
都窪郡茶屋町
任期は1947(S22).4.6-1951(S26).4.5(注2)、期間は4年
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1947(S22).4.6は34-35歳。
#(注2)Wikipedia(茶屋町地区)での1947(S22).4.6-1951(S26).4.5による。退職町村長名簿では任期は1947(S22).4.-1951(S26).4.

高木 正志さん
小田郡新山村
任期は1949(S24).8.-1953(S28).9.、期間は4年2ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1949(S24).8.は34-35歳。

太田 秀郎さん
吉備郡日近村
任期は1947(S22).4.-1956(S31).3.、期間は9年
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

小西 伊三雄さん
吉備郡神在村
任期は1947(S22).4.(注3)-1951(S26).3.、期間は4年(注4)
1977(S52).8.現在で66歳、就任時の1947(S22).4.は35-36歳。
#(注3)退職町村長名簿では、任期は第一回統一地方選前の1946(S21).11.から1951(S26).3.とされていましたので、収録基準に合わせました。
#(注4)注3の修正に伴い、情報源で記されていた期間4年5ヶ月を4年に変更

赤木 正一さん
吉備郡富山村
任期は1947(S22).4.-1952(S27).3.、期間は5年
1977(S52).8.現在で61歳、就任時の1947(S22).4.は30-31歳。

藤原 正男さん
御津郡宇垣村
任期は1949(S24).5.-1953(S28).3.、期間は3年11ヶ月
1977(S52).8.現在で61歳、就任時の1949(S24).5.は32-33歳。

入江 卯一郎さん
御津郡牧山村
任期は1951(S26).8.-1953(S28).3.、期間は1年8ヶ月
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1951(S26).8.は37-38歳。

菅原 利男さん
御津郡建部村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).5.、期間は7年2ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
御津郡建部町(旧)
任期は1959(S34).2.-1967(S42).1.、期間は8年
就任時の1967(S42).1.は44-45歳。

香山 義加さん
御津郡豊岡村
任期は1950(S25).4.-1955(S30).3.、期間は5年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1950(S25).4.は35-36歳。

実山 稔さん
赤磐郡布都美村
任期は1947(S22).12.-1950(S25).2.、期間は2年3ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).12.は37-38歳。

福島 敏太さん
赤磐郡布都美村
任期は1950(S25).3.-1953(S28).2.、期間は3年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1950(S25).3.は35-36歳。

伊永 貞さん
和気郡熊山村
任期は1947(S22).4.-1953(S28).12.、期間は6年9ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

中川 菅男さん
和気郡神根村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).2.、期間は6年11ヶ月
1977(S52).8.現在で70歳、就任時の1947(S22).4.は39-40歳。

長代 武一さん
小田郡美川村
任期は1951(S26).4.-1954(S29).4.、期間は3年1ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1951(S26).4.は38-39歳。

仁熊 八郎さん
上房郡豊野村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.、期間は7年10ヶ月
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1947(S22).4.は33-34歳。
賀陽町の地名と歴史によると著者の仁熊八郎さんは1913年生まれ。

平松 幹章さん
川上郡成羽町(旧)
任期は1949(S24).4.-1955(S30).2.、期間は5年11ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1949(S24).4.は39-40歳。
川上郡成羽町
任期は1955(S30).3.-1959(S34).1.、期間は3年11ヶ月
就任時の1955(S30).3.は45-46歳。

長谷川 与一さん
阿哲郡新郷村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).4.、期間は8年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。
阿哲郡神郷町
任期は1955(S30).5.-1959(S34).4.、期間は8年
就任時の1955(S30).3.は44-45歳。

太毛 貞治さん
阿哲郡新見町
任期は1947(S22).4.-1954(S29).5.、期間は5年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。

田辺 万寿治さん
阿哲郡千屋村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).12.、期間は1年9ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

太田 博道さん
阿哲郡豊永村
任期は1954(S29).5.-1954(S29).5.、期間は1ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1947(S22).4.は39-40歳。

妹尾 太郎さん
苫田郡一宮村
任期は1948(S23).1.-1948(S23).7.、1951(S26).5.-1954(S29).6.、期間は合計で3年9ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1948(S23).1.は33-34歳、1951(S26).5.は36-37歳。

片岡 元武さん
苫田郡高田村
任期は1952(S27).6.-1954(S29).6.、期間は2年1ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1952(S27).6.は39-40歳。

牧野 松寿さん
苫田郡上齋原村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).12.、期間は1年8ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。

松本 正義さん
苫田郡上齋原村
任期は1961(S36).7.-1973(S48).7.、期間は12年
1977(S52).8.現在で51歳、就任時の1961(S36).7.は34-35歳。

伊丹 哲男さん
苫田郡羽出村
任期は1947(S22).4.-1959(S34).3.、期間は12年
1977(S52).8.現在で66歳、就任時の1947(S22).4.は35-36歳。
苫田郡奥津町
任期は1963(S38).4.-1971(S46).4.、期間は8年
就任時の1963(S38).4.は51-52歳。

神崎 一二さん
勝田郡大崎村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).6.、期間は7年3ヶ月
1977(S52).8.現在で69歳、就任時の1947(S22).4.は38-39歳。

山本 万之助さん
勝田郡河辺村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).2.、期間は3年11ヶ月(注5)
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
#(注5)退職町村長名簿では、期間は1年11ヶ月とあったが3年11ヶ月と修正。

内藤 五郎さん
勝田郡勝加茂村
任期は1948(S23).3.-1952(S27).2.、期間は4年
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1948(S23).3.は35-36歳。

森元 次男さん
勝田郡勝田町(旧)
任期は1949(S24).8.-1953(S28).8.、期間は4年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1949(S24).8.は38-39歳。

竹久 皎さん
勝田郡植月村
任期は1951(S26).4.-1954(S29).3.、期間は3年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1951(S26).4.は36-37歳。
勝田郡勝央町
任期は1970(S45).4.-1974(S49).4.、期間は4年
就任時の1970(S45).4.は55-56歳。

芦田 卓三さん
勝田郡北吉野村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.(注6)、期間は7年10ヶ月(注7)
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。
勝田郡奈義町
任期は1955(S30).2.-1959(S34).2.、期間は4年
就任時の1955(S30).2.は44-45歳。
#(注6)退職町村長名簿ではS30.2.までとあったが、北吉野村は1955(S30).2.1に合体で奈義町となり消滅したことより、1955(S30).1.までと修正した。
#(注7)注6より、期間を7年11ヶ月から7年10ヶ月へと修正した。

山本 太熊さん
英田郡粟井村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で59歳、就任時の1947(S22).4.は28-29歳。

長瀬 時夫さん
英田郡福山村
任期は1947(S22).4.-1952(S27).7.、期間は5年4ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1947(S22).4.は34-35歳。

江見 晴則さん
英田郡土居町
任期は1953(S28).2.-1953(S28).8.、期間は7ヶ月
1977(S52).8.現在で53歳、就任時の1953(S28).2.は38-39歳。
また、作東の文化No.40(PDF)14コマ,16コマで
昭和53年9月江見晴則 作東町長に就任。
平成10年9月春名宏 作東町長に就任。
岡山県市町村年報平成7年度-1(PDF)10コマで
作東町長江見晴則
任期H10.09.21
より
英田郡作東町
任期は1978(S53).9.22-1998(H10).9.21と推測。
就任時の1978(S53).9.22は56-57歳。

国司 武夫さん
英田郡福本村
任期は1947(S22).4.-1950(S25).2.、期間は2年11ヶ月
1977(S52).8.現在で62歳、就任時の1947(S22).4.は31-32歳。

青山 茂さん
英田郡河会村(注8)
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.、期間は7年10ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
英田郡英田町
任期は1959(S34).2.-1971(S46).2.、期間は12年
就任時の1959(S34).2.は45-46歳。
#(注8)情報源では河合村とあったが、正しくは河会村。

草地 保さん
久米郡垪和村
任期は1947(S22).4.-1953(S28).3.、期間は6年
1977(S52).8.現在で69歳、就任時の1947(S22).4.は38-39歳。

重近 久保さん
久米郡神目村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で57歳、就任時の1947(S22).4.は26-27歳。

黒田 義夫さん
久米郡久米村
任期は1947(S22).12.-1953(S28).10.、期間は5年11ヶ月
1977(S52).8.現在で57歳、就任時の1947(S22).4.は27-28歳。

続いて追加情報です。

柴田 健治さん(久米郡倭文村)
任期は1948(S23).3.-1951(S26).8.、期間は2年8ヶ月
就任日年齢は31歳3-4ヶ月

藤原 香さん(赤磐郡仁堀村)
任期は1955(S30).5.-1951(S31).9.、期間は1年5ヶ月
1977(S52).8.現在で60歳
[103295]拙稿と合わせますと、就任日は1955(S30).5.1or1955(S30).5.2
生年月日は1916.8-1917.5。

春名 明さん
1975(S30).4.30ではなくて1975(S50).4.30
[107023] 2023年 3月 4日(土)20:09:18むっくん さん
自治体越えの小学校
自治体越えの地名関連の話題に便乗です。

それは、自治体越えの小学校です。同一名称の小学校が隣接する市に存在します。
井田川小学校(亀山市)/井田川小学校(鈴鹿市)
[107005] 2023年 3月 1日(水)13:50:21むっくん さん
ロータリーコレクション
>あきごんさん

HTB北海道ニュース(YouTube)によりますと、3/1午前10時より北海道北広島市にラウンドアバウトが出来ました。
[106915] 2023年 2月 10日(金)22:57:25【1】訂正年月日
【1】2023年 2月 10日(金)23:23:12
むっくん さん
仙台市が1988年3月1日に泉市と秋保町を編入した件
[106912]白桃さん
仙台市は1988年3月1日に泉市と秋保町を編入していますが、当落書き帳の「変遷情報」や「市の変遷」では別々(項目が二段に分かれて)に書かれています。
官報公示日が異なるため、そういう風になっているのでしょうか?それとも、別々の合併協議だったからでしょうか?
当時のことはよく分かりませんが、過去ログを見る限りでは[49915]にて88 さんが
1990年以前のデータについて、お手伝いさせていただくことになりました。
とあり、[52105]にて
既入力済み分でも、「官報告示日」や「協議状況・経過等」欄での、さらなる情報については追加・充実予定です。
とあるように、法的根拠(官報、都道府県公報)や合併協議で分けていたようです。
ところが、記載が年度を遡るにつれ、これが守られていません。

例えば兵庫県の
158 1951(S26).4.1 編入 西宮市 西宮市, 武庫郡 鳴尾村, 有馬郡 山口村, 塩瀬村
の法的根拠は
兵庫縣告示第百八十三號
 昭和二十六年四月一日から武庫郡鳴尾村を廢し、その區域全部を西宮市に編入する。
昭和二十六年三月二十三日 兵庫縣知事 岸田幸雄

兵庫縣告示第百八十五號
 昭和二十六年四月一日から有馬郡山口村及び同郡鹽瀬村を廢し、その區域全部を西宮市に編入する。
昭和二十六年三月二十三日 兵庫縣知事 岸田幸雄
であるのに、一つにまとまって記載されています。

また、島根県の
84 1951(S26).4.1 編入 松江市 松江市, 八束郡 忌部村, 大庭村の一部
の法的根拠は
島根縣告示第二百三十號
昭和二十六年四月一日から八束郡忌部村を廢し、その区域を松江市に編入する。
昭和二十六年三月二十七日 島根県知事 原 夫次郎

島根縣告示第二百三十一號
昭和二十六年四月一日から八束郡大庭村を廢し、大字大庭、佐草、大草及び大字山代の区域を松江市に編入し、大字平原の区域を昭和二十六年四月一日から施行する同郡八雲村(昭和二十六年島根県告示第九十三号)の区域に加え、その区域をもつて八雲村とする。
昭和二十六年三月二十七日 島根県知事 原 夫次郎
であるのに、一つにまとまって記載されています。

法的根拠が別のものは、基本的には合併協議は別のものであるはずです。

現状で、同一日に新設合併や編入合併がなされたもので、法的根拠(官報、都道府県公報)が別のもの、合併協議が別のものはともに複数あります。
#戦前ですと、編入合併においては合併協議が別であるものはかなり多いはずです。

逆に、同一日に新設合併や編入合併がなされたもので、「市区町村変遷情報」にて別々に記載されているのは、この仙台市の事例ぐらいであるはずなので、統一的記載を考える立場からは
144 1988(S63).3.1 編入 仙台市 仙台市, 泉市, 名取郡 秋保町
と、まとめて記載した方がいいのではないか、とは思います。
[106275] 2022年 12月 19日(月)21:44:10むっくん さん
Re:経県値ページリニューアル!
[106263]海辺を飛ぶ鳥さん
鉄道で通過している途中で、乗り換えの為ではなく、満員電車などで数秒程度(?)駅のホームに降り立ち、すぐに乗った場合は「接地」なのでしょうか。
これと関連してですが、バイクですと、信号待ちで足をつく必要があり、これで「接地」としたところがあります。
他に、変わったところとしては、
十津川村・・・北山川を船で「通過」した(陸上はかすってもいません)
くらいでしょうか。

そして、本題です。

[106266]グリグリさん
まずは、リニューアルありがとうございます。

[106263]海辺を飛ぶ鳥さんが書かれた書き込みで鉄道で乗り換えの為に降りたところは「接地」ということに初めて気付きました。
そこで私の兵庫県のところを更新しようとして、落書き帳メンバー入口からメンバー名と暗証コードを入力し兵庫県を選択して、某自治体を変更して【経験値を再計算する】をクリックしたところ、
指定されたURLが正しくありません。
とのメッセージが出て更新できませんでした。
[106096] 2022年 11月 11日(金)14:15:31むっくん さん
経県値(市区町村版)京都府
[106091]グリグリさん
経県値(市区町村版)リリースありがとうございます。

一点だけ気付きましたのでご報告です。
京都府の経県値の京都市と大山崎町の区域が誤っています。
正しくは都道府県市区町村の京都府の地図だと思いますのでよろしくお願いいたします。
[106025] 2022年 10月 29日(土)17:04:22むっくん さん
市制町村制施行時で町となり、その後に市となった大津
[105934]未開人さん
「生まれながらの市」はどのようにして決められたのでしょうか。概ね人口2万5000人だったということは[85273]でわかりましたが、前橋や宇都宮、大津などはなぜ含まれなかったのでしょうか。
大津市誌によりますと、大津が市制施行を選ばなかった詳細な経緯は残っていないようですが、概ねの経緯は以下の通りのようです。

大津は基準を満たしていましたが、市になることになるのに賛成している方が少数派であったことから、滋賀郡長が市制町村制施行時には大津町でいくと勝手に国に報告を挙げました。町となることより市となる事の方が行政経費がかさむ事が想定されていたことより、住民からの反対行動がほとんどありませんでした。
この結果、明治22年の市制町村制施行時には大津町となったようです。

その後、翌年から市となる方向で町民が動き始めました。明治30年にはこれを阻止すべく、滋賀郡長が大津町の内の旧・藤尾村などの区域は滋賀郡に残す形を取る上申書を内務省に提出し、人口要件の点で市制施行を阻止しようとします。ところが、分離されることとなる旧・藤尾村などの区域の住民の反対運動で、分離することが出来ませんでした。その為、明治31年に無事に大津の市制施行となりました。([63923]拙稿)
[105788] 2022年 9月 23日(金)21:31:51むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問八:大田市
[105787] 2022年 9月 23日(金)21:26:41むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問三:霧島市
[105785] 2022年 9月 23日(金)21:20:54むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問五:松江市
[105777] 2022年 9月 23日(金)17:38:59むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
[105776]海辺を飛ぶ鳥さん
ありがとうございました。

問十:大竹市(既解答市のため再答)
[105774] 2022年 9月 23日(金)14:04:46むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問一:名古屋市
問二:福井市
問三:野洲市
問四:北茨城市
問五:京田辺市
問六:うきは市
問七:松浦市
問八:安来市
問九:赤穂市
問十:有田市
[105350] 2022年 8月 27日(土)10:57:35【3】訂正年月日
【1】2022年 8月 27日(土)11:06:49
【2】2022年 8月 27日(土)11:09:04
【3】2022年 8月 27日(土)23:45:37
むっくん さん
Re2:飾西郡高浜村と飾東郡高浜村
[105348]サヌカイトさん
「同一郡に同一村(町)名をつけてはいけない」というルール(マナー?)があったのだろうか
明治4年の廃藩置県までは、各藩は複数の村をまとめた○○組(○○郷、○○庄など)という単位で統治していたので、同一郡に同一村名があってもしっかり区別できたため、同一の郡に同一の名称の村は普通に存在していました。

その後、明治5年に大区小区制が施行され、例えば△△県(□□郡)第一大区第三小区●●村もしくは△△県□□郡第三区●●村というような形で表記されることになりました。この時も同一郡に同一村名があっても基本的には区別できたため、同一の郡に同一の名称の村は普通に存在していました。

ところがその後、郡区町村編成法(M11.7.22)が各府県に施行されたことで、大区小区制が廃止されました。この時、今と同じように△△県□□郡●●村という形で表記されることになったのですが、同一郡に同一村名があると区別できなくなり各地で統治に支障が出るようになりました。
そのため、全国的に明治12年から明治17年にかけて、同一郡の同一名称の村は、地域の総称や、東西南北や、上中下などが村の名称に付け加えられる形で村の名前の改称が行われました。

一例として和歌山県乙第238号布達(M12.10.31)で行われた村の名前の改称は以下の通りです。
名草郡 西村→名草郡 山口西村
名草郡 別所村→名草郡 北別所村
名草郡 中村→名草郡 和佐中村
名草郡 中村→名草郡 山東中村
名草郡 黒谷村→名草郡 上黒谷村
名草郡 中ノ村→名草郡 楠見中村
那賀郡 中村→那賀郡 野上中村
那賀郡 中村→那賀郡 猿川中村
那賀郡 中村→那賀郡 毛原中村
那賀郡 中村→那賀郡 麻生津中村
那賀郡 市場村→那賀郡 神野市場村
那賀郡 市場村→那賀郡 名手市場村
那賀郡 宮村→那賀郡 岸宮村
那賀郡 宮村→那賀郡 毛原宮村
那賀郡 宮村→那賀郡 真国宮村
那賀郡 馬場村→那賀郡 田中馬場村
那賀郡 小野村→那賀郡 小川小野村
那賀郡 小野村→那賀郡 岸小野村
那賀郡 上村→那賀郡 名手上村
那賀郡 上村→那賀郡 毛原上村
那賀郡 西野村→那賀郡 名手西野村
那賀郡 西野村→那賀郡 志賀西野村
那賀郡 中畑村→那賀郡 細野中畑村
那賀郡 東野村→那賀郡 志賀野東野村
那賀郡 上野村→那賀郡 最上村
那賀郡 新在家村→那賀郡 風市村
那賀郡 新村→那賀郡 野上新村
那賀郡 新村→那賀郡 池田新村
那賀郡 下村→那賀郡 名手下村
那賀郡 下村→那賀郡 毛原下村
伊都郡 馬場村→伊都郡 北馬場村
伊都郡 馬場村→伊都郡 南馬場村
有田郡 中村→有田郡 東中村
有田郡 中村→有田郡 尾中村
有田郡 大谷村→有田郡 東大谷村
有田郡 中野村→有田郡 上中野村
有田郡 中野村→有田郡 植野村
有田郡 中島村→有田郡 上中島村
有田郡 中島村→有田郡 下中島村
有田郡 金屋村→有田郡 南金屋村
日高郡 神ノ川村→日高郡 西神ノ川村
日高郡 神ノ川村→日高郡 東神ノ川村
日高郡 吉田村→日高郡 東吉田村
西牟婁郡 大谷村→西牟婁郡 西大谷村
西牟婁郡 長瀬村→西牟婁郡 上長瀬村
西牟婁郡 伏菟野村→西牟婁郡 東伏菟野村
東牟婁郡 中村→東牟婁郡 下中村
東牟婁郡 大居村→東牟婁郡 南大居村
東牟婁郡 和田村→東牟婁郡 東和田村
東牟婁郡 和田村→東牟婁郡 下和田村
東牟婁郡 長井村→東牟婁郡 上長井村
東牟婁郡 中野川村→東牟婁郡 西中野川村
東牟婁郡 赤木村→東牟婁郡 西赤木村
東牟婁郡 平野村→東牟婁郡 南平野村
東牟婁郡 大野村→東牟婁郡 上大野村

よって、
兵庫県が市制町村制施行した際、飾西郡と飾東郡両方に高浜村が誕生しました。そして飾西郡と飾東郡は1896/04/01に合わさって飾磨郡となるのですが、それに先立ち飾西郡高浜村は(中略)広村へと改称しています。僕はこれを、郡が合わさることで同じ郡に高浜村が2つできてしまうために、改称せざるを得なかったのではないかとにらんでいますが、いかがでしょうか?
とのサヌカイトさんの推測は正しいと思います。


飾西郡高浜村は1か月ほど前の1896/03/03に広村へと改称
兵庫縣告示第六十九號(1コマ2コマ)では
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ飾西郡高濱村ヲ廣村ト改稱ス
明治二十九年三月五日 兵庫縣知事 周布公平
とありますので、1896(M29).3.3改称→1896(M29).3.5改称です。>グリグリさん

(余談)広村はのちに八幡村と合併し広畑町となっています
ちなみにこちらは
兵庫縣告示第三百六十號
町村制第三條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得昭和十六年四月一日ヨリ飾磨郡八幡村ヲ廢シ其ノ區域ヲ同郡廣村ニ編入ス
昭和十六年三月三十一日 兵庫縣知事 坂 千秋
---------------------------
兵庫縣告示第三百六十二號
昭和十六年四月一日ヨリ飾磨郡廣村ヲ廣畑町ト改稱ノ件許可セリ
昭和十六年三月三十一日 兵庫縣知事 坂 千秋
とあります。

以下はグリグリさん宛てで
#7 1894(M27).4.1 分立 飾東郡下中島村 飾東郡 高浜村の一部
兵庫縣告示第八十一號では
町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得飾東郡高濱村ノ内下中島村ヲ分割シ下中島(シモナカシマ)村ヲ新設ス
明治二十七年四月五日 兵庫縣知事 周布公平
とありますので、1894(M27).4.1分立→1894(M27).4.5分立です。
[105248] 2022年 8月 7日(日)22:10:21むっくん さん
若年で当選した首長PART21
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。
すべて山口県になります。

情報源は山口県選挙史(編・発行:山口県選挙管理委員会、S56.3.31)です。

まずは新規情報です。

高橋 一雄さん
都濃郡中須村
1949(S24).5.28の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1949(S24).5.28-1954(S29)
任期は2期。
都濃郡都濃町(旧)
1954(S29).12.15の選挙で44歳で当選。
首長の就任期間は1954(S29).12.15-1955(S30)
任期は1期。
都濃郡都濃町(新)
1955(S30).8.12の選挙で45歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).8.12-1963(S38)?
任期は2期。

津穐 孝彦さん
佐波郡富海村
1947(S22).4.5の選挙で35歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.6-1950(S25)?
任期は1期。

内富 弘さん
都濃郡米川村
1951(S26).4.23の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1951(S26).4.-1954(S29).10.31
任期は2期。

沖 正歌さん
玖珂郡新庄村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1954(S29).3.30
任期は2期。

中本 武夫さん
玖珂郡余田村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.5-1951(S26).4.4
任期は1期。

松田 勲さん
大島郡平郡村
1947(S22).4.5の選挙で投票上位二名となり、1947(S22).4.15の決選投票で33歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.15-1954(S29).4.30
任期は2期。

山本 真太郎さん
熊毛郡伊保庄村
1953(S28).12.20の選挙で、31歳で当選。
首長の就任期間は1953(S28).12.20-1956(S31).9.29
任期は1期。

牛尾 美鶴さん
美祢郡大嶺町
1947(S22).4.5の選挙で38歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.5-1954(S29)
任期は2期。
美祢市(旧)
1954(S29).5.9の選挙で45歳で当選。
首長の就任期間は1954(S29).5.9-1966(S41).5.8
任期は3期。

安元 作十さん
大島郡大島町(旧)
1952(S27).10.16の選挙で36歳で当選。
首長の就任期間は1952(S27).10.16-1955(S30)?
任期は1期。
大島郡大島町(新)
1955(S30).1.31の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).1.31-1967(S42).1.30
任期は3期。
大島郡大島町(新)
1971(S46).1.17の選挙で55歳で当選。
首長の就任期間は1971(S46).1.31-1977(S52)?
任期は2期。

柳居 宏俊さん
大島郡白木村
1947(S22).4.5の選挙で投票上位二名となり、1947(S22).4.15の決選投票で27歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.15-1951(S26).4.14
任期は1期。

中原 健夫さん
大島郡橘町
1959(S34).1.18の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1959(S34).1?.-1967(S42).1?.
任期は2期。

原田 正直さん
玖珂郡玖珂町
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1951(S26).4.
任期は1期。

富士原 景樹さん
玖珂郡秋中村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1949(S24)
任期は1期。

吉永 茂さん
熊毛郡平生町(旧)
1947(S22).4.5の選挙で33歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1949(S24)
任期は1期。
熊毛郡平生町(新)
1955(S30).1.30の選挙で40歳で当選。そして1958(S33).12.11の選挙で44歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).1.30-1962(S37).12.10
任期は2期。
参考:平生町HP2005町勢要覧(資料編)行政・議会(PDF)

山部 信夫さん
熊毛郡高水村
1955(S30).10.15の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).10.15-1956(S31)
任期は1期。

藤生 仕郎さん
吉敷郡秋穂町
1959(S34).4.30の選挙で39歳で当選。その後、1963(S38).4.30、1967(S42).4.28の選挙でもそれぞれ43歳、47歳で当選。
首長の就任期間は1959(S34).5.7-1971(S46).5.6
任期は3期。
#首長の就任期間は3期とも任期満了したこと、そして2代前の町長が辞任した後、次の町長が1955(S30).5.7の選挙で当選して任期を全うしていることからの推測です。

紀藤 信義さん
厚狭郡船木町
1947(S22).4.5の選挙で34歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1948(S23)
任期は1期。

山本 静男さん
厚狭郡船木町
1948(S23).9.9の選挙で37歳で当選。
首長の就任期間は1948(S23).9.9-1952(S27).9.8
任期は1期。

竹中 典久さん
豊浦郡角島村
1951(S26).4.23の選挙で35歳で当選。
首長の就任期間は1951(S26).4.23-1955(S30).3.31
任期は1期。

永田 泰郎さん
佐波郡出雲村
1952(S27).10.5の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1952(S27).10.5-1955(S30).3.31
任期は1期。

白松 寛さん
阿武郡篠生村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1951(S26).4.
任期は1期。

松井 剛さん
阿武郡弥富村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1951(S26).4.
任期は1期。

次に追加情報です。
白地 照彦さん
玖珂郡日積村
前任者辞職による1948(S23).3.1の選挙で当選。
よって就任日は1948(S23).3.1で、就任日年齢は31歳10ヶ月


これで、山口県も大阪府([104722]拙稿)についで、若年で当選した首長をほぼ網羅できたものと考えられます。
[104941] 2022年 7月 17日(日)17:05:08むっくん さん
Re:町制施行時の改称
[104935]グリグリさん

88さんの編集方針は、まずは市制町村制施行時を、現実的には明治初年まで、可能ならば近世村までを目指し、昭和、大正、明治へと遡って一つでも多くの変遷を入力すること、であったはずです([66349][67517][74238])。そして誤りがあれば、適宜修正されておられました。
明治の大合併以前は(1)「全訂 全国市町村名変遷総覧」(監修:自治省行政局振興課、編:日本加除出版株式会社出版部、出版:日本加除出版、1991.8.1)の記載の通りです。明治の大合併は(2)「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1,2)(別冊)」(監修:西川治、編・著:太田孝、出版:東洋書林、2000.9.)の記載の通りで、途中からは根拠たる府令、県令をも適宜参照されておられたようです。
他に使用されておられたのは(3)「旧市町村名便覧」(編:日本加除出版株式会社出版部、出版:日本加除出版、1999.4.)、(4)「市町村名変遷辞典 三訂版」(責任編集:楠原佑介、編:地名情報資料室、出版:東京堂出版、2003.8.(3版))、(5)「消えた市町村名辞典」(責任編集:楠原佑介、編:地名情報資料室、出版:東京堂出版、2000.9.)であり、将来的に(6)「地名研究必携」(監修:谷川健一、編・著:滝澤主税、出版:日本地名研究所、2003.5.)を使用される予定でした。
このうち参考情報に載っているのは(1)、版が異なるものが載っているのが(3)(4)です。(2)(5)が掲載されていないのは問題であると思います。

さて、埼玉県秩父郡下吉田村、及び福島県相馬郡原町村ですが、(1)の記載のまま、もしくは単なる入力の誤りのいずれかだと考えています。これら2件及び山形県東置賜郡高畠村は、町制/改称へと「改称」を入れればいいのではないかと考えています
#落書き帳での「どこまでを町村の名称とすべきか」ということの初出は、[104939]サヌカイトさんにあるように、[86677]拙稿(野村→野村町)ではないかと思います。

ちなみに官報第四二八七号附録(明治三十年十月十四日)では
○廳府縣公報
○町村名稱及合併等
相馬郡原町村ヲ原町ト改稱セリ
明治三十年十月 福島縣
とありました。
[104860] 2022年 6月 25日(土)15:20:20むっくん さん
若年で当選した首長PART20
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。
すべて兵庫県になります。

情報源は(1)兵庫縣選擧大鑑(編:兵庫県選挙管理委員会、1952)、(2)兵庫県市町村合併史(上)(下)(編:兵庫県総務部地方課、出版:兵庫県、1962)です。(1)に40歳未満で当選と記載されていた方を見つけた後、(2)で就任期間を調べました。

まずは新規情報です。

澤井 利一さん
明石郡奥吉川村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.23-1955(S30).6.30
任期は3期。

上中 一郎さん
有馬郡高平村
1947(S22).4.5の選挙で38歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-。
1956(S31).9.30に三田町の一部となって消滅したことより任期は1-3期。

横山 孜さん
揖保郡赤松村
1947(S22).4.5の選挙で34歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.10-1949(S24).6.13
任期は1期。

能勢 村次さん
氷上郡吉見村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.7-1951(S26).3.31
任期は1期。

土井 正義さん
津名郡野島村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.10-1951(S26).4.4
任期は1期。

岩本 郁二さん
加西郡下里村
1947(S22).9.10の選挙で32歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).9.10-1951(S26).9.9
任期は1期。

高木 悦郎さん
養父郡宿南村
1947(S22).10.31の選挙で34歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).10.31-1949(S24).5.31
任期は1期。

山本 貫一さん
赤穂郡船坂村
1948(S23).1.10の選挙で36歳で当選。
首長の就任期間は1948(S23).1.13-1948(S23).4.26
任期は1期。

仲野 一郎さん
津名郡阿那賀村
1950(S25).5.12の選挙で38歳で無投票当選。
首長の就任期間は1950(S25).5.12-1957(S32).6.30
任期は2期。

増田 卓爾さん
津名郡灘村
1950(S25).6.10の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1950(S25).6.10-1955(S30).4.6
任期は2期。

次に追加情報です。

山上 晶さん(三原郡伊加利村)
[97678]拙稿では
(2)では就任期間はS23.4.5からとあったが、(1)のS22.4.7の新聞で当選とあることより、S22.4.に修正した。
と書きましたが、今回の情報源の(1)によるとS22.4.5の選挙で無投票当選であったため、単に(2)兵庫県市町村合併史(下)の誤植と判断でき、就任期間はS22.4.5からとなります。

鈴木 啓二さん(津名郡仁井村)
[97678]拙稿では
(2)では就任期間は-1951(S26).4.12とあるが、任期は当時は4年までで延長が無かったので1951(S26).4.7までと推測される。
と書きましたが、今回の情報源の(1)によると1949(S24).12.15に再選していますので、
就任期間は1947(S22).4.8-1951(S26).4.12
任期は2期
となります。

石古 勲さん(加東郡社町)
就任日は1970(S45).3.19
就任日年齢は39歳1ヶ月です。
参考:兵庫県自治名鑑創立三十周年記念(編・出版:兵庫県町村議会議長会、1979)

最後に、以前の[97678]拙稿(神戸新聞)と今回の調査での兵庫縣選擧大鑑での年齢の明らかな食い違いが3人の方でありました。
昭和22年の統一地方選挙のデータの年齢には、確たる裏付けをとる必要性があるようです。

氏名神戸新聞([97678]拙稿)兵庫縣選擧大鑑
立花 唯一さん(三原郡広田村)35歳65歳
西山 謙三さん(氷上郡竹田村)39歳59歳
奥田 武夫さん(城崎郡清滝村)34歳41歳
#他の方でも年齢の食い違いはありましたが、すべて40歳未満で収録の可否に影響を及ばさないのでここには記載しませんでした。
[104803] 2022年 6月 7日(火)18:12:29むっくん さん
徳島県名東郡北井上村祖母ヶ島、岡山県和気郡英保町から吉永町への改称
[104794]サヌカイトさん
徳島県阿波郡柿島村
柿原と知恵島の合成ですが、明らかに吉野川をまたいでいるんですよね。幅が広い川として有名な吉野川を。つかんぼやとの四方山話で例示されるほどの吉野川を!さすがに不便だったのか1957年に廃止される際、吉野町と鴨島町に分割されています。
このお話からも分かりますが、郡も吉野川を跨いでいました。
名東郡は吉野川の南側にあると思いがちですが、近世村単位で見ますと、祖母ヶ島(うばがしま)村は名東郡のうち唯一、吉野川(かつては別宮川と呼ばれていました)の北にある村でした。
参考:天保国絵図(阿波国)
その後、明治二十二年の市制町村制施行時には、吉野川以南の村々と合併し名東郡北井上村の一部となりましたが、現在は板野郡藍住町東中富の一部となっており、いつの間にか吉野川の北側の板野郡所属になってしまっています。
参考:四国社会資本アーカイブス2コマ

兵庫県の公報である兵庫縣報第二千四百五十五號昭和二十三年四月二十四日p6彙報では
村境界變更について
徳島縣名東郡新居村北新居字名田及び同郡北井上村東黒田字小塚、同村祖母ヶ島の全地域を、昭和二十三年四月一日から板野郡藍園村の區域に編入せられた旨の通知があつた。
とあります。
Wikipedia公益財団法人徳島県市町村振興協会発行の徳島県市町村要覧令和3年度版(PDF)45コマでも
昭和23年4月1日名東郡新居村名田,北井上村小塚,北井上村祖母ヶ島,藍園村に編入合併
との記載があります。現状で、徳島市に吉野川の北にあるまとまった区域は存在しません。そこで市区町村変遷情報に
# 1948(S23).4.1 境界変更 板野郡藍園村 板野郡 藍園村, 北井上村の一部(大字祖母ヶ島)
を追加することになります。>グリグリさん


兵庫縣報がらみでもう一つ紹介します。

以前岡山県和気郡英保町から吉永町への改称が話題となりました。

兵庫縣報第二千五百二十三號昭和二十三年十一月十八日p3彙報では
町の名稱變更について
岡山縣和氣郡英保町は、その名稱を吉永町に改め、十一月一日から施行せられた。
とありました。

それでは岡山県公報記載の岡山県告示ではどうかといいますと、
岡山縣告示第五百七十七號
和氣郡英保村を英保町とし、昭和二十三年十月二十日から、これを施行する。
昭和二十三年十月八日 岡山縣知事 西岡廣吉

岡山縣告示第六百四十七號
和氣郡英保町は、その名稱を吉永町に改め、昭和二十三年十一月一日から、これを施行することを許可した。
昭和二十三年十月二十五日 岡山縣知事 西岡廣吉
とあり、市区町村変遷情報の
#177 1948(S23).10.20 町制 和気郡英保町 和気郡 英保村
#178 1948(S23).11.1 改称 和気郡吉永町 和気郡 英保町
は正確で、英保町は12日間だけ存在しました。
[104776] 2022年 5月 30日(月)21:10:09むっくん さん
女流棋士
木村朱里さんが6月から女流棋士2級に

関西研修会B2クラス所属の木村朱里さん(13歳)から、女流棋士資格申請書が提出されました。2022年6月1日付で、関西本部所属の女流棋士2級になります。女流棋士番号は79です。
木村さんは滋賀県高島市出身だそうです。

棋士・女流棋士の滋賀県出身者は初です。
[104730] 2022年 5月 19日(木)13:00:00【2】訂正年月日
【1】2022年 5月 19日(木)15:08:27
【2】2022年 5月 19日(木)15:23:44
むっくん さん
Re:情報提供関連
[104729]Nさん
和田 康臣さん(泉北郡南池田村)
就任期間は1947(S22).4.-1956(S31).8.31
こちら誤植で就任期間は1951(S26).4-ですかね。
これは確かに誤植です。ただ、[104722]拙稿は30時間以上の時間が経過して訂正できません。
若年首長の登録の際、就任期間は1951(S26).4-でよろしくお願いします。>グリグリさん

[104728]グリグリさん
抜けている情報提供対応がありましたらお知らせください。
把握されておられるのなら申し訳ありませんが、
[99923]拙稿([99930]でグリグリさんが対応中)
[102330]拙稿
[104111]拙稿([104113]でグリグリさんが対応中)
がありました。

#11年前に市区町村変遷情報の記載が明治22年まで完成した([78755]88さん)際に、その記載に誤りがある箇所(100箇所超)に対しての記事も当方で作成しましたが、投稿のタイミングがないまま今に至ります。

【追記】
若年で当選した首長の参考文献の情報提供です。
各都道府県選挙管理委員会は、国政選挙(衆議院議員、参議院議員)及び県政選挙(県知事、県議会議員)の記録を取りまとめて書籍化しますが、県下の市町村の首長選挙の記録を取りまとめて書籍化している所もあります。
大阪府や愛知県のように、一覧としてまとめている所は少ないかもしれませんが、若年首長が比較的多い昭和26年と昭和30年の統一地方選挙の市町村長選挙の記録は、見つかる可能性が高いと思います。
[104722] 2022年 5月 17日(火)13:11:02【1】訂正年月日
【1】2022年 5月 17日(火)13:14:34
むっくん さん
若年で当選した首長PART19
グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。

◎岐阜県
辻 善治郎さん(加茂郡福地村)
選挙立候補者締め切り日の1955(S30).5.2に他の誰もが現れなかったため無投票当選。
1955(S30).5.2?3?の時点で36歳。
選挙日及び村長就任日は1955(S30).5.3以降と考えられます。
福地村は1956(S31).9.30に八百津町へ編入されましたが、1955(S30).5.以前も村長をしていた可能性があるため、任期は1-3期と考えられます。
#生年月日は1918(T7).5.3-1919(T8).5.3の間と考えられます。
参考:S30.5.3中日新聞

◎岐阜県の追加情報
楠 紀章さん(郡上郡牛道村)
[103295]拙稿とは年齢が異なりS30.5.2岐阜タイムスによると35歳とありました。

◎三重県
水谷 直弘さん(員弁郡西藤原村)
1951(S26).4.23の選挙で当選(無投票当選か投票が行われての当選かの記載はありませんでした)。
1951(S26).4.23の選挙日年齢は25歳
1955(S30).4.3に新設合併で藤原村となりましたので、任期は1期と考えられます。
#生年月日は1925(T14).4.24-1926(T15).4.23の間。
参考:S26.4.26東海夕刊新聞

◎熊本県
遠山 久八さん(球磨郡五木村)
1983(S58).4.24の選挙で当選。
就任期間は1983(S58).4.-1985(S60).11.16以前
1983(S58).4.24の選挙日年齢は39歳。
任期は1期
#生年月日は1943(S18).4.25-1944(S19).4.24の間。
参考:熊本県選挙の歩み追録(昭和53年~昭和62年)(著:熊本県選挙管理委員会、1988.3.)

◎愛知県
小田(おだ) 悦男(えつお)さん(幡豆郡幡豆町)
1933(S8).1.23生まれ
1967(S42).2.4の選挙で当選。
就任期間は1967(S42).2.-
就任日年齢は34歳0-1ヶ月
任期は1期
参考:愛知の選挙二十年(II)地方選挙篇(編:愛知県選挙管理委員会、1989)
#参考資料は以前[94749]拙稿で紹介した愛知の選挙二十年. 地方選挙篇(愛知県選挙管理委員会, 1966)の続編で、S42-S61年末まで網羅したものになります。

◎愛知県の追加情報
村瀬 輝二さん(海部郡弥富町)
就任期間は1967(S42).2.までなので任期は3期となります。
参考:愛知の選挙二十年(II)地方選挙篇(編:愛知県選挙管理委員会、1989)

林 建伸さん(西春日井郡清洲町)
1973(S48).4.22の選挙に立候補せず引退とのことなので、1965(S40).5.4の再任後の任期は2期となります。
参考:愛知の選挙二十年(II)地方選挙篇(編:愛知県選挙管理委員会、1989)

◎大阪府
参考資料は原則として、大阪府知事・市町村長選挙結果一覧(昭和22年~平成元年執行)(著:大阪府選挙管理委員会、1989)です。
#様々な方の選挙日年齢を見る限り。昭和22年4月5日選挙の年齢の信憑性が他の年度の選挙に比して劣ります。

西野 米治さん(南河内郡日置荘村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1947(S22).6.4以前
1947(S22).4.5の選挙日年齢は37歳
任期は1期
#生年月日は1909(M42).4.6-1910(M43).4.5の間。

赤坂 喜一郎さん(泉北郡山滝村)
1947(S22).4.5の選挙で当選。
就任期間は1947(S22).4.-1948(S23).3.31
1947(S22).4.5の選挙日年齢は37歳
任期は1期
#生年月日は1909(M42).4.6-1910(M43).4.5の間。

箕林 信雄さん(三島郡山田村)
1947(S22).4.5の選挙で当選。1951(S26).4.23の選挙で無投票当選。1955(S30).8.21の選挙で当選。
就任期間は1947(S22).4.-1955(S30).4.22、1955(S30).8.-1955(S30).10.14
1947(S22).4.5の選挙日年齢は39歳で、1951(S26).4.23の選挙日年齢は42歳。(上述の通り昭和22年4月5日選挙の年齢の信憑性が低いことより初当選は38歳とした方がよいと思います。)
任期は2期と1期で通算3期。
#生年月日は1908(M41).4.24-1909(M42).4.23の間。
#1955(S30).8.21の選挙で当選とは大阪府年鑑昭和32年版(編・出版:新大阪新聞社、1957)による。

岸田 悦男さん(三島郡阿武野村)
1947(S22).4.5の選挙で当選。
就任期間は1947(S22).4.-1947(S22).12.31
1947(S22).4.5の選挙日年齢は37歳
任期は1期
#生年月日は1909(M42).4.6-1910(M43).4.5の間。

松村 清一さん(南河内郡東条村)
1952(S27).2.3の選挙で当選。1956(S31).2.1の選挙で無投票当選。
就任期間は1952(S27).2.3-1957(S32).1.14
1952(S27).2.3の選挙日年齢は39歳で、1956(S31).2.1の選挙日年齢は43歳。
任期は2期
#生年月日は1912(M45).2.4-1913(T2).2.1の間。

和田 康臣さん(泉北郡南池田村)
1951(S26).4.23の選挙で当選。1955(S30).4.30の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.-1956(S31).8.31
1951(S26).4.23の選挙日年齢は31歳で、1955(S30).4.30の選挙日年齢は35歳。
任期は2期
#生年月日は1919(T8).5.1-1920(T9).4.23の間。

仲辻 正巳さん(南河内郡埴生村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1948(S23).12.7以前
1947(S22).4.5の選挙日年齢は34歳
任期は1期
#生年月日は1912(M45).4.6-1913(T2).4.5の間。
埴生村 (大阪府) - Wikipediaでは後の南大阪町長をも務めたとありますが、これはWikipediaの誤りの可能性が高いです。

田中 寿雄さん(北河内郡大和田村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。1953(S28).4.16の選挙で当選(無投票当選か投票が行われての当選かは不明)。
就任期間は1947(S22).4.5-1948(S23).6.7以前、1953(S28).4.16-1956(S31).9.29
1947(S22).4.5の選挙日年齢は36歳で、1953(S28).4.16の選挙日年齢は42歳。
任期は1期と1期で通算2期
#生年月日は1910(M43).4.17-1911(M44).4.5の間。

清水 正三さん(中河内郡英田村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。1951(S26).4.23の選挙で当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1955(S30).1.14
1947(S22).4.5の選挙日年齢は34歳で、1951(S26).4.23の選挙日年齢は38歳。
任期は2期
清水 正三さん(河内市)
1955(S30).2.20の選挙で当選。1959(S34).2.1の選挙で無投票当選。1964(S39).3.15の選挙で当選。
就任期間は1955(S30).2.20-1960(S35).2.29、1964(S39).3.18-1967(S42).1.31
1955(S30).2.20の選挙日年齢は42歳で、1959(S34).2.1の選挙日年齢は46歳で、1964(S39).3.15の選挙日年齢は51歳。
任期は2期と1期で通算3期
#生年月日は1912(M45).4.24-1913(T2).2.1の間。

中 克人さん(泉南郡熊取町)
1956(S31).7.22の選挙で当選。
就任期間は1956(S31).7.22-1958(S33).12.31
1956(S31).7.22の選挙日年齢は38歳。
任期は1期
#生年月日は1917(T6).7.23-1918(T7).7.22の間。
#就任期間は熊取町HPでは1956(S31).7.23-1958(S33).12.31でした。しかし選挙日の前日時点で既に町長が居られないため、大阪府知事・市町村長選挙結果一覧(昭和22年~平成元年執行)(著:大阪府選挙管理委員会、1989)の方が法的には正しいと判断しました。

田中 武さん(泉南郡岬町)
1960(S35).6.5の選挙で当選。
就任期間は1960(S35).6.5-1958(S33).12.31
1960(S35).6.5の選挙日年齢は37歳。
任期は1期
#生年月日は1922(T11).6.6-1923(T12).6.5の間。

梅川 政治さん(南河内郡山田村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。1951(S26).4.23の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1955(S30).4.22
1947(S22).4.5の選挙日年齢は36歳で、1951(S26).4.23の選挙日年齢は40歳。
任期は2期
#生年月日は1910(M43).4.24-1911(M44).4.5の間。

山田 朗さん(南河内郡河内村)
1951(S26).4.23の選挙で無投票当選。1955(S30).4.30の選挙で無投票当選。
就任期間は1951(S26).4.23-1956(S31).9.29
1951(S26).4.23の選挙日年齢は35歳で、1955(S30).4.30の選挙日年齢は39歳。
任期は2期
#生年月日は1915(T4).5.1-1916(T5).4.23の間。

土井 一郎さん(南河内郡中村)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。1951(S26).4.23の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1955(S30).4.22
1947(S22).4.5の選挙日年齢は33歳で、1951(S26).4.23の選挙日年齢は37歳。
任期は2期
#生年月日は1913(T2).4.24-1914(T3).4.5の間。

光田 源一さん(南河内郡丹南村)
1955(S30).4.30の選挙で無投票当選。
就任期間は1955(S30).4.30-1955(S30).5.31以前
1955(S30).4.30の選挙日年齢は29歳。
任期は1期
#生年月日は1925(T14).5.1-1926(T15).4.30の間。

佐野 浩さん(泉北郡和泉町)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選。
就任期間は1947(S22).4.5-1951(S26).4.4
1947(S22).4.5の選挙日年齢は39歳11ケ月
任期は1期
#大阪府議会史第5編(編:大阪府議会史編さん委員会、出版:大阪府議会、1980.3.)では生年月日は1909(M42).4.6

◎大阪府での追加情報
深田 丈夫さん(三島郡味舌村/味舌町)
1947(S22).4.5の選挙で無投票当選より、就任日は1947(S22).4.5。
参考:大阪府知事・市町村長選挙結果一覧(昭和22年~平成元年執行)(著:大阪府選挙管理委員会、1989)

村主 好啓さん(南河内郡黒山村)
生年月日は1907(M40).8.28より就任日年齢は39歳7-8ケ月です。
#大阪府知事・市町村長選挙結果一覧(昭和22年~平成元年執行)(著:大阪府選挙管理委員会、1989)によりますと、1947(S22).4.5の選挙で当選し、1947(S22).4.5の選挙日年齢は41歳とありました。しかし、選挙結果調昭和30年執行(著:大阪府選挙管理委員会、1955)及び大阪府議会史第5編(編:大阪府議会史編さん委員会、出版:大阪府議会、1980.3.)によりますと、1955(S30).4.30の府議会議員選挙の当選者資料にはM40.8.28生まれとありました。


これにて北海道(昭和23年以降)、青森県(昭和26年以降)に加えて愛知県(昭和23年-61年)、大阪府(昭和22年-平成元年)がほぼ網羅できました。
特に大阪府は、若年で当選した首長が一番多いと考えられる昭和22年(おそらく40%弱になると推測しています)を初めて網羅できた都道府県になりました。
[104721] 2022年 5月 17日(火)13:04:15むっくん さん
第60回十番勝負感想文
今回は解けないから見送りだろう、と思っていたのですが・・・

問二:正答で「か」ばかりが並んだので気付きました。
ということで、取り敢えず一問を答えました。その後、他の問題もヒントを待ちつつ、考えることになり、

問四:若年で当選した首長の新規調査をする過程での大阪府羽曳野市より、新設合併で市の名称が変更になったところならば正答である、と考えました。
若年で当選した首長は別稿で投稿します。

問一:想定解数が60市となったことより、何かのランキングであるというところより分かりました。
問三、問五:人口があれば面積、人口密度もあるであろうことより分かりました。
問六:第二ヒントのアナグラムが解けたことより分かりました。
問八:第三ヒントのストリートビューより千畳敷スキー場が辺りにあったことより地名コレクションだと分かりました。
問七:第四ヒントで線引きが分かりました。これを気付けないとは、自分にがっくりです。
問九:想定解数が62市と60市と異なったことよりランキング上位と気付けませんでした。第四ヒントで共通項に気付きました。
問十:第四ヒントより、なぜか日本遺産と考えました。Google検索で日本遺産を調べたら、世界遺産のサイトが上位に出てきて共通項に気付きました。

、と気付いたら、十問完答していました。十番勝負を幾度も完答したことがあると、
【注意事項】
(6)ゴールデンウィークの大切な時間を損なう恐れと勉学や仕事への重大な影響が考えられます。また、十番勝負への依存が生じる場合があります。個人の責任において参加されることをご了解願います。
とあるように、十番勝負には、一問答えてしまうと完答したくなってしまう中毒性があるようです。
[104627] 2022年 5月 8日(日)22:13:42むっくん さん
十番勝負
問十:奈良市
[104623] 2022年 5月 8日(日)21:28:09むっくん さん
十番勝負
問九:富士吉田市
[104622] 2022年 5月 8日(日)21:21:40むっくん さん
十番勝負
問七:水戸市
[104612] 2022年 5月 8日(日)13:50:09むっくん さん
十番勝負
問八:沼田市
[104603] 2022年 5月 8日(日)00:08:00むっくん さん
十番勝負
問六:刈谷市
[104506] 2022年 5月 5日(木)14:45:21むっくん さん
十番勝負
問五:明石市
[104505] 2022年 5月 5日(木)14:42:36むっくん さん
十番勝負
問三:下呂市
[104503] 2022年 5月 5日(木)14:21:39むっくん さん
十番勝負
問一:東大阪市
[104459] 2022年 5月 4日(水)00:51:20むっくん さん
十番勝負
問四:東近江市
[104413] 2022年 5月 3日(火)19:23:45むっくん さん
十番勝負
問二:鹿屋市
[104111] 2022年 3月 26日(土)16:25:46【2】訂正年月日
【1】2022年 3月 26日(土)18:38:56
【2】2022年 3月 26日(土)23:04:38
むっくん さん
市区町村変遷情報の変更種別について
[104078]白桃さん
「村」が「町」になるというのは、法的には、「町制」ではなく単なる「名称変更」であったのではないか、これが私の推測です。
しかし、そうなると、三本松村→三本松町のような「一日限りの『町』」ではない場合もすべて「名称変更」になりますね。
それはそれでいろいろ問題が出て来るとは思いますが、少なくとも、地方自治法施行前の「町制/改称」の表示は「改称&(村→町)」あるいは「改称&(町制)」にすべきではないかと考えます。
市制町村制の時代の法律書では
〇〇村→〇〇町・・・町村変更
〇〇村→●●村・・・改称(名称変更)
〇〇町→●●町・・・改称(名称変更)
とする事例が多いようです。

[104079]グリグリさん
あまり詳しくなく検証も不十分ですが、単純に考えると、1947年の地方自治法施行以前の「町制」「村制」をすべて「町村制」に変更し、「◯◯村 → ◯◯町」は「改称」と整理すると分かりやすいのかなと思いました。

以前の編集長であった88さんは[78998] にて
「法律」が「市制」「町村制」の2つの法律、「制度」が「市」「町」「村」の3制度、です。
「町村制」は、「『町』という制度」及び「『村』という制度」を規定した法律の名称です。
このため、「町村制」という制度ではありません。
とされました。そのため「◯◯村 → ◯◯町」の変更種別を町制という表現をされました。
現在の「地方自治制」も「『市』という制度」及び「『町』という制度」及び「『村』という制度」を規定した法律の名称ですので、現在も「市制」、「町制」、「村制」という表現をされています。

しかしながら「町制」と「村制」とをあえて区別して記載しない立場
[79006]hmtさん
普通のケースでは、町村制施行時に成立した○○町は 単に変更種別“町村制”と記せば十分であると思われます。
もあると考えられます。今回のグリグリさんではこちらの立場を採られたということと推察します。
こちらの立場では例えば秋田県の
160 1964(S39).10.1 村制 南秋田郡大潟村 八郎潟干拓地

160 1964(S39).10.1 地方自治法 南秋田郡大潟村 八郎潟干拓地
と書くことになりますし、沖縄県の
21 1946(S21).6.12 村制 島尻郡南大東村 南大東島

21 1946(S21).6.12 地方行政緊急措置要綱準用の村政の組織 島尻郡南大東村 南大東島
と書くことになります。
#地方行政緊急措置要綱は米軍政府回状第208号(1945.9.12)、村政の組織は米海軍政府指令第58号(1945.12.4)です。

そして市制町村制の時代の「◯◯村 → ◯◯町」の変更種別は「町に変更」([79006]hmtさん)もしくは「町村変更」にするのが妥当だと考えます。
又、市制施行に関しましては、例えば滋賀県の
44 1937(S12).2.11 新設/市制 彦根市 犬上郡 彦根町, 松原村, 青波村, 北青柳村, 福満村, 千本村

44 1937(S12).2.11 新設/市制 彦根市 犬上郡 彦根町, 松原村, 青波村, 北青柳村, 福満村, 千本村
のままです。

ただ、問題となるのが、地方自治法施行以降の記述です。地方自治法下では「市制」、「町制」、「村制」という制度はありません(市となる手続き、町となる手続き、村となる手続きがあるに過ぎない)ので、「市制」、「町制」、「村制」という表現を使えないことになります。
例えば、岩手県の
109 1972(S47).4.1 新設/市制 二戸市 二戸郡 福岡町, 金田一村

109 1972(S47).4.1 新設/市に変更 二戸市 二戸郡 福岡町, 金田一村
となり、沖縄県の
35 1953(S28).10.1 市制 真和志市 島尻郡 真和志村

35 1953(S28).10.1 市に変更 真和志市 島尻郡 真和志村
とした上で琉球政府市町村自治法によるという脚注を入れることになるのでしょうか。

【追記】
地方自治法施行以降のみならず市制町村制の時代でも「町制」という表現を使えないため、例えば茨城県の
47 1940(S15).4.29 新設/町制 那珂郡勝田町 那珂郡 中野村, 勝田村, 川田村
では
47 1940(S15).4.29 新設/町に変更 那珂郡勝田町 那珂郡 中野村, 勝田村, 川田村
と書くことになります。
[104104] 2022年 3月 24日(木)15:23:09むっくん さん
hmtさん
hmtさんの訃報に際し、心から哀悼の意を表します。
直接お会いしたことはありませんでしたが、落書き帳では私の初書き込み[48851]に対する[48995]のhmtさんの書き込みが、初めての絡みでした。それ以降も、香川県の渇水、法令全書、十島村、大野郡、日本の自治制度(とりわけ明治期から昭和22年までの自治制度)などで、様々な遣り取りをしたことを思い出します。

[95633]を初めとして温かみのある記事、そしてhmtマガジンでも一部採用された多彩な連載記事を書かれておられ、おそらく現在も天国で新たな連載記事の構想を練られておられることと思います。

あらためて、心よりご冥福をお祈りいたします。
[104103] 2022年 3月 24日(木)14:10:40【1】訂正年月日
【1】2022年 3月 24日(木)14:13:51
むっくん さん
ロータリーコレクション
[103267]あきごんさん

ロータリーコレクションで挙げられている岐阜県岐阜市薮田南のロータリーが3/14午前10時よりラウンドアバウトになりました。
[103800] 2022年 1月 14日(金)15:56:43むっくん さん
十番勝負
問五:竹原市
[103792] 2022年 1月 13日(木)23:38:32むっくん さん
十番勝負
問四:室蘭市
問五:砂川市
問七:大和郡山市
[103780] 2022年 1月 13日(木)13:00:49むっくん さん
十番勝負
問一:米原市
問二:草津市
問三:湖南市
問四:阿南市
問五:稚内市
問七:近江八幡市
問八:池田市
問九:京丹後市
[103421] 2022年 1月 2日(日)15:33:17むっくん さん
十番勝負
問六:北九州市
[103420] 2022年 1月 2日(日)14:38:29むっくん さん
十番勝負
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

問十:湖南市
[103327] 2021年 12月 30日(木)22:21:21むっくん さん
Re2:若年で当選した首長PART18
[103311]グリグリさん

高田肇さん(岐阜県本巣郡本巣村(1950(S25).6.1新設合併で成立))
当時ですと新設合併で成立した市町村長が決まるのは半月から一か月半かかるのが通例ですので、就任日に新設合併日との注を入れた方が良いと思います。
[103298]Nさんによりますと、本巣町長も務められていたようです。

吉岡信一さん(奈良県吉野郡丹生村)
1955(S30).4.30が任期満了による選挙とすると、その前の選挙は1951(S26).4.23であり、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)に記載がないことより、就任日は選挙の行われた1951(S26).4.23で任期は2としておいた方が良いと思います。

広川茂男さん(広島県深安郡引野村)
前職で当選ですので就任日は1955(S30).4.30以前(任期満了による選挙とすると、その前の選挙は1951(S26).4.23)です。

中園喜久男さん(福岡県三潴郡城島町)
無投票当選ですと就任日は1947(S22).4.5となりますが、実際に投票が為されて当選したとすると開票日が1947(S22).4.6以降となりますので、就任日は1947(S22).4.?とした良いと思います。

宇都宮光明さん(愛媛県北宇和郡近永町)
無投票当選ですと就任日は1947(S22).4.5となりますが、実際に投票が為されて当選したとすると開票日が1947(S22).4.6以降となりますので、就任日は1947(S22).4.?とした良いと思います。

追加情報で
[102133]Nさん提供の梅野茂芳さん(福岡県山門郡東山村)は初代公選村長とのことなので、就任日は1947(S22).4.?として良いと思います。
[103295] 2021年 12月 18日(土)22:53:16【1】訂正年月日
【1】2021年 12月 19日(日)09:35:30
むっくん さん
若年で当選した首長PART18
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。
#特に断りのない限り、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)にて1947(S22).4.時点での首長か否かを判断して、首長任期の絞り込みをしています。

鈴木文夫さん
茨城県北相馬郡内守谷村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.1において31歳。
1956(S31).4.1に水海道市に編入されて消滅したことより任期は1期と推測。
参考:1955(S30).5.1朝日新聞

村田義雄さん
埼玉県比企郡玉川村
1959(S34).5.1の選挙で前職で当選。
1959(S34).5.2において42歳。初当選時の年齢は38歳。
任期は3期(1955(S30).5.1-1967(S42).4.30)
参考:S34.5.2朝日新聞、埼玉県町村会創立100周年(PDF)30コマ

加藤博康さん
埼玉県秩父郡両神村
1959(S34).5.1の選挙で前職で当選。
1959(S34).5.2において43歳。初当選時の年齢は35歳。
任期は3期(1951(S26).4.30-1963(S38).4.1)
参考:S34.5.2朝日新聞、埼玉県町村会創立100周年(PDF)31コマ

勝俣正男さん
神奈川県足柄下郡宮城野村
1951(S26).4.23の選挙で初当選。
1951(S26).4.25において36歳。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は1-2期と推測。
参考:S26.4.25朝日新聞

関一雄さん
富山県婦負郡山田村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.2において35歳。
任期は1期(1955(S30).4.30-1958(S33).11.22)
参考:1955(S30).5.2朝日新聞、wikipedia

浅井長一郎さん
石川県能美郡粟生村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において35歳。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は2期と推測。
参考:1955(S30).5.2朝日新聞

楠紀章さん
岐阜県郡上郡牛道村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.1において36歳。
1956(S31).4.1に新設合併で消滅したことより任期は1期と推測。
参考:1955(S30).5.1朝日新聞

田中栄一さん
岐阜県揖斐郡坂内村
1959(S34).5.2現在当選4回目で現職47歳。自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも村長よりおそらく1947(S22).4.に34-35歳で初当選したと推測される。
任期は4期以上
参考:S34.5.2朝日新聞

仲井正夫さん
岐阜県揖斐郡横蔵村
1959(S34).5.2現在1期目で現職39歳。
任期は1期以上。
参考:S34.5.2朝日新聞

高田肇さん
岐阜県本巣郡文殊村
1912年生まれ
自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも本巣郡文殊村(S25.6.1に新設合併で本巣村となる)の村長よりおそらく1947(S22).4.に34-35歳で初当選したと推測される。
任期は1期。
岐阜県本巣郡本巣村
1959(S34).5.2現在4期目で現職47歳。4期目とは文殊村の村長を含めて通算4期目と考えられる。
任期は3期以上。
参考:S34.5.2朝日新聞、我執を超えて(著:高田肇)

上ヶ島増雄さん
岐阜県郡上郡高鷲村
1959(S34).5.2現在3期目で現職49歳。
自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも村長。
岐阜年鑑1949年版(編・出版:岐阜タイムス社、S23)でも1948(S23).8.現在村長で、岐阜年鑑1953年版(編・出版:岐阜タイムス社、S27.10.1)でも岐阜年鑑1955年版(編・出版:岐阜タイムス社、S29)でも村長。
わが村たかすの歴史を訪ねてでは1947年に上ヶ島増雄村長になり1959年に蓑島政一村長になるとあります。1959年は何らかの理由で統一地方選とずれていた可能性があります。おそらく立候補者が出なかった村長選があったのではないかと推測します。
よって任期は3期(1947(S22).4.-)と推測します。
就任年齢は36-37歳。
参考:S34.5.2朝日新聞

小倉信次さん
三重県飯南郡森村
1955(S30).5.2現在村長で35歳。
1956(S31).8.1新設合併で森村は飯高町となり消滅したことより任期は1-3期。
三重県飯南郡飯高町
任期は4期(1968(S43).10.20-1984(S59).10.19)。
就任年齢は68-69歳。
参考:S30.5.2朝日新聞、松阪市(xlsx形式)気楽にバイクライフ高見トンネル開通記念碑。

広田饒世さん
岐阜県大野郡清見村
1959(S34).5.2現在3回目で現職で47歳。
岐阜年鑑1953年版(編・出版:岐阜タイムス社、S27.10.1)でも岐阜年鑑1955年版(編・出版:岐阜タイムス社、S29)でも村長。岐阜年鑑1949年版(編・出版:岐阜タイムス社、S23)ではS23.8.現在村長ではない。おそらく1951(S26).4.23の選挙で39歳で初当選したものと考えられる。
参考:S34.5.2朝日新聞

梶川忠男さん
三重県飯南郡櫛田村
1955(S30).5.2現在村長で30歳。
1957(S32).10.1櫛田村は松阪市に編入され消滅したことより任期は1-3期。
参考:S30.5.2朝日新聞

細淵直男さん
三重県多気郡大杉谷村
1955(S30).5.2現在村長で32歳。
1959(S34).1.10新設合併で森村は宮川村となり消滅したことより任期は1-3期。
参考:S30.5.2朝日新聞

吉岡信一さん
奈良県吉野郡丹生村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において36歳。
1956(S31).9.30に丹生村は下市町に編入されたので任期は2-3期と推測されます。
参考:1955(S30).5.2朝日新聞、第16回参議院人事委員会第21号昭和28年8月8日(PDF)20コマ第一七八三号

長島克己(ながしまかつみ)さん
1916(T5).2.18生まれ
島根県八束郡岩坂村
31歳1-2ケ月
任期は1期(1947(S22).4.-)
島根県八束郡八雲村
65歳1-2ケ月
八雲村での首長の期間が首長・議員名鑑より1981(S56)からとあり、1985(S60).4.無投票当選で、1989(H1).4.で別の方が村長となっているので、任期は2期(1981(S56).4.-1989(H1).4.)と推測される。
参考:首長・議員名鑑(編・出版:山陰中央新報社、S59.4.30)、松江市HP

藤原香さん
岡山県赤磐郡仁堀村
1955(S30).4.30の選挙で当選。
1955(S30).5.2において38歳。村長となったのは38歳以前。
1956(S31).9.30に吉井町に編入され消滅したことより任期は1-2期。
参考:S30.5.2朝日新聞

広川茂男さん
広島県深安郡引野村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において32歳。村長となったのは32歳以前。
1956(S31).9.30に福山市に編入され消滅したことより任期は1-2期。
参考:S30.5.2朝日新聞

柏原竜寿さん
広島県芦品郡藤尾村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において43歳。自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも村長より、おそらく1947(S22).4.5の選挙で34-35歳で初当選したと考えられる。
1959(S34).7.1に三和町と新市町に編入され消滅したことより任期は3-4期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

横山明義さん
高知県香美郡上韮生村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において36歳。村長となったのは36歳以前。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は2期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

大崎昌広さん
高知県高岡郡下半山村
1955(S30).4.30の選挙で前職で当選。
1955(S30).5.2において37歳。自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも村長より、おそらく1947(S22).4.5の選挙で28-29歳で初当選したと考えられる。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は3期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

矢野景郎さん
高知県吾川郡仁西村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.2において30歳。
1956(S31).9.30に新設合併で消滅したことより任期は1期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

三石重行さん
高知県幡多郡津大村
1955(S30).4.30の選挙で初当選。
1955(S30).5.2において39歳。
1958(S33).4.1に新設合併で消滅したことより任期は1期と推測される。
参考:S30.5.2朝日新聞

末吉静雄さん
福岡県嘉穂郡大分村
1947(S22).4.5の選挙で初当選。1951(S26).4.23の選挙で再選。
1947(S22).4.8において31歳、1951(S26).4.25において33歳。初当選時の年齢は29歳もしくは31歳。
1955(S30).3.31に筑穂町と穂波村の一部となり消滅したことより任期は2期と推測される。
参考:1947(S22).4.8朝日新聞、1951(S26).4.25朝日新聞

中園喜久男さん
福岡県三潴郡城島町
1951(S26).4.23の選挙で前職で当選。
1951(S26).4.25において42歳。自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも町長より、おそらく1947(S22).4.5の選挙で37-38歳で初当選したと考えられる。
任期は2期以上。
参考:S26.4.25朝日新聞

追加情報

西内徹さん
香川県綾歌郡美合村
1951(S26).4.23の選挙で初当選。
1951(S26).4.25において26歳。
参考:S26.4.25朝日新聞

宇都宮光明さん
愛媛県北宇和郡近永町
自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)に記載があり、50頁
日本国憲法の施行を前にし、昭和二十二年四月一斉に行われた都道府県市区町村の長及び議会の議員の選挙結果は、地方自治団体の機関を全く一新せしめた。その調査に基いた調査集計は左の通りである。
とあることよりおそらく1947(S22).4.5の選挙で初当選したと考えられ、1947(S22).4.に37歳3ヶ月。

洲浜正敏さん
島根県邑智郡瑞穂町でも町長をしていました。
1984(S59)現在、町長3期目中でした。いつから町長か、任期が何期かは不明。
参考:首長・議員名鑑(編・出版:山陰中央新報社、S59.4.30)


#何故か、一か所テキストリンクが出来ませんでした。
#テキストリンク仕様を見直し、リンクできなかった問題を改善の上、記事本文を訂正しました。(オーナー グリグリ)
[103238] 2021年 11月 27日(土)19:53:01むっくん さん
ロータリーコレクション
>あきごんさん

一歩前進でビフォーアフター、このような機能があることを初めて知りました。視覚的にも素晴らしいと思います。

さて、新規ロータリーの紹介です。
東海道本線を挟んでロータリーが2箇所あります。
東側のロータリーが愛知県大府市追分町6丁目、西側のロータリーが愛知県大府市一屋町2丁目です。
とあるYouTubeでも紹介されていました。
[102330] 2021年 9月 12日(日)14:00:47【1】むっくん さん
Re2:茶番第17回 自由研究 ー久栄村ー
先日高松を訪れた際立ち寄った、四国の名産品が一堂に集まる四国ショップ88。そこで香川県の「県の石」であるサヌカイトが紹介されていました。

その時、つい最近、サヌカイトさんによる自由研究「久栄村」([102282])があったな、と思い出しました。(その時までの記事の流れ

さて、法的根拠となる香川県告示(香川縣報昭和二十六年三月二十日)では以下のように記載されていました。
香川縣告示第百二十一号
 綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃して、この区域をもつて新に久万玉村を置き、昭和二十六年四月一日から施行する。
 なお、地方自治法施行令第百七十七條第一項第一号の規定に依る久万玉村の人口は六千百七拾弐人である。
昭和二十六年三月二十日 香川縣知事 金子正則
とだけあり、村名変更の県告示は見当たりませんでした。

同日付の香川郡安原上西村から香川郡上西村への改称は
香川縣告示第百四十八号
 昭和二十六年一月二十二日香川郡安原上西村から許可申請のあつた村名変更(安原上西村を上西村と変更し昭和二十六年四月一日から実施する。)の件はこれを許可した。
昭和二十六年三月三十一日 香川縣知事 金子正則
とこちらは記載されているので、仮に村名変更の条例が出来たのであるならば、上西村への改称と同様に香川県報に搭載されているはずです。

ということで、変更種別を新設/改称から新設に戻す必要がありそうです。
[102267] 2021年 8月 23日(月)23:36:46むっくん さん
蘓原町&市区町村変遷情報(岐阜県)
かなり前の話ですが。。。

[101383]MIさん
[101396]hmtさん
[101397]ekinenpyouさん
町制施行についても
1943(昭和18)年0430 岐阜県告示第198号
稲葉郡蘓原村を町となし、昭和18年4月1日より施行する。
とあることから、単純な誤植では片付けられないことが分かってきました。ただこの例規集は稻を稲、漢数字をアラビア数字に改めており、原文通りかどうか疑わしくもあります。県立図書館で昭和18年や38年の県告示を確かめなかったのが悔やまれるところです。
昭和18年の県告示につきましては、以前岐阜県図書館で確認していました。
岐阜縣告示第百九十八號
稻葉郡蘓原村ヲ町ト爲シ昭和十八年四月一日ヨリ施行ス
昭和十八年三月三十日 岐阜縣知事 中野善敦
とあり、「蘓原町」でした。

現在の市区町村変遷情報の記載の
187 1897(M30).4.1 新設/郡変更 稲葉郡蘇原村 各務郡 伊飛島村, 大宮村, 和合村, 古市場村, 持田村, 三柿野村
259 1943(S18).4.1 町制 稲葉郡蘇原町 稲葉郡 蘇原村
416 1963(S38).4.1 新設/市制 各務原市 稲葉郡 那加町, 稲羽町, 鵜沼町, 蘇原町
において、「蘇原」→「蘓原」と異体字による訂正をするか否かはグレーゾーンになりますので、迷ったらそのままということになりそうです。
#市区町村変遷情報の記載基準は[56275]88 さんにある通りです。


さて、岐阜県の話題が出ましたので、市区町村変遷情報(岐阜県)で訂正する箇所をも記しておきます。

18 1896(M29).2.24 分立 土岐郡市之倉村 土岐郡 多治見町の一部
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第二十二號
町村制第四條ニ依リ土岐郡多治見町ノ内市之倉組ヲ分割シ市之倉村ヲ設置ス
明治二十九年二月十四日 岐阜縣知事 樺山資雄
とありますので、正しくは1896(M29).2.24→1896(M29).2.14です。

205 1898(M31).9.1 改称 稲葉郡黒野村 稲葉郡 鵜飼村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第二百八十八號
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ益田郡鵜飼村ヲ黒野村ト改稱ス
明治三十一年九月二十一日 岐阜縣知事 安楽兼道
とありますので、正しくは1898(M31).9.1→1898(M31).9.21です。

208 1900(M33).7.19 町制 可児郡今渡町 可児郡 今渡村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第二百一號
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ可児郡今渡村ヲ今渡町トス
明治三十二年七月十九日 岐阜縣知事 野村政明
とありますので、正しくは1900(M33).7.19→1899(M32).7.19です。
#これは岐阜県公報第二百二十號(明治三十二年七月十九日発行)の本文で明治二十三年七月十九日とあるのを明治三十二年七月十九日と訂正してありました。

209 1901(M34).5.24 町制 不破郡赤坂町 不破郡 赤坂村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第百十三號
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ不破郡赤坂村ヲ赤坂町トス
明治三十四年五月二十二日 岐阜縣知事 川路利恭
とありますので、正しくは1901(M34).5.24→1901(M34).5.22です。

210 1901(M34).6.10 町制 可児郡豊岡町 可児郡 豊岡村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第百四十一號
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ可児郡豊岡村ヲ豊岡町トス
明治三十四年六月廿六日 岐阜縣知事 川路利恭
とありますので、正しくは1901(M34).6.10→1901(M34).6.26です。

257 1940(S15).6.1 編入 岐阜市 岐阜市, 稲葉郡 南長森村, 北長森村, 木田村, 常磐村
岐阜縣公報によりますと
岐阜縣告示第五百七十號
昭和十五年七月一日ヨリ稲葉郡南長森村、北長森村、木田村及常磐村ヲ廢シ其ノ區域ヲ岐阜市ノ區域ニ編入シ稲葉郡南長森村、北長森村、木田村及常磐村ノ財産ハ之ヲ岐阜市ニ歸属セシム
昭和十五年六月二十六日 岐阜縣知事 宮野省三
とありますので、正しくは1940(S15).6.1→1940(S15).7.1です。
[102179] 2021年 7月 14日(水)18:12:46【1】むっくん さん
市制町村制時代の「市制施行」事例
[102162]グリグリさん
或いは逆に、市制町村制時代の「市制施行」事例をすべて「新設」として捉えるべきとも……?
こちらの考え方について、むっくんさんはどうお考えでしょうか。
市制(明治21年法律第1号)町村制(明治21年法律第1号)の時代は法律上「新設」として捉えるべきかがよく分かりません。
#恐らく「新設」なのでしょうが、法律書に記載がないので。

ただ、少なくても市制(明治44年法律第68号)に基づいた市と、町村制(明治44年法律第69号)に基づいた町村では、自治体が依拠する法律が異なるため、この時期に「市制施行」した事例はすべて「新設」として捉えるべきだと考えています。

具体的には以下の市制施行の種別が「市制」から「新設/市制」へ変わることになります。
1911.7.1静岡県浜松市
1911.9.1新潟県高田市
1914.4.1福岡県若松市
1916.7.1愛知県岡崎市
1916.7.1広島県福山市
1917.3.1福岡県大牟田市
1917.3.1福岡県八幡市
1917.9.1東京府八王子市
1918.4.1岐阜県大垣市
1919.5.1長野県上田市
1919.11.1兵庫県明石市
1921.1.1栃木県足利市
1921.1.1千葉県千葉市
1921.3.1群馬県桐生市
1921.5.20沖縄県那覇市
1921.5.20沖縄県首里市
1921.9.1愛知県一宮市
1921.11.1山口県宇部市
1922.8.1北海道札幌市
1922.8.1北海道函館市
1922.8.1北海道小樽市
1922.8.1北海道室蘭市
1922.8.1北海道旭川市
1922.8.1北海道釧路市
1922.11.1大阪府岸和田市
1924.4.1宮崎県都城市
1924.4.1大分県別府市
1924.9.1福岡県戸畑市
1924.10.1山形県鶴岡市
1925.4.1兵庫県西宮市
1927.4.1鳥取県米子市
1928.4.1岡山県倉敷市
1929.4.20大分県中津市
1929.5.1京都府伏見市
1929.10.1愛知県瀬戸市
1931.1.1福岡県直方市
1932.1.1佐賀県唐津市
1932.1.20福岡県飯塚市
1932.4.1神奈川県平塚市
1932.7.1山口県萩市
1933.2.1三重県松阪市
1933.2.11宮崎県延岡市
1933.4.1北海道帯広市
1933.4.1山形県酒田市
1933.4.1埼玉県熊谷市
1933.4.1宮城県石巻市
1934.1.1新潟県三条市
1934.2.11埼玉県浦和市
1935.10.15山口県徳山市
1936.4.1長野県岡谷市
1937.4.1栃木県栃木市
1937.4.1京都府福知山市
1937.4.1三重県桑名市
1937.5.5岩手県釜石市
1938.8.1京都府舞鶴市
1939.4.29大阪府池田市
1940.2.11鹿児島県川内市
1940.2.11兵庫県洲本市
1940.2.11兵庫県飾磨市
1940.7.1新潟県柏崎市
1940.8.1岐阜県多治見市
1940.10.1神奈川県藤沢市
1940.11.10兵庫県芦屋市
1940.12.1東京府立川市
1941.11.3島根県出雲市
1941.11.23宮城県塩竃市
1942.4.1大阪府泉大津市
1942.6.10北海道北見市
1942.10.1兵庫県相生市
1943.1.1大阪府高槻市
1943.4.1北海道夕張市
1943.4.1北海道岩見沢市
1943.5.1大阪府貝塚市
1947.1.1新潟県新発田市
1947.3.1愛知県津島市

ここに、現在は市制/改称として記載されている岡谷市、芦屋市、泉大津市、北見市を含めています。
------------------------------------
岡谷市成立の根拠は
内務省告示第八十二号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十一年四月一日ヨリ長野県諏訪郡平野村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ岡谷市ヲ置ク
昭和十一年三月七日 内務大臣 後藤文夫
です。

芦屋市成立の根拠は
内務省告示第五百八十号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十五年十一月十日ヨリ兵庫県武庫郡精道村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ芦屋市ヲ置ク
昭和十五年十一月六日 内務大臣 安井英二
です。

泉大津市成立の根拠は
内務省告示第百五十八号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十七年四月一日ヨリ大阪府泉北郡大津町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ泉大津市ヲ置ク
昭和十七年三月二十日 内務大臣 湯澤三千男
です。

北見市成立の根拠は
内務省告示第三百七十四号
市制第三条、北海道一級町村制第一条及町村制第三条ニ依リ昭和十七年六月十日ヨリ北海道常呂郡野付牛町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ北見市ヲ置ク
昭和十七年五月二十七日 内務大臣 湯澤三千男
です。
------------------------------------

これら4市に関しましても、成立根拠の内務省告示を見ますと、名称変更の条文(市制第七條町村制第五條北海道一級町村制第一條で町村制第五條を準用)を使用せずに廃置分合の条文(市制第三條町村制第三條北海道一級町村制第一條で町村制第三條を準用)を使用しています。

市町村会議員必携(実例判例市制町村制逐条示解)(著:河本速夫、出版:自治正調協会、S12.12.18)での解説“名称ノ変更トハ”に依りますと、
村を町と為し、町を村となすも町と村とは元より町村制と云ふ同一の制度の下に置かれたものでありますから法律上其の性質を変更するものではありません只其の名称を変更するに過ぎませんが町を市と為し市を町とする場合は名称の変更ではありません。其の市又は其の町である自治団体は消滅して更に市又は町なるものが存在するものでありますから此の場合は廃置分合の手続きによらねばなりません。
とあり、これら4市の変更種別は「市制/改称」ではなく「新設/市制」が正しいものと考えられます。内務省告示の文章中でも
ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ★★市ヲ置ク
とあることよりこれら4市の変更種別は「市制/改称」ではなく「新設/市制」が正しいものと考えられます。


ただ、この対応をすると合体を伴う場合も伴わない場合も同じ表記になる問題が生じます。例えば大阪府の池田市と吹田市の事例です。

129 1939(S14).4.29 新設/市制 池田市 豊能郡 池田町
139 1940(S15).4.1 新設/市制 吹田市 三島郡 吹田町, 千里村, 岸部村, 豊能郡 豊津村


#これを解消するには、[95729]拙稿で書いたように、変更種別の「新設」を「新設」と「合体」に分ける、というのが一案となります。
[102161] 2021年 7月 7日(水)19:20:03【3】むっくん さん
Re2:尼崎市の市制施行と変遷情報の表示順序について
[102141]グリグリさん
[102145]白桃さん
[102156]MIさん
48 1916(T5).4.1 新設/市制 尼崎市 川辺郡 尼ヶ崎町, 立花村の一部

改正市制町村制釈義(著:中川健蔵、出版:帝国地方行政学会、M45)p54の9行目からp55の最後の2行目によりますと、
市町村の廃置分合とは、既存のものを消滅せしめ、若しくは之を新設しまたは分割し併合する等市町村の区域に関し、団体の存廃に影響する処分を云い、境界変更とは、市町村の存廃に何ら関係することなくして、唯其の相互の間に区域の変更を為すことを云う。
(略)
単に事実上の言葉として議論するときは、境界変更と廃置分合とは同一事実に付き、観察の方面を異にしたるに過ぎたる場合多し。
(略)
故に廃置分合は常に市町村の存廃の事実を伴い、境界変更は全く之と相関連することなし。
とあります。

市制町村制実務詳解(編:自治研究会、出版:松華堂書店、S2)11頁3行目からでも
町村の境界変更と云ふのは廃置分合の様に町村の廃止とか設置とこを伴ふことなく只単に町村の区域の境界が変更するだけの場合を云ふのであつて例へば人間が肥満したとか痩せたとかの場合である。岩手県盛岡市の区域に岩手郡厨川村の一部を編入したのがそれである。若し境界の変更と共に廃置分合を生ずる場合例へば前の(一)の例の場合はそれは境界変更ではなくて廃置分合である。
とあります。


市区町村変遷情報に記載している変更種別とは法律用語です。私も実質としては境界変更だとは思いますが、尼ヶ崎町の廃止を伴う以上、新設/市制とせざるを得ないと思います。


[102114] 右左府さん
なお、上記の例よりももっと前、明治期の事例について告示文をあたると、「市制施行地に指定し」「市制を施行す」というまた別の表現が用いられていました。
明治44年4月7日の法改正 [62504] を境に変わったものと思われますが、具体的にどういった改正があったのかまでは突き詰められておりません。
(但し、法改正直後の市制施行第1号である浜松市は改正前のものと同じ表現となっています。)
この点に関しましては、改正市制町村制釈義の61頁最終段落より記載されている通り、前法の不備です。そのため、町村制第三条第三項の規定
第一項の場合に於て市の廃置分合を伴ふときは市制第三条の規定に依る
ができました。


[102159]グリグリさん
北海道
62 1915(T4).11.1 改称 常呂郡佐呂間村 常呂郡 鐺沸村
63 1915(T4).11.1 境界変更 常呂郡常呂村 常呂郡 常呂村, 鐺沸村の一部
鐺沸村は天保郷帳では西蝦夷地蝦夷人居所之分 モンベツ持塲之内トウブツとして記載され、開拓使根室支庁第19号(M8.5.24)でトウフツ村より鐺沸村と改称され、その後内務省告示第11号(T4.3.16)で1915(T4).4.1より北海道二級村となり、1915(T4).11.1に佐呂間(さろま)村と改称されました。
この間、鐺沸村に近世村の編入はなく大字は一つのままです。佐呂間村と改称された1926(T15)年でも、現行北海道庁令規全集(改版)(編:帝国地方行政学会、出版:帝国地方行政学会、T15.6.12)によりますと大字は一つのままです。
ということで、#63の境界変更は少なくとも近世村単位ではないので、削除することになります。


あと、以下のところも変更する必要があります。
北海道
89 1920(T9).7.1 区制 釧路区 釧路郡 釧路町「の一部」
90 1920(T9).7.1 分立 釧路郡 釧路村 釧路郡 釧路町の一部

89 1920(T9).7.1 分立 釧路郡 釧路村 釧路郡 釧路町の一部
90 1920(T9).7.1 区制 釧路区 釧路郡 釧路町
へと、変更対象自治体名/変更内容も順番も変更した方が良いでしょう。
北海道庁告示第447号
釧路郡釧路町ヲ分割シ2級町村トシテ釧路村ヲ置キ大正9年7月1日ヨリ施行ス
其ノ境界左ノ如シ但シ区域図ハ関係町村役場ニ置ク
大正9年6月27日 北海道庁長官 佐上信一
釧路郡昆布森村村界ト昆布森道路トノ接合点ヨリ分水嶺ヲ西北ニ別保原野東10号南26線ニ至リ東10号ヲ北進シ別保川ニ達シ同川ヲ下リ釧路川ニ出テアシセチリ川ヲ遡リテ釧路郡鳥取村界ニ至ル
内務省告示第五十二号
明治三十年五月勅令第百五十八号北海道区制第三条ニ依リ大正九年七月一日ヨリ釧路郡釧路町ヲ釧路区ト為ス
大正九年六月二十四日 内務大臣 床次竹二郎

埼玉県
50 1932(S7).4.1 編入 北足立郡 浦和町 北足立郡 浦和町, 谷田村, 木崎村の一部
52 1932(S7).4.1 編入 北足立郡 大宮町 北足立郡 大宮町, 木崎村の一部
は番号が連続していないと誤解を招きます。

長崎県
8 1902(M35).4.1 市制 佐世保市 東彼杵郡 佐世保村
9 1902(M35).4.1 分立 東彼杵郡佐世村 東彼杵郡 佐世保村の一部
は順番変更が望ましいです。
長崎県告示第四十四号
東彼杵郡佐世保村ヲ裂キ佐世村ヲ置クノ件町村制第四条ニ依リ県参事会ニ於テ左ノ通議決シ内務大臣ノ許可ヲ受ケ来ル四月一日ヨリ施行ス
明治三十五年三月十八日 長崎県知事 荒川義太郎
一 東彼杵郡佐世保村ノ内横尾免山中免熊ヶ倉免及折橋免ノ内字山ノ田ヲ裂キ佐世村ヲ新設ス
(後略)
内務省告示第十五号
明治二十一年法律第一号市制第百二十六条ニ依リ長崎県東彼杵郡佐世保村ヲ市制施行地ニ指定シ明治三十五年四月一日ヨリ市制ヲ施行ス
明治三十五年三月十九日 内務大臣男爵 内野忠勝

10 1912(M45).4.1 分割 下県郡 豆酘村 下県郡 与良村の一部
11 1912(M45).4.1 分割/新設 下県郡 久田村 下県郡 与良村, 厳原町の一部

10 1912(M45).4.1 分割 下県郡 豆酘村 下県郡 与良村の一部
11 1912(M45).4.1 分割/新設 下県郡 久田村 下県郡 与良村「の一部」, 厳原町の一部
への変更をお願いします。これは以前の修正願いのミスです。お手数をかけてすみません。
長崎県告示第百二十四号
下県郡厳原町の内大字久田を分割し且つ同郡与良村を廃し久田村及豆酘村を置くの件沖縄県及島嶼町村制第三条に依り内務大臣の許可を得て明治四十五年四月一日より其名称区域を左の通定む
明治四十五年三月二日 長崎県知事 安藤謙介
町村名区域
厳原町(いづはらまち)桟原、宮谷、日吉、天道茂、中村、今屋敷、田淵、
大手橋、国分、久田道、厳原、南室、小浦、曲
久田村(くたむら)久田、尾浦、安神、久和、与良内院、豆酸内院、
豆酸瀬、佐須瀬、内山
豆酸村(つつむら)豆酸
[99923] 2020年 6月 20日(土)19:47:33むっくん さん
市区町村変遷情報(長野県&福井県&石川県&千葉県)
>グリグリさん

市区町村変遷情報(市制町村制施行時)M22.4.1(千葉県はM22.3.31)の訂正依頼を以下に記します。多数ですがお願いします。

長野県
16 新設/村制 南佐久郡田口村 南佐久郡 田口村, 下越村, 三分村, 常和村「の一部」
17 新設/村制 南佐久郡平賀村 南佐久郡 平賀村, 常和村「の一部」, 太田部村
常和村(微)→常和村の一部、常和村(本)→常和村の一部に変更。
参考:県令第18号742コマ743コマ
#田口村の一部となったのは常和村(清川組)、平賀村の一部となったのは常和村(清川組を除く)とあり、常和村はM9.8.2に山田村、北沢村、清川村が合併して成立した村です。

24 新設/村制 北佐久郡東長倉村 北佐久郡 長倉村「の一部」, 軽井沢村, 峠町
25 新設/村制 北佐久郡西長倉村 北佐久郡 追分村, 発地村, 長倉村「の一部」
長倉村(本)→長倉村の一部、長倉村(微)→長倉村の一部に変更。
参考:県令第18号
#東長倉村の一部となったのは長倉村(借宿・油井・鳥居原組を除く)、西長倉村の一部となったのは長倉村(借宿・油井・鳥居原組)とあり、長倉村はM9.8.2に沓掛村、借宿村、塩沢新田、油井村が合併してできた村。鳥居原組とあるのは油井村の一部。

28 新設/村制 北佐久郡三井村 北佐久郡 香坂村, 安原村, 新子田村
香坂新田を削除。
参考:県令第18号
#香坂村と香坂新田村がM9.8.2に合併して香坂村が成立。

32 新設/村制 北佐久郡中佐都村 北佐久郡 塚原村, 平塚村, 常田村, 「根々井村」
根々井村を追加。
参考:県令第18号

62 新設/村制 小県郡神科村 小県郡 古里村, 住吉村, 上野村, 上田町「の一部」
63 新設/町制 小県郡上田町 小県郡 上田町「の一部」, 常盤城村, 常入村
上田町(微)→上田町の一部、上田町(本)→上田町の一部に変更。
参考:県令第18号
#神科村の一部となったのは上田町(山口・金井・蛇沢組)、上田町の一部となったのは上田町(山口・金井・蛇沢組を除く)とあり、上田町はM9.5.に山口村、房山村、上田27町が合併して成立。

80 新設/村制 小県郡浦里村 小県郡 浦野「町」, 岡村, 仁古田村, 越戸村, 当郷
浦野村→浦野町に変更。
参考:県令第18号
#M15.10.20に浦野村から浦野町になっている。

230 新設/村制 東筑摩郡塩尻村 東筑摩郡 塩尻町村, 柿沢村, 金井村, 上西条村, 中西条村, 下西条村, 大小屋村, 長畝村, 桟敷村, 大門村, 堀ノ内村, 「筑摩村の一部」
237 新設/村制 東筑摩郡松本村 東筑摩郡 出川町村, 笹部村, 両島村, 高宮村, 並柳村, 筑摩村「の一部」
#230塩尻村に筑摩村の一部を追加、#237松本村で筑摩村(微)→筑摩村の一部に変更。
#塩尻村の一部となったのは筑摩村(庄内,埋橋,筑摩,三才,中林,小島の内田川東の部落)、松本村の一部となったのは筑摩村(鎌田,征矢野,小島の内田川西の部落)とあり、筑摩村はM8.1.23に庄内村、埋橋村、中林村、筑摩村、三才村、小島村が合併して成立した村です。
参考:県令第18号758コマ759コマ

278 新設/村制 更級郡牧郷村 更級郡 中牧村, 弘崎村, 牧田中村, 牧「野」之島村, 下市場村, 竹房村
牧之島村→牧野島村
県令第18号

319 新設/村制 上高井郡小山村 上高井郡 「小山村(本)」, 坂田村, 園里村
320 新設/町制 上高井郡須坂町 上高井郡 須坂町, 「小山村(微)」
豊丘村(本)→小山村(本)、豊丘村(微)→小山村(微)
参考:新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)117頁1行目、市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
県令第18号では後年の小山村→豊丘村が反映されてしまっています。

331 新設/村制 下高井郡日野村 下高井郡 間山村, 新野村, 更科村, 小田中村
高遠村を削除。
参考:県令第18号
#M8に新野村、高遠村が合併して新野村となった。

340 新設/村制 下高井郡木島村 下高井郡 「木島村」, 下木島村, 野坂田村, 天神堂村, 坂井村, 其綿村, 吉村, 山岸村
安田村→木島村。
参考:県令第18号
#M9に山根村、安田村、上新田村が合併して木島村となった。

348 新設/町制 上水内郡長野町 上水内郡 長野町, 南長野町, 西長野町, 鶴賀町「の一部」, 茂菅村
349 新設/村制 上水内郡芹田村 上水内郡 稲葉村, 若里村, 中御所村, 栗田村, 鶴賀町「の一部」, 川合新田村
鶴賀町(本)→鶴賀町の一部、鶴賀町(微)→鶴賀町の一部。
参考:県令第18号
#長野町の一部となったのは鶴賀町(七瀬、居町組を除く)、芹田村の一部となったのは鶴賀町(七瀬、居町組)。M9.5.30に七瀬村、問御所村、権堂村が合併して鶴賀村(M18.2.19に鶴賀町)。


福井県
33 新設/村制 坂井郡芦原村 坂井郡 二面村, 舟津村, 布目村, 「堀江」十楽村, 田中中村, 番田村, 重義村, 国影村, 井江葭村, 横垣村, 牛山村
十楽村→堀江十楽村
参考:県令第19号

41 新設/村制 坂井郡長畝村 坂井郡 宇田村, 玄女村, 千田村, 山久保村, 女形谷村, 長畝村, 三本木村, 赤坂村, 伏屋村, 田屋村, 畑中村, 与河村, 篠岡村, 里丸岡村, 猪爪村「の一部」, 小黒村, 升田村, 内田村, 曽々木村, 豊原村, 丸岡松川町「の一部」, 丸「岡」八幡町「の一部」
猪爪村(微)→猪爪村の一部、丸岡松川町(微)→丸岡松川町の一部、丸川八幡町(微)→丸岡八幡町の一部
参考:県令第19号

42 新設/町制 坂井郡丸岡町 坂井郡 丸岡富田町, 丸岡谷町, 丸岡八幡町「の一部」, 丸岡石城戸町, 丸岡巽町, 丸岡松川町「の一部」, 丸岡本町, 丸岡乾町「の一部」, 丸岡上田町, 丸岡下田町「の一部」, 丸岡霞町, 西瓜屋村「の一部」, 猪爪村「の一部」, 一本田村「の一部」, 一本田中村「の一部」, 西里丸岡村「の一部」
丸岡八幡町(本)→丸岡八幡町の一部、丸岡松川町(本)→丸岡松川町の一部、丸岡乾町(本)→丸岡乾町の一部、丸岡下田町(本)→丸岡下田町の一部、西瓜屋村(微)→西瓜屋村の一部、猪爪村(微)→猪爪村の一部、一本田村(微)→一本田村の一部、一本田中村(微)→一本田中村の一部、西里丸岡村(微)→西里丸岡村の一部
参考:県令第19号

44 新設/村制 坂井郡高椋村 坂井郡 一本田福所村, 一本田中村「の一部」, 西里丸岡村「の一部」, 一本田村「の一部」, 笹和田村, 舟寄村, 長崎村, 枯木高柳村, 吉政村, 八ツ口村, 今福村, 寅国村, 西瓜屋村「の一部」, 新間村, 儀間村, 牛ヶ島村, 長崎高瀬村, 豊原高瀬村, 四ツ柳村, 筑後清水村, 末政村, 山崎三ヶ村, 大森村, 野中山王村, 板倉村, 池為頭村, 高田村, 丸岡乾町「の一部」, 丸岡八幡町「の一部」, 丸岡下田町「の一部」
一本田中村(微)→一本田中村の一部、西里丸岡村(微)→西里丸岡村の一部、一本田村(微)→一本田村の一部、西瓜屋村(微)→西瓜屋村の一部、丸岡乾町(微)→丸岡乾町の一部、丸岡八幡町(微)→丸岡八幡町の一部、丸岡下田町(微)→丸岡下田町の一部
参考:県令第19号

100 新設/村制 今立郡北新庄村 今立郡 杉崎村, 下真柄村, 北村, 「西」樫尾村, 戸谷村, 三ツ屋村, 長尾村, 中新庄村
樫尾村→西樫尾村
参考:県令第19号

126 新設/村制 丹生郡四「箇」浦村 丹生郡 梅浦村, 宿浦, 新保浦, 小樟浦, 大樟浦
四ヶ浦村→四箇浦村
参考:県令第19号
消滅時のM40.8.1も官報第七二二六号(明治四十年七月三十一日)によりますと、
○村合併並役場位置
来る八月一日より丹生郡四箇浦村及上岬村を合併して四箇浦村を置き役場位置を丹生郡四箇浦村大字宿第一号八番地に、三方郡田井村及西浦村を合併して西田村を置き役場位置を三方郡西田村大字田井第九十三号四番地に定む
明治四十年七月 福井県
とあり、成立時より消滅時まで四ヶ浦村ではなくて四箇浦村でした。

154 新設/村制 遠敷郡雲浜村 遠敷郡 西津村, 竹原村, 上竹原村「の一部」
上竹原村(本)→上竹原村の一部
参考:県令第19号

155 新設/村制 遠敷郡西津村 遠敷郡 湊村「の一部」, 堀屋敷村, 北塩屋村, 福谷村, 新小松原村, 下竹原村, 小松原村
湊村(本)→湊村の一部
参考:県令第19号

164 新設/村制 遠敷郡国富村 遠敷郡 太良庄村, 高塚村, 栗田村, 次吉村, 羽賀村, 奈胡村, 熊野村, 上竹原村「の一部」, 湊村「の一部」
上竹原村(微)→上竹原村の一部、湊村(微)→湊村の一部
参考:県令第19号

172 新設/村制 大飯郡青郷村 大飯郡 上津村, 六路谷村, 蒜畠村, 今寺村, 高野村, 中山村, 高屋村, 小和田村, 関屋村, 横津海村, 青村, 日置村, 東三松村, 西三松村
広野村を削除。
参考:県令第19号
#角川地名辞典ではM5に広野村は高野村に合併とあります。


石川県
82 新設/村制 石川郡郷村 石川郡 堀内村, 田尻村, 蓮花寺村, 専福寺村, 柳町村, 徳用村, 田中村, 番匠「垣」内村, 三日市村, 二日市村, 横江村, 長池村
番匠河内村→番匠垣内村
参考:県令第23号

107 新設/村制 石川郡戸板村 石川郡 大豆田村, 二口村, 北村, 若宮出村, 二ツ屋村, 「二口六丁」, 薬師堂村, 若宮村, 淵上村, 桜田村, 示野中村, 示野村, 北広岡村, 南広岡村, 長田村, 西念新保村, 中村(微), 増泉村(微)
二口六丁村→二口六丁
参考:県令第23号

193 新設/村制 鹿島郡鳥屋村 鹿島郡 良川村, 一青村, 黒氏村, 新庄村, 春木村, 川田村, 大槻村, 末坂村, 羽坂村, 今羽坂村, 廿九日村
深沢村を削除。
参考:県令第23号

232 新設/村制 鳳至郡南志見村 鳳至郡 里村, 小田屋村, 白米村, 野田村, 名舟村, 尊利地村, 忍村, 西山村, 西「院」内村, 東印内村, 東山村, 渋田村
西印内村→西院内村
参考:県令第23号

236 新設/村制 鳳至郡柳田村 鳳至郡 鴨川村, 国光村, 石井村, 柳田村, 桐「畠」村, 笹川村, 長尾村, 鈴ヶ嶺村, 小間生村
桐畑村→桐畠村
参考:県令第23号

256 新設/村制 珠洲郡小木村 珠洲郡 小木村, 市「ノ」瀬村, 越坂村
市之瀬村→市ノ瀬村
参考:県令第23号


千葉県
23 新設 市原郡八幡町 市原郡 八幡宿「(本)」, 五所金杉村, 山木村, 君塚村(微)
八幡宿→八幡宿(本)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年145コマ)

57 新設 東葛飾郡高木村 東葛飾郡 金ヶ作村, 八ヶ崎村, 中和倉村(本), 「初富村(微)」, 千駄堀村, 日暮村, 栗ヶ沢村, 五香六実村
初富村(微)を追加。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年148コマ)

64 新設 東葛飾郡田中村 東葛飾郡 若柴村, 花野井村, 大室村, 正蓮寺村, 小青田村, 船戸村, 大青田村(本), 青田新田(微), 下三ヶ尾村「(微)」, 上三ヶ尾村「(微)」, 西三ヶ尾村「(微)」
下三ヶ尾村→下三ヶ尾村(微)、上三ヶ尾村→上三ヶ尾村(微)、西三ヶ尾村→西三ヶ尾村(微)
#67との関係より
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年149コマ)

95 郡変更/新設 印旛郡大杜村 印旛郡 大森村, 鹿黒村, 発作村, 亀成村, 南相馬郡 浅間前新田(微), 相「島」新田(微)
相馬新田(微)→相島新田(微)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年151コマ)

99 新設 印旛郡本郷村 印旛郡 龍「服」寺村, 笠神村, 中根村, 滝村, 物木村, 荒野村, 角田村, 惣深新田(微)
龍福寺村→龍服寺村
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年151コマ)

108 郡変更/新設 南相馬郡布佐町 南相馬郡 布佐町, 江蔵地村, 布佐下新田, 浅間前新田(本), 大作新田, 相「島」新田(本), 三河屋新田
印旛郡を削除、相馬新田(本)→相島新田(本)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年152コマ)

117 新設 長柄郡一松村 長柄郡 一ツ松村「(微)」, 幸治村(微)
一ツ松村→一ツ松村(微)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年152コマ)

144 郡変更/新設 山辺郡土気本郷町 山辺郡 土気町「(本)」, 大椎村, 大木戸村, 小山村, 越智村, 高津戸村, 上大和田村, 下大和田村, 小食土村, 千葉郡 平川村(微), 市原郡 板倉村(微)
土気町→土気町(本)
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年154コマ)

234 新設 匝瑳郡福岡町 匝瑳郡 八日市場村, 富谷村, 籠部田村, 米倉村, 下富谷村
籠部田村が二か所書かれているので一か所を消去。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年160コマ)

278 新設 天羽郡環村 天羽郡 中郷村, 寺尾村, 恩田村, 東大和田村, 田倉村, 高溝村, 宇藤原村, 大森村, 六野村, 田原村, 小志駒村
押切村を削除。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年164コマ)
#県甲第58号布達(M10.4.24)で上総国天羽郡六野村、押切村→六野村の合併が為された。

292 新設 夷隅郡上瀑村 夷隅郡 横山村(本), 大多喜久保町(微), 「大多喜猿稲町(微)」, 小土呂村, 下大多喜村
大多喜猿稲町(微)を追加。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年165コマ)

331 新設 朝夷郡健田村 朝夷郡 川戸村, 瀬戸村, 大貫村, 宇田村, 牧田村, 「北朝夷村(微)」
北朝夷村(微)を追加。
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年167コマ)

332 新設 朝夷郡千歳村 朝夷郡 白子村, 川合村, 「峯」村, 安馬谷村, 久保村
峰村→峯村
参考:県令第18号(菜の花ライブラリー>千葉県報>明治22年>明治22年167コマ)
[99903] 2020年 6月 12日(金)01:21:26むっくん さん
市区町村変遷情報(三重県&新潟県)
[99891]グリグリさん
------------------------
#113 1889(M22).4.1 新設/町制 安濃郡新町 安濃郡 古賀村, 刑部村, 「古賀村刑部村ノ内 八町 」, 神納村, 南河路村
参考:三重県統計書(明治19年)(著・発行:三重県庁, M20.11.15)、三重県令第13号(PDF)(M22.3.1)9コマ
------------------------
「古賀村」は「古河村」が正しいと思いますが、いかがでしょうか。
これは私の記載ミスです。失礼しました。


これだけでは何ですので、新潟県(市制町村制施行時)M22.4.1の訂正依頼を以下に記します。

1 新設/市制 新潟市 新潟区, 新潟区 上大川前通一番町, 上大川前通二番町, 上大川前通三番町, 上大川前通四番町, 上大川前通五番町, 上大川前通六番町, 上大川前通七番町, 上大川前通八番町, 上大川前通九番町, 上大川前通十番町, 上大川前通十一番町, 上大川前通十二番町, 本町通一番町, 本町通二番町, 本町通三番町, 本町通四番町, 本町通五番町, 本町通六番町, 本町通七番町, 本町通八番町, 本町通九番町, 本町通十番町, 本町通十一番町, 本町通十二番町, 本町通十三番町, 本町通十四番町, 東堀前通一番町, 東堀前通二番町, 東堀前通三番町, 東堀前通四番町, 東堀前通五番町, 東堀前通六番町, 東堀前通七番町, 東堀前通八番町, 東堀前通九番町, 東堀前通十番町, 東堀前通十一番町, 東堀通一番町, 東堀通二番町, 東堀通三番町, 東堀通四番町, 東堀通五番町, 東堀通六番町, 東堀通七番町, 東堀通八番町, 東堀通九番町, 東堀通十番町, 東堀通十一番町, 東堀通十二番町, 東堀通十三番町, 古町通一番町, 古町通二番町, 古町通三番町, 古町通四番町, 古町通五番町, 古町通六番町, 古町通七番町, 古町通八番町, 古町通九番町, 古町通十番町, 古町通十一番町, 古町通十二番町, 古町通十三番町, 西堀前通一番町, 西堀前通二番町, 西堀前通三番町, 西堀前通四番町, 西堀前通五番町, 西堀前通六番町, 西堀前通七番町, 西堀前通八番町, 西堀前通九番町, 西堀前通十番町, 西堀前通十一番町, 西堀通一番町, 西堀通二番町, 西堀通三番町, 西堀通四番町, 西堀通五番町, 西堀通六番町, 西堀通七番町, 西堀通八番町, 西堀通九番町, 西堀通十番町, 西堀通十一番町, 学校町通一番町, 学校町通二番町, 学校裏町, 医学町通一番町, 医学町通二番町, 寺裏通一番町, 寺裏通二番町, 南横堀町, 東中通一番町, 東中通二番町, 旭町通一番町, 旭町通二番町, 下旭町, 西中町, 営所通一番町, 営所通二番町, 南大畑町, 北大畑町, 西大畑町, 東大畑通一番町, 東大畑通二番町, 中大畑町, 南浜通一番町, 南浜通二番町, 北浜通一番町, 北浜通二番町, 田中町, 曙町, 四ツ屋町一丁目, 四ツ屋町二丁目, 四ツ屋町三丁目, 烏帽子町, 寄付町, 翁町一丁目, 翁町二丁目, 夕栄町, 横七番町通一丁目, 横七番町通二丁目, 横七番町通三丁目, 横七番町通四丁目, 横七番町通五丁目, 東受地町, 西受地町, 寄合町, 菅根町, 栄町一丁目, 栄町二丁目, 栄町三丁目, 寿町一丁目, 寿町二丁目, 浮洲町, 元祝町, 祝町, 寺山町, 下大川前通一ノ町, 下大川前通二ノ町, 下大川前通三ノ町, 下大川前通四ノ町, 下大川前通五ノ町, 下大川前通六ノ町, 下大川前通七ノ町, 礎町通上一ノ町, 礎町通一ノ町, 礎町通二ノ町, 礎町通三ノ町, 礎町通四ノ町, 礎町通五ノ町, 礎町通六ノ町, 花町, 月町, 雪町, 新島町通一ノ町, 新島町通二ノ町, 新島町通三ノ町, 新島町通四ノ町, 新島町通五ノ町, 秣川岸通一ノ町, 秣川岸通二ノ町, 東厩島町, 西厩島町, 南多門町, 北多門町, 住吉町, 並木町, 相生町, 芳町, 南毘沙門町, 北毘沙門町, 船場町一丁目, 船場町二丁目, 魁町, 緑町, 豊照町, 東湊町通一ノ町, 東湊町通二ノ町, 東湊町通三ノ町, 東湊町通四ノ町, 湊町通一ノ町, 湊町通二ノ町, 湊町通三ノ町, 湊町通四ノ町, 赤坂町一ノ町, 赤坂町二ノ町, 赤坂町三ノ町, 見片町, 浮洲町, 稲荷町, 田町一丁目, 田町二丁目, 田町三丁目, 本間町一丁目, 本間町二丁目, 本間町三丁目, 早川町一丁目, 早川町二丁目, 早川町三丁目, 西湊町通一ノ町, 西湊町通二ノ町, 西湊町通三ノ町, 西湊町通四ノ町, 入船町一丁目, 入船町二丁目, 入船町三丁目, 入船町四丁目, 入船町五丁目, 入船町六丁目, 松岡町, 窪田町, 忠蔵町, 船見町一町目, 船見町二町目, 西船見町, 室町一丁目, 室町二丁目, 海辺町一番町, 海辺町二番町, 附船町一丁目, 附船町二丁目, 附船町三丁目, 寄居町, 艀川岸町, 元下島町, 山田町一丁目, 山田町二丁目, 東入船町, 横一番町, 一番堀通町, 横六番町, 西蒲原郡 関「屋」村古新田
横七番町通六丁目, 横七番町通七丁目を消去。
関「谷」村古新田→関「屋」村古新田に変更。
参考:県令甲第22号
#M20.12.26に「横七番町通一丁目」, 「横七番町通二丁目」が消滅して
「横七番町通三丁目」→「横七番町通一丁目」
「横七番町通四丁目」→「横七番町通二丁目」
「横七番町通五丁目」→「横七番町通三丁目」
「横七番町通六丁目」→「横七番町通四丁目」
「横七番町通七丁目」→「横七番町通五丁目」
となりました。
#これは新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では反映されていませんが、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)や、市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では反映されています。

12 新設/村制 北蒲原郡出湯村 北蒲原郡 出湯村, 今板村, 大宮新田, 勝屋村, 上一分村, 下一分村, 堤新村新田, 小栗山新村新田, 折居村, 上西「山」新村新田, 沢口新村新田, 湯沢新村新田, 女堂村
上西野新村新田→上西山新村新田に変更。
参考:県令甲第22号

13 新設/村制 北蒲原郡天神塚村 北蒲原郡 天神堂村, 泉新村新田, 千原新村新田, 下福岡村, 「沖館」村, 船居村, 荻島新村新田, 榎船渡村, 本明新村新田, 島田新村, 沖村, 高田村の一部, 「榎」, 上高田村, 上飯塚村
沖ノ館村→沖館村に変更し、榎を追加。
参考:県令甲第22号
地方行政区画便覧では高田村の一部(227頁右から6行目), 榎(227頁右から7行目)とあります。「沖ノ館」村となっているのは地方行政区画便覧(227頁右から8行目)のみで、天保郷帳などでは沖舘村となっています。

79 新設/村制 中蒲原郡松島村 中蒲原郡 津島屋村, 松崎村, 河渡新田, 海老ヶ瀬村, 逢谷内「新田」, 寺山新田, 山下新田(本)
逢谷内村→逢谷内新田に変更。
参考:県令甲第22号

116 新設/村制 中蒲原郡小梅村 中蒲原郡 小戸新田の一部, 「子成場村」, 梅之木村, 出戸村, 四ツ興野村, 蕨曽根新田
子成場村を追加。
参考:県令甲第22号
地方行政区画便覧234頁右から4行目にも「子成場村」はあります。

119 新設/町制 中蒲原郡白根町 中蒲原郡 白根町, 「上諏訪木」, 「下諏訪木」, 能登村, 助次右衛門組
上諏訪木村→上諏訪木、下諏訪木村→下諏訪木に変更。
参考:県令甲第22号
地方行政区画便覧233頁左から6,7行目でも上諏訪木, 下諏訪木となっています。

180 新設/村制 西蒲原郡三針村 西蒲原郡 針ヶ曽根村, 三ツ門新「村」
三ツ門新田→三ツ門新村に変更。
参考:県令甲第22号

188 新設/村制 西蒲原郡弥彦村 西蒲原郡 「上」泉村, 弥彦村, 走出村, 井田村, 山岸村
泉村→上泉村に変更。
参考:県令甲第22号

250 新設/村制 南蒲原郡福多村 南蒲原郡 猪子場新田, 一ツ屋敷新田, 若宮新田, 東光寺村, 新堀村, 福島新田「村」
福島新田→福島新田村に変更。
参考:県令甲第22号
#M15.11.30に福島新田, 大和田村→福島新田村、M19.3.12に福島新田村, 東高山新田→福島新田村の合併が為されました。

254 新設/村制 南蒲原郡坂井村 南蒲原郡 「上」坂井村, 坂井新田, 田之尻村, 釈迦塚新田
坂井村→上坂井村に変更。
参考:県令甲第22号

262 新設/村制 南蒲原郡中之島村 南蒲原郡 中ノ島村, 灰島新田, 中興野, 猫興野, 野口村, 真弓村
野口新田を消去。
参考:県令甲第22号
#M19.4.21に野口村, 野口新田→野口村の合併が為されました。

266 新設/村制 南蒲原郡信条村 南蒲原郡 真野代新田, 中条新田, 下沼新田, 西野「村」
西田新田→西野村に変更。
参考:県令甲第22号
#M19に西田新田→西野村と改称

270 新設/村制 南蒲原郡大浦村 南蒲原郡 上大浦村, 下大浦村, 「馬場村」
馬場村を追加。
参考:県令甲第22号

283 新設/村制 東蒲原郡東川村 東蒲原郡 東山村, 三方村, 小手茂村, 七名村, 三宝分村, 「大倉村」
大倉村を追加。
参考:県令甲第22号

285 新設/村制 東蒲原郡揚川村 東蒲原郡 「西」村, 谷花村, 清川村
白西村→西村に変更。
参考:県令甲第22号

303 新設/村制 三島郡王寺川村 三島郡 王番田村, 河根川村, 「古志郡」 寺宝村, 能下古新田
古志郡を追加。
参考:県令甲第22号

338 新設/町制 古志郡草生津町 古志郡 草生津「村」, 古川村, 麻野村, 久七村, 中島町, 寺島村(微)
草生津町→草生津村に変更。
参考:県令甲第22号
#M20.1.29に草生津村, 赤川村→草生津村の合併が為されました。

347 新設/村制 古志郡川西村 古志郡 小沢村, 寺島村(本), 蓮潟村, 鼠島村, 宮関村, 下柳村, 荻野村, 藤沢村, 三ツ郷屋村, 田屋村, 槇山村所右衛門五兵衛組「の一部」
349 新設/村制 古志郡四箇村 古志郡 槇下村, 槇山村, 巻島村, 槇山村所右衛門五兵衛組「の一部」
槇山村所右衛門五兵衛組(微)→槇山村所右衛門五兵衛組の一部に変更(#347#349の二か所とも)。
参考:県令甲第22号
地方行政区画便覧250頁右から7行目にも「槇山村所右衛門五兵衛組」が一つの村としてあります。

480 新設/村制 中魚沼郡川治村 中魚沼郡 川治村, 北新「田」, 高山村(微)
北新村→北新田に変更。
参考:県令甲第22号

577 新設/村制 東頸城郡末広村 東頸城郡 印内村, 「大蒲生田村」, 山印内新田, 飯室村, 石神村, 石神新田, 塔ヶ崎村, 猿俣村, 石神古川新田, 大印内新田, 飯室新田, 横川新田, 山本村, 今熊村
大蒲生田村を消去。
参考:県令甲第22号
#大蒲生田村は#617中頸城郡明治村の一部となると記載済みです。

585 新設/村制 東頸城郡布川村 東頸城郡 東川村, 藤倉村, 中尾村, 上鰕池村, 下鰕池村, 坪野村, 五十子平村, 赤倉村, 東山村「の一部」
587 新設/村制 東頸城郡伊沢村 東頸城郡 犬伏村, 孟地村, 片桐山村, 滝沢村, 中子村, 苧島村, 海老村, 東山村「の一部」
東山村(微)→東山村の一部に変更(#585#587の二か所とも)。
参考:県令甲第22号
#東山村はM15.4.22に坂下村→坂下村, 東山村の分割で成立しました。

591 新設/村制 東頸城郡大島村 東頸城郡 大島村, 「棚」岡村, 中野村
楯岡村→棚岡村に変更。
参考:県令甲第22号

622 新設/村制 中頸城郡上吉川村 中頸城郡 「東田中村」, 「河沢村」, 「道之下村」, 「長坂村」, 「福平村」, 「国田村」, 「岩沢村」, 「大賀村」, 「山直海村」, 「入河沢村」, 山中村, 米山村
東田中村, 河沢村, 道之下村, 長坂村, 福平村, 国田村, 岩沢村, 大賀村, 山直海村, 入河沢村を追加。
参考:県令甲第22号

626 新設/村制 中頸城郡高城村 中頸城郡 高田外馬塚町, 高田内馬塚町, 高田蓮池横町, 高田鷹部屋町, 高田紀伊国仲町, 高田紀伊国町, 高田南出丸町, 高田北出丸町, 高田馬場先町, 高田南会所町, 高田枡形町, 高田尾張町, 高田木築町, 高田作事町, 高田西会所町, 高田岡島町, 高田西会所通町, 高田川原町, 高田四ノ辻通町, 高田主水町, 高田裏川原町, 高田表川原町, 高田六軒町, 高田新川原町, 高田中中殿町, 高田中殿町通町, 高田新中殿町, 高田中殿町, 高田南土橋町, 高田新土橋町, 高田馬出町, 高田市ノ橋町, 高田東二ノ辻町, 高田西二ノ辻町, 高田三ノ辻町, 高田四ノ辻町, 高田新四ノ辻町, 高田幸橋町, 高田南五ノ辻町, 高田北五ノ辻町, 高田六ノ辻町, 高田五分一一町, 高田五分一二町, 高田五分一三町, 高田五分一四町, 高田五分一五町, 高田五分一六町, 字高田城, 高土村(微), 「馬塚」新田
高田馬塚新田→馬塚新田に変更。
参考:県令甲第22号

633 新設/村制 中頸城郡原通村 中頸城郡 小原新田, 大原新田村, 北田屋新田, 坂下新田村, 寺尾村, 今府村, 窪田新田, 西田屋新田村, 中原新田, 大沢新田村, 上大塚新田, 中島新田村, 東田屋新田村, 橋本新田, 岡新田村, 田中村新田, 米島新田, 花房村, 東福田新田村, 東四ツ屋新田, 葎生村, 「上中村新田村」, 「坂口新田」
上中村新田村, 坂口新田を追加。
参考:県令甲第22号

706 新設/村制 西頸城郡上根知村 西頸城郡 大久保村, 梶山村, 別所村, 大神堂村, 山寺村, 山口村, 上横村, 「和泉村(微)」
和泉村(微)を追加。
参考:県令甲第22号

735 新設/町制 岩船郡瀬波町 岩船郡 瀬波町, 羽下ヶ淵村, 「下渡村」, 「浜新田村」, 「松山村」
下渡村, 浜新田村, 松山村を追加。
参考:県令甲第22号

740 新設/村制 岩船郡新屋村 岩船郡 新屋村, 堀野村, 上中島村, 石住村, 中「新」保村, 石栗新田, 岩崩村, 茎太村, 三面村
中神保村→中新保村に変更。
参考:県令甲第22号

750 新設/村制 岩船郡下海府村 岩船郡 「浜」新保村, 桑川村, 笹川村, 板貝村, 今川村, 脇川村, 寒川村, 越沢村, 芦谷村
新保村→浜新保村に変更。
参考:県令甲第22号
#M9の時点で既に浜新保村と改称しています。

799 町制 加茂郡湊町 加茂郡 湊「町」
湊村→湊町に変更。
参考:県令甲第22号

以上、多数になりましたがよろしくお願いします。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示