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Issieさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[81722]2012年8月28日
Issie
[81717]2012年8月28日
Issie
[81710]2012年8月27日
Issie
[81693]2012年8月25日
Issie
[81692]2012年8月25日
Issie

[81722] 2012年 8月 28日(火)21:57:15Issie さん
分断された郡
[81720] 白桃 さん
それはともかく、この海部(あま)郡ですが、むじながいりさんのパラパラ地図をご覧いただければおわかりになると思いますが、当初、名草郡によって3つのブロックに分断されております。

「海部郡」という郡は,紀州のほかにも尾張(愛知県)や阿波(徳島県),豊後(大分県),さらに異表記の「海士郡」という形で隠岐(島根県)にもありました。ただし,尾張の海部郡は中世に分割されて大正に再統合されるまで「海西郡/海東郡」に分かれ,さらに海西郡は木曽川の流路の変化による濃尾国境の移動によって美濃にもまたがり,こちらは明治後期の郡の統合により岐阜県の「海津郡」の一部になりました(「津」は統合相手の“下石津郡”)。
漢字表記が表すように,海での活動を生業とする集団である「あま部」に由来する郡で,だから全部が海のそば。
紀州の海部郡の場合,名草郡との境界のラインは古代からは少なからず変わっているだろうし,紀の川の河口デルタや和歌浦あたりの地形もかなり変わっていて,沿岸に点在する海部郡郡の領域の“陸地”からの隔絶性は今よりも高かったかもしれません。あるいは,後に名草郡の領域が陸地から拡大してきてそうなったのかもしれませんが,やはり「海人集団の郡」ではあるのでしょうね。

このような郡の分断例は結構珍しいのではないでしょうか?

珍しくはありますが,“2分割”であるならほかにもいくつか例がありました。
たとえば,「海津郡」を経て今は「海津市」の一部になっている前出の「下石津郡」。当然,“上”があるわけで,1878年の郡区町村編制法によって「上石津郡」と分割されるまでは両者合わせて「石津郡」でした。上石津郡に相当する区域は大垣市に編入された2006年まで丸ごと「上石津町」でしたが,下石津郡 とは隣接しておらず,間に 多芸郡 がはさまっていました。海西郡+下石津郡 で「海津郡」ができたとき,上石津郡はその多芸郡の大部分と合わされて「養老郡」となりました。

間に別の郡がはさまって分断された分かりやすい例が,武蔵(埼玉県)の 入間郡。ここでたびたび話題になるように,奈良時代の初めに朝鮮半島からの渡来民とされる人々を入植させた「高麗郡」が入間郡内に設けられて,その高麗郡が間に割り込んだせいで入間郡は2つの領域に分断されました。この状態が解消されるのは,高麗郡が入間郡に編入された明治半ばのことです。
※地図をよく見ると,両入間郡はその付け根部分で蝶番のようにわずかにつながっていなくもないのですが,現実にはほぼ無視してよいでしょう。

伊豆(静岡県)の北西隅にあった「君沢(きみさわ/くんたく)郡」も2つ領域に分かれていました。
三島市の大部分と,旧伊豆長岡町(現伊豆の国市),旧修善寺町西半(現伊豆市)と沼津市の内浦地区から旧戸田村,そして伊豆市の旧土肥町にかけての区域。間にはさまる函南町(田方郡)で分断されています。ちなみに,函南町のうち狩野川左岸の 日守地区 のみは 駿河国駿東郡 からの編入です。
実は 君沢郡 という郡は古代には無く,近世初頭までに田方郡から分割された郡であるようで,わざわざこの形にしたのには何か面白い話があるのかもしれません。

安芸(広島県)の「豊田郡」も2つの区域に分断されていました。
広島県では1956年に 豊田郡 と 賀茂郡 の町村の間で所属の交換を行い,以降は 豊田郡 が島の部分も含む沿岸部,賀茂郡 が内陸部の呼称となりましたが,それまでは 豊田郡 は内陸部も含めて東側の沼田川流域,賀茂郡 が 竹原 以西の沿岸部・島も含めた黒瀬川流域までの区域を領域としていました。
この「賀茂郡領域」の中で,現在の竹原市南西端の 吉名地区 と,それに隣接する東広島市(旧安芸津町)南東端の 木谷地区 だけが豊田郡に属していました。一見,この部分が“豊田郡の飛び地”であるようにも見えます。ただしもう少し広く見ると,この“飛び地”部分の対岸の 大崎上島・下島 および 豊島 も豊田郡で,そうして見ると逆に 竹原周辺 が「豊田郡領域」に割り込んでいるようにも見えます。ちなみに,上・下蒲刈島 は元は賀茂郡の島。

まだほかにもあるかもしれませんが,とりあえずはこれだけ。
ただ,確かに3つに分割される紀州の海部郡は珍しい例でしょうね。
[81717] 2012年 8月 28日(火)01:52:16【1】Issie さん
播磨と飾磨
[81713] グリグリ さん
飾磨という郡名そのものは、播磨国の「磨」との関連があるのでしょうか。

ちょっと調べてみたのですが,とりあえず「磨」という漢字自体にはあまり意味がないように思います。

「はりま」については,6世紀以前に「国造」が配置された段階では「針間国造」,あるいはそれから分かれたとされる「針間鴨国造」というのが見られ,つまり早い段階では「針間」という表記が行われていたようです。「針間国造」や「針間鴨国造」の“縄張り”は今の播州平野のあたりなんでしょうが,それぞれがどの領域に当たるか,今ここでは確認できません。
(※「鴨」というのは後の「加西郡/加東郡」のもとになった「賀茂郡」のことなんでしょうね。そうすると「針間鴨」の方が東播地方で,「針間」の方が西播地方ということになるのでしょうか。)

一方「しかま」の方は,たとえば“いわゆる大化の改新”期に全国に「評(こおり)」が編成されたときには「志加麻評」という表記が行われていたようです。「しかま」という地名自体は播磨以外にもわりと多く分布していて,たとえば「色麻」なんて表記も行われていますよね。
「播磨」「飾磨」という表記に固定されてくるのは律令による国郡の編成が進んでいく過程のことであるようで,たとえば「多磨郡」という表記もあり得るように(よく見かけるのは「多麻」「多摩」という表記ですが),ここでは単純に「ま」という音にあてた漢字,いわゆる“万葉仮名”の一つと見た方がいいように思います。

あるいは漢字による表記以前に“語源論”的なレベルで「ま」という音自体に何らかの意味がある,という分析をすることが可能かもしれませんが,そこまでさかのぼると最早「播磨/飾磨」という枠を超えたもっと根源的な議論になってしまいそうです。
さしあたり,「播磨の一部という意味合い」を読み取るのはかなり飛躍しすぎかな,と考えます。

参考までに,こんなページ がありました。ここでは日本書紀や風土記にかなり忠実に播磨・飾磨の古代について説明しています。
[81710] 2012年 8月 27日(月)19:59:18Issie さん
択捉焼山
先ほどNHKの「7時のニュース」でやっていたのですが,択捉島の「択捉焼山」という火山がやや大きめの噴火をしているのだとか。
たとえば ここの記事 によれば今月の15日に噴火が始まったことが,17日には伝えられていたようですね。しかし,私は先ほどのニュースまで気がつかなかった。
「わが国の領土」でありながら,やはりこちら方面の情報が入りにくいのは致し方ないところでしょうか。とりあえずググってみても,初めの方でヒットしたのはここにリンクをするのが憚られるようなページばかり。かなりめくって,やっと時事通信の記事にたどり着いた次第です。

でも,「択捉焼山」って聞いたことがない。「単冠山」(←やっぱり一遍には変換されません。戦記物に詳しいIMEなら一発?)とか,「散布山」なんて山なら聞いたことがあるような,ないような…。国後島の「爺爺岳」はよく聞く名前ですが。
そこで地図を見てみる…。
改めて見ると,択捉島は特に,一列に並んだ火山の複合体なのですね。細長い島の北から南まで点々とそびえ立つ山のほとんどが火山であるらしい。そのたくさんの火山の中から最初は「焼山」という字を見つけることができませんでした。何回か島の上を往復して,やっと真ん中へんの「小田萌山」を中心とする山の塊の中に見つけました。
現実にはほとんど意味のない地名呼称ですが,島の中部を占める「択捉郡留別村」に属するようです。

参考までに 気象庁のページ も。こちらでは今回の噴火はまだカウントしていないようです。ちなみに,ロシア名は「イワン雷帝山」というそうで…。
※島の名前は「イトゥルップ島」。ほぼ日本語と同じ名前だけど,これをもっとロシアっぽい名前にするなんて話が最近あったけど,どうなるのだか。
[81693] 2012年 8月 25日(土)21:29:21【2】Issie さん
狸の××
[81692]
…というわけで,アップし直し。


[81674] 白桃 さん
下関といえば、
♪お萩がお嫁にいくときにゃ・・・
という「リパブリック賛歌」の替え歌を思い出しました。

[81690] hmt さん
でも、私は ♪お萩がお嫁に…という替え歌の「存在」を知りませんでした。

そうですね。私も知りません。
地域に加えて世代の違いもあるかもしれません。

権兵衛さんの赤ちゃんが…、
一人一人が腕組めば(阪田寛夫作詞『ともだち讃歌』)、

これは小学校で教わりました。俗謡的な「おたまじゃくし」に対して,“学校公認”というところでしょうか。

学校で教えてくれなかったけどいつの間にか子どもたちの間で教わっていたのが,「狸の××」の歌。近年,池袋からヨドバシカメラの牙城に進出して競争著しいビックカメラがCMソングに使っているやつですね。
これはプロテスタント系のキリスト教会が持ち込んだ讃美歌が元歌なのだそうですが,間に昭和初期の流行歌である「タバコ屋の娘」(作詞・薗ひさし、作曲・鈴木静一。ただし,「薗ひさし」というのは 鈴木静一 の別ペンネームなので,実は作詞・作曲は同一人物らしい)がクッションとしてはさまっているかもしれません。

「権兵衛さんの赤ちゃん」は今ここで話題の「リパブリック讃歌」バージョンとは別に,「烏の赤ちゃん」に変わっていますがほぼ同じ内容の歌詞に“+α”部分を加えて「パイノパイノパイ」(東京節)の節で歌うバージョンもあって,男声合唱曲に編曲されてグリークラブなんかが歌っています。
私たちの世代ではドリフターズが「バイノバイノバイ」と歌っていた(←よく聞いてみると“半濁音”ではなく“濁音”に変わっている)のが記憶にあるのですが,「パイノパイノパイ」は大正期の流行歌。すでに東京駅が開業して「東京の中枢は丸の内」になっている一方,浅草には「十二階」がある(=つまり,関東大震災前),というわけで年代が割と絞られそうな歌です。元歌は開国後わりと早い時期にアメリカから持ち込まれた「ジョージア・マーチ」という軍歌で,これも南北戦争がらみ。

南北戦争はアメリカ国内だけで終結せずに,そこで使用された兵器の中古品が大量に輸入されてそれが幕長戦争から戊辰戦争で使用されたというのはよく指摘されることですが,南北戦争の頃にアメリカで流行して輸入された歌が日本人にとって初めての「洋楽」だったからか,讃美歌のように格調の高い歌から「狸の××」のように学校で教えてくれないくらい下品なものまで(私も含めて,小学生は「下品」なものが大好きです),

孔子や孟子が酒飲んで

のような軍歌・学生歌(これは軍歌に詳しい同僚に教えてもらいました)から,果てはいわゆる“春歌”(「下関」はこのジャンルに入るでしょうかね)まで,さまざまな替え歌の素材を提供してくれました。
※ちなみに,「下関」に類するような歌,私も学生時代にいろいろ教えてもらいましたが,今の学生さんはどうなんでしょうね。「セクハラ」と言われれば,それまでなんでしょうが。

【追記】改めて歌詞を見に行ったら,どうも考え過ぎていたみたいですね。「下関」はどちらかというと,“大人の男性の歌”というより「狸の××」に近い“子どもの歌”でしょうか。
…ま,そんなとこで。

そんな南北戦争の時代に生まれた歌の一つに "Tramp, Tramp, Tramp" という歌があります。
私は学生時代にエスペラントを教わったのですが,その時に教えてもらった歌の一つに "La fluanta tajdo"(潮の流れは)という歌がありました。今船出をしようとする若者たちに「潮の流れは君たちにある」と言ってこれからの航海の幸福を祝う内容でエスペラントの歌詞がつけられていて,その調子の良さと歌詞の内容が気に入って好きになった歌の一つでした。その当時,私はエスペラント・オリジナルの歌と思っていたのですが,ある年末,新宿の地下街で救世軍の楽隊がこの歌を演奏しているので驚いてしまいました。キリスト教関連の歌なのかな,その時はそう思っていました。けれども,なかなかその“原曲”に出会えずにいました。
ところがある日,ネット上をさまよっていくうちに,これと同じ曲に出会いました。それは 北海道大学の校歌
北大の歌といえば恵迪寮の「都ぞ弥生」が有名でそれは私も知っていましたが,この“校歌”は知りませんでした。私たちの仲間に北大の学生がいればエスペラントの歌と一緒に教えてもらえたのでしょうが,東大や京大,東北大,そして弘前大までは仲間にいても残念ながら北大の学生はおらず,以後四半世紀,この歌の別バージョンを知る機会が得られませんでした。
その意味で,やっぱりネットは便利です。
元歌の "Tramp, Tramp, Tramp" というのは兵士たちの足音の擬音で,南軍に捕えられた北軍の少年兵が友軍によって救出されるのを待っている心情を歌ったものなのだそうです。それが(たぶん,いろいろなクッションを通過して)明治期の日本に持ち込まれて札幌農学校,そして北大の校歌になったのですね。
この歌は日本とは別にアイルランドに持ち込まれて“準国歌”の地位を得ました。"God Save Ireland"(神よ,アイルランドを護らせたまえ)という歌。「イングランド」の“国歌”と似たようなタイトルですが,これはイングランド,つまりは“連合王国”からの独立を唱えて“反乱”を起こした首謀者たちが処刑される直前に叫んだ言葉なのだそうです(…ということを,この歌は歌っています)。
独立後のアイルランドではもう少し“おとなしい”歌が国歌に制定されましたが,この“準国歌”は依然として人気が高く,たとえばサッカーの試合の中継の際にパブなどで高唱されるのだとか。歌詞の中身はかなり凄惨なのですけどね。

なお,ここでリンクしたのはいずれも「ようつべ」のページ。
著作権上少なからず問題があって,リンクが切れてしまうかもしれないので,悪しからず。
[81692] 2012年 8月 25日(土)21:05:02【1】Issie さん
削除
ごめんなさい。
まだ途中なのですが,誤って確定ボタンを押してしまいました。
なので,正しいものはまた後ほど。


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