[76196]千本桜 さん
[76203]でのその後です。
残念ながら、どの項目もはっきりとしたことが確認できていないのが本当です。しかし、ちょっとしたヒントらしきものもあったので、そちらを少し。
「引網村」についてですが、由来は「地引網に適している地だから」という他に、「網に地蔵尊がかかったから」という説もありました。このどちらも共通しているのが、「漁師」漁業関係者が当時から減少傾向にあったようです(地下足袋生産に移った?)だから廃れたのか?ここから先は良くわかりません。一方の唐琴は「崇徳天皇」の時代の伝説にまで遡ることができ、こちらの方が由緒正しい地名ともいえるようです。
「大畠」・「菰池」についてもどういった理由なのか分かりません。ただ、驚いたことが一つ。「大畠」は「おばたけ」だと認識していたのですが、「おおばたけ」でしか見つけ出せなかったのです。地元では「おばたけ」と言っているのにどういうわけか分かりませんが、こちらが正式な模様です。
「宇野津」ですが、「目的地」になりえなかったということもあげられそうです。最近でこそ「ナフコ」が立地し、「目的地」ともなりうるようになったのですが・・・。また、玉野市の「宇野」と紛らわしいことも要因の一つのようです。それを避けるために敢えて表さないということもあるようです。それともう一つ、「バスの経由地」表記も参考にできそうです。児島駅~倉敷駅には3つのルートがあり、「天城・上の町経由」「天城・小川経由」「大高・塩生経由」です。お分かりのように、「塩生」が経由地の代表させています。これは、旧来からの慣例であったと考えてもいいということのようです。
以上、ちょっとしたことですが、参考になれば光栄です。お力になれず申し訳ございません。今後も機会があれば調査しますので、その時はまた報告させていただきます。