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YSKさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[67505]2008年12月5日
YSK
[67500]2008年12月4日
YSK
[67492]2008年12月4日
YSK
[67491]2008年12月4日
YSK
[67469]2008年12月1日
YSK

[67505] 2008年 12月 5日(金)00:22:12YSK さん
新大阪
関西に行く時、帰路はたいてい新幹線利用となるので、宿の拠点は新大阪にすることが多いです。ただし、フィールドワーク実施時(11月22日~24日)は多くの人々が観光等で関西を訪れていたようで、どうしても大阪で宿泊先を確保できず、22日は少し離れた姫路での宿泊となりました。

この甲斐もあり23日は姫路・明石フィールドワークを行うことができ、姫路城も初めて体験することができたのですが・・・。23日は本当に穏やかな晴天で、穏やかな瀬戸内海に向かう播磨エリアの地域性をどこか髣髴とさせるような、やさしい色彩の青を空は呈しているように感じられました。明石は地域区分としては播磨エリア(東播磨)に属し、町を歩いていても会社名等に「東播磨○○」とか「東播○○」などといったものが散見されたのですが、一方で神戸市とも密接な結びつきがあると思われます。日常生活圏としては明石市周辺はどのように捉えたらよいのでしょうか、気になるところではあります。

ところで、新大阪です。ここは市街地の中心駅というよりは広域的な移動の拠点駅としての位置づけがより濃厚です。駅前もタクシープールや駐車場、バス停などが機能的に集約されていて、それらをホテルやオフィスビルなどが取り囲む風景は、交通結節点として特化した、無機質な印象を刻ませるものとなっているように感じられます。人々がせわしなく歩き、大都市・大阪が引き寄せるダイナミックな躍動感を存分に感じることができる駅構内のそれとは本当に対照的です。

ここ数年新大阪は上述のとおり関西訪問時の拠点として使っているのでようやく駅の構造にも慣れてまいりまして、そんな駅の内外で好対照を見せる新大阪でも、日々多くの出会いや別れや日常の生活があって、いろいろなドラマがもしかしたらあるのかもしれないなどと考えが及ぶような余裕も出てまいりました(大阪駅の構造は1年に数回しか来ない者には複雑すぎて、まだまだよく分かりませんが・・・汗)。そうしたドラマを思うとき、活気に満ちた駅中とは一線を画す構外の無機質な風景は、人々のこうした輝きや悲しみや懐かしさを一緒くたに包含したような、無常や可能性、うまく表現できませんが、そういった人間の弱い部分とか、ピュアな部分とか、そういった部分をあるいは象徴しているのではないのかな、とも感じるのでありました。

末筆ですが、新大阪駅、在来線部分に設置されたエスカレータはことごとく「右寄り」に列ができていましたが、新幹線ホームへ上がるエスカレータは「左寄り」に列ができていたのが興味深かったですね。
[67500] 2008年 12月 4日(木)22:12:23【1】YSK さん
自治体名セット
「高校」の修学旅行先が京都奈良でした。うろ覚えですが、当時群馬県立の高校の修学旅行は京都・奈良が西限で、大阪以西は許されていなかった、なんていう噂話も聞いたことがあります。

現在、「美味し国伊達な旅」をキャッチコピーに、自治体とJRが一体となって進める観光キャンペーン仙台・宮城デスティネーションキャンペーンが展開されており、我が家の新聞折り込み広告にもこのキャンペーンだけのオリジナル広告が入るなど気合の入った宣伝が行われています。

ここで気になる表現が「仙台・宮城」。宮城県をターゲットにしたキャンペーンなのですが、「仙台」が冠されています。「宮城」だけではやや押しが弱いため、知名度抜群の「仙台」をトッピングしたのでしょうか。この「仙台宮城」あるいは「宮城仙台」といった言い回しは、このキャンペーンに限らずしばしば見受けられます。
[67492] 2008年 12月 4日(木)00:23:29YSK さん
巨瀬村
[67491]は原文のまま引用しておりますが、市区町村変遷履歴情報(岡山県)を見ますと、「巨瀬村」は上房郡の所在で、1954年5月1日に新設の高梁市として合併、消滅していますね。

英田郡ですと、同年7月1日に美作町に編入されている「巨勢村」があるようです。
[67491] 2008年 12月 4日(木)00:11:19YSK さん
安久利
[67489]Issieさん
[67488]右左府さん

NHK朝の連続テレビドラマ小説「あぐり」の原作となった、吉行あぐり著「梅桃が実るとき」より引用しますと、

今度こそは男の子をと待ちかまえていた両親は、よほどがっかりしたのでしょう。私に「安久利(あぐり;YSK註)」という名前をつけて、この次には男の子が生まれることを願いました。両親の郷里である岡山の在、岡山県英田郡巨瀬村あたりには、そういう昔からのいい伝えが残っていたのだそうです。

とのくだりがあります。現在101歳になられるあぐりさんは、最高齢の美容師で、作家の吉行淳之介さんや吉行理恵さん(いずれも故人)、女優の吉行和子さんのお母様としても知られております。
[67469] 2008年 12月 1日(月)20:51:10YSK さん
見沼再訪
こんばんは、最近は朝晩を中心にかなり冷えるようになっている当地です。周辺の里山の木々もようやく色づき始めています。

さて、本日土日出勤の代休を頂き、さいたま市のJR東浦和駅~東武野田線七里駅までの区間のフィールドワークを実施いたしました。落書き帳草創期をご存知の方はぴんとくるかもしれませんが、2002年11月に実施し、内容をご紹介していた「見沼探訪[4456]」を再びなぞる地域歩きです。当時はさいたま市は成立していたものの、政令指定都市以降を翌年4月に控え、新しい区名についての議論が白熱していたときで、区名案(現在は区名になっています)のひとつであった「見沼区」について、「よく知らないなら、実際に行ってみよう」と思い立ち、見沼田んぼを含むエリアを歩いた、という経緯がありました。その後もついでにさいたま市内の他地域も見てみようと、JR大宮駅~JR西浦和駅、JR西浦和駅~JR指扇駅、JR指扇駅~大宮市街地、さいたま新都心~浦和市街地、と立て続けに3本のフィールドワークを敢行しました。

あれから6年が経過し、さいたま市の諸地域をまた見てみたいという思いが強くなって、今回の見沼再訪の実現となりました。今回は前回とは逆の東浦和駅からのスタートで、2002年当時のルートをメインとしながらも、新しい場所に行くなどオリジナリティも加えたルート取りをしました。

今日は雲ひとつない晴天でたいへん気持ちよいフィールドワークができました。当時を思い出しながらも、ひときわ印象に残ったことは、このエリアにふんだんに分布する里山の緑、集落を取り巻く屋敷林の緑、水辺に輝く穏やかな緑の美しさでしたね。木々は鮮やかに紅葉・黄葉して、冬のクリアな青空に映えていました。

今後、時間が許す限り、さいたま市内のフィールドワークを数本行ってみたいなと思っています。


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