[64109] じゃごたろ さん
では残りの三市はというと、それに共通するのが「鎮守府(軍港)があった都市」です。
つまり呉市含め横須賀市、佐世保市は、宇治山田市と共に「特に重要な都市」と位置づけられたものだということです。
調べてみたら、横須賀などでも海軍さんのカレーって売っているんですね。呉は明治中期まで寒村だったところに海軍呉鎮守府が設置され、以後の発展がもたらされたこともあってタイトルのようなことが言われています。
昭和27年施行の現行道路法により国道31号は指定されています。これは大正8年の道路法(旧道路法)で認定された国道32号を引き継いだ路線です。この旧道路法の中で、国道は東京市より神宮(伊勢神宮のこと)、府県庁所在地、師団司令部所在地、鎮守府所在地又は枢要の開港に達する路線、そして主として軍事の目的を有する路線を主務大臣が認定するものとされていました。鎮守府所在地への道は、国道として認定される要件が明確に整っていたのです。「東京市より呉鎮守府所在地(呉市)に達する路線」が国道32号です。
また、さかのぼれば明治20年に海田市(かいたいち)~矢野~焼山~呉とたどる道が「国道46号」として編入されています。前後して明治19年に呉港に第二海軍区鎮守府が決定、明治22年には先の海軍呉鎮守府が開庁、造船部も設置されました。後の呉海軍工廠です。このルートは当時、陸上交通での呉~広島間の連絡路としては唯一と言って良いものでした。(もうひとつは呉~阿賀~広から広大川沿いに黒瀬~西条とたどって山陽道に接続するというもの)ところが大正初期に改修したにもかかわらず山間部の幅員や勾配等の問題により沿岸ルートへ変更することに決まります。これが現在の31号のルートですが元の道筋からは結構離れたところになりました。なお「東京より呉鎮守府に達する路線」国道46号は大正の旧道路法により国道32号と改称されます。
昭和27年当時、既に鎮守府はなかったのですが、呉市が道路法にいう「政治・経済・文化上特に重要な都市」であるのは海軍さんとの歴史に関わるものと言えます。また、戦後の復興期には呉港と川上弾薬庫(現東広島市八本松町)間での弾薬運搬のため呉~海田~八本松(川上)間の道路整備を優先して行ったようです。
【広島 道物語 一般国道31号】
道路法令集 I