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役チャンさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[58236]2007年5月1日
役チャン
[58215]2007年4月30日
役チャン
[58066]2007年4月17日
役チャン
[57904]2007年4月10日
役チャン
[57874]2007年4月8日
役チャン

[58236] 2007年 5月 1日(火)17:50:20役チャン さん
規制緩和と夜行バス
[58233] 小松原ラガー さん
利用者、旅行会社、バス会社の力関係で、やはりしわ寄せがバス会社に行っているとしか思えませんでした。

確かに多くの客を集めようとする旅行会社、バスの稼働率を高めようとするバス会社、所定賃金だけでは生活が苦しいので無理してでも時間外労働を厭わない運転手、競争社会でこのようなことが続くといつ大惨事が起きないとも限りません。

これは規制緩和が悪いのだとメディアなどが囃し立てることが多いのですが、私は規制緩和が一方的に悪いという意見に組みしたくはありません。むしろ規制緩和の時代に、安ければ何でも飛びつくという、消費者の行動そのものにもう少し配慮を求めるような論調があっても良いと思うのです。

そもそも長距離バスなど、どう考えてもそんなに安くできるわけがない。どこかで無理をしているのに違いない。またもともと東京・大阪間や仙台間の移動を、それほど安くしなければならない理由があるのだろうか、生活にとって必須のものなのだろうか、それが弱者を救済するものだろかと言いたくなります。

規制緩和による新規参入や競争により料金が下がったものは通信費や航空料金など数多くあり、それらは下がったというよりも適正になったのであり、これが規制緩和の成果だと思います。それが変に行き過ぎになりいびつな構造にさせないために必要なのは消費者のしっかりした判断でしょう。

人間がうっかりミスをしても殆どの場合はシステムが何らかのバックアップをしてくれて大事には至らないケースの多い飛行機や鉄道に比べて、バスの運転は一瞬のミスも許されない、おそらく現在の交通機関の中では最も過酷な職場なのではないでしょうか。そこが最も競争の脅威に晒されている事が問題です。

こう書くと、では金のない人は旅をするなということか、という話にすぐなります。青春18切符は提供者側が極端な無理をしなくても提供できるサービスです。それ以外にも家庭の事情などで旅をせざるを得ないが金がないという人に対しては、全く別な観点から補助が受けられる、というような仕組みを作るべきでしょう。とにかく安全を無視してまで低料金で提供するようなサービスは消費者が求めないから成り立たない、という社会になってほしいものです。

コスト構造を調べて、こういう料金では危ないから、このようなものは購入しない方がいい、というようなことを国民に知らせるのもメディアの役割ではないでしょうか。鬼の首をとったように規制緩和を批判するばかりではなく、このようなことを明らかにするのが公共交通の健全な維持、健全な社会の維持になるのだと思います。

ところで先日、東名夜行のプレミアム・ドリーム号を利用してみました。片道9310円というのは、通常8610円に比べてもたいした高さではなく、それにもかかわらず座席はゆったりしており、特に前後の間隔が広いので足を伸ばすこともできました。早割やネット割を使えば急行銀河B寝台の半額くらいで行けることになります。JRバスは途中の三ケ日で運転手が交代するので安心して眠ることもできました。
[58215] 2007年 4月 30日(月)09:27:14役チャン さん
夜行バス
[58191] 千本桜 さん
途中停車するバスは仙台東京間6,210円で、直行便は3,900円です。 

この夜行バスの運転手は途中で交代するのでしょうか。先日の長野県の貸切夜行バスの事故以来、格安夜行バスの安全性と原価構造が気になっています。
[58066] 2007年 4月 17日(火)08:59:39役チャン さん
島原鉄道遊湯券
[58041] 星野彼方 さん
 星野放浪記 九州北部編
諫早駅の券売機で購入したので、磁気券だったのですが、島原駅等で購入すると別の種類の切符になるのか確認できず。知ってる人います?
私は諌早駅の窓口(島鉄バス諌早営業所)で購入したのはお札の大きさくらいの紙のもので裏には利用できるホテル名と電話番号が書かれていました。切離し部分があり、これは温泉に入ったときに渡したと思うので、この部分が入浴券だったのだと思います。
[57904] 2007年 4月 10日(火)18:38:05役チャン さん
飛び地の村
[57891] hmt さん
望楼らしい塔屋があるという記述に接して、ピンと来たのは、地震が起きた際の津波への警戒体制です。
大変興味深いご説明をいただきありがとうございました。それにつけても私の市町村めぐりは極めて表面的なことしかしていないと恥じ入るばかりです。

今回青春18切符を使い4日間で和歌山県と三重県の28市町村役所・役場(平成の合併以前のものを含む)に行ってきたのですが、恥かきついでに飛び地村である和歌山県の北山村に行った報告をさせていただきます。

ここに行くには三重県の熊野市から三重交通のバスが3往復、北山村営のものが2往復ありますが、時間の都合で前者を利用しました。しかしこのバスは正確には北山村に行くというよりも北山川対岸の熊野市郁生地区に行くもので、北山村内の一部を通りますが村役場のある大沼地区には行きません。だから対岸の大沼口というところで降り橋を渡って行かなければならず、役場までの700メートルを帰りのバスが来るまで16分の間に往復しなければならなかったので半ば走るようにしました。尤もすれちがう人など皆無でしたから年寄りの醜態を晒すこともなかったと思いますが。

飛地となった理由は、村役場のHPによると97%が山林のこの村は昔から林業で栄え、伐採された木材は筏によって木材集積地の新宮まで運ばれていた。当時は人口の大半を筏師が占め、彼らは新宮の木材業者との結びつきが強く、明治4年の廃藩置県で新宮が和歌山県に編入されたときにも村民の要望により和歌山県に編入されたとのことです。江戸時代には和歌山藩新宮領に属していたそうです。

人口は570人、北山川が作る斜面に沿って走る国道169号線沿いのわずかな平坦地に小規模な集落が点在するだけでした。中心になるのが大沼地区で、ここに役場のほか郵便局や農協、さらには商店や旅館などがあり、小学校と中学校もあります。北山小学校のHPによれば、2006年度の児童数は27人で内10人が6年生、30年以上前に村内に3つあった小学校が統合されたが1950年には263人の児童がいたそうです。

私がこの北山村の土を踏んでいたのは僅か16分間だけでしたが、熊野市駅前からここまでのバスの車窓はなかなか変化に富み楽しかったです。北山川の流域に出るには急峻な山を越えなければならず、小型バスがやっと1台だけ通れる正に羊腸の小径という言葉がぴったりの道が続きました。滅多にすれ違う車はありませんでしたが、普通のドライバーにとってはかなり難儀しそうな道でした。特に高齢になってからの運転はかなりむずかしいと思います。

長いトンネルを抜け北山川に出ると七色ダムがあります。面白いのは天端(てんば)というダム堤体の最上部は車がやっと1台通れる狭い道路になっていて、バスもそこを渡り和歌山県側の北山村に入るのですが、この部分は国道169号線です。天端が道路というのはよくありますが、国道というのは珍しいそうです。ふと全国ダム天端渡りに挑戦している人も居るのではないかなどと思いました。

ちょうど桜の時期で途中の熊野市神上地区などは那智黒石の産地だそうですが、3千本あるという桜が満開でそれは見事でした。特に廃校となった中学校の校庭に咲き乱れる桜は、木造校舎とよく調和し、わが世の春を忘れさせまいとしているかのようでした。

今回も事前の調査不足で後悔が多々ありました。せっかくこのような珍しい村に来るのならばせめて一泊するなど工夫が必要でした。役場でもらったパンフレットによると、観光筏まで送迎してくれるバスがあり、更に瀞八丁のジェット船に乗り継げ新宮までバスで行くこともできたようです。紀伊半島の山奥は地形が複雑で川の流れにも変化があり、地理的にも、景観上も実に面白いところだということを知りました。そして桜の季節がお勧めです。

なお交通案内や観光筏については北山村のHPに載っていました。北山村HP
[57874] 2007年 4月 8日(日)11:50:02役チャン さん
(続)1枚の写真に2つの役場
やっと撮れました。

ちょうど1年前、長野県の豊丘村と高森町の両役場間は直線距離は2キロくらいで庁舎を相互に見ることができると記したことがあります。[50789]拙稿
珍しい例なので、2つの庁舎を1枚の写真に写せるのではないかと豊丘村のほうで撮影ポイントを探して見たのですが、残念ながら適当なアングルは見つけられませんでした。しかし旧庁舎跡地というのがすぐ横にあり、今は更地になっていますが門柱だけは残っていていました。安いデジカメで正面からこれを撮ると豊丘村役場と書かれた門柱のはるか先に高森町役場がかすかに写っていました。

先週和歌山県の湯浅町と広川町に行ってきました。
「落書き帳・測量部」[39426] 音無鈴鹿 さん によると近さランキングでは4位だそうですが、ここではじめて1枚の写真に両役場を収めることができました。

湯浅駅周辺の地図
この両町は紀勢本線のいずれも湯浅駅近くで、広川という小さな川を挟んで市街地は繋がっています。湯浅の庁舎は東京オリンピック前後に建てたと思われるかなり古いもので、4階建てですがその頃の流行だったのかどうか消防署の望楼のような更に4階分くらいの高い塔屋が建っていました。これに対して広川の方は平成になって建てられたと思われる人口規模を越えた豪華なものでした。広川町役場の正面から写真を撮ると左奥に湯浅の塔屋だけが写っていました。
なおこの両町は今回の合併でも影響されず今後もそれぞれ単独の道を進むようです。湯浅から広川へ歩いた途中の狭い道には熊野古道という表示が出ていました。


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