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蘭丸さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[5124]2002年11月20日
蘭丸
[5070]2002年11月19日
蘭丸
[5056]2002年11月19日
蘭丸
[5021]2002年11月18日
蘭丸
[5018]2002年11月18日
蘭丸

[5124] 2002年 11月 20日(水)20:34:26蘭丸 さん
武蔵野市、三鷹市
[5102]eternal さん
>東京の場合、市名よりも最寄り駅で住んでいる所を表現することが多いですね。

 そのとおりですね。東京の北区に住んでいる身では、そういった言い方を日常生活で実際にやっています。(拙文[4880]参照)でも、多摩地域に限っていえば、比較的自治体名(についてる地名)のほうが通りがいいのではないでしょうか。三鷹、小平、調布、小金井、立川、国分寺、日野、八王子....といったような具合に。 しかし、多摩、武蔵野は駅名を言うか、多摩市、武蔵野市というふうになるでしょうね。 西東京、あきる野は微妙でしょうね。市民はどう言っているのでしょうか。

>しかし、武蔵野市の場合、「武蔵野市」って市名自体にブランドがあるので、「武蔵野に住んでる」という人>もいると思いますよ。

 えっ、そうだったんですか?都内に住んでる人間から見ると、武蔵野市にいたるまでに、渋谷区や杉並区などの山の手の住宅地(京王線、井の頭線沿線)があるものですから、そうとは知らず、認識不足でした。
 私は地価のことは詳しくはありませんが、確かに賃貸の相場を見ても、武蔵野市、三鷹市あたりは都内の練馬区、板橋区なんかと比較したら高いですね~。世田谷区、目黒区あたりとほとんど変わりませんね、実際。(もっと高い?)武蔵野市と三鷹市でも違いがあるとまでは知りませんでした。

>武蔵野市は高額所得者が多く、....、足立区などよりも一般的なイメージがよいです。

 私もそう思います。都内の足立区、練馬区、板橋区、豊島区、江戸川区、そしてわが北区なんかは、好感度では武蔵野市、三鷹市周辺には負けてしまいます。特に、足立区の千住以外の大部分や、練馬区の埼玉寄りなんかより、この地域のほうがずっと「開けてる」感じがしますね。(あくまで私の私見です。当該地域の住民の方、ご容赦ください。)
 武蔵野市、三鷹市あたりのほうが、一般的な「都内」のイメージに近いかもしれません。私は、この地域を特別区にしてもいいのでは?なんて考えたこともありましたが、まだ地方自治も知らぬ頃、今から考えれば完全な自治体である「市」のほうが、当然いいだろうと思うのですが。


 しかし、やはり武蔵野市を単に「武蔵野」と言うのには違和感を感じます。会話の状況や文脈から、武蔵野市と周辺地域を区別するために使う場合には効力がありそうですが、「武蔵野の名所」「武蔵野の史跡」「武蔵野の自然」などという場合は、字面だけでは武蔵野市なのか武蔵野(広域)なのかは判断がつきません。
 今でも「武蔵野の面影」のように、武蔵野広域を表現する場合がしばしばあります。事実、皇居の杜が「武蔵野の面影」と云われますから。

 そういった関係で、「武蔵野」は自治体名としては荷が大きい、武蔵野市域を言い表わす場合にためらいがあるのでは、というのが私の感想です。
[5070] 2002年 11月 19日(火)20:07:04蘭丸 さん
多摩、多摩市、多摩ナンバー
[5061]ken さん
 多摩市も、しょってるものが重すぎますね。「多摩」とは本来、旧多摩郡もしくは三多摩のこと(現代ではもっぱらこの意味)ですから。
 現在、公式には西多摩郡しか存在しませんが、天気予報その他諸々の場面において、23区と区別したい場合などに「多摩」という呼称は現役で活躍しています。ですから、「多摩市」との整合性において、とても微妙なものがありますね。多くは、単に「多摩」と言った場合は広域名のことでしょうが、だからといってそれで割り切れるとは言い切れません。前後の文脈や状況から判断する、というようなことを無意識で行っているのでしょうね。私達は。

 ところで、車の多摩ナンバーは多摩市からとった「多摩」ではなく、三多摩のほうからとった「多摩」だったのですね。私はずっと多摩市の「多摩」だと思っていました。なにせ、東京にあるほかのナンバーは、すべて陸運局(自動車検査登録事務所)の所在地からとっていますから(品川、練摩、足立、八王子)。最近、多摩自動車検査登録事務所が国立にあることを知り、このことに気付きました。

 ということは、多摩ナンバーは、相模、湘南、飛騨なんかと同類になるわけです。しかし、このことを知っている人ってどのくらいいるでしょうか。案外、私のように誤解している人も多いのでは?と思っています。 (自分だけ?)
[5056] 2002年 11月 19日(火)07:59:34蘭丸 さん
武蔵野と武蔵野市
[5051]ちゃっきー さん
> それにしても吉祥寺に住んでる人は「どこに住んでるの?」と聞かれると市名でなく、「吉祥寺」とこたえ>る事が多いですね~。笑・・・地方の人が聞いても「東京の吉祥寺」っていう感じで・・・

 広域地名の借用がもたらす自治体名の没個性化と、その結果の無力化だろうと私は思います。そもそも「武蔵野」とは武蔵野台地全域の、とっても広汎な地域を漠然と指す地名です。国語辞典を引くと、武蔵国全域を指すこともあると書いてあります。要するに、一つの自治体の名称とするにはちょっと荷が大きすぎるんでしょうね。この「武蔵野」は。

 武蔵野市の市名は、明治22年の市制・町村制施行時の合併で誕生した「武蔵野村」(神奈川県北多摩郡)に由来するもので、自治体の名称としてはけっこう古いものです。ですが、合併でできる典型的な没個性的自治体名(瑞祥地名、借用地名、抽象地名など)であることは否めません。

 その後、武蔵野村は東京の近郊都市として人口が増加し、単独で町制、市制を施行しました。また、吉祥寺の街や井の頭恩賜公園などは地方でもかなりの知名度を得るようになりました。でも、市名は「武蔵野市」と従前のものを踏襲したままとなっています。

 これだけ有名な地名があるのに市名を改称しないのは、なにかわけがあるのでしょうか。私なんかは東京に住んでいながら、つい最近までは吉祥寺は吉祥寺市かと思ってたくらいです。

 武蔵野市に住んでいて「武蔵野に住んでます」なんて言う人はほぼ100%いないと思われます。(「武蔵野市に住んでます」はあるでしょうけど)以前、私の従姉妹が吉祥寺に住んでいました(このことがきっかけで、吉祥寺は武蔵野市だということを知りました。それも、つい4~5年前のこと)が、やはり「武蔵野」あるいは「武蔵野市」という言葉を一度も聞きませんでした。それくらい使い勝手の悪い市名なのです。武蔵野市民が「武蔵野市」を意識するのは、役所関係の公的な場面に限られるのではないかと私は推測します。

 こういったことが、安易な広域地名の借用あるいは創作の弊害だと私は思っています。「能登市」「魚沼市」「北四国市」「しこくなか市」等々と、最近の市名案は傾向が片寄ってしまっている感が強く、外野から見ても何となく予想できる、といったものが多いのは少し寂しい気がします。

 「南アルプスに住んでます」なんて言えないでしょうし、「道路標識で『南アルプス5・』となっていたが、まだまだ山は遠いじゃないか」なんて笑えない話が起こらないともいえないでしょう。

 私は、こういった方式の命名はあまりいただけないと思っています。
[5021] 2002年 11月 18日(月)18:59:52蘭丸 さん
合併への圧力が問題では?
[5019]eternal さん
>小規模自治体がこの先も行政サービスを維持できるのでしょうか?

 私も、この点は充分理解しています。しかし「あなたのところは規模が小さくて無理でしょう」といって国がちょっかい出す必要はないのではないかと思います。基本的な行政サービスを、補助金頼りで行っているような超小規模自治体は、いずれ財政破綻し、合併せざるを得なくなると思われます。
 補助金を減額するのは財政健全化のためには必要なことですが、私が問題に思うのは、なんで一般論として行われないのか、合併しなかったらカットするという方法なのかという点なのです。一般的な政策として、交付金などの補助金の削減を行って、その上で存立が困難な自治体は合併の必要性を悟り、自主的判断によって合併をすればいいのではないでしょうか。それが・自治・だと思います。
 気の長い話になるかもしれませんが、あくまで企業の合併や組織の統廃合などとは異質の問題だと思われますので。

>税の配分を変えても、小規模自治体では自身の税収が少ないため歳入が増えることはないでしょう。

 それでも、いいのではないでしょうか。税源配分を変えても、人口や事業所の少ない小規模町村は歳入が増えず、逆に多くは歳入減となることでしょう。そうなった時、必要性が明らかになった時に自治体が自主的判断で合併すればいいのではないでしょうか。

 政府は、親心からか、どうも合併を急かすようなことばかりしていますが、あまり圧力や強制力をともなった合併はしないほうがいいのではないかと私などは思います。
[5018] 2002年 11月 18日(月)15:01:14蘭丸 さん
日本では、なぜ連邦制ではなく道州制か
[4984]ヒロオ さん
>ロシア、ドイツなどは連邦制を採用していますが、日本では連邦制の論議がまったく見られません。お国柄ですかね。

 今の日本に連邦制を導入する必然性がないからだと思います。 たとえ、新しく制度を確立しても、おそらく日本国民はそれに馴染むのに相当の時間を要すると思います。

 現在、連邦制をとる国は、アメリカ、ロシア、スイス、ドイツ、オーストラリア、ベルギー、カナダ、ブラジル、マレーシア等々と世界には多数存在しますが、それらの国々は歴史的経過から連邦制をとるにいたっています。連邦制を「導入」したのではなく、結果的に連邦制になっていると言ってもいいと思います。
 それぞれ別個に成立したコミュニティーが対外的に連帯しようとしたり(アメリカ、スイスなど)、国土の広域性ゆえの統治の方策として編み出されたり(カナダ、オーストラリアなど)、あるいは、歴史的な地域主義の名残り(ドイツなど)だったりと、連邦国家には連邦制であるべき必然性があるのです。

 ひるがえって日本を考えると、確かに中世以降の地方制度は事実上の連邦制に近いもの(今日の民主主義下の連邦制とは性質が異なりますが、地方の独立性は相当程度ありました)でしたが、明治維新という大改革によって、中央集権体制への元帰りが断行され、富国強兵の近代化が推し進められました。その当時の地方体制と今日の地方体制は基本的には変えられずに推移してきました(都道府県の枠組みが100年にもわたって改編されていないのが象徴的な例)。
 変わったことといえば、都道府県が単なる行政区画から自治体に昇格したことぐらいです。それも、戦後の地方自治法制定時に存在した都道府県をそのまま存続させるための方策だったというだけで、都道府県の存在意義の検証や広域自治体の明確な定義づけもないまま、都道府県と市町村の二層制がとられているというのが実際のところだと思われます。

 近代化を果たして自他ともに認める先進国となった今、当時の中央集権体制の名残りを残しておくことはあまり適当とは思われませんが、なにせ100年にもわたってこの地方体制を維持しててきたわけですから、今さら「連邦制」なんていわれても唐突なんですね。おそらく。
 それに、近代化後の日本は標準語の浸透や東京一極集中などによって、地方の個性が薄れていますから、国民の生活実態からいっても連邦制は似つかわしくないと思われます。
 ですから、個々に主権を持った州によるところの連邦制ではなく、単に広域的自治を行うという意味合いで「道州制」なる言葉がつくられたものと私は解釈しています。


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