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がんす横丁ままさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[40276]2005年4月25日
がんす横丁まま
[40214]2005年4月23日
がんす横丁まま
[40209]2005年4月23日
がんす横丁まま
[40183]2005年4月22日
がんす横丁まま
[40147]2005年4月21日
がんす横丁まま

[40276] 2005年 4月 25日(月)21:27:55がんす横丁まま さん
東京から浅間山が・・
40220 KMKZさん
東京葛飾区から浅間山が
とても面白い本があります。日本登山界の先駆者木暮理太郎氏が「東京より見ゆる山のこと」1913年
(大正2年)にすでに浅間山が見えることを指摘しておられます。手っ取り早く確かめられるのは、
「アサヒグラフ」1979年2-2号特集「パノラマ式東京から見える山々」です。東京からの遠望の山々が網羅されていて壮観です。なお「アサヒグラフ」1961年1月1日号には、「富士山のすべて」が載っていて、「富士山からどこまで見えるか、<半径230キロ>の視界」もなかなか面白いですよ。
インターネットもなかったアナログの時代から、「オタク」はおられたのですね。感心します。広島県の遠望の山々についてなら、私どもも一家言ありますが。

愛比売命さん
広島弁の「みやすい」(簡単だの意)について、以前独り言?おっしゃってましたけど、気にしていました。仕事がやっと一段落したひと時、私見を述べてみます。
広島育ちの夫や、娘、亡き母たちは、「みやすい」より「もやすい」を連発しています。「今日の試験もやすかったねえ」(今日の試験簡単だったねえ)「こんなみやすいこと、できんの」(こんな簡単なことできないの)なんていいますよね。「みやすい、もやすい」の「やすい」は、「易い」でしょうけど、接頭部の「み」「も」はなにもの?かと、この曲者に頭をひねっています。接頭語なら、他にも「み〇〇」「も〇〇」とあってもよさそうなものなのに、いまのところ「みやすい」「もやすい」しか見当たりません。「み」の意味がある、「みやま」「みゆき」などは、美称でしょうしね。もうしばらく、頭をひねりましょう。他府県の方言で「み〇〇」「も〇〇」という言い方で「簡単だ」などという意味をもっている用法がありましたら、教えてください。
[40214] 2005年 4月 23日(土)21:49:31がんす横丁まま さん
米沢旧市内
40208 般若堂そんぴんさん

 花笠カセ鳥さんのご質問にお答えいただきありがとうございます。米沢市は、私が離れてから住居表示が変わり、伴って町名が大々的に変わってしまい、懐かしい城下町らしい町名が姿を消してしまいました。越後番匠町、粡町、表町、清水町、立町、などが消え、中央O丁目など、城下町の情緒が半減した気分でした。広島も、毛利輝元築城以来、城下町でしたが、原爆で跡形もなくなり、いま、平和公園になっているところには、五つの町、天神町、元柳町、中島町、細工町、鳥屋町、があって西の繁華街でした。戦後復興にあたって、ほとんどの町名がなくなりました。惜しいと思います。台屋町などという豪華な(ダイヤ)町名もあったんですよ。市町村合併でも、古くからの地名が消えてしまいますが、
そのせいで、私は、元の村名を見つけるのに苦労し、お墓まいりするのに手間取りました。このサイトを早く知っていたら、すぐ教えていただけたのでしょうに。広島県の戦前の地図を手に入れて、片っ端から探して探し当てたのです。亡くなった友人が、ふるさとの山名をいつも口にしていたことを思い出して村名を割り出し、小字を見つけて、役場に尋ねて確認できました。家族が全滅することの無残を思い知らされた次第です。
 米沢市の旧市内は、徳町が北のはずれ、長町が東北のはずれ、成島町が西北のはずれ、塩井村、六郷村、館山、は市内でなかったと思います。春日町、御廟、花沢など懐かしいですね。いまや、吾妻山のてっぺんまで米沢市ですよね。
[40209] 2005年 4月 23日(土)18:10:54がんす横丁まま さん
「冨士」コレクションに敬意を表します
こんにちは。4日にして私色を頂戴しました。よろしくお願いいたします。
サイトを開けたら、地名好きさんの全国地名一覧を拝見し、「冨士」サイトで、全国の冨士を知りました。日本国民は、ほんとに冨士が好きですね。実は、私が現在名乗る本籍も、広島市富士見町です。当然、安芸の小冨士が見えるところだからです。我が家は、戦前から、ここに住んでいましたが、原爆で壊滅、家族は疎開して助かったのですが、建物疎開で家を探していた友人に、ここを貸したため、被爆して家族4人全滅しました。戦後、遺骨を拾って供養塔に納骨し、60年ぶりに、お墓を探しあてて、墓参しました。
 そこで、冨士がこれだけあるのですから、富士見町も多いのでしょうね。一つだけ、自慢ができるのは、安芸の小冨士(似の島)が県内のどこから見えるのが、最も遠距離か、踏査しました。山登りを趣味としているので、遠望の山を確かめる趣味があります。富士山の最北とか、最西とか、最南とか、よく話題になります、あのテです。伯耆大山も広島から見えるんですよ。ひとりよがりの趣味ですけどね。
[40183] 2005年 4月 22日(金)22:46:28がんす横丁まま さん
韓国のRぬきは国策?
40182 Issieさん

「李」が韓国では「イ」となるのは、「R」が抜けるから云々・・
 とのことですが、何年か前、ハングルを学んでいた折、R抜けは、北朝鮮との関係で国策の発音だと伺いました。戦前は、「李」は「リ」だったそうですけど。
[40147] 2005年 4月 21日(木)14:29:12がんす横丁まま さん
おさわがせしてます
気楽なことばあそびが、つい、本気になりそう・・

40143 らるふさん

広島弁の手が届く意の「たう」が、峠の「たお」「だお」と関係がおありかとのご質問、広島弁「たう」を調べたとき、この「峠」の「たお、だお」も気になって確かめたことがあります。
岩波「広辞苑」には、峠(旧たうげ)は、国字であり、「たむけ」(手向)からの転、とあり、通行者が道祖神に手向けをすることから、とのこと。山の坂路を登りつめた所。とあります。
また、「だお」「たお」は、古語辞典では、「撓わ」は、しない曲がっている部分のこと、1、山の尾根の線のくぼんで低くなったところ、とあり、撓をりとも。「垂仁記」の用例が出ています。「たをり」の用例では、「万葉集」巻19「あしひきの山のたをりにたつ雲を・・」が出ています。どちらも山の峯の低くくぼんだところ、と解説されています。
ということで、峠を「たわ」「たを」というのは、古語から、「峠」の文字ができた後も発音は古語のまま残った、と見るのはいかがでしょう。
それが、広島弁の手が届くという意味の「たう」と関係があるか、どうかなのですが、私も初め、「撓む」からの意味からか、と思っていましたが、どうしても「手が届く」意味がつながらないのです。そしたら、「手抱く」の「手」と関係ある古語を見つけ、taudaku→todokuに変化する過程にきがつきました。「たうだく」→「とうだく」→「とどく」になることはそんなに無理ではなさそうなのですが。
勝手に納得していました。峠の「たお」とは、別物と考えるのですが。「手がたう」なんて人騒がせな広島弁です。

40144 ひげねこさん

現代中国語での国名表示は全く知りません。美国、法国、徳国、なんていい呼び名ですこと!日本も現代中国の呼び名に見習った方がよさそうですね。訪美、訪法、訪徳、どこに行ったかピンときませんけど、まだ。いつから、このような呼び名になったか、ぜひ知りたいものです。


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