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ひげねこさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[40144]2005年4月21日
ひげねこ
[40109]2005年4月20日
ひげねこ
[40101]2005年4月20日
ひげねこ
[39987]2005年4月18日
ひげねこ
[39940]2005年4月17日
ひげねこ

[40144] 2005年 4月 21日(木)13:11:12ひげねこ さん
国名略称
[40141] がんす横丁ままさん
漢字国名は、中国で使っていたものを、戦前日本が取り入れたものだそうです。

現代中国語では、アメリカ=美国、フランス=法国、ドイツ=徳国と、国名表記が日本と異なっております。ですので、別々に表記を作ったのではないか思うのですが。
それとも中国で同じ国に対していろんな書き方をしていて、中国で残ったものと日本が取り入れたものが異なり、日中それそれが別の表記を採用することになったのでしょうか。

余計な話ですが、昨夏に成都で地図を探そうと書店に入ったら、語学専門の書店でした。店のほとんどを英語の学習書が占めており、法語、徳語、日語がそれぞれ棚1つ、その他の言語で棚1つといった感じでした。
[40109] 2005年 4月 20日(水)01:49:40ひげねこ さん
再び教育委員会
[40103] あんどれさん

小中学校の教員は、市町村の教育委員会の管轄下にありますが、給与は県から出ています。従って横浜市や川崎市にも給与事務所があります。
前妻が藤沢市の小学校教員でしたが、採用は神奈川県(除く横浜市・川崎市)と横浜市、川崎市で3分割されていました。横浜市・川崎市を除いたエリアはまたいくつかに分かれており、移動は原則エリア内で、エリア外への移動は、原則逆の移動をする人とセットで行われたと思います。湘南・三浦といったエリアだったか、鎌倉・藤沢といったエリアだったかは、記憶に残ってません。横浜市・川崎市エリアへの移動は、採用試験を受けなおす必要があったように聞いています。
他府県の政令指定都市は知らないのですが、神奈川県においては政令指定都市は独自で小中学校の教員採用をしてました。それに引っ張られて、県と同格と思っていたのですが、教育委員会としては他の市町村と同格ともいえますね。前の「40101」は修正します。

そういえば、小中学校の新設や移転の図面は、各市町村の教育委員会でもらいました。
高校は都道府県の教育委員会でした。でも、市立高校の新設や移動はなかったな・・・

私立学校については、都道府県の私学課や私学宗教課で新設や廃止、校名変更を聞いてました。多くの都道府県で、私学課で宗教法人も担当してます。担当課が同じなのは、宗教法人が設立する学校が多いからでしょうか?
[40101] 2005年 4月 20日(水)01:04:41ひげねこ さん
RE:教育委員会
[40095] 白桃さん
私が都市地図を担当していた頃の記憶ですが、
1.私立学校は教育委員会の管轄ではなく、県庁の私学宗教課が担当してました。課名は都道府県によって違うかもしれません。学校と宗教が同じセクションなのでびっくりした記憶があります。あ、神奈川県は平成15年に県立大学も担当に含めて学事振興課に改称されてます。
2.東京都教育委員会は23区および全市町村だったと記憶しております。
[39987] 2005年 4月 18日(月)14:20:23ひげねこ さん
○○って何県?
[39985] 稚拙さん
 正しくは茨城県取手市です
所在都道府県を間違えられやすい場所ってありますよね。
ちょっと集めてみました。

気仙沼(宮城県)→岩手県……三陸=岩手県のイメージが強いのか。
古河(茨城県)→栃木県?埼玉県?……東北本線沿線に茨城県があると思ってない人が多い。
熱海(静岡県)→神奈川県……観光協会にも神奈川県熱海市で手紙が来ます。
清里(山梨県)→長野県……ガイドブックも信州で扱うことが多い。
丹後半島(京都府)→兵庫県……京都には海がないと思っている人が多いらしい。
津和野(島根県)→山口県……萩や山口といっしょに紹介される。キャンペーンも合同。
大歩危・小歩危(徳島県)→高知県……土讃線沿線は高知県のイメージ。
吉野ヶ里(佐賀県)→福岡県……佐賀県東京観光事務所長がこぼしてました。
有田・伊万里(佐賀県)→長崎県……佐賀県東京観光事務所長がこぼしてました。

観光中心にまどめてみました。他にもたくさんありそうですね。
[39940] 2005年 4月 17日(日)15:40:30ひげねこ さん
組合村
[39916] Issieさん
「つくし」と「ちくし」の詳しい解説、ありがとうございます。

ところで話は変わりますが、私が卒論(地方鉄道史)で白棚鉄道を調べていた時、明治大正期に「組合村」というのが出てきました。これは独立した各村が、ひとつの役場(事務部門とでもいうのでしょうか)を共有するという形なのでしょうか。そうだとすれば、現代でも合併して新しい市町村を作るというやり方以外に、事務部門だけを統合した「組合町村」という形もあっていいのでは、と思ったりします。
というのも、私は某ライオンズクラブに所属しているのですが、各地区で複数のライオンズクラブの事務局を統合して経費の合理化を図ろうという動きが出ております。それと同じように、首長および議会は各村にあり、事務部門は行政センター的なもの一箇所にまとめる(もちろん住民票などのため、出先機関は合併でも残りますよね)のです。こうすれば、市町村名で対立したり、水道料金の格差などで合併が破談になったりすることなく(合併でないから市町村名はそのまま残り、格差があっても統一せず、事務部門だけ統合する)広域行政が一体化できる可能性があるのでは、と思ってます。
ただ、私のいるライオンズクラブはもともと事務局を持たず、幹事が兼任するという体制なので、事務局統合には参加せず、矢祭町や栄村、白川村のように独立独歩を貫くようですが。

地方行政には疎いのですが、明治の市町村制発足当時、戸長役場のエリア>村のエリア だったのでしょうか。一見すると、ひとつの戸長役場のエリアの村をまとめて組合村を作ったみたいにも見えます。組合村自体も、その後合併してひとつの村になったケースと、分裂してそれぞれが単独の村になったケースがありますね。

アーカイブズを探してみたのですが、組合村について書かれたものが見つけられなかったので、書き込みいたしました。

なお、鉄道史が大好きで私の卒論が読みたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、ほぼそのまま福島県棚倉町史第一巻の「白棚鉄道の敷設」に使われています。


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