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出石隠さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[34979]2004年11月9日
出石隠
[34921]2004年11月7日
出石隠
[34917]2004年11月7日
出石隠
[34873]2004年11月6日
出石隠
[34872]2004年11月6日
出石隠

[34979] 2004年 11月 9日(火)23:43:53【1】出石隠 さん
石見銀山など
[34936] [34934] 熊虎 さん
まとめてレスのような、そうでないような書き込み、失礼します。

匹見、美都が益田市へ編入合併した際、地元紙「山陰中央新報」に、グリーンライン90と名づけられた道路整備推進についての広告が掲載されました。現在、益田市中心部から匹見町旧役場まではR191経由でも、R9&R488経由でも1時間近くかかります。道路改良整備も大分進み、距離としてはどちらも40キロないのですが、2車線化してない箇所、すれ違い困難な箇所、蛇行が続く箇所が残り、運転に気を使います。益田発R191・県道・匹見・R488・R9益田着を90分で通行できるようにという意味のようです。


石見銀山には負のイメージも多くあります。というより、庶民にとって鉱山は負の遺産そのものだと思います。最盛期には20万人(多分に誇張があると考えられている)が暮らしていたと古い書物「銀山旧記」に書かれているそうですが、その多くは間歩と呼ばれる坑道内で作業をする抗夫や重労働を強いられる人々と考えられるでしょう。また、代官所があった大森の町並みは落ち着いた雰囲気をもち、現在では散策する観光客の姿もちらほらとあります。ただ、神社や寺、当時の役宅などのうち、文化財に指定されていないものはなかなか保護できず、荒れた状態のところが少なくありません。仮に整備しても観光地化は難しいでしょうし、どっと大勢やってくるような場所にはしてほしくないです。7,8回町並みを歩いたり、資料館や間歩へも行きました。いつ行っても知りたいことがたくさん出てくるのですが、わいわいがやがや楽しい気分にさせる場所ではありません。明るいイメージではないのに、時々行ってみたくなる場所です。


掘庭園で紅葉見頃というニュースがありました。堀氏は笹ケ谷などの鉱山の年寄役とのこと。石見銀山ネズミトリの産地は笹ケ谷だったか、益田市(旧美都町)の都茂鉱山だったか・・・
http://www.kankou.pref.shimane.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=navi-searchDetails&serialNumber=m002451
[34921] 2004年 11月 7日(日)22:21:29出石隠 さん
さんずい
数年住んでいて、最近気付いたのですが、江津市には江津町、渡津町があり、市名から町名まですべて同じ部首(さんずい)の地名です。ちょっとめずらしいかなと思い、書き込みました。
[34917] 2004年 11月 7日(日)21:37:46出石隠 さん
メンバー紹介文感謝
[34883]太白さん
大変遅くなりまして申し訳ありませんが、新規登録された方のメンバー紹介記事をリリースいたしました
実は首を長くして待っておりました。素敵な紹介文ありがとうございます。
「隠岐への隠居」、いいですねえ。釣りも料理も魚好きにはたまらない土地です。出張や友人宅へ行ったりと、これまで10回ほど訪れています。唯一の欠点は天候。飛行機、高速船、フェリーともに欠航になることが年に数回あります。
数年前、出張で出かけた際、金曜日のうちに島後(隠岐の島町)から島前(海士町)へ移動、西ノ島町を経由して本土へ帰る予定が、午前中の便が全て欠航。昼過ぎにかろうじて出航したフェリーで島前に渡りもう一泊。土曜日に仕事を済ませて帰った経験があります。ちなみに、西郷港のフェリーターミナル近くにあるパチンコ店は、普段閑散としているのに、天候が荒れているときほど混んでいるそうです。
[34873] 2004年 11月 6日(土)16:56:23出石隠 さん
出雲 高校
白桃さん 本当に残念でした。(まだ可能性は残っていますが)
悔しさのほど、その書き込みから伝わってきます。
当方、全くと言っていいほど期待はしておらず、また1回戦負けだったこともあり、今回の選抜はまず無理です。バッテリーが双子の兄弟、堅守と粘りが身上の好チームですが、投手が肩を壊し、10個以上の与四死球。控えのレベルが今一で、県、中国大会通じて9人で戦ったとのこと。夏以降を期待しています。
[34872] 2004年 11月 6日(土)16:44:50出石隠 さん
出雲 石見
[34739] 笠津前浜 さん
雲北という言い方もあるのでしょうか。

私は全く聞いたことがありません。これに変わるものとして、宍道湖の北側を湖北と呼ぶことがよくあります。湖南はあまり使わず、宍道、玉湯と町名を用いたり、9号線沿いと呼んだりします。(湖南は中学校名、工業団地名などにあります)また、出雲市や松江市周辺の住民は、島根半島の山塊を北山と呼んでいます。それぞれの地域から見える山は違うのに、いずれの地域も北と南に山地を抱えているので、結果として同じ北山という名称を用いているのでしょう。ちなみに南山とは言いません。それこそ、雲南とか、中国山地の方とか、町名や郡名を用いて称しています。

石東文化ホールという名称の建物は無かったことを思い出しました。

浜田、益田に比べて、大田の規模が小さく、出雲など東部地域と距離が近いことから、該当の施設が出来なかったのではと推測します。これらの施設はいずれも県が主導で建てたものです。大田には数年前、あすてらすという県女性センターが駅前に立ちました。県と市が寄り合いながらやっていかざるを得ないです。
石東の名は、企業の営業所名などに時々使われています。圧倒的に大田を使われることが多いのですが。


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