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ありがたきさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[32259]2004年8月29日
ありがたき
[32202]2004年8月28日
ありがたき
[32124]2004年8月25日
ありがたき
[32123]2004年8月25日
ありがたき
[31361]2004年8月4日
ありがたき

[32259] 2004年 8月 29日(日)05:32:13ありがたき さん
大阪には複合名称の文化が根付いている?
「守口門真市」の事について

[32223]音無鈴鹿 さん
企業の合併方式だとこういったネーミングはありますが、自治体名では新鮮ですね。ほかの例は…大網白里町くらいしか思いつきません。

[32226]じゃごたろ さん
市町村雑学「大湊田名部市って今は何市かな?」にも、過去にも似たような例がありますね。

[32251]中島悟 さん
もうじきなくなる佐賀県浜玉町も、合併直後は浜崎玉島町でした。駅名は今でも浜崎駅です。
むつ市の例にもあるように、長い名前は敬遠されたようです。
大網白里町や、他の長い町名に住む人は不便に感じてないのでしょうかね。

大阪府内でしたら千早赤阪村の例があります。それ以外にも、泉○○市、河内長野市、大阪狭山市などの接頭語付き名称など、長い名称の市町村がけっこうたくさんありますね。

これはわたしが勝手に想像したことなのですが、大阪の人にはこのような複合名称に対する耐性というか免疫というか耳に慣れたものがあって、それらを違和感として感じないということじゃないでしょうか?

似た例は大阪市営地下鉄の名称にも見られます。地下鉄は道路の下に建設されることが多いので、当然2つの町の境い目に駅が出来るケースが多い訳ですが、これらはことごとく複合名称になっております。後から複合名称になったものも含めて2つの地名の複合された駅名をざっと挙げると、
西中島南方、野江内代、関目高殿、千林大宮、太子橋今市、駒川中野、喜連瓜破、今福鶴見
とあるわけです。このほかにも、ランドマーク名との複合や単に長い名前もあります。

つまりは、2つの市名(千早赤阪は村名)に配慮して「じゃあふたつとも名のればええやん」ということに自然になったのかなということです。接頭語付き名称の自治体のケースはやや異なるお話なのですがそれも含めて、名前が長くなろうとも、そうすることで何のことかがいっぱつで理解できるのならばそうする、ということなんですね。実に合理的です(他の例が合理的ではない、というものではありませんが)。

ところが、今までこういう文化が少ない東京近辺では複合名称が違和感に感じる訳で。すると大網白里町のケースが目立ってしまう。そういう構図なのかなと。田無と保谷が合併する際、「田無保谷市」にはまず間違いなくならなかったでしょう。

まぁいずれにしても、守口と門真の人が納得いく結果なのであればこれが良い答えなんでしょうね。

ところで、おせっかいながら、京阪電車などの「守口市駅」「門真市駅」の行く末が気になります。単純に「市」が取れるんでしょうか?守口市駅の場合、地下鉄守口駅との兼ね合いもありますしね。
[32202] 2004年 8月 28日(土)03:17:54【1】ありがたき さん
SongPingクイズ,5
[31961]般若堂そんぴん さん

先ほど実家から帰ったありがたきです。
いろいろ考えてみました。今市市だと何かが足りない、八王子市だと多すぎ、上田市だとちょっと違う、橋本市は気が早い(来年2月以降ならセーフかも)…

えぇっと、ひとまず名古屋の実家から帰ってきたものですからひねり無しに、名古屋市、ということでいかがでしょうか?


※口が過ぎたかな…とかも思ったんですが、ラストスパートですし、ご容赦ください(汗;
[32124] 2004年 8月 25日(水)22:16:34ありがたき さん
一文字
[31901]じゃごたろ さん
一文字の市町村の場合は「市・町・村」も含めた表記なのかなあ・・・、と思っていたら、身近にあるじゃないですか、一文字の村、「原村」が。よくよく思い起こしてみると、道路標識には「原村」というのが普通であって「原」ではない。また周りの人々も「原村」と言っているのしか聞いたことがない。

(中略)

ところで他の市町村の場合、特に一文字の市の場合、どうなんでしょうねぇ。

[31917]EMM さん
津市は「津」一文字だけの表示だった記憶があります。

[31934]両毛人 さん
私の身近なところで、まず省略しないのは(多野郡)新町ですね。

(佐波郡)境町はどうだったろう?いまいち記憶にないですね・・・。

佐波郡東村(来年1月1日に新・伊勢崎市となり消滅見込み)は、「東村」と出ていますね。

[31945]稲生 さん
静岡県の森町の案内表示は「森町」だと思います。

[31949]くは さん
旭・呉・堺・蕨… これらは普通に「市」無しの一文字で表していそうですね。

ウチの近所の標識だと、千葉県柏市が「柏」表記です。旭市はどうでしょう?やはり近所にある標識によると、国道126号線の目標は「八日市場」になっていますので現認しておりません。もう少し近づいてみないとわからないようです。くはさんのおっしゃるように、一文字市の場合は市抜きで表記していそうです。旭市あたりだとそう遠くないので、機会あれば調べてみたいのですが……。

※個人的なことで申し訳ないのですが、実は買って3ヶ月のバイクが盗難にあいまして、ひどく落ち込んでおります。それ以上に生活の足を失って不便な生活を送っております。千葉市近郊の皆さん、横浜ナンバーの黄色いバイクを見かけたら情報下さい。
[32123] 2004年 8月 25日(水)21:49:38ありがたき さん
古い地図を見つけて狂喜
ご無沙汰しております。ちょっと遅い夏休みで、今は名古屋の実家に帰っております。

帰る前に、母親が古いものを整理していたようで、そんな中で東北道路地図なるものが出てきたとの事。早速開いてみると、現在東京近郊にある市が町なんです!
ざっと見ただけでも、羽村、吉川、浦安、四街道、八街、富里、印西、白井あたりがそうですね。当然、鹿嶋市やつくば市、ひたちなか市もないわけでして、一晩中眺めていても飽きないような代物です。高速道路も、首都高を含めてかなり出来上がっていませんし、国鉄線が港湾部や北海道内陸部で発達しておりますw
さていつ頃の地図でしょうか?

ところで、この地図を見ていて、ふと気付いたのですが、この地図では現在の東関東自動車道が、宮野木JCT~成田ICのみ開通していて(成田IC~新空港ICは予定道路の破線表記)、しかもその全線にわたって「新空港自動車道」となっております。この道路は元々東関東自動車道として予定されていて、暫定的にそう呼ばれていたのでしょうか?それとも、空港連絡道路から発展して東関道が計画されたのでしょうか?

更に、このことを見て思い出したのが

[30620]清い26号 さん
全国の高速道路で唯一、同一市内を走っている道路があります。その路線名は何でしょうか?また、走っているところの所在地はどこでしょうか?(都市高速を除いて考えてください)

[30627]あんどれ さん
広島自動車道(広島市)

[30629]猫使い さん
新空港自動車道(成田市)も該当しませんか?

というお話ですが、猫使いさんのご指摘、実に惜しいです。新空港ICの一部が芝山町にかかっておりまして、際どいのですが1市1町となりますね。
[31361] 2004年 8月 4日(水)00:36:28【1】ありがたき さん
トロリーバスは、ゆっくり走るバスのことである(Y/y?)
[31303]白桃 さん
このトロリーバスですが、大都市にはいつ頃まで見られたのでしょうか?

[31310]hmt さん
日本の都市で最後までトロリーバスが動いていたのは横浜ですが、1972年3月31日に最後の横浜駅西口起点の循環線9.5kmが廃止されました。

[31322]N-H さん
白桃さんでさえ記憶が定かでないとおっしゃり、Issie先生も見た記憶がないとおっしゃる東京のトロリーバス。
ははは、そんな貴重な東京のトロリーバスに私はしっかりと乗車の記憶があるんですよ、はい。

[31324]いっちゃん さん
私もトロリーバスに乗ったことがあります。ただ、どこの街のトロリーバスだったかが分からないのです。
乗り物が大好きな幼児だった私は、自分からこの不可思議な乗り物(線路の無い電車)について親に尋ねた記憶があります。
当時、私は川崎市に住んでいましたので、東京、川崎、横浜のトロリーバスが考えられます。

都市部のトロリーバスが廃止されたのがいつ頃かは発覚したところですので、「なぜトロリーバスは急激に終焉を迎えたか?」についてを補足的にコメントいたします。

その前に。最後まで動いていた横浜のトロリーバスですが、こちらは現在で言うところの横浜市営201・202系統循環線がほぼ合致するルートですね。市電全盛の頃に路面電車ではなくゴムタイヤのトロリーバスが採用されたのは、和田町から常盤園、鶴屋町から泉町あたりの急勾配を登るためにいうのが理由のようですが。

そもそもトロリーバスの利点は、(1)軌条が要らない、(2)バスよりも大きな輸送力、(3)電力で走行するので排気ガスや騒音の発生がない、というものでした。路面電車網を急ピッチで拡張する必要が出てきたときに軌条が要らないトロリーバスは実験的な要素が盛り込まれて採用され、そこそこの規模に成長したのですが…。最初の設備更新の時期が来たとき、既に時代は変わっていました。架線を用いるために路面電車と一元的に運行されていた場所が多く、経済成長に伴い増加した自動車と勢力が逆転し圧されて衰退した路面電車に引きずられたというのと、トロリーバスの代替車両を導入するにはおよそバス3台のコストがかかるというのがネックになったのです。
それらの経緯を要約して一般的な読み物にて「車体の老朽化が進み、路面電車の廃止と相まってトロリーバスもその使命を終えた」という簡潔な記述で説明されているのを多く見受けますが、実はあまり知られていない(かもしれない)もうひとつの理由があったのです。
残念ながら軌道法の改正の影響で正確な資料を今すぐ掘り起こすことが出来なく記憶に頼る情報にしかならないのですが、その当時トロリーバスの安全基準の改正で「常に架線と集電装置の監視をしなければならない」ことになってしまったのです。その頃営業していたトロリーバスのほとんどはワンマン運転を実施していたのですが、これには参ったそうです。集電ポール間近の屋根に監視窓を取り付け、ミラー越しに運転手が監視するという手段で乗り切ったのですが、無軌条のいわば“バス”な訳ですから、ワンマンで運行するには大変取り扱いにくいものとなったのです。この事がネックとなり、前述の事情も相まってトロリーバスは一気に無くなったのです。

ところで、現在運行されているトロリーバスは、立山黒部アルペンルートの立山トンネルトロリーバスと、関西電力の関電トンネルトロリーバスの2路線だけですが、過去の都市トロリーバスが軌道法に準拠していた“軌道”なのとは異なり、いずれも専用道路を走行するので鉄道事業法によって運行されている“鉄道”なんだそうです。(準拠する法律が異なるだけで、運行システムに差異があるわけではないんですが)


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