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なおさんの記事が5件見つかりました

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[32074] 2004年 8月 23日(月)22:56:48なお さん
人口が国際的に動く月・国際的になった月
[32068] みかちゅう さん
実際には見ていませんが、そう聞きました。

実際に見た『過去帳』と言ったものは苗字ができた時にいたもっとも上の人の親からのっています。
(思い出の町に登録されいるほうの両親の血筋)

[32061] 白桃 さん
ちなみに僕の住む町はC2グループです。
※おそらく永久にこのグループでしょう。

また、2010年の国勢調査では静岡が人口減少によってC2グループになるということは
あるのでしょうか?

[32060] 白桃 さん
大分市では2000年以前に8月に人口が減少することが度々ありました。
やはりこれと同じ要因なのでしょうか?
実際、この夏休みにALTの先生が僕の住んでいる旧X町内で3人出てきましたから・・・
[32057] 2004年 8月 23日(月)12:09:42なお さん
余談です!!
[32053] いっちゃん さん
余談ですが、平安時代では全員行き着く可能性は0です。(あくまで仮定した書き込み、創造した書き込みとは思いますが)
僕の先祖が室町時代以降に百姓だったためです。(家に残っている資料で数十年前に判明)
まぁ意外と氷河期に地理に凝っている渡来してきた人かもしれませんね。
[32052] 2004年 8月 23日(月)08:41:24なお さん
世代をさかのぼると・・・・(親族の情報は1000人以下に特定できないように配慮しています)
[32050] ゆう さん
「たとえば玄祖父母の玄祖父母の玄孫の玄孫同士」だったりすると先祖が共通していることを当人が認識するのは困難でしょう。
こういう事に関して、親を経由してこのことに換羽する
祖父母の住んでいる丘があるのですが、あることにより一族大移動していました。
ついこの前まで親戚とは知らずにすれ違っていました。

知らずに親戚ということはあるものなのですね。
もしかしたら、ここの中でも知らず知らずの内に親戚同士ということもあるかもしれません。

[32003] いっちゃん さん
一応5代前までは正確に確認が取れています。
続柄生年人数
1990年1人
父母1950年代後半2人
祖父母1920年代後半・1930年代後半4人
曾祖父母1900年代~1910年代前半8人
玄祖父母1860年代後半~1890年代前半14人
5代前1830年代~1860年代前半26人

思い切りいとこ同士での結婚が2件あります。
江戸時代末期しか過去帳がないのでわかりません。

このままでは、紀元0年頃の先祖は1垓人を超えてしまいます!
記憶が正しければ、ホモ=サピエンスは兆の単位に入り込むぐらいしか生まれていないと
『噂』『TV』でしか聞いたことがないです。
近年まで親戚同士の結婚がかなり多かったのではないでしょうか?
[31970] 2004年 8月 20日(金)08:57:17なお さん
地方分権etc・・・
[31965] 中島悟 さん
あくまで僕たちには過去の事実自体は変えられないという意味で使っていましたが、
そのような意味があったとは・・・・もう少し確認すればよかったかもしれません。

国後・択捉はロシアと共同統治(中略)僕は個人的にはこれが理想的ではないかと思います。
これはあくまで『理想』として提示しました。
あくまで理想ですので、実際にできるなんて思ってはいません。

確かに今の状態ではすべての地域で破談してしまいますが、
過去のことを通して成功の方法を見つけ出すというのも1つの手段ではないでしょうか?
僕は戦争をしてこのような結果にすればよいとは思っていません。戦争に関してはなんといわれようと反対です。

[31962] 平成維新 さん
北九州はなんとか陽の目を見るまでに成長しましたが、
大分市の影響で中津市の経済力・政治力両方を失い、発展を見ませんでした。
北九州・中津・久留米・佐世保・延岡・人吉・下関が陽の目を見なかったという
見解も鋭いですね。実際に起こっていることですし・・・・・・・
まぁ仰っているように各都市圏が独自性を持ちながら均等になっていけばよいと思います。
ただですねぇ・・・北九州・下関は・佐世保は県庁所在地でないのにかなりの発展を遂げてきました。
そのため、都市規模の縮小はなくなるでしょうが、日の当たり方の変化は
中津・延岡・人吉etc・・・より小さいものとなりそうです・・・
[31957] 2004年 8月 20日(金)00:10:34なお さん
なつかしい・・・・新しくなる・・・・・
今日もアテネで金・銀が掘りだされて・・・・・違います。
選手たちの努力の結晶が金メダル・銀メダルという形でどんどん表れています。
あと3個でシドニーのメダルの数を越すようです。
勝った選手も負けた選手も“それぞれの形”でこれからもがんばっていってほしいです。

[31952] 両毛人 さん
僕はですねぇ・・・・・まず『朝地』ですね。
ぼくの大切な思い出が詰まり、これからも詰まって行く地だからです。
その次が・・・・・・・『耶馬溪』ですね
有名な観光地名ですが、自治体名でなくなるのがさびしいところです。
その次は・・・・・・・『蒲江』です。
理由はわかりませんが、何かがもったいないです。
その次は・・・・・・・『弥生』です。
最初に行ったときに何かを感じました。
また、人口面で見てこのような位置関係の中で唯一の人口増加が出ているからです。
その次は・・・・・・・『野津』です。
まぁここはいい合併となりそうなので心残りはありませんが、
石仏とおへまさんが万が一結婚したら・・・吉四六さんが・・・・・・
まぁとにかく昔からのゆかりの知名なのです。
次は『野津原』です。
ここも比較的思い出が詰まっているのが要因です。
次は・・『中津江村』です。
これはカメルーンと共通の気持ちです。(!)

以上地元版の『あなたにとって「懐かしい」市町村名』です。


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