[28122] 白桃 さん
そもそも国立公園の方が格的には上なんでしょう?
環境省の下記HP
http://www.sizenken.biodic.go.jp/park/info/npsys/define/
などによりますと、同じ自然公園法が根拠ですが、国立、国定とも指定するのは環境相(以前は環境庁長官)がどちらも指定するのですが、公園の行政的管理責任者が国立公園が環境省に対して、国定公園は都道府県になっているそうです。その下には都道府県が指定する「県立自然公園」が多数存在するそうです。
なんだが国道番号が2ケタ台と3ケタ台では管理者が異なると同じように、行政上の管轄が異なるだけの話ですね。この自然公園の制度はアメリカの制度に倣って制定されたので同じようにアメリカにも「国立公園」の他に「国定公園」もあるようです。
国立公園シリーズは簡素な2色刷り、国定公園シリーズは鮮やかな多色刷り、というのがどうも納得いきませんでした。国定公園の方が後だったので致し方なかったのかもしれませんが、
其の通りでして、国立公園シリーズのほうが先発シリーズで印刷がモノクロだったのです。しかも戦前からの古い企画です。
戦前に「国立公園」切手として発行された国立公園(各4種ずつ)は
富士箱根国立公園 1936.7.10
日光国立公園 1938.12.25
大山・瀬戸内国立公園 1939.4.20
阿蘇国立公園 1939.8.15
大雪山国立公園 1940.4.20
霧島国立公園 1940.8.21
大屯・新高阿里山国立公園 1941.3.10 *新高山は現在の玉山
次高タロコ国立公園 1941.3.10 *次高山は現在の雪山
8回で、最後の2つの国立公園は当時日本の植民地だった台湾の国立公園でした。このまま企画が進行していたら朝鮮半島のクムガンサンやペクトサンが登場(クムガンサンは当時の日本の7銭切手に採用)した可能性がありますが、朝鮮半島で国立公園を指定したかは不明です。
また当時の日本は皇国史観が盛んだったため同時に発行された小型シートには発行年号が2599(1939)と、皇紀と西暦で表示されていました。
戦後は1949年から再度企画がスタートし、13回にわたり1956年まで発行され、その後で国定公園シリーズを発行しようとなったのですが、1958年に発行された国定公園シリーズ第1回は、当時の郵政大臣(第1次岸内閣)であった田中角栄(後の首相)の地元であった「佐渡弥彦国定公園」(当時、現在は佐渡弥彦米山国定公園)が採用され、2回目が岸信介首相(当時)の地元であった「秋吉台国定公園」が発行され当時から「大臣切手」として評判が悪かったそうです。そのため1974年に日本全国の国定公園が発行されていないにも関わらず企画が打ち切りになり、沖縄海岸国定公園など沖縄県の国定公園切手は未だに未発行のままです。
また国立公園のシリーズは1962年に再度スタートしたのですが、サイズはスケールダウンしたのに戦前からのモノクロ路線は踏襲(国定公園切手がカラーイラスト原画に対して国立公園切手は写真原画)して、後から見ればアナクロで物足りない構成になったと思います。1974年に最後に発行された西表国立公園のみがカラー写真になりましたが、以後は国立、国定公園切手は発行はしない事になったそうです。
余談ついでに「国定公園」として切手が発行され、後に国立公園に昇格した箇所をリストにします。
利尻礼文サロベス国定公園 1968.5.10
伊豆七島国定公園(現在は富士箱根伊豆国立公園)1963.12.10
山陰海岸国定公園1961.8.15
足摺国定公園(現在は足摺宇和海国立公園)1960.8.1
錦江湾国定公園(現在は霧島屋久国立公園の一部)1962.4.30
国立公園一覧
http://www.sizenken.biodic.go.jp/park/np/index.html
国定公園一覧
http://www.biodic.go.jp/jpark/jpark.html
*ケアレスミスを修正