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special-weekさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[26390]2004年3月20日
special-week
[26308]2004年3月17日
special-week
[26277]2004年3月16日
special-week
[25474]2004年2月27日
special-week
[25398]2004年2月26日
special-week

[26390] 2004年 3月 20日(土)01:18:14special-week さん
尾久三業地
[26379]
matsu様

 おおおっっっっっっっと!!!いきなり同士を得た気分です(笑)
 さて、ご質問の件についてお答えいたしましょう。
「温泉が~」の話は初めて聞きました。話の出所はどこなんでしょうか?そんなのは見たこと
も聞いたこともないです。知っている人がいたら是非教えてください。一度その温泉に入ってみたいです。

 比較的地味な尾久(住んでいらっしゃる方、悪意はございませんのでお許しを)が世間から注目を浴びた事件があります。それは映画にもなった「阿倍定事件」です。これらの事件の概略を説明すると長くなってしまうので、ネットで検索していただくとして、この阿倍定事件が起きたのは尾久が花街として栄えていた昭和11年です。この頃の尾久一帯は尾久三業地と呼ばれ、料理屋・芸妓屋・待合などが多く立ち並んでいました。この花街として栄えるようになったきっかけをつくったのが、尾久の温泉です。現在の住所でいうと西尾久2丁目ということですが、この温泉が大正3年に沸いたことで続々と温泉旅館が開業して一大花街としてにぎわうようになりました。現在は子供や高齢者の憩いの場としてにぎわっているあらかわ遊園も当時は大浴場などを備えた今で言うところのスパーランドのようなものでした。

 そして尾久三業地がなくなって久しい現在も、その名残をたどることは可能です。日本庭園を有していた温泉旅館の小泉閣は、現在熊野前駅の近くでボーリング場になっています。そして料理屋も2軒ほど営業を続けているようですよ。尾久三業地の盛況時は芸妓衆が300人以上いたと言われています。(参考文献:『散歩の達人 2004年2月号』)←大書店ならバックナンバーを置いていると思います。興味がありましたら、お買い求めください。

 これらを考慮すると尾久駅が北区昭和町にありながら尾久駅としたのは、有名な三業地の名前を付けた方が対外的に分かりやすかったからではないかと思います。
[26308] 2004年 3月 17日(水)18:32:26special-week さん
アーカイブ日記
新着アーカイブのお知らせ
「街の中の迷路-差路の考察-」
http://uub.jp/arc/arc442.html

 記事内では、叉路と差路が混在していますが、タイトルは一応「差路」にしてあります。
[26277] 2004年 3月 16日(火)22:06:55special-week さん
6差路

6差路で思いで深いのは
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.41.53.163&el=139.45.24.634&la=1&sc=1&CE.x=266&CE.y=252
ですね。ここでよく迷いました。
[25474] 2004年 2月 27日(金)22:47:51special-week さん
習志野・津田沼
[25442]
ken様

習志野市の人は「津田沼」に住んでます。というでしょう。

 私事で恐縮ですが、以前付き合っていた女性が習志野市に住んでいました。で、人に言うときは「幕張」もしくは「津田沼」でしたね。習志野というときは、東京都民か千葉県民だけでしたねぇ。

 ちなみに、以前勤めていた会社に船橋に住んでいる人がいましたが「津田沼に住んでいる」と言ってました。最寄の駅が津田沼なのだそうです。
[25398] 2004年 2月 26日(木)13:09:49special-week さん
アーカイブ日記

 アーカイブ「がんばれ!都電 ―都電が走った今昔―」のタイトルを「都電100年」に変更いたしました。このところ、LRTや路面電車の書き込みが多く、もうじき都電が100周年を迎えることで、都電をどのように活用していくか多角的に考え、時代遅れの乗り物ではないという熱い思いに応えるためにちょっと祝報的な意味も込めて変更いたしました。でも、なんだかすっきりし過ぎかなぁ。

「都電100年」
http://uub.jp/arc/arc186.html


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