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KMKZさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[25791]2004年3月6日
KMKZ
[25772]2004年3月5日
KMKZ
[25740]2004年3月4日
KMKZ
[25726]2004年3月4日
KMKZ
[25723]2004年3月4日
KMKZ

[25791] 2004年 3月 6日(土)00:51:15KMKZ さん
内陸の島・京都編
[25702]EMMさん
ほかに平野の真ん中に「島」の付いた地名がいっぱいあるところって有るんでしょうか?
[25781]まがみ さん
近鉄京都線沿線(向島など)
京都にも島が!
調べてみるとこの付近にも島地名が沢山ありますね。中には島の字を2つも含む地名が3箇所もあります。

[宇治川沿いの島]
向島○○町(沢山あるので省略)
桃山町弾正島
桃山町金井戸島
中書島
向島柳島
向島中島町
葭島矢倉町
葭島渡場島町
中島

[近くを流れる桂川沿いの島]
横大路南島
納所外島

[宇治川と桂川が合流して淀川になってからの島]
上島
下島
前島
磯島
三島江

更に下って大阪に入れば、大阪の中心には有名な島がありますよ。

中之島
[25772] 2004年 3月 5日(金)17:17:00【4】KMKZ さん
ヤ系地名
[25732]じゃごたろ さん
引用して頂いた部分に誤りがありました。
連絡が遅くなりましたが、修正してあります。


[25749]烏川碧碧 さん
新たにヤ系の命名が行われることは(すでにあるヤ系地名にちなんだりしたケースを除いて)極めて稀であったのではないでしょうか。
東日本にはタニ系地名も結構ありますが、西日本にはヤ系が殆どないので、お説の通りなのでしょうか。
ところで、引用して頂いた部分に誤字があることに「気付き」ました。恥ずかしいので元の文章を修正してしまいました。


[25753]EMM さん
石川にも「ヤツ」「ヤト」「ヤチ」系の地名があります。
こっちは「谷内(やち)」になります。
「谷内(やち)」は古代の越の国の地を中心に分布しているようですね。
北陸地方には、東日本的な地名が多く残っているのでしょうか?


[25757]キュッキュ さん
山口県の「谷津」は「ヤツ」ですが,島根県の「谷戸」は「タンド」と読むようです。
やっと一例が、見つかりましたか。「谷」を「ヤ」と発音するのは明らかに東日本的だと思います。
山口と言えば毛利氏ですが、「谷津」も毛利領だったのでしょうか。毛利氏発祥の地は現在の神奈川県厚木市(青山学院大学厚木キャンパスがあった付近)だそうですね。しかし、毛利氏が「谷津」を関東から山口に伝えたのならば、「谷津」は山口(あるいは中国地方)一円にもっと分布してもよさそうですし、少なくとも毛利が大大名となる前の領地、広島県吉田町付近にも「谷津」がないと不自然かと思います。
山口県の「谷津」は、毛利氏以前に、別の小領主が東日本(下総?)からやって来て付けた地名なのかもしれません。文献上、山口県の「谷津」がどの時代まで遡れるのか興味がありますね。

毛利氏発祥の地 厚木市毛利台、森の里(=毛利の里?)
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.26.22.145&el=139.20.00.635&la=1&fi=1&pref=%bf%c0%c6%e0%c0%ee&skey=%cc%d3%cd%f8&sc=4
[25740] 2004年 3月 4日(木)23:32:57【3】KMKZ さん
西日本の谷津、谷戸地名
[25715]烏川碧碧さん
むしろ西方におけるヤ系の方が、後の歴史の影響があるようで興味深く思われます。
[25723]KMKZ
こうした一族の支配地の中には、西日本にあっても谷状の地形を東日本風に「ヤ」、「ヤツ」、「ヤト」と呼ぶ地名があっても不思議ではないとおもいます。果たして、実際に存在するのか興味深いですね。
[25737]キュッキュ さん
関西には「ヤツ」「ヤト」「ヤチ」系の地名は無いに等しいんですよね。

確かに殆どありませんが、なんとか、以下の2候補を見つけました。ただし、漢字で検索しているので読みが「ヤツ」、「ヤト」ではないかもしれません。

山口県玖珂郡玖珂町谷津
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.6.36.122&el=132.5.17.127&fi=1&la=1&skey=%c3%ab%c4%c5&kind=%bd%bb%bd%ea&pref=

島根県邑智郡川本町大字谷戸
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.59.57.670&el=132.29.12.224&fi=1&la=1&skey=%c3%ab%b8%cd&kind=&pref=
[25726] 2004年 3月 4日(木)18:19:05【1】KMKZ さん
諏訪湖付近の島、雷電神社、エースを狙え
[25716] じゃごたろ さん
諏訪湖南東部(上川・宮川流域)にも「島」の付く地名は幾つかあります。湖上の城といわれた高島城のある高島、飯島、福島などです。
そうでした。何年か前に高島城を訪れたことがあり、その時、諏訪湖の近くにも島地名があるんだと感心していたのに、すっかり忘れていました。
しかし、諏訪湖の辺の島地名の場合は、他の内陸部の島地名のように川の乱流地帯の中洲だった場所ではなくて、かつて諏訪湖が広大だった時には湖の中の本当の島だった場所のようですね。

#引用部中、南西部を南東部に修正しました。>じゃごたろ さん

[25719] いっちゃん さん
「雷」のつく神社の全国分布
雷電神社は、本社が群馬でも、栃木、埼玉の方が数が多いのですか。実は、小学生の時に仲の良かった友達の家の近くに雷電神社があって、その境内で何回か遊んだことがあり雷電神社には親しみがあったのですが、他の雷電神社を見たことがなく、一箇所しか無いのかと思っていました。数はそれ程多くなくてもカミナリ銀座の北関東には結構、分布している神社だったのですね。
教えていただいたサイトの雷電神社のリストにもちゃんと子供の時に遊んだ雷電神社が載っていました。

ところで、神社といえば古い建物を連想しますが、六本木ヒルズのテレビ朝日の新社屋の屋上には出来たてほやほやの稲荷神社が鎮座しているそうですね。

[25720] ペン助 さん
始めまして。
エースを狙えも埼玉県です。皆さんにとっては常識だったかな(汗
私、アニメには疎いものですから知りませんでした。調べて見たところ浦和西高がモデルで、作者も浦和西高出身のようですね。
[25723] 2004年 3月 4日(木)17:27:41【2】KMKZ さん
RE:谷に思う
[25715] 烏川碧碧 さん
下総の谷津と同様の赤塚の地形は、千葉氏以前にも、
同様の地形を武蔵野台地東端では、「谷(や)」、西部では「谷戸(やと)」と呼ぶようですが
というように、古くは武蔵野台地の言葉に従って「ヤ」あるいは「ヤト」と呼ばれていたのではないでしょうか。それを千葉氏が下総の言葉に従って「谷津」と写した(発音への影響もあったかもしれません)ということはあっても、「命名」というほどのことは無いように思います
お説ごもっともです。千葉氏は赤塚城を新規に築城したのではなくて元々あった赤塚城に入城したのですから、それ以前から付近の谷状の地形に「○○ヤ」あるいは「○○ヤト」と呼ばれる地名があり、それを下総風に「○○ヤツ」と呼ぶようした可能性は高いと思います。一方、新たな支配者がやって来たことを強調する為に、福岡のように、元の地名を否定して自分の出身地に由来する地名を新たにつけた可能性も否定できないわけで、文献に記録が残っていなければどちらが正しいかは判断はできないかと思います。
私としては「○○ヤツ」の「○○」の部分が元々あった地名由来か、千葉氏が赤塚城入城時に新たにつけたかのかどうかよりは、「ヤツ」が千葉氏が下総から武蔵野の赤塚の地に伝えた地名であるかどうかに興味があります。

東京の「タニ」地名
確かに、東京でも茗荷谷、鶯谷は「タニ」と西日本的な呼び方をしますね。
東京の地名で「谷」を「タニ」と呼ぶ場合は、江戸時代以降の比較的新しい地名の可能性が高そうですね。

東国から京都に人が動いた例としては、足利氏による室町幕府の成立の頃くらいしか思いつかない
東国から京に上り、全国的な支配を行った例としては足利氏だけかもしれませんが、鎌倉幕府の成立以降、関東から守護/地頭等で西国に行き大名として一定の勢力を築きあげた一族は多い筈です。

例えば、島津氏、毛利氏、大友氏は皆、相模出身だったのでは。
この他にも、この掲示板では、下野から伊予に行った宇都宮氏、仙波氏、武蔵から丹波に行った足立氏などが話題になっています。
こうした一族の支配地の中には、西日本にあっても谷状の地形を東日本風に「ヤ」、「ヤツ」、「ヤト」と呼ぶ地名があっても不思議ではないとおもいます。果たして、実際に存在するのか興味深いですね。


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