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BANDALGOMさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[108081]2023年6月24日
BANDALGOM
[108048]2023年6月17日
BANDALGOM
[108037]2023年6月16日
BANDALGOM
[107975]2023年6月11日
BANDALGOM
[107953]2023年6月6日
BANDALGOM

[108081] 2023年 6月 24日(土)23:41:19BANDALGOM さん
カスコウ
[108072]白桃さん
阿見町 49,834 茨城県私立 霞ヶ浦
かすみがうら市にあるのは「つくば国際大東風高校」
この霞ヶ浦高校は、1989年1月、最初のすべり止めとして受験しました。
タイトルはこの学校の略称(蔑称?)です。後に大学で知り合った土浦の人と話したところ、茨城県民もこう言うとのことでしたが、当時は底辺校の代名詞でした。野球などのスポーツはそこそこ強いですが。

余裕で合格はしましたが、その後受けた都内の私立高校は落ちたため、県立に落ちたら「霞ヶ浦高校には通わせられない」ということで、落ちた都内の高校(こちらも野球・サッカーで有名)の2次募集を受験するべく、その高校の願書を持って県立の合格発表に向かったものです。

幸いにも県立高校には合格し、霞ヶ浦高校はいったん払った入学金の返金手続きに母親が行きました。なお、落ちた都内の高校は、「千葉県沼南町にサッカー部のグラウンドがある」ことが学校案内に書かれていましたが、そのグラウンドは現在の勤務先のすぐ隣にあったりします。

一方、かすみがうら市にある「つくば国際大東風高校」も、2010年代に某英語試験の監督業務で行きました。日曜日だったので、常磐線神立駅からチャーターしたバスで行ったものです。
[108048] 2023年 6月 17日(土)23:46:42【1】訂正年月日
【1】2023年 6月 18日(日)00:01:44
BANDALGOM さん
Re: 高校生までの野外教育施設(宿泊行事)体験
[107991]ただけんさん
[107985]駿河の民 さん
[107878]サヌカイトさん
[107979]おがちゃんさん

私はまず、
(1)は小学校と高校であります。
小学校は5年生の林間学校で、長野県・菅平高原にあった「菅平かしわ荘」に宿泊しました。名前の通り、柏市立の施設です。

初日はまず学校に集合し、20分ほど歩いて柏駅に移動、常磐線で上野へ出て、今はなき特急「あさま」で軽井沢へ向かいました。軽井沢からはバスに乗り、一旦群馬県に入って鬼押出し園に行った後、菅平高原に向かい、食後にキャンプファイヤーをしました。

2日目は根子岳に登った後、日本ダボスまで歩いて行き、夜は肝試しをしました。そして最終日は上田城へ行って、上田駅から特急「あさま」で帰ってきました。

高校は3年生の夏休み、「リーダー研修会」に図書委員長の代理として参加しました。

1日目は船橋駅に集合し、大原行きの快速に終点まで乗って、普通列車に乗り換えて安房鴨川に到着。そこから千葉県立の「鴨川青年の家」に向かいました。

もう30年以上前のことなので、詳しくは思い出せませんが、1日目から研修プログラムはあったかと思います。

翌朝は早くから「朝のつどい」があり、君が代を流して日の丸を掲揚、それからラジオ体操、あと何かあったように思います。後日、生徒会誌に寄稿した役員の1人は、「沖縄県民が見たら激怒する」なんて書いていました。

そして海でカッター訓練をやり、午後は青年の家周辺でウォークラリーをやって、飯ごう炊飯をし(カレーを作ったものの、大量に余り、捨ててしまったので、もったいないと思ったものです)、夜は室内でキャンプファイヤーの真似事をしました。

最終日も午前中は研修があったかと思います。そして青年の家を後にし、安房鴨川駅から特急に乗って帰りました。

当時は愛知県と並ぶ管理教育県として知られた千葉県の施設だけあって、指導もなかなか厳しいものがありました。青年の家のパンフレットには「Youth Center」と書いてありましたが、ユースと付いているので、ユースホステルも同じようなものかと思いました。しかし、阪神・淡路大震災のボランティアに行った時、大阪・服部緑地のユースホステルに泊まったところ、青年の家とは全く違う、居心地のよい所だったので、翌年の春に関西に行った時も、同じユースホステルに泊まりました。このユースホステルは残念ながら、2000年代ぐらいに廃止されたようですが。

(2)ですが、「菅平かしわ荘」は残念ながら、2000年頃に廃止となりました。付き合いのある元県議が、この頃には柏市議をしていましたが、やむなく賛成したと言っていました。後にアルバイトすることになる八ヶ岳の板橋区立少年自然の家に比べると、かなり貧弱な施設でしたし、廃止も無理もないかなとは思いました。

鴨川青年の家は今も存続しています。
[108037] 2023年 6月 16日(金)23:16:16BANDALGOM さん
Re:高校生までの野外教育施設(宿泊行事)体験
[107991][108023]ただけんさん
[107985]駿河の民 さん
[107878]サヌカイトさん
[107979]おがちゃんさん

私は小学5年の林間学校で、信州・菅平高原にあった「菅平かしわ荘」に宿泊しました。名前の通り柏市立で、公設公営でした。後に住み込みバイトをすることになる、同じ信州でも八ヶ岳の「板橋区立少年自然の家」に比べて、余りにも貧弱な建物ではありましたが、市内の小学校の林間学校では利用され、また一般の利用者もそこそこいたようです。しかし、20世紀末ごろに廃止となってしまいました。

一方、高校3年の夏休みには、鴨川市の県立青年の家で行われた「リーダー研修会」に、図書委員長の代理として参加しました。これについては[106290] [107975]で書いていますので、お読みいただければと思います。
[107975] 2023年 6月 11日(日)16:38:11BANDALGOM さん
ユースホステル
[107864] かぱぷうさん
以前、メークインさんとユースホステルについてやり取りを交わした際に、私は「この宿に泊まりたい!」という目的で旅行したことがあるのかな?ということを思いました。例えば、特定のユースホステルを目指したとか、評判の有名旅館に泊まることを目的に出掛けたとか、以前に泊まったあのホテルが極めつけに良かったからリピートで訪れたとか、新婚旅行で泊まった旅館をン十年ぶりに再訪したとか。皆さんはいかがですか?
私は1995年、96年と、大阪・服部緑地のユースホステルに泊まりました。
95年は阪神・淡路大震災のボランティアです。この時、最初の6日間泊まったのが、服部緑地のユースホステルでした。

関西には1980-81年にかけ、伊丹に住んでいた母方の親戚が亡くなった関係で4回行きましたが(亡くなる前のお見舞いと、葬儀、四十九日、初盆)、その時初めて三番街にも行き、母親が買い物か何かしている間に地下水路のところで弟と2人で遊んでいました。その場所が三番街だと知ったのは、大学時代の八ヶ岳のバイトで、お世話になった関西人夫婦(夫は現在の京都府木津川市、妻は吹田市出身)と話していてのことでしたが、幼い頃の記憶があったので、95年にも1日休んだ時に三番街に行ったのでした。服部緑地のユースホステルは7日目から一杯だったので、堺市の泉北ニュータウンの類似施設へ移り、10日目で帰ったのですが、類似施設へ移る時にも1回、そして帰る時にも1回、三番街には行ったような記憶があります。

ユースホステルに泊まったのはこの時が初めてでしたが、居心地のよい所だったので、翌年3月に友人と関西を旅行した時にも、服部緑地のユースホステルに泊まりました。友人は3日目までで帰りましたが、私はもう1日いました。ユースホステルについては、それまでのイメージが大きく変わったというのがありました。高校3年の時、学校の「リーダー研修会」に図書委員長の代理として参加し、鴨川市の県立青年の家に行ったのですが、それはもう、当時は愛知県と並ぶ管理教育県といわれた千葉県の教育を象徴するかのような施設でした([106290]拙稿)。この「青年の家」のパンフレットで、英語の名称として「Youth Center」と書いてあったので、ユースホステルも似たようなものかと思いましたが、95年のこの時、「Youth Center」とユースホステルとのあまりの違いに驚き、翌年に関西へ行った時にも同じユースホステルに3泊したのでした。残念ながら、服部緑地のユースホステルはその後、閉鎖されたようですが・・・。
[107953] 2023年 6月 6日(火)20:47:27BANDALGOM さん
Re:未知の情報提供
[107925] 迷い猫 さん
岩手県盛岡市の高松の池周辺に「ギンネコ」という地名があるらしい ネットで調べてたらこのサイトが出てきたけど 無かったので未知の情報らしい
「盛岡」「高松の池」「ギンネコ」で検索してみましたが、それらしき場所、地名は出てきませんでした。
何かの間違いか、あるいは小さな店か何かではないでしょうか。


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