[58657]むっくん さん
[58659] geo さん
ご推察のとおり,那須塩原市の埼玉は,埼玉県の埼玉に由来します。ただし読み方は「さきたま」。
以下,みやこ♂
[26836]より。
チナミに黒磯市の埼玉は「さきたま」と読みますが,埼玉県からの開拓団に由来する命名と聞いたことがあります。
実はコレは,かつて地元のおじちゃんに聞いた話だったのですが,ただいま手元の「角川日本地名大辞典9 栃木県」を引きますと,「さきたま 埼玉〈黒磯市〉」の欄には・・・・・・
明治14年埼玉県の有力者中村・・・(以下名前省略)ら9名が官有原野の貸下げを受けて開いた農場で,(中略)一般には埼玉開墾と呼ばれ,市制町村制施行の際大字名となった。株主が埼玉県人だったために埼玉開墾と呼ばれた。
とあります。う~ん,しかしこれでは何で「さいたま」でなく「さきたま」なのか,わたくしにはわからないぞ。それとも昔は「さきたま県」と発音していたのだろうか。
それから飛行場について。
同書によれば昭和13年に埼玉開墾の一部が陸軍に買収され,昭和16~17年頃,できあがったとのことです。
今の感覚では飛行場って幅広のベルト状のものを連想しますが,本来飛行機は横風に弱いものですし,対気速度を確保するために風に正対して飛び立つことが望ましいわけで,そんなわけでどの方角から風が吹いても大丈夫のように,四角く作られたのですね(それをもっと突き詰めた円形の飛行場が,旧ソビエトにあったはずです)。この飛行場,一般には「埼玉飛行場」と呼ばれていました。【なお現在大田原市になる旧金田村の
このへんには金丸(かねまる)飛行場というのもありました。地図の上の方に東野鉄道の廃線跡も見えてます。】
戦争が終わって不要になった埼玉飛行場は,開拓の訓練所になりました(金丸飛行場も開拓地に)。主に外地からの引き揚げ者による就農者はいったんここで訓練したのちに,那須野が原の各地へ散っていき,新たな生活を始めたのです。