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YTさんの記事が5件見つかりました

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[104019] 2022年 2月 28日(月)04:04:19【1】訂正年月日
【1】2022年 2月 28日(月)11:26:53
YT さん
哀悼
hmtさんのご訃報に接し、心から哀悼の意を表します。

土曜日の内に訃報に気付きましたが、土日なので子供が寝ている間に仕事をするという、個人的に超絶忙しい状況に追い込まれており、なかなか追悼文を書けずにおりました。

hmtさんとの話題の共有は様々ありましたが、とりわけ過去の人口情報の書き込みには頻繁に反応を頂きました。今取り掛かっている明治22年、23年の人口の入力作業も忙しくて滞っており、hmtさんに完成版を見せることができず残念です。

ところで私の本職は実のところ実験化学なのですが、ここに来てhmtさんの本職も化学(そういえば大阪の化学会社に就職したというのを書いていたような記憶が・・・[100051])ということで、とんでもない接点がありました。私はオフ会には一度も参加したことはありませが、専門が近かったとなると、是非ともお会いして話をしたかったです。

またhmtさんは2003年7月に70歳、亡くなった時には88歳だったということは、私の父の3歳上で、小学生の時に教育制度が新制に替わった世代ですね。私の父も専門は完全に理系ですが、とにかく教養を大事にする人で、今でもアマオケに参加して練習をする傍ら、歴史の本を読むという、専門に囚われない広い知識と教養を貪欲に求め続けています。私が専門で理系を選び、趣味で歴史関係にはまっているのは完全に両親の影響ですが、専門外のことまで妥協せずに色々調べ尽くす、hmtさんなどのこの世代の教養人の姿勢は、今後も見習いたいです。

【訂正】教育制度が変わったのは父が小学6年、hmtさんが中学3年の時で、私の父の場合は中学から新制度になりましたが、hmtさん自身は旧制中学で卒業した世代でしょうか?この辺数年の違いで差が出るので、リアルタイムに経験しないと分かりません。
[103922] 2022年 2月 4日(金)19:45:50【2】訂正年月日
【1】2022年 2月 4日(金)20:23:30
【2】2022年 2月 4日(金)20:35:32
YT さん
自己解決と新たな現住人口算出処理の間違いの発見
[103921]の西成郡の兵営に関連して新たな知見が得られたのと共に、『日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」における現住人口算出処理の間違いを見つけてしまいました。

まず『日本民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」と『町村別戸口表』『戸籍表』を突き合わせることにより、大阪府における[入]陸海軍在営艦者の数値は以下の変遷としてまとめられます。

郡区明治22年明治23年明治23年当時の在営隊
大阪市東区4,0203,970歩兵第八連隊・歩兵第二十連隊・砲兵第四連隊・輜重兵第四大隊・軍楽隊・大阪憲兵隊
大阪市南区40
大阪市西区0173騎兵第四大隊
西成郡1120
大阪府全体4,1364,143

明治22年と明治23年で兵営人員に変化はほとんどありません。それ以前の明治20年の段階では、すべての兵営は大阪市東区法円坂、大阪市東区大手前にありましたが、この段階では大阪憲兵隊、騎兵大隊の兵営の記載がありません。調べたところ、大阪憲兵隊(それ以前は東京の憲兵隊の分遣隊扱い)と騎兵第四大隊が大阪府内に発足したのは明治22年。この内大阪憲兵隊に関しては、明治22年に大阪分遣憲兵大隊が大阪憲兵隊へと昇格したことによる名称変更で、その司令部が大阪市南区順慶町に置かれており、明治22年の南区の4人は大阪憲兵隊の在営人員そのものと思われます。

次に騎兵隊について改めて調べたところ、騎兵大隊自体が設置されたのは明治21年のことで(明治21年2月28日の官報)、発足当初は大阪に設置されませでした。第四師団配属となる騎兵第四大隊の場合は、まず東京で訓練され、その後明治22年11月28日にようやく大阪へ移転となったようです。そして遂に明治22年12月6日の官報に以下の文章を見つけました。

○騎兵中隊移転 第四師団騎兵第四大隊第一中隊ハ去月二十八日大阪府東成郡清堀村新築騎兵営ヘ移転セリ(陸軍省)

ん?西成郡ではなくて東成郡?これはどういうこと?

一応明治22年の西成郡と東成郡の出寄留情報は以下の通りです。西成郡川崎村には堀川監獄分署があり、無籍在監人13名と囚人及徴治人3,101人が居住していましたが、その分を除しても差分として112名の陸海軍在営艦者がいることが分かります。一方の東成郡の方は町村戸口表の出入寄留情報だけで現住人口が計算可能で、監獄も兵営地も所在者がゼロです。

出入寄留等西成郡東成郡
本籍人口139,21064,043
[出]外国行1713
[出]他府県出寄留2,406667
[出]他郡市出寄留3,0801,307
[出]他町村出寄留1,297414
[出]陸海軍在営艦者14668
[出]囚人及徴治人273158
[出]失踪2,2641,516
[入]他府県入寄留14,1035,514
[入]他郡市入寄留6,7073,408
[入]他町村入寄留1,297414
[入]無籍在監人130
[入]有籍囚人及徴治人3,1010
[入]陸海軍在営艦者1120
現住人口(「各地方郡市戸口表」掲載)155,06069,236


調べたところ、町村制施行以前は、清堀村は西成郡所属でしたが、明治22年4月1日に清堀村単独で町村制を施行した際、西成郡から東成郡へと所属が変更されたことが判明しました。明治20年の『陸軍省統計年報』を調べたところ、この段階で「陸軍所用見込地」として西成郡清堀村字小橋山・宰相山12115坪を取得しており、この土地が2年後の騎兵営地となったわけです。

よって私の出した結論としては、明治22年12月31日時点で西成郡に加算された兵員112名は、陸軍第四師団騎兵第四大隊第一中隊であって、東成郡堀成村に兵営していたが、「各地方郡市戸口表」の担当者が堀成村は西成郡所轄のままと勘違いして、うっかり西成郡の現住人口に加算してしまったのだろうということです。

「各地方郡市戸口表」における東成郡/西成郡という誤りは、姫路市/飾東郡の誤りに続いて2つ目となります。

なお当初西成区の兵営地として自分が考えていた天保砲台ですが、明治21年には天保山砲台周辺の土地は民間の遊園地となっていますので、明治21年中に軍用地から民間の土地になったと思われます。

【追記】『大阪府全志』の記述により、清堀村内の小字名を「小構山」から「小橋山」に改訂。
[103921] 2022年 2月 3日(木)21:00:45【2】訂正年月日
【1】2022年 2月 3日(木)23:20:55
【2】2022年 2月 4日(金)12:37:59
YT さん
明治23年の陸海軍在営艦者のまとめと、明治22年における陸海軍在営艦者の所在地の問題
[103852]
2.明治22年に関しては入寄留側の陸海軍在営艦者の統計が記載されていません(明治23年に関しては駐屯地毎の陸海軍の統計が存在する)。ただ府県別データは『日本帝国民籍戸口表』「各地方人口出入表」に掲載されていますので、郡市別データと監獄の統計からの加除により、ある程度は推測できます。
と書きましたが、実際には明治22年と明治23年で異なることが多く、大阪府と兵庫県で陸海軍在営艦者の所在地をはっきりとは断定できない問題が発生しました。そこで比較のためにまず以下に、明治23年の戸口表記載の情報から、明治23年末における「陸海軍在営者」62,494人の情報をまとめます。

府県区町村等人員区分
東京府麹町区代官町1,160陸軍近衛歩兵第一連隊
東京府麹町区代官町1,155陸軍近衛歩兵第二連隊
東京府麹町区代官町362陸軍近衛歩兵砲兵連隊
東京府麹町区代官町45陸軍近衛歩兵軍楽隊
東京府麹町区大手町10陸軍東京憲兵隊
東京府(下谷区下谷車坂町)
東京府麹町区元衛町62陸軍乗馬学校
東京府麹町区元衛町12陸軍蹄鉄学舎
東京府麹町区外桜田町999陸軍近衛歩兵第三連隊
東京府麹町区外桜田町997陸軍近衛歩兵第四連隊
東京府麹町区飯田町115陸軍砲兵工科学舎
東京府京橋区築地四丁目8海軍大学校
東京府京橋区築地四丁目33海軍主計学校
東京府芝区芝公園地6海軍水路部
東京府芝区芝赤羽町3海軍造兵廠
東京府芝区品川港354海軍高千穂
東京府芝区品川港333海軍扶桑
東京府芝区品川港307海軍浪速
東京府芝区品川港188海軍高雄
東京府芝区品川港210海軍葛城
東京府芝区品川港202海軍大和
東京府芝区品川港237海軍筑波
東京府芝区品川港54海軍鳳翔
東京府芝区品川港101海軍磐城
東京府麻布区新竜土町1,420陸軍第一師団歩兵第三連隊
東京府赤坂区赤坂檜町1,458陸軍第一師団歩兵第一連隊
東京府赤坂区溜池葵町1海軍参謀部
東京府四谷区千駄ヶ谷村328陸軍第一師団輜重兵第一大隊
東京府牛込区市谷本村町596陸軍第一師団砲兵第一連隊
東京府牛込区市谷本村町377陸軍士官学校
東京府牛込区市谷本村町246陸軍幼年学校
東京府牛込区下戸塚町917陸軍戸山学校
東京府荏原郡目黒村264陸軍近衛騎兵大隊
東京府荏原郡目黒村340陸軍第一師団騎兵第一大隊
東京府北豊島郡岩淵町160陸軍近衛工兵中隊
東京府北豊島郡岩淵町351陸軍第一師団工兵第一大隊
東京府南豊島郡大久保村24陸軍軍楽学舎
京都府紀伊郡伏見町350陸軍第五師団工兵第四大隊
大阪府大阪市西区173陸軍第四師団騎兵第四大隊
大阪府大阪市東区1,467陸軍第四師団歩兵第八連隊
大阪府大阪市東区1,467陸軍第四師団歩兵第二十連隊
大阪府大阪市東区612陸軍第四師団砲兵第四連隊
大阪府大阪市東区323陸軍第四師団輜重兵第四大隊
大阪府大阪市東区37陸軍第四師団軍楽隊
大阪府大阪市東区4陸軍大阪憲兵隊
神奈川県三浦郡浦郷村長浦159海軍横須賀水雷隊
神奈川県三浦郡横須賀町278海軍横須賀鎮守府
神奈川県三浦郡横須賀町1,399海軍横須賀鎮守府海兵団
神奈川県三浦郡横須賀町310海軍龍驤
神奈川県三浦郡横須賀町156海軍八重山
神奈川県三浦郡横須賀町382海軍武蔵
神奈川県三浦郡横須賀町200海軍迅鯨
神奈川県三浦郡横須賀町145海軍天城
神奈川県三浦郡横須賀町183海軍干珠
神奈川県三浦郡横須賀町130海軍愛宕
神奈川県三浦郡横須賀町21海軍筑紫
神奈川県三浦郡横須賀町105海軍赤城
神奈川県三浦郡横須賀町185海軍海門
神奈川県三浦郡浦賀町37陸軍要塞砲兵幹部練習所
神奈川県三浦郡浦賀町414陸軍要塞砲兵第一連隊
神奈川県橘樹郡神奈川町1陸軍神奈川砲台分遣
兵庫県神戸市90海軍麻耶
兵庫県姫路市1,423陸軍第四師団歩兵第十連隊
長崎県長崎市1陸軍長崎砲台分遣
長崎県長崎市88海軍満珠
長崎県長崎市94海軍鳥海
長崎県東彼杵郡佐世保村96海軍佐世保鎮守府
長崎県東彼杵郡佐世保村1,030海軍佐世保鎮守府海兵団
長崎県東彼杵郡佐世保村35海軍佐世保水雷隊
長崎県東彼杵郡佐世保村104海軍日進
長崎県下県郡厳原村201陸軍対馬警備隊
長崎県下県郡竹敷村152海軍春日
新潟県北蒲原郡新発田町1,481陸軍第二師団歩兵第十六連隊
千葉県東葛飾郡市川町1,259陸軍教導団
千葉県印旛郡佐倉町1,474陸軍第一師団歩兵第二連隊
千葉県印旛郡志津村150陸軍砲兵射的学校
群馬県西郡馬郡高崎町1,495陸軍第一師団歩兵第十五連隊
愛知県名古屋市1,463陸軍第三師団歩兵第六連隊
愛知県名古屋市1,479陸軍第三師団砲兵第十九連隊
愛知県名古屋市622陸軍第三師団砲兵第三連隊
愛知県名古屋市352陸軍第三師団工兵第三大隊
愛知県名古屋市321陸軍第三師団輜重兵第三大隊
愛知県名古屋市3陸軍愛知憲兵隊
愛知県渥美郡豊橋町1,464陸軍第三師団歩兵第七連隊
滋賀県滋賀郡大津町1,557陸軍第四師団歩兵第九連隊
宮城県仙台市榴ヶ岡1,487陸軍第二師団歩兵第四連隊
宮城県仙台市川内1,472陸軍第二師団歩兵第十七連隊
宮城県仙台市川内108陸軍第二師団騎兵第二大隊
宮城県仙台市川内597陸軍第二師団砲兵第二連隊
宮城県仙台市川内343陸軍第五師団工兵第五大隊
宮城県仙台市川内333陸軍第二師団輜重兵第二大隊
宮城県仙台市川内3陸軍宮城憲兵隊
青森県東津軽郡青森町1,023陸軍第二師団歩兵第五連隊
石川県金沢市1,471陸軍第三師団歩兵第七連隊
広島県広島市1,431陸軍第五師団歩兵第十一連隊
広島県広島市1,484陸軍第五師団歩兵第二十一連隊
広島県広島市106陸軍第五師団騎兵第五大隊
広島県広島市589陸軍第五師団砲兵第五連隊
広島県広島市344陸軍第五師団工兵第五大隊
広島県広島市330陸軍第五師団輜重兵第五大隊
広島県広島市3陸軍広島憲兵隊
広島県広島市宇品41海軍館山
広島県広島市宇品35海軍石川
広島県安芸郡江田島村120海軍兵学校
広島県安芸郡江田島村181海軍天龍
広島県安芸郡宮原村101海軍呉鎮守府
広島県(安芸郡和庄村)
広島県(安芸郡荘山田村)
広島県安芸郡宮原村1,443海軍呉鎮守府海兵団
山口県赤馬関市396陸軍要塞砲兵第四連隊
香川県那珂郡丸亀町1,456陸軍第五師団歩兵第十二連隊
愛媛県松山市1,494陸軍第五師団歩兵第二十二連隊
福岡県企救郡小倉町1,494陸軍第六師団歩兵第十四連隊
福岡県福岡市1,429陸軍第六師団歩兵第二十四連隊
熊本県熊本市1,480陸軍第六師団歩兵第十三連隊
熊本県熊本市1,162陸軍第六師団歩兵第二十三連隊
熊本県熊本市177陸軍第六師団騎兵第六大隊
熊本県熊本市615陸軍第六師団砲兵第六連隊
熊本県熊本市361陸軍第六師団工兵第六大隊
熊本県熊本市357陸軍第六師団輜重兵第六大隊
熊本県熊本市3熊本憲兵隊
沖縄県首里125陸軍第六師団歩兵第二十三連隊第八中隊
北海道庁函館区493陸軍第二師団歩兵第五連隊分遺隊
日本国内合計53,194陸軍
日本国内合計9,300海軍
外国行英国129海軍千代田
外国行外国航海中243海軍金剛
外国行外国航海中263海軍天龍
外国行合計635海軍

日清戦争前夜とはいえ、兵営・艦隊に居住する兵員が6万人って案外少ないように感じました。また東京湾の艦隊は「武蔵国品川」に停泊していますが、人口統計上はすべて東京府芝区として扱われています。また呉鎮守府101名の在営地として宮原村、和庄村、荘山田村、東京憲兵隊10名の在営地として麹町区大手町、下谷区車坂町の地名が列挙されていますが、統計上はそれぞれすべて宮原村、麹町区に集計されているようです。

それはさておき、明治22年末における「陸海軍在営者」の所在地を同定しようとして『町村別戸口表』の寄留情報と突き合わせたところ、『日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」においては、明治22年末における兵庫県内の「陸海軍在営者」1568人はすべて飾東郡で計上されていることが分かりました。

本籍人口51,586
[出]外国行1
[出]他府県出寄留337
[出]他郡市出寄留855
[出]他町村出寄留108
[出]陸海軍在営艦者80
[出]囚人及徴治人59
[出]失踪1,093
[入]他府県入寄留82
[入]他郡市入寄留311
[入]他町村入寄留108
[入]無籍在監人0
[入]有籍囚人及徴治人0
[入]陸海軍在営艦者1,568
現住人口(「各地方郡市戸口表」掲載)51,122

一方『町村別戸口表』には姫路市など一部市の情報が欠けておりますが、『兵庫県統計書』記載の出入寄留情報と官報掲載の現住人口の情報とを比較することで、『日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」においては、監獄や兵営の人口が姫路市の現住人口に入っていないことが確認できます。

本籍人口24,529
[出]外国行・他府県郡市出寄留・失踪3,645
[出]陸海軍在営艦者・囚人及懲収人55
[入]他府県郡市入寄留4,653
[入]無籍在監人0
[入]有籍囚人及徴治人0
[入]陸海軍在営艦者0
官報掲載の現住人口25,542
現住人口(「各地方郡市戸口表」掲載)25,487
現住人口(「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載)27,055

ところが同じ『日本帝国民籍戸口表』でも「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」の方では姫路市の現住人口は27,055人となっており、あからさまに軍人1,568人が姫路市の方に計上されています。

なお明治23年の段階では、陸軍第四師団歩兵第十連隊1,423人はすべて姫路市となっております。一方陸軍省統計年報によると、明治20年の段階で大阪鎮台歩兵第十連隊の兵営所在地は「播磨国飾東郡姫路」となっています。一応飾東郡播磨津須賀(17331坪)にも砲台がありますが、ここに1000人規模の兵営を置いたとは思えず、考えられるのは、「各地方郡市戸口表」の作成者が明治22年成立の姫路市を無視し、うっかり「飾東郡姫路」として飾東郡に陸軍第四師団歩兵第十連隊の人口を加算してしまったということでしょう。そうなってくると現住人口算出の上で間違いだらけの「各地方郡市戸口表」([103852][103913]を参照)が、姫路市に関しては正しい処理をしたことになります。

次に明治22年末の大阪市内の現住人口から、[入]陸海軍在営艦者4,136の分布を割りだしたところ、明治23年末とは異なり、大阪市西区には兵員はおらず、大阪市南区と西成郡内に兵員がいることが判明しました【表修正】。

郡区明治22年明治23年
大阪市東区4,0203,970
大阪市南区40
大阪市西区0173
西成郡1120
大阪府全体4,1364,143

明治22年末当時、大阪府南区順慶町に大阪憲兵隊の屯所が置かれていたそうなので、南区の4人は大阪憲兵隊で間違いありません。一方問題なのが西成郡の112名です。大阪四区は10年以上郡から分離しており、明治22年発足の姫路市のように所属郡をそのまま間違えたとは思えません。とりあえず西成郡内で該当しそうなものを探すと、明治20年の段階では西成郡八幡屋新田に天保山砲台(22801坪)が存在します。明治22年当時、砲兵分遺隊として100名程度がこの地に在営していた可能性はあります。ただ明治19年の段階ですと、陸軍省年報によると目標山(=天保砲台)の砲兵分遺衛兵は10名にすぎません。それよりも前だと天王寺の茶臼山にも陸軍関連施設があったようですが、明治20年段階ではその施設は存在しません。海軍だと112名はちょっとした艦船の規模ですが、少なくとも明治22年前後に大阪府内に海軍施設があったようには見えませし、艦船が停泊する軍港もありません。それ以外に陸軍・海軍関連施設が見つからないので、とりあえず112名は大阪府西成郡の天保山砲台にいたと仮定します。

ただここで天保山砲台の所在地を、陸軍省年報や陸軍省統計年報は「西成郡天保町」とせずに「西成郡八幡屋新田」としている点が気になります。八幡屋新田は天保町に隣接する地区で、明治22年以降川南村の大字となります。よって現時点では112名を西成郡川南村の現住人口としてカウントすることにしておりますが、これが正しい見解なのかさっぱり分かりません。明治22年版の陸軍省統計年報を閲覧できたらなら、多少情報が増えるかも知れませんが、現時点ではすぐに閲覧できません。

【漢字色々修正】自分は別に軍隊に造詣が深いわけではないので、艦船の字にまだ間違っている箇所があるかも知れませんが御容赦下さい。
[103913] 2022年 2月 2日(水)00:02:15YT さん
130年以上前の計算間違い発覚
[103910] オーナー グリグリさん

明治初期の市区町村の人口データがある程度纏まったら、ぜひ当サイトにも掲載させてください。

ありがとうございます。そのつもりで頑張ります。

ところで[103852]で指摘した、『日本帝国民籍戸口表』「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」掲載の横須賀町と戸太村の本籍人口、現住人口がおかしい件ですが、あっさり解決しました。

まず横須賀町についてですが、戸籍表の本籍人口9,806人から正しく現住人口を計算すると、

9,806-(8+142+56+437+77+8+140)+(7,118+515+515)=17,086

ん? これは「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」が採用している横須賀町の本籍人口と等しい。つまり

本籍人口9,806→現住人口17,086 が正しい処理であり、それを再び本籍人口に代入して

本籍人口17,086→現住人口24,366

という二重処理をしてしまったという、とんでもない計算間違いを犯していたということになります。すでに明治22年の横須賀町の人口として24,366人(全国49位)が広く知られてしまっていますが、この数字自体が計算間違いに基づく誤りで、実際には全国77位相当の17,086人。

戸太村についてですが、こちらも戸籍表などから正しく現住人口を計算すると

6,156-(5+102+232+37+4+1+89)+(3,108+1,492+37)=10,323

これに戸籍表に載っていない情報である、無籍在監人11人、有籍囚人及懲治人752人を加えることで、正しい現住人口が求まります。

6,156-(5+102+232+37+4+1+89)+(3,108+1,492+37+11+752+0)= 11,086

そう、見ればわかりますが、監獄の人員を加える前の現住人口は、「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」が採用している戸太村の本籍人口と等しい。つまり


本籍人口9,806→現住人口11,086 が正しい処理であり、現住人口の計算の過程で出てくる10,323(監獄人口を加算する前)を再び本籍人口に代入して

本籍人口10,323→現住人口15,253

という二重処理をしてしまったという、こちらも同様の計算間違いを犯していたということになります。

こちらもすでに明治22年の戸太村の人口として15,253人(全国86位)が広く知られてしまっていますが、この数字自体が計算間違いに基づく誤りで、実際には1万人強の村(全国147位相当)だったことになります。

このように、まさかの130年以上前の人口算出の計算間違いが明らかとなりました。これは表作成者のミスなのか、故意の改ざんなのかは分かりません。
[103887] 2022年 1月 22日(土)12:51:05【2】訂正年月日
【1】2022年 1月 22日(土)12:52:54
【2】2022年 1月 22日(土)14:29:11
YT さん
明治22年、明治23年の北海道の市街地の現住人口の計算結果の比較
[103852]に関連した記事です。

明治22年~明治30年の間の都市人口に関しては、『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」(明治22年、明治23年に関しては、残念ながらオンラインで閲覧できない)が知られておりますが、掲載されているのは現住1万人以上の市町村のみです。また函館区と札幌区を除く北海道・沖縄・その他島嶼部の町村などは市制・町村制施行前ですので行政が細かく分かれたままでしたが、『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)の方で現住人口1万人以上として一部集計されています。ただ、肝心の市街地の区分は行政上の連合戸長役場等を考慮せず、「~町」という呼称を持つものを適当に集めて計算されており、表に載るかどうかは編集した人の恣意に依存しています。1万人未満に関しては官報に現住人口が掲載されておりますが、こちらも北海道、沖縄、島嶼部の町村については現住人口が割愛されています。

一方総務省統計図書館には「戸籍表 北海道之部 明治19年~28年」という資料がありますが、この資料には明治22年~明治28年の間に関して北海道の各区町村別の本籍人口、出入寄留の詳細が載っておりますので、これを使えば北海道の区町村別現住人口を補完することができるはずです。そこでとりあえず北海道について『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』収録の「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)掲載の明治22年末と明治23年末の本籍人口・現住人口を比較してみました。

都市札幌区(M22)札幌区(M23)函館区(M22)函館区(M23)小樽(M22)小樽(M23)福山(M22)福山(M23)江差(M22)江差(M23)
本籍人口10,02911,70433,82135,1997,81912,53911,06310,7099,7729,810
[出]外国行12812010300
[出]他府県出寄留78434175471615278613681917
[出]他郡市区出寄留1,4256523,7763,945297823535795263272
[出]他町村出寄留00005081,6089497109154
[出]陸海軍在営艦者003230221012126
[出]囚人及懲治人11113834610121186
[出]失踪3181922913666710121715894133
[入]他府県入寄留7,28310,74521,64322,6064,2438,8081,3391,1083,6444,235
[入]他郡市区入寄留2,1033,0762,3442,4821,0911,822429450778886
[入]他町村入寄留00004851,54575167190277
[入]無籍在監人0000000000
[入]有籍囚人及懲治人0000006176
[入]陸海軍在営艦者000493000000
現住人口116,87624,32752,90955,67712,60621,38312,03111,29113,88614,626
現住人口216,87624,32752,90955,67712,62921,44612,05011,22113,80514,503
人口静態統計掲載の現住人口16,87624,32752,90955,67712,62921,38312,03111,29013,79814,620
現住人口3(官報掲載の現住人口に相当)16,88724,33852,97955,24812,61421,39512,04711,31313,89914,632


※小樽は明治22年末と明治23年末では市街地とされている範囲が異なる。明治22年末の小樽は小樽郡量徳町外二十八町のみで計算されており、高島郡内色内町外五町は含まれない。明治23年末の小樽は小樽郡量徳町外三十四町で計算されており、高島郡内色内町外五町を含むが、明治23年新設の小樽郡沙崎町は人口0人ということで戸籍表に記載なし。行政上は小樽郡と高島郡の町村全域が連合戸長役場に相当する郡役所直轄町村の管轄であったが、市街地としては実務上の行政区部を無視して計算されている。
※明治22年末・23年末の福山は松前郡役場直轄町(河原町外三十三町)で計算されており、行政区分と一致している。
※明治22年末・23年末の江差は檜山郡中歌町外二十五町で計算されている。行政上は檜山郡五勝手村を含む檜山郡中歌町外二十六町村全域が連合戸長役場に相当する郡役所直轄町村の管轄であり、市街地としては実務上の行政区分を無視して計算されている。
※現住人口1:他町村出入寄留(同一郡内の異なる町村間での転居)を含め、本籍人口から全ての出入寄留を考慮して計算。本来であれば町村別現住人口はこの方法で計算するのが妥当。
※現住人口2:他町村出入寄留を無視して計算。函館区、札幌区はこの計算で問題なし。
※現住人口3:囚人及懲治人(但し本籍人口に含まれない無籍在監人は考慮する)、陸海軍在営艦者に関する出入寄留を計算に入れない(外国行と失踪は考慮する)。官報掲載の現住人口に相当。

明治22年末は陸軍在営520人が亀田郡(おそらく五稜郭のある亀田村)で集計されているのに対し、明治23年末では陸軍在営493人(第二師団歩兵第五連隊函館分遣隊)がすべて函館区で集計されている点に関しては疑問が若干残りますが、とりあえず函館区・札幌区は同一区内に他町村が存在しないので、他町村出入寄留自体が0となっており、現住人口1=現住人口2=公式の現住人口が成立しています。

一方で小樽市街地は、明治22年末と明治23年末でその範囲が異なる点にも問題があることながら、明治22年末では他町村出入寄留を加除せずに計算、明治23年末では他町村出入寄留を含めて計算と、年度によって計算方法が異なります。

福山は明治22年末、明治23年末ともに他町村出入寄留を加除して計算しておりますが、明治23年末では福山分署(松前郡新荒町)の囚人1人を加えていません(明治22年は囚人6人を加えている)。

江差に関しては、明治22年末は他町村出入寄留の加除を行わなわなかったのに対し、明治23年末は他町村出入寄留の加除を行っています。しかしながらどちらも江差分署(檜山郡豊部内町)の囚人7人または6人を加えていません。

このように概ね明治23年末以降の郡市区未満の行政の現住人口は、同一郡内での他町村出入寄留を含めて計算する方法が確立したのに対し、明治22年末に関しては他町村出入寄留を入れたり入れなかったりといい加減です。さらにほぼ誤差範囲とはいえ、囚人等の人口の加算を忘れているケースがあったりします。

まあ北海道の市街地の現住人口に関しては20年後の再計算だから囚人のカウント忘れは仕方ないかも知れませんが、明治22年分に関しては『日本帝国民籍戸口表』収録の「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」の段階で、他町村出入寄留の加除の規則がいい加減という問題を抱えています。

【誤字修正】【~記載→~掲載】


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