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千本桜さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[94056]2017年10月22日
千本桜
[94042]2017年10月20日
千本桜
[94012]2017年10月16日
千本桜
[93097]2017年8月10日
千本桜
[93017]2017年7月24日
千本桜

[94056] 2017年 10月 22日(日)19:32:03千本桜 さん
シノレパシクソさんのクイズに挑戦
[94047] シノレパシクソ さん
最後に。よろしければ、先日僕が投稿したクイズ[94026]もぜひ解いてみて下さい。残り2枠(銀銅)です。

お誘い、ありがとうございます。
銀を狙って、答えは「飯田」でいいだろか?
[94042] 2017年 10月 20日(金)22:32:35【1】千本桜 さん
クイズここはどこでしょう 解答
[94012] 千本桜
クイズここはどこでしょう AからSに当てはまる字句をお答えください
白桃さん、特急とりあたまさん、シノレパシクソさん、おつきあいいただきましてありがとうございました。解答は下記の通りです。

A東根市東根IC、B村山市、C背炙峠、D尾花沢市、E延沢城延沢集落、F銀山温泉銀山川、G白銀の滝、H大石田町大石田駅、I最上川、J国道13号、K舟形町、L小国川、M国道47号、N陸羽東線、O最上町、P瀬見温泉、Q喜至楼、R山形県、S新庄市新庄まつり新庄駅
C背炙峠、E延沢城、G白銀の滝、Q喜至楼などの固有名詞はマイナーすぎて難しかったかもしれません。伏せ字に解答を入れると、以下のようになります。

東根市の東根インターで高速道路をおり、村山市を走行しています。東根市と村山市は隣接していてライバル同士。市制施行は、村山市が昭和20年代、東根市が昭和30年代で、村山市が少し先輩。当時は村山市が中心都市で、東根市を商圏に組み込んでいました。ところが今では東根市が中心都市で、村山市を商圏に組み込んでいます。昭和35年の国勢調査人口は、東根市を100とすると村山市も100で互角の関係でしたが、今では東根市100、村山市50の間柄。先輩村山市は後輩東根市の半分になってしまいました。人口が増え続ける東根市と減り続ける村山市。マクドナルド、モスバーガー、ミスタードーナツ、ケンタッキーフライドチキン、それにヤマダ電機もケーズデンキも全部東根市に出店して、村山市には出店しません。判官贔屓の私は、衰退して行く村山市が不憫でなりません。でも、ここはやはり、発展を続ける東根市の施策を称賛すべきなのでしょう。

村山市から県道で背炙峠を越え、尾花沢市の延沢集落へ向かいます。主要地方道なのに、背炙峠付近は道幅狭くてヘアピンカーブ。進むにつれて心細くなる。夜間は絶対に通りたくない。追い剥ぎに出くわしたら大変だ。でも、そんな心配も取り越し苦労に終わり、熊やヒッチハイカーなどに遭遇することもなく、無事に背炙峠を越えることができた。背炙峠を越えて7キロ、室町期から江戸初期にかけて延沢城があった延沢集落に差し掛かった。延沢城は典型的な山城で、城址は国の史跡に指定されている。だが、私の興味は延沢城址の麓に横たわる延沢集落にある。昔の人は宿場町の細長い街村を「ふんどし町」と呼んだが、この延沢集落の細長さは「ふんどし」どころか「ひも」である。

古い時代の歴史を秘めた延沢城址や延沢集落を散策してみたいが、今回はパスして銀山温泉へ急いだ。銀山温泉はワンダーランド。銀山川を挟んで、和洋折衷の木造3階、4階建ての旅館が建ち並んでいる。和洋折衷というか、疑洋風建築はどこか色っぽい。わずか300メートルの区間だが、土産処、食事処、さらには共同浴場や足湯まで揃っていて、まるでテーマパークのようだ。その上、温泉街のどん詰まりには、落差22メートルの白銀の滝が流れ落ちている。白銀の滝を眺めていたら、ぽつりと雨が。もっと奥へ進むと鉱山跡を見ることができるが、次第に強くなる雨に回れ右して引き返し、昼食予定地の大石田町へ向かった。

大石田町はその昔、最上川の河港として栄えた町。立ち寄りたいスポットもあるのだが、雨のため観光を断念。大石田駅の駅舎内に店を構える蕎麦処で昼食。立ち食いではありませんよ。駅舎内店舗だから日除け幕は要らないのに、デザインに気配りしてか、和風の日除け幕を張っている洒落た店。そのような蕎麦処です。この大石田駅、1日平均782人しか乗らないのに、みどりの窓口はあるわ、観光案内所はあるわ、そして指定席券売機まであるんです。そういえば、以前は大石田駅から尾花沢市の市街地まで鉄道が走っていました。

昼食を済ませ、大石田町を出発。どしゃ降りの雨の中、国道13号を北へ14キロ走って舟形町の市街地へ差し掛かった。おー! 雨降りのシチュエーションに48年前の記憶がよみがえる。あの日、自転車旅行をしていた私は、この舟形町を走行中に雨に降られ、民家の軒下で雨宿りをしたのだ。その軒下らしきものが前方左手に見えるではないか。ググッと懐かしさがこみ上げてくる。舟形町で国道13号を右折して県道に進入。最上川の支流の小国川に沿って進むこと15分。両側に山が迫る谷間を、小国川、国道47号、東日本鉄道陸羽東線が束になって走る最上町の瀬見温泉に着いた。瀬見温泉には義経伝説があり、温泉を発見したのは弁慶で、亀若丸(義経の子)の産湯は瀬見温泉の湯だそうな。

瀬見温泉には、ボロ宿で知られた漢字3文字の喜至楼と言う名の旅館がある。一生無縁と思っていたのに、訳あって仕方なく喜至楼に宿泊することになった。確かに古くさい、カビ臭い、薄暗い。蛇口からは茶色い沢水が出てくる。案の定、ひどすぎる。でも、私は見てしまったのです、この宿の正体を! 薄暗い迷路のような館内に好奇心が揺り起こされ、館内探検を決行。なんだ、あの欄間の美しさは。なんだ、この階段のしっかりした造作は。あれもこれも古いのに、基本が立派でビジュアルなのだ。そうか、この喜至楼こそ、山形県で1番最初の政府登録・国際観光旅館だったのだ。それは高級旅館のあかしだが、その後のメンテナンスが追いつかず、ボロ宿の烙印を押されてしまったのだろう。ちなみに喜至楼は、山形県に現存する温泉旅館では最古の建築だそうです。ボロだけど文化財みたいな旅館に泊まれて感激!

午後4時半、喜至楼旅館を外出して新庄市へ向かう。伝統行事「新庄まつり」の宵まつりを見物するためだ。国道47号を西へ15キロ走って、新庄駅の東口駐車場に到着した。東口駐車場は1千台駐車可能の広々した無料駐車場。人口3万人台の市にしては、何かと規模が大きく都会的である。宵まつりのメイン会場となる西口へ徒歩移動。西口は旧来からの玄関口で、大きくて斬新なデザインの駅舎が印象的です。新庄駅はこの地方と東京を結ぶターミナル駅なのだ。午後7時、電飾に照らされた極彩色の山車が、囃子を引き連れて広場へ入場してきた。山車は町衆が毎年新しく作り、囃子は在郷衆が奏でるらしい。1番運行「一寸法師京都成り上がり」から20番運行「平安絵巻雛祭り由来」まで、華やかに飾られた20台の屋台が興奮と熱気に包まれて練り歩く。それが新庄市の夏のフィナーレなのです。

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[94012] 2017年 10月 16日(月)21:02:31千本桜 さん
クイズここはどこでしょう
ここはどこでしょう
AからSに当てはまる字句をお答えください

A市のAインターで高速道路をおり、B市を走行しています。A市とB市は隣接していてライバル同士。市制施行は、B市が昭和20年代、A市が昭和30年代で、B市が少し先輩。当時はB市が中心都市で、A市を商圏に組み込んでいました。ところが今ではA市が中心都市で、B市を商圏に組み込んでいます。昭和35年の国勢調査人口は、A市を100とするとB市も100で互角の関係でしたが、今ではA市100、B市50の間柄。先輩B市は後輩A市の半分になってしまいました。人口が増え続けるA市と減り続けるB市。マクドナルド、モスバーガー、ミスタードーナツ、ケンタッキーフライドチキン、それにヤマダ電機もケーズデンキも全部A市に出店して、B市には出店しません。判官贔屓の私は、衰退して行くB市が不憫でなりません。でも、ここはやはり、発展を続けるA市の施策を称賛すべきなのでしょう。

B市から県道でC峠を越え、D市のE集落へ向かいます。主要地方道なのに、C峠付近は道幅狭くてヘアピンカーブ。進むにつれて心細くなる。夜間は絶対に通りたくない。追い剥ぎに出くわしたら大変だ。でも、そんな心配も取り越し苦労に終わり、熊やヒッチハイカーなどに遭遇することもなく、無事にC峠を越えることができた。C峠から7キロ、室町期から江戸初期にかけてE城があったE集落に差し掛かった。E城は典型的な山城で、城址は国の史跡に指定されている。だが、私の興味はE城址の麓に横たわるE集落にある。昔の人は宿場町の細長い街村を「ふんどし町」と呼んだが、このE集落の細長さは「ふんどし」どころか「ひも」である。

古い時代の歴史を秘めたE城址やE集落を散策してみたいが、今回はパスしてF温泉へ急いだ。F温泉はワンダーランド。F川を挟んで、和洋折衷の木造3階、4階建ての旅館が建ち並んでいる。和洋折衷というか、疑洋風建築はどこか色っぽい。わずか300メートルの区間だが、土産処、食事処、さらには共同浴場や足湯まで揃っていて、まるでテーマパークのようだ。その上、温泉街のどん詰まりには、落差22メートルのG滝が流れ落ちている。G滝を眺めていたら、ぽつりと雨が。もっと奥へ進むと鉱山跡を見ることができるが、次第に強くなる雨に回れ右して引き返し、昼食予定地のH町へ向かった。

H町はその昔、I川の河港として栄えた町。立ち寄りたいスポットもあるのだが、雨のため観光を断念。H駅の駅舎内に店を構える蕎麦処で昼食。立ち食いではありませんよ。駅舎内店舗だから日除け幕は要らないのに、デザインに気配りしてか、和風の日除け幕を張っている洒落た店。そのような蕎麦処です。このH駅、1日平均782人しか乗らないのに、みどりの窓口はあるわ、観光案内所はあるわ、そして指定席券売機まであるんです。そういえば、以前はH駅からD市の市街地まで鉄道が走っていました。

昼食を済ませ、H町を出発。どしゃ降りの雨の中、国道J号を北へ14キロ走ってK町の市街地へ差し掛かった。この雨降りのシチュエーションに、48年前の記憶がよみがえる。あの日、自転車旅行をしていた私は、このK町を走行中に雨に降られ、民家の軒下で雨宿りをしたのだ。その軒下らしきものが前方左手に見えるではないか。ググッと懐かしさがこみ上げてくる。K町で国道J号から右折して県道に進入。I川の支流のL川に沿って進むこと15分。両側に山が迫る谷間を、L川、国道M号、東日本鉄道N線が束になって走るO町のP温泉に着いた。P温泉には義経伝説があり、温泉を発見したのは弁慶で、亀若丸(義経の子)の産湯はP温泉の湯だそうな。

P温泉には、ボロ宿で知られた漢字3文字のQと言う名の旅館がある。一生無縁と思っていたのに、訳あって仕方なくQに宿泊することになった。確かに古くさい、カビ臭い、薄暗い。蛇口からは茶色い沢水が出てくる。案の定、ひどすぎる。でも、私は見てしまったのです、この宿の正体を! 薄暗い迷路のような館内に好奇心が揺り起こされ、館内探検を決行。なんだ、あの欄間の美しさは。なんだ、この階段のしっかりした造作は。あれもこれも古いのに、基本が立派でビジュアルなのだ。そうか、このQこそ、R県で1番最初の政府登録・国際観光旅館だったのだ。それは高級旅館のあかしだが、その後のメンテナンスが追いつかず、ボロ宿の烙印を押されてしまったのだろう。ちなみにQは、R県に現存する温泉旅館では最古の建築だそうです。ボロだけど文化財みたいな旅館に泊まれて感激!

午後4時半、Q旅館を外出してS市へ向かう。伝統行事「Sまつり」の宵まつりを見物するためだ。国道M号を西へ15キロ走って、S駅の東口駐車場に到着した。東口駐車場は1千台駐車可能の広々した無料駐車場。人口3万人台の市にしては、何かと規模が大きく都会的である。宵まつりのメイン会場となる西口へ徒歩移動。西口は旧来からの玄関口で、大きくて斬新なデザインの駅舎が印象的です。S駅はこの地方と東京を結ぶターミナル駅なのだ。午後7時、電飾に照らされた極彩色の山車が、囃子を引き連れて広場へ入場してきた。山車は町衆が毎年新しく作り、囃子は在郷衆が奏でるらしい。1番運行「一寸法師京都成り上がり」から20番運行「平安絵巻雛祭り由来」まで、華やかに飾られた20台の屋台が興奮と熱気に包まれて練り歩く。それがS市の夏のフィナーレなのです。
[93097] 2017年 8月 10日(木)16:49:54千本桜 さん
Re:広域都市圏内に市を含む村とは
[93092] 白桃さん
A村とB市の間には
深くて暗い河がある、と言うか、人口集中地区人口、昼間人口、通勤圏人口などを尺度にして都市の規模をはかろうとすると、一般人が感じている都市の規模から乖離することがありますね。人は、生産(1次、2次産業)の場には都市を感じないが、消費(3次産業)の場には都市を感じているように思えるのです。そこで、第3次産業のみを抽出して昼間人口、通勤圏人口を計測したらスッキリするだろうなと思うのですが、基礎データになるようなものは公開されているのでしょうか。
[93017] 2017年 7月 24日(月)07:37:33千本桜 さん
三本松
[93013] 白桃さん
三本松高校、おめでとうございます。
今年も一目千本桜の満開時は大混雑でした。大河原のセーヌ川に架かるポンヌフも大渋滞。そのポンヌフで香川ナンバーの車を目撃。大河原で香川ナンバーを見たのは初めてなので、思わず反射的に駆け寄ってドライバーに話しかけてしまいました。「香川県から来たんですか! 私の友達に香川県出身がいるんです、三本松なんですがね」 渋滞に拍車をかけてはいけないので、たったそれだけの短い会話でしたが、後になってハッとしました。三本松町→大内町→東かがわ市の経緯がありますから、「大内」や「東かがわ」という選択肢もあるだろうに、それらを抑えて「三本松」が出てくるから不思議。あのとき、私の頭の中には「大内」という選択肢はまったく浮かびませんでした。
 そこで気になるのが、この大内です。[61194] に書いたように、大内町の心臓部でもなければ発祥の地でもないこの場所に大内という地名を残しても意味がない。旧大内町全域を表すわけでもなく、単なる思いつきで、一部の区域にだけ旧町名を残されたら、後世の人が迷うだけです。平成の合併を見ていて知ったのですが、後先を考えずに住所が変更されたケースがほかにもあります。結局、担当者の勉強不足なのですが、地域を図化して見る習慣がないのが原因かな? 図化すれば気がつくはずなのに気がつかないまま決定してしまう。[67134]に書いた大崎市の岩出山もそのとおりです。岩出山が2か所出現。馬鹿げた話です。岩出山


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