新年早々、
[73437] 88 さんの「市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(福岡県)について 1」を拝見しておりまして、気づいたことがありますのでお知らせします。
御井郡合川村に関連して「御井郡櫛原村」とあるのですが、自作のデータベースでは「御井郡節原村」としております。
市区町村変遷情報では「御井郡 小森野村, 櫛原村, 合川村の一部」で櫛原村を編制したとされていますが、『
福岡県改正町村名(岸田穂積編,1889)』では「小森野村, 櫛原村(南薫通及國道兩側ヲ除ク), 合川村ノ内縣道以西」で「節原村」と記載され、ご丁寧に「フシハラ」とルビまで振ってあります。また、『
福岡県新町村名(葉石次郎編,磊落堂,1889)』もルビこそありませんが、同様の記述です。
『
新旧対照市町村一覧』、『
大日本市町村名鑑』、『
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧』、『幕末以降市町村名変遷系統図総覧』、『市町村名変遷辞典』、『旧市町村名便覧』など手許で確認できる資料は「節原村」です。一つだけ、『全国市町村名変遷総覧』だけが p1102,1109 で「櫛原村」となっていましたが、どうやらこれが誤りのように思えます。
旧櫛原村のうち南薫通及國道兩側は
久留米市になっていますので、「御井郡 小森野村, 櫛原村(本体), 合川村の一部」で「御井郡節原村」が成立したと表記すべきと考えます。併せて大正12年の
久留米市への編入も「三井郡節原村」としてはどうでしょう。ご検討をお願い申し上げます。