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hmtさんの記事が5件見つかりました

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[97438] 2019年 1月 11日(金)18:30:37【1】hmt さん
海と島 (2.1)瀬戸内海の (10)番目の海域
hmtマガジン 海と島に新しい記事を追加した機会に見直したところ、瀬戸内海の海域を挙げた[82879]に、誤解に基づく記載を発見しました。
古い記事なので訂正はできませんが、下記の部分を削除し、補足記事を加えて修正したいと思います。

[82879]記載のうち、誤解しており削除する部分
付属した図も(1)~(9)の9海域になっているのですが、“10区分”と書いてある理由は?
実は(後略)の部分に“広島湾は安芸灘の一部で…”という文があります。
(1)~(9)の9海域に広島湾【安芸灘の西部】も加えて、10区分としているのかもしれません。

海保の付属図が(1)~(9)の9海域になっていたのが誤解の原因でしたが、領海法施行令と対照させてみたら、(1)~(9)の9海域は、南東の境界【紀伊水道の南】と南西の境界【豊予海峡】とを反映していますが、この他に関門海峡の西側に「北西の境界」が存在しました。
北西の境界:竹ノ子島台場鼻(ダイバハナ)から若松洞海(ドウカイ)湾口防波堤灯台まで引いた線となっています。(付図参照)

なるほど、
領海法では 彦島付近の台場鼻と若松の洞海湾口を結ぶ線の内側は、瀬戸内海の一部として扱われていたのでした。

前記削除部分に変えるべき、新しい記述です。
付属した図は(1)~(9)の9海域になっていますが、 (10)番目の海域は、台場鼻と洞海湾口とを結ぶ線を北西の境界とする「関門港西部」です。

瀬戸内海というと、自然地理的には 関門海峡を西端とする。これが私の常識でした。
しかし、領海法という法律で定めた瀬戸内海は、自然地理の考えとは違っていたのでした。
海保の付図には台場鼻と洞海湾口が示されていましたが、スペースの都合で、 (10)番目の海域範囲は図示されていません。
[97420] 2019年 1月 9日(水)22:45:54【1】hmt さん
海と島(32)馬毛島買収問題決着へ
馬毛島は種子島の西隣12kmの東シナ海にある島ですが、落書き帳では「大きな無人島」として登場していました。

2016年 [91213]の記載
馬毛島 面積 8.17km2 鹿児島県西之表市 島を手に入れた企業が有人島化 その狙いは? 

疑問符付きで記してありますが、その答えはリンクしたページに記されていました。
島を国有化して米軍空母艦載機の陸上離着陸訓練(FOLP)に用いる計画関連。2008年から内々の打診が進行。
しかし、防衛省が提示した評価額は、高値での売却を狙う所有者の希望金額と一桁異なり、物別れの状態でした。

そこで所有者が利用したのが、地権者の言い値で国有化したという尖閣諸島と、中国企業の動きでした。
2012年になると、「中国の企業が何社か接触してきている。日本の対応次第では売ってもいい」という地権者発言。

日米両国政府による在日米軍再編合意(2006)をふまえ、厚木の艦載機部隊は2018年迄に岩国に移動しました。
日本側としても、近くなった馬毛島の整備は、待ったなしの状態に追い込まれた形です。

今朝の読売新聞は、「米軍機訓練 馬毛島を買収/安保重視 官邸主導」という見出しで決着を報じていました。

問題になっていた対価については、島としての単純な資産価値の45億円から滑走路用地や関連施設を加味した100億円に増加され、更に地権者の希望で60億円上積みした 160億円で仮契約に漕ぎ着けたと伝えられます。


【2019/1/10 追記】馬毛島の人口 産業利用の概要

渡島大島に次ぐ「日本で2番目に広い無人島」であった馬毛島。所有者の企業による土地に付加価値を付けるための工事で有人島化[91213]したが、最近の調査では 無人島に戻っているようです。日本の島へ行こうによる国勢調査人口。
0人(H27)・11人(H22)・15人(H17)・0人(H12)・0人(H7) 国勢調査

それ以前の産業利用の概略。種子島第一の西之表港の対岸にあり、種子島家が漁業基地として利用。
蛇足:種子島と言う地名からは 16世紀大航海時代「鉄砲伝来」の門倉岬や 種子島宇宙センターを連想します。
しかし、それらの地は 島の南端近い南種子町で、馬毛島からはずっと離れています。

馬毛島は、明治期の牧畜業を経て、戦時中は一時無人島にもなりました。
戦後の 1951年から馬毛島入植が再開され、1959年には 113世帯、528人を記録して小中学校も開校。
しかしその後は 旱魃・風害・食害などによる農業不振と製糖工場閉鎖で 1980年に全島民離島。無人島に。

その後は実質的な利用のないまま、土地投機の対象として翻弄される運命をたどりました。
[97343] 2019年 1月 5日(土)19:40:23hmt さん
嫦娥(じょうが)4号 と 鵲橋(じゃっきょう)
[97342]で平成31年暦要項を眺めて気がついたこと。
東京の日出入 1月11日 日出6時51分 10日間隔のデータだが、最も遅い日出は今頃
朔(新月)1月6日10時28分 地球/月/太陽 が一直線上に並ぶのが朔  旧暦12月1日
部分日食 1月6日 東京の最大食は 10時6分 日食も地球/月/太陽 が一直線上に並ぶ時

それはさておき、中国の無人探査機が、世界で初めて 2019/1/3に「月の裏側」南極付近に着陸したとのこと。朝日

タイトルは探査機の名。嫦娥は中国神話に登場する人物。Wikipediaを見ると、もとは仙女。夫から不死の薬を盗んで月宮殿に逃げた。供え物をする月見の由来とも関係。道教では嫦娥を月神とし、中秋節に祀る。
日本での竹取物語や三保松原の天女と似たところもあるようだが、蟇蛙になったというから、イメージが違う?

月の裏側は、アボロ計画での周回で写真が撮られているが、軟着陸は初めて。
月の裏側は 地球との直接交信ができず、クレーターも多く、裏側への着陸は野心的な挑戦とか。
地球との交信を中継するのは「鵲橋(じゃっきょうQueqiao)という衛星。
かささぎの橋:男女が良縁で結ばれる橋。七夕の日に織姫と彦星が出会うために天の川にできるという橋。

技術的困難があるが、中国は将来の資源開発などを視野に置き、優位に立つつもりらしい。
最終目標は月面基地の建設など、やや詳しい情報が英国の WIREDに紹介されている。
[97342] 2019年 1月 5日(土)17:57:37hmt さん
2019年の暦
十番勝負の最中に異質の書き込みで失礼します。

2019年の新年。最初に確認しておきたいと思ったものは、やはり「暦」です。
本年限りの特徴は、5月1日が新しい天皇の即位日ということで 今年限りの祝日になったことです。

しかし、これにより 昭和の日(4/29)と憲法記念日(5/3)との間の 「架橋 pont 休日」【ポン休】も発生し、2019/4/27(土曜日)から 2019/5/6(こどもの日の振替休日の月曜日)までの間の「10連休」が実現します。
【もちろん、この期間にも働いて、社会を支えている人たちが大勢います。】

即位の日付により、政府が 10連休の方針を決めた というニュースが流れたのは 2018年6月末頃だったようです。
しかし正式手続、つまり 2019/5/1(即位の日)と 2019/10/22(即位を国内外に正式に示す戴冠式の日)とを祝日扱いとする 特別法(平成30年法律第99号)の公布は 、2018/12/14でした。

そこで、平成30年2月1日 官報に掲載された 国立天文台 平成31年暦要項 で「国民の祝日」を確認してみました。
ご覧のように、上記特別法に基づく事項が 枠外4行に亘り【最近】追加記載されています。

Web暦要項は、平成30年2月1日という日付のまま、年末の特別法による修正を加えたpdf文書に改められていました。
官報の訂正は簡単でしょうが、市中に出回っているカレンダーは、簡単に訂正することができません。
手元の 12枚もの の5月1日には 赤い小文字で「即位の日」が入れてありましたが、大きな「1」の文字は黒字のままです。平成30年法律第99号の公布前には、赤文字で印刷するわけにゆかなかったのでしょう。
【シートの4月末に、"暦の内容は2018年4月3日の情報に基づくものです。" という注記が入れてありました。】
1枚ものや手帳には 「即位の日」という注記すらありませんでした。
【祝日は何れも2018年7月現在】【手帳末尾の翌年予定表に2020/2/23 天皇誕生日、24振替休日】

2019/5/1以降に使われる元号については、4/1に発表するというニュースだけです。
新元号の早期公表に反対していたのは「保守派」だそうです。記事
しかし、これは かえって国民をして「元号の使用から遠避ける」結果をもたらすだけではないでしょうか。

2019年の暦。暦屋さんの苦心の跡を偲びながらも、休日について 改めて要注意 を感じた次第でした。
[97168] 2018年 12月 28日(金)17:02:58【1】hmt さん
岩国空港国道
[97165] じゃごたろさん
昭和二十八年に(中略)これらの「重要な飛行場」や「国際観光上重要な地」が二級国道の起点して指定されています。
羽田飛行場・・・国道131号
岩国飛行場・・・国道189号

二級国道の起点として指定された重要な飛行場。岩国飛行場が 羽田と共に挙げられていたことに驚きました。

昭和28年(1953)という時代:1951年にサンフランシスコで調印された平和条約が 1952/4/28に発効し、Occupied Japanからの 独立を回復した翌年です。

時刻表 昭和27年12月号[74163]によると、当時の民間航空路は すべて外国航空で、日本から世界各地への国際線を合計しても週39便でした。
これを根拠に、1945年の敗戦から 日本航空による国際線再開(1954年)までの間、日本に飛来する民間航空国際線飛行機の発着地は「すべて羽田」と思っていました。

岩国の錦帯橋の下を流れる錦川が流れくだった河口部。三角州に海軍飛行場が建設されたのは、戦前の 1938年。
1945年の敗戦後 連合軍に接収され、1952年の占領終結後は 米軍基地→自衛隊との共用基地を経て、6年前の 2012/12/13に 民間機の定期便が就航。2013年5月には 早速利用する機会がありました。

この程度の認識でしたが、どうも戦後間もない頃の状況について認識不足があったようなので、改めて調査しました。

岩国錦帯橋空港の沿革には、民間空港の実績として、昭和26年(1951)に国際飛行場として指定され、1952年日本航空の国内航空幹線の中継寄港と記されていました。

国際線の具体的な記載はないものの、「昭和27年5月 羽田とともにわが国で2か所の国際空港」とあり、これが国道の起点になる「決め手」だったのでした。

しかし、旧広島空港【広島市西区】の供用開始(1961)後は 岩国便が衰退。
1964/12の変更で岩国への民間機定期便の就航はなくなり、48年間の空白期になっていました。

推測ですが、特に記載すべき国際空港としての実績はなく、「建前上の国際空港」に基づく国道189号か?

国道189号の終点は 麻里布の国道2号合流点ですが、大部分は柳井経由の国道188号との共用区間です。
単独区間は 0.36kmに過ぎず、神戸港の国道174号に次ぐ短距離国道とのこと。

蛇足:2013年岩国空港利用時のバス経路。民間便用入口が変更されており、国道189号は通過せず。


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