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88さんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[81245]2012年8月3日
88
[81134]2012年7月17日
88
[81101]2012年7月14日
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[81100]2012年7月14日
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[81026]2012年7月3日
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[80552]2012年4月22日
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[80469]2012年3月31日
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[80457]2012年3月29日
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[80444]2012年3月29日
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[80419]2012年3月21日
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[80341]2012年2月26日
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[80302]2012年2月18日
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[80298]2012年2月16日
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[80273]2012年2月11日
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[80271]2012年2月11日
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[80270]2012年2月11日
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[80263]2012年2月9日
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[80178]2012年1月21日
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[80177]2012年1月21日
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[80176]2012年1月21日
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[80123]2012年1月15日
88
[79802]2011年12月31日
88
[79796]2011年12月30日
88
[79762]2011年12月24日
88
[79737]2011年12月14日
88
[79692]2011年12月1日
88
[79677]2011年11月28日
88
[79666]2011年11月24日
88
[79660]2011年11月22日
88
[79546]2011年10月21日
88

[81245] 2012年 8月 3日(金)21:17:51【1】88 さん
市区町村変遷情報、年表類の集積、変遷情報図書室について
[81236] グリグリ さん
[81240] hmt さん
hmt さんがうまく整理していただいているので、それに沿ってコメントします。

膨大な数の個別情報を網羅し、その要点を集大成する 市区町村変遷情報
何かと、市制町村制以前の町村についても話題になっています。何度も述べていますが、私個人としては、既入力分の精度の向上、表示方法の検討、機能強化とともに、さらなる時代の遡りという野望を持っています。明治初期か、天保郷帳あたりまでは何とかなるのではないか、と([58109]oki さんも参照)。

現存市町村を主体とするWebページ中にある ビジュアルな視点で読者に訴える年表類を集積[64001]
[64001]グリグリさん の書き込みの頃に書いたような気もしますが、試行品(注:誤りあり)を全国展開することが、私の野望です。もっとも、膨大な時間と手間がかかるのは間違いないので(私はさらに「近世村」と「現行町・大字」を並べようとしているので余計時間がかかる)、それまでの一時的なものとしても、また、特に明治初期の廃置分合の補強資料としても、有意義であると考えます。
市区町村変遷情報のような個別情報の羅列とは異なり、表形式は視覚的にわかりやすいことは間違いありません。
なお、ビジュアル的なものとしては、むじながいりさん(エイちゃさん)のつかんぼやと市町村変遷パラパラ地図にはかないません(もちろん都道府県市区町村のメニューではありません)。

個別情報・集積情報を問わず、詳細を保存する価値ある情報を集める 変遷情報図書室[81236]
市区町村の変遷とは、ちょっと違う観点から一言。
平成の大合併の合併協議会においては、「基本的協定項目」や「合併特例法に規定されている協定項目」ではありませんが、「その他必要な協定項目」の中に「町名・字名の取扱いについて」を定めます。
合併協議会のHPにもよりますが、その時点での各市町村の個別の町・大字・字の名称や、合併後の取扱いについて詳細に記載されているものが多くあります。
例1:美馬郡東部・北部合併協議会(美馬市)第12回合併協議会会議資料(pdf、11/107コマ以降)
例2:輪島市・門前町合併協議会(輪島市)第3回合併協議会資料(pdf、99/105コマ以降)、第3回合併協議会会議録(pdf、17/23コマ以降)
私が個人的に、市区町村の変遷とあわせて拘っている、町、大字、字については、資料をweb上ではなかなか発見できないのですが、合併協議会を契機に、これらの情報が俎上に載るということになっており、この資料を片っ端から収集して保存しておきたいなあ、と思っているところです。しかし、実行には至っていません。もし、このような「変遷情報図書室」という形で保存されるのであれば、私としてもうれしいです(他力本願)。

#こういった膨大な、しかし有意義な作業を実施するためには、やはり、「株式会社都道府県市区町村」・・?
[81134] 2012年 7月 17日(火)21:22:20【1】88 さん
市区町村変遷情報 小レス 揖宿郡 揖宿村 or 指宿村
市区町村変遷情報の修正作業については、最近は主として、[79760][79772][79782][79794][80267][80268][80316] にわたる一連の 中島悟 さん からのご指摘に対する対応を行っておりました([79775][79792] hmt さん からも、関連するコメントをいただきました)。これらを優先していたのは、一目見て、誤りである、というものを多く含んでいたからです。個々のレスは追って行いますが、データの修正作業自体は、逐次、進めております。

今回は、そのご指摘のうち、1点だけ、頭出しして述べます。
[80268] 中島悟 さん で、漢字の旧字体や異字体などの「表記のゆれ」を中心とした、市区町村変遷情報内における変遷がつながっていない事例をご指摘いただきました。
今回触れるのは、鹿児島県指宿市に関する情報で、鹿児島県市制町村制施行時の情報では「揖宿郡揖宿村」となっているものの、その後S8.5.1付けで町制施行する際には揖宿郡指宿村から指宿町となっており、「揖宿」「指宿」が食い違っている、とのご指摘でした。
この件について、幾つかの観点から検証します。

■(1)「指」「揖」の漢字の取扱い(異体字か否か、等)
「漢字源」(学習研究社、1999年4月1日改訂新版第6刷)によると、次のとおりです。
「指」形成文字。「手+旨(音符)」で、まっすぐに伸びて直線にものをさすゆび。
「揖」会意文字。口+耳で「くっつける」、「手+(口+耳)」で「手をくっつける」であり、敬意をあらわすために両手を胸の前であわせる、くむ。
語源も異なり、異体字でも、旧字体・新字体の関係でもありません。

■(2)M22.4.1付け鹿児島県市制町村制施行の根拠である(鹿児島)県令の記述
市制町村制施行時の情報に関しては、いつもご指摘をいただいている むっくん さん が、[69735]で鹿児島県についてもご指摘をいただいています。しかし、このときには、当該「揖宿郡 揖宿村 or 指宿村」についてはご指摘がありませんでした(このため「揖」宿村のまま)。
[69735] むっくん さん でもご紹介がありますが、むっくんさんが参考にされた、M22.3.5付け(鹿児島)県令第26号は、「鹿児島県市町村変遷史」(編さん:鹿児島県総務部参事室、発行:鹿児島県、S42.2.20印刷、S42.3.10発行)のp.85以下に記載されています。私も同じものを図書館で借り出して確認しました。ここでは、確かに、p.87に「薩摩国揖宿郡揖宿村」とあります。

■(3)各種文献における記載
「総覧」・・市制町村制施行時は揖宿村、町制施行時は指宿村、以降はすべて指宿
(ただし、同書は市制町村制施行時はすべて旧字体を使用しており、どこまで意識して使い分けているかは疑問)
「幕末以降総覧」・・市制町村制施行時を含めてすべて指宿
「便覧」・・市制町村制施行時は記載なし、町制施行時は指宿村、以降はすべて指宿
「辞典」・・市制町村制施行時を含めてすべて指宿
以上4文献とも、「揖宿→指宿」との改称は記載がありません。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)・・揖宿村
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)・・指宿村(ただし「サシュク」とのフリガナあり)
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)・・指宿村(ただし「サシュク」とのフリガナあり)

■(4)市制町村制時以降の根拠規定
S8.5.1付けでの町制施行の根拠を資料を私は確認できていません。
S29.4.1付けで指宿市が発足する際の根拠であるS29.3.30付け総理府告示第400号は確認済みであり、市制施行時の従前は鹿児島県揖宿郡指宿町です。

■(5)内務省「市町村現住人口」等によるもの
M23.10.6付け内務省告示第34号M22.12.31市町村現住人口揖宿郡揖宿村
M24.7.8付け内務省告示第30号M23.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M25.7.15付け内務省告示第29号M24.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M26.7.27付け内務省告示第37号M25.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M27.7.25付け内務省告示第95号M26.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M28.7.31付け内務省告示第98号M27.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M29.8.1付け内務省告示第58号M28.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M30.10.16付け内務省告示第63号M29.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M31.9.13付け内務省告示第92号M30.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
日本帝国人口静態統計(大正7年)T7.12.31市町村本籍人口、現住人口及現住戸数揖宿郡指宿村
M22.12.31現在の告示を除くと、一貫して「揖宿郡指宿村」です。

■(6)その他資料
「鹿児島県市町村変遷史」のp.429以下の「指宿市」の項に、S29.4.1付けで指宿市が誕生する際の市名について記載がありましたので、以下に引用します。
一 新市名選定の理由及び新事務所の位置及びその位置決定の理由
(一) 新市名選定の理由
 指宿町一帯は温泉随所に湧出し、温泉量の豊富なことは別府附近以上とも称されているが、古来この地域は「湯豊宿(ゆはしゅく)」、即ち「湯の豊かなる宿」として世に知られていたが、今を去る約千三百年前、天智天皇薩摩大隅地方の巡幸の砌、高須(鹿屋市の海岸)より海路この地へ向われたのであるが、天皇が「人の宿程遠い」と云われたのに対し、案内の者が対岸をさして「湯豊宿」という所がもうすぐそこですと答えたところから「湯豊宿」が転化して「指宿(ゆびしゅく)」さらに「指宿(いぶすき)」と称えられるようになったことが伝えられている。
 この地方の郡名を「揖宿郡(いぶすきぐん)」と呼ぶが「いぶすき」なる名称は温泉郷、観光地として全国に有名であるので、新市発足にあたり、市名を「指宿市(いぶすきし)」と選定したものである。

結論
M22.4.1付け市制町村制施行時から、揖宿郡指宿村と、「指」であったと判断し、修正しました

中島悟さん、ご指摘をどうもありがとうございました。
他のものは、もう少しお待ちください。
[81101] 2012年 7月 14日(土)15:38:11【1】88 さん
登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)のご紹介
[81100]と関連するのですが、敢えて別稿に。
同稿で、小字の調査方法について一部記述がありますが、同稿で触れた知人から紹介を受けたサイトをご紹介します。

登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)

以前、登記情報提供サービスをご紹介したことがありますが、データに関しては共用している部分が多いようです。

登記情報提供サービスは、地番区域が大字単位の場合、小字の表示が出ません。大字単位で付番しているため、現実に小字が存在しても、検索には不要であるためです(もっとも、実際に登記簿(現在ではほとんど電算化しているため、「登記事項証明書」と呼ぶ)を取った場合、小字が存在した場合は、もちろん記載されています)。
最近では、小字がなく、町・大字から直接地番となる例も増えてきていますが([66921]拙稿)。

登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)の「かんたん証明書請求」を使用します。
事前に登録(無料)をしておけば、本当に全部事項証明書を正式に請求できますが(有料)、無料で利用できる範囲で有意義なものもあります。
この「かんたん証明書請求」を使うと、地番区域が大字単位であっても、小字の表示が出てきます。市町村ごと、町・大字ごとに、下階層へとたどることができます。これらの調査までは無料です。
個々の地番の情報(所有者、地積、地目等)を得ようとすると、有料となりますが、無料のメニューの範囲内で、小字の有無・名称を調べることはできます。

ただし、注意点があります。
閉鎖登記簿(現在の情報ではなく、土地の合筆などによって現在では存在しなくなった地番の情報)をも得ることができるように対応しているため、その結果として、現在では存在しなくなった市町村はもとより、廃止された町・大字、小字が記載されていることがあります。市町村名は過去のものであるか否かは少し調べると容易にわかりますが、町・大字、ましてや小字は、現在も存在するのか否か、は、容易には分かりません。個別情報を「有料」で調べればもちろんわかるのですが、無料でたどり着ける範囲では、混在している可能性が十分にあるので、完全な資料とはなりません。
もう一つ。例えば○○郡○○町に「大字△△」があり、その中に字(小字)が「字□□」「字☆☆」の2つが表示されたとします。このうち、「字☆☆」は既に廃止されているかもしれない、というのは上述のとおりですが、この場合、すべて「字□□」に組み込まれたのか、それとも、「大字△△999番9」と、小字そのものが廃止されて直接地番となるのが正しいのか。つまり、現在は「字□□」「字☆☆」「小字なし地域」の3とおりあるのかどうか、がわからないことです。
「小字なし地域」との区分があれば明確で便利なのですが。

こういった点にご留意の上、(利用時間に制限はありますが、)ご利用してみては如何でしょうか。
#私は、試しに香川県内の全小字を、(他の作業と並行して)抽出・リスト化中です。
[81100] 2012年 7月 14日(土)14:37:07【2】88 さん
Re:土俗森ト唱フ
[81018] YT さん
以前から閲覧可能だった『明治八年共武政表』と異なり、これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
この投稿を受けて、地元讃岐国を閲覧していたところ、[81020] 白桃 さん の投稿とまったく同じ点に着目していました。白桃さんほどの地元ではないとはいえ、「森」は聞いたことがありませんし、・・・他の同様の事例では、現在の集落が容易に判別できます(この件は後述)。
で、[81020] 白桃 さん から
こういうことは、88さんにお伺いしてみよう。^i^)~~)
と、御下問がありましたので、調査してまいりました。と言っても、東かがわ市在住の知人に、調査を丸投げしただけなのですが、その調査結果を抜粋してここにご報告いたします。

――――――――――
まずは、地図を2枚ご覧ください。地図(1)  地図(2)
(距離・時間の表示が邪魔なので、ページ右上の「ふきだし表示」のチェックを外すと見やすくなります。・・いい表示方法を発見できず。)

(2)の青色の範囲が、現在の字森町です(一部推測を含む)。これは、(大字)松原字森町です。一方、(大字)湊には字森町は存在しません。
字森町の範囲は、狭小です。この地域のすぐ西(白鳥郵便局の前の通りよりは東側)には「松原字芝居町」があり、一方、この地域のすぐ東(白鳥神社の南東側)は「松原字本村」です。
白鳥神社や、その北側に広がる松林が字森町に該当するか否かは未確認。
(1)の「赤色」が、森町自治会の範囲です。松原字森町のすべてを含みますが、さらに、南側の湊の一部を含みます(このあたりは湊字水入)。ちなみに、地図中「鶴内神社」がありますが、この神社に隣接して、「森町自治会館」があります。

要約すると、次のとおりとなると思われます。
・字森町は、現在も(大字)松原にのみ存在する。(大字)湊には存在しない。
・現在も「森町」という自治会があり、(大字)松原字森町のすべてと、(大字)湊字水入の一部が加入地域である。

なお、同知人からは、「想像するに『森』は『白鳥神社の門前街』であり、日本武尊伝説のある白鳥神社の門前として、陸軍参謀局の資料である共武政表でも触れたのではないか」との意見がありました。
また、湊と松原(旧白鳥本町)の境目は、現在では不分明であるが、松原(旧白鳥本町)と白鳥(旧白鳥村)の境目・所属意識は、地元においては厳然として現在も存在する、との参考意見も頂きました。

――――――――――
さらにここからは別の観点からの私の推測です。
香川県における市制町村制施行に伴う廃置分合の根拠であるM22.12.28付け(香川)県令第22号大内郡の項をご覧ください。
市制町村制施行後、大内郡の(新)松原村となるのは、
帰来村 伊座村 松原村 湊村字水入ノ内宅地三反弐畝廿弐歩畑九畝廿歩
であり、(新)「白鳥村」となるのが、
白鳥村 湊村 内字水入ノ内宅地三反弐畝(弐畝)廿弐歩畑九畝廿歩ヲ除ク
です。
(旧字体は新字体に引用者が置換え。( )内の「弐畝」は、重複誤りと思われます。)
この、(旧)湊村の内、(新)白鳥村ではなく、(旧)松原村と一緒に敢えて(新)松原村となった「湊村字水入ノ内宅地三反弐畝廿弐歩畑九畝廿歩」が、今回の話題となっている「森」のうち、現在松原になっているものの内、元は湊であった区域でないか、と思う次第です。

――――――――――
さて、冒頭に挙げた、共武政表における輻輳地の件。
試しに、讃岐国の、町村にまたがる輻輳地が、現在のどのあたりになるのか、あたってみました。
(1)大内郡 森
前述のとおり。
(2)山田郡 川島
「坂元村、高野村」という記載と、M23.2.15付けでの両村+上田井村との合併による山田郡坂ノ上村木田郡川島町への町制/改称、それを引き継いだ木田郡山田町高松市に編入合併される際のS41.6.23付け香川県告示第429号新町名設定の件から見ても、高野村が現川島本町、坂元村が現川島東町であることがわかります(高松市川島本町・川島東町付近の地図)。
(3)香川郡
香川郡坂田村、万蔵村という記載などから、高松市室町付近に当たると考えられます。
なお、現在、「高松市室町字室」です。地番区域は室町としての付番で、また、字室以外に字はなく、住所上は「字室」は表記しません。
(4)香川郡 橋詰
香川郡坂田村、勅使村という記載などから、高松市の橋詰バス停付近であると考えられます。
(5)香川郡 仏生山町
この5例の中では、最も容易。ただし、さらに詳細に。
香川郡百相村、出作村という記載と、M23.2.15付けでの香川郡百相村香川郡仏生山町への町制/改称(あわせて多肥村大字出作の一部をさらに編入)、高松市に編入合併される際のS41.9.30付け告示第105号の5新町名設定の件から見ても、高松市仏生山町(地番に甲を付す地域が元百相村、地番に乙を付す地域が元出作村)であると考えます。

なお、香川県における市制町村制施行に伴う廃置分合の根拠であるM22.12.28付け(香川)県令第22号:http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788358/113
香川郡の項をあわせてご覧ください。
市制町村制施行後、香川郡の(新)多肥村となるのは、
出作村 内字松ノ上、字松ノ下、字下町ヲ除ク 上多肥村 下多肥村
であり、(新)百相村となるのが、
百相村 出作村ノ内字松ノ上、字松ノ下、字下町
です。大内郡の森の例と同様、「出作村ノ内字松ノ上、字松ノ下、字下町」が、共武政表でいうところの、
出作村 五十戸 百八十九人
であり、M23.2.15に(新)出作村とならずに(新)百相村となった区域ではないかと考えます。

――――――――――
#今回の件で、市区町村変遷情報において、皆さんのご意見を踏まえ、「○○村(本)」「○○村(微)」と記載したことが十分意義があった、と、自賛しているのですが・・・。
[81026] 2012年 7月 3日(火)00:12:4688 さん
湯瀬オフ会
投稿したいことはたくさんあり、順次執筆中ですが、たまにはこんな書き込みを。


第5回落書き帳公式オフ会は、初めての一泊型オフ会でした。会場は、秋田県鹿角市の湯瀬ホテル
実は、先日読んだ本の中に、この市の湯瀬ホテルがモデルではないかと思われる記述があり、懐かしく感じ、筆を執った次第です。

木山捷平の「ななかまど」。講談社の講談社文芸文庫井伏鱒二/弥次郎兵衛/ななかまどに収録されています。
巻末の年譜によれば、木山捷平が昭和41年9月に八幡平へ取材旅行を行っており、「ななかまど」は、昭和43年3月に「別冊文芸春秋103号」に発表されたものです。
木山捷平「ななかまど」は、取材旅行を元に書き起こした小説で、著者木山捷平は「木井」として出てきます。主人公木井が、東北へ出かけた際に「ななかまど」を一枝取って帰るのですが、旅先やその往復の旅程での出来事が書かれ、また、同時期に発生した羽田沖墜落事故(昭和41年2月)も話題として触れられています。
木の「ナナカマド」は、鹿角市の市の木にも指定されており、同地を含め東北地方ではよく見られる木のようです。

小説「ななかまど」中、オフ会会場である湯瀬ホテルを思わせる記述を、以下に抜粋します(前述の講談社文芸文庫より引用)。
・・自動車は八幡平駅から米代川の流れに沿って東へ向かった。・・宿に着いたとき、木井は何となく失望感を覚えたのは、宿が何階建てかのビルになっていたからであった。・・ビルの廊下を百歩ほど歩いて、奇妙な橋に出た。その橋はその宿屋専用の橋で、新館と旧館をつないでいる橋だった。新館がビルで、旧館は日本式の宿屋だった。・・木井は橋を渡って新館の大風呂へ出かけた。・・宿が出してくれた車で、木井は湯瀬駅へ向った。乗車時間は二分くらいのものだった。・・
湯瀬ホテルの建物の改築の経緯や、木山捷平が宿泊した由縁云々は存じませんが、地図で見た感じからも、他に該当しそうな宿泊施設は見当たらず、ほぼ、同ホテルが題材として間違いないと思われます。

ほんの3年半前のオフ会なのですが、もう、懐かしく感じます。
[80552] 2012年 4月 22日(日)22:15:4988 さん
S25国勢調査政府統計と市区町村変遷情報との整合について
[80441] hmt さん
ついでに、埼玉県以外にも目を通してみたところ、「50a-z01j」の次の箇所も、変遷情報と相違していました。
北海道 24.1.1上砂川町【変遷情報24.4.1】、24.11.1下川町【24.12.1】、千葉県 24.11.3大柏村の市川市編入【24.11.1】、新潟県 22.11.12片貝町【22.11.3】、愛知県 23.4.1碧南市【23.4.5】、三重県 25.8.1井田村【猪田村】、岡山県 22.12.9福田町【22.12.25】、大分県 24.4.1野津町【24.7.1】

[80443] 紅葉橋律乃介 さん
官報ではどうなっているのでしょう…>88さん?

[80444] 88
ほぼ調査を終えましたが、少々お待ちを。

お待たせいたしました。
ご指摘の各情報について、総理庁告示等を官報情報検索サービスで調査した結果は次のとおりです。
内容S25国調政府統計告示日告示番号施行日等
北海道空知郡上砂川町の分立S24.1.1S24.4.27総理庁告示第60号S24.1.1
北海道上川郡下川村→下川町の町制S24.11.1S24.3.25総理府告示第54号S24.12.1
千葉県東葛飾郡大柏村の市川市への編入S24.11.3S24.12.9総理府告示第151号S24.11.3
新潟県三島郡片貝村→片貝町の町制施行S22.11.12S22.11(官報広告[80444])S22.11.3
愛知県碧海郡3町1村の合併・碧南市にS23.4.1S23.4.15総理庁告示第67号S23.4.5
三重県上野市に編入される名賀郡の村名井田村S25.8.4総理府告示第245号猪田村
岡山県児島郡福田村→福田町の町制S22.12.9S23.1(官報広告[80444])S22.12.9


北海道空知郡上砂川町の空知郡砂川町の一部・歌志内町の一部からの分立をS24.1.1付けに、
千葉県大柏村の市川市への編入をS24.11.3に、
岡山県児島郡福田村→福田町の町制をS22.12.9に、
それぞれ修正しました。

北海道上川郡下川村→下川町の町制、新潟県三島郡片貝村→片貝町の町制、愛知県碧海郡3町1村の合併・碧南市に、三重県上野市に編入される名賀郡の村名:猪田村、は、そのままとしました。

なお、大分県
臼杵市・野津町任意合併協議会HP中の野津町の合併の歴史を見ても、S24.4.1に野津市村が野津市町となった旨の記載はありますが、野津市町が野津町となった年月日は定かではありません。
官報情報検索サービスによると、
●総理庁告示第五十三号
村を町とする処分
地方自治法第八条第三項の規定により、昭和二十四年四月一日から、大分県大野郡野津市村を野津市町とする旨、大分県知事から届出があつた。
昭和二十四年四月二十七日
内閣総理大臣 吉田  茂
(旧字体は新字体に引用者が置換え)
であり、野津市村が野津市町となるのはS24.4.1付けです。
一方、「野津町」への改称の総理庁告示は見当たりません。

いつもの各文献の記載は次のとおりです。
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・S24.4.1野津市村→野津市町、S24.7.1野津市町→野津町
「辞典」・・S24.4.1野津市村→野津市町、S24.7(6).1野津市町→野津町

現時点ではこれ以上の資料を見つけられませんので、S24.4.1付けで野津市村→野津市町S24.7.1付けで野津市町→野津町と、そのままとしました。新たな信頼できる資料があれば、また検討します。

――――――――――
以下余談。
4月1日付けで職場の人事異動の網に引っかかってしまい、新環境で悪戦苦闘中です。多忙云々というより、まだペースがつかめていません。私の場合、本来、単に多忙であれば、合間を縫って市区町村変遷情報の編集作業や手持ち作業等を行うことが息抜きにもなるのですが、この3週間ほどは、休日など外出した際はそれなりにリフレッシュしているものの(昨日はこんぴら歌舞伎(金丸座)へ行ってきました)、平日帰宅後はなかなかそういう状況には・・・自分自身のリフレッシュのためにも、積み残し作業に復活したいところ。

十番勝負に関して。
[80543] グリグリ さん
最近強化した変遷情報検索や大幅リニューアルした市区町村変遷情報からの出題が多くなるかと思います。ぜひ、いろいろ予想していただければと思います。>皆さん
皆さまからのご指摘への対応の修正作業が、中途半端のままとなっております。申し訳ありません。市区町村変遷情報の誤り等に関する十番勝負上の取扱いについては・・・グリグリさんにお任せします。

・・・言い訳でした。
[80469] 2012年 3月 31日(土)16:55:5188 さん
市区町村変遷情報 詳細情報のリンク先の設定について
[80446] グリグリ さん
[80411] hmtさんの記事に始まる表題の件、非常に貴重で面白い議論が続いています。資料価値も非常に高いと思いますし、うまくまとめたいなと思っています。まとまった記録としては、hmtマガジンでいずれ取り上げられると思いますが、落書き帳の書き込み記事をもう少し手軽に記録保存することができないかなと考えています。例えば、変遷情報の詳細記録ページに記事番号や記事集をリンクするのはどうでしょうか。

例えば、Issieさんの「旧座間町の分離について」[80429][80430][80431] は、相模原町の町制の詳細情報と相模原町からの分立の詳細情報に、関連落書き帳記事としてリンクを貼ると有効だと思います。落書き帳には、このような記事が星のように数多く輝いていますので、変遷情報についてはこのような手法で生かしたいと考えます。いかがでしょうか。>88編集長

同様の事例として、[77331] グリグリ さん において、2011(H23).1.4付けでの蓮田市の名称変更の事例がありました(私としてはそういう感覚でした)。具体的には、市区町村変遷情報の個別情報において、「協議会名称等」欄で、従来は合併協議会(法定、任意)へのリンク等を主にしていたところ、同様に根拠となる市の名称変更に関する条例へのリンクへと運用を拡張していただきました。  2011(H23).1.4付け 蓮田市 詳細情報
根拠規定等にリンクを張ることは、根拠規定を確認したうえで編集作業を実施している、ということを示すこともでき、市区町村変遷情報の正確性をアピールできる面もあると考えています。以前にも、皆様から提案をいただいたことがありますが。
例えば近代デジタルライブラリーの各ページをリンク先として設定することでも、閲覧者の利便性は高まると思われます。

ただし、現在の方式による市区町村変遷情報の編集作業においては、根拠のリンク先を追加していくことは、あまりに作業の負荷が大きいです。落書き帳記事へのリンク等においても、取捨選択の検討を要することもあり同様です。あくまで、数・頻度を絞って試行してみる、ということでよろしくお願いいたします。

なお、根拠規定については、市区町村変遷情報の将来構想の一環として、根拠規定のデータベース化も含めて、市区町村変遷情報のデータベース案(リニューアル)のたたき台をグリグリさんに提案しているところです(>皆様)。ホントのたたき台ですが。
将来構想(長期の将来構想)は膨らみます。

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さて本題へ戻って。今回の件、Issieさんの[80429][80430][80431]を反映して、修正しました。
  1941(S16).4.19付け新設合併での高座郡相模原町誕生1948(S23).9.1付け高座郡座間町の相模原町からの分離

なお、簡易アーカイブズ機能を使った、旧座間町の分離についてをリンク先に設定しようとすると、なぜかうまく表示できませんでした。
不具合の理由は何か不明でしたが(リンク先アドレスの長さか何かの設定に制限はかかっていませんでしょうか?)、このリンク先の設定がうまくいかなかったため、とりあえず、記事番号[80429][80430][80431]を個別に設定しました。やはり記事集にした方が、閲覧者にとっても、作業する私どもにとっても便利だと考えますので、また確認していただけるとありがたいです(>グリグリさん)。
[80457] 2012年 3月 29日(木)21:46:4188 さん
「揺らぎ」と「誤り」の違い
[80452] グリグリ さん
ところで、揺らぎ文字というのはどの程度確実なものなのでしょうか。複数の表記が混用されている場合に揺らぎ文字であると判断できる訳ですから、それは十分条件であって、別表記がないからと言って揺らぎ文字ではないと言えない訳ですよね。

野については、例えば、上野原市や田野畑村などは、上ノ原市、上原市、田の畑村、田畑村などの揺らぎと捉えることもできるのではないでしょうか。長野原町、脇野沢村なども同様で、揺らぎ文字かどうかの判断は難しいですね。やはり、混用されている事実が重要で、その場合に使われる文字という考え方しかできないのでしょうね。

私の認識している「揺らぎ」と、グリグリさんの認識している「揺らぎ」とは、まったく別物のようです。

私の意図する「揺らぎ」は、正式な根拠規定自体が不明で、参考(あくまで「参考」)となる文献により「ノ」「之」等が混在し、本当の自治体名が「ノ」「之」いずれかであるがかが特定できないもの。

例えば「上野原市」は、由来が「上」+「原」で、助字(接続語といってもいい)の表記としてとして「ノ」「之」ではなく「野」を使ったとしても、あくまで根拠となる総務省告示が「野」であれば、正式な自治体名が「野」であるのは明白。仮に文献によって「野」となるべきところが「ノ」「之」等であったとしても、それはあくまで「誤字」であって、「揺らぎ」ではない。

との観点です。

文献により混在していても、根拠規定の明確さの違いにより、「揺らぎ」か「誤字」か、が、明白である、との観点です。
[80444] 2012年 3月 29日(木)00:08:47【1】88 さん
総理庁告示以前の官報広告
[80421] hmt さん
No.20 阿知須町分立は、地方自治法になってからの 1947/11/23実施ですが、告示は半年以上前だったのでしょうか。
[80441] hmt さん

実は、[80421] hmt さんの上記投稿を受けて官報情報検索サービスで再確認していると、大発見しました。
[80441] hmt さん 関係も含めて、以下に3件記します。

◎町設置
昭和二十二年十一月二十三日から山口市のうち大字阿知須を分ちその区域をもつて阿知須町を置きその属する郡の区域を吉敷郡に定めた。
昭和二十二年十二月
山口県
昭和22年12月19日 官報第6281号 209頁 「広告」欄

●町村変更
三島郡片貝村は昭和二十二年十一月三日、町となつた。
昭和二十二年十一月
新潟県
昭和22年11月17日 官報第6253号 99頁 「広告」欄

●町村変更
岡山県児島郡福田村は福田町とすることを許可し昭和二十二年十二月九日からこれを施行した。
昭和二十三年一月
岡山県
昭和23年1月19日 官報第6300号 68頁 「広告」欄

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総理庁設置はS22.5.3であり、S24.5.31まで存在しますが、「総理庁告示」により市町村の廃置分合等がなされたのは、S23.4.2付け総理庁告示第25号による青森県上北郡大三沢町設置が最初です。
これ以前は、上述のように、府県告示?であり、官報という「公報」に掲載されたようです。
もちろん、府県の公報に掲載されたものもあるでしょう。
「公告」でなく「広告」欄です(正確には旧字体の「廣告」)。
「広告」には、「町設置」等のほかには、「公示催告」「公示送達」「漁業財団」「工場財団」「鉱業財団」などの見出しが並んでいます。
上述の3件以外にもまだ官報の「広告」欄に搭載された例があるかとは思いますが、そこまで調査が至ってません。

また、この時期の根拠規定の精査も改めて実施中ですが、整理がまだできていません。整理できればまた投稿したいと思います。

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[80443] 紅葉橋律乃介 さん
ほぼ調査を終えましたが、少々お待ちを。
[80419] 2012年 3月 21日(水)22:20:2988 さん
Re:戦時合併 と その解体 続編 (3)戦時合併→戦後分離 の事例集
[80416] hmt さん
まとめていただいたご紹介のリストを基に、官報情報検索サービスで総理府告示等を調査した結果をご紹介します。とりあえず、事実のみの報告で失礼します。
告示年月日、告示番号を記載しているのは、今後、さらなる検証の際の便宜を図るためでもあります。

No.町村特別措置告示年月日告示番号施行年月日
1秋田県秋田郡飯田川町S25.11.24総理府告示第322号 S25.10. 1
南秋田郡豊川村S25. 6.12総理府告示第192号 S25. 7. 1
2河辺郡豊島村S25. 6. 9総理府告示第184号 S25. 7. 1
3茨城県稲敷郡源清田村S24. 9. 5総理府告示第62号 S24. 8. 1
4埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町S25.11.25総理府告示第327号 S25.11. 1
5北埼玉郡騎西町他4村
6,7秩父郡皆野町他4村
8,9,10北足立郡志木町,内間木村,宗岡村,水谷村×S23. 4. 2総理庁告示第30号S23. 4. 1
11北葛飾郡静村,豊田村S24.11.15総理府告示第135号S24.10. 1
12神奈川県高座郡座間町×S23. 9.21総理庁告示第164号 S23. 9. 1
13三浦郡逗子町S25. 6.12総理府告示第191号S25. 7. 1
14富山県射水郡※新湊町S25.11.25総理府告示第328号S26. 1. 1
射水郡※牧野村S25.11.25総理府告示第329号S26. 1. 1
15三重県名賀郡箕曲村S24. 8. 1総理府告示第45号S24. 8. 1
16滋賀県甲賀郡柏木村×S23.11.20総理庁告示第207号 S23.10.10
17伊香郡伊香具村×S23. 5.22総理庁告示第104号S23. 5.10
18岡山県苫田郡新加茂町S26. 3.29総理府告示第47号 S26. 1. 1
19広島県賀茂郡寺西村S25. 6. 9総理府告示第185号 S25. 4. 1
20山口県吉敷郡阿知須町
21吉敷郡※小郡町S24.12.21総理府告示第164号 S24.12.21
22都濃郡※富田町×S24.11.15総理府告示第136号S24. 8. 1
都濃郡※福川町S24. 9.16総理府告示第73号S24. 9. 1
23愛媛県喜多郡河辺村×S26. 2. 5総理府告示第15号S26. 1. 1
24宇摩郡松柏村S25.11.24総理府告示第325号S25.10. 1
25高知県高岡郡新居村S24. 6.27総理府告示第11号S24. 4. 1
26香美郡山南村,徳王子村,富家村,香宗村×S23. 4. 2総理庁告示第31号S23. 4. 2
27熊本県飽託郡池上村S24.10.25総理府告示第110号S24. 9. 1
28飽託郡城山村,高橋村×S25.10. 4総理府告示第285号S25. 5. 1
29八代郡郡築村S25. 7.20総理府告示第235号S25. 7. 1
30大分県直入郡豊岡村S25.10.17総理府告示第300号S25. 9. 1

注釈
・特別措置欄
○:地方自治法の一部を改正する法律(昭和23年法律第179号)附則第2条第5項の規定による分立・分割
×:地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条による分立・分割
注:この時期の地方自治法第7条は、地方自治法の一部を改正する法律(昭和22年法律第169号)による改正後のものが適用。

・郡欄
※:市の一部が分立したため、属する郡の区域を定める総理府告示が別途存在する。
ただし、4 埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町は、川口市から分立の告示中に「北足立郡」との記載がある。


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根拠法令(抜粋)
地方自治法の一部を改正する法律(昭和23年法律第179号)
附則
第二条 昭和十二年七月七日から同二十年九月二日に至るまでの間において、市町村の区域の変更があつたときは、その変更に係る区域の住民は、第七条の規定にかかわらず、本条の定めるところにより、従前の市町村の区域でその市町村を置き、又は従前の市町村の区域の通りに市町村の境界変更をすることができる。
2 前項の処分は、政令の定めるところにより、市町村の選挙管理委員会に対し、変更に係る区域の住民で選挙人名簿に登載されている者の総数の三分の一以上の者の連署を以て、その代表者から、これを請求しなければならない。
3 前項の請求があつたときは、選挙管理委員会は、請求を受理した日から三十日以内に、当該区域が従前属していた市町村の選挙人の投票に付さなければならない。
4 第二項の規定による区域が現に存する他の市町村に属していた場合においては、前項の投票に関する事務は、同項の規定にかかわらず、その市町村の選挙管理委員会がこれを管理する。この場合において必要な事項は、政令でこれを定める。
5 第三項の投票において有効投票の過半数の同意があつたときは、委員会の報告に基き、都道府県知事は、当該都道府県の議会の議決を経て市町村の廃置分合又は境界変更を定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。
6 前項の場合において第一項の市町村の区域の変更に伴い処分した財産があるときは、現に存する市町村は、これが現に存する限度において、議会の議決を経てその変更に係る区域が従前属していた市町村に返還しなければならない。
7 前項の財産処分に不服がある市町村は、裁判所に出訴することができる。
8 第五項の規定による届出を受理したときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。
9 政令で特別の定をするものを除く外、地方自治法第二編第四章の規定は、第三項の規定による投票にこれを準用する。

地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条
(地方自治法の一部を改正する法律(昭和22年法律第169号)によるもの)
第七条 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府県知事が当該都道府県の議会の議決を経てこれを定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。所属未定地の市町村の区域えの編入も、また、同様とする。
2 都道府県の境界にわたる市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共団体の申請に基き、内閣総理大臣がこれを定める。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
4 前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない。
5 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第二項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。

告示の例
●総理府告示第三百二十七号
市町の廃置分合
 地方自治法の一部を改正する法律(昭和二十三年法律第百七十九号)附則第二條第五項の規定により、昭和二十五年十一月一日から、埼玉県川口市のうち、旧鳩ヶ谷町の区域を分け、その区域をもつて北足立郡鳩ヶ谷町を置く旨、埼玉県知事から届出があつた。
 昭和二十五年十一月二十五日
内閣総理大臣 吉田  茂

●総理府告示第百六十四号
市町の廃置分合
地方自治法の一部を改正する法律(昭和二十三年法律第百七十九号)附則第二條第五項の規定により、昭和二十四年十一月一日から、山口県山口市のうち大字小郡上郷及び小郡下郷を分け、その区域をもつて小郡町を置く旨、山口県知事から届出があつた。
昭和二十四年十二月二十一日
内閣総理大臣 吉田  茂

●総理府告示第百六十五号
郡の区域の境界にわたつて設置された町の属する郡の区域を定める処分
地方自治法第二百五十九條第三項の規定により、山口県小郡町の属する郡の区域を吉敷郡に定める旨、山口県知事から届出があつた。
昭和二十四年十二月二十一日
内閣総理大臣 吉田  茂

●総理府告示第百三十六号
市町の廃置分合
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十四年八月一日から、山口県徳山市のうち大字富田を分け、その区域をもつて富田町を置く旨、山口県知事から届出があつた。
昭和二十四年十一月十五日
内閣総理大臣 吉田  茂
[80341] 2012年 2月 26日(日)23:38:3188 さん
変遷情報検索 異体字等の同一視について
市区町村変遷情報に関して。

[80268][80316] 中島悟 さん で、多数のご指摘をいただいていますが、中島悟さんもおっしゃるように、今回のご指摘の内容は、大きく分けて次の3つに分けられると考えられます。
(1)明らかに別の字であり、入力時の誤りである
(2)旧字体・新字体等が入力の際に一貫しておらず、入力時の誤りである
(3)当時としても表記の揺れがあったと思われ、文献によって表記に揺れがあり、本当の「漢字」を特定することが困難

(1)は言い訳のしようのないで誤りであり、精査し、順次修正していきます。
(2)は各文献を鵜呑みにしたり、編集作業時にその場しのぎで統一方針が定まっておらず誤ったもので、これも順次修正していきます。
(3)は悩ましく、調査も困難を極めるのですが、そのままではデータベースとしての機能が不十分であるので、判断をして何らかの結論を出し、順次修正していきます。

いずれにせよ、市区町村変遷情報においては、その名のとおりあくまで「変遷」をまとめたものであり、途中でいつの間にか名称が変わっていたり、不連続になってしまうことは許されません。変更するためには、改称手続きや、その他の変更するだけの理由が必要です。

(1)(2)(3)とも、内容により調査・作業にかかる時間は差がありますが、少しずつ既に対応しています。詳細については、まとめてレスします。

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変遷情報検索の件。
[80316] 中島悟 さん
誤字はともかく、「ヶ」「ケ」以外も異字体を一括検索できるようにはならないでしょうか?
これは、前述の入力そのものの誤りの件とは別に、変遷情報検索の利用者の便宜を図るための観点で、異体字等を同一視する検索システムのご提言であると考えます。
例えば、「一ノ宮村」と思って検索しても想定したデータを発見できず、実は正式な村名は「一之宮村」であった場合。
本人が気づけば、「一之宮村」で再検索すれば事なきを得るのですが、「ない」「検索の不具合だ」となってしまっては元も子もないです。
こういった事態を避けるためにも、現在の
「ヶ」と「ケ」を区別しない
と同様に、便宜を図ろうとするものです。

[80319] グリグリ さん からもありましたが、以下に、「ヶ」「ケ」と同様の、私なりの案を示します。もし、他に何か対象とした方が良いものがあれば、お教えいただければ幸いです。

なお、以下に挙げるものをすべて対象とすると決定した訳ではありません。対象を広げ過ぎると、多大な負荷を与え、かえって検索の性能に影響を与えることがあり、利用者の便宜に逆行するおそれがあるからです。
グリグリさんから、いくつか試行し、その影響を検証してみようとの話がありましたので、それに先立ち示すものです。
なお、例は、実在するものとは限りません。イメージとして例示するものです。
番号対象備考
1ノ, の, 之, 野一ノ宮, 一の宮, 一之宮, 一野宮一宮 をこれに加えるのは困難か
2ヶ, ケ, が関ヶ原, 関ケ原, 関が原関原 をこれに加えるのは困難か
3島, 嶋
4曽, 曾
5館, 舘
6沢, 澤
7滝, 瀧
8竜, 龍
9篭, 籠
10条, 條
11峰, 峯, 嶺
12弥, 彌
13岳, 嶽
単に旧字体・新字体の差異もあれば、異体字もあります。[74087]拙稿で「旧字体・新字体の表記方法について」として方針を述べています。
[80302] 2012年 2月 18日(土)08:41:1288 さん
地名の成り立ち
[80276][80281] EMM さん

門前町門前の件、[80271]拙稿の投稿前に輪島市門前町門前付近の地図で、各字の境が錯綜していることは確認していました。例えば参道は沿道の家屋敷地と異なり切り取ったように「門前町門前」であることも。
M22.4.1の市制町村制施行前に、「門前村」や「走出村」があったこともあり、そのままの投稿となったわけですが、確かに、おっしゃるように「スジ悪」であったようで、 門前町剱地などを挙げれば、紛れもなく、私の趣旨の主張は全く問題はなかったところです。
正式な住所表示が明白な輪島市門前総合支所(旧門前町役場)の住所の例にこだわり過ぎたのは反省点です。

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#以下は特にEMMさんあてに限定したものではありません。念のため。
#異論がある方ももちろん多いとは存じますが、観点の一つとして見ていただければと思います。

私が近世村に主眼を置いているのは確かですが、その理由は、単に近世村であるからではなく、さらに遡ると・・・自然発生的に生まれた「自然地名」につながる、ということを見据えているからです。
私の[80270][80271]では、記事番号を紹介しただけで内容には触れなかったのですが、私のもっと根底の主張は、[61545][61847]で述べています。
[61545]
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。「現在の」住民の感覚で判断するからさまざまな誤解が生じるのではないか、と。
[61847]
人類は地上で集団生活をしなければ種の保存も個体の保存も不可能であった。いつ(季節・時間)、どこ(地名)にいけば、どんな食料が得られ、あるいはどんな危険があるのか、集団生活で周知しあわなければ生きていけなかった。多層、多重の集団社会では『あそこ』『こっち』と言う代名詞だけでは円滑なコミュニケーションは成り立たず、必然的に、場所を特定するための言語=地名を大地の部分に命名して使いこなす必要があった。
(「こんな市名はもういらない!」(楠原佑介著、2003年4月30日初版発行、東京堂出版)の要約)
あとから命名した「人為地名」ではなく、その地に人類が初めてつけた、自然発生的な地名こそが、1000年前でも、現在でも、1000年後でも、どの時代でもたかだか100年しか生活しない、「点」に過ぎない個々の「ヒト」が、「線」となった「人類」として見た場合に、「自然地名」が普遍的に最も歴史性を備えた地名であると考えています。

全体の印象として。すごく大雑把な、個人的な印象かもしれませんが、城下町等により開発された地区よりも、いわゆる農村地区の方が、人類が生活し始めて自然発生的に生まれた「地名」が、現在に至るまで残っているように感じます。

私の居住する「高松」も、500年前に他地域の地名を持ってきて命名された、『新しい』地名です。
元々は讃岐国香東郡篦原(のはら、野原とも)郷です。天正15年(1587年)8月、生駒親正が前領主に代わって讃岐国の領主となり、その翌年天正16年(1588年)から城を築き、それまでの高松左馬之助の居城があった郊外の「高松郷」の名を採って、城下を高松、城は高松城(玉藻城)と呼びました。源平の屋島の合戦以来全国によく知られた高松に、との意識もあったようです。
本来の「高松」は、現在の高松市高松町。山田郡高松郷で、「高松」の由来は各説あります。
・古くからこの地に「大松樹」があった(翁媼夜話)
・当地では中国から渡来した漢民族の居住地には高を用い、格別に松をめでたい木としたものから、高松はこの渡来人の居住地に由来(高松地名考)。
「高松郷」の名は、平安期「和名抄」(和名類聚抄)にも見えます。
この「高松」は、城下の「高松」と区別するために江戸期からは「古高松」と呼ばれました。
#参考資料
・「角川日本地名大辞典 37香川県」(角川書店、「角川日本地名大辞典編集委員会編、昭和60年10月8日平成5年2月25日」)
・「香川県の歴史」(山川出版社、木原博幸・丹羽佑一・田中健二・和田仁著、1997年10月25日第1版第1刷発行)
・「香川県史 第三巻 通史編 近世I」(平成元年2月28日発行、香川県編集・発行)
・「高松城主とその時代」(高松市歴史民俗協会、越智繁杉著、昭和62年3月初版、平成8年10月改訂)
高松城の歴史 (高松市HP内)
現在でこそ「高松市」ですが、「篦原市」「野原市」となっていた可能性も十分ある、その方が、歴史性はある、ということを、私は思い出したように意識することが多々あります。

もちろん、この500年の人類の「歴史」を、他の生物とは異なり、人類特有の文明とともに歩んできた発展の歴史として、ともに歩んできた地名を肯定的に捕らえる考え方もあると思います。
地域要因・個別要因によるのでしょうが、当地付近では、「和名抄」にもある地名が、大字等として多数残存しているように感じます。
[80298] 2012年 2月 16日(木)22:44:4388 さん
真鶴町・・・ 誤)静岡県、 正)神奈川県 / 誤)まなづるちょう、正)まなづるまち
[80296] 白桃 さん
[80295][80297] hmt さん
実は、[64779]拙稿の投稿直後(ただし30時間の訂正可能時間後)に自ら気づいていました。

しかし、どなたからもご指摘の投稿はなく(気づいていた方はいらっしゃるかもしれませんが)、[64866] YSK さん に真鶴町は「まなづる」町か、「まなつる」町か? の新規アーカイブの編集を行って頂いた後も同様でした。

それが今回、4年近くの歳月を経て、この誤りが脚光を浴びてしまいました。
改めてお詫び申し上げます。

もちろん、今回の誤りは、私が真鶴町を含む当該地域が、神奈川県か静岡県か、の意識が希薄であることによるものです。

[80295] hmt さん
【注】結論部(4)に真鶴町(まなづるちょう)と書いてありますが、まなづるまち ではないでしょうか?
これも、私が在住している地域を含め近隣は軒並み自治体の「町」は「ちょう」であることから、無頓着に記述したものです。

>グリグリさん(でいいのでしょうか)
せっかくですので、 [80296] 白桃 さん、[80295][80297] hmt さん、本拙稿も、前述のアーカイブに補う形で追加をご検討いただけますでしょうか?

今更ですので、[64779]拙稿はそのまま晒しておいていただければ、と思います。
[80273] 2012年 2月 11日(土)13:44:2188 さん
市区町村変遷情報 障害発生中です
各位

現在、市区町村変遷情報に障害が発生し、表示に不具合が出ているようです。
グリグリさんに対応を依頼しますので、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。

以下、業務連絡。
>グリグリさん
詳細は別途メールで送付します。よろしくお願いいたします。
[80271] 2012年 2月 11日(土)12:30:50【2】88 さん
合併に際しての地名の表記について その2(主張編)
[80270]の続きです。

■4 香川県三豊市
最後に、災害報道ではありませんが、同様のことが行われている(参考HP)、地元香川県の例を示しておきます。
(参考:H18.1.1付け香川県告示第1号 (pdfファイル、三豊市発足時の字の名称変更の告示))
「郷」の観点を加味しています。「郷(ごう)」とは、「角川日本地名大辞典37香川県」によると、次のとおりです。
霊亀元年に、令制で50戸1里の里を改称したもの。国郡制の最末端の行政区画である。平安中期には、約4,000郷を数えたが、平安後期から律令制の郷制は崩壊し、別に50戸1郷にこだわらない自然村落的郷が発生、太閤検地の村制まで続いた。江戸期以降は単なる広域にわたる地域称になったと思われるが詳細は不明。
近世村平成の合併前誤用(現在)正式私案簡潔版
三野郡大見村大見郷三豊郡三野町大字大見三豊市三野町三豊市三野町大見三野市大見大見
三野郡下高瀬村高瀬郷三豊郡三野町大字下高瀬三豊市三野町三豊市三野町下高瀬三野市下高瀬高瀬
三野郡上高瀬村高瀬郷三豊郡高瀬町大字上高瀬三豊市高瀬町三豊市高瀬町上高瀬三野市上高瀬高瀬
三野郡上勝間村勝間郷三豊郡高瀬町大字上勝間三豊市高瀬町三豊市高瀬町上勝間三野市上勝間勝間
三野郡大野村本山郷三豊郡山本町大字大野三豊市山本町三豊市山本町大野三野市大野本山(大野)
三野郡財田西村財田郷三豊郡山本町大字財田西三豊市山本町三豊市山本町財田西三野市財田西財田
三野郡財田中村財田郷三豊郡財田町財田中三豊市財田町三豊市財田町財田中三野市財田中財田
「財田」は、
古くは財田村1村であったものが、財田上・財田中・財田西の3か村に分かれて成立した
(西讃府志・・「角川日本地名大辞典37香川県」の記述)とのことです。
「高瀬」は、そもそも平安期からある「高瀬郷」が、「いよたいとう」(伊予大道、伊予に通じる大道)を境に南東を半分、北西を下半分とする中分が鎌倉末期に行われ、上高瀬・下高瀬の呼称はこれに由来するもののようです(前掲「角川日本地名大辞典37香川県」)。

――――――――――
さて、ここからは、主として私の主張です。
「五條市大塔町」の件。
土砂ダムの所在地もが「五條市大塔町の赤谷地区」「五條市大塔町赤谷」という誤った表現が行われています。
間違いを指摘云々ということより、地名としては明治の町村制以降のわずか120年(仮に大塔宮護良親王の時代から「大塔」と呼ばれていたと仮定しても700年ほど)によって旧大塔村の範囲を一纏めにしていまっています。近世村であって少なくとも数百年から(延喜式の時代まで遡るとすれば)千年以上の歴史を持つ「清水」を軽視しています。
何よりも、現在の住人にとって、「この間まで大塔村であった」ということだけが眼中にあり、「今回の合併前の町村名を尊重する」というという観点だけで、「五條市大塔町」「五條市大塔町」と連呼し、結果的に、明治の合併前の自治体名であり「大塔」よりも歴史のある「清水」を無視し、意識の彼方に押しやっている、ということになっていると考えます。

「輪島市門前町」の件。
合併を重ねて自治体である 鳳至郡 門前町 となった以降、輪島市との合併前までは、自治体名を表示して「門前町」と呼称することは自然でしょう。広義に解釈すれば、周辺一体が「門前」との考え方もあり得ますが、あくまで、元々の「門前」とは別の、歴史ある地名は「走出」等である、ということを念頭において、の条件付きですが。
しかし、自治体が輪島市となった現在、自治体名である「輪島市」と呼称することは自然として、それと組み合わせての表記が、ここ70~50年しか「門前町」(歴史の浅い「門前」)で代用して呼称して「輪島市門前町」で一括りにしてしまうことは、結果的に歴史の深い「走出」などを軽視していることつながります。「走出」の区域について、「門前」と「走出」のどちらで呼ぶことが長い歴史・地名の観点から適切なのか、と考えます。今現時点の住民の観点ではなく、千年以上前の住民の観点、千年後の住民の観点を意識した上で、今、「輪島市門前町」と、呼称しているのでしょうか。
「『門前』が由緒ある地名である」と言うの反論に対して。市制町村制施行前の鳳至郡門前村の区域がが本来の「門前」であり、どこの範囲でもよいから「門前」を呼称すればよい、というものではないでしょう。
「地名は変わっていくのが当然だ」「今の住民が呼ぶことに問題はない」という反論に対して。逆に質問すると、50年後・100年後の住民が、「門前」という呼称を「そんなのは古くて流行らない」と言い出して「門前」を消す場合でも、一切文句は言える立場ではない、ということです。

(旧)大塔村の範囲を(例えば「清水」を付さずに)自治体名ではない「大塔町」と呼ぶこと、(旧)門前町の範囲を(例えば「走出」を付さずに)自治体名ではない「門前町」と呼ぶことは、一種の「“デッチ上げられた”地名」であると考えます。

「三豊市○○町」の件。
ここ40年ほどの三野町・高瀬町・山本町・財田町の区分、現在の住民の観点ではなく、古来(平安期以降)からの「高瀬」「財田」の範囲を意識することが肝要であると考えます。
「財田」を「山本町」と呼び、「高瀬」を「三野町」と呼び、「勝間」を「高瀬町」と呼ぶ・・・。
せめて、それぞれ「山本町財田西」「三野町下高瀬」「高瀬町上勝間」と地方自治法第260条第1項の「字」(大字)のとおり正確に呼ぶか、いっそのこと、単に「三野市財田西」「三野市下高瀬」「三野市上勝間」と呼ぶ(正式に字も改称する)ことが、そもそもの由来に則した呼び方であると考えます。

――――――――――
「平成の大合併を検証する」という観点に関心を持っている方々も大勢いらっしゃいます。それとは別に、「平成の大合併により地名表記はどうなったのか」について、私は大いに関心を持っています。合併の功罪ばかりに視点が行き、個々の住所・地名の表記(正式なもの、報道等により耳にするもの)に世間ではあまり関心がない、ということに懸念を持っています。
明治の大合併や昭和の大合併のときには、古来からの近世村を、「大字」や自治体の中の「町」として残し、「『町村制』村」は、学校名や郵便局名等として残存しても、限定的であったように感じます。もちろん、私自身は合併当時を直接は知りませんので、平成の大合併前の状況から鑑みて、の考えですが。
それに比して、平成の大合併においては、今回の合併前の町村名(その多くが昭和の大合併の時の自治体名)を尊重するという「タテマエ」の下に、古来からの近世村を軽視しているように感じられます。
#この件については、私も過去に[51540][61545][61847]などで、ついつい力を入れて語っています。「三豊市」「三野市」についても[51540]にて。

地名(住所)表現の基本は、次のとおりであると考えます。
・「自治体名」+「近世村を踏襲した町名・大字名」+(※)
・「自治体名」+「政令市の区名(合併特例区名・地域自治区名等)」+「近世村を踏襲した町名・大字名」+(※)
(※)は、
・小字名(地番区域であるものに限る)+地番による住所表示(○○番地)
・街区符号+住居番号(住居表示実施区域)
#「住所」については、かねてからの予告どおり、詳細を執筆中です。
[80270] 2012年 2月 11日(土)12:30:4788 さん
合併に際しての地名の表記について その1(事実編)
[80250] hmt さん
[80251] Issie さん
市区町村変遷情報をご活用いただきありがとうございます。
[80251] Issie さん の
「町村制村」の名前は,さらなる合併でその村自体が消滅してしまえば一緒に消えてしまいます。所詮,新しく“デッチ上げられた”地名に過ぎない,ということなのかもしれません。
は、まったく同意見です。
hmtさんによる事例研究も、その通りかと思います。
付け加えるならば、私は現状を次のように見ています。
(1)明治の大合併時に誕生した、従来はその名称が存在しなかった「『町村制』村」は、昭和の大合併の時にかなり消滅した。旧大字名≒明治に大合併時の直前の町村名≒近世村名は、新自治体の町名・大字名等として活用することにより、存続した。
(2)昭和の大合併で誕生した町村名は、平成の大合併において、「合併前の町村名を尊重する」との名のもとに、引き続き利用されている。
 具体的には、従来の大字名の前に冠することによって「○○町△△」(○○:昭和の大合併時の町村名、△△:旧大字名≒近世村名)とされたところが多い。
(3)地方自治法上の正式な町名・字名は「○○町△△」を一纏めとして行うことが正式である。(注:例外あり)
 しかし、自治体の記載、報道などでは「○○町」までで止められ、正式な「○○町△△」とされることは少数派である(「□□市○○町」が座りがよいためか、単に「○○町」が町名、と意識されるためか)。このため、いわば“デッチあげられた”地名である「○○」が残存し、本来の歴史ある地名である「△△」が軽視されている現状がある。さらに、町名変更などの際に消滅する懸念がある。

私なりの見解の総括は、末尾にまとめて述べます。
――――――――――
具体例をご紹介しながら述べます。
まず、地方自治法
第260条 政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
を掲示しておきます。

事例として、近年の各種災害の発生時において、報道等に際しての地名の表記を挙げます。まずは、基本的に事実等のみを述べます。
■1「五條市大塔町」(平成23年(2011年)の紀伊半島等における台風12号による被害)
奈良県HPの記事
台風12号被害状況の視察(五條市大塔町)
五條市大塔町内まで
朝日新聞
五條市大塔町の赤谷地区にできた土砂ダム
毎日新聞
奈良県五條市大塔町赤谷、同県十津川村長殿にできた土砂ダム
▼正式な表記
新生五條市合併協議会(第3回)協議「第8号町名・字名の取扱いについて」(pdfファイル)の、協議会での決定事項では、「吉野郡大塔村」を「五條市大塔町」に置き換えることが「見た目」の変化ですが、実は、ポイントは
現在の大字の区域をもって、町の区域を新たに画することとする
というところです。つまり、従来の「大字辻堂」という「大字」の区域をもって、「大塔町辻堂」という「町」の区域を画する、ということです。
「大塔町」ではなく「大塔町辻堂」が、地方自治法第260条の「町」の区域である、ということの趣旨です。
実際には、正式な根拠であるH17.7.19付け奈良県告示第231号 (pdfファイル)は次のとおりです。
奈良県告示第二百三十一号
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百六十条第一項の規定により、五條市長から次のとおり字の名称を変更する旨の届出があった。
この処分は、平成十七年九月二十五日からその効力を生ずる。
(略)
平成十七年七月十九日
奈良県知事 柿本善也
新町名現字名
(略)(略)
大塔町辻堂大字辻堂
大塔町殿野大字殿野
(略)(略)
「大字辻堂」という「字」(大字)が、「大塔町辻堂」という「字」(大字)に名称を変更した、ということです。「字」の区域は、変更がありません。
「五條市」の下位区分に「大塔町」があり、そのさらに下位区分として「辻堂」「殿野」があるのでは決してありません。「五條市」の下位区分として「大塔町辻堂」「大塔町殿野」があるのです。一段階です。
さらに、「大塔町赤谷」は、存在しません。

歴史を振り返ります。
「大塔」は、M22.4.1付け奈良県町村制施行時吉野郡 大塔村として発足し、由来は、Wikipediaによると、
後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王が元弘の変の際にこの地の豪族戸野兵衛・竹原八郎らに匿われたことに由来する。
とのことです(参考)。
一方、「辻堂」「殿野」は、この町村制施行前の近世村として「辻堂村」「殿野村」が存在しており、大塔村発足後はこれらの地域は「大字辻堂」「大字殿野」となっていました。
「大塔村」という自治体が町村制以前にあったのではないようです。
五條市HP内の旧大塔村の歩みでも、「大塔町」という町名があるかのような表現をしています。
「赤谷」は、赤谷緑地公園や各種資料の位置関係などから、五條市大塔町清水の一部であるようです。

■2「輪島市門前町」(平成19年(2007年)の能登半島地震における報道)
国土交通省北陸地方整備局HP「第1章 能登半島地震の概要」(pdf)3コマ目(p.7)
輪島市門前町から志賀町にかけて
中日新聞記事(記者コラム;窓)
輪島市門前町で避難所運営に
▼正式な表記
輪島市HP内(合併に伴う)住所のご案内
例えば、輪島市門前総合支所(旧鳳珠郡門前町役場)の住所は、次のように変更になりました。
石川県鳳珠郡門前町字走出6の69番地 → 石川県輪島市門前町走出6の69番地
元々の「門前」は、市制町村制施行(石川県)鳳至郡 櫛比村となった時の従前の 鳳至郡 門前村であり、「走出」は 鳳至郡 走出村でした。「櫛比」は、この付近が櫛比郷であることからの名称のようです。「門前」は、曹洞宗大本山總持寺祖院(元々は横浜市鶴見区に移転した曹洞宗大本山總持寺)に由来します。
これを、輪島市との合併前の 鳳珠郡(←鳳至郡) 門前町 では、「字走出」という、実質的にいわゆる大字として取り扱って(地番区域も近世村(=走出村)単位と思われる)表記していたのでしょう。
輪島市・門前町合併協議会第3回協議会会議録(pdfファイル)の17コマ、第3回合併協議会会議資料(pdfファイル)の99コマに、記載があり、輪島市としての町または字の設定の告示がweb上に見当たりませんが、協議のまま確定したとすると、
従前の町・字の名称の前に「門前町」を付し、住居表示上の「字」は表記しない。
であるので、「門前町走出」「門前町門前」が、現在の町または字の名称及び区域でしょう。(輪島市の正式な町・字の告示は、web上には見当たりませんでした。)
由来からみると、現在の「門前町門前」の範囲が本来の「門前」でしょう。

■3 平成22年(2010年)の奄美大島豪雨
「奄美市住用町」
日テレnews24内豪雨報道

奄美豪雨 奄美市住用町から中継
読売新聞鹿児島地域記事
奄美市住用町で
▼正式な表記
奄美市HP「合併後の住所表示」も参照してください。
また、長文の引用ですが、第16回協議会(平成17年3月10日開催)報告第26号(pdfファイル)
18/129頁を転載します。
協議第31号
町名・字名の取扱いについて
町名・字名の取扱いについては,次のとおり提案する。
1 町・字の区域は現行のとおりとする。
2 町・字の名称については,次のとおりとする。
(1) 名瀬市については,従前の町名又は,大字に名瀬を冠したものをもって大字とする。
(2) 笠利町については,従前の町名を従前の大字に冠したものをもって,大字とする。
(3) 住用村については,従前の村名を町名とし,これを従前の大字に冠したものをもって,大字とする。
3 前項については,地域自治区の設置期間終了後に適用することとする。
平成16年12月24日提出(平成17年1月7日承認)
奄美大島地区合併協議会
会 長 平田 隆義
「住用町」は、奄美大島地区合併協議会において、
名瀬市,大島郡住用村及び同郡笠利町の廃置分合に伴う地域自治区の設置に関する協議書で設置された、S40.3.29法律第6号市町村の合併の特例に関する法律(現在では廃止済)の第5条の5による「地域自治区」の名称です。
S40.3.29法律第6号市町村の合併の特例に関する法律
(地域自治区の設置手続等の特例)
第5条の5 市町村の合併に際しては、地方自治法第202条の4第1項の規定にかかわらず、合併関係市町村の協議で定める期間に限り、合併市町村の区域の一部の区域に、一又は二以上の合併関係市町村の区域であつた区域をその区域とする同項に規定する地域自治区(以下「合併関係市町村の区域による地域自治区」という。)を設けることができる。
2 市町村の合併に際し、合併市町村の区域の全部又は一部の区域に、合併関係市町村の区域による地域自治区を設ける場合においては、地方自治法第202条の4から第202条の8までの規定により条例で定めるものとされている事項については、合併関係市町村の協議により定めるものとする。
3 前二項の協議については、合併関係市町村の議会の議決を経るものとし、その協議が成立したときは、合併関係市町村は、直ちにその内容を告示しなければならない。
4 合併市町村は、第一項及び第二項の協議により定められた事項を変更しようとするときは、条例でこれを定めなければならない。
この地域自治区は、前述の名瀬市,大島郡住用村及び同郡笠利町の廃置分合に伴う地域自治区の設置に関する協議書第3条の規定により、平成28年3月31日まで設置されます。

通常は、町・字の名称又は区域の変更があれば、新設合併施行時のH18.3.20付けで、地方自治法第260条第2項 ([80177]参照。鹿児島県ではなく奄美市告示)により、行われるのですが、上記合併協議会での決定事項「3 前項については,地域自治区の設置期間終了後に適用することとする。」により、
地域自治区大字
~H28.3.31住用町大字役勝
H28.4.1~住用町大字役勝
ということになります。
M41.4.1付け大島郡 沖縄県及島嶼町村制施行時の大島郡 住用村になるまでは、村名としての「住用」はありません。もっとも、「住用方」と呼ばれた地域ではあったようです(作々さんHP内の市制町村制以前の町村名(鹿児島県))。

報道された時点では、「奄美市住用町」とは、「自治体名+地域自治区名」であり、現時点でも同様です。この点、「五條市大塔町」「輪島市門前町」とは事例が異なります。
ただし、前述の規定により地域自治区が廃止されたH28.4.1以降に「奄美市住用町」と表記すると、「五條市大塔町」「輪島市門前町」と同様になります。


次稿に続きます。
[80263] 2012年 2月 9日(木)00:32:3488 さん
★祝 変遷情報検索
[80254] グリグリ さん からアナウンスのあった、市区町村変遷情報変遷情報検索。グリグリさんから幾つか利用方法の例示があり、hmtさんも[80257]加積を試していただいています。
皆さんもいろいろと試していることと思いますが、何かと、遊べる機能であると思います。市区町村変遷情報が、ますます、「生きる」機能であると思います。
これもひとえに、こうしたHPの場を提供し、市区町村変遷情報の編集作業・表示が容易なプログラム・システムを作成し、今回の変遷情報検索機能をも作成した、グリグリさんに負うところが大きいのは言うまでもありません。また、編集作業に際し、落書き帳その他の場でご意見・ご指摘を多数お寄せくださった皆さんに、改めて感謝申し上げます。

こうして変遷情報検索を試してみると、改めて、個々の情報の精度が求められることを実感しております。未だにご指摘に対応できていないものも多数あります。例えば、最近はずっと[78466]以降のむっくんさんによる東京府関連の情報の確認作業を行っているのですが、複雑かつ悩ましいものも多く、なかなか、前に進んでおりません。各種宿題ばかりが山積しておりますので、少しでも減らしたいと思います。

――――――――――
せっかくですので、変遷情報検索の事例を、私ならではの観点から。

まずは、個人的な地元である、高松、ついでにお隣の松山

グリグリさんが[80254]で例示していただいた八幡は、[79692]拙稿での記述を踏まえたものと想像します。
その[79692]で触れた、大野中野小野

編集作業の過程で、結構よく見かけた町村名の一つ、河内
多いとまでは言えないものの、珍しくもなかった、在家

全国にあるのが自明である、府中国府国分

全国に同一の地名は複数ある方が自然である、という例示でした。

――――――――――
[80260] グリグリ さん 
西彼杵郡 雪浦村の件、確認の上、修正しました。失礼しました。
 
[80178] 2012年 1月 21日(土)22:29:5588 さん
地番区域、町・字(大字・小字)について
地番区域に着目して、いくつか例を示しながら、(自治体の中の)町・字(大字・小字)について述べます。長久手市の例と同様の事例・類似の事例もあります。

香川県高松市が、S31.9.30付けで周辺15町村を編入合併した際の、町名設定時のS31.9.30高松市告示第105号の5
の抜粋です。
・・(15町村を)廃し,その区域を高松市に編入したので同区域に町を設立しその町名を次の通り定め,昭和31年9月30日から施行する。
設定町名同左区域
東山崎町旧川添村大字山崎の区域
三谷町旧三谷村の区域
香西東町旧香西町字新田の区域
香西本町旧香西町字香西の区域
香西南町旧香西町字西打の区域
香西西町旧香西町字平賀上の区域
香西北町旧香西町字平賀下の区域
西山崎町旧円座村大字山崎の区域
鬼無町旧上笠居村の区域
中山町旧下笠居村字中山の区域
植松町旧下笠居村字植松の区域
生島町旧下笠居村字生島の区域
神在川窪町旧下笠居村字川窪の区域
亀水町旧下笠居村字亀水の区域
例えば、東山崎町, 西山崎町 は、それぞれ直前は木田郡(旧山田郡)川添村大字山崎, 香川郡円座村大字山崎 ですが、元をたどれば、山田郡山崎村, 香川郡山崎村 です。三谷町は、直前の香川郡三谷村がM23.2.15には(高野村(微)を除くと)単独でそのまま町村制を施行しましたので、やはり近世村単位です。
これらは、いずれも、近世村=(高松市における地方自治法上の)町=地番区域です。

一方、上記の旧香川郡香西町(元は中笠居村), 上笠居村, 下笠居村 は、小字単位の地番区域です。旧上笠居村は、上記告示の約2箇月後に、次のとおり町名が変更となりました。
S31.11.19高松市告示第122号
高松市鬼無町の町名を次の通り変更し,昭和31年11月19日より施行する。
設定町名同左区域
鬼無町是竹旧上笠居村字是竹
鬼無町佐料旧上笠居村字佐料
鬼無町藤井旧上笠居村字藤井
鬼無町佐藤旧上笠居村字佐藤
鬼無町山口旧上笠居村字山口
鬼無町鬼無旧上笠居村字鬼無
現在の香川県立高松西高等学校を例に述べます([49211]拙稿でも書いていますが、改めて)。
S31.9.30からS31.11.18までの間は、例えば町名が「鬼無町」でしたが、地番区域が字(小字)単位であったので、「鬼無町257番1」では、字山口に限らず6つの字のうちで特定ができないため、必ず「字山口」を表示する必要がありました。
S31.11.19からは、町名が「鬼無町山口」となったので、その町名のあとに「257番1」となりました。
現在は、(元)小字=(高松市における地方自治法上の)町にいわば昇格=地番区域です。
正式には「鬼無町」という町はないのですが、「○○町」=町 という誤解が浸透しており、そのままの誤った使用が多々見られます(香川県HP内など。ちなみに同ページ内の「国分寺町」との表記も誤り。正しくは国分寺町新居、国分寺町国分など)。
#wikipediaの「鬼無町藤井、鬼無町是竹、鬼無町佐料、鬼無町佐藤、鬼無町山口、鬼無町鬼無の6町からなる」との表記は正しい。同ページ中の2.2 町名の変遷 欄も参照。
高松市例規集第1編 通規/第1章 通則にある
(高松市)公称町名一覧表も参照。これは、地方自治法第260条第2項に基づき告示された町名をまとめたものと推測。
#高松西高校所在地の「地番」は「高松市鬼無町山口257番1」(小字なし)、「住所」は「高松市鬼無町山口257番地1」。

この例で、例えば「高松市山口町」「高松市是竹町」などとなっていれば、今回の長久手市の例と同様となります。一方、旧下笠居村の例は、旧小字が市の町名となったという意味では、長久手市の例と同様でしょう。旧中笠居村→香西町の例も、旧小字名そのものではなく、東西南北本をつけたとは言え、類似の例でしょう。
結果的に、この隣接した、旧上笠居村・旧中笠居村→香西町・旧下笠居村の3村とも、いずれも、元々は小字単位の地番区域です。いずれも、結果的に小字が町名に昇格?し、現在では町単位での地番区域で、「小字なし地域」となっています。区画整理事業があったわけではありません。
#香川郡香西町字平賀上→(現)高松市香西西町(小字なし)、の例・・高松市香西西町297番5(地価公示・地価調査マップより)
なお、「高松市上笠居町」「高松市中笠居町」とならなかったため、「上笠居」「中笠居」と使用例を聞くことは今日ではまずありません。
「下笠居」は、高松市立下笠居小学校高松市立下笠居中学校下笠居郵便局などにその名残があります。

さきほどふれた、「高松市鬼無町」と「高松市鬼無町山口」との関係、「高松市国分寺町」と「高松市国分寺町新居」との関係。この2つの違いは大きいのです。
「高松市国分寺町新居」には、下位にさらに「字○○」があるのです。この字(小字)は、地番区域ではないので、不動産取引時等を除いて通常は(*)省きます。国分寺町新居、つまり近世村の「新居村」が地番区域です。
例:高松市国分寺町新居字下向田1558番
そして、同様に近世村単位が地番区域であり、その下位区分として小字がある事例として、旧山田郡山崎村である、高松市東山崎町字八反地347番6も例示します。

香川県内では、大半が、近世村単位の地番区域であり、小字単位の地番区域はわずかです。

#地番区域を導入するときの制度や時代背景について、また、全国における地番区域の設定の例(近世村単位か、小字単位か、など)については、[66728][66729]拙稿でもご紹介していますのでご参照ください。地域による相違も大きいようです。

(*)「通常は」の件については、別途、近日中に詳細版を執筆中です。実は、これに関する投稿は、3年以上前から書き足し書き足ししていたのですが、これを機会に、遂に、上梓することといたします。
[80177] 2012年 1月 21日(土)21:58:3488 さん
市町村の区域内の町・字の変更等の告示について~知事が行うか市町村長が行うか
[80176]で触れた、S22.4.17法律第67号地方自治法の、第252条の17の2を受けた、都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村の長が管理し及び執行する件についての、全国の調査結果です。各都道府県ごとに、例規集のトップページ並びに根拠となる条例及びその結果事務を管理し執行する市町村を記しました。調査対象とした事務は、第260条第1項及び第2項の、市町村の区域内の町・字の区域の変更等の、届出・告示の事務に関しての条例の制定状況は、次のとおりです。
あらかじめお断りです。個々の条例へ直接リンクがつながらず、各都道府県の例規集のトップページからログインした後で、個々の条例のリンクへ飛ぶ必要があったり、または、そのトップページからそのまま下位層へたどって個々の条例へ進む必要があるところがあります。上手いリンクの方法がわからなかったので、そのままリンクを張っておきます。

番号例規集HP年月日条例番号条例事務処理市町村
1北海道H12.3.29北海道条例4号北海道総合政策部の事務処理の特例に関する条例各市町村
2青森県H11.12.24青森県条例第54号青森県知事の権限に属する事務の事務処理の特例に関する条例各市町村
3岩手県H11.12.17岩手県条例第62号岩手県の事務を市町村が処理することとする事務処理の特例に関する条例*1
4宮城県H11.12.21宮城県条例第54号事務処理の特例に関する条例各市町村
5秋田県H16.12.24秋田県条例第71号市町村への権限移譲の推進に関する条例市町村
6山形県H11.12.21山形県条例第36号山形県事務処理の特例に関する条例各市町村
7福島県H17.10.18福島県条例第111号福島県地方自治法に係る事務処理の特例に関する条例各市町村
8茨城県H11.12.24茨城県条例第44号茨城県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
9栃木県H11.12.27栃木県条例第31号栃木県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例市町
10群馬県H11.12.22群馬県条例第43号群馬県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
11埼玉県H11.12.24埼玉県条例第61号知事の権限に属する事務処理の特例に関する条例各市町村
12千葉県H12.3.24千葉県条例第1号千葉県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
13東京都H11.12.24東京都条例第106号特別区における東京都の事務処理の特例に関する条例なし?
H11.12.24東京都条例第107号市町村における東京都の事務処理の特例に関する条例なし?
14神奈川県H11.12.24神奈川県条例第41号事務処理の特例に関する条例市町村
15新潟県H12.3.31新潟県条例第8号新潟県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
16富山県H11.12.22富山県条例第50号富山県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各町村
17石川県H11.12.17石川県条例第37号石川県の事務処理の特例に関する条例なし?
18福井県H11.12.24福井県条例第44号福井県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町
19山梨県H11.12.21山梨県条例第47号山梨県の事務処理の特例に関する条例*2
20長野県H11.12.20長野県条例第46号知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例市町村
21岐阜県H12.3.24岐阜県条例第4号岐阜県事務処理の特例に関する条例なし?
22静岡県H11.12.24静岡県条例第56号静岡県事務処理の特例に関する条例全市町
23愛知県H11.12.17愛知県条例第55号愛知県事務処理特例条例*3
24三重県H12.3.24三重県条例第2号三重県の事務処理の特例に関する条例*4
25滋賀県H18.12.28滋賀県条例第71号滋賀県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例市町
26京都府H12.3.28京都府条例第4号京都府の事務処理の特例に関する条例市町村
27大阪府H17.3.29大阪府条例第7号大阪府市町村の区域内のあらたに生じた土地の確認及び町又は字の新設等に関する事務に係る事務処理の特例に関する条例当該市, 町又は村
28兵庫県H11.12.20兵庫県条例第53号知事の権限に属する事務に係る事務処理の特例に関する条例なし?
29奈良県H12.3.30奈良県条例第34号奈良県事務処理の特例に関する条例なし?
30和歌山県H11.12.24和歌山県条例第38号和歌山県の事務処理の特例に関する条例各市町村
31鳥取県H11.12.24鳥取県条例第35号鳥取県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
32島根県H11.12.21島根県条例第45号知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
33岡山県H11.12.21岡山県条例第51号知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
34広島県H11.12.21広島県条例第34号広島県の事務を市町が処理する特例を定める条例なし?
35山口県H12.3.24山口県条例第2号山口県の事務処理の特例に関する条例各市町
36徳島県H11.12.24徳島県条例第30号徳島県の事務処理の特例に関する条例各市町村
37香川県H11.12.22香川県条例第40号香川県事務処理の特例に関する条例*5
38愛媛県H12.3.24愛媛県条例第11号愛媛県事務処理の特例に関する条例各市町
39高知県H12.3.28高知県条例第7号高知県の事務処理の特例に関する条例*6
40福岡県H11.12.27福岡県条例第37号福岡県事務処理の特例に関する条例各市町村
41佐賀県H12.3.23佐賀県条例第2号佐賀県事務処理の特例に関する条例*7
42長崎県H12.3.24長崎県条例第45号長崎県の事務処理の特例に関する条例*8
43熊本県H11.12.20熊本県条例第58号熊本県知事の権限に属する事務処理の特例に関する条例各市町村
44大分県H11.12.24大分県条例第37号大分県の事務処理の特例に関する条例各市町村
45宮崎県H11.12.24宮崎県条例第40号宮崎県における事務処理の特例に関する条例*9
46鹿児島県H12.3.28鹿児島県条例第7号鹿児島県事務処理の特例に関する条例各市町村
47沖縄県H12.3.31沖縄県条例第4号沖縄県の事務処理の特例に関する条例各市町村

*1市町村(釜石市, 紫波町, 住田町, 大槌町, 山田町, 岩泉町を除く。)
*2甲府市, 富士吉田市, 都留市, 山梨市, 大月市, 韮崎市, 南アルプス市, 北杜市, 甲斐市, 笛吹市, 上野原市, 甲州市, 中央市, 市川三郷町, 身延町, 富士川町, 昭和町, 道志村, 西桂町, 忍野村
*3名古屋市, 豊橋市, 岡崎市, 一宮市, 瀬戸市, 半田市, 春日井市, 豊川市, 津島市, 碧南市, 刈谷市, 豊田市, 安城市, 西尾市, 蒲郡市, 犬山市, 江南市, 小牧市, 稲沢市, 新城市, 大府市, 知多市, 知立市, 尾張旭市, 高浜市, 岩倉市, 豊明市, 日進市, 田原市, 愛西市, 清須市, 北名古屋市, みよし市, あま市, 長久手市, 東郷町, 豊山町, 大口町, 扶桑町, 大治町, 東浦町, 南知多町, 美浜町, 幸田町, 設楽町, 東栄町及び豊根村
*4各市町(四日市市, 桑名市, 鈴鹿市, 東員町を除く。)
*5高松市, 善通寺市, 東かがわ市
*6安田町, 本山町, 土佐町
*7各市, 吉野ヶ里町, みやき町, 玄海町, 有田町, 大町町, 江北町, 白石町, 太良町
*8長崎市, 島原市, 大村市, 平戸市, 松浦市, 佐々町
*9宮崎市, 都城市, 延岡市, 日南市, 小林市, 日向市, 串間市, 西都市, えびの市, 三股町, 高原町, 国富町, 綾町, 高鍋町, 木城町, 川南町, 都農町, 門川町

多くの県で、町・字の変更等の告示については、知事ではなく、当該市町村長がその事務を管理し執行するように条例が制定されていることがわかります。
実務上は地方分権の理念の実践、事務の簡素化が行われているのでしょうが、我々一般市民にとっては、当該告示をweb上などで確認することが結果的に困難となっています。
まあ、そういう告示そのものを確認しようとする者は少数派であり、住民にとっては、別の方法で広報・周知が図られていれば、何ら実害はないのでしょうが。
[80176] 2012年 1月 21日(土)21:47:5888 さん
長久手市の大字・字について
[79915] グリグリさん
[79929] 千本桜 さん
近世村と大字の件については、これまでにも私も何度も述べてきたし、スタンスは基本的は千本桜さんと同様なので、別の観点から述べます。
主として地番区域と町・字についてです。

町・字の正式なものの根拠は、地方自治法にあります。
S22.4.17法律第67号地方自治法
第260条 政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
2 前項の規定による届出を受理したときは、都道府県知事は、直ちにこれを告示しなければならない。
3 第一項の規定による処分は、政令で特別の定めをする場合を除くほか、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
つまり、正式には、上記の第260条第2項の規定による都道府県知事による告示を確認することが必要です。
例1:H16.12.6三重県告示第932号
桑名市,桑名郡多度町,長島町の新設合併に伴う旧多度町,長島町の区域の字の名称の変更の告示(旧桑名市の区域の字の名称は変更なし)
例2:H17.2.22香川県告示第163号
丸亀市,綾歌郡綾歌町,飯山町の新設合併に伴う旧綾歌町,飯山町の区域の字の名称の変更の告示(旧丸亀市の区域の字の名称は変更なし)
#条文のとおり地方自治法上は、「町」と「字」しかなく、いわゆる「大字」や「小字」は「字」に含まれます(S23.8.9行政実例)。

都道府県告示は都道府県の公報(注:広報ではない)に掲載されます。web上での公報は、こちらに一覧があります。
しかし、現実には、我々一般市民が第260条第2項の規定による告示を確認することは容易ではありません。なぜならば、「第260条第1項の規定による都道府県知事への届出」「第260条第2項の規定による都道府県知事による告示」は、現在では、市町村長が処理することとなっているところが多いですからです。
これは、従前からも市町村長が処理する一部には例はありましたが、いわゆる「地方分権一括法」及びこれを受けた条例に基づき、かなりの数の市町村長が処理しています。
H11.7.16法律第87号地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律(地方分権一括法)第1条により、地方自治法第252条の17の2以下が追加され(その後さらに一部改正)、現在は次の条文になっています。
(条例による事務処理の特例)
第252条の17の2 都道府県は、都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村が処理することとすることができる。この場合においては、当該市町村が処理することとされた事務は、当該市町村の長が管理し及び執行するものとする。
(第2項以下略)
これを受けて、各都道府県では、条例を制定して、当該市町村の長が、事務を管理し執行している例が多々あります。この例については、別稿にて一覧を示します。

今回の長久手市の件で愛知県の告示があれば、と思って当初は、探そうとしたのですが・・・。
愛知県法規集の「第1編 総規」「第6章 行政組織一般」にあるH11.12.17条例第55号愛知県事務処理特例条例別表第一により、地方自治法第260条第1項及び同条第2項の件は、長久手市において事務を処理することとされています。このため、告示は、愛知県告示ではなく長久手市告示の形で行われます。
(#お断り:条例へ直接リンクをたどれないかもしれません。その際は、上記愛知県法規集から上記のとおりたどってください。)
愛知県告示であれば、各都道府県の公報一覧から愛知県公報を確認すればよいのですが(例・・H23.9.2付け愛知県告示第507号常滑市の字区域の設定 (pdfファイル))、長久手市告示は愛知県公報にはもちろん掲載されず、また、長久手市告示はweb上には見当たりません。おそらく、長久手市役所の庁舎前の掲示板に1月4日付けで張り出されたり、庁舎内で閲覧できたり、等の形での周知でしょう。内容によっては、長久手市例規集の中に、告示であっても掲載されるものもありますが。
上述のとおり、長久手市告示を確認することはできませんでした。

一方、登記情報提供サービスで調べてみました。
長久手市の「町名・大字選択」画面では、190の大字と思われるものが並びました。これは、今回、ご紹介のあった、長久手市HP内の市制移行後の住所などについて市制施行後の住所一覧 (pdfファイル)と同じです。
この大字が地番区域ではなく、下位区分の小字が地番区域である場合は、この大字をクリックしてさらに下位層へ進む必要がありますが、そのようなことはありませんでした。つまり、この190の大字が、現在では地番区域となっています。

[79915] グリグリさん ご紹介の、長久手市HPの市制移行後の住所などについてによると、
大字長湫にある「荒田」「菖蒲池」「段ノ上」「平池」「仏ケ根」は、大字の付かない地区にも同じ名称が隣接して存在しますが、これらの地区では地番の重複がないため、市制施行後は大字の付かない地区と同じ名称とし、区域も一つに統合します。
です。具体的には、
愛知郡長久手町大字長湫字荒田長久手市荒田
愛知郡長久手町字荒田長久手市荒田
愛知郡長久手町大字長湫字菖蒲池長久手市菖蒲池
愛知郡長久手町字菖蒲池長久手市菖蒲池
愛知郡長久手町大字長湫字段ノ上長久手市段の上
愛知郡長久手町字段ノ上長久手市段の上
愛知郡長久手町大字長湫字平池長久手市平池
愛知郡長久手町大字長湫字平池長久手市平池
愛知郡長久手町大字長湫字仏ヶ根長久手市仏が根
愛知郡長久手町大字長湫字仏ヶ根長久手市仏が根
となる、ということです。
[79929] 千本桜 さん も検証されているように、大字長湫は土地区画整理事業が進行しています。土地区画整理事業に伴う住所変更についてのページを見ると、H22.10.9から長湫中部土地区画整理事業の換地処分により住所が一部変更となった、とあります。住所変更の実施区域についてはこちら (pdfファイル)を見ると、この時に、例えば「愛知郡長久手町大字長湫字荒田」の一部が区画整理事業の換地処分にあわせて、既に「愛知郡長久手町荒田」となっており、また、当該地に隣接した土地区画整理事業が行われなかった地域は、そのまま「愛知郡長久手町大字長湫字荒田」として残存していたことがわかります。「段の上」「仏が根」も同様です。

試しに、字名地番の旧新対照表はこちら (pdfファイル)から、このH22.10.9から新大字名「荒田」となった区域を抜粋すると、次のとおりです(変更後の地番順に並び替え、「番」を補足)。
該当大字名該当字名地番新大字名新字名地番
大字長湫字荒田39番9荒田101番
大字長湫字荒田40番19荒田102番
大字長湫字荒田39番3荒田103番
大字長湫字荒田39番3荒田104番
大字長湫字荒田40番15荒田105番
大字長湫字荒田40番1荒田106番
大字長湫字荒田39番1荒田107番
大字長湫字荒田41番11荒田108番
大字長湫字荒田41番12荒田109番
大字長湫字荒田40番2荒田110番
大字長湫字荒田41番13荒田111番
大字長湫字荒田41番14荒田112番
大字長湫字荒田40番11荒田113番
大字長湫字荒田39番6荒田114番
大字長湫字下鴨田49番荒田202番
大字長湫字下鴨田43番3荒田203番
大字長湫字下鴨田43番3荒田204番
大字長湫字下鴨田43番4荒田205番
大字長湫字下鴨田43番4荒田206番
大字長湫字下鴨田50番4荒田207番
大字長湫字下鴨田50番4荒田208番
大字長湫字下鴨田50番4荒田209番
大字長湫字下鴨田50番1荒田210番
大字長湫字下鴨田49番荒田211番
大字長湫字下鴨田50番1荒田302番
大字長湫字下鴨田50番1荒田303番
つまり、新しく大字「荒田」となった区域の地番は、101番以降、303番までを設定しています。

今回、長久手市となり、残余の大字長湫字荒田の区域も、すべて、大字を「荒田」とする、とのことですが、先述の登記情報提供サービスにより、この大字「荒田」の地番を抽出してみました。
1番110番215番317番220番322番425番226番537番2102番112番208番
1番210番315番417番321番123番125番326番637番6103番113番209番
1番311番115番518番121番223番225番426番738番2104番114番210番
1番1611番316番118番221番323番325番528番138番7105番201番211番1
1番2112番116番218番321番423番425番628番238番8106番202番211番2
1番2212番416番318番421番523番525番729番144番107番203番211番3
1番2313番416番419番121番624番126番129番245番108番204番301番
9番114番416番519番222番124番226番233番446番109番205番302番
9番215番116番719番322番224番326番336番248番110番206番303番
10番115番217番120番222番324番426番436番5101番111番207番
前述の、土地区画整理事業によるH22.10.9からの大字「荒田」は101番以降ですが、H24.1.4の長久手市市制施行と同時に従前の「大字長湫字荒田」から大字「荒田」となった区域は、48番までであり、地番が重複しないことがわかります。ということは、H22.10.9の土地区画整理による換地処分時の地番設定の時に、今回の「大字長湫字荒田」を大字「荒田」にすることも、既に織り込んでいたと推測します。

おそらく、「段の上」「仏が根」「菖蒲池」「平池」も、同様のことがあったのだと推測します。

#実は、上記の調査を実施するのにあたり、費用はかかっていません。同サービスを利用するのには、事前にクレジットカード等の情報を含めて登録することが必要ですが、今回の調査に際しては、費用がかかるより前の段階(無料でできる範囲。もう1クリックして詳細な情報を得ようとすれば費用がかかるところ)で止めました。費用をかければキリがありませんので。

続きます。
[80123] 2012年 1月 15日(日)11:59:0388 さん
Re:国分寺市の市制施行日
本年もよろしくお願いいたします。

[80116] オーナー グリグリ さん
>88さんへ
変遷情報の国分寺市の市制施行日が間違っているようです。
S39.10.20付け自治省告示第123号を確認しました。S39(1964).11.3市制施行と確認し、修正しました。失礼しました。

○ 自治省告示 第百二十三号
町を市とする処分
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第八条第三項の規定により、東京都北多摩郡国分寺町を国分寺市とする旨、東京都知事から届出があつた。
 右の処分は、昭和三十九年十一月三日からその効力を生ずるものとする。
  昭和三十九年十月二十日       自治大臣 吉武 恵市
[79802] 2011年 12月 31日(土)20:19:2488 さん
ゆく卯くる辰
今年も、市区町村変遷情報に明け暮れた1年でした。市区町村変遷情報の編集作業のお手伝いを始めてから5年超、市制町村制施行時の情報までを遂にひととおり完成させました([78755])。まだまだ、修正すべき個々の情報や、全体構成の検討など、課題は山積していますが、ここまで来られたのも、ご贔屓にしてくださる皆様、ご指摘をいただく皆様のお蔭です。改めて御礼申し上げます。
ご指摘に対する回答など、年越し処理としてしまったものもあります。申し訳ございません。逐次、対応してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
――――――――――
例年に倣い、今年の経県値をまとめてみました。今年は全体として、あまり出かけていないなあ、との自覚がありましたが、そのとおりの数値が出ました。過去数年と比較すると、次のとおりです。
経県値備考
H23(2011)61点
H22(2010)68点[77148]
H21(2009)85点[73500]
H20(2008)105点[67803]
H19(2007)78点[62990]
H18(2006)63点[55756]
H17(2005)51点[47738]
今年は野球(四国アイランドリーグプラス(IL))関係は47点、それ以外は38点でした。
IL関係に限れば、GW中に四国各県を1,500キロ車で走ったり、8月に土曜に四万十市を日帰り、翌日日曜に土佐清水市を日帰り、など、四国内はよく動いたつもりです。
しかし、四国から出る機会は例年以上に少なく、会津オフ会がなければ静岡県以東には行かなかったのです。
それにしても、全体の傾向として、お出かけの機会が減りつつあるのではないか、と、上の表を見つめているところです。

――――――――――
本年も大変お世話になりました。皆様、よいお年をお迎えください。
明年もよろしくお願いいたします。
[79796] 2011年 12月 30日(金)23:32:0788 さん
市区町村変遷情報 小レス
[79760][79772][79782] 中島悟 さん
たくさんのご指摘をありがとうございます。
([79775][79792] hmt さん からも、関連するコメントをいただきました。)
#他の方からのコメントも、私に関連したものが続出しており、うれしい悲鳴を上げております。逐次対応してまいりますので、しばらくお待ちいただければ幸いです。

正直言って、市区町村変遷情報のうち、市制町村制施行時の情報は、まだまだ修正箇所が多くあるだろうと思っていますが(まだご指摘に対応ができていないものもあるのは事実)、それ以降のもの(都道府県別日付順)は、皆様のご指摘を受けてかなり修正してきましたので、誤りがあったとしても微々たるものではないか、との思い込み(根拠なし)がありました。
ところが、今回の中島悟さんのご指摘や、最近とある読者の方からメールでのご指摘があったこともあり、まだまだ、単純ミスや不整合が残っていることを実感しています。
個々のデータの修正作業のみで比較的容易に完結するものは、取り急ぎ、以下のとおり対応しましたので、ご報告いたします。
他方、再確認・再調査に念を入れて対応したいもの(時間を要するもの)、市区町村変遷情報の全体の構成に関するもの、表記方法の方針に関わるもの、将来構想(データベース化、試行品などの検討中の課題)に関するもの、などは、レス・対応を後日とさせていただくものがあります。それらにつきましては、少々お待ちいただければありがたいです。

[79782] 中島悟 さん の
私の[79760][79772]は、
市町村合併情報の施行時から現在までの町村数を各郡別に集計して、食い違いが出た所を調べたものです。
とのお言葉はからは、中島悟 さん が、市区町村変遷情報をデータ面からきっちりと、合理的に調査・確認されたことが窺え、心強く感じているとともに、感謝いたします。

――――――――――
[79760] 中島悟 さん
■S40(1965).5.1付けで 福島県 郡山市 となる従前の町村名の一部について 安積郡 三穂田町 or 安積郡 三穂田村
S39.12.28付け自治省告示第157号により確認しました。安積郡 三穂田村 と修正しました

■T15(1926).10.1付けで 東京府 北豊島郡 岩淵町 となる従前の町名について 北豊島郡 岩淵町 or 北豊島郡 岩淵村
単なる入力誤りでした。M22.5.1の市制町村制施行時において既に北豊島郡 岩淵町でした。北豊島郡 岩淵町 と修正しました

■S29(1954).7.1付けで 山梨県 山梨市 となる従前の町村名の一部について 東山梨郡 山梨町 or 東山梨郡 山梨村
S29.7.1付け総理府告示第590号を確認しました。東山梨郡 山梨村 と修正しました

■S28(1953).5.1付けで 因島市 となる従前の町村名の一部について 豊田郡 東生口町 or 豊田郡 東生口村
M22(1889).4.1付け 広島県市制町村制施行時の村名について 豊田郡 南井口村, 東井口村, 北井口村 or 豊田郡 南生口村,東生口村,北井口村
まず、因島市発足時の件については、S28.3.27付け総理府告示第56号を確認しました。豊田郡 東生口村 と修正しました
また、広島県市制町村制施行時の件は、M22.3.8付け(広島)県令甲第22号6コマ目及び7コマ目を確認しました。これらはもちろん生口島のことでもあり、単なる入力ミスでした。いずれも修正しました(豊田郡 南生口村豊田郡 東生口村豊田郡 北生口村)。

■S32(1957).2.11付けで 高知県 幡多郡 大月町 となる従前の町村名の一部について 幡多郡 月灘町 or 幡多郡 月灘村
大変失礼しました。[78777]拙稿での修正漏れです。幡多郡 月灘村 と修正しました

■T14(1925).2.1付けで 広島県 安芸郡 江田島村 に編入される 津久茂村 の所属郡について 安芸郡 or 佐伯郡
津久茂村はM22.4.1付けでの広島県市制町村制施行時の時点から佐伯郡 津久茂村であり、その後の郡変更もありません。ご指摘のとおり、佐伯郡 津久茂村 と修正しました

■変更種別について 新設 or 新設/町制
以下の変遷については、すべて総理府告示により、従前・変更後の町村名や、合併形式から、いずれも村から町となったことを確認し、新設/町制と修正しました。
合併年月日合併後自治体名告示年月日告示番号
S30(1955).3.15千葉県安房郡丸山町 S30.3.15総理府告示第351号
S30(1955).3.31千葉県安房郡長狭町 S30.3.30総理府告示第730号
S30(1955).1.1滋賀県神崎郡五個荘町 S29.12.28総理府告示第1206号
S30(1955).3.1福岡県京都郡豊津町 S30.3.1総理府告示第314号
S30(1955).3.1福岡県京都郡勝山町 S30.3.1総理府告示第315号
S30(1955).4.1福岡県八女郡広川町 S30.3.28総理府告示第518号
S30(1955).4.1長崎県西彼杵郡野母崎町 S30.3.29総理府告示第667号
S26(1951).4.1宮崎県西臼杵郡日の影町 S26.4.11総理府告示第67号
S29(1954).12.1鹿児島県薩摩郡薩摩町 S29.12.1総理府告示第1042号
なお、千葉県 安房郡 丸山町、滋賀県 神崎郡 五個荘町 の件は、それぞれ、従前の 安房郡 千倉町の一部、蒲生郡 安土町の一部を含むもものの、村同士の合併に町の一部が参加した形であり、町を引き継いだとは言えないため、やはり「町制」である、と判断しています。

■S28(1953).11.3付けで 茨城県 筑波郡 上郷町 となる変更種別について
S28.10.27付け総理府告示第207号を確認しました。町制 と修正しました

■M24(1891).9.15付けで 栃木県 下都賀郡 石橋町 となる変更種別について
ご指摘のとおり、下都賀郡 姿村の一部 が分立して 石橋町 となるので、分立/町制 と修正しました

■T14(1925).4.1付けで 和歌山県 東牟婁郡 下里町 となる変更種別について
ご指摘のとおり、町制 と修正しました

■T9(1920).1.1付けで 広島県 豊田郡 木ノ江町 となる変更種別について
ご指摘のとおり、豊田郡 東野村の一部, 中野村の一部 が分立して 木ノ江町 となるので、分立/町制 と修正しました

■S16(1941).1.1付けで 鹿児島県 肝属郡 根占町 となる変更種別について
ご指摘のとおり、町制/改称 と修正しました
なお、現在のところ、「町制」と「改称」を全く同時に行う場合、「町制/改称」に統一しております。
もっとも、「町制」の後に「改称」を行う場合も「町制/改称」、「改称」の後に「町制」を行う場合は「改称/町制」としております。これらの場合分けは、将来構想としています([70815]拙稿参照)。

■S24(1949).12.1付けで 埼玉県 児玉郡 若泉村 から 児玉郡 渡瀬村, 阿久原村 が発足する変更種別について
ご指摘のとおり、従前の 児玉郡 若泉村 は廃されていますので、分割 と修正しました(児玉郡 渡瀬村児玉郡 阿久原村)。

■S23(1948).7.1付けで 長野県 下伊那郡 豊村 から 下伊那郡 売木村, 和合村 が発足する変更種別について
S23(1948).6.2付け総理庁告示第115号を確認しました。
長野県下伊那郡豊村を廃し、大字売木の区域を以て売木村を、大字和合の区域を以て和合村を置く
ですので、分割 と修正しました(下伊那郡 売木村下伊那郡 和合村)。

■栃木県 上都賀郡 板来村 を分割して 上都賀郡 板荷村, 小来川村 が発足する年月日について
この件は、[74516] むっくん さん でご指摘をいただき、[77619]で修正したのですが、その際の入力誤りです。
[74516] むっくん さん ご紹介の、M26(1893).3.18付け(栃木県)告示第42号により、M26.3.18付け分割です。上都賀郡 小来川村 を M26.3.18 分割 と修正しました

■S29(1954).11.3付けで 新潟県 佐渡郡 金井村 が発足する従前の町村名について
S29.11.2付け総理府告示第943号を確認しました。従前は 佐渡郡 金沢村, 吉井村の一部 と修正しました

■市制町村制施行時の 岐阜県 恵那郡 三濃村 のその後について
この関連レスは、[79772][79782] 中島悟 さん、[79775][79792] hmt さん と続いております。
この、分立に関する諸事例等に来ましては、後日、改めてレスします。

■市制町村制施行時の 静岡県 富士郡 白糸村 のその後について
・S32.11.2付け総理府告示第482号により、S33.4.1付けで 富士郡 北山村, 上野村 が富士宮市へ編入
・S33.4.1付け総理府告示第115号により、S33.4.1付けで 富士郡 上井出村, 白糸村 が富士宮市へ編入
この 白糸村 の編入が遺漏していました。修正しました

■市制町村制施行時の 新潟県 雑太郡 相川町(村)について
変更種別は正しく「新設/町制」としていたのですが、自治体名が誤っていました。雑太郡 相川町 と修正しました
新潟県の町村数の件につきましては、後日といたします。

■町村制施行時の 奈良県 吉野郡 上市町(村) について
[78774]で修正済みのつもりだったのですが、投稿だけを対応して、市区町村変遷情報の入力も、手元のexcelデータの修正作業も、従前の誤った「吉野郡 上市村」のままでした。失礼しました。
吉野郡 上市町 と修正しました

■愛知県の市制町村制施行時の市町村数
■広島県の市制町村制施行時の市町村数
■長崎県対馬国の島嶼町村制施行時の町村数
■北海道室蘭区の区制施行時の件
■小笠原諸島の件
これらは、後日といたします。

――――――――――
[79772] 中島悟 さん
市制町村制施行時の情報(茨城県)の北相馬郡4町21村の郡名誤りについて
単なる入力ミスでした。北相馬郡と修正しました。

■S18(1943).9.8付け 埼玉県 大里郡 寄居町 に編入される 従前の 白鳥村 の所属郡について
ご指摘のように、町村制施行時から秩父郡 白鳥村であることからも、秩父郡 白鳥村と修正しました

■S30(1955).2.11付けで 三重県 志摩郡 磯部町 となる従前の 神原村 の所属郡について
S30.2.11付け総理府告示第181号を確認しました。度会郡 神原村 ほかを廃し、神原村大字檜山、大字栗木広及び大字山原 の区域を 志摩郡 磯部村 に編入する(神原村 の残余は 度会郡 南勢町 に、また、S30.2.11付け総理府告示第182号により 志摩郡 磯部村 及び 的矢村 を廃し 磯部町 に)を確認しました。M22.4.1付けの市制町村制施行時でも度会郡 神原村です。よって、度会郡 神原村と修正しました

■S33(1958).10.20付けで 島根県 那賀郡 旭村 に編入される従前の 市木村 の所属郡について
S33.10.18付け総理府告示第357号を確認しました。邑智郡 市木村 を廃し、邑智郡 瑞穂町 と 那賀郡 旭村 に分裂して編入されるものです。M22.4.1付けの市制町村制施行時でも邑智郡 市木村です。よって 邑智郡 市木村 と修正しました

■北海道上川郡・中川郡の件
後日といたします。

――――――――――
[79782] 中島悟 さん
冒頭にも述べましたが、再掲し、別の観点から。
私の[79760][79772]は、
市町村合併情報の施行時から現在までの町村数を各郡別に集計して、食い違いが出た所を調べたものです。
以前から述べているように、私はいわゆる「近世村」に着眼しています。近世村は一千年以上の歴史を持つものが多くあり、また、明治以降の三次にわたる大合併も、この近世村同士の合併(さらには再合併・再々合併)と考え、また、現在の町・大字はこの近世村であることが多いからです。
逆に、現在から遡ってみれば、[79692]拙稿でも述べたように、近世村単位に「因数分解」することができる、ということです。
市の数が増え、範囲が大きく広がることによって郡の数がかなり減少しています。また、以前は30や40を超える町村を抱えた郡も多かったのと対照的に、現在では数町村であったり、1町だけしか存在しない郡も多々あることを鑑みれば、郡における町村の推移に着目することは有意義であると考えています。

長崎県西彼杵郡淵村などの件は、後日コメントいたします。
[79762] 2011年 12月 24日(土)11:13:4288 さん
Re2:和徳町と和徳村
[79755] すまーとぼーい さん
はじめまして。
市区町村変遷情報の編集作業を担当しております88と申します。

さて、弘前市(和徳町と和徳村)の件です。
既に[79756] 播磨坂 さん からもレスがあり、[79757]ですまーとぼーい さん からもすでに回答されているところです。

私の見解も、お二人と同様です。

一部補足します。(根拠規定等は[76874] むっくん さん によります。)
M22.4.1市制町村制施行時の、弘前市の廃置分合の根拠はM22.2.12付け(青森県)告示第13号です。弘前市となる従前の旧町名の中に、中津軽郡和徳町があります(9行目の2段目)。また、M22.2.20付け(青森)県令第14号にも、弘前市を含む県内市町村の廃置分合の内容が記されています(ただしこの県令は、M28年青森県告示第37号などそれ以降の改正が反映されていることに注意)。
M22.4.1付けで発足した中津軽郡 和徳村の廃置分合の根拠は、前掲の、M22.2.20付け(青森)県令第14号の111コマ目、左ページ上段左端です。

[79756] 播磨坂 さん が述べられているように、この時すでに、弘前市となった旧中津軽郡和徳町と、中津軽郡和徳村(旧中津軽郡和徳村ほかから成立)とが存在していることがわかります。

なお、S30.3.1付けで中津軽郡和徳村が弘前市に編入されたのは、官報情報検索サービスで改めて確認したところ、次のとおりです。中津軽郡和徳村はS30.3.1付けで編入されるまで存続したことは間違いありません。
● 総理府告示 第二百七十六号
市村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、青森県中津軽郡清水村、和徳村、豊田村、堀越村、千年村、東目屋村、藤代村、新和村、船沢村、高杉村及び裾野村を廃し、その区域を弘前市に編入する旨、青森県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十年三月一日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十年三月一日
内閣総理大臣 鳩山 一郎

今回、気になったのは、ご紹介のあった、S11年に弘前市が「弘前駅を含む和徳村大字和徳、高崎、堅田(一部)を編入」とのウィキペディアの記述です。現在までのところ、市区町村変遷履歴情報(青森県)では、このS11の和徳村大字和徳ほかの弘前市への境界変更を無いものとしていました。
各種文献によると、事実関係は次のとおりです(正式な文献名は[55681]の冒頭にあります)。
・「総覧」「幕末以降」「便覧」・・・記載なし
・「辞典」・・・S11.1.1付けで中津軽郡和徳村大字和徳,大字高崎,大字堅田の一部を弘前市へ境界変更
「辞典」にも記載のあるこの境界変更が事実であれば、S30.3.1付けでの中津軽郡和徳村の弘前市への編入(消滅)時には、「大字和徳, 大字高崎, 大字堅田の一部」は対象外ということになります。
また、近世村(≒大字単位)は対象とする、という市区町村変遷情報の編集方針から、S11.1.1付けの情報が事実であれば、追加する必要があります。

私自身は弘前市に関する資料をこれ以上持ち合わせていないこともあり、どなたか、詳しい情報をお持ちでしたら、お教えいただければ幸いです。

#私の経験からの感覚的なもの(根拠はまったくありません)では、このS11.1.1付けの境界変更は事実だろう、という気がします。
[79737] 2011年 12月 14日(水)12:56:0088 さん
第8回落書き帳公式オフ会「ミニ十番勝負」
取り急ぎ。
[79734] むっくん さん
M22以前の廃置分合については、「幕末以降」をそのまま転用したものです。これらについては、出題には直接関係がなく、あくまで「参考」のつもりであったので、精査をしておりません。

[79736] 千本桜 さん
住居表示の「○」欄の表示の疑問点については、単なる「×」の誤記です。個々の市の条例を全て確認し、さらにマピオンの地図で住居表示実施の有無を読み取り、「1番1号」か「1番地1」かを判断し、記載しています。
当該問題は、元々は落書き帳投稿用のものを転用したものであり、一連の「住所とは何か」の投稿の導入のつもりでした。根拠条例へのリンクも手元にはまとめておりますので、追って修正版をお示しします。

両件とも、追って修正版を用意しますので、暫くお待ちいただければ幸いです(>グリグリさん、皆様 )
なお、忘年会シーズンにつき、時間は長めでお願い致します。
[79692] 2011年 12月 1日(木)23:36:43【1】88 さん
市町村の因数分解について
[66530]白桃さんに始まる市町因数分解
これは、「町」に注目したものでした。村がとても多くて町が少なかった時代(市はもっと少なかった時代)、町に注目すれば、各地域の「街」を垣間見ることができました。

さて、私は市区町村変遷情報について、ここ数年、時代を遡る作業を重ねてきました。M22.4.1を初めとする市制町村制施行時の情報の作業を一通り作業を終え、皆様のご指摘に対する検証作業等を進めながら(悩ましい内容のものが多くなかなか進まない)、一方で、さらなる情報の遡りや試行品等の検討などを行っています。
以下に示すものは、一種の試行品とも言えますが(表示形式を変えただけ)、冒頭の「因数分解」に似た方法です。

全国的に明治の大合併・昭和の大合併・平成の大合併と進み、一つ一つの自治体の面積が大きくなり、その総数も2,000を切るまでに減少しました。しかし、ほんの百数十年遡って明治の大合併以前を見ると、全国に7万を超えるといわれる町・村がありました。これらは、現在と制度が異なるとはいえ、それぞれが「自治体」で、その多くは一千年以上の歴史を経た地名です。
[70785] 今川焼 さん で、
小学校の名称というのは、方角名、瑞祥名、最近流行のひらがな名などを除けば、昭和の大合併以前の旧町村名がつけられているパターンが一番多いと思いますが、そうすると旧町村名で一番多いのが、八幡村や八幡町だったのでしょうか?
「市区町村変遷情報」には、それらのデータはありますよね。「データベース検索」の市区町村変遷情報版があれば簡単に調べられるのですが。
というコメントがありました。私、市区町村変遷情報の作業の中で、結果的に明治初期の旧町村名(7万超)をエクセルで入力したのですが、感覚的に、多かったのは「八幡村(町)」「大野村(町)」あたりでした。きちんと数えていませんので、お暇な方は、市区町村変遷情報内で検索すれば把握できると思いますので、お試しください。

――――――――――
さて、「大野」といえば、現在「大野市」があり、トリオとなる「中野市」「小野市」があり、一方では大野市と同名回避の「大野城市」「豊後大野市」があります(「山陽小野田市」「下野市」というものもありますが・・)。
これら5市にもそれぞれ、元は「大野村(町)」「中野村(町)」「小野村(町)」があったのかというと・・・。
大野市は、M22.4.1付けで発足した大野郡 大野町などを元に、その後合併を経て現在の大野市となりました。市制町村制直前は「大野○○町」で、ズバリ「大野村(町)」が存在したわけではありません。実質的には、大野町ですが。
小野市は、M22.4.1付けで発足した加東郡 小野村などを元に、その後合併を経て現在の小野市となりました。市制町村制直前に「小野町」が存在していました。
大野城市は、M22.4.1付けで発足した御笠郡 大野村が元ですが、その後現在まで合併はせず、大野町を経て大野市、即日改称して大野城市となりました。市制町村制直前にはズバリ「大野村(町)」は存在しません。大野城市HP内の市の概要(市名の由来) によると、
「大野城」の名称は、白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗を喫した日本が、大宰府防衛のために、天智4年(665)に大野山(今の四王寺山)に築いたわが国最古の朝鮮式山城「大野城」(おおののき)に由来しています。
とのことで、元をたどれば「『大野』山」となるようです。
豊後大野市は、M22.4.1付けで発足した大野郡 大野村などを元に、その後合併を経て、現在の豊後大野市となりました。市制町村制直前に、ズバリ「大野村(町)」が存在したわけではありません。郡名の「大野郡」由来、でしょうか。

一方、一つだけ上記で触れなかった、中野市。ちょっと手頃な分量でしたので、冒頭の「因数分解」形式にして、以下に記してみます。
因数分解をわかりやすくするために、市制町村制施行時の町村を A~K として、次に記しておきます。
A(旧)下高井郡 中野町, 一本木村, 西条村
A'(旧)下高井郡 中野町, 一本木村, 西条村, 小田中村
B(旧)下高井郡 小田中村, 間山村, 新野村, 更級村
B'(旧)下高井郡 間山村, 新野村, 更級村
C(旧)下高井郡 三ツ和村, 桜沢村, 篠井村, 新保村
D(旧)下高井郡 江部村, 岩舟村, 吉田村, 片塩村
E(旧)下高井郡 大俣村, 七瀬村, 田麦村, 厚貝村, 壁田村
F(旧)下高井郡 竹原村, 若宮村, 金井村, 間長瀬村, 笠原村, 新井村
G(旧)下高井郡 安源寺村, 草間村, 立ヶ花村, 牛出村, 栗林村
H(旧)下高井郡 科野村
I(旧)下高井郡 柳沢村, 田上村, 岩井村
J(旧)下水内郡 上今井村, 豊津村
K(旧)下水内郡 永江村, 穴田村

すると、次のように分解できます。
H17.4.1~中野市{(A', B', C, D, E, F, G, H, I), (J, K)}
=S31.9.30~中野市(A', B', C, D, E, F, G, H, I), 下水内郡 豊田村(J, K)
=S29.7.1~中野市(A', B', C, D, E, F, G, H, I), 下水内郡 豊井村(J), 永田村(K)
=M27.4.1~下高井郡 中野町(A'), 日野村(B'), 延徳村(C), 平野村(D), 長丘村(E), 平岡村(F),
高丘村(G), 科野村(H), 倭村(I), 下水内郡 豊井村(J), 永田村(K)
=M22.4.1~下高井郡 中野町(A), 日野村(B), 延徳村(C), 平野村(D), 長丘村(E), 平岡村(F),
高丘村(G), 科野村(H), 倭村(I), 下水内郡 豊井村(J), 永田村(K)
=~M22.3.31下高井郡 中野町, 一本木村, 西条村, 小田中村, 間山村, 新野村, 更級村,
三ツ和村, 桜沢村, 篠井村, 新保村, 江部村, 岩舟村, 吉田村, 片塩村, 大俣村, 七瀬村,
田麦村, 厚貝村, 壁田村, 竹原村, 若宮村, 金井村, 間長瀬村, 笠原村, 新井村, 安源寺村,
草間村, 立ヶ花村, 牛出村, 栗林村, 科野村, 柳沢村, 田上村, 岩井村,
下水内郡 上今井村, 豊津村, 永江村, 穴田村
つまり、市制町村制直前の時点の町村で考えると、39町村に相当する区域が、現在の中野市の範囲です。

M3に中野村が中野町となり、M8に中野町が松川村を編入しています(他の村も、M22.4.1以前に合併が数件あり)。
この中野町が、その後の中野市のほぼ中心部としての位置を維持し続け、現在の中野市大字中野ほかにあたると想像されます。中野市三好町一丁目付近も、この(旧)中野町の一部かもしれません。

「中野」の由来を確認できていないのですが、現中野市付近の広域地域を「中野」と呼んでいたのではなく、(元)中野村付近だけが「中野」であり、この「中野」を核として拡大して来たのが、現在の「中野市」であると思われます。
つまり、(旧)中野村を除くと、例えば上記Aの一本木村、西条村などが一千年以上の歴史を持つ元来の地名であり、たまたま、現在「中野市」となってはいますが、元来の「中野」と呼ばれた地名はほんの一部であり、また、「中野」と呼ばれるようになったのはごく最近に過ぎません。現在は「中野」の一部になっているだけで元々は「中野」でない、と思われます。
中野市大字中野こそが、いわば「純」中野、とも言えるのではないでしょうか。
[79677] 2011年 11月 28日(月)20:23:51【1】88 さん
大阪府知事及び大阪市長の任期の始期について
まず冒頭に、[78584] にまん さん もふれていらっしゃいますが、公職選挙法の条文を掲載します。
(地方公共団体の長の任期の起算)
第二百五十九条 地方公共団体の長の任期は、選挙の日から起算する。但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から、選挙の期日後に前任の長が欠けたときはその欠けた日の翌日から、それぞれ起算する。

――――――――――
[79675] グリグリ さん
●(新)大阪府知事の任期の始期について
今回の事例では、大阪府知事は、橋下徹氏はすでに辞職していました。平成23年9月定例会知事退職に係る同意(平成23年10月22日)はありますが、辞職日の明記はありません。
平成23年11月1日付け大阪府告示第1583号は「大阪府知事職務代理者 大阪府副知事 小河保之」名で告示されており(参考(pdfファイル))、一方、平成23年10月31日付け大阪府告示1572号は「大阪府知事 橋下徹」名で告示されています(参考(pdfファイル))。
このことから、橋下徹氏は平成23年10月31日限りで退職し、平成23年11月1日からは、地方自治法
第百五十二条 普通地方公共団体の長に事故があるとき、又は長が欠けたときは、副知事又は副市町村長がその職務を代理する。この場合において副知事又は副市町村長が二人以上あるときは、あらかじめ当該普通地方公共団体の長が定めた順序、又はその定めがないときは席次の上下により、席次の上下が明らかでないときは年齢の多少により、年齢が同じであるときはくじにより定めた順序で、その職務を代理する。
の規定により、小河副知事が職務代理を務めていました。

そして、平成23年11月27日、大阪府知事選挙が行われましたが、冒頭の公職選挙法第二百五十九条の
地方公共団体の長の任期は、選挙の日から起算する。
のとおり、(新)大阪府知事は松井一郎氏は、平成23年11月27日から任期が始まりました。
#今日28日に大阪府選挙管理委員会から当選証書付与が行われ(大阪府選挙管理委員会報道発表)たようですが、任期は11月27日からです。

●(新)大阪市長の任期の始期について
大阪市長の任期は、大阪市HP内の大阪市歴代市長 (pdfファイル)にもあるとおり、平松邦夫氏の大阪市長の任期は平成19年12月19日から平成23年12月18日までであり、
但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から(中略)起算する
により、橋下徹氏の任期は平成23年12月19日からです。

仮に、の話ですが、平松邦夫氏が平成23年11月30日限りで大阪市長を辞職したとすると、
選挙の期日後に前任の長が欠けたときはその欠けた日の翌日から(中略)起算する
により、橋下徹氏の任期は平成23年12月1日からとなります。

時事通信社記事に、今日28日、大阪府選挙管理委員会から松井一郎氏に対し大阪府知事の当選証書が、大阪市選挙管理委員会から橋下徹氏に対し大阪市長の当選証書が付与された、との記事があります。また、松井一郎氏が28日に初登庁したとのことです。しかし、任期については上述のとおりです(松井新知事、橋下新市長の任期の始期についても記事中に言及があります)。
[79666] 2011年 11月 24日(木)21:10:1088 さん
【追加】市区町村変遷情報 県の境界にわたる境界変更の事例について(S22.5.3以降告示)
[79523]で、県の境界にわたる境界変更を、官報情報検索サービスで抽出した結果を一覧で示しました。
このときは、検索文字列を「の境界にわたる」「境界変更」などとしたものでした。これは、通常の境界変更は、総務省等の告示の表題が「市町の境界変更」などとなるのに対し、県境の移動を伴うものは「県の境界にわたる町村の境界変更」などとなることによるものです。
単に「境界変更」では膨大な数となることが理由です。

[79662] hmt さん
リストには挙げられていませんが、その間にある 滑川駅対岸と 神崎の市街地上手(昭和40年12月13日自治省告示第167号)も 「県の境界にわたる境界変更」に該当すると思われます。
個別に示していただいたので、同告示を確認しました。
すると、この告示だけは表題が「県の境界にわたる町村の境界変更」となるべきところ、単に「町村の境界変更」となっており、[79523]では遺漏しました。
改めて、今度は、検索文字列を根拠法令である「地方自治法」「第七条第三項」で検索しました。なお、「条」は「條」の場合も確認し、また、S27.8.15法律第306号地方自治法の一部を改正する法律までは、根拠法令は第七条第二項であったことも反映しました。
その結果、ご指摘のS40.12.13自治法告示第167号とあわせてもう1件の遺漏を発見しましたので、[79523]のリストに追加する形で以下に記します。(通し番号は従前のものを生かすため枝番としました。法令の条の追加と同手法です。)

番号告示年月日告示番号施行年月日編入側編入される側
9-2S35.11.1自治省告示第150号S35.11.1栃木県下都賀郡野木村茨城県古河市
茨城県古河市栃木県下都賀郡野木村
13-2S40.12.13自治省告示第167号S41.1.1茨城県稲敷郡河内村千葉県香取郡下総町
千葉県香取郡神崎町茨城県稲敷郡河内村
千葉県香取郡神崎町茨城県稲敷郡東村

――――――――――
仮に、境界変更を「県の境界にわたる」という観点で頭出しするとすれば、都道府県市区町村においては、市区町村変遷情報ではなく、例えば市区町村雑学あたりが適切ではないかと考えます。この場合、面積の多寡に拘ららずに対応でき、また、岐阜県中津川市へ長野県木曽郡山口村を編入する例なども、容易に併記できます。
市区町村変遷情報で取扱うには、他の数多くの境界変更事例(大多数は面積が微小のため対象外としている)との棲み分けが困難であろうと考えます。
[79660] 2011年 11月 22日(火)21:50:10【1】88 さん
市区町村変遷情報 対象とする境界変更の範囲について
[79559] hmt さん
S43.4.1付けで栃木県安蘇郡田沼町の一部(入飛駒)を群馬県桐生市へ境界変更する件
事実上独立した集落であったことに配慮すれば、入飛駒地区の境界変更は、他の 10事例と同様に、変遷情報に記録してもよいのではないでしょうか。
[79560] むっくん さん
T6.4.1付けで富山県婦負郡桜谷村の一部を富山市へ境界変更する件
しかしながら、村の半分強もの区域を失うような大きな境界変更ではありますので、市区町村変遷情報に追加できないものなのでしょうか。どうぞご検討願います。

御承知のように、市区町村変遷情報は、当初は境界変更は対象としていませんでした。

その後、[63303]でご報告したように、境界変更のうち大字単位(≒近世村単位)のものは、事実上の近世村の廃置分合にあたり、「町村」の変遷といえることから、対象として追加しました。趣旨は、あくまで「市区町村の変遷」であることから、境界変更のうち、大字単位未満であっても、市制町村制以前に廃置分合を実施した結果、結果として大字単位とはならなかったものの事実上近世村単位であるものは、「大字単位」未満であっても対象とする、というものでした。

ただし、この定義を、私は自ら広げてしまっています。[66979]では、S30.7.10付けで岐阜県美濃市大字東志摩を関市へ境界変更する件を、
大字東志摩は藩政村未満かもしれませんが、大字単位として、市区町村変遷情報の対象としました。
と述べ、近世村(藩政村)未満であることを承知の上で、「大字単位」であることを意識して、市区町村変遷情報の対象としました(参考)。

それ以降も、同様の考えで、いくつか同様のものを対象として編集作業を行いました。
――――――――――
[77488][79522]拙稿でも述べたましたが、私自身の考えでは、市区町村変遷情報から発展させて、市区町村内の町・大字を整理して示すことを目論んでいます。これを見据えて、市区町村の変遷を表形式で示す試行品を仮に作成し、「近世村≒町・大字」であることを簡便に表示することを意識してみました([57396][57435])。
最近は、この試行品を、もっと全国的に試行してみようと、手元作業で各県のものを一部作成しています。香川県は全市町が完成、徳島県・愛媛県は約半数が完成。青森県(つがる市)、福島県(いわき市・会津若松市)、石川県(白山市・かほく市など)、愛知県(豊田市)なども試行。近世村と町・大字との関係、地番区域に関しては、地域による相違も大きいでしょうから、あと数県、試行してみようと考えています。

幾つかの事例を作成する過程で、この試行品での町・大字表示についての様々な問題点も出てきました。
・都市部(近世期から城下町などで都市化が進んでいた地域、近代以降の都市化により近世村=町・大字がほとんど一致しない地域)では、試行品で町・大字を表示することは困難である。
・地番区域が大字単位でない地域(ほとんどは小字単位の地番区域と思われる)では、町・大字だけでは住所の表記が不十分であるため、やはり小字の表記も付記することが適切であろうと思われ、試行品では表記が困難である。
などです。

現時点での直観的な意見としては、試行品は、あくまで近世以降の市区町村の変遷を表形式でわかりやすく表示することを目的とするのにとどめ、別形式として、町・大字(地番区域が小字単位である地域はその小字も付記)の一覧を示すメニュー(地番区域、住居表示実施の有無も)を設ける手法があるかも、と考えています。
もっとも、これらについてはグリグリさんと調整した訳ではなく、現時点では私個人の独り言の域を出ないものです。

――――――――――
閑話休題。
まだ私自身の考えでも最終結論には至っていない段階なのですが、市区町村変遷情報をそのまま町・大字の表記メニューに活用するのはちょっと不便・不適当な点も多く、ある程度は転用できるとしても、最終的には「別のもの」として捕えて考える方がよいのかもしれません。この場合、「近世村未満の境界変更であっても町・大字単位であれば市区町村変遷情報の対象とする」という従来の方針は見直し、あくまで「近世村単位での境界変更のみを市区町村変遷情報の対象とする」と、編集方針を変更するべきではないか、とも思っています。その方が、対象の定義もより明確なのではないか、と考えています。その場合、境界変更の面積の多寡による判断も不要となり、客観的に対象を限定することも容易であると考えます。

いずれにせよ、この件についての皆様のご意見をいただければ幸いです。それを踏まえて、再度検討する予定です。
[79546] 2011年 10月 21日(金)23:28:5288 さん
Re2:市区町村変遷情報 県の境界にわたる境界変更の事例について(S22.5.3以降告示)
[79545] Hiro_as_Filler さん
一般的な境界変更の告示に書かれている「右の境界変更は、○年○月○日からその効力を生ずるものとする。」という文言は、特別の定めで発効を遅らせているものであり、その文言が書かれていない告示については、告示の日から効力を生じていると考えるのが自然ではないかと考えています。
(引用者中略)
これらのケースは遺漏ではなく、すべて告示日で即日効力発生と考えてよろしいかと思います。

これについては、全く異論はありません。この件は、、[65445][69366] むっくん さんの問題提起を受け、私も[69558]で一定の結論を出し、Hiro_as_Filler さん と同じ意見に至りました。

今回、私の投稿が端折ってしまったため言葉足らずでありました。失礼しました。私が言いたかったことは次のとおりです。

[79523]で掲示したように、当該3件以外は総理府等告示の中に施行日の記載が明確にあります。例えば、9,10,13も、告示日=施行日と示してあり、告示日が先行しているものではありません。
法解釈としては施行日の記載がなくても、告示日=施行日であることは議論の余地はないと思いますが、施行日を記載している方が親切であろうと思われます。
例えば、S23.7.20法律第178号国民の祝日に関する法律でも、
附則
1 この法律は、公布の日からこれを施行する。
とあります。Hiro_as_Filler さん の地元埼玉県では、廃置分合に際して、
● 総理府告示 第五百八十一号
市町村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、この告示の日(昭和二十九年七月一日)から、埼玉県児玉郡本庄町、藤田村、仁手村、旭村及び北泉村を廃し、その区域をもつて 本庄 ( ほんじょう ) 市を置く旨、埼玉県知事から届出があつた。
 昭和二十九年七月一日
内閣総理大臣 吉田  茂

● 総理府告示 第五百三十七号
市村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、埼玉県入間郡吾野村、東吾野村及び原市場村を廃し、その区域を飯能市に編入する旨、埼玉県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十一年九月三十日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十一年九月三十日
内閣総理大臣 鳩山 一郎
というものもあります。他の例を見ても、告示日=施行日であっても、告示中に記載しているものがほとんどです。

今回の場合、施行日の記述がない、27,33,37 の3件に比し、その前後の時期の同様の告示にはきちんと施行日の記載があることから(時期的なものや方針変更とは考え難い)、効力の問題は生じないとしても、事実上、「遺漏」という表現をしたものです。
この3件が、いずれも宮崎県・鹿児島県に関するものであることから、自治省(総務省)の九州担当職員の個性かな、とも余計な話を思ってみたり、と言う訳でした。


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