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Issieさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[80190]2012年1月22日
Issie
[80165]2012年1月20日
Issie
[80113]2012年1月14日
Issie
[80108]2012年1月14日
Issie
[80027]2012年1月9日
Issie
[80026]2012年1月9日
Issie
[79942]2012年1月4日
Issie
[79786]2011年12月29日
Issie
[79779]2011年12月29日
Issie
[79768]2011年12月24日
Issie
[79763]2011年12月24日
Issie
[79721]2011年12月10日
Issie
[79691]2011年12月1日
Issie
[79685]2011年11月30日
Issie
[79640]2011年11月17日
Issie
[79576]2011年10月29日
Issie
[79573]2011年10月29日
Issie
[79570]2011年10月28日
Issie
[79566]2011年10月26日
Issie
[79557]2011年10月23日
Issie
[79551]2011年10月22日
Issie
[79513]2011年10月14日
Issie
[79507]2011年10月13日
Issie
[79505]2011年10月13日
Issie
[79503]2011年10月13日
Issie
[79484]2011年10月11日
Issie
[79454]2011年10月9日
Issie
[79433]2011年10月7日
Issie
[79418]2011年10月1日
Issie
[79395]2011年9月27日
Issie

[80190] 2012年 1月 22日(日)20:55:53【2】Issie さん
ああ播磨灘
…ってお相撲さんの漫画がありましたね。

[80187] 白桃 さん
明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて

ここの所は [80188] k-ace さんのご説明の通りで,つまり須磨の浦・一ノ谷までが摂津の国で,親不知のような崖下の海岸を抜けた垂水区の塩屋から先が「播磨」。元々あまり大きくない明石郡の大部分が神戸市に取り込まれて海岸部だけが明石市として残っているから,そのような印象が強くなるのでしょうね。
この辺りは奇しくも,“武蔵国”に属する横浜市のうち,権太坂を越えた先の西南部(瀬谷・泉・戸塚・栄区および港南区の西半)が“相模国”で,しかもその“相模国鎌倉郡”の過半が横浜市に吸収されてしまったこととパラレルな関係ですね。ただし,神奈川県の場合は大部分が相模国で,源氏の鎌倉や後北条氏の小田原があるその「相模」のイメージの方が強くて,むしろ横浜・川崎が「武蔵」であるということの方が忘れられ勝ちのような気がしますが。また,鎌倉市が「京浜」である(←県の行政では,多くの分野で県の管轄外のこの2市の範囲をしばしば「浜川(はまかわ)」と表現します)と捉える人もあまりいないでしょう。
ちなみに,県の行政では北半分を失った 旧鎌倉郡(鎌倉市) は,その一部を吸収した藤沢市を中心とする 旧高座郡南部(藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町) とともに「湘南」とすることが多いです。

須磨・一ノ谷と言えば源平合戦。
さっきまでやっていた今年の大河ドラマ。やっぱり今年も去年に負けず劣らず思いっきりファンタジーですねえ。
でも,面白いからいいや。
[80165] 2012年 1月 20日(金)00:39:40Issie さん
Re:センター試験
何かとトラブルの多いセンター試験でも,今回最大のトラブル源となった「地歴・公民科」。何しろあまりに複雑な実施方法,1回聞いただけではわかりません。
今のセンター試験は色々な要求に対応しようと増設を繰り返した温泉旅館のようで,複雑怪奇。一度きちんと整理した方がいいと思うのですけどね。
で,「地理B」の問題。一応,お仕事の関係もあるので解いてみたのですが,個々の問題は極めてオーソドックスで,ごく基本的。それぞれの分野について一通りの知識と,それを応用する力があれば行けるかな。ただし出題範囲が余りに膨大で(要するに,これが地理Bで扱う範囲の広大さということです),たとえば高校3年生になってからの1年足らずで全部をカバーしようとするのは難しいかもしれませんね。
私立の個別入試や国公立の2次試験はともかく,センター試験は学習指導要領のしばりが強く,要するにこれが文科省が高校に求めている「地理B」の内容です。もはや,をぢさんたちが30年以上前に教わった“国別の産物地理”ではないのですね。「世界地誌」という別名がついていた30年前の「地理B」とは全く別の科目です。さらに同じ現行の学習指導要領の中でも「地理B」と「地理A」は,かなり違う科目です。センター試験では一部に共通問題があって,あまり違いがわかりませんけどね。

[80160] k-ace さん
地理B第6問

この大問の問3,大井川上流の山村集落と牧之原台地の農業の特徴を問う問題。写真と説明文を読めばすぐに正解できそうな問題ですが,山村集落の方の(と思われる)説明文を読んで「おやっ?」と思いました。

----------------------------------------------------------
近世には焼畑と組み合わせた労働集約的な茶栽培が営まれ……
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別に次のような点に突っ込まなくても正解できてしまうので受験生たちはスルーしてしまうでしょうが,「焼畑」と「労働集約的」という言葉の組み合わせには少し違和感を感じたのでした。
普通,地理の教科書で出てくる「焼畑」は,主に熱帯雨林気候の地域で伝統的に行われてきた「粗放的」(で,いくぶん原始的)な農業として登場するからです。それ以前に今の受験生には,温帯の先進国である日本と「焼畑」とが結びつかないかも知れない。実際は,ほんの数十年前まで東北以南の山村の多くで焼畑をやっていたのですが。
「労働集約的」というのは焼畑よりも「茶栽培」の方にかかるのだろうと思うのですが,焼畑を維持するには雑草取りなどに結構手間がかかり,そういう意味では「労働集約的」かもしれない。

…この問題を見てそんなことを考えました。
というのは,たまたまその直前に 佐々木高明 という人の『稲作以前』という本を読んでいたから。初版が1971年という,その意味では「古典」と言えそうな本ですが,それを洋泉社が一部改訂の上,昨年末に新書(“歴史新書y”)に復刻しました。この人は元々,人文系の地理を専門としていて,40年以上前の日本の山村をフィールドとして研究するうちに,弥生時代の稲作受容以前,縄文時代末期に主に西南日本で焼畑による雑穀(とイモ)栽培を中心とする農耕が稲作に先行して行われていたのではないか,ということを文化人類学(←広い意味で地理学の一部,あるいは隣接学問ですね)の立場と方法で検証したものです。
この学説には発表当初から,主に文化人類学とは違った視点と方法でアプローチをする考古学者を中心に強い批判があり,今でもそのような意見はあるようです。私にはこの学説やそれに対する批判の当否は判断できないのですが,とても面白く読みました。
いや,この本の本題とは別に,ときどき出てくるいくつかのキーワード(「焼畑」という意味の「コバ」(九州)・「サシ」(関東)とか,収穫作業に関連する「穂刈」など)から現実に存在する諸々の地名が思い浮かんできて,そういう意味でも面白かったのでした。

ま,センター試験からは離れちゃいましたが,これが今年のセンター試験問題に関する感想です。
[80113] 2012年 1月 14日(土)22:56:03Issie さん
栗きんとん
[80106] 白桃 さん
[80110] にまん さん

京成電車の沿線に看板が林立していたりして千葉県内では有名な成田山参道の和菓子屋,米屋のこれまた有名な「栗むし羊羹」には栗の実がゴロゴロ入っています。

ところで,「栗きんとん」という食べ物がありますね。みなさんは,どのようなものを連想しますか?
我が家ではおせち料理なんかに入っているのですが(家で作らずにお店で買ってくるのですが), それは栗の甘露煮とサツマイモの煮たものを水飴で練ったものを合わせたもので,実は“芋きんとん”に栗の実が入ったもの。高級なものになると,この芋きんとんが栗餡になるんでしょうかね。
…なんて感覚でいたら,栗と砂糖だけで作った餡を茶巾しぼりにした「栗きんとん」があるのですね。栗は完全に粒というか粉状の餡になっていて,甘露煮のような丸のままの形を失っている。「栗100%」でおいしそうです。
そう言えば,栗の産地として有名な信州の小布施にも似たような,というよりほぼ同じお菓子がありました。
残念ながらまだ食べる機会に接していないのですが,一度食べてみたいものです。
[80108] 2012年 1月 14日(土)20:55:29Issie さん
メロンパン
[80106] 白桃 さん
四国で食べていた「栗まんじゅう」は外観が栗の形をしているだけのものでした。

メロンの成分が全く入っていない「メロンパン」みたいなものでしょうか。
一説には網目の入った様子がメロンに似ているからだそうですが,最近のものは本当にメロン果汁が入っているようですね。
ところで,栗饅頭については私は「オバさん」に全く同意見です。
[80027] 2012年 1月 9日(月)10:57:05【1】Issie さん
廃村
[80021] グリグリ さん
過去にもこのような災害などによる合併の事例があったのではないかと考えますが、どうでしょうね。

1906(大正5)年7月1日に「強制廃村」されて同じ郡の 藤岡町 に合併された 栃木県下都賀郡谷中村 が今回想定される例に最も近いかもしれません。
原因が自然災害でなく,国策に近い企業による人的災害であり,さらに廃村そのものも国の政策によるものであるという点でも。
[80026] 2012年 1月 9日(月)10:44:07Issie さん
光る東芝,東京芝浦電気
[79961] hmtさん
東京都下水道局芝浦水再生センターの隣接地(港区港南二丁目)で、港区芝浦四丁目にもかかるのかもしれません。駅名としては 著名な地名「芝浦」[42889] が適当なのではないでしょうか。

[80022] グリグリ さん
でも、やっぱり私も芝浦がいいなぁ。元々芝浦は港南や海岸も含んだ広域地名だった訳ですから。

[80024] 白桃 さん
泉岳寺

それはたぶん,操車場をつぶして造成される再開発区域の名前によるのではないかと思います。ズバリ,「さいたま新都心」みたいにね。
だから,ここは開発主体(JRか?東京都か?それとも大手ゼネコンか?)があまり変な名前をつけることのないよう,お祈りしましょう(←過去の例から,本当に“お祈り”したい気分)。

ところで,「芝浦」。
昨年末に亡くなった談志師匠が得意としていた演目に「芝浜」というのがありますね。
舞台は「芝の浜辺」だから,「芝浜」。ちょうど,京浜間鉄道が“海上”を走っていた海岸線。
「芝浦」とは本来,その前に広がる海の呼称だったんでしょうね。
それが明治末に始まった埋め立てて陸地になり,「芝浦」も陸地の地名になったわけで,その意味では今,町名として存在する「芝浦」「西芝浦」に限る必要はない。
そう言えば,「品川駅」だって本来の「品川」ではなく,「芝」のはずれの「高輪」にあるというのは,“古典的”な話題です。

だから,やっぱり変な名前が出て来ないようお祈りを。

※ところで今,「麻布」「赤坂」「新橋」「高輪」「芝浦」なんかに対して「芝」という地名の影がとても薄い気がします。
それはそうと,今朝の朝日新聞の1面左上に「千葉県人口減」という見出しが。
昨年1年間で千葉県の人口が1920年以来初めて減少したのだとか。
東部や南部だけでなく,東京に最も近い松戸・市川・浦安の3市が減っているのですね(まあ,市川は高齢化していそうですが)。ついでに都県境をはさんだ葛飾区と江戸川区も。
これについては,追って“その筋”から詳細な報告がなされることでしょう,たぶん。
[79942] 2012年 1月 4日(水)21:58:41Issie さん
山手線に新駅
…という ニュース が流れています。本質的には関東ローカルですが,全国ニュースなんでしょうかね。
山手線の中で最も駅間距離の長い 品川-田町間 というわけで,厳密には「山手線」(品川-新宿-田端)ではなく「東海道本線」(東京-神戸)の駅なのですが,“普通の人”の感覚ではグルリと一周する“山手線の駅”でいいのでしょう。読売新聞の記事では「並走する京浜東北線も停車する」なんて書かれています。

これは,新幹線用地への流用で分断された「東北本線」の東京-上野連絡汽車線を復活させて,東海道の湘南電車と東北(宇都宮)・高崎線の中距離電車をスルー化する事業の一環で,田町-品川間に広がる車両基地が不要になるのでここを再開発するのに関連した計画なのだとか。
記事に添付された写真によると,品川-田町間の線路全体を海側(新幹線側)に移転して再開発用地を生み出すものであるようです。実はこの区間は1872(明治5)年の最初の鉄道開業に際して陸上の用地を確保できなかったために“海の上に土手を作って”その上を通した区間です。今ではその痕跡はほとんど消えているのですが,このルート自体が歴史的な遺跡。
だから,このルートが変わってしまうのは鉄道史上の事件かもしれません。

※ちなみにもう1つの“海上区間”である 神奈川-高島町間 は,関東大震災後の1928(昭和3)年に横浜駅が“3代目”として2代目の高島町付近から現在位置に移転した際に,やや西に移設されました。現在の京浜東北・根岸線と箱根駅伝のルートにもなっている国道1号線にはさまれた 万里橋 を通る道路がかつての“海上鉄路”です。

もう1つ,鉄道史上のできごとになると思われるのは,これで上野駅の地位が決定的に下がってしまうであろうこと。
すでに昼間の長距離列車のほとんどが新幹線に移転してしまった今,8~9割方中距離電車のターミナルとなっている上野駅は,その中距離電車が東京・湘南方面へスルーしてしまうようになればその役割も失うことになります。恐らく,その頃には「あけぼの」の寿命も尽きているでしょうから(北海道新幹線の開業で並行在来線が3セク化されれば,「カシオペア」はともかく,既にJRが全く投資を放棄している「北斗星」も微妙),残るは新幹線網から取り残された常磐線の特急「ひたち」だけ。もはや,地平ホームはほとんど必要ないですね。
上野駅も両国駅の運命をたどるのかもしれません。
まさか,完全に消滅した飯田町駅や万世橋駅までは行かないとは思いますが。

とは言え,現行の山手・京浜東北線のルート上に駅を新設するのならともかく,記事に添付の写真の通りにルート変更を伴うのであれば,品川駅の抜本的な改造が必要であり,早ければ来年着工とは言え,そうすぐにできることではないようにも思います。
「山手線31番目の駅」ができるとき,周囲の景観だけでなく,東京近郊の鉄道ネットワークはどのようになっているのでしょうか。

※余談:
先日,すごく久しぶりに八王子駅へ行ったら,駅の南側にあった八王子機関区がなくなって更地になっていたのにとても驚きました。貨物輸送体系の変更や新型機関車の登場で既に八王子駅の役割は大幅に低下していて,その結果だということらしいのですが,今まで当たり前に見慣れていた風景が突然なくなってしまうのはさびしいものです。
[79786] 2011年 12月 29日(木)20:26:24【1】Issie さん
北国の春
[79785] グリグリ さん
おっと、ひねってきましたね。正解です。

なるほど。ルールを理解しました。
そこで,別解。

解答1

御夫君はこの御一族だそうです。
ちなみに現在の長野電鉄の創業者もこの一族。同電鉄が開発した(後から西武に乗っ取られた)「志賀高原」の名前も一説には一族の本拠地である 北佐久郡志賀村(現佐久市) に由来するのだとか(別説もありますが)。
さらに蛇足ながら,北佐久郡ではこの一族が名族であるのに対して,南佐久郡では「井出姓」が有名です。
関連項目:三木内閣の官房長官,北国の春,北風小僧の寒太郎。

※蛇足の追加。
それにしても,牧場のソフトクリームは美味しいですね。
最近は,秋葉原デパート(旧称)1階のマザー牧場の出店に必ず立ち寄っています。
[79779] 2011年 12月 29日(木)11:20:19Issie さん
お寺が答えじゃないよ
[79778] グリグリ さん
ここはどこ?

たとえば,こういうことですか?

問題2(湖名を答えてください)

解答2
[79768] 2011年 12月 24日(土)21:10:30Issie さん
メナム川
[79765] [79766] N-H さん
同感なのですが、京急の特急、金沢文庫より北はそれなりに俊足ですし通過駅も多いですよ。
それに昨今快特のほうが停車駅がどんどん増えてきて、特急との差異が少なくなるというあまりうれしくない状況です。

私は時折帰宅時に京急を利用するのですが,その時間帯には(エアポート)急行の運転がなく,利用駅の京急鶴見,仲木戸の双方に特急も快特も停まらないので全然嬉しくありません。生麦と神奈川新町で2度も追い越し待ちをさせられるからです。

第一「ガッ」をどうアルファベティカルに記載するのだろうか。

一応,ローマ字表記には「訓令」の想定外ですが語末の促音をアポストロフィで表記する慣例があるようです。音声学上の習慣でグロッタルな(喉に詰めるような)音をしばしばアポストロフィで(本当は逆向きのアポストロフィ)で表記することによるのでしょうか。したがって,この場合は Mt. Ga'。
とは言っても,こんなものを普通の人が期待通りに読んでもらえるはずもないから(「小さい“っ”」という音の捉え方自体,日本語独自のものですから),ここはやはり“っ”を大きくして Mt. Gatsu とするのが妥当な落としどころではないかと思います。Gas-san と発音するのは,-san という語尾に接続する際の音韻変化と理解しちゃえばいいですから。
でも結局のところ,日本語であっても「月(がつ)」だけ取り出してもそれでは何の意味も持たない。「月山(がっさん)」という形にして初めて山の名前としての意味を持つわけで,「月」と「山」を切り分けることはできない。つまり,「月山」は不分離の名前であって,ローマ字でも Gassan としなければ無意味。だから,“山”であることをあえて明記しようとすれば,冗語的表現ではあるけれども Mt.Gassan とするべきだろうと,私は考えます。
つまりは,「メナム川」(もっとも,最近は「チャオプラヤ川」と呼ぶのが一般的です),「モンブラン山」方式。大事なことは,それぞれの言語においてそれが山や川の名前であることを知らせることにあるのですから。「そもそも,その言語ではね…」というウンチク話は一般の人には無関係。

だから,これも以前に表明していることですが,たとえば「荒川」は「荒(あら)」だけ取り出しても“独立した単語”として意味をなさないのであるから Ara River であるよりは,冗語的な Arakawa River の方が適当である,というのが私の意見です。
ただ,その線引きは結構難しいのですが(たとえば,「江の川/可愛川」はどうしましょうか。「江の川」は現在は“ごう”の川と読みますが,元は“え”の川だったと思われます。「可愛(えの)川」はその異表記でしょうね)。
[79763] 2011年 12月 24日(土)12:18:01Issie さん
赤い急行 緑の急行
[79761] グリグリ さん
ところで、新聞記事には上智大学の英国出身の教授の言葉が引用されています。
>一番私たちにも分りやすいのは『ku』です。制度が違うのに英語に当てはめようとすることに無理があると思います。

確かに東京で暮らしていて,Metropolitan Tokyo の中に ku という区画があることを知っている人には無理して訳し分ける必要はないかもしれませんね。結局,ward であるか city であるかというのは,実は外国人向けではなく自治体側の“国内に対する”政治的なアピールですから。
けれども,たとえば私たちが外国の地方区分について,いきなりカタカナで「カウンティー」とか「デパルトマン」とか「オブラスチ」と言われてもそれがどれくらいの大きさの単位か,全く見当がつきません。同じように,外国人がいきなり ku なんて言葉に出会っても,それがどんな区画であるかわからないだろうから,やはり何らかの訳語は必要でしょう。
とは言っても,英語に訳そうとしても,たとえばイギリスとアメリカで,さらに同じアメリカでも州によって地方制度が違うわけで,1対1に対応するような訳語を見つけようと言うのはナンセンス。
そもそも同じ漢字由来の区画を用いている日・中・韓(朝)・越であっても,同じ語(たとえば県)の重み,あるいは大小がかなり違うのですから。

これはだいぶ以前に紹介した話かもしれませんが,横須賀の米軍関係者の間では地元を走る京浜急行の「特急」と「快特」をそれぞれ Red Experss, Green Express と呼んで区別しているという話を聞いたことがあります。
国鉄(JR)にならって「特急」を Limited Express と訳すとして,次に「快特」をどう訳すか困惑してしまうでしょう。
むしろ,そのような無意味な訳し分けをせずに,一律 Express(急行)として,駅の時刻表や発車案内で用いられているカラーで呼び分ける方が遥かに合理的です。
もっとも,それは以前の話で,今の京急のダイヤでは日中は「快特= Green Express」しか走っていませんから,呼び分けの必要もないのですが。

※蛇足
橋下前知事・新市長の「大阪都」構想がらみで,なぜか某経済系全国紙から府県の変遷に関して取材を受けてしまいました。こんなド素人でいいんでしょうかねえ…,と言いながら質問に答えましたが。大阪支社の方なので,きっと大阪ローカル面にでも載るのでしょう。東京版には載らないだろうし,そもそも我が家では購読していない新聞だから,まあ身近な範囲にバレることはないでしょう。
[79721] 2011年 12月 10日(土)13:05:52【1】Issie さん
万世すき焼きおいしいよ、みんなそろっていらっしゃい,万世~
[79717] 伊豆之国 さん
♯やはり同様に廃駅となった国鉄の萬世橋駅、こちらも森田氏の番組で以前にやっていたはずですが、最近中央線に乗って見ると、ホームの跡は残っていたものの、面影を残していた交通博物館の建物は既に取り壊されて跡形もなくなっていました‥。

交通博物館閉館前の特別公開で省線万世橋駅を見てきました。ホームへの階段の途中まで上がれるのですね。ホーム上の階段出口に蓋をしている上屋とホームの隙間から中央線電車が見えました。
関東大震災で焼失した後に簡素化されて再建された駅舎も敷地を鉄道博物館に明け渡した後,戦争中に廃止されるまで高架下の部分で営業をしていたそうですが,こちらは高架橋の構造物そのものと一体ですから交通博物館の建物が撤去されてもきれいに残っているようです。

それにしても,ある部分のコンセプトがカブるせいで,どうも今は亡き12チャンネルの“あの番組”と内容や映像が頭の中で錯綜しています。
上野の地下鉄車庫の踏切から本線へのトンネルに入るあの場面,こちらの番組では「初めて」と言っていたけど見た記憶がある。タモリよりも前に「くもじい」が乗ったんじゃなかったかなあ。
少し前の上野動物園内の藤堂家のお墓も,あちらの方が早かったような。出てきたお坊さんも同じ人じゃなかったかな。
もちろん,その逆もいっぱいあって…。
お互い意識していたのかどうか,結果的に両方の番組で内容のキャッチボールをしていたようですね。

今回,エンドタイトルロールの中に出ていた「協力 肉の万世」の文字。
ああ,あの場面は万世の建物から撮影したのかな。
[79691] 2011年 12月 1日(木)23:26:05Issie さん
キャサリンの記憶
[79690] 伊豆之国 さん
今夜の「森田一義氏」の番組で、「浮間」界隈の荒川の改修関連の映像が出たのですが、残念なことに「浮間が”元埼玉”だった」ことには触れられていませんでした‥。

そうでしたねえ。
“あのお婆さん”は戸田橋を渡ってお嫁にいらしたと言っていたけど,“あのお宅”自体が元々埼玉県なわけで。まあ,行政区画の変遷は今回のテーマではありませんからスルーでもしかたないですが,実際のところ,“埼玉県の痕跡”ってあの辺りに残っていないんでしょうかね。
行政区画と言えば,先週の「荒川放水路に消えた“大木村”」というのも惜しかった。木根川橋と木根川薬師までは行ったんですけどね。

柴又にまだ残る農地が紹介されていたけど,どうも私の記憶が曖昧なのですが,よく京成電車を利用していた1970年代前半,今は住宅に埋め尽くされている高砂の車庫から京成小岩駅の間には農地が広がっていた(少なくともたくさん残っていた)記憶があるのですよね。
何かの記憶違いかなあ…。

先週の日曜日は横浜に用事があったついでに,ふと思い立って元町から中村川沿いに蒔田まで“昔の道”と思われる道を歩いたのですが(思い立った原因は,“同番組”に出てきた元町公園),今度は久しぶりに柴又にでも行ってみようかな。何年か前に小菅駅から歩いた旧水戸(陸前浜)街道と佐倉街道の高砂駅以遠がまだ未踏だし。
[79685] 2011年 11月 30日(水)02:16:28【1】Issie さん
「都」とは言うものの
お久しぶりなので近況報告。

1;やや旧聞に属するのですが,9月にメガネを作りました。“遠い方用”ではなく“近い方用”。実は5年ほど前から地形図の境界線をなぞる作業に苦痛を感じ始めていたのですが,そういうことだったのですね。
で,今日(既に昨日)は職場にそれを忘れてきてしまって,いや,実に不便です。
坂を転げ落ちるよう。あっという間ですね。

2:最近足が遠のいているのは以下のような事情です。
最近,20年近く使用してきたMDデッキの調子が悪くなり始めました。この夏には本家本元のSONYがMD再生機から撤退しましたね。いよいよ手持ちのMDデータの将来に不安を感じ,PCに移植する作業を開始しました。まさかこうなるとは思わず去年の夏に購入していたMDウォークマンが役に立つとは(もう売っていませんからね)。
何分,中3の時から四半世紀以上にわたって録り貯めた延べ3300曲余り。20年ほど前に一度カセットテープからMDに移植したものも含めてMD150枚余り,というわけでこの半月ほど,夜の時間をそれに割いている次第。
ようやく3分の1ほどが終了というわけで,今年いっぱいこの作業は続くかな。

そんな中で,にわかに話題となった「大阪都」の話。

[79684] 白桃 さん
東京都23区だけを行政的に統括する責任者というか「長」というのが、果たして実在しているのかどうか理解できない私にとっては、当然ながら、「大阪都」というのが良くわかりません。大阪市長や堺市長がいなくなる、ということですか?
ということは、大阪市、堺市の2市が消える、ということですか?

橋下さんの言っていることを聞くと,「都」あるいは「特別区」という言葉を使っていてもどうも現行の「東京都」のそれとは微妙に違うような気がします。
東京都の「区」はご案内の通り結局のところ“市未満”の地位からいまだ抜け出していないわけですが,橋下さんが言う大阪市や堺市等を再編した「区(?)」には広範な自治権を与えるようなことを考えているみたいですね。「特別」の意味合いが“市未満”というより“市以上”の方に向いているような気もします。
いずれにしろ,まだかなり荒削りで具体的な制度設計はこれからなんじゃないでしょうかね。

かねがね「政令指定都市制度」の悪口を言って,実際いまだに自分の市がそうなって何が嬉しいのか全く理解できない私としては,橋下さんの言う政令指定都市批判に興味を持って聞いているのですが,それがどちらの方に進むのか。
で結局,この制度を変えるための法律を作る権限は大阪府や大阪市ではなく国会だけに与えられているわけですから,国政政党がどう受け止めるかにかかわってくる。
まだ当分,様子見の段階だと思います。

※むしろ気になるのは,橋下さんがどうこうということではないけれども,二大政党が全然有権者の支持を集められず,言っていることの中身は実際甚だ曖昧なのに見た目だけ元気なことを言っている勢力に支持が集まってしまう状況。
日本は一度,外の勢力を引っ張り込みつつお互いを攻撃することで政党が自滅し二大政党制に失敗した前科がありますから。
実に困った存在は二大政党です。
[79640] 2011年 11月 17日(木)21:01:04Issie さん
緑区役所
最近夜なべ仕事が続いてこちらに来るのは久しぶり。皆様,いかがお過ごしでせうか。
さて,

[79634] むじながいり さん
まっさきに思い付いたのが、相模原市緑区役所です。イオン橋本店の入っている「シティプラザはしもと」の中にあります。

ご案内の通りですが,これは一応,単独の区役所庁舎が完成するまでの暫定措置です。
私はつい,開業当初の「ビブレ」という名前で呼んでしまうのですが,職場が変わってしばらく橋本から離れている間に,「サティ」→「イオン」と名前が変わっていたのですね。
これも むじながいり さんがご案内の通り,1990年代後半から進められた橋本駅北口地区再開発事業によるビルで,下層階の商業施設(ビブレ→サティ→イオン)と上層階の市の公共施設とが同居しています。この公共施設階に移転してきた 橋本出張所 が区制実施に伴って 緑区役所 に衣替えしたもの。このビルに移転してくる前の橋本出張所は,1941年の合併以前の 相原村役場 以来の位置にありました。
冒頭に述べたとおり,緑区役所は橋本駅から少し離れた「国鉄」(←JRではない)の工場跡地の再開発区域に新設される庁舎に移転する予定です。だから,将来にわたって商業施設と同居,というわけではないのですね。

ちなみに,残る2区の区役所ですが,中央区役所は市役所本庁舎の一画を区役所に模様替え,南区役所は従来の大野南出張所がそのまま区役所に使用されています。
[79576] 2011年 10月 29日(土)12:10:52【1】Issie さん
三文字繁華街
[79572] ペーロケ さん
東京 秋葉原

「繁華街」のイメージにズレがあるかなあ。
アキバは,あまり「夜の町」というイメージがない,最近は昼間の“お子様”(←色んな意味で)の町というイメージ。
ずっとうらぶれて,錦糸町 とか 新小岩 なんてのはいかが?

それは措いておいて…
・川崎:銀柳街
・横浜:馬車道,六角橋
・富山:総曲輪(そうがわ)
・岐阜:柳ヶ瀬

…というわけで,(大小にかかわらず)「ヶ」はあり?
[79573] 2011年 10月 29日(土)02:36:14Issie さん
僕は特急の機関手で
[79552] futsunoおじ さん
「うなぎ県」

[79568] いろずー さん
あなたが言っているのはおそらく「静岡県」のことでしょう

[79571] ペーロケ さん
浜名湖のうなぎは有名ですが、かといって、鰻の生産は浜名湖周辺に限った局所的なもので、静岡県が「うなぎ」の県というイメージは結びつきづらいんですよね~。

実は私は静岡県を連想しました。
「ウナギ養殖→浜名湖」という刷り込みが強烈にあるのですね。
現在の現実の統計データは ペーロケ さんが紹介されたとおりでしょう。けれども,これは現実の統計データの話では必ずしもありません。ある程度強いイメージが植えつけられていれば,統計上の数字なんて何の意味もありません。何よりも非常に早い段階でウナギ養殖を産業として確立して全国に名を馳せた事実は,今はトップかもしれない“新出来”の産地が勝るものではないでしょう。しかしほかの産地と競合する中で,浜名湖のウナギ養殖は最盛期の何分の1までに縮小しました。たかだか一昨年の統計データは,そうした縮小の果てのものです。
だから,私には「ウナギ → 静岡県」という連想が成り立つ。

けれども,逆に「静岡県 → ウナギ」という連想が成立するかというと,それはしない。ペーロケ さんのおっしゃるとおりです。
「ちびまるこちゃん」でさえ歌っている ディック・ミネ の「旅姿三人男」を持ち出すまでもなく,大井川流域から清水港(しみずみなと)辺りであれば“お茶”を措いてほかになかろうし,「湯の町エレジー」に誘われて伊豆まで来ればそれは“温泉”と“ワサビ”かもしれない。
そのせいかどうか,(もちろん私が生まれるよりもずっと前の流行歌である)「僕は特急の機関手(士)で」という歌の最もメジャーなバージョンでは

・金色夜叉の熱海海岸から丹那トンネル
・富士山と駿河湾の間を走る優雅な一等展望車と,“沼津”食わずの三等車(←おお,三等級制の時代だ!)
・浜松のハモニカ娘と浜名湖のウナギ

と,静岡県だけで3コーラスも歌われているのですね。神奈川県は横浜が歌われていたような気がするのですが(ハモニカ娘が出てくるなら,崎陽軒のシウマイ娘ではないよな),通常バージョンでは“通過”です。名古屋で“あの娘のあんよ”を守口大根にたとえたら,一気に京都に行って(明治の鉄道唱歌ではじっくり京都を回るのですが),次のコーラスでは大阪に着いちゃいます。
この静岡県に対する手厚さは何でしょう?…

さて,話の発端となった 香川県 と「うどん」のように両者のイメージがほぼ完全に重なるから,ああいう宣伝が成り立つのでしょうが,多くの場合はそれが重ならない。
たとえば,「リンゴ」と言えば 津軽(←決して青森県全域ではない)と行きたいところですが,私は自分の経験からここは是非「信州」と言いたい。
けれども,長野県全域でリンゴが栽培されているわけではなく,下手したらまた 北信(長野)vs南信(松本) の地域対立を生み出しかねない。いや,リンゴは松本周辺でも栽培されているけれど,やはりメジャーなのは善光寺平ですから。
「リンゴ → 長野県」は成立しても,「長野県 → リンゴ」となるわけではないのは,静岡県のウナギと同じ。

たぶん,ここに「うどん県」のコピーが成立するカギがある。よその県がそれを真似しようとしても無理があるのですよ。
[79570] 2011年 10月 28日(金)21:20:20Issie さん
山寺
[79569] N-H さん
野暮を承知で考察してみますか。

ベタなつぶやきに,おつきあいありがとうございます。
そう。実に“大阪全開”な歌ですが(何より,ちゃんと関西弁に聞こえるところがすごい。「大阪で生まれた女」や「悲しい色やねん」は歌詞がそうでも関西弁に聞こえませんから),「わさびを利かせたら何ぼかおいしかろ」と言ってる“お鮨”は江戸前の握り鮨でしょうね。

単に言葉遊びで「東京ブギウギ」にひっかけて「ネギ」を入れてみただけなのか。

まあ,タネを明かせばそうなんでしょう。ほかにも「ボタンとリボン」とか「人の気(持ち)も知らないで」なんてのも登場しますから。

あ、もちろんリアルタイムでは笠置さんは「カネヨン」のおばさん、もしくは「家族そろって歌合戦」の審査員としてしか知らない世代ですので念のため。

私もそうです。で,笠置さんの隣り(?)に座っていて毎回“芭蕉の俳句”(と言われている別の作者の狂歌)のパロディを詠んでいたトボけたお爺さん(高木東六さん)が昔はとても洒落た曲を作っていた(軍歌でさえも)と後で知って,「へええっ」と思ったものです。

服部良一先生も笠置シヅ子さんもすごすぎます。

私は「山寺の和尚さん」もすごいと思います。
去年の今頃,コロムビアが明治・大正のレコード黎明期から“昭和末期”まで自社のレコードを中心に集めた「流行歌大傑作選」というCDシリーズを発売したので迷わず買ったのですが,その第1集の「明治・大正・昭和初期」版(COCP-36449)に「山寺の和尚さん」が収録されていました。コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ の演奏で1937年4月の録音。前後の歌が実に「戦前!」という感じの歌が多い中で,これは全然古びていない。逆にこれが「昭和12年」の演奏,というので驚いてしまいました。
一世代前なら,ダークダックスやボニージャックス,デュークエイセス辺りがよくカバーしていたのですが,今の世代のコーラスグループなんかはどうでしょうね。

ところで,この「山寺」とは?
[79566] 2011年 10月 26日(水)22:11:20【1】Issie さん
ねぎ焼き
まあ,ただのお遊びに過ぎない県の名前は措いておいて…

[79561] いろずー さん
「ねぎ焼き府」

恥ずかしながら「ねぎ焼き」なる食べ物を知りませんでした。
そこで検索してみたら,予想に反して“青々”していますねえ。
そう,ネギが違うのでした。
普通,私が「ネギ」と聞いて連想するのは,白くて太いネギ。
だから「ねぎ焼き」というのは,関東的には焼き鳥みたいにそのネギを串に刺して焼くものですが,関西でお好み焼きの仲間ならその白いネギをみじん切りにしてメリケン粉で焼くものだと思ったら…
関西のネギは青くて細いんでしたね。
駅の立ち食いうどん屋でも(←こちらでは専ら駅でそばを食べるけど,関西の“色のない汁”で東京風にそばを食べても美味しくなさそうなので,関西に行ったら駅ではうどんを食べる),入るネギはアサツキみたいな青くて細いヤツで,これを見ると「ああ関西だ」と思うのでした。

笠置シヅ子の「買い物ブギ」に登場する「東京ネギネギブギウギ」…。
あれは関東風のネギなんでしょうかねえ。
[79557] 2011年 10月 23日(日)11:28:54Issie さん
「かもしれない」では…
[79556] デスクトップ鉄 さん
皆様方の投稿を拝見すると、「駅名も由来の一つである自治体名」=「駅名が由来の自治体名」と考えられているのではないかと...

まあ,そうですね。
このイコールが成り立つのかどうかわかりませんが,少なくとも私は「由来の一つ」などという曖昧なものではなくて,「由来と断言できる」もののリストであるべきだと思っています。
[79551]

そろそろ検証が必要かも

と言ったのを別の言い方に換えれば,

もう「…かもしれない」で集める段階は過ぎ去っている

と言いたいのです。繰り返しですが,検証の上で“明らかに違うもの”は排除されなければならない。そういう時期に来ていると,私は考えています。

…と書いていると長くなるので,最後に1つだけ。

「相模原市」の市名選定に当たっては『相模原市史』に詳しく記述されているのですが,そこに「(小田急)相模原駅」の存在を意識した発言はありません。
市名候補として,陸軍士官学校にちなむ「相武台市」,いわゆる広域地名である「相模市」などとともに「相模原市」が挙がってくるわけですが,それは小田急の駅などというものに由来するのではなくて,すでに高座郡北部一帯の台地平坦面が「相模原」と呼ばれるようになっていた事実によるものだと思われます。
上の候補のうち,「相模市」はそれなりに有力だったのか,たまたま「軍都計画区域」内を通過していた相模鉄道(現JR相模線)が当該区域内にあった駅の名前を,新田集落(清兵衛新田)内の小集落名に由来する「大河原」から「相模町」に改称しています。その後,相模線が国有化されたときに「南橋本」というつまらない名前に再改称されてしまいましたが。
「相武台市」は,「相武台」は天皇陛下が士官学校に下しおかれた名前である,と陸軍が強く反対してポシャりました。で,結局は当たり障りのない「相模原市」になった,と。
ところが,ロクに市街地もないくせに…,と内務省の横やりが入って“市”になれず,「高座郡相模原町」となった,というのは前回発言の通り。
ちなみにこの際,当時の最大集落で,「相模原町」時代の大半を町役場所在地として過ごした「上溝」は市名候補として挙がることはなかったようです。
当然ですね。
今,話題にしているのは,広大な相模野(相模原)の上に“新しく建設する一大軍都”の名前であって,上溝なり,座間なり,橋本なり,淵野辺なりといった昔からの集落とは別の都市だからです。行政上は,それらの旧集落もその領域内に入るわけですが。
現在の相模原市は旧集落の 上溝 が発展したものではありません。したがって,「上溝市」では決してあり得ないのです。
そして,小田急の「相模原駅」とは「由来の一つ」とも言えないほど“ほとんど全く”無関係。
[79551] 2011年 10月 22日(土)11:17:53【1】Issie さん
そろそろ検証が必要かも
[79548] デスクトップ鉄 さん
駅名も由来の一つである自治体名・再考

やはり「駅名も由来の一つ」というコンセプトで線引きするのは、無理があるのかもしれません。

地名コレクションの編集を始めるか始めないかの頃,私は「とにかく思いつくまま集めてみて,それから検証したらいい」という趣旨の発言をしたことがあります。
私は何もしていませんが,皆さんのご協力で地名コレクションはさまざまなジャンルにわたってたくさんのデータが集まることになりました。
その中で,「(由来にかかわらず)○という字を含む」系のコレクションは,現にその地名にその文字が含まれているかどうかが問題になりますから,検証の必要はありません。「ロータリー」のような“現物”系もそうですね。
けれども「由来」系のコレクションは違います。
一見そうは見えても,由来をきちんと検証していくと実は全く違う由来だった,という例は少なからずあるものと思います。そもそも,その由来の“正当性”の線引きをどこで行うのか。

今回話題になっている「駅名由来自治体名」については,担当の 星野彼方 さんが

[79379]
まず、私の考えですが、基本的にすべて採用しようと考えています。

ごちゃごちゃ書いてきましたが、自治体名に関しては、明確に駅名は由来ではない、と断言できるような場合以外は採用するつもりです。

という方針でいらっしゃいますから,この方針そのものにあえて異論を唱えるつもりはありません。
ですが,“一般的な話”として,そろそろこれらのコレクションに収録されたデータについてきちんとした検証が必要なのではないかと思います。そして,明らかに適当でないと判断されたものはリストから削除する。
もしかしたら,線引きが難しくてテーマそのものが成り立たないコレクションもあるかもしれない。

巷にあふれている新書サイズの雑学本程度の“言葉遊び”で済ますならそれでよいかもしれませんが(何でこんなしょうもない本が次々出版されるのか理解不能),それなりに“真面目な立場”で情報提供をするのなら,それなりの検証はなされた方がいいように思います。

※追加
[79550] EMM さん
##ところで、私の担当しているある地名コレクションの、とある項目の備考に書いた「私が起こした文章」とほぼ同じ内容が書かれているwikipediaの文章に行き当たったことがあります。

地名コレクションではないわけですが,私もほぼ同じ経験をしています。
一応,出典明記のルールはあるけれど,それを“不特定多数”で要は“誰だかわからない”書き手に徹底させることは無理でしょう。
不特定多数が自由に書き込み,自由に修正できて,その積み重ねで「真実」に近づくであろう,という理念は理念として,出典明記の問題も然り,「査読」が十分に行き渡るはずもない下での内容の信憑性も然り,結局“あそこ”に書かれている内容は「その程度のもの」でしかないと,私は“諦めて”つきあっています。
…って,また“あそこ”の悪口を言っちゃいました。自分も書いているのに(…で,出典問題に関しては自分も同じことを犯しているかもしれない)。
[79513] 2011年 10月 14日(金)00:45:44Issie さん
ブラちい途中下車の旅
[79508] みかちゅう さん
自分の家が映っていたよという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

2年前でしたっけ,レギュラー化第1回の放送が「東京湾一周」で,そのときはこちらにも報告した覚えがあるのですが,昔住んでいた我が家,…というか我が団地が映らないかと期待して視ていました。でも残念,確か習志野市上空はほとんどスルーしてしまって映らなかったような。
次に海岸埋立地の公団住宅から総武線の津田沼駅近くに越したので,こちらは「総武線の回」に期待したのですが,こちらも映ったか,映らなかったか…。津田沼には新京成の多重大Sカーブという面白いネタもあるのだけど,西船橋近傍の“円形道路”(海軍の送信所跡)の方に行ってしまって,やっぱり津田沼はスルー。どうもこの番組は習志野市とは相性が悪かったようです。別の機会に新京成上空を飛んでくれないか,と期待していたんですけどね。

[79509] にまん さん
ただ、制作費的にはどうなんでしょう。空撮ってそれなりに費用がかかりそうな気もするんですが、意外と安いのかな?

テレビの制作現場というのをよく知らないので,お金の面でどうなのかもよくわかりませんが,単に上空から撮るだけじゃなくて意外に地上でのリサーチも結構してるんじゃないでしょうか。タレントをスタジオに並べて楽屋落ちの無駄話をさせているだけの“バラエティ様番組”よりは,少なくともずっと手間はかかっている気がします。ギャラは声の2人+解説の1人分だけで済むのかもしれませんが。
「ブラタモリ」ほどではないけど放送が飛び飛びだったのも,その辺の手間の問題もあったんじゃないかと。

というわけで,これからは「ブラタモリ」と,“地理度”はずっと下がるけど「ぶらり途中下車の旅」(←ナレーターが代わってしまって残念ですけど)と,普段は仕事で視られないけど「ちい散歩」に期待しましょうか。
…ごめんなさいね。みんな実質“関東ローカル”で。
[79507] 2011年 10月 13日(木)21:38:08Issie さん
Re:空から…
[79506] いろずー さん
今日BSのチャンネルカチャカチャ変えたら
「空から~」が入っていましたが…

これ,再放送なんだよね。
この枠でこれから新作をやるのかなあ。
[79505] 2011年 10月 13日(木)20:57:16【1】Issie さん
空から日本を…
本来は関東ローカルなのですが,全国ネットで中継もしているようなので…
木曜の夜8時(ちょっと前)と言えば,東京12チャンネルの「空から日本を見てみよう」だったのですが,先月,長めの夏休みが終わった途端に唐突に終わってしまって,次は何だろうと思ったら…
公開放送の歌謡番組,なんですね。
こんな番組にツブされたのか…。

いやや,別に「こんな番組」が悪いわけじゃなくて…,
番組の中で某大物演歌歌手が言っていたように「今はこういう番組がなくなってしまったから」,確かにこういう番組はそれなりに貴重で,さすがは12チャンネルと言えなくもない。きっと私も来週以降もこの番組を視ているのだろうと思うのですが(“裏”がつまらないからね。ただし,NHKの裏番組が来週で終わるので,その次の番組次第だけど)。
それにしても,ねえ…。

まあ,来週から「ブラタモリ」が復活するようで,とりあえず2週分は昨年度のものを再放送して,本格的な“シーズン3”は来月から始まるそうですが。
とは言っても,いろんな意味で“シーズン3”で終わりにした方がいいような気が。タモリ自身もそうだし,相棒のアナウンサーも。タモリと言えば,「タモリ倶楽部」のように同じテンションで延々と続いている番組もあるけれど。

結局,「地理オンリー」の番組は作りにくいんでしょうかねえ。
[79503] 2011年 10月 13日(木)19:40:24【1】Issie さん
何というか…
どうもコミュニケーションが成立しないようなので,一方的な無駄話。

同じ「ゆとり教育」を受けていたのなら,自分だけが志望校に行けなくてもそれは「ゆとり」のせいじゃないよね。だって,志望校に行けてる奴だっていっぱいいるんだから。他人の言うことを理解しようとしないのも,それは自分の努力不足のせい。「ゆとり教育」なんかのせいじゃない。できてる奴はできてるんだから。

そもそも「ゆとり教育」というのは,一部のマスコミが当時の教育政策を批判するために使いだした用語。あまりに面白い表現だったのでみんなが飛びついて誰もが知っている言葉になったけど,それでは何が「ゆとり」なのか,どれだけの人が理解しているのかな。
たとえば当時,ある受験産業が「ゆとり」の実例として挙げた“円周率=3”。「およそ3」と教えることと「3.14」と教えることと,どれだけ本質的な違いがあるのか説明できるのだろうか。
大事なことは,そこで子どもたちに何を教えたい,どんな「学力」を身に着けてほしいのか,ということにあるのだけど,そこはスッ飛ばして表面的なことがらだけつまみ食いしてそれを大げさに煽り立てる。歴史の中で自分に“おいしい”ところだけ取り上げて,「日本はこんなに素晴らしいんだ」と言い立てる“自慰史観”大好きな某マスコミらしい手口だが。

「ゆとり」というけれど,それではそれでどれだけ「学力」が下がったのか,それは誰も検証しない。そもそも「学力」として求められる視点はたくさんあって,1つのモノサシで測れるものではないんだよね。
日本の学校教育は戦後どころか,明治の初めに学校制度が始まって以来,「ゆとり」(←当時は別の言い方をしたが)と「詰め込み」の間を幾度も行ったり来たりしているんだけど,それで「学力」が下がったという話はあるのかどうか。もし本当に下がったことがあるとするならば,それは授業そのものをほとんど行わなかった大戦末期と,教科内容自体が大混乱に陥った敗戦直後の子どもと生徒たちだろうけど,でもちゃんと社会生活ができてるよね。

コミュニケーションができないことの理由が「ゆとり教育」だなんて,そんな話は成り立たないと思うけどね。
ちなみに蛇足ながら,1960年代末の学習指導要領で小・中・高の教育を受けたあたしたちは,要するに過去の学校教育の歴史の中で一番の「詰め込み教育」を受けた世代だけど,その実,何てことぁないよ。

※…というわけで,誰かを相手にということではなく,「ゆとり教育」などというマスコミの“煽り文句”を使いたがる皆さんに向かって,思うところを書いてみました。
[79484] 2011年 10月 11日(火)20:06:35【1】Issie さん
国道の踏切追加?
[79477] 今川焼 さん
ところで、せっかく集めたデータなのでと、Googleマップにしてみたのがこれ→国道の踏切-Googleマップ

これ,面白いですね。
京急が品川を出ていきなり微妙な形で国道15号(第一京浜)と平面交差するのは,さすが元路面電車であった名残ですね。ここは元々,国道の上を走っていたのでした。
京急蒲田の空港線との平面交差は,今は半分だけ。立体化工事が完了すれば,ここの平面交差は解消します。あと何年でしょうか。

さて,八ツ山橋際の微妙な平面交差がありなら,こちらもご検討ください。

*国道16号・JR横浜線 相模原市緑区橋本

ここは“本線”はやや南の国道413号との分岐交差点ともども立体交差化されて陸橋で横浜線を乗り越していますが,側道の踏切が残されています。
16号は踏切の北側で御殿峠を越える“旧道”と八王子バイパスに分かれるのですが,この旧道につながっているのは側道の方です(ただし,内回り:横浜方面のみ)。先の交差点の状況から,16号で八王子方面から津久井方面へ国道413号線に入るためには,陸橋を通らず旧道から側道の踏切を通らなければなりません。実際,橋本駅北口から津久井方面に向かうバスはこのルートで413号線に入っています。
要は側道も立派な国道,ということで,こちらの踏切も仲間に加えていただければ,というお願いです。

※もう1つ追加。
その16号の旧道が御殿峠を越えて八王子市内に入った後,片倉の横浜線と京王高尾線との交差は国道の方がアンダーパスしているのですが,その先の中央線との交差は,こちらは正真正銘,橋本の踏切のような微妙なものではなく100%完全な混じり気なしの踏切です。
是非,こちらは追加を。
[79454] 2011年 10月 9日(日)12:02:30Issie さん
十鉄
…と呼ばれているそうですね,十和田観光電鉄。“正書法”(かなづかい)的には「とおてつ」であるはずですが,「とうてつ」とカナをふるらしい。

[79425] 山野 さん
東北新幹線・「七戸十和田駅」が開業し、利用者が減少、東北大震災で観光客が激減が原因らしいですが。

[79428] hmt さん
確かに十和田市を走っていますが、十和田湖の観光客は利用しているのでしょうか?

[79450] まかいの さん
ルートをあれこれ検討しましたが、十和田観光電鉄ルートはまったく上ってきませんでした。

もうだいぶ前,東北線の交流区間にまだ客車普通列車が走っていた頃,その列車で三沢を通りかかった時にここから分かれていく十鉄の様子を見て,何でこんなところにこんな路線が生き残っているのだろうと不思議に思った記憶があります。南部縦貫鉄道もまだ残っていたっけ。
要は,十和田湖観光のアクセス路線として盛況であるとはとても思えない状態。
恐らくは新幹線の開業を待つまでもなく,まかいの さんの感覚が普通の感覚なのではないかと思います。
たとえば,現在とは違って自家用車での観光などあまり考えられなかったであろう1968年10月の時刻表(いわゆる,国鉄“ヨンサン・トオ”白紙ダイヤ改正号)を見てみると,十和田湖へのアクセスのメインとなっているのは青森駅からの国鉄バスで,1~2時間に1本という実に頻繁な回数のバスが運行されています。
もう1つのメインは,国鉄バスと秋北バスが共同運行する花輪線の 十和田南駅 から(一部は大館駅から)の路線。
だから,観光客の多くは青森駅と十和田湖の間の往復,もしくは 青森駅~十和田湖~十和田南駅~盛岡または大館 というルートをとっていたのではないかと思われます。
もちろん,十鉄を利用した 三沢~三本木(現十和田市)~十和田湖 というルートもあって,三本木乗り換えのバスも午前中は1時間に1本と,青森ルートに引けを取らない回数が運行されているのですが,マイナーな感じは否めません。もっとも,それはこの時刻表(交通公社版)が「国鉄監修」であるせいかもしれませんが。

たぶん,十鉄は「十和田観光」を社名として謳っているし,事実それも少なくない比重を占めてはいたのだろうけれども,基本的にこの鉄道は十和田市内(三本木周辺)と東北線とを結ぶ“フィーダー”(培養線)としての役割を担ってきたのだろうと思います。
これが弘前のようにある程度の都市圏を形成していれば弘南鉄道のように生き残る余地もあり得るでしょうが(ここも,もとは2社競合であったものが一方(弘前電鉄:大鰐線)が維持できずに弘南鉄道(弘南線)に吸収されたものです),十和田市がそれだけの都市圏を持っているようには思えません。さらに三沢との間に「鉄道」を維持できるような流動があるかどうか。
だから十鉄が鉄道として存続していることの方が不思議,という最初の感想に至るわけです。
やはり新幹線の開業が“最後の打撃”になったのは確かでしょうが,それは「観光客の減少」というよりももっと日常的であった 三沢~三本木 間の数少ない乗客流動も奪ってしまった,ということだろうと思います。
そういうわけで,十鉄の廃止は惜しむべきことではあるかもしれませんが,結局は“必然”あるいは“当然”のことだと私は考えています。
[79433] 2011年 10月 7日(金)20:02:21Issie さん
実に失礼
[79431] いろずー さん
とりま失礼

「とりま」ではなく,本当に失礼です。
ここが“上品な言葉遣い”で“高尚な”お話をするサロンである言うつもりは全くありません。
でもその場にはその場に相応しい言葉遣いというものがあるだろうと思います。そして,それは普通の人ならば普通にできるはずのことです。実際に,小学生(当時)もそのようにしてこの場所に加わってきました。
いろずー さんは,ここにどんな話題を提供したいのですか。どんな情報が欲しいのですか。
いろずー さんの書き込みを読んで,残念ながらそれが全く伝わってきません。
「説明不足」以前の問題です。

説明不足で申し訳ない!

その後に「説明」らしきものが書いてあるけれど,ますます意味不明です。その前の N-H さん([79430])の指摘に全く答えていません。
さらに言うに事欠いて「テロ朝」とは何事か。ここは 2ちゃんねる でも ヤフコメ でもありません。この放送局をそのような名前で呼ぶなら,それに足るだけの十分な根拠を挙げてください。

そして本題。

[79429]
十番勝負のネタ

設問の前提条件が極めて不正確です。
N-H さんが指摘されているように,

NHKと朝日新聞社が主催する合唱コンクール

というものが存在しない以上,これは問題として成立していません。
問題を作成するときには,その前提となる事実確認はきちんとしなければなりません。答える側も当てずっぽうに言っているのではなくて,事実に基づいて考えているのです。
だから,いろずー さんの“十番勝負らしきもの”には誰も答えることができません。
もし,真面目な気持ちで「十番勝負のネタ」を提供したのであれば,きちんと事実確認をしたうえで,“本物の十番勝負”の「メダリスト」たちから細々としたツッコミが入れられることのないような,完璧な問題を作って提供してください。
[79418] 2011年 10月 1日(土)21:32:18【1】Issie さん
がっかり門
[79384] hmt さん
「日本三大がっかり名所」として列挙されていたのは、札幌時計台・はりまや橋・名古屋テレビ塔・京都タワー・守禮の門・長崎オランダ坂 でした。

週明けから3泊4日で沖縄へ行きます。残念ながらお仕事で。
最終日は定番の「首里・那覇班別自主行動」なのですが,時間が許せば首里城門前の広場で記念撮影をする予定。昔だったら,その「がっかり門」が撮影スポットだったんですけどね。
班別自主行動の間,私たちは“お客様たち”の様子をそれとなく見守るため,首里と那覇の町を手分けして歩き回ります。今回,残念なことに私は記念撮影の後,首里城内に入らずに那覇の町へ下りて国際通り辺りを回るグループに当てられてしまいました。
実は前回(6年前)にお仕事で行ったとき,是非,復元なった首里城を見に行こうと那覇のホテルでの打ち合わせ終了後速攻で首里に向かったのですが,時間切れで有料ゾーンへは入れず,残念な思いをしたのですが,今回もまた無理そう。
私にとって,首里城内への壁はかなり高いようで。

さて,その守礼門。
私が初めて沖縄を訪れたのは学生だった1981年の夏休みなのですが,その頃は城内がまだ琉球大学のキャンパスに使われていて,とりあえずお城の石垣の復元は進んでいたけれど後は住宅街の中に守礼門がポツンと建っているような雰囲気で,「がっかり」と言われるのもムベなるかな,というものではありました。
でもまあ,あの場所の歴史を考えればしかたないよなあ,と思わずにはいられません。
むしろ,戦争で灰燼に帰する前の戦前には旧王宮は一応“神社”にはされていたけれど荒れ放題だったそうで,だからその頃訪れた方がガッカリ度は高かったかもしれません。
門が再建されたのは1958年。奇しくも東京タワーと同じ年ですが,米軍統治下で高度経済成長の蚊帳の外にあった沖縄でこれを復元するのは多くの困難があったのではないかと推察します。とりあえず,これを復元できたことだけでも大きな成果であり,だから長年,首里城が復元されるまで沖縄のシンボルであり続けたのだろう。
そう思うと,やっぱり「がっかり」は酷だよな。

…でね,ほかの「ガッカリ地点」も多かれ少なかれそうなのではないかと思うのですよ。
[79395] 2011年 9月 27日(火)21:57:59Issie さん
岐阜駅は動く
[79386]
手許に市町村制施行後の1891(明治24)年当時の岐阜周辺の地図がありますが,岐阜駅を通過する東海道線の南側のラインが 岐阜市 と 上加納村 の境界になっています。

と書いたのですが,某所を見るとどうも岐阜駅はこの後1913(大正2)年にもう一度移転して現在位置に来たらしいということがわかりました。
そこで地図を見比べてみると,なるほど,1891年当時の東海道線は岐阜駅付近で現在よりもやや北に膨らんだ経路を通っていて,現在の名鉄岐阜駅(←新岐阜だと思っていたら,いつの間に…)あたりのラインを通っていたのですね。
その某所では,当初の「加納駅」が現在の名鉄岐阜駅付近にあって,1889(明治22)年に「西に移動した」とあり,それが1891年当時の岐阜駅なのですが,どうもこの時の移転はそれほど大きなものではなかったらしい。踏切をはさんで反対側に移動した京成高砂駅や京王調布駅程度のものでしょうか。
いずれにしろ,1891年当時の東海道線ラインは今よりも北の長住町の通りの南側にあったようで,長住町と問屋町の境辺りが当時の岐阜市と上加納村の境界に当たるようです。
1913年に岐阜駅がやや南の現在位置に移転することで岐阜旧市街から伸びる駅前市街地がさらに南に広がったことになるのですね。
そんなわけで,今の岐阜駅はますます“岐阜ではなくて本来は加納”と言える場所にあるわけです。


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