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inakanomozartさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[64676]2008年4月13日
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[63686]2008年2月9日
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[63682]2008年2月9日
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[61881]2007年10月13日
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[61504]2007年10月4日
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[61084]2007年9月7日
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[61046]2007年9月5日
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[61034]2007年9月4日
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[61023]2007年9月3日
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[61002]2007年9月2日
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[60942]2007年8月31日
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[60896]2007年8月29日
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[60893]2007年8月29日
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[60830]2007年8月27日
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[60801]2007年8月26日
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[59573]2007年7月1日
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[59499]2007年6月29日
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[59360]2007年6月23日
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[59345]2007年6月22日
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[59305]2007年6月21日
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[59260]2007年6月19日
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[59227]2007年6月18日
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[59210]2007年6月18日
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[59182]2007年6月16日
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[59176]2007年6月16日
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[59158]2007年6月16日
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[59052]2007年6月13日
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[59025]2007年6月12日
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[64676] 2008年 4月 13日(日)07:31:00inakanomozart さん
駿府の数字の付いた川
今川焼きさま
下記の川を「数字地形名」コレクションに取り上げていただけないでしょうか。

【十二双川(じゅうにそうがわ)】
駿府城北側の住宅地である安東地区を流れるいくつかの小川は、みな海と反対の北に向って流れていて、ちと不思議な感じがします。(北側の方が土地が低くなっているので当然なのですが)
そんな川のひとつが「十二双川」です。
この川は、現在では本当に小さな小川(おまけに一部は暗渠)という感じなのですが、その名前は地元ではつとに知られています。(県営住宅の名称に取り込まれていたりします。)
清水みなとにつながる巴川の支流にあたるこの川は、駿府城築城当時は川幅も広く、船を横に十二艘並べて、両岸から船を引っ張り築城に必要な石垣用の石や物資を運んだのがこの名称の由来だということです。
大正から昭和初めに行われた耕地整理などで、昔の面影はほとんど残っていないのですが、それでも駿府発展の原点ともいうべき川として重要な川と言えるでしょう。(参考:静岡市HP)

http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/oyasumi/12kawa/12sougawa.htm

http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E138.23.26.5N34.59.14.5&ZM=11
[63686] 2008年 2月 9日(土)20:02:45【1】inakanomozart さん
静岡市は雨です
[63676] 2008年 2月 9日(土) 12:03:42【2】  揖斐の山さん
今日は皆さんの所はどんな感じですか?
静岡市(市街地)では、やはり雨です。
NHKのニュースで「静岡」の字幕が出て雪の降る町の風景が放映されていましたが、多分静岡県のどこかの市(県東部の御殿場市のようです。)という意味なのでしょう。
でも、次に映し出された町の風景の字幕は「宇都宮」、都道府県名と都市名を区別せずに適当に使うのはどうも釈然としません。
[63682] 2008年 2月 9日(土)15:27:01inakanomozart さん
学校由来の町名(静岡市編)
静岡市内の学校由来と思われる町名です。

▽竜南(りゅうなん)一丁目、竜南二丁目、竜南三丁目
学校名:静岡市立竜南小学校
所在地:葵区竜南一丁目
経緯等
1964年4月、静岡市千代田に「静岡市立竜南小学校」新設。
(「竜南」は、龍爪山の南の意で、明確な地域区分ということではないが、付近一帯を表す言葉として使われることがあった。
1964年は辰年であったこともあり、学校名として採用された。)
1967年11月、土地改良事業により「千代田」のうち、学校所在地付近の町名を「竜南」に変更。
1972年11月、住居表示の実施に伴い、「竜南」を「竜南一~三丁目」に3町に分割。

▽豊田(とよだ)一丁目、豊田二丁目、豊田三丁目
学校名:静岡市立豊田中学校
所在地:駿河区豊田一丁目
経緯等
1947年4月、静岡市曲金(まがりかね)に「静岡市立西豊田中学校」開設。
(この地域は旧安倍郡豊田村であり、学校名の由来はあきらかに旧村名であるが、学校所在地付近のみを「豊田」と認識されることはなかった。)
1949年、東豊田中学を統合し「豊田中学校」と改称。
(その後再び分離するが校名は「豊田中学」のまま)
1974年11月、住居表示の実施に伴い、学校所在地付近の小黒六~八丁目及び曲金・小鹿・有東・大谷等の各一部を「豊田一~三丁目」の3町に再編し、豊田中学の所在地は「曲金」から「豊田一丁目」となった。

なお、清水区にある静岡県立清水西高等学校の西側の町名は「西高町(にしたかちょう)」と言うのですが、これは学校由来ではなく、かつての小字「西高畑」からとったもののようです。
清水西高校があるから、あえて昔の小字を採用したと言えないこともないでしょうが・・・
[62393] 2007年 11月 5日(月)08:20:00inakanomozart さん
東と西
[62350] 2007年 11月 2日(金) 10:51:44  稲生さん
移転前は、第一小学校を真ん中にして300m西が掛川西高校、300m東が掛川東高校と理想的な位置にありましたが、移転先は掛川駅の南を走る東名高速道の小笠PAの隣となりまして、どうしても方位を冠した名称にこだわるのならば「掛川南高校」とすべき位置にあります。
藤枝東高と藤枝西高の位置関係も、2000年に藤枝西高が城南二丁目に移転して同じような状況にありますね。
東と西の関係と言えば、かつての焼津市の東小学校と西小学校のねじれを解消するため、学区と校舎を交換するといった荒治療(?)を思い出します。
[61881] 2007年 10月 13日(土)16:57:32【1】inakanomozart さん
駿河の田舎者の感覚ですが
[61872] 2007年 10月 13日(土) 11:04:34  らるふさん
人は好みや信条がそれぞれ違います。生理的な感覚もそれぞれ違います。メッセージの受け取り方も違います。
それはそのとおりだと思います。
それだからこそあえて申しあげますが
[61851]のYSKさんあての関西方言での書き込みは、私にはとても不愉快に感じました。
関西方言での会話は、TVなどのお笑い番組では全国に普遍的に通じるものでしょうが、こういう掲示板上では関西人どうしならともかく、他地域の者にはそのニュアンスが必ずしも理解できず、とても断定的できつく感じ、読み手に反論の余地をいっさい与えないような感じさえします。
気の弱い私など、なにか「おめえのような異端者は決して許さねえぞ」と言われているようで、読んでいるだけでドキドキしてしまいます。
[61531] 2007年 10月 6日(土)19:19:19inakanomozart さん
きょう富士山が初冠雪
夏の間は静岡市からも富士山は見えづらいのですが、このところよく見える日が続いているようです。
10月4日の静岡市からの富士山

[61529] 2007 年 10 月 6 日 (土) 17:15:29   Issieさん
富士山に登る,というのは元々は山岳信仰に基づく宗教的行為だったのです。「合・勺」という表現が使われるのも,そうした山岳信仰とかかわりがあるのでしょうね。
NHK静岡の富士山を紹介するローカルニュースで「5号目」などと表記していました。
住居番号ではないんだからと言いたくなりますが、まあ、うっかりミスなのでしょう。
それにしても、山岳信仰とのかかわりなどが頭のかたすみにほんの少しでもあれば防げたミスなのかもしれません。
[61504] 2007年 10月 4日(木)07:19:24inakanomozart さん
何かよいこと・・・
[61434] 2007 年 10 月 1 日 (月) 02:09:26  般若堂そんぴんさん
本日から民営化.黒字経営の郵政公社を民営化して何か利用者にとってよいことがあるのかな?
某大臣によると、民営の銀行の従業員は不正をするものなど皆無であるが、旧地方事務官や市町村役場の窓口に座っているような末端の下級コームインは、不正ばかりする信用ならない不ていのヤカラばかりであるということです。
ということは、郵政民営化により少なくとも郵政公社からは不ていのヤカラのコームイン(本当は公社職員なのに、コームインと言うのがハヤリらしい)を一掃でき、めでたしめでたしということになるでしょう。
これがよいことでない訳ないですよね。
(それにしても、自分や直属の部下の管理能力の欠如を子会社の社員のせいにする民間会社の社長っているのかなあ・・・)
[61084] 2007年 9月 7日(金)22:46:47inakanomozart さん
千代崎三丁目
[61065] 2007 年 9 月 6 日 (木) 11:42:09 逆太郎さん
大阪市の変則街区符号ですが、他に西区千代崎3丁目の「北2」「中2」「南2」がありますね。
変則街区符号の情報ありがとうございます。
この例では、2番街区が3つの街区に物理的に分割されたため、このような街区符号になったということですね。
住居表示後にできた道路によって街区が分断されたりした場合などが同じようなケースになると思われますが、そのような場合でも街区符号をそのまま変更しない(つまり何も手をつけない)場合が一般的なような気もします。
街区が違うのに街区符号が同じということで、別の意味で変則にはなってしまいますが。
[61046] 2007年 9月 5日(水)06:00:00inakanomozart さん
ポスト郵政公社
[61036] 2007年 9月 4日(火)12:45:05【1】   N-Hさん
「ほめ殺し」でおっしゃっているのだと承りましたが、実際にはこの措置、サービスダウンにはなっていないはずです。
「ほめ殺し」だなんて・・・・、そんな高級なものではありません。(笑)
単なる皮肉のつもりだったのですが(あまり変わらない?)

早朝の1回の収集を廃止するのは、それを廃止しても結局のところ配達までのトータルな時間には何の影響もないからです。4便収集があったところは、1便に間に合っても間に合わなくて2便になっても、それから先の郵便物の動きは全くかわらないところまで効率化が進んだということで、それなら朝の1便を廃止したほうがよいだろう、という理屈です。
御教示ありがとうございます。なるほど、そういうことでしたか。
ポストには「都合により変更します。」といった簡単な告知が貼ってあっただけでしたから、善良な(?)一般市民には理解しがたいことでした。
そのため、私は少しでも早く着いた方がいいと思うときは、わざわざ1キロほど先の「中央局」まで足を運んでいたのでした。
(1便を廃止しても変わらないということですが、速達の場合はそうでもないような気もしますが、これも素人考えか?)

なお、定額小為替の問題は、一部では非常に困惑しているようです。
[61034] 2007年 9月 4日(火)08:00:00inakanomozart さん
郵便局のサービス展開
[61032] 2007 年 9 月 4 日 (火) 02:07:37   みかちゅうさん
過去には電電公社と国鉄が民営化されました。民営化すれば競争によってサービスが向上するというのは本当なのでしょうか。
民営化を見据えた措置で、本年度から近隣のポストの収集が1日4回から3回に減りました。
これは、常に時間を意識して、時間を守る大切さを教えてくれるありがたい措置です。
また、銀行の振込手数料等に比べて異常に低廉な定額小為替の手数料を10倍に値上して、コスト意識の重要さを教えてくれるようです。
これらは第一弾でしょうから、次にどんなサービスを展開してくれるのか非常に楽しみです。
[61023] 2007年 9月 3日(月)21:18:19inakanomozart さん
変則街区符号
[61016] 2007 年 9 月 3 日 (月) 02:30:56 ニジェガロージェッツさん
同じ大阪市の鶴見区の焼野1丁目、焼野2丁目、浜5丁目、諸口5丁目の街区番号の付け方は柔軟というより、奇怪です。
なるほど、一部の実施状況だけで大阪市全体の住居表示実施に対する傾向(実務的には区役所の仕事の範ちゅうだと思われますが)を判断するのは早計ですね。
鶴見区などの例は、小手先の方便で変則的街区符号を採用して、住居表示実施に伴う住民とのトラブルを回避した結果ともとれますね。(この鶴見区の例では、当局側で各町の大きさをどうしてもそろえたかったのでしょうか?)
ただ、住居表示の作業は、ある意味まっとうな旧町名にこだわるもののほか、街区符号に4番や42番はダメなどというものまで様々な住民の要望や苦情をクリアーしながら実施しなけらばならないので、行政当局にも同情すべき点が全くないとは言えないかもしれませんね。
[61002] 2007年 9月 2日(日)20:30:01inakanomozart さん
東府屋
[60987] 2007 年 9 月 2 日 (日) 15:14:23 伊豆之国さん
静岡県伊豆市に「東府屋」という旅館があります(泊まったことはありません)。私が父の故郷・西伊豆に行く際、下田から回ることが多いのですが、修善寺から入ることもありました。
そのときに街道沿いによく「東府屋」の看板が立っていました。この旅館名の由来について、初めは「豆腐屋」の当て字だろうと思っていたのですが、後になって旅行雑誌か何かを見ると、「徳川氏ゆかりの宿であり、『駿府の東』ということで名づけられた」と書いてありました。
私はたった一度ですがこの旅館に泊まったことがあります。
家康の側室で水戸光圀の祖母に当る“お万の方”は、家康としばしば伊豆吉奈(よしな)へ湯治に出かけ、そこで頼宣(紀州家)、頼房(水戸家)を身ごもったそうです。
吉奈の東府屋旅館は、府中(駿府)の東という意味で、今でも徳川家の家紋の印された長持ちや鍋がのこされていると聞き、静岡市ゆかりのお万の方に縁のあるこの旅館にぜひ泊まってみようということで、職場の旅行で泊まったのでした。
かなり昔のことなので、すっかり忘れていたのですが、伊豆之国さんのおかげでにわかに記憶がよみがえりました。
[60942] 2007年 8月 31日(金)20:30:39【1】inakanomozart さん
背割りの住居表示
[60910] 2007 年 8 月 30 日 (木) 02:01:09 ニジェガロージェッツさん
東横堀川の東(糸屋町、内本町、両替町など)では2筋ごとの丁目割で2丁目まで、東横堀川の西(道修町、平野町など)では1,3,4,5丁目は2筋ごとに、2丁目のみ3筋で丁目割が為されていました。なお、東横堀川は中央大通り(町名で言えば「船場中央」、但し昭和13年の地図では中央大通り開通前で「船場中央」という町名は存在せず)以南では1筋分東にずれており、唐物町より南の各町では1丁目が3筋分の長さになっています。

東横堀川を挟んだ地域の丁目割の現状と過去のそれとの対比について的確な情報ありがとうございます。
なかなか興味深いものがあります。
実は、この地域の住居表示実施状況は、一般の住居表示地区とは大きく異なる点があり、以前からこの地域について興味の目を向けていました。
というのは、町の境界が道路・鉄道・河川・水路などの恒久的施設等によって区切られているのではなく、昔ながら背割り式の町割りのまま住居表示されているからです。
もちろん、背割りの部分(例えば道修町と平野町の間)には、かつては「背割溝」があったであろうし、現在もそれが残っていたり、あるいはその名残のようなものがあるため、比較的町の境界を設定するのに困難がなかったせいなのかもしれません。
しかし、そのような状況下にあっても、大阪市以外の場合は、例外的に町境にしている例が散見される程度で、この地域のように全面的に採用されているのは、大変特異な例だと思われます。
そのほか街区符号の“渡辺”(久太郎町四丁目)とか“A・B・C”(上町)など、原則に必ずしもとらわれない大阪市の住居表示制度に対する柔軟な対応には、感心させられます。
[60896] 2007年 8月 29日(水)09:34:04【1】inakanomozart さん
番町ものがたり
[60853] 2007 年 8 月 28 日 (火) 00:43:54  ペーロケさん
「東二番丁」は[6024]YSKさんによると
ちなみに、この東○番丁というのは、第一義は、街路の名前で、現在の一番町通りが「東一番丁」で、そこから東に「東二番丁」、「東三番丁」、・・・と割り出されたものです。
とあり、最近話題の距離由来っぽいなと思いつつ、一番町通りと平行ではありませんね。単に「東にある二本目の大きな通り」という意味なのかな~?と勝手に推測しております。
[60857] 2007 年 8 月 28 日 (火) 02:33:50  ペーロケさん
2~5番丁はおよそ120mでほぼ等間隔に並んでいますね。ということは、やはり距離由来なのかな。

城下町によくある「○番町又は○番丁」の『番』は、序数の一番、二番・・・の番ではなく、「番=番方→武家」の意味だと思われます。
したがって、一番目、二番目・・・の通り(物理的にはそのとおりの形態だが)の意味で、「○番+町」としたというより、「番方(武士)の町→番町」に一、二・・・を付けたと考える方が自然だと思われます。

城下町における武家地は、一般的には町名が付けられていなかったようですが、多くの旗本や中級武士の屋敷が並んだ地域では何らかの区別が必要で、このような町名が付けられたものだったのではないでしょうか?
なお、固有名詞であるので「2~5番丁」という表記よりも、「ニ~五番丁」の表記の方が適当だと思われます。
[60893] 2007年 8月 29日(水)08:27:00inakanomozart さん
江戸の本町
[60843] 2007 年 8 月 27 日 (月) 22:26:59【1】 Issieさん
現在の「日本橋本町」は江戸橋から北へ昭和通りに沿いに四丁目まで,「日本橋本石町」は呉服橋から外堀通りの東側に四丁目まで となっているのですが,つまり江戸時代の町とは通りの向きが違うのですね。

「本町」は、家康が江戸入りして町割りをはじめたとき、まず最初に手をつけた地のようですね。
まさしく本町であったわけで、本当の江戸っ子とは本町生まれの者だけだとする説もあるようです。
江戸期では日光街道である本町三丁目、本町四丁目、大伝馬町一丁目と続くこの道は、今では小伝馬町の通りの裏道のような感じですが、薬問屋などがならぶ大変賑やかな町だったようですね。
今でも塩野義製薬など製薬関係の事業所が多いのはその名残なのでしょう。

「本町」が東西の通り沿いの町名から南北の向きの町名に変更されたのは昭和の始めのようで、多分関東大震災後の区画整理等で大幅に町名が変更された結果だったのでしょう。
旧日本橋区は、昔の町名が比較的残っている地域なのですが、それでも昭和の始めに大幅に整理統合されてしまった結果が残っているにすぎないのですね。
震災が奪ったものは、生命や物理的な財産ばかりではなかったというのは言いすぎでしょうか?
[60830] 2007年 8月 27日(月)08:00:00【1】inakanomozart さん
三丁目の角から
[60826] 2007 年 8 月 27 日 (月) 02:51:31 ニジェガロージェッツさん
道を尋ねられた場合の会話にも、「2丁先の角を北へ1丁上がって・・・」という言い方が、言う方も聴く方も何の違和感もなく理解しています。
こういう言い方は、かつてはあちこちの町々で聞かれたような気がします。
実際にはそんなに頻繁に聞いた記憶があるわけでもないのに、なぜか妙になつかしいという感じがします。
こういう言い方が生きている町が実際にあると知ってうれしくなってしまいました。
現在の住居表示制度では、ひとつの町が4~5丁四方の大ブロックとなってしまって、距離の「丁」とのギャップが大きすぎて、こういう言い方も大半の町で廃れてしまったような気がします。(もちろんメートル法の普及のせいもあるでしょうが・・・)

例えば大阪の谷町。現在の大阪市中央区谷町は新住居表示がなされていますが、新住居表示前とその町域はあまり変わりなく、丁目数も同じです。その長さ約2.6kmに9丁目ですから、1丁目平均289mになります。
谷町だけが例外と言うわけではなく、大阪の場合は新住居表示実施前の地図を見ると1丁目平均がだいたい200m前後のところが多いように感じます。
関西方面の地名については疎いのですが、
大阪城下の町名の付け方は、基本的に城から東西に伸びる通り沿いに付けられていて、南北の通りはいわゆる横丁で、基本的に町名はつけられていなかったようです。(南北の通りを「筋」というのは、このためだとか・・・)
したがって、谷町○丁目などは、明治以降に付けられた町名ということはないのでしょうか?

また、大阪城の西に広がる東西の道沿いにつけられた町(道修町、平屋町など)も、現在の地図でみるかぎり、たしかに丁目区分は、3筋目ごとで250mほどになっていますね。
江戸期では、この地域の丁目区分は、原則として2筋目ごとの170mほどになっていたようです。
これは、一つの街区の間口が60間でなく40間になっているため、距離の1丁と合わず、2つの街区ごとの丁目となっていたのではないでしょうか?
たしかに距離の1丁からすると1.5倍ほどになっていますが、分かりやすく筋から筋までを丁目区分とするということからすると、許容範囲になるのではと勝手に納得しています。(笑)
でも、もっとたしかな丁目区分の根拠があるのかもしれませんね。
[60801] 2007年 8月 26日(日)10:00:00【1】inakanomozart さん
駿府の「○丁目」
[60790] 2007 年 8 月 25 日 (土) 23:11:55  ニジェガロージェッツさん
「丁目」とは元来、距離を示す単位?

私の場合は、地元のかつての駿府の町名の付け方からして、それは自明のことだと思っていました。
したがって、現在の住居表示制度による「○丁目」は、本来の○丁目の意味から大きくはずれ、
(施行当初の住居表示実施要領では、ひとつの町(○○町○丁目)の大きさは、面積はもちろん標準世帯数まで明示され、一般市民が住所を頼りに家を捜しあてる容易さよりも、あきらかに行政当局による管理のしやすさを優先した区分だと思われる。)
「A町一丁目、A町二丁目・・・・」というより「第一A町、第二A町・・・・」とでもすべきだとさえ思っていました。

駿府にかぎらず、江戸時代の人為的に町割れされた城下町の多くは、「字」のようなブロック単位の町ではなく、欧米の都市の住所表示方のごとく、通りに町名がつけられ、丁目は文字どおり一丁ごとだったのではないでしょうか?

駿府を例にとると、駿府城の南西面に碁盤の目状につくられた町は、正確に一丁四方(約110メートル四方)の街区でした。
駿府は96カ町と言われているのですが、
町名の付け方は、通りの辻から辻までの通り沿い両側一丁ごとに、「○○町○丁目」又は「○○町(丁目なしの町で、以下仮に「単独町」とします。)」と付けられていました。
(丁目の起点は、城と平行な通りは城から見て右手から、直角な通りは城に近い方から一丁目、二丁目・・・、したがって現在の静岡駅から言うと遠い方から一丁目となる。)
したがって、例えば、三丁目といえば一丁目の角から、「三丁め」までの距離(約220m~330mの間)で、現在の住居表示制度より、よほど分かりやすいものでした。
(駿府の「○丁目」は「町」の下位区分ではなく、96カ町というのは丁目の付く町も1町と数え、「単独町」と「○○町○丁目」は同等に町年寄を選出し、駿府の行政に参加していた。)

この町名の付け方は、戦前まで残されていたのですが、1940(S15)年の静岡大火で中心部のほとんどが焼失したあとの道路の新設や拡幅に伴い、残念ながら、行政上の管理しやすさを優先させたためか、かなり大幅に町名が整理・統合されてしまいました。(町名変更の施行は1945年)
(昔の町名や、その付し方を残す方法もあったと思われますが、当時の困難な社会情勢では町名の保存などに関心をいだく人もほとんどなかったのでしょう。)

すなわち
1 丁目の多い町は、一、二丁目に統合再編
  (例:呉服町や両替町など「一~六丁目」を「一丁目、二丁目」に再編。現在でも「呉六商店街」などの呼称にその片鱗を見ることができます。)

2 2~3丁の町は、単独町と統合のうえ丁目を削除
  (例:七間町一~三丁目、札の辻町ほかを統合して「七間町」とする。)
  
3 道路が大幅に拡幅された「下石町(しもごくちょう)一~三丁目」などは、他の単独町と統合のうえ、ブロック式の常磐町一~三丁目を新設
  (この時代においては、町名の付け方についても中央政府の意向が強く反映されていると思われますが(今でも?)、この町名の新設の仕方は、現在の住居表示制度につながる町名・町割り区分の考え方の芽生えが見られるように感じます。)

それでも、いまのところ住居表示の実施をまぬがれている中心市街地では、呉服町・上石町(かみごくちょう)・七間町など、通り沿いに町名を付ける(したがって町境は背割り)という基本はある程度残っています。
この地域が住居表示の実施で、それこそ「中央○丁目」などとブロック式のあじけない町名に変えられないことを願っています。

また、○丁目が一丁ごとの区分となっている例は、ほとんどの町名が変えられてしまっている東京の銀座(江戸時代の町名は「新両替町」)などでも、その名残を見ることができます。
かつて銀座は中央通り沿いの4丁だったのですが、現在の一丁目から四丁目(中央通りの裏側の町々をのみ込んではいますが)の丁目境は、一丁ごとのほぼ昔のままです。

以前の私の投稿と重複する部分もあり、また「丁目」の話題から少々脱線気味になってしまいました。(請御容赦)
[59573] 2007年 7月 1日(日)20:47:55inakanomozart さん
380万人のざんげ
[59562] 2007 年 7 月 1 日 (日) 12:58:51  みやこ♂さん
富士山を眺めるのに、静岡県が表側で山梨県が裏側と、誰が決めたのでしょう?
無意識とは存じますが、ちょっと不用意ですよ。
そのシルエットの印象の違いから、表富士・裏富士という言い方はかなり昔からあると思われます。
静岡県内では、県のHPでも表富士という言い方が使われていますし、県民も普通に使っていると思われます。
また、山梨県側の立場で「裏富士は美しい」と言った表現のHPも容易にみつかります。

表富士・裏富士という言葉自体に、表側の優位性を込めることはほとんどなく、単に南側から見た富士山、北側から見た富士山と言った程度のことだと思われます。
もし、表富士という言い方がけしからんということですと静岡県民総ざんげしないといけないのでしょうか?

富士山に関する静岡県のHP
[59499] 2007年 6月 29日(金)00:17:56inakanomozart さん
藤枝市と岡部町の合併
[59491] 2007 年 6 月 28 日 (木) 21:58:03  揖斐の山さん
市議会のページで6月定例会に於いて、議案の所に藤枝市・岡部町合併協設置についてとあるが、これは議案が通過したと見て良いのであろうか
昨日夕の静岡県内向けローカルニュースによると、藤枝市議会6月定例会は最終日の28日、岡部町との法定合併協議会設置案を賛成多数で可決したということです。(岡部町議会は18日に可決済み)
なお、合併の方式は編入合併、合併の期日は09年1月1日とすることで合意しているということです。
[59360] 2007年 6月 23日(土)09:00:00inakanomozart さん
地目変更など雑感
[59349] 2007 年 6 月 22 日 (金) 21:55:57  リトルさん
地目変更は、「道路敷寄付」「農地指定」などへの関連でも無い限りは、それほどひっ迫感がないので、
現場レベルでは、手数料を嫌って、「分筆のついでに地目も直して」と手続きの押し付け合いです。
ですからEMMさんの言われる様な、放ったらかしによる現実とのかい離は、色々あり興味深いです。
なぜ、法務局では現況との違いを放置しておくのかいつも疑問に思っています。
多分、地目が現況と違っていようが、単に登記事務を所掌する立場では何も困ることがないし、あまりにも当り前にありすぎてしまって、収拾がつかないからなのでしょうね。
(地目には関係ないことですが、「住基法違反」を事実上容認(詳細自粛)していたりするのもなんだかなぁ・・・)

一方、市町村(特別区は都)の立場では、固定資産税を賦課するうえで、現況の土地の利用状況の把握は不可欠な事項なので、自ら調査し、必死に実態把握に努めていると思われます。
田と畑の違い(田・畑輪換の土地は、固定資産税の課税上の評価では「田」と認定するようです。)などでは、大きな評価の違いはないでしょうが、農地転用の手続きをとらずに評価水準が全く異なる現況宅地(駐車場など)にしてしまっている土地などもめずらしくないようですから・・・
(最近、未登記家屋の固定資産税を支払っていない某議員が話題になりましたが、建築確認を受けず、登記もしていない家屋などゴマンとあるので、むしろ賦課する側の技術上の稚拙さが問題だとも言えるでしょう。新聞などは法の建前からしか批判しませんが・・・)

まあ、世の中なんでもシワ寄せは、建前と本音をどのあたりで使い分けるのか判断できない一般庶民にツケが来ている気がしないでもないです。
[59345] 2007年 6月 22日(金)20:30:01inakanomozart さん
神奈川でもスルガ
[59308] 2007年 6月 21日(木)09:31:38   YASUさん
ただ「スルガ銀行」の本店が沼津にある限り、大丈夫でしょうね。

[59310] 2007年 6月 21日(木)10:58:19   稲生さん
この銀行、なぜ漢字表記からカタカナ表記に変えたのでしょうか?
神奈川県にかなりのウエートを置いている関係から、「駿河」隠しなのかもしれません

「駿河銀行」から「スルガ銀行」に表記を変えたのが90年ごろで、最近法人名そのものも変更したようですね。
90年当時の報道では、「駿河」を読めない人が増えたからということでした。
たしかにそういう傾向があることは否定できないとは思いますが、それは表向きの理由で、私も神奈川対策なのかなと思っていました。
また、略称としての表記において、「駿河」では銀行ということが明確ではないのですが、「スルガ」なら銀行のことだと分かってもらえるということもあるのでしょう。
[59305] 2007年 6月 21日(木)06:33:33【2】inakanomozart さん
東静地区
[59276] 2007 年 6 月 19 日 (火) 22:20:13  YSKさん
都道府県名の一部をとった地域呼称というのはほとんど見られないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
静岡県の沼津・三島地域を中心にした地域を表す言葉として「東静(とうせい)地区」が使われることがあります。
(つい最近まで「国立東静病院」という名称の病院もありました。)
この「東静」は、もちろん静岡市の東という意味ではなく、静岡県の東部という意味でしょう。

「東静地区」が使われるのは、「西部の浜松市」「中部の静岡市」のように、その地域に圧倒的な影響力を持つ中心都市としては「沼津」がやや力不足であること。沼津・三島は、駿河・伊豆にまたがった地域なので、東駿河とか北伊豆といった言い方もできないといった理由なのではないかと思われます。

行政上や行政にかかわる事項(東静地区○○委員会のごとく)で使われることが多く、日常生活ではそれほど頻繁に使われてはいないのかもしれません。
東部・中部・西部に地域が分かれている静岡県では、東部のことはそれこそ地元ではないので、日常生活の浸透度は実感としては残念ながら分からないのですが・・・・

[59296] 2007 年 6 月 20 日 (水) 22:08:04  オーナーグリグリさん
静岡県では伊豆は文句なしだけど、駿府や遠江は使わないなぁとのこと。
「遠江」は、言葉としてやや言いにくいせいか、たしかにあまり使われないと思いますが、それに代わる「遠州」はかなり使われていると思われます。
ただ、現在一般に使われている「遠州」は、県西部(大井川西地域の榛原地区など含めない)と同じ範囲を指して使われることが多いように思われます。(遠州代表都市の方の実感をお聞きしたいところです。)
その昔、私の父は用事で静岡市から榛原郡吉田町へ行くことを「遠州へ行く」と言っていましたが、個人的にはちょっと違和感がありました。

「駿府」というのは、「駿河」のことをおっしゃっているのだと思いますが、最近は「駿河」を「静岡市駿河区」又は「駿河区役所」を指す人(狭い範囲の人か?(笑))が出現しているようです。

余談ながら、駿府といえば、最近「新宿新南口~新静岡(静岡鉄道)」のバス路線が開設されました。
この愛称が「駿府ライナー」、静岡市民はともかく、東京地区の人は「駿府」を読めるのかなんて思ったりしています。
(そもそも「駿府ってどこか?」なんて言う人も多いのかも・・・)
[59260] 2007年 6月 19日(火)07:41:43【1】inakanomozart さん
駿府には城がねぇぜ
やはり地方都市では、セレブな層は限られているので、シロガネーゼに対応する言葉はなかなかないようです。
ところで、シロガネーゼの元になっている地名は「白金」「白金台」だと思うのですが、どちらも「シロカネ」「シロカネダイ」で、「シロガネ」ではないですよね。
なにか誤読を助長しているような気がしてならないのですが・・・・

[59228] 2007年 6月 18日(月)20:27:00  淡水魚さん
我が家周辺のオババ様達も「黄色い」を「きーない」と言ってます。
駿府の在の衆だけでなく、やはり大井川のあたりまで使われているのですね!
飲み屋でフツーに「ハスのフライ」「ハスの天ぷら」通じます。好物です。
たしかに、みんな「ハスの○○」って言ってますね。
静岡あたりだと、「レンコンのてんぷら」と言うと、根っこのままのものがど~んと出てきそうな気もします。(笑)
(もしかして「ハス(レンコン)のフライ」は、「黒はんぺんのフライ」とともに静岡独特かな?)

[59244] 2007年 6月 18日(月) 23:59:56  稲生さん
浜松市のイメージカラーも、すでに・・・
私も浜松市のHPを見たとき気がつきました。
いつのまにかこっそり決めてしまったのかなんて思いました。(笑)
やはり7色のレインボーカラーでしょうか?
多少色合いは違うようですが・・・
[59227] 2007年 6月 18日(月)19:06:00【1】inakanomozart さん
イメージカラー(静岡市・行政区編)
[59217] 2007年 6月 18日(月) 10:44:03  きまぐれさん
色が話題になっていますが、市の色、県の色、国の色(単色)とか、かなりあると思うのですが
静岡市では、昨年、各行政区のイメージカラーとロゴを制定しました。
これは、毎年各区で実施している「区の魅力づくり事業」の一環で、昨年度は3区共同で「区のメージカラー」と「区のロゴ」を制定して、各区の特色や魅力を発信し、区の存在をアピールしようというものです。
イメージカラーは次のとおりです。(市民の投票を参考に選考委員会で決定された。)
葵区:葵区グリーン(DIC 214)
駿河区:駿河区レッド(DIC 2482)
清水区:清水区ブルー(DIC 69)
3区のイメージカラーとロゴ
制定の経緯等(PDF)
[59210] 2007年 6月 18日(月)06:28:00【1】inakanomozart さん
ハスとレンコン
[59209] 油天神山さん
私は「ハス」は植物の名称であって食べ物の名前じゃないだろう、と思っていたのですが、大阪市のど真ん中で生まれ育った妻が「ハスの天ぷら」と言うのを聞いてちょっと驚いたのです。これは地域的なものか、それとももっと個人的な、ぶっちゃけて言えば「誤用」か、どっちだろう。
私は、「ハスのてんぷら」といった言い方を普通に使っています。
たしかに「ハス」というのは、本来植物名かもしれませんが、私の主観的イメージでは「レンコン」というと、田んぼから採ったばかりの泥のついたような状態を連想してしまいます。

私の周囲では調理されたものについては、「ハス」が一般的に使われていると思われます。(「レンコン」が使われないということではありません。)
静岡市内のデパートなどの惣菜売り場では「ハスのてんぷら」とか「酢バス」という表示が見られます。

そのほか、花は「ハスの花」です。(レンゲはレンゲソウの意味で使ってしまう。)

「ぶっちゃけて言えば」というのは、「早いはなしが」あるいは「開き直って言えば」といった意味なのでしょうか?(関係ないはなしでごめんなさい。ニュアンスがいまひとつ理解できないので)
[59182] 2007年 6月 16日(土)21:10:18【1】inakanomozart さん
「きない」「きぃない」 と 「くろがね」
[59157] 2007年 6月 16日(土) 13:32:54  EMMさん
「ほー言えばじーさんばーさんな『黄い(きない)』ちゅう風に言うとったざ。親の年代でも時々言うとるはずやぞいね」と思い出してしまいました。
静岡弁(静岡市を中心にした静岡県の中部で話される言葉)で「黄色い」を「きぃない」と言います。
主に年配者を中心に使われていて、若い世代ではほとんど使われていないと思います。
今まで、「きいろい」がなまって「きぃない」になったのかと思っていましたが、金沢弁で「きない」ということなので、違いは「き」が長音化しただけで、同じような言い方かもしれないとふと思ったりしました。

[59181] 2007年 6月 16日(土)20:46:06  Issieさん
横浜市には,「黄金町」(中区),「白金町」(南区),「鉄(くろがね)町」(青葉区)がそろっているのでした。
静岡市にも「くろがね町」があります。
字は、読みをそのまま漢字にした「黒金町」で、所在地はJR静岡駅を中心にした地域でほとんどが官有無番地です。
1945年にいくつかの町の各一部を合わせて「黒金町」に変更されたのですが、多分これは「鉄道」からの連想により名付けられたものだと思われます。
[59176] 2007年 6月 16日(土)19:37:01【1】inakanomozart さん
「番地」と「住居番号」
[59162] 2007年 6月 16日(土) 14:40:10  k-aceさん
私も番地と番の違いに関しては、無知でした。そういえば、我が家の住所も、公文書でも「番地」のものと「番」のものの2種類がなぜか混在しています…。これは一体???
住居表示地区にもかかわらず、公文書などが「番地」であるもので、一般的に目に触れる機会が多いものとしては次のふたつが考えられます。(ほかにもあるかも知れませんが、とりあえず思いついたものをあげます。)

1 戸籍の本籍表示
本籍は、住居表示が実施されても番地のまま(例:○○町××番地)です。
(町名が変更になった場合は、原則として町名部分のみ変更となる。)
ただし、婚姻届・分籍届などにより新たに戸籍を作る場合は、従来の「番地」のほか、住居表示の街区符号(○号を除いた部分、例:○○町××番)で設定することもできます。
(街区符号による本籍では、同じ本籍の人がたくさんできる可能性があるので、個人的にはあまり好きではありません。また従来からの戸籍でも「転籍届」により、街区符号に変更することは可能です。)

2 固定資産税納税通知書に記載の土地・家屋の所在地
土地・家屋の所在地は、住居表示されてもハウス番号である住居表示では、その場所を特定できないため、登記簿では従来どおりの土地の番号(いわゆる番地)が用いられます。したがって固定資産税の賦課もこれに基づいて行われます。

つまり、住居表示地区では管理が二重管理のようになってしまっています。←やや批判的なスタンス(笑)
また、住居表示地区でも空き地など建物のないところでは、当然ながら住居番号が割り振られないため、土地の番号(番地)で表すしか方法がありません。(建設中のマンション等の広告などで、住居表示地区にもかかわらず住居番号が記載されず、「○○町○丁目○○番地」などと土地の番号のみ表示されるのはそのためです。)
[59158] 2007年 6月 16日(土)13:35:14inakanomozart さん
街区符号
[59154] 2007 年 6 月 16 日 (土) 12:08:41  k-aceさん
光都○丁目までは跨っていることは知っておりましたが、番地単位まで跨っているとは…。
ひとつの番地が複数の自治体にまたがっていることは考えにくいので、番地ではなく、「街区符号」ではないでしょうか。
したがって正確には、「1番地」ではなく「1番」では?
[59052] 2007年 6月 13日(水)01:00:01【1】inakanomozart さん
甲斐と駿河
[59029] 2007 年 6 月 12 日 (火) 11:49:27  稲生さん
どうやら南アルプス市・アレルギーにかかってしまったようですね。
自分では、しかと認識していなかったのですが、そうかも知れません。(笑)
「富士山も南アルプスも静岡県のものだ」というような、身びいきな考え方が身についているのもあるのかも知れませんね。

国道52号を南アルプス街道と呼んでいきましょう、といった事態にならないともかぎりません。
やっぱり、「南アルプス表街道」を・・・(笑)

それから、国道52号の南進時の行き先表示の「興津駅↑」の件
inakanomozartさんの孤軍奮闘の感がしていますが・・・・・
奮闘しているつもりはないのですが、甲州と駿河は、清水に昔から山梨県の県有地があることからも分かるように、かなり交流が盛んな地域であり、山梨県側の少なくとも静岡県側に近い人々には駿河の地名はある程度知られているのではないかという思いがあったからかもしれません。
それと、仮に“沼津”とした場合の違和感は、静岡県民は、県内を東・中・西部の3地域に分けて考えることが多く、その3地域の代表都市がそれぞれ「沼津市」「静岡市」「浜松市」であることから、「県中部方面なのに“沼津”とは?」と言う感じなのかも知れません。
[59025] 2007年 6月 12日(火)07:00:00inakanomozart さん
南アルプスの方向
[58969] 2007 年 6 月 10 日 (日) 15:32:48  淡水魚さん
南アルプス街道
単に南アルプスの方向を静岡市民に尋ねれば、ほとんどの人は「旧井川村」の方向を指差すような気がします。
でも、最初に名乗った方が勝ちですね。(井川街道を「南アルプス表街道」とでもしましょうか〔笑〕)
それと52号線のことを、最近はそうでもないのですが、静清地区の人は甲州街道と言っていた人が多かったと思います。
ほかに富士川街道(ふじかわかいどう)という言い方もあるようですが・・・(共通地名語では「ふじがわかいどう」か?)
南アルプス表玄関井川

海に近くなってからは、「興津駅」も出てきました。私としては、どの標記でも「あっちに向かえば帰り道」てな感じです。
「興津駅」はともかく、「興津川」は毎年5月には“ある淡水魚”の解禁が全国ニュースで報道されることも多いので、けっこう知られていると思うのですが・・・・

うちのオジさん(まもなく定年の消防吏員)に訊いてみたところ、元の場所で救助科をやったのでした。その頃は周辺は田んぼや沼で、泥だらけになって走り回り這いずり回ったそうです。
そうでしたか。
駿府城の北側は、川(暗渠になってしまっているところが多いが)が海と反対の北へ流れていることからも分かるように、北へ行くほど土地が低く、あのあたりはちょっとした雨でも浸水する地帯でした。
74年(S49)の七夕豪雨でも大きな被害を受けました。

静岡県立金谷高校の生徒が、修学旅行の宿泊先で「金谷(高低低)」と発音されて、違和感を感じたそうです。お宿の人は千葉県の金谷はご存知でも静岡の金谷は知らなかったのでしょうか?
テレビの紀行番組などで大井川鉄道がときどき紹介されますが、在京局の大抵のリポーターが「金谷(高低低)から出ている大井川鉄道のSL・・・」とか言ってますね。
やはり「高低低」では、「金谷」らしくないですね!
「新金谷」のときは、そのアクセントでいいのですがね(笑)

そういえば、最近はおやつの時間はなくなったのでしょうか?
おやつと言えば、昨日デパート地階をのぞいたところ、岡山のお菓子屋が出店していて、苺大福ならぬ『白桃クリーム大福』というのを売っていてびっくりしました。(岡山ではポピュラーなのでしょうか?)


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