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こおりさんの記事が4件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[24362]2004年2月1日
こおり
[23429]2004年1月5日
こおり
[23245]2003年12月31日
こおり
[23235]2003年12月31日
こおり

[24362] 2004年 2月 1日(日)17:51:00こおり さん
伊達7町の新市名について
皆さんお久しぶりです。
伊達7町合併協議会の公式Webページの更新が遅いなあと感じてますが、なにか事情でもあるんでしょうか…

[24285]ペナルティキックさん
[24326]月の輪熊さん
新市名候補として、私も歴史的重みがあるという理由で「伊達市」が最も相応しいと考えてますので
沖縄県の「宮古市」がどうなるか注目しているところです。新市名公募~検討期間中に
沖縄県宮古市で本決まりということにでもなれば、かなりの好材料になることは間違いないと思います。
「○○福島市」という案は、福島市のベッドタウンである伊達郡の実情を如実に表しているのですが、
福島市と市街が連続している伊達町ですら福島市から合併を断られたという経緯があるので、
個人的にちょっと抵抗感があるような…遠い将来には福島市に合併となるんでしょうけど。
「阿武隈市」は阿武隈川・阿武隈急行の他に市域の東南部が阿武隈高地にかかってますし、
上記のような懸念材料が現時点で見当たらないので、むしろ好ましいかもしれませんね。
意外性はありませんが、同市名回避の従来の手法として旧国名を冠した「岩代伊達市」というのもありかもしれませんが、
いずれにせよ安易なひらがな市名は避けてほしいところです。


話は変わりますが、警察署の管轄についての話題がありましたが、
消防署の管轄区分でも入り乱れてる地域はあるんでしょうか?
伊達郡は「伊達地方消防組合」の管轄下にあり、伊達7町は中央署・西分署・北分署・東分署の、
福島市に合併を申し入れている飯野町と検討中の川俣町が南分署の管轄ということで、
合併した場合どういう扱いになるのかなとふと思いました。
南分署管内が、伊達地方消防組合から福島市消防本部にそっくり移管すれば丸く収まりそうではありますが。
[23429] 2004年 1月 5日(月)20:56:42こおり さん
郡家、郡衙に由来する地名
[23370]軒下提灯さん
伊達崎(だんざき)は河村瑞賢によって開かれた東回り航路(の一部?)阿武隈川の河岸があったところです。
(地域名としての)伊達+「崎」かと思い込んでいたのですが、確認はしていません。
その阿武隈川ですが、大正年間に本格的に築堤されるまでは大雨で氾濫しては流路が変わってたそうで
桑折(左岸)・保原(右岸)や国見(左岸)・梁川(右岸)の境界線との微妙に不一致なところにその名残が見られます。
「桑の木が折れるほど~」というのは初耳ですが、季節によっては半田おろしと呼ばれる強い西風が吹きます。
現在は河岸段丘の地形や盆地の気候を活かした果樹栽培が盛んな地域になってますが、
その昔は養蚕が盛んだったので、そこから「桑」の字が当てられたのは間違いないようです。
町内にも桑島という地名が残ってます。

[23299][23362]KMKZさん[23350]みかちゅうさんなど
郡家、郡衙から派生した(それがあったと推定される)地名は各地にありそうですね。

[23338]ペナルティキックさん
現地調査というか、桑折町史が纏められてるので、地元民としては一度読破しておきたいと思ってますが…
というか欲しい!

[23318]Issieさん
磐前県が旧福島県・若松県と合併する際、そのまま合併すると新福島県の人口が多くなりすぎるので
刈田・伊具・亘理郡が宮城県に移管されたと聞いたことがありますが、真相は如何に。
[23245] 2003年 12月 31日(水)16:19:55こおり さん
[23235]伊達郡役所の補足
[23236]ペナルティキックさん
残念ながらそのページの管理人ではありませんが、
同じ資料(駅展示室)を基に書いてらっしゃるようなので同じような表現になってますね。

[23235]の補足になりますが、桑折に郡役所が移転した理由について
文献では誘致運動が最も熱心だったぐらいしか見つけられなかったのですが、
江戸時代隆盛を極めた半田銀山があり、
街を縦貫する奥州街道から七ヶ宿街道(羽州街道)が分岐する要衝の地で
幕府の直轄地となり代官所が置かれたことや、
「こおり」という地名がこの地に伊達郡の郡衙があったことが由来するように、
古来より郡の中心的存在だったことも多少は影響したかもしれません。
現在ではサッパリですが、市町村コードで桑折町が伊達郡の先頭に割り当てられてる(7301)ことが
往時を偲ばせています。


それでは良いお年を。
[23235] 2003年 12月 31日(水)12:34:33こおり さん
伊達郡役所
桑折町に伊達郡役所が置かれたのはなぜという[23206]軒下提灯さんの疑問ですが、

明治12年郡区改正によって保原・桑折・川俣の3区会所が合併し、
当初伊達郡役所は保原の旧棚倉藩の陣屋に置かれました。
しかし手狭になったことから新しい郡役所を建設することになったのですが、
保原が建設費の地元負担に難色を示したため、各地で誘致運動が盛んになり
「桑折が最も熱心だった」のが桑折移転の理由だそうです。
明治16年4月に桑折に移転した直後は庁舎がなかったので
民家などを借り受け執務を行ない、5月から新築工事が始まり
10月には総2階擬洋風建屋上に塔屋をもつ新郡役所が竣工しました。
現在では国指定文化財に指定され、半田山とともに桑折町のシンボルとなっています。

以上広報こおり2003年4月号・桑折駅展示室の資料より一部編集。


[23211]ペナルティキックさんも何か気がついたことがありましたら、補足お願いします。


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