>今でも賛否評論が別れていて、やっぱり牛久と合併とたかったとか、今のままでよかったと
>かありますが、元々国の指導(学園都市行政一体化の為)の為半ば強制合併させられた感があ
>ります。合併すれば終わりではなく、これからが色々と問題が抱えています。分かっている
>と思いますが、中心部から遠いこと地域差別(格差?)や牛久との連帯などがあります。
茨城新聞や常陽新聞に茨城県の市町村合併に関する詳細な解説記事が相当数掲載されていますので,ここでは詳しいことは省きますが,牛久市はまずは阿見町や稲敷郡の市町村と合併した上で,土浦・つくば中核市構想への参加を模索することになるのではと思われます。
また新つくば市の面積は300平方キロメートルそこそこであり,今後大型市町村合併が進むであろうことを考えれば,特に広い面積を有する市と言えるわけでもなかろうと思います。(北海道・釧路地方の大型合併が実現すれば,静岡市やいわき市も真っ青ですね)つくば市は学究・研究施設が数多そろう行政自治体でありながら,インフラ整備が本当に遅れています。対外的イメージと実態にこれほどのギャップがある市もちょっとはないと思っているぐらいです。土浦市とつくば市が合併すれば,今,この掲示板で話題になっている上越市と似た形になるかもしれませんね。
>茨城鉄道史を見てみると多くても3つの路線がありました。
>現在は3つとも廃止・事業中止でしたが、もと実現してたらどうなっていたでしょうか?
>と思う。
現在の社会における鉄道輸送体系の位置付けと言うものを考えると,廃止された鉄道がもし現在も営業を続けていたとしても,それほど大きな変化は見られなかっただろうと言うことになるのではないでしょうか。ご存じのように,茨城県の県南地方には20万人を超える人口を有する市がありません。このような地域にどれほどの鉄道輸送隊系が必要なのかと言うことも考えてみる必要もあるように思います。つくばエクスプレス(常磐新線)が赤字垂れ流しにならなければいのですが。つくばエクスプレス開通に伴う地域開発も問題だらけと言うか,日本の地域都市計画はいずこに?という感じです。
>土浦市に霞ヶ浦と隣接していますが、大正以前は土浦駅周辺は霞ヶ浦の湖上だったのでしょ
>うか?
過去ログを「川口川」でご検索下さい。またつくば市にある国土地理院に行けば,明治時代の土浦町の地図を閲覧することができます。土浦駅が設置された当時の地理的状況が手に取るようにわかるのではないかと思います。国土地理院では筑波研究学園都市地区の変化が克明に記録された航空写真を閲覧することもできます。
また最近発行された「霞ヶ浦風土記」では,明治時代の土浦町一帯の様子が克明に書かれており,興味深いものがあります。
http://www.joyo-net.com/hudoki.htm
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