沙流川沿いに位置する3町(日高町、平取町、門別町)の、合併問題調査研究会が、平成14年から始まりました。もともと3町は、門別村として始まっています。沿岸から内陸へ開拓が進むにつれ、入植者が増えていき、平取村、右左府村へと分村していきました。町制を施行していったのも、沿岸部の村からです。公式HPからの情報では、経緯は以下のようになります。
沙流郡各村戸帳役場 | 門別村 | | | 門別町(1952年町制施行) |
| | 平取村 | | 平取町(1954年町制施行) |
| | 右左府村 | 日高村 | 日高町(1962年町制施行) |
ですから、この3町が合併するとなれば、元のさやに収まるだけですから、実に分かりやすい研究会だと思っておりました。
ところが、ここに穂別町が、加わったのです。最初は、沙流3町プラスアルファ、で原稿を進めようと思って書き始めたのですが、記述が長くなってしまったため、稿を分けます。穂別町、鵡川町が加わった日高町・平取町・門別町・穂別町・鵡川町任意合併協議会については、次回ということで。
それで、まずは門別町からですが、もともと役場は、以前は富川地域にありましたが、1889年(明治22年)に佐瑠太(富川の古い地名)戸長役場、佐瑠太警察分署(浦河警察署門別分署)が門別(本町)に移転し、現在の本町地域にあります。100年以上前に移転した話ですから、今となっては、理由はよくわかりませんが、本町地域の方が発展すると考えられたからでしょうか。
実は、これは私の認識不足だったのですが、富川は知っていたし、門別も紋別と違うということは知っていましたが、富川が門別町の中の一地名とはつゆほども思っておりませんでした。というのも、富川は、苫小牧方面から国道235号線で来ると、そのまま静内町・浦河町・えりも町方面へ続く街であり、また国道237号線で平取町、日高町方面と分かれていく交通の要衝として、人口も本町地区より多いのです。
付け加えますと、平成14年3月末現在の門別町の地域別人口は、富川地域(7653人)、門別本町地域(3405人)、厚賀地域(2248人)です。なんと、富川地域には門別本町地域の倍以上の人口があり、それだけ大きな市街地(集落)が形成されているのです。
だから、一般的にも、富川という町があるように誤認するのも、やむをえなかったかな、と自己弁護。ちなみに、門別町HPに載っていた、字別世帯人口が富川東、富川西、富川駒丘、福満……と細かく分かれていたので、なんだかよく分からなかったものですから、大きな括りを町役場に聞いてしまいました。それで、先述の3支所(富川、本町、厚賀地域)を教えて頂きました。ついでに、私が富川町があると誤認していた、と言うと、「えぇ、町外ではそう思われている方も結構いらっしゃるんですよねぇ」とのことで、私だけではないようです。一応。
それで、苫小牧~鵡川~富川~門別本町とつながっていく景色を、簡単にご紹介しますと、
国道235号線を車で走っていくと、苫小牧から鵡川までは、平坦な原野、湿原が広がっています。そして、鵡川町の市街地から鵡川橋を渡ると、田園風景が広がってきます。しばらくすると丘を登り、一旦は牧場風景になるのですが、すぐ丘を下って沙流川河口に面する富川市街地に出ます。沙流川河口近くの平地は田園地帯で、鵡川ほど平地が広くないものの、似たような風景です。
沙流川橋を渡るとまた丘を登り、それ以降はずっと牧場風景が続きます。富川から静内・浦河方向へ走ると、気をつけていないと、門別本町には気づかずに通り過ぎてしまいます。富川を過ぎて丘に登ってから集落が途絶え、海岸線に降りてきたところが門別本町となりますが、役場と駅のある市街地は国道から横道にそれたところにあるのです(現道路は、バイパス新道と思われます)。
風土として、富川は沙流川流域の稲作地帯であり、平取町や鵡川町と似ているのに対して、門別本町は漁港と馬産地なので、新冠以東の日高地域と似ているように、私は思います。苫小牧から静内へ向かうと、鵡川、富川までが胆振地方という印象があるのに対し、門別本町近郊に入ってから、あぁ、日高に来たな、と感じられると思います。つまり、富川と門別本町付近とは、違う町だ、という印象を受けるのです。
今度は、富川から沙流川沿いに北方へ曲がり、国道237号線を上っていくと、平取町に入ります。まず思い浮かぶのは、二風谷アイヌ文化博物館です。同様な施設としては、白老町の、ポロトコタンもあります。
また、義経神社があること、それと振内に鉄道記念館があることでしょうか。廃止された富内線のことを、私はなぜか振内線と記憶していたのですが、鉄道記念館のイメージがあったからかもしれません。紫雲古津という地名も、きれいな字を当てたものだ、と妙に記憶に残っています。
さらに進むと、日高町に到着します。ちょうど、国道274号線と合流する近くに町役場があり、町の中心部となります。日高町は、もともとは、日高山脈の木材の切り出し地として発展しましたが、当時の木材の運搬方法は、沙流川を流したそうです。
でるでるさん、TNさん、はやいち@大内裏さん、はじめ合併情報にお詳しい皆さん。合併についての話は、次の稿でもふれますから、ちょっと待ってて下さいね。(ちなみに、今回TNさんをニックネーム検索して、半角「TN」では出てこなかったので、全角なのに初めて気づきました。)
なお、人事異動により勤務地が変わることとなり、角筈も遠くなりますので、今までのような余裕がなくなりそうでして、連載?系は、次の長文書込みをもって、終わりになる予定です。