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むっくんさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[108787]2023年9月21日
むっくん
[108783]2023年9月19日
むっくん
[108759]2023年9月15日
むっくん
[108758]2023年9月15日
むっくん
[108757]2023年9月15日
むっくん
[108694]2023年8月28日
むっくん
[108606]2023年8月9日
むっくん
[108600]2023年8月9日
むっくん
[108150]2023年7月4日
むっくん
[108105]2023年7月1日
むっくん
[108087]2023年6月26日
むっくん
[108018]2023年6月14日
むっくん
[107856]2023年5月24日
むっくん
[107796]2023年5月9日
むっくん
[107670]2023年4月21日
むっくん
[107626]2023年4月16日
むっくん
[107123]2023年3月21日
むっくん
[107100]2023年3月18日
むっくん
[107023]2023年3月4日
むっくん
[107005]2023年3月1日
むっくん
[106915]2023年2月10日
むっくん
[106275]2022年12月19日
むっくん
[106096]2022年11月11日
むっくん
[106025]2022年10月29日
むっくん
[105788]2022年9月23日
むっくん
[105787]2022年9月23日
むっくん
[105785]2022年9月23日
むっくん
[105777]2022年9月23日
むっくん
[105774]2022年9月23日
むっくん
[105350]2022年8月27日
むっくん

[108787] 2023年 9月 21日(木)12:04:26むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(広島、滋賀、栃木、福島、山形)
[108784]グリグリさん
グリグリさんの対応について確認しました。
これで、[108606](小笠原関連)の対応が残り、さらに、[108783]
(略)
の検討と対応、および、[108759]
(略)
が残っているということでよろしいでしょうか。
これはその通りです。ただ、[108759]拙稿では14県としていましたが、高知県が抜けていましたので15県になります。
#市区町村変遷情報・沖縄県(市制町村制施行直前の廃置分合等)としての58件増える件は、[78766]拙稿を対応された場合にのみ新規に投稿します。

それでは、[108759]拙稿で予告していた市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第一弾です。

広島県
212 1889(M22).4.1 村制 豊田郡南方村 豊田郡 「南方」村
南村→南方村と訂正する。
広島県立図書館所蔵の廣島縣令甲第二十二號(M22.3.8)別表では
町村名  區域(舊町村名) 町村役塲位置
(略)
南方村 南方村
とあります。

245 1889(M22).4.1 新設/村制 御調郡八幡村 御調郡 宮内村, 垣内村, 屋中村, 野串村, 篝村, 美生村, 「本庄」村
八幡村→本庄村と訂正する。
広島県立図書館所蔵の廣島縣令甲第二十二號(M22.3.8)別表では
町村名  區域(舊町村名) 町村役塲位置
(略)
八幡村 宮内村, 垣内村, 屋中村, 野串村, 篝村, 美生村, 本庄村 字宮内
と、旧町村名の八幡村を本庄村と訂正してあります。

247 1889(M22).4.1 新設/町制 御調郡三原町 御調郡 三原町, 宮「野」浦村
宮ノ浦村→宮野浦村と訂正する。
広島県立図書館所蔵の廣島縣令甲第二十二號(M22.3.8)別表では
町村名  區域(舊町村名) 町村役塲位置
(略)
三原町 三原町, 宮野浦村 字三原
宮浦村を宮野浦村と訂正してあります。
広島県史(第1編)(編:広島県、出版:帝国地方行政学会、T10.11.28)で、595頁に大字宮野浦、次の596頁の西野村の項で
明治の初、宮沖は分離して宮野浦村となり、
とあります。


---------------------
滋賀県
21 1889(M22).4.1 新設/村制 栗太郡葉山村 栗太郡 伊勢落村, 林村, 六地蔵村, 小野村, 手原村, 大橋村, 出庭村, 辻村, 「高野」村
今里村→高野村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)
#M7.5.2に今里村、小坂村、土村→高野村の合併が為されました。

50 1889(M22).4.1 新設/村制 甲賀郡大野村 甲賀郡 大野村, 今「郷」村, 徳原村, 前野村, 頓宮村, 市場村
今宿村→今郷村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)
#M12.3.14に小里村、今在家村→今郷村の合併が為されました。

82 1889(M22).4.1 新設/村制 蒲生郡市原村 蒲生郡 甲津畑村, 池之脇村, 上二俣村, 高木村, 市「原野」村, 新出村, 一式村, 石谷村
市野原村→市原野村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)

86 1889(M22).4.1 新設/町制 蒲生郡日野町 蒲生郡 日野大窪町, 日野村井町, 日野松尾「町」, 大谷村, 上野田村, 日田村, 木津村, 日野河原村, 小井口村, 寺尻村
日野松尾村→日野松尾町と訂正する。
滋賀県庁で閲覧したM22.2.19発行の滋賀県公報搭載の滋賀県令第13号では日野松尾町となっています。
#他の資料である新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)でも日野松尾町と記載されています。また、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)523頁右から1行目でも日野松尾町(M19.1.現在)です。
#現行滋賀県布令類纂第5編記載の滋賀県令第13号(M22.2.19)では日野松尾村となっていますが、これは誤記と判断しました。

104 1889(M22).4.1 新設/村制 神崎郡葉枝見村 神崎郡 服部村, 上稲葉村, 下稲葉村, 本庄村, 田附村, 新海村, 三ツ「谷」村, 普光寺村
三ツ矢村→三ツ谷村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)

106 1889(M22).4.1 新設/村制 愛知郡西小椋村 愛知郡 「外村, 小倉村, 青山村, 曽根村, 妹村, 中戸村, 鯰江村, 上岸本村, 梅林村」
107 1889(M22).4.1 新設/村制 愛知郡角井村 愛知郡 「平尾村, 園村, 大林村, 市ヶ原村, 上中野村, 下中野村, 池之尻村, 百済寺村, 大覚寺村」
西小椋村の旧町村を外村, 小倉村, 青山村, 曽根村, 妹村, 中戸村, 鯰江村, 上岸本村, 梅林村と訂正する。
角井村の旧町村を平尾村, 園村, 大林村, 市ヶ原村, 上中野村, 下中野村, 池之尻村, 百済寺村, 大覚寺村と訂正する。
つまりは、#106西小椋村と#107角井村の旧町村を入れ替えます。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)

161 1889(M22).4.1 新設/村制 東浅井郡虎姫村 東浅井郡 中野村, 大寺村, 三川村, 宮部村, 大井村, 五村, 「小桜村」, 酢村, 田村, 月ヶ瀬村, 唐国村
小桜村を追加する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)

186 1889(M22).4.1 新設/村制 高島郡朽木村 高島郡 荒川村, 野尻村, 市場村, 宮前坊村, 岩瀬村, 雲洞谷村, 地子原村, 麻生村, 「柏」村, 古川村, 大野村, 村井村, 栃生村, 小川村, 平良村, 桑原村, 生杉村, 中牧村, 古屋村, 小入谷村, 能家村
栢村→柏村と訂正する。
参考:滋賀県令第13号(M22.2.19)
#M12.3.14に下柏村、上柏村→柏村の合併が為されました。


---------------------
栃木県
34 1889(M22).4.1 新設/村制 上都賀郡加蘇村 上都賀郡 「加園村」, 上久我村, 下久我村, 野尻村
上加園村, 下加園村→加園村と訂正する。
参考:栃木県町村制新旧議決一覧表
#角川地名辞典によるとM9に上加園村, 下加園村→加園村の合併が為されました。

115 1889(M22).4.1 新設/村制 那須郡野崎村 那須郡 沢村, 成田村, 「豊」田村, 薄葉村, 平沢村, 上石上村, 下石上村
稗田村→豊田村と訂正する。
参考:栃木県町村制新旧議決一覧表

141 1889(M22).4.1 村制 那須郡西那須野村 那須郡 「那須野村」
西那須野村→那須野村と訂正する。
参考:栃木県町村制新旧議決一覧表
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)413頁右から10行目M19.1.那須野村


------------------------------------
福島県
136 1889(M22).4.1 新設/村制 南会津郡荒海村 南会津郡 川島村, 中荒井村, 関本村, 藤生村, 糸沢村, 「滝原村」
滝原村を追加する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)

155 1889(M22).4.1 新設/村制 北会津郡川南村 北会津郡 古館村, 上米塚村, 上「荒」井新田村, 宮木村, 麻島村, 柏原村, 下米塚村
上新井新田村→上荒井新田村と訂正する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では上新井新田村となっていますが、市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)や、市制町村制施行時の廃置分合に明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させた大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編・出版:中村芳松、M28.3.5)でも上荒井新田村となっています。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)596頁左から8行目でも上荒井新田村

159 1889(M22).4.1 町制 耶麻郡喜多方町 耶麻郡 喜多方町「の一部」
172 1889(M22).4.1 新設/村制 耶麻郡岩月村 耶麻郡 橿野村, 宮津村, 入田付村, 大都村, 喜多方町「の一部」
喜多方町(本)→喜多方町の一部、喜多方町(微)→喜多方町の一部と修正する。
参考:県令甲第21号56コマ57コマ(M22.3.25)
#喜多方町はM8.8.12に小田付村, 小荒井村, 清次袋村, 塚原村, 稲村の5村が合併して成立しました。よって#159の喜多方町(字稲村を除く)は喜多方町(本)ではなくて喜多方町の一部、#172の喜多方町(字稲村)は喜多方町(微)ではなくて喜多方町の一部となります。

183 1889(M22).4.1 新設/村制 耶麻郡姥堂村 耶麻郡 新江木村, 新井田谷地「村」, 源太屋敷村, 小符根村, 三吉村
新井田谷地→新井田谷地村と訂正する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)

265 1889(M22).4.1 新設/村制 東白川郡宮本村 東白川郡 「松川村」, 大久田村, 山上村, 論田村
上松川村, 下松川村→松川村と訂正する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)
#M6.3.20に上松川村, 下松川村が合併して松川村が成立しました。

280 1889(M22).4.1 新設/村制 西白河郡三神村 西白河郡 三城目村, 須乗村, 神田村, 堤村, 中野目村, 明新村
三城目新田村と須乗新田を削除する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)
#M9.6.に三城目村, 三城目新田村→三城目村、須乗村, 須乗新田→須乗村の合併が為されました。

304 1889(M22).4.1 新設/村制 田村郡巖江村 田村郡 白岩村, 下白岩村, 上舞木村, 下舞木村, 根「木」屋村, 芹沢村, 南小泉村, 北小泉村, 阿久津村, 安原村, 横川村, 山田村
根小屋村→根木屋村と訂正する。
県令甲第21号(M22.3.25)では根小屋村とも根木屋村とも読めなくはありませんが、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)や市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では明らかに根木屋村となっており、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)154頁右から6行目では大字根木屋となっています。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)605頁右から9行目でも根木屋村

331 1889(M22).4.1 新設/村制 菊多郡泉村 菊多郡 泉村, 本谷村, 滝尻村, 下川村, 黒須野村, 「玉露村」
玉露村を追加する。
参考:県令甲第21号(M22.3.25)
#県令甲第21号ではM29の菊多郡, 磐前郡→石城郡が反映されてしまっていますが。

山形県
42 1889(M22).4.1 新設/村制 東村山郡大曽根村 東村山郡 古館村, 上反田村, 下反田村, 滝ノ平村, 常明寺村, 「芳」沢村
深沢村→芳沢村と訂正する。
参考:県令第18号(M22.3.18)
#M6.2.20に深沢村→芳沢村と改称

68 1889(M22).4.1 新設/村制 北村山郡東根村 北村山郡 東根村, 六田村, 神町村, 板垣新田, 中島新田, 「大林新田」
大林新田を追加する。
県令第18号(M22.3.18)では、他の町村(例えば東郷村)の記述と比較すると、24頁最後の行が切れていて何らかの町村の記載がある可能性があると推測できます。新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)と市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合をも反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)ととwikipediaでは大林新田あります。県令第18号の記入方法からすると、頁が切れていて読めないと判断でき、記入漏れかが妥当な判断だと考えます。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)641頁右から7行目でも(M19.1.現在)大林新田あり。

93 1889(M22).4.1 新設/村制 最上郡戸沢村 最上郡 岩清水村, 名高村, 津谷村, 神田村, 松坂村
角川村を消去する。
参考:県令第18号(M22.3.18)

116 1889(M22).4.1 新設/村制 飽海郡観音寺村 飽海郡 「常」禅寺村, 観音寺村, 麓村, 小泉村, 北仁田村, 芹田村, 大久保村, 塚淵村
定禅寺村→常禅寺村と訂正する。
参考:県令第18号(M22.3.18)

134 1889(M22).4.1 新設/村制 東田川郡山添村 東田川郡 板井川村, 西片屋村, 西荒屋村, 「東荒屋村」, 常盤木村, 備前村, 丸岡村, 中田村, 桂荒俣村, 上山添村, 下山添村, 鳥飼島村, 寿村(微)
東荒屋村を追加する。
参考:県令第18号(M22.3.18)

146 1889(M22).4.1 新設/村制 東田川郡藤島村 東田川郡 須走村, 三和村, 藤岡村, 古郡村, 大川渡村, 下中野目村の一部, 野田目村, 越後京田村, 谷地興屋村, 藤島村
西荒屋村を削除する。
参考:県令第18号(M22.3.18)
#西荒屋村はM9.4.15に藤岡村に改称しました。

以上、よろしくおねがいします。
[108783] 2023年 9月 19日(火)23:07:48むっくん さん
市区町村変遷情報に関して未対応である記事番号
[108782]グリグリさん
以下は変遷情報に関して未対応で今後フォローする必要があると私が認識している記事番号になります。
むっくんさん記事 :[102161][102179][102330][104111][104730][108606][108758][108759]
グリグリさんに挙げていただいたもので、今後フォローしていただきたいと私が考えているものは[102161][108606][108758][108759]のみです。

[102179]拙稿は、明治22~44年の市制での法的な答え(「新設」or「新設/市制」)を見いだせればよいのですが、結論が出ない限りは、いくら議論をしても現状の保留から前には進まないと考えています。

[104111]拙稿に関しては、かつてhmtさん「市制」「町村制」と88さん「市制」「町制」「村制」で議論をしたところです。仮にhmtさん側の立場に立つとすると、地方自治法施行以降の表記が分かりにくくなりますので、現状のまま(88さん側の立場)に立つしかないのではないか、と思っています。
#hmtさん側の立場に立つことにして、変更種別の見直しにつなげるには、少なくても最低限[83624]拙稿(1)(2)(5)(16)への対処が必須になると考えています。

※100000番未満の記事については引き続き確認を行なっていますがご指摘いただけますと助かります。
[78766]拙稿は今後対応される予定がありますでしょうか。仮にあるのでしたら、これに加えて市区町村変遷情報・沖縄県(市制町村制施行直前の廃置分合等)として58件増えることになります。
他には、変更種別の見直し問題につながりますが、[83624]拙稿の(5)室蘭区は対応していただきたいです。
#室蘭区については[90660]hmtさんのまとめ記事もあります。
[83624]拙稿については(1)(2)も実現すると、市区町村変遷情報がさらに充実することになります。

以上が今後フォローしていただきたいと私が考えているものです。
[108759] 2023年 9月 15日(金)19:35:35むっくん さん
今後の市区町村変遷情報の投稿方針など
[108728]グリグリさん
----------------------
#11年前に市区町村変遷情報の記載が明治22年まで完成した([78755]88さん)際に、その記載に誤りがある箇所(100箇所超)に対しての記事も当方で作成しましたが、投稿のタイミングがないまま今に至ります。[104730]拙稿
----------------------
(#付きコメントへの返信で恐れ入ります)この件、現行システムで編集可能の範囲であれば(新たな変更種別が必要になるなどの影響がない)並行して作業を進めますので、お知らせいただければと思います。
まずは市制町村制施行時での14県(広島、和歌山、滋賀、富山、神奈川、北関東3県、東北6県)から準備が出来次第、順次投稿していきます。よろしくお願いいたします。



以下は、グリグリさん宛ての[108751]サヌカイトさんの投稿に対応するものですが、当方の今後の投稿と重複を避けるために、コメントをさせていただきます。

④施行時の情報において「一部」「本」「微」がつく場合に対応する複数の項の間で表記が異なるものがあります。
東京府南豊島郡内藤新宿町では「内藤新宿一町目(本)」ですが、東京府東京市では「内藤新宿一丁目(微)」となっています。
内藤新宿一町目の方が正しいので、東京府東京市では「内藤新宿一町目(微)」となります。

愛媛県松山市では「松山一万町(本)」ですが、愛媛県温泉郡道後村では「一万町(微)」となっています。
松山一万町の方が正しいので、愛媛県温泉郡道後村では「松山一万町(微)」となります。

●愛媛県上浮穴郡久万町村では「久万町村(本)」ですが、愛媛県上浮穴郡明神村では「久万町(微)」となっています。
久万町村の方が正しいので、愛媛県上浮穴郡明神村では「久万町村(微)」となります。

⑤「一部」「本」「微」に対応する相方のないものがあります。
まず、
北海道中川郡蝶多村 中川郡凋寒村において「の一部」がつくが対応するものがない
これに対しては、河東郡音更村にて対応しています。

千葉県印旛郡中村新田 印旛郡白井村において「(微)」がつくが香取郡中村には「(本)」がない
おそらくですが、印旛郡中村新田ノ内・手賀沼村と中村新田ノ内・片山村がM7に合併して印旛郡中村(M22.3.31に印旛郡白井村の一部)となり、中村新田ノ内・名内がM22.3.31に印旛郡白井村の一部となったものと考えています。
ということで、正しくは、
93 新設 印旛郡白井村 印旛郡 白井橋本村, 神々廻村, 復村, 根村の一部, 木村, 名内村, 富塚村, 中村, 折立村, 今井新田, 「中村新田ノ内 名内」, 白幡村(微), 平塚村(微)
とするのが適当だと思います。
三重県安濃郡新町の古河村刑部村ノ内 八町と同種の記載方法)

東京府南足立郡大谷田村 南足立郡東淵江村において「(本)」がつくが対応するものがない
これは
63 新設/村制 南足立郡花畑村 南足立郡 内匠新田, 花又村(本), 久右衛門新田(本), 長左衛門新田(本), 辰沼新田(本), 久左衛門新田, 六ツ木村(微), 嘉兵衛新田(本), 竹塚村(微), 保木間村(微), 佐野新田(微), 「大谷田村(微)」
です。

富山県上新川郡磯部安野屋村 富山市において「の一部」がつくが対応するものがない
別稿で投稿予定です。

静岡県有渡郡川辺村 静岡市において「(微)」がつくが有渡郡大里村には「(本)」がない☆
☆をつけた静岡県有渡郡川辺村は、合併した後に再び一部合併というおかしな状況になっています。
これについては、
110 新設 有渡郡大里村 有渡郡 高松三ヶ村, 川辺村「(本)」, 西島村, 中田村, 安倍川村, 中野新田, 中村, 石田村(本), 西脇村, 馬淵村, 下島村, 中島村, 稲川村, 見瀬村, 中原村, 弥勒町
とすることは確かですが、静岡市側をどのように表記するのが適切か分かりません。


他の部分に関してはサヌカイトさんのご指摘の通りではないかと思います。。
[108758] 2023年 9月 15日(金)19:28:18むっくん さん
Re2:市区町村変遷情報(長野県&福井県&石川県&千葉県)
[108749]MIさん
[108729]グリグリさん
[108751]サヌカイトさん

長野県
230 新設/村制 東筑摩郡塩尻村 東筑摩郡 塩尻町村, 柿沢村, 金井村, 上西条村, 中西条村, 下西条村, 大小屋村, 長畝村, 桟敷村, 大門村, 堀ノ内村, 「筑摩村の一部」
(略)
と記されたうち、「塩尻村」の部分は「松本町」の誤りではないのでしょうか。(長野県現行令達類聚 上 p.1401)
 そうであれば、現在の変遷情報で東筑摩郡松本町の末尾にある「筑摩村(微)」を「筑摩村の一部」に改めたうえ、同郡塩尻村の「筑摩村の一部」を削除することになると思います。
ご指摘の通り、私の誤記です。正しくは
230 新設/村制 東筑摩郡塩尻村 東筑摩郡 塩尻町村, 柿沢村, 金井村, 上西条村, 中西条村, 下西条村, 大小屋村, 長畝村, 桟敷村, 大門村, 堀ノ内村
200 新設/町制 東筑摩郡松本町 東筑摩郡 松本南深志町, 松本北深志町, 渚村, 白板村, 宮淵村, 桐村, 蟻ヶ崎村, 筑摩村の一部
でした。

千葉県
117 新設 長柄郡一松村 長柄郡 一ツ松村「(微)」, 幸治村(微)
ご指摘の通り、私の誤記です。正しくは
117 新設 長柄郡一松村 長柄郡 一ツ松村(本), 幸治村(微)
でした。



福井県四箇浦村or四ヶ浦村
MIさんご紹介の福井県告示と拙稿[99923]での県令第19号(M22.2.16)からは
M22.4.1町村制施行時は四箇浦村
M40.8.1新設合併前は四箇浦村で、新設合併後も四箇浦村
S21.8.1町制施行前は四ヶ浦村で、町制施行後は四ヶ浦町
と読み取れます。

私の立場は、以前、[84266]拙稿で示したように、
成立時と消滅時で名称が異なる(表記の揺らぎのように見える)自治体の場合、「後法は前法に優位する」という法律の原則に従い、消滅時の法令の記載の通りにする
、というものです。
この立場では、
M22.4.1-M40.7.31四箇浦村
M40.8.1-S21.7.31四ヶ浦村
S21.8.1-S29.2.28四ヶ浦町
となります。
利点としては、すべての自治体名の表記の揺らぎに画一的に対応することができます。逆に欠点としては、消滅する自治体の名称の表記(1889年の市制町村制施行時において)に適用するのは不適当と考えられる場合もあることです。
一例としては滋賀県滋賀郡坂本村は、市制町村制施行時の滋賀県公報に従うと、
5 1889(M22).4.1 新設/村制 滋賀郡坂本村 滋賀郡 坂本村, 穴生村
ではなくて、
5 1889(M22).4.1 新設/村制 滋賀郡坂本村 滋賀郡 阪本村, 穴生村
として記載することになります。
阪本と表記するのが一般的であったのは、「坂」の字が忌み嫌われていた明治10年代だけで、歴史的には一貫して坂本村でした。このような場合は例外的に坂本村と解釈して、市区町村変遷情報の訂正依頼はしていません。

例えばウィキペディアでは「ヶ」の説明として、
助数詞や連体助詞「が」の用途として使用される場合の「ヶ(ケ)」は、片仮名の「ケ」とは由来を別にし、「箇」または「个」の略字とされる。
とあることから、当方のデータベースでは「箇」と「ヶ」は同じものであると判断しました。したがって1889(明22).04.01市制町村制施行時に「四ヶ浦村」が成立し、1907(明40).08.01も「四ヶ浦村」と「上岬村」が合併して「四ヶ浦村」を新設、1946(昭21).08.01には「四ヶ浦村」が町制施行して「四ヶ浦町」となったと解釈しております。
とのMIさんの方針を採るのも一つの考えだと思います。
どちらの立場を採るにせよ、自治体名表記の揺らぎに対しては頭を悩ませることに変わりはないと考えます。
[108757] 2023年 9月 15日(金)19:23:24むっくん さん
Re:久万玉村について
[108728]グリグリさん
1951(S26).4.1の香川県久万玉村の「新設/改称」情報
こちらの件ですが、[102330]では改称の根拠が見つからないことから変更種別を「新設」に戻すべきとのご意見でした。その後、[107626]で正式に正誤情報が見つかったことから、「久栄村」は存在しなかったということで「新設/改称」を「新設」に戻すのがより正しいということでよろしいでしょうか。
「新設/改称」であった場合は、
(1)「栗熊村、富熊村を廃し久栄村を設置」との香川県告示(法的効力を有する)
(2)久栄村において、久栄村を久万玉村に改称する久栄村条例の作成(法的効力を有する)
(3)久栄村を久万玉村に改称する旨の香川県告示(があることが大多数)(法的効力を有しない)
との工程を経ます。
「新設」であった場合は、
(1)「栗熊村、富熊村を廃し久万玉村を設置」との香川県告示(法的効力を有する)
との工程を経ます。

内部事情が綾歌町史([102282])に書かれてあった通りであるとしても、法的には「新設」でしかない、と[102330]拙稿では書きましたし、それが結論です。

[107626]拙稿についてですが、こちらはあくまでも参考情報です。
#ある県で市町村の合併改称等を行うと、他の都道府県の公報にも記載されることが昭和12年ころから行われ始め、昭和16年からはそれが本格化します。そして昭和27年上半期ころまでは記載され続けていました。
#兵庫県報の記載からは、一度は久栄村が新設合併で成立したと香川県から通知されて、その後に成立したのは久万玉村の誤りであったと再度香川県から通知されたものと推測されます。

他の都道府県の公報である兵庫県報([107626])、綾歌町史([102282])、そして香川県の公報である香川縣報([102330])からは以下のように考えられます。

本来的には、[102282]サヌカイトさんが記載されたように、暫定的に久栄村が新設合併で成立し、その後の新村名協議で暫定的に決めれれた久栄村が久万玉村への改称、との二段階で香川県から公告されるはずでした。
ところが、[102330]で記載したように香川県は久栄村ではなくて久万玉村が新設合併で成立したと誤って公告してしまいました。
#兵庫県報からの推測。

法的根拠が誤りであると当然訂正をしなければならないのですが、訂正をする前に、新村名として久万玉村として決まったために、香川県としては何の訂正もすることなくそのままとなったのでしょう。
[107611]サヌカイトさん推察にあるように、久万玉村となるのが既定路線だったために、先走って久万玉村と公告したと見るのが自然かもしれません。
[108694] 2023年 8月 28日(月)17:53:52むっくん さん
長久手市長
愛知県長久手市長選(任期満了(9月17日))が8月27日に行われ、元市議の佐藤有美氏(45)が初当選しました。
選挙公報によると、1978.1.24生まれの45歳とのことです。

参考:YouTube選挙ドットコム毎日新聞
[108606] 2023年 8月 9日(水)22:46:54むっくん さん
扇村袋沢村
[108601]グリグリさん
短い読み・長い読みの市区町村にて六浦荘村の記載を確認しました。

さて、短い読み・長い読みの市区町村の長い読みの市町村【10文字】にある
1 東京府 父島 扇村袋沢村 おうぎむらふくろざわ・むら 1940(S15).4.1 1968(S43).6.26 小笠原村
との記載には少々問題があります。

法律第83号(小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律)(S43.6.1)
(旧村の権利義務の帰属)
第十九条 旧大村、旧扇村袋沢村、旧沖村、旧北村又は旧硫黄島村に属していた権利義務は、小笠原村に帰属する。
とあるように、昭和43年6月1日の時点では既に扇村袋沢村は存在していません。通常は、昭和26年9月8日に締結され昭和27年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約(昭和27年条約第5号)(S27.4.28)
第三条
日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
により、法律上は1952(S27).4.28に廃止され、当該区域はアメリカ合衆国の信託統治制度下に置かれたと考えるのが妥当だと思います。

#かつて、小笠原5村の記載については[83624][83646][85084][95729]拙稿でも触れました。

またグリグリさんとhmtさんでも下記のようなやりとりがありました。
[85063]グリグリさん
【小笠原5村廃止】の変更種別については「廃止」が妥当でしょうか。
[85081]hmtさん
市区町村変遷履歴情報 東京都一覧の各項目に、次のように「廃止」と記録することに賛成します。
変更年月日:1952(S27).4.28  変更種別:廃止  自治体名:大村

1940年に大村と同時に設置された扇村袋沢村、北村、沖村、硫黄島村についても同様です。
(中略)
1968年の記録では、「変更対象自治体名/変更内容」が父島, 母島, 硫黄島となっている点にも疑問があります[79266]
この3島は 既存の自治体ではないので、島名【というよりも列島名】を列挙して小笠原村が設置された地域を示したものと理解されます。しかし、それならば、聟島列島,南鳥島,沖ノ鳥島が記されていないのは片手落ちと思います。
[108600] 2023年 8月 9日(水)13:28:05むっくん さん
六浦荘村
[108587]スカンデルベクの鷲さん
[108591]グリグリさん
神奈川県久良岐郡六浦荘村も悩ましいですね。
当サイト むつうらのしょう・むら
コトバンク むつらのしょう・むら
wikipedia むつうらしょう・むら

六浦荘村が存在していた時は各書籍にどのように記載されていたかを調べてみました。

新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)むつらのしょう
大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)むつのうらしょう
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編・出版:中村芳松、M28.3.5)むつのうらしょう
新旧対照市町村一覧(編著:鍾美堂編輯部、出版:鍾美堂、M36.6.13)むつらのしょー
最近市町村明覧(編著:共盟館編輯所、出版:いろは書房等、M45.2.1)むつうらしょー
改正新旧対照市町村一覧(編著・出版:鍾美堂、T2.4.20)むつらのしょう
帝国市町村便覧(編:大西林五郎、出版:尚栄堂、T4.2.3)むつうらのしょう
市町村便覧(編・出版:帝国地方行政学会、T14.6.19)むつらのしょう
改正帝国市町村便覧(編:駸々堂旅行案内部、出版:駸々堂、T14.8.5)むつうらのしょう
改正市町村便覧 附・全国尋常高等小学校名簿(編:文明堂編輯部、出版:立川文明堂、T14.8.15)むつらのしょう
全国市町村便覧(三府四十三県北海道朝鮮台湾樺太関東洲其他)(編・出版:藤谷崇文館、T15.2.10)むつらのしょう
帝国市町村総覧(行政区劃通信交通)(編:帝国通信交通協会、出版:帝国通信交通協会出版部、S4.8.10)むつらのしょう
改正市町村便覧(編:文明堂編輯部、出版:立川文明堂、S6.7.10)むつらのしょう

むつらのしょう としている書物の方が多いです。

このうち、明治後期から昭和戦前期まで、各府県の行政法令を一手に取り扱っていた帝国地方行政学会が編集・出版しているものが格段に信憑性が高いと思います。
それに従えば、むつらのしょう ということになります。
[108150] 2023年 7月 4日(火)22:52:10むっくん さん
『合成地名』コレクション、『崎・埼・碕』コレクション、幸田町
[108049]EMMさん

『合成地名』コレクションへの福井県の村の追加を確認しました。と同時に他の記載されている箇所を確認しますと、滋賀県に合成地名ではない村の記載がありましたのでご報告いたします。

金田村 かねだ 金剛寺 上田,長田 現・近江八幡市[33977]
滋賀県史(第5巻)(編・出版:滋賀県、S3)によりますと
金田荘名に拠る
とあり、荘名由来と記載されています。

鏡山村 かがみやま 鏡 山面 現・竜王町[33977]
滋賀県史(第5巻)(編・出版:滋賀県、S3)によりますと
所在の鏡の山の名に拠る
とあり、山名由来と記載されています。

これだけでは何ですので『崎・埼・碕』コレクションへの追加情報です。

東京都小笠原村の南鳥島にある三つの崎です。
黒井崎
笠置崎
坂本崎 日本最東端
参照:ウオッちず国土交通省(PDF)9/20コマ


[108114]グリグリさん
ところで、むっくんさんはどのようにしてこの事実を見つけられたのでしょうか。きっかけは?
今回は完全に偶然です。
鉄道系のYouTubeを見ていて、米原市と同様のことが幸田町にてもあったと感じ、Wikipedia(幸田町)を見たら、記載がありました。

自治体の名称とは例えば幸田町の場合ですと“幸田(こうた)”の部分だけである、とそもそも考えていましたので、“町”の読みを“ちょう”とするのか“まち”とするのかについては、気にも留めていませんでした。
[108105] 2023年 7月 1日(土)12:38:54【1】訂正年月日
【1】2023年 7月 1日(土)12:42:23
むっくん さん
愛知県額田郡幸田町
本HPの47都道府県の市区町村愛知県の市区町村では
幸田町 こうた「ちょう」
となっています。

初めに幸田町が成立したのは、法的根拠の愛知県告示によりますと、
告示第百九十三号
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第八条第三項の規定に基き、額田郡幸(こう)田(だ)村(むら)を幸(こう)田(だ)町(ちょう)とし、昭和二十七年四月一日から施行する。
昭和二十七年三月二十日 愛知県知事 桑原幹根
とありますから1952(S27).4.1です。市区町村変遷情報では
363 1952(S27).4.1 町制 額田郡幸田町 額田郡 幸田村
とあります。

その後、幸田町は豊坂村と合体し
379 1954(S29).8.1 新設 額田郡幸田町 額田郡 幸田町, 幡豆郡 豊坂村
と幸田町が新たに成立しました。。
法的根拠の総理府告示は次の通りです。
総理府告示第六百五十八号
町村の廃置分合
地方自治法第七条第一項の規定により、昭和二十九年八月一日から、愛知県額田郡幸田町及び幡豆郡豊坂村を廃し、その区域をもつて幸(こう)田(た)町(まち)を置く旨、愛知県知事から届出があつた。
昭和二十九年七月二十八日 内閣総理大臣 吉田茂

総理府告示第六百五十九号
町の属すべき郡の区域を定める処分
地方自治法第二百五十九条第三項の規定により、昭和二十九年八月一日から、あらたに設置される幸田町の属すべき郡の区域を額田郡とする旨、愛知県知事から届出があつた。
昭和二十九年七月二十八日 内閣総理大臣 吉田茂

後の官報にて、こうた「ちょう」へ訂正がなされたのでなければ、法律上はこうた「まち」であるはずなのですが、こうた「ちょう」と通常は呼ばれているようです。
[108087] 2023年 6月 26日(月)13:20:18むっくん さん
ロータリーとラウンドアバウト
[108083]あきごんさん
福島県いわき市平6丁目と同時期のネットニュースに載っていたのが、群馬県北群馬郡吉岡町の「ジョイホンパーク吉岡」の駐車場内を通る町道のロータリーとラウンドアバウトです。画像を確認すると、ラウンドアバウトの標識も確認できました。
[108018] 2023年 6月 14日(水)22:32:58むっくん さん
野外教育施設
[107991]ただけんさん
伺ってみたいことは2点ありまして、
(1)義務教育+高校(中等教育学校)までの段階で、この種の野外教育施設に学年単位、もしくは部活等の団体で宿泊したことがあるか。また、差し支えなければ学校の位置(〇〇市立、〇〇県立など)や該当の施設名・市町村名などもコメントいただければと思います。
(2)その施設は今も存続しているか、またその施設の設置主体と、公設公営(設置自治体(事務組合含む)の出資法人/第三セクターによる指定管理は公に含む)か、民間の指定管理者の管理(公設民営)となっているか、など
私の事例を簡潔に書きます。

小5(大津市立):フローティングスクール。滋賀県内の小学生が、学校行事で、学習船「うみのこ」で一泊して琵琶湖について学びます。必ず他の小学校と合同で行います。
中1(大津市立):葛川少年自然の家(大津市)。学校行事で、4月に一泊しました。おそらく、複数の小学校から来た生徒の融和が目的ではないかと思います。人数が多かったために、2回に分けて行っていました。現在は大津市内の小4も学校単位で自然体験活動で利用しているようです。

2018(平成30)年度に2代目の学習船「うみのこ」が就航して、今年の8月でフローティングスクールが40周年となります。
[107856] 2023年 5月 24日(水)19:18:30【1】訂正年月日
【1】2023年 5月 24日(水)19:19:21
むっくん さん
Re:プリムタウン
[107836]メークインさん
今月、南草津プリムタウンという外来語由来町名が出来ました。
草津市HPの南草津プリムタウン土地区画整理事業の換地処分公告についてにて
令和5年5月19日(金曜)に換地処分公告(滋賀県告示)が行われました。
とあるように5/20から南草津プリムタウン一丁目~四丁目が出来ました。
電車内からは、今から約6年前から3年前に田んぼを住宅地にする工事が行われていたのが見えていたことを覚えています。先日の日曜日に、最終の第4期住宅分譲がなされているのを横目に眺めながら、当地のラウンドアバウトも見てきました。

手がかりとなる「広報くさつ」は、国会図書館(東京)には保管されておらず、手詰まりです。
草津市内でバックナンバーを探さないと、見えてこないものと思われます。
滋賀県立図書館でバックナンバーを見てきましたが、あまりの量の多さに探すことを断念しました。前述の草津市HPのお問い合わせに記載されている草津市都市計画部都市計画課計画係に由来を尋ねるのが良いと思います。

ロータリーコレクションにおいても
草津市野路町→草津市南草津プリムタウン二丁目
草津市南笠町→草津市南草津プリムタウン四丁目
とラウンドアバウトの所在地が変わります。>あきごんさん

参考:草津市HP南草津プリムタウン土地区画整理事業の換地処分公告について新地番図(換地処分公告の翌日の地番図)(PDF)
[107796] 2023年 5月 9日(火)16:07:52むっくん さん
合成地名コレクション
[107758]未開人さん
[107787]EMMさん
「合成地名」「合併数地名」はyamadaさんがかなりがっつり集めてありまして、自治体名としてできた地名はおそらくほぼ漏れはないと思われます。

合成地名コレクションの昭和以前に消滅した市区郡町村名では以下の二つがあります。

吉川村(福井県丹生郡、現在の鯖江市) 吉田村+下川去村
北新庄村(福井県今立郡、現在の越前市, 今立郡粟田部町)北村+中新庄村
参考:福井県史第3冊
[107670] 2023年 4月 21日(金)19:01:45むっくん さん
若年で当選した首長PART23
[107429]グリグリさん
菅原 利男さん
江見 晴則さん
青山 茂さん
いずれもその通りです。

これだけでは何ですので若年で当選した首長の一覧への情報提供です。

○静岡県
情報源は靜岡縣首長議員人名鑑昭和廿六年五月一日現在(監修:靜岡縣勢調査會、発行:靜岡縣ジャーナル社、S26.5.10)です。

まずは新規情報です。

渡邊 正二さん
田方郡下大見村
1951(S26).5.1現在37歳、新。
“新”との表記より1951(S26).4.23の選挙で36-37歳で初当選と推測できます。
下大見村は1958(S33).1.1に中伊豆町の一部となることより任期数は1-2期と推測します。


佐藤 一郎さん
庵原郡蒲原町
1951(S26).5.1現在39歳、再。
蒲原町史(編:蒲原町史編纂委員会、発行:蒲原町、S43.11.3)では1947(S22).4.5の選挙で当選、1951(S26).4.23の選挙で再選、1955(S30).4.2辞職。任期数は2期とあります。
静岡市HPでは
平成元年9月3日、78歳で永眠されました。
とありました。
よって、35歳で1947(S22).4.に当選、生年月日は1911(M44).5.2-1911(M44).9.3の間。


岡部 文平さん
安倍郡玉川村
1951(S26).5.1現在39歳、現。
他の方の“新”や“再”とは異なり、“現”の記載があります。
よって1951(S26).4.23の統一地方選以前の選挙で、39歳以前に当選したと推測します。任期数は不明です。


武田 千春さん
榛原郡吉田村/町
1951(S26).5.1現在43歳、再。
静岡県吉田町史(編・発行:静岡県吉田町史編纂委員会、蒲原町、H9.3.28)では任期は1947(S22).4.5-1955(S30).4.29、任期数は2期。
当選したとき、年齢は38-39歳。
参考:吉田町統計要覧令和元年度(PDF)55コマ



鈴木 宗一郎さん
榛原郡中川根村
1951(S26).5.1現在43歳、再。
川根本町HPでは徳山村を編入合併後の1956(S31).11.2にも無投票当選とあります。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく38-39歳で1947(S22).4.に初当選、任期数は3期以上と推測します。


杉本 秀さん
小笠郡日坂村
1951(S26).5.1現在41歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく36-37歳で1947(S22).4.に初当選、日坂村は1955(S30).4.1に掛川市に編入されているので、任期数は2期と推測。


永田 哲堂さん
小笠郡千浜村
1951(S26).5.1現在33歳、新。
“新”との表記より1951(S26).4.23の選挙で32-33歳で初当選、千浜村は1956(S31).8.1に大浜町の一部となるので、任期数は1-2期と推測。


福代 正雄さん
小笠郡新野村
1951(S26).5.1現在43歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく38-39歳で1947(S22).4.に初当選、新野村は1955(S30).3.31に浜岡町の一部となるので、任期数は2期と推測。


北井 三子夫(きたい さこお)さん
磐田郡佐久間村
1951(S26).5.1現在39歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく34-35歳で1947(S22).4.に初当選、佐久間村は1956(S31).9.30に佐久間町の一部となるので、任期数は2-3期と推測。
磐田郡佐久間町
1956(S31).11.1-1963(S38).3.31 任期は2期、44-45歳
1971(S46).4.30-1979(S54).4.29 任期は2期、59歳
参考:浜松情報BOOK


長谷 喜代五郎さん
浜名郡吉野村
1951(S26).5.1現在42歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく37-38歳で1947(S22).4.に初当選、吉野村は1954(S29).7.1に浜松市に編入されているので、任期数は2期と推測。


河合 多三さん
浜名郡中瀬村
1951(S26).5.1現在42歳、再。
“再”との表記より1951(S26).4.23の選挙で再選より、おそらく37-38歳で1947(S22).4.に初当選、中瀬村は1956(S31).4.1に浜北町の一部となるので、任期数は2-3期と推測。
浜松情報昭和50年1月1日号(PDF)8コマでは昭和49年12月20日現在で64歳ともあります。。

杉浦 卓朗(すぎうら たくろう)さん
引佐郡気賀町
1951(S26).5.1現在38歳、?。
森博図書館実践とその思想(PDF)3コマでは
町長は、1948年から1955年まで、杉浦卓朗。杉浦は、合併後の1955年には初代の細江町町長。1971年静岡県議会議員に当選し、1977年まで県議を務めた
とありますので、気賀町長としての任期数は2期、初当選時に33-35歳と推測。
引佐郡細江町
1955(S30).4.15-1959(S34).4.14 任期数は1期、41-42歳
参考:浜松情報BOOK
浜松情報昭和50年1月1日号(PDF)9コマでは昭和49年12月20日現在で62歳。


追加情報で
榛葉 虎之助さん(小笠郡東山口村)
1951(S26).5.1現在40歳、再。
東山口村は1954(S29).3.31に掛川市の一部となるので、任期数は2期と推測。


○三重県

まずは新規情報です。

吉田 為也さん
度会郡紀勢町
1958(S33).3.18初当選。1962(S37).2.22当選、1966(S41).2.23当選、1967(S42).4.28落選。任期は3期。
1967(S42).4.28に41歳。
1957(S32).3.1当選の前町長の任期中であるはずの1958(S33).3.18の選挙と考えられることより、就任日も1958(S33).3.18と推測されます。
参考:選挙の記録昭和42年4月28日発行(編・発行:三重県選挙管理委員会、S42)、三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)

追加情報です。

東 智さん(北牟婁郡長島町/紀伊長島町)
生年月日は1922(T11).8.14
就任日年齢は32歳6ヶ月
参考:三重県人名録1970年版(発行:伊勢新聞社、S45.10.15)

梶川 忠男さん(飯南郡櫛田村)
1955(S30).4.30初当選、任期は1期。
参考:三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)

細淵 直男さん(多気郡大杉谷村)
1951(S26).4.23初当選、1955(S30).4.30再選、任期は2期。
生年月日は1922(T11).11.20。
就任日は1951(S26).4.23もしくはその翌日と考えられることより、就任日年齢は28歳5ヶ月
参考:三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)

小倉 信次さん(飯南郡森村)
1955(S30).4.30初当選、任期は1期。
参考:三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)

神谷 長一さん(員弁郡石榑村)
1948(S23).11.25初当選。
参考:三重県選挙誌(編・発行:三重県選挙管理委員会、S47.4.)


○石川県
松井 吉太さん(羽咋郡志雄町)
任期満了(1959(S34).11.19)に伴う1959(S34).11.1の選挙で現職で43歳で当選。
参考:選挙の記録12集(昭和35年)(編・発行:石川県選挙管理委員会、S35)、Wikipedia(志雄町)では任期は1951(S26).11.20-1965(S40).12.31とあります。
初当選時には35-36歳と推測。任期数は4期


○岩手県
追加情報です。

八重樫 長兵衛さん(和賀郡飯豊村/北上市)
読みは、やえがし ちょうべえ です。
参考:日本人物レファレンス事典(編・発行:日外アソシエーツ株式会社)

岩持 静麻さん(岩手郡御明神村)
前村長逝去による1954(S29).3.31の選挙で当選。就任日も同日と推定。
参考:選挙の記録昭和30年(編・発行:岩手県選挙管理委員会、S30.8.1)


○兵庫県
追加情報です。

白川 修さん(洲本市)
生年月日は1911(M44).9.13です。
参考:選挙の記録昭和33年・34年(編・発行:兵庫県選挙管理委員会、S34)


○愛媛県
追加情報です。

原田 改三さん(温泉郡浅海村)
就任日は1947(S22).4.6
参考:北条市誌(編・発行:北条市誌編纂委員会、S56.3.27)


村上 勅夫さん(越智郡伯方町)
就任日は1959(S34).1.26
参考:愛媛県町村自治名鑑(編・発行:愛媛県町村議会議長会、S62.1.20)


末永 芳朗さん(喜多郡長浜町)
就任日は1955(S30).2.3
参考:愛媛県町村自治名鑑(編・発行:愛媛県町村議会議長会、S62.1.20)
#以前に投稿した愛媛年鑑による就任年月日は当選日でした。

以上、多数になりますがよろしくお願いします。
[107626] 2023年 4月 16日(日)15:36:41むっくん さん
香川県綾歌郡久万玉村と鹿児島県薩摩郡入来町
[107174]YTさん
[107611]サヌカイトさん

53 1951(S26).4.1 新設 綾歌郡久万玉村 綾歌郡 栗熊村, 富熊村
兵庫縣報第二千八百號昭和二十六年四月六日p13雑報では
二○ 香川縣綾歌郡栗熊村及び富熊村を廢し、その區域をもつて新たに久榮村を置き、昭和二十六年四月一日から施行された。
とありますが、兵庫縣報第二千八百十六號昭和二十六年五月二十四日p8正誤
昭和二十六年雑報欄搭載の内、市町村の廃置分合並びに境界變更についての二○「久榮村」は「久万玉村」の誤り。
とあります。

兵庫県報の記述からも、S26.4.1に成立するのは久栄村だったがいつの間にか久万玉村に変更されたのは間違いないと思います。


別件で。
117 1948(S23).10.1 町制 薩摩郡入来町 薩摩郡 入来村
兵庫縣報第2509號昭和23年10月6日彙報では
S23.10.1鹿児島縣薩摩郡入來村を廢し、その區域を以て、十月一日から、薩摩郡入來町とすることとなつた
とあり、町制施行に際し、一度自治体の廃止を伴ったようです。
[107123] 2023年 3月 21日(火)16:39:17【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 21日(火)16:40:16
むっくん さん
丸亀五番町
[107114]YTさん
明治22年(1889年)12月31日調の香川県の現住人口について、一点扱いに困っている項目があります。それは、丸亀城下におかれた「丸亀営所(旧一番丁~五番丁)」の扱いです。
(中略)
『新版 角川日本地名大辞典』などによると、例えば那珂郡丸亀五番丁について、
----------------------
明治7年広島鎮台丸亀営所創設にともない,陸軍省が一番丁~四番丁の用地を買収,その後当町も歩兵第12連隊の作業場地域となり,町は消滅した。なお,昭和25年当町域は城東町の一部として再発足した。
----------------------
とあり、丸亀営所は旧那珂郡丸亀一番丁~五番丁に設置されたことがわかります。実際官報の方では那珂郡丸亀六番丁~十番丁の記載がありますが、那珂郡丸亀一番丁~五番丁はありません。
当時の資料を見てみます。

地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

全国現行警察区画一覧(著・出版:東京和泉橋警察署、M21.4.)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

府県管轄区域郡区町村名集覧(編:樋口文治郎、出版:赤志忠七、M21.4.13)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

香川県令第84号(M22.12.28)
M23.2.15に丸亀町を構成することになる町村として丸亀一番町~丸亀十番町が存在。

郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M26.1.27)
M25.4.1に丸亀町大字一番~十番が存在。

これらからすると明治7年に、おそらく、住民の数が0人となった自治体としての丸亀一番町~四番町が無くなり、登記簿上のみに丸亀一番町~四番町が残った。その後、明治23年の市制町村制施行に伴う丸亀町の成立に伴い、他の町村の管轄区域ではない丸亀一番町~四番町(土地の登記簿上のみ存在)が自治体として一瞬だけ復活していることとしていたものと考えます。
#丸亀一番町~四番町のような事例としては、現在の京都市上京区の京都御苑に存在していた西殿町(M19.5.13廃止、M22.4.1に上京区の一部)が挙げられます。

当時の丸亀営所は丸亀五番町にあり、丸亀五番町は丸亀通町外二十二箇町連合を形成する一つの町ではないでしょうか。おそらく、何らかの手違いで丸亀五番町が抜け落ち、その為に丸亀通町外二十一箇町連合となったのでしょう。
[107100] 2023年 3月 18日(土)22:27:37【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 19日(日)01:28:53
むっくん さん
若年で当選した首長PART22
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。

○岡山県
情報源は退職町村長名簿(地方自治法30周年記念発行)(編・出版:岡山県町村会、S52.8.)です。S52.8.現在で岡山県在住の方のみが記載されています。当時の町村数から推測しますと、網羅されているのは全体のおよそ1/3程度だと思います。

まずは新規情報です。

松島 賢さん
上道郡御休村
任期は1948(S23).3.-1952(S27).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1948(S23).3.は34-35歳。

三崎 嘉明さん
児島郡藤田村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).9.、期間は1年5ヶ月
1977(S52).8.現在で62歳、就任時の1947(S22).4.は31-32歳。

星島 睦雄さん
児島郡藤戸町
任期は1947(S22).4.-1947(S22).10.、期間は6-7ヶ月(注1)
1977(S52).8.現在で64歳
閨閥学(星島家(衆議院議長・星島二郎・星島和一郎の家系図))では1913年誕生とありますので、
就任時の1947(S22).4.は33歳7ヶ月-34歳3ヶ月。
生年月日は1913(T2).1.-1913(T2).8.
#(注1)退職町村長名簿では、1947(S22).4.-1948(S23).11.、期間は1年8ヶ月とされていましたが、wikipedia(藤戸町)の1947(S22).4.-1947(S22).10.の方がおそらく正しいと考えられます。

中村 純雄さん
児島郡味野町
任期は1947(S22).4.-1948(S23).3.、期間は1年
1977(S52).8.現在で61歳
Wikipedia(中村純雄)では1916年(大正5年)1月6日生まれとあります。
就任時の1947(S22).4.は31歳2-3ヶ月。

安原 増夫さん
都窪郡茶屋町
任期は1947(S22).4.6-1951(S26).4.5(注2)、期間は4年
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1947(S22).4.6は34-35歳。
#(注2)Wikipedia(茶屋町地区)での1947(S22).4.6-1951(S26).4.5による。退職町村長名簿では任期は1947(S22).4.-1951(S26).4.

高木 正志さん
小田郡新山村
任期は1949(S24).8.-1953(S28).9.、期間は4年2ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1949(S24).8.は34-35歳。

太田 秀郎さん
吉備郡日近村
任期は1947(S22).4.-1956(S31).3.、期間は9年
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

小西 伊三雄さん
吉備郡神在村
任期は1947(S22).4.(注3)-1951(S26).3.、期間は4年(注4)
1977(S52).8.現在で66歳、就任時の1947(S22).4.は35-36歳。
#(注3)退職町村長名簿では、任期は第一回統一地方選前の1946(S21).11.から1951(S26).3.とされていましたので、収録基準に合わせました。
#(注4)注3の修正に伴い、情報源で記されていた期間4年5ヶ月を4年に変更

赤木 正一さん
吉備郡富山村
任期は1947(S22).4.-1952(S27).3.、期間は5年
1977(S52).8.現在で61歳、就任時の1947(S22).4.は30-31歳。

藤原 正男さん
御津郡宇垣村
任期は1949(S24).5.-1953(S28).3.、期間は3年11ヶ月
1977(S52).8.現在で61歳、就任時の1949(S24).5.は32-33歳。

入江 卯一郎さん
御津郡牧山村
任期は1951(S26).8.-1953(S28).3.、期間は1年8ヶ月
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1951(S26).8.は37-38歳。

菅原 利男さん
御津郡建部村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).5.、期間は7年2ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
御津郡建部町(旧)
任期は1959(S34).2.-1967(S42).1.、期間は8年
就任時の1967(S42).1.は44-45歳。

香山 義加さん
御津郡豊岡村
任期は1950(S25).4.-1955(S30).3.、期間は5年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1950(S25).4.は35-36歳。

実山 稔さん
赤磐郡布都美村
任期は1947(S22).12.-1950(S25).2.、期間は2年3ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).12.は37-38歳。

福島 敏太さん
赤磐郡布都美村
任期は1950(S25).3.-1953(S28).2.、期間は3年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1950(S25).3.は35-36歳。

伊永 貞さん
和気郡熊山村
任期は1947(S22).4.-1953(S28).12.、期間は6年9ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

中川 菅男さん
和気郡神根村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).2.、期間は6年11ヶ月
1977(S52).8.現在で70歳、就任時の1947(S22).4.は39-40歳。

長代 武一さん
小田郡美川村
任期は1951(S26).4.-1954(S29).4.、期間は3年1ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1951(S26).4.は38-39歳。

仁熊 八郎さん
上房郡豊野村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.、期間は7年10ヶ月
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1947(S22).4.は33-34歳。
賀陽町の地名と歴史によると著者の仁熊八郎さんは1913年生まれ。

平松 幹章さん
川上郡成羽町(旧)
任期は1949(S24).4.-1955(S30).2.、期間は5年11ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1949(S24).4.は39-40歳。
川上郡成羽町
任期は1955(S30).3.-1959(S34).1.、期間は3年11ヶ月
就任時の1955(S30).3.は45-46歳。

長谷川 与一さん
阿哲郡新郷村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).4.、期間は8年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。
阿哲郡神郷町
任期は1955(S30).5.-1959(S34).4.、期間は8年
就任時の1955(S30).3.は44-45歳。

太毛 貞治さん
阿哲郡新見町
任期は1947(S22).4.-1954(S29).5.、期間は5年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。

田辺 万寿治さん
阿哲郡千屋村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).12.、期間は1年9ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

太田 博道さん
阿哲郡豊永村
任期は1954(S29).5.-1954(S29).5.、期間は1ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1947(S22).4.は39-40歳。

妹尾 太郎さん
苫田郡一宮村
任期は1948(S23).1.-1948(S23).7.、1951(S26).5.-1954(S29).6.、期間は合計で3年9ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1948(S23).1.は33-34歳、1951(S26).5.は36-37歳。

片岡 元武さん
苫田郡高田村
任期は1952(S27).6.-1954(S29).6.、期間は2年1ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1952(S27).6.は39-40歳。

牧野 松寿さん
苫田郡上齋原村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).12.、期間は1年8ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。

松本 正義さん
苫田郡上齋原村
任期は1961(S36).7.-1973(S48).7.、期間は12年
1977(S52).8.現在で51歳、就任時の1961(S36).7.は34-35歳。

伊丹 哲男さん
苫田郡羽出村
任期は1947(S22).4.-1959(S34).3.、期間は12年
1977(S52).8.現在で66歳、就任時の1947(S22).4.は35-36歳。
苫田郡奥津町
任期は1963(S38).4.-1971(S46).4.、期間は8年
就任時の1963(S38).4.は51-52歳。

神崎 一二さん
勝田郡大崎村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).6.、期間は7年3ヶ月
1977(S52).8.現在で69歳、就任時の1947(S22).4.は38-39歳。

山本 万之助さん
勝田郡河辺村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).2.、期間は3年11ヶ月(注5)
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
#(注5)退職町村長名簿では、期間は1年11ヶ月とあったが3年11ヶ月と修正。

内藤 五郎さん
勝田郡勝加茂村
任期は1948(S23).3.-1952(S27).2.、期間は4年
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1948(S23).3.は35-36歳。

森元 次男さん
勝田郡勝田町(旧)
任期は1949(S24).8.-1953(S28).8.、期間は4年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1949(S24).8.は38-39歳。

竹久 皎さん
勝田郡植月村
任期は1951(S26).4.-1954(S29).3.、期間は3年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1951(S26).4.は36-37歳。
勝田郡勝央町
任期は1970(S45).4.-1974(S49).4.、期間は4年
就任時の1970(S45).4.は55-56歳。

芦田 卓三さん
勝田郡北吉野村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.(注6)、期間は7年10ヶ月(注7)
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。
勝田郡奈義町
任期は1955(S30).2.-1959(S34).2.、期間は4年
就任時の1955(S30).2.は44-45歳。
#(注6)退職町村長名簿ではS30.2.までとあったが、北吉野村は1955(S30).2.1に合体で奈義町となり消滅したことより、1955(S30).1.までと修正した。
#(注7)注6より、期間を7年11ヶ月から7年10ヶ月へと修正した。

山本 太熊さん
英田郡粟井村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で59歳、就任時の1947(S22).4.は28-29歳。

長瀬 時夫さん
英田郡福山村
任期は1947(S22).4.-1952(S27).7.、期間は5年4ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1947(S22).4.は34-35歳。

江見 晴則さん
英田郡土居町
任期は1953(S28).2.-1953(S28).8.、期間は7ヶ月
1977(S52).8.現在で53歳、就任時の1953(S28).2.は38-39歳。
また、作東の文化No.40(PDF)14コマ,16コマで
昭和53年9月江見晴則 作東町長に就任。
平成10年9月春名宏 作東町長に就任。
岡山県市町村年報平成7年度-1(PDF)10コマで
作東町長江見晴則
任期H10.09.21
より
英田郡作東町
任期は1978(S53).9.22-1998(H10).9.21と推測。
就任時の1978(S53).9.22は56-57歳。

国司 武夫さん
英田郡福本村
任期は1947(S22).4.-1950(S25).2.、期間は2年11ヶ月
1977(S52).8.現在で62歳、就任時の1947(S22).4.は31-32歳。

青山 茂さん
英田郡河会村(注8)
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.、期間は7年10ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
英田郡英田町
任期は1959(S34).2.-1971(S46).2.、期間は12年
就任時の1959(S34).2.は45-46歳。
#(注8)情報源では河合村とあったが、正しくは河会村。

草地 保さん
久米郡垪和村
任期は1947(S22).4.-1953(S28).3.、期間は6年
1977(S52).8.現在で69歳、就任時の1947(S22).4.は38-39歳。

重近 久保さん
久米郡神目村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で57歳、就任時の1947(S22).4.は26-27歳。

黒田 義夫さん
久米郡久米村
任期は1947(S22).12.-1953(S28).10.、期間は5年11ヶ月
1977(S52).8.現在で57歳、就任時の1947(S22).4.は27-28歳。

続いて追加情報です。

柴田 健治さん(久米郡倭文村)
任期は1948(S23).3.-1951(S26).8.、期間は2年8ヶ月
就任日年齢は31歳3-4ヶ月

藤原 香さん(赤磐郡仁堀村)
任期は1955(S30).5.-1951(S31).9.、期間は1年5ヶ月
1977(S52).8.現在で60歳
[103295]拙稿と合わせますと、就任日は1955(S30).5.1or1955(S30).5.2
生年月日は1916.8-1917.5。

春名 明さん
1975(S30).4.30ではなくて1975(S50).4.30
[107023] 2023年 3月 4日(土)20:09:18むっくん さん
自治体越えの小学校
自治体越えの地名関連の話題に便乗です。

それは、自治体越えの小学校です。同一名称の小学校が隣接する市に存在します。
井田川小学校(亀山市)/井田川小学校(鈴鹿市)
[107005] 2023年 3月 1日(水)13:50:21むっくん さん
ロータリーコレクション
>あきごんさん

HTB北海道ニュース(YouTube)によりますと、3/1午前10時より北海道北広島市にラウンドアバウトが出来ました。
[106915] 2023年 2月 10日(金)22:57:25【1】訂正年月日
【1】2023年 2月 10日(金)23:23:12
むっくん さん
仙台市が1988年3月1日に泉市と秋保町を編入した件
[106912]白桃さん
仙台市は1988年3月1日に泉市と秋保町を編入していますが、当落書き帳の「変遷情報」や「市の変遷」では別々(項目が二段に分かれて)に書かれています。
官報公示日が異なるため、そういう風になっているのでしょうか?それとも、別々の合併協議だったからでしょうか?
当時のことはよく分かりませんが、過去ログを見る限りでは[49915]にて88 さんが
1990年以前のデータについて、お手伝いさせていただくことになりました。
とあり、[52105]にて
既入力済み分でも、「官報告示日」や「協議状況・経過等」欄での、さらなる情報については追加・充実予定です。
とあるように、法的根拠(官報、都道府県公報)や合併協議で分けていたようです。
ところが、記載が年度を遡るにつれ、これが守られていません。

例えば兵庫県の
158 1951(S26).4.1 編入 西宮市 西宮市, 武庫郡 鳴尾村, 有馬郡 山口村, 塩瀬村
の法的根拠は
兵庫縣告示第百八十三號
 昭和二十六年四月一日から武庫郡鳴尾村を廢し、その區域全部を西宮市に編入する。
昭和二十六年三月二十三日 兵庫縣知事 岸田幸雄

兵庫縣告示第百八十五號
 昭和二十六年四月一日から有馬郡山口村及び同郡鹽瀬村を廢し、その區域全部を西宮市に編入する。
昭和二十六年三月二十三日 兵庫縣知事 岸田幸雄
であるのに、一つにまとまって記載されています。

また、島根県の
84 1951(S26).4.1 編入 松江市 松江市, 八束郡 忌部村, 大庭村の一部
の法的根拠は
島根縣告示第二百三十號
昭和二十六年四月一日から八束郡忌部村を廢し、その区域を松江市に編入する。
昭和二十六年三月二十七日 島根県知事 原 夫次郎

島根縣告示第二百三十一號
昭和二十六年四月一日から八束郡大庭村を廢し、大字大庭、佐草、大草及び大字山代の区域を松江市に編入し、大字平原の区域を昭和二十六年四月一日から施行する同郡八雲村(昭和二十六年島根県告示第九十三号)の区域に加え、その区域をもつて八雲村とする。
昭和二十六年三月二十七日 島根県知事 原 夫次郎
であるのに、一つにまとまって記載されています。

法的根拠が別のものは、基本的には合併協議は別のものであるはずです。

現状で、同一日に新設合併や編入合併がなされたもので、法的根拠(官報、都道府県公報)が別のもの、合併協議が別のものはともに複数あります。
#戦前ですと、編入合併においては合併協議が別であるものはかなり多いはずです。

逆に、同一日に新設合併や編入合併がなされたもので、「市区町村変遷情報」にて別々に記載されているのは、この仙台市の事例ぐらいであるはずなので、統一的記載を考える立場からは
144 1988(S63).3.1 編入 仙台市 仙台市, 泉市, 名取郡 秋保町
と、まとめて記載した方がいいのではないか、とは思います。
[106275] 2022年 12月 19日(月)21:44:10むっくん さん
Re:経県値ページリニューアル!
[106263]海辺を飛ぶ鳥さん
鉄道で通過している途中で、乗り換えの為ではなく、満員電車などで数秒程度(?)駅のホームに降り立ち、すぐに乗った場合は「接地」なのでしょうか。
これと関連してですが、バイクですと、信号待ちで足をつく必要があり、これで「接地」としたところがあります。
他に、変わったところとしては、
十津川村・・・北山川を船で「通過」した(陸上はかすってもいません)
くらいでしょうか。

そして、本題です。

[106266]グリグリさん
まずは、リニューアルありがとうございます。

[106263]海辺を飛ぶ鳥さんが書かれた書き込みで鉄道で乗り換えの為に降りたところは「接地」ということに初めて気付きました。
そこで私の兵庫県のところを更新しようとして、落書き帳メンバー入口からメンバー名と暗証コードを入力し兵庫県を選択して、某自治体を変更して【経験値を再計算する】をクリックしたところ、
指定されたURLが正しくありません。
とのメッセージが出て更新できませんでした。
[106096] 2022年 11月 11日(金)14:15:31むっくん さん
経県値(市区町村版)京都府
[106091]グリグリさん
経県値(市区町村版)リリースありがとうございます。

一点だけ気付きましたのでご報告です。
京都府の経県値の京都市と大山崎町の区域が誤っています。
正しくは都道府県市区町村の京都府の地図だと思いますのでよろしくお願いいたします。
[106025] 2022年 10月 29日(土)17:04:22むっくん さん
市制町村制施行時で町となり、その後に市となった大津
[105934]未開人さん
「生まれながらの市」はどのようにして決められたのでしょうか。概ね人口2万5000人だったということは[85273]でわかりましたが、前橋や宇都宮、大津などはなぜ含まれなかったのでしょうか。
大津市誌によりますと、大津が市制施行を選ばなかった詳細な経緯は残っていないようですが、概ねの経緯は以下の通りのようです。

大津は基準を満たしていましたが、市になることになるのに賛成している方が少数派であったことから、滋賀郡長が市制町村制施行時には大津町でいくと勝手に国に報告を挙げました。町となることより市となる事の方が行政経費がかさむ事が想定されていたことより、住民からの反対行動がほとんどありませんでした。
この結果、明治22年の市制町村制施行時には大津町となったようです。

その後、翌年から市となる方向で町民が動き始めました。明治30年にはこれを阻止すべく、滋賀郡長が大津町の内の旧・藤尾村などの区域は滋賀郡に残す形を取る上申書を内務省に提出し、人口要件の点で市制施行を阻止しようとします。ところが、分離されることとなる旧・藤尾村などの区域の住民の反対運動で、分離することが出来ませんでした。その為、明治31年に無事に大津の市制施行となりました。([63923]拙稿)
[105788] 2022年 9月 23日(金)21:31:51むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問八:大田市
[105787] 2022年 9月 23日(金)21:26:41むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問三:霧島市
[105785] 2022年 9月 23日(金)21:20:54むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問五:松江市
[105777] 2022年 9月 23日(金)17:38:59むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
[105776]海辺を飛ぶ鳥さん
ありがとうございました。

問十:大竹市(既解答市のため再答)
[105774] 2022年 9月 23日(金)14:04:46むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問一:名古屋市
問二:福井市
問三:野洲市
問四:北茨城市
問五:京田辺市
問六:うきは市
問七:松浦市
問八:安来市
問九:赤穂市
問十:有田市
[105350] 2022年 8月 27日(土)10:57:35【3】訂正年月日
【1】2022年 8月 27日(土)11:06:49
【2】2022年 8月 27日(土)11:09:04
【3】2022年 8月 27日(土)23:45:37
むっくん さん
Re2:飾西郡高浜村と飾東郡高浜村
[105348]サヌカイトさん
「同一郡に同一村(町)名をつけてはいけない」というルール(マナー?)があったのだろうか
明治4年の廃藩置県までは、各藩は複数の村をまとめた○○組(○○郷、○○庄など)という単位で統治していたので、同一郡に同一村名があってもしっかり区別できたため、同一の郡に同一の名称の村は普通に存在していました。

その後、明治5年に大区小区制が施行され、例えば△△県(□□郡)第一大区第三小区●●村もしくは△△県□□郡第三区●●村というような形で表記されることになりました。この時も同一郡に同一村名があっても基本的には区別できたため、同一の郡に同一の名称の村は普通に存在していました。

ところがその後、郡区町村編成法(M11.7.22)が各府県に施行されたことで、大区小区制が廃止されました。この時、今と同じように△△県□□郡●●村という形で表記されることになったのですが、同一郡に同一村名があると区別できなくなり各地で統治に支障が出るようになりました。
そのため、全国的に明治12年から明治17年にかけて、同一郡の同一名称の村は、地域の総称や、東西南北や、上中下などが村の名称に付け加えられる形で村の名前の改称が行われました。

一例として和歌山県乙第238号布達(M12.10.31)で行われた村の名前の改称は以下の通りです。
名草郡 西村→名草郡 山口西村
名草郡 別所村→名草郡 北別所村
名草郡 中村→名草郡 和佐中村
名草郡 中村→名草郡 山東中村
名草郡 黒谷村→名草郡 上黒谷村
名草郡 中ノ村→名草郡 楠見中村
那賀郡 中村→那賀郡 野上中村
那賀郡 中村→那賀郡 猿川中村
那賀郡 中村→那賀郡 毛原中村
那賀郡 中村→那賀郡 麻生津中村
那賀郡 市場村→那賀郡 神野市場村
那賀郡 市場村→那賀郡 名手市場村
那賀郡 宮村→那賀郡 岸宮村
那賀郡 宮村→那賀郡 毛原宮村
那賀郡 宮村→那賀郡 真国宮村
那賀郡 馬場村→那賀郡 田中馬場村
那賀郡 小野村→那賀郡 小川小野村
那賀郡 小野村→那賀郡 岸小野村
那賀郡 上村→那賀郡 名手上村
那賀郡 上村→那賀郡 毛原上村
那賀郡 西野村→那賀郡 名手西野村
那賀郡 西野村→那賀郡 志賀西野村
那賀郡 中畑村→那賀郡 細野中畑村
那賀郡 東野村→那賀郡 志賀野東野村
那賀郡 上野村→那賀郡 最上村
那賀郡 新在家村→那賀郡 風市村
那賀郡 新村→那賀郡 野上新村
那賀郡 新村→那賀郡 池田新村
那賀郡 下村→那賀郡 名手下村
那賀郡 下村→那賀郡 毛原下村
伊都郡 馬場村→伊都郡 北馬場村
伊都郡 馬場村→伊都郡 南馬場村
有田郡 中村→有田郡 東中村
有田郡 中村→有田郡 尾中村
有田郡 大谷村→有田郡 東大谷村
有田郡 中野村→有田郡 上中野村
有田郡 中野村→有田郡 植野村
有田郡 中島村→有田郡 上中島村
有田郡 中島村→有田郡 下中島村
有田郡 金屋村→有田郡 南金屋村
日高郡 神ノ川村→日高郡 西神ノ川村
日高郡 神ノ川村→日高郡 東神ノ川村
日高郡 吉田村→日高郡 東吉田村
西牟婁郡 大谷村→西牟婁郡 西大谷村
西牟婁郡 長瀬村→西牟婁郡 上長瀬村
西牟婁郡 伏菟野村→西牟婁郡 東伏菟野村
東牟婁郡 中村→東牟婁郡 下中村
東牟婁郡 大居村→東牟婁郡 南大居村
東牟婁郡 和田村→東牟婁郡 東和田村
東牟婁郡 和田村→東牟婁郡 下和田村
東牟婁郡 長井村→東牟婁郡 上長井村
東牟婁郡 中野川村→東牟婁郡 西中野川村
東牟婁郡 赤木村→東牟婁郡 西赤木村
東牟婁郡 平野村→東牟婁郡 南平野村
東牟婁郡 大野村→東牟婁郡 上大野村

よって、
兵庫県が市制町村制施行した際、飾西郡と飾東郡両方に高浜村が誕生しました。そして飾西郡と飾東郡は1896/04/01に合わさって飾磨郡となるのですが、それに先立ち飾西郡高浜村は(中略)広村へと改称しています。僕はこれを、郡が合わさることで同じ郡に高浜村が2つできてしまうために、改称せざるを得なかったのではないかとにらんでいますが、いかがでしょうか?
とのサヌカイトさんの推測は正しいと思います。


飾西郡高浜村は1か月ほど前の1896/03/03に広村へと改称
兵庫縣告示第六十九號(1コマ2コマ)では
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ飾西郡高濱村ヲ廣村ト改稱ス
明治二十九年三月五日 兵庫縣知事 周布公平
とありますので、1896(M29).3.3改称→1896(M29).3.5改称です。>グリグリさん

(余談)広村はのちに八幡村と合併し広畑町となっています
ちなみにこちらは
兵庫縣告示第三百六十號
町村制第三條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得昭和十六年四月一日ヨリ飾磨郡八幡村ヲ廢シ其ノ區域ヲ同郡廣村ニ編入ス
昭和十六年三月三十一日 兵庫縣知事 坂 千秋
---------------------------
兵庫縣告示第三百六十二號
昭和十六年四月一日ヨリ飾磨郡廣村ヲ廣畑町ト改稱ノ件許可セリ
昭和十六年三月三十一日 兵庫縣知事 坂 千秋
とあります。

以下はグリグリさん宛てで
#7 1894(M27).4.1 分立 飾東郡下中島村 飾東郡 高浜村の一部
兵庫縣告示第八十一號では
町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得飾東郡高濱村ノ内下中島村ヲ分割シ下中島(シモナカシマ)村ヲ新設ス
明治二十七年四月五日 兵庫縣知事 周布公平
とありますので、1894(M27).4.1分立→1894(M27).4.5分立です。


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