[60643]hmtさん
それでも、落書き帳の歴史において最も暑さの記事がにぎわった2004年7月下旬の熱気?には及んでいないようです。
主な記事をまとめておきました。猛暑2004
僕が読んでいたのはこの辺りです。ついに3万件を突破しました。「グリグリの理系な問題」から発展したお馴染み「全国の市・十番勝負」が始まりました!
『猛暑2004』には入っていませんが、
[31829] 2004 年 8 月 15 日 (日) みかちゅうさん
によれば、東京で真夏日が40日も続いたんですね。当時も受験生(中3)だったので、冷房の効いた塾に籠ってちゃんと勉強してたのでした。
>星野彼方さん
地名コレクションの編集から編集者としての面白さ、大変さが分かってきたので久しぶりに交通由来町名の戸を叩きます!
■静岡県裾野市
1889年2月 東海道線の「佐野駅」として開業。調べていて驚いたのですが、当時は町村制が施行される前でした。駅名は村の名前から取ったのでしょう。
1889年4月 町村制施行により駅が駿東郡小泉村(大字佐野?)に。
1891年 小泉村から泉村が分立。
1915年 駅名改称「佐野」→「裾野」
1934年 丹那トンネルの開通で東海道線から御殿場線に。
1952年 駿東郡小泉村・泉村が合体。町制して裾野町に。
1971年 裾野町市制。
合併データは「
市町村変遷情報」から戴き、駅関係はWikipediaを使いました。
駅名の由来は
[45116] 2005 年 9 月 24 日 (土) 今川焼さん
によると
裾野市
裾野の歴史年表によると、裾野市の前身の裾野町の直接の由来は、御殿場線の裾野駅のようですが、
>裾野駅は、1899(明治22)年の駅開設当初、駅周辺の地名から「佐野駅」と名付けられた。しか
>し、南海線の佐野駅(大阪府)や両毛線の佐野駅(栃木県)と同じで紛らわしいため、1915(大正
>4)年7月に裾野駅と改称された。
とあり、裾野駅の命名の由来は富士山などの山の「裾野」ではないかということです。
だそうです。念のため“
[45116]”で検索を掛けましたが、出なかったので続けます。
改称の理由は今川焼さんの記事の通りで、重複を避けるためですね。佐野駅がある両毛線が国有化されたのは1906年で、9年間は重複していました。新しい駅名は「小泉」が妥当なはずですが、どうしてか「裾野」になりました。ちなみの現在では太多線に「小泉(多治見市)」がありますが、この路線を有した東濃鉄道が国有化されたのは1926年になってからです。その他、「甲斐小泉(小海線)」「大和小泉(関西線)」「陸前小泉(気仙沼線)」ともに裾野駅改称後の設置で、東武鉄道(開通時中原鉄道)の「小泉町」もなかったのです。こうなってくると、既に改称されたり廃止になった駅が出てくるのが心配です;
ともかく、「裾野駅」の効果で小泉村+泉村の新町名が「裾野町」になったと判断しました。
■座間市さがみ野
この駅は新興住宅地の開発目的よりは、一向に鉄道に恵まれない海老名市東柏ヶ谷の大塚地区や、さらには綾瀬市・座間市のために設置されたと考えています。
今の相鉄線の前身、神中鉄道については
[2812][2813] 2002 年 8 月 28 日 (水) Issieさん
[41660] 2005 年 5 月 27 日 (金) hmtさん
にも詳しく書かれています。
神中鉄道の厚木-二俣川間の開通時(1926年)、相模国分(海老名村/現在は信号所)と大和(大和村)の間に相模大塚駅が開設されました。この駅は柏ヶ谷の集落の東側にありました。1938年に海軍厚木飛行場が出来、その引き込み線を通すために相模大塚駅はさらに東に移転させられてしまいます。戦後すぐに柏ヶ谷駅が出来ます(すぐに大塚本町に改称)が、これは現在のかしわ台駅東口付近で元の相模大塚駅よりも西でした。1975年に相模大塚駅の橋上駅舎化に伴う東よりへのさらなる移転、大塚本町駅の設備の悪さからこの駅を移転・改称してさがみ野駅が現在の位置に出来ました。また、星川(保土ヶ谷区)にあった車庫が移転してきた横にかしわ台駅を新設し、利便を図りました。さがみ野駅は海老名市にありますが、綾瀬・座間市の境に近いので、1984年に座間市の栗原の一部に住居表示を施し、駅名から「さがみ野」にしました。
…いかがでしょうか?