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北の住人さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[53288]2006年8月11日
北の住人
[53267]2006年8月10日
北の住人
[53219]2006年8月9日
北の住人
[53215]2006年8月9日
北の住人
[53187]2006年8月9日
北の住人
[53120]2006年8月6日
北の住人
[53110]2006年8月6日
北の住人
[53065]2006年8月5日
北の住人
[53028]2006年8月5日
北の住人
[52976]2006年8月3日
北の住人
[52939]2006年8月2日
北の住人
[52900]2006年8月1日
北の住人
[52859]2006年7月31日
北の住人
[51990]2006年7月4日
北の住人
[51957]2006年7月2日
北の住人
[51863]2006年6月24日
北の住人
[51820]2006年6月19日
北の住人
[51810]2006年6月18日
北の住人
[51808]2006年6月18日
北の住人
[51795]2006年6月17日
北の住人

[53288] 2006年 8月 11日(金)21:18:49北の住人 さん
第十二回十番勝負
問八:足利市

結局わかりませんでした。明日は朝早くに起きて、小樽方面にブルーベリー狩りに行くので、そろそろ寝ます。果報は寝て待て、なんて言葉もあるので。
[53267] 2006年 8月 10日(木)23:58:03北の住人 さん
第十二回十番勝負
問九:豊後高田市

問八はお手上げ状態。なか那珂、パッと光のようにはひらめきません。
[53219] 2006年 8月 9日(水)23:42:23北の住人 さん
第十二回十番勝負
第十二回十番勝負
問十:野田市

まだ残っているようなので、これで行ってみます。問八はもっと考えないとだめなようで。
[53215] 2006年 8月 9日(水)23:16:12北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:室蘭市
問八:豊岡市

前回の解答は、考えが足りず情けない結果となりました。再挑戦です。
[53187] 2006年 8月 9日(水)00:12:54北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:江別市
問七:にかほ市
問八:江別市
問十:津市

はまってしまい、こんな時間になってしまったですよ。問十は残り1市なので、残しておきました。
[53120] 2006年 8月 6日(日)22:40:47北の住人 さん
確かにローカル
[53113] ぺとぺと さん
これです、コシヒカリだったんですね。これ全国かと思っていたら、東京と北海道だけだったとは。
[53110] 2006年 8月 6日(日)15:13:11北の住人 さん
越後屋 おまえも悪よのぉ
[53073] 右左府 さんの記事を読み、「イバラキのなんとか」だったか「イバラギのなんとか」だかのCMを思い出しました。何のCMだったか覚えてませんが。

[53079] 愛比売命 さん
[53087] EMM さん
旅館に限らず、出身地を屋号にする例は多いんじゃないでしょうか。今は予約して行くことが多いですが、昔は旅先で飛びこみという感じだと思います。隣国といっても今と違って困難な道中、しかも一生に一度あるかないかの一大事業、私のような小心者が異国で心細くなっているところに、自国の看板を見つけ中に入って一息、なんてことがあったかもしれません。
かつて札幌駅前に、全道一豪華だと言われたこともある、明治の中頃創業の「山形屋旅館」がありました。創業者は現在の山形市出身なんですが、「出羽屋」「羽前屋」でないのは語呂が良かったからか?

ある本に、奈良盆地には旧国名が地名となっている例が多く、全部で30カ国ほど存在すると書かれています。古墳、寺院の建設により各地から人が集まり、定着したためという事です。

札幌も暑いですが、甲子園はもっと暑くて熱いんでしょう。北北海道は残念でした。開会式後ということもあり選手が応援に来てましたが、南に期待しましょう。
[53065] 2006年 8月 5日(土)20:54:59北の住人 さん
烏帽子は黒い
[53032] みやこ♂ さん
私は、頂上がにゅっとした感じの丸い山のことを烏帽子岳と呼ぶんだと思ってたんです。ある種の烏帽子を、折らずに横から見ると丸いじゃないですか。正面から見ると尖ってますが。
そこで烏帽子とは何かと調べたんですが、どうも「黒い帽子」で形はさまざまだったんです。他の色、例えば赤なら「赤烏帽子」ですが、「烏帽子」と言ったら色は黒なんですね。そんなこんなで「烏帽子岳は黒い」という珍説を作ったわけです。

「烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂」ですが、「烏帽子のように尖って、黒々としたやわらかな線で起伏する頂」という意だと色ではなくなるんですよね。「烏帽子のように、尖って黒々とした、やわらかな線で起伏する頂」なら形と色なんですけど。「尖って」「やわらかな線」というのはなんとも意味が深いです。その山にたどり着いて、間近に見た人ならではの表現なんでしょう。
[53028] 2006年 8月 5日(土)00:17:15北の住人 さん
天の香具山霞たなびく
うれしいですねぇ。ちゃんと調べればよかったんですが、手を抜いておりました。[52979] faith さん、ありがとうございます。
私、今気付いたんですが、「天香具山」は「橿原市」でもあるんですね。というより、「橿原市」に「天香具山」があると言った方が良いのでしょうか。例の文章は、「大和三山」についての記述だったんですが、なんで「橿原市」ではなく「桜井市」なのかは私には分りません。この「大和三山」は「奈良三山」とは呼ばないんでしょうね。

即席ですが奈良について勉強してます。廃藩置県当初、「奈良県」は今よりかなり狭い範囲だったんですね。更に、昔むかしの「なら」はごくごく小さな場所だった様です。「大和」の中の一部が「奈良」と理解しましたが、その点で、「大和盆地」より「奈良盆地」の方が範囲を適切に表現しているように思えます。
[52976] 2006年 8月 3日(木)22:51:12北の住人 さん
大和盆地
[52961] huzisan さん
遠くに住んでいると実感がないので、どれが誤用でどれが正しいのかよく分りませんが、「大和盆地」の使用例がありましたので、報告します。私見ですが、業界というのか一門というのかそういう流れの中で使用されている可能性があるのではないかと感じました。

吉川弘文館の雑誌「日本歴史」(日本歴史学会編集)668号の特集「日本史のなかの地名」中、研究余録として関西学院大学の方の文章に、「大和盆地」が4回ほど出てきます。その内の1つは「大和盆地(大和平野)」となってます。
この方、出身は奈良ではなさそうですが、中世奈良の社寺文書を研究されており、昭和30年前後には奈良県内の町村史編集にも参与されているとの事です。
多分、この方は多数の論文や書物を著していると思いますので、そこでも「大和盆地」としていると考えられます。そう考えるとこの方の周辺では「大和盆地」が一般的に使われているんではないかと思います。

なお、この文章中、「香久山(村)は桜井市に属した」との記述もあります。(香久山村というのがあったのか、天香具山を指しているのかは不明)
「香具山・香久山」は「天香具山・天香久山の略称」と私の辞書にはあるのですが、これはどう考えればよいのか、今日も眠れない夜になりそう(暑くて)。
[52939] 2006年 8月 2日(水)23:00:44北の住人 さん
山のこと
[52903] みやこ♂ さん
[52918] futsunoおじ さん
私、双耳峰そのものに付いては深く考えてなかったです。実際に見ることができないので、コレクションを見ながら耳の間が短いのや長いのがあるなぁ、耳の形はどんなのだろ、やはり猫型か、といった感じです。ただ、2峰間の距離が長いのは1つの山と言えるのかと思い、山とは何かと疑問が湧いたのですが、双耳峰は山の数ではなく形なんですね。
重要なのは地図上ではなく、見た目でしょうか。鑑賞するには芸術性は重要ですね。

その点で言えば、1,022m無名峰も地図上の話に過ぎず、実際には単なる尾根で、山に見えないかもしれないです。まぁ、誰かが山だと宣言したらそうなるのかもしれませんが。

北海道の山には「クマネシリ」と名付けられたものがいくつかあります。形状が「頂上部が平らな山」とされていますが、「両端が盛上がり中央部が平らな山」という説も出されています。実際の形状は後者となっているようですが、両端の盛上がりの形が耳なら双耳峰の候補となるかもしれません。

「双耳峰」コレクションに北ペトウトル山がありますが、南ペトウトル山も似たような形状です。(「北ペトウトル山」の「記事」欄は「チロロ岳」の説明のような気がしますがどうでしょう。)
他所でも書いたことありますが、このペトウトル山、その筋では有名な人だという大島亮吉が「非常に顕著な山容の頂だった。烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂のうえからすっくと聳えていた」と表現しているんです。これを読んで「烏帽子は形ではなくやはり色か」と心の中で叫びました。烏帽子の種類と形を調べた事があるんですが、烏帽子にもいろんな形があるようです。もっとも、世の中の烏帽子岳や烏帽子岩は特定の形なんでしょうが。
[52900] 2006年 8月 1日(火)21:40:05北の住人 さん
山を考える
(問)大阪府の一番高い山は?
(答)金剛山!
これが地下鉄乗車中に出した答えです。以下、私の頭の中。
大阪府最高地点はこの図の金剛山南方になるが、山頂は大阪府ではない。しかし、ロープウェイや国民宿舎の位置は金剛山と考えられる。大阪府最高地点が金剛山の山腹に位置しているのであれば、大阪府の一番高い山は「金剛山」となる。

ところが、帰って地図を見ると次の問題が頭の中に。
(問)大阪府で最も高い山頂(最高峰)は?
(答)金剛山南方、伏見峠南西の標高1,022m無名峰!(実は名が有ったりして)
地図では府県境、標高がよく分らないのでとりあえずここに。以下、私の頭の中。
山頂とは山の頂点なので、山名標記がなくとも頂点となっている場所は山と見なせる。1,022m地点は金剛山の尾根続きではあるが、等高線の状態から金剛山山頂とは別の山頂であり、大阪府の最高峰は1,022m地点となる。

というふうに山とは何なんだ、どこで分割するのだと悩んだわけですが、「双耳峰」コレクションを見ると両方の耳に名がついているのもあり、これは1つの山なのか、2つの山なのかと。また、隆起している地形の頂点をそれぞれ1つの山と考えると、山を数える事は不可能に近いのではと。これが独立峰(この定義は考えずに)ならすっきりするのかと言うとそうでもなく、世の中の「富士」を見てみると、富士山のそばには宝永山で、利尻山にポン山、鳥海山を見るとあちこちに山名がありいわば山の集合体。
そこで、結論。山は数えられない。あるいは、数える人により数が異なる。

私の脳を刺激したのは次の記事・地名コレクションです。ありがとうございました。
futsunoおじさん [29535] 「双耳峰」コレクション
花笠カセ鳥 さん [52774]
SANUKI-Impact さん 「富士」コレクション

以下、蛇足
山頂は点なので、面積がなく分割ができない。したがって、県境に位置する山頂は2つの県に属する事ができず、一方の県に属する事もできない。よって、県内の最高峰は県境に存在しない。

こんな事を考えていたら、内角の和が360度や90度の三角形もあったなぁ、何て事を思い出しました。
[52859] 2006年 7月 31日(月)22:37:09【1】北の住人 さん
いろいろです
最近暑くてだらっとしてます。こっちはもっと暑い、と皆さんから怒られそうですが、考える事を止めると呆け、ではなく最近は痴呆症だか認知症だか言うんだそうですが(暗証コードがやっと頭に浮かんだです)、その進行阻止も兼ねてぐだぐだと。この時点で、スルーしている人がいるかもしれませんが、意味のないことばかりなので、通りすぎるのもまた良いです。

カモについてなにかに書いてあったかもと、手元の本をいろいろ探ってやっと出てきたんですが(昔は一発で出てきたのに)、古事記、日本書紀などの表記としては「鴨」「迦毛」「甘茂」「賀茂」「加茂」「賀毛」「加毛」「賀母」。(「加毛」は「増毛」に似てますが、うちの家系とは関係ないのでここでは触れません。)

漢字表記で最近見たのが「麹町区」を「糀町区」としていた誰かの手紙か日記。明治の作家だったと思うんですが残念ながら見つかりません。(机のどこかに隠れているはず、これも認知症の手前か既に進んでいるのか。まあ、こんな事はそもそも認知症とは言わないのでしょうが。)

札幌・新十津川間の札沼線は学園都市線とも言うのですが、都市の使い方微妙ですね。この路線は「東武鉄道」と言われたりした事もあったようで(関東の東武ではなく人名です)、また、この線の開業により廃止になった軌道もあります。新十津川駅は「しんとつがわ」から「しんとつかわ」になったとか。

僭称というのはなるほどそう言うことかと、目から鱗が落ちましたが(これ、使い方合ってるんでしょうか、最近日本語に自信なし)、リンクというのは困りものですね。事典の項目をたどって行くうち、最初に何を調べていたか忘れて、光陰矢の如し(これも微妙)。最近は御御御付が御味御付だった事を知り驚きました。そんな中で、芥川竜之介(龍之介か)の『藪の中』は「藪の中」とは違う意味の話だったのではとふと思い出し、本を探しましたが見つからないので、原作の今昔物語(現代語訳)を読んでみたら『藪の中』とは内容(というか主題か)が違うではないですか。

芥川の『藪の中』を元にした映画のロケ地は確か屋久島だったと記憶してますが、今昔物語の舞台は大江山。と、強引に山を出してきましたが、最近悩んでいる素朴な疑問が「山とは何か」。
「双耳峰コレクション」「日本で一番山が少ない県」「大阪府の最高点が金剛山の南方で最高峰は大和葛城山」この3つが私を悩ますわけで、山とは点なのか線なのか面なのか。山頂が山なのか。尾根と山は違うのか。山はどこで他の山に移るのか。山は数える事ができるのか。長くなったので、この続きは後ほど詳しく書こうと思うんですが。妄言多謝 
[51990] 2006年 7月 4日(火)22:26:02北の住人 さん
ちょこレス
[51964] ぺとぺと さん
そうですね、「すすきの」の具体的な場所を指すには、「すすきの」とは言わずに住所やビルの名を使ってます。同じ通称でも「狸小路」は直線的な街路なんで、「丁目」を付けて場所を限定できるのが「すすきの」との違いでしょうか。
(「すすきの」には「0番地」なんていう番地がついてる場所があったりしますが。)

「南沢」はなんで仲間はずれなんでしょう。「川沿」は「エ」なのか「イ」なのかとっさに迷う事ありますが。「麻生」は病院なんかは「アザブなんとか」だったりするところ多いようです。他にも白川(シラカワ/シライカワ)、硬石山(コウセキヤマ/カタイシヤマ)、雁来(カリキ/カレキ)なんていうのがあります。
[51957] 2006年 7月 2日(日)22:37:05北の住人 さん
ちょっとレス
[51948] EMM さん
なぜ7月1日に饅頭なのか、と言う理由は拙稿[42735]参照
私の記憶違いかもしれませんが、最近読んだ記事に、氷室饅頭は道中の無事を祈願するためのもの、といった感じで書かれていました。

地名というのは難しいもので、札幌の場合、正式な住所より通称である「すすきの」や「桑園」と言った方が分り易い場合もありますね。自然地名である「藻岩山」が同時に「町名」になっているという例もいくつかあります。
[51863] 2006年 6月 24日(土)15:31:07北の住人 さん
能登はやさしや土までも
[51837] EMM さん
石川県のガイドブックを見ていたら能登に行きたくなってきました。「能登の隠れ家 ‐四百年の歴史を持つ奥能登の秘湯‐」なんていうコピーの宿も出てますが、雰囲気からすると子連れは無理そう。

さて、羽咋郡・鹿島郡を「口郡」、鳳至郡・珠洲郡を「奥郡」という、なんてことが30年も前の百科事典に書かれています。この地方、羽咋国・能登国→越前国→能登国→越中国→能登国→七尾県→石川県と所属が変化しているのも面白いですね。

「能登」が「能州」なら、南の「加賀」は何かと辞書で調べたら「加州」と「賀州」、逆に「加州」を引くと「カリフォルニア州」が現われ、「賀州」は「伊賀」で「加賀」はなし、そこで「伊賀」を引いたら「伊州」と「賀州」、すると「伊豆」はというと「豆州」で、「伊予」は……
[51820] 2006年 6月 19日(月)21:30:15北の住人 さん
失礼しました
[51811] [51812] hmt さん
申し訳ありません、電子本は写真なしでした。写真の説明は「進駐軍向けに“OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES”と書かれた500型(昭和26年)」となってます。写真では不鮮明ですが、文字が上下2段に分かれており、上が「OFF LIMITS」下が「TO OCCUPATION FORCES」となっているようです。「乗車禁止、占領軍専用」と解釈してました。英語からは遠ざかっているので、逆に考えてました。

神田明神は1616年に移転ですか、400年も前ですね。札幌の寺社ではせいぜい100年前に移転で、なかには元の位置がわからない例もあります。なにかで読んだ記憶ありますが、京都の老舗で昔の話とは1000年前のこととか。
[51810] 2006年 6月 18日(日)21:48:00北の住人 さん
内・外
[51802](Issieさん)を読み、神田川ができたので神田が南北に分れ、単なる川ではなく堀だから内と外なのか、と勝手に思っていたところ、[51807](hmtさん)では、神田は堀の外に向け拡大したような印象。東京は奥が深いです。手元の地図では、川の北側に神田明神がありますが、「神田」自体も、「内神田」「外神田」についても、その範囲が変動していたということになるのでしょうか。

[51801](逆太郎さん)の「小友」を地図で確認してみましたが、「内・外」を分けるものは山くらいで、同じ「小友」を名乗るのはなぜなのか分らない場所です。地図だけでは無理ですね。
「城田」もよく分らないですね。地図では川と伊勢神宮が絡んでるように見えますが。

これに比べると能登半島([51797]Issieさん)は湾の内と外なので単純そうですが、そうでもないようで、旧内浦町は内浦地域(こんな使い方をするのでしょうか?)のごく一部ということになりそうです。数年前に買った石川県のガイドブックには「奥能登」「中能登」という表現があり([5517]オーナー グリグリさんでは「口能登」も)、能登も切り口がいろいろですね。(恥ずかしながら、能登は輪島のあたりかと思ってました。中心は七尾だったとは。氷見には行った事ありますが、西側の石川県側は能登なので、能登半島に行ったことになる?)

「コーカサス」([51799] hmtさん)、学生時代に専攻外の中央アジア史をひょんな事から取った事があり、スキタイとかサマルカンドとかやってましたが、「ザカフカス」という表現、これも内外に絡んだ言葉だったのかと20年前を思い出しました。
内蒙古・外蒙古の内・外とは関係ないですが、今日の新聞に東京のモンゴル料理店の話題があり、夜は羊肉(多分豪産)を食しました。
[51808] 2006年 6月 18日(日)20:18:34【1】北の住人 さん
専用車
[51787] hmt さん
列車名「Yankee Limited」への反応です。
札幌の市電でも、スキーシーズンに進駐軍専用電車を走らせていたそうです。電車の側面に「OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES」と書かれた写真が手元の本にあります。(さっぽろ文庫「市電物語」、なお電子本を読むには専用ソフトが必要で、写真は掲載されていません。)

札幌・横浜間の列車については、昭和21年10月14日当時の札幌駅駅長さんのこんなエピソードが(さっぽろ文庫「札幌の駅」)。
22時発横浜行き進駐軍直通第1201列車の発車時刻直前に、この日増結により13両編成となった車輌の再編成をRTOに命じられ、再編成の約束時間15分を8分過ぎたため、RTO司令官から出勤停止を宣告されたという事です。(RTOとはなんの略かは分りません。この司令官、悪い人ではないようで、出勤停止はすぐに解除されたようですが。)

また、進駐軍は札幌市南部、当時の豊平町真駒内にキャンプクロフォードを建設し、国鉄がそこへのアクセスとして、近くを通っていた定山渓鉄道に接続する専用線を建設、札幌(東札幌?)・キャンプクロフォード間に進駐軍専用列車を走らせていたそうです。
[51795] 2006年 6月 17日(土)11:28:33【2】北の住人 さん
下北知床岬?
[51726] Issie さん
場所不明だったので、地図で確認でき良かったです。
久しぶりに樺太の図を見ましたが、得も言われぬ形してますね、特に亜庭湾の辺りが尖端恐怖症にはこたえられません。北海道の「知床岬」に対して「中」や「北」が付いたのか、「内知床村」と「外知床村」の間だから「中」なのか、「岬」コレクションや「崎・埼・碕」コレクションをみても、同名の例が少ない中、1つの町に同名岬があったりで、岬の同名回避を行った理由は何なのかとふと思ってしまいました。
「内知床村・外知床村」の「内・外」の対比も「上・下」に比べれば極端に少ないのでは。「内房・外房」しか頭に浮かびませんでした。

さて、本州にも「シレトコ」があったという話です。以下、山田秀三「下北の旅の記録」(昭和34年12月「うとう」第49号、山田秀三著作集「アイヌ語地名の研究3」に収録)から。
山田さん、金田一京助さんの著書に書かれている下北半島の「シレトコ」の場所が分らず本人に会いに行き、出された地図が橋本玉蘭斎なる人の書いた「陸奥出羽国郡行程全図」。そこには確かに「シレトコ」と「シレトコサキ」の文字が。現在(といっても昭和30年前後)の地形図に照らし合わせると、下北半島九艘泊付近の岬で、候補としては貝崎北海岬。各種文献からすると「貝崎」のようだが、連絡船から見る程度だったので自信なく、土地の詳しい人に教えてもらいたい、と山田さん。
こんな感じで書かれていますが、現地に行ったとしても「志礼登古之地」なる木標が建ってるはずも無く、今となっては調査も難しいですね。


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