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蘭丸さんの記事が20件見つかりました

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[5018] 2002年 11月 18日(月)15:01:14蘭丸 さん
日本では、なぜ連邦制ではなく道州制か
[4984]ヒロオ さん
>ロシア、ドイツなどは連邦制を採用していますが、日本では連邦制の論議がまったく見られません。お国柄ですかね。

 今の日本に連邦制を導入する必然性がないからだと思います。 たとえ、新しく制度を確立しても、おそらく日本国民はそれに馴染むのに相当の時間を要すると思います。

 現在、連邦制をとる国は、アメリカ、ロシア、スイス、ドイツ、オーストラリア、ベルギー、カナダ、ブラジル、マレーシア等々と世界には多数存在しますが、それらの国々は歴史的経過から連邦制をとるにいたっています。連邦制を「導入」したのではなく、結果的に連邦制になっていると言ってもいいと思います。
 それぞれ別個に成立したコミュニティーが対外的に連帯しようとしたり(アメリカ、スイスなど)、国土の広域性ゆえの統治の方策として編み出されたり(カナダ、オーストラリアなど)、あるいは、歴史的な地域主義の名残り(ドイツなど)だったりと、連邦国家には連邦制であるべき必然性があるのです。

 ひるがえって日本を考えると、確かに中世以降の地方制度は事実上の連邦制に近いもの(今日の民主主義下の連邦制とは性質が異なりますが、地方の独立性は相当程度ありました)でしたが、明治維新という大改革によって、中央集権体制への元帰りが断行され、富国強兵の近代化が推し進められました。その当時の地方体制と今日の地方体制は基本的には変えられずに推移してきました(都道府県の枠組みが100年にもわたって改編されていないのが象徴的な例)。
 変わったことといえば、都道府県が単なる行政区画から自治体に昇格したことぐらいです。それも、戦後の地方自治法制定時に存在した都道府県をそのまま存続させるための方策だったというだけで、都道府県の存在意義の検証や広域自治体の明確な定義づけもないまま、都道府県と市町村の二層制がとられているというのが実際のところだと思われます。

 近代化を果たして自他ともに認める先進国となった今、当時の中央集権体制の名残りを残しておくことはあまり適当とは思われませんが、なにせ100年にもわたってこの地方体制を維持しててきたわけですから、今さら「連邦制」なんていわれても唐突なんですね。おそらく。
 それに、近代化後の日本は標準語の浸透や東京一極集中などによって、地方の個性が薄れていますから、国民の生活実態からいっても連邦制は似つかわしくないと思われます。
 ですから、個々に主権を持った州によるところの連邦制ではなく、単に広域的自治を行うという意味合いで「道州制」なる言葉がつくられたものと私は解釈しています。
[5016] 2002年 11月 18日(月)14:00:10蘭丸 さん
合併の目的と都市の肥大化
[4967]issie さん
>別に百万都市にならなくたって,いいじゃない。
>人口が増えるのが都市の発展の象徴で,それで格が上がる・・・なんてのは,....
>もう,そんな時代じゃないと思いますよ。

[4971]わたらせG さん
> 私も同感です。習志野市のみならず。....
>少し立ち止まって冷静にその地域の歴史、環境、特性なども十分に考慮した上で....
>..「温故知新」大切なことですね。

 私も、このような意見に同感です。合併しない小規模町村から事務権限を奪うなんて、もってのほかと思います。([4423]拙文、[4482]くは さん 参照) 合併、合併、また合併と、国が音頭をとって自治体の再編を行うということを、近代日本はこれで3回行うことになります。自治体の大型化、都市の肥大化は、地方自治にとってそんなに大切なことなのでしょうか。

 政府は「国・地方を合わせた」財政健全化のために、市町村合併をするんだと言っています。しかし、「民主主義の学校」と云われる地方自治の、基本的単位である市町村の合併は、住民福祉の見地からの充分な検討と無理のない進め方が求められるはずです。財政健全化も重大事ですが、無駄があっても守らねばならないものもあるように私は思います。

 中核がどこか判然としないのに、ただ政令市を目指して合併したり(湘南市など)、単に見かけの人口規模を意識して合併したり(千葉市+四街道市など)というようなことは、はたしてそれが住民の福利につながるのか、はなはだ疑問です。
 [4959]ヒロオ さん、[4964]ケン(地理好き)さんご指摘のように、歴史的経緯を充分考慮せず、単に“隣接しているから”といって合併してたら際限のない話になってしまいます。最近話題にのぼった町田市と相模原市のように、住民の生活実態から見て合併が自然な場合に行われるべきでしょう。

 役所の目からは、とかく人口=財源というとらえかたをされます。しかし、人口確保のために合併しところで少子高齢化は止められるものではなく、いずれまた、同様の合併論議が浮上してくるでしょう。
 少子高齢化への対策は、自治システムの抜本的な改革でなければ効果はありません。現行の制度のままで小手先の対応(基礎自治体の大型化)をしておればいいという優しい問題ではないと思います。都道府県の再編あるいは廃止、道州制の検討、市町村の種別の廃止など、より広汎な議論をすべき時節にあると私は思います。

 「平成の大合併」の主目的は、「基礎自治体にふさわしい体力をつけるため」と表向きは説明されていますが、なぜ、国税と地方税の配分を見直すといったような根本的問題がクローズアップされないのでしょうか。
不思議です。

 私は、昨今の合併論議の伏線には、国の財政負担の軽減という一大目的があるように思います。(国と地方の税源配分に手を付けず、もっぱら地方財政の効率化のみ問題にされているようですから)地方にかかる負担を減らし、そこから得られた余裕を外交・防衛といった分野に振り向け、わが国の国際的地位を高める.....そんな意図が合併の旗ふりをする政府や政党にあるように感じます。
 実際、ひと昔前まで地方分権といえば、社会党などの革新勢力の専売特許の感がありましたが、今では逆に自民党や自由党といった保守の側から強く唱えられています。それも、合併の見返りとしての分権であるといことが従来とは違っています。
 人口段階別に小出しで分権なんかしないで、はじめから基礎自治体には無条件に分権をして、個々の行政事務をやるかやらないかは自治体の裁量に任せておけば済む話ではないかと私などは思います。その上で、行政サービスをこなせない自治体は合併を自主的に判断していけばいいのではないでしょうか。

 今の合併論議は、どうも地方切り捨て路線に感じられます。時代に見合った国の国際的地位向上ももちろん大切ですが、地方自治という政治の基本が軽んじられないようにしなければならないと思います。

 新市の名称がああなった、こうなった、とか、この市の人口がこれだけ増えて、あっちは減ってしまった、などと目先の現象にばかり気をとられていてはいけないな、と思うこの頃です。
[4887] 2002年 11月 14日(木)21:05:10蘭丸 さん
関越、上越、信越 ...
[4869]ゆう さん

>単に「『上越線』を含む路線の新線」の意味かもしれませんね。

 そのとおりですね。東海道新幹線は東海道本線の、山陽新幹線は山陽本線の、東北新幹線は東北本線の、北陸新幹線は北陸本線の、それぞれ新線として建設された(る)ものですから、上越新幹線の場合もこれが当てはまります。
 ですが、上越新幹線には、ほかとは違うところが一つあります。上越線は「本線」ではありません。ですから、正確には「高崎線+上越線+信越本線」の別線ということになるでしょう。

 今でこそ、東京と日本海側を結ぶ効率的ルートは、 上越新幹線および関越自動車道であって、 上越新幹線接続特急が北陸本線と羽越本線を走り、 東京から延びる関越自動車道が長岡で北陸自動車道に、その北陸道が新潟で日本海沿岸東北自動車道に接続しています (ですから、私は世間で云われているような「田中元首相の地元への利益誘導だ」式の固定的な評価は正しいとは思いません) が、明治の鉄道黎明期においては、清水峠越え(あるいは三国峠越え)は技術的に難しいと判断され、碓氷峠越えの長野-直江津-長岡を経由して新潟と結ぶルートが先行して建設されました。

 だいぶ遅れて開通した上越線(上越線全通は昭和6年、信越本線全通は明治37年)は、東北本線の支線というのが正式な位置づけです。しかし、対日本海側へは、長野へ迂回するルートより大幅な短絡効果があり(碓氷峠はアプト式、清水峠は電化されたループトンネル、という違いもありました)、やがて上越線は特急銀座となります。
 そのような関係で、将来的に上越線と高崎線を統合して「上越本線」とする計画もあったようですが、その前に上越新幹線が開業してその必要性がなくなったため、 一大幹線ルートでありながら、 「本線」 への格上げは実現しませんでした。

>私などは「関越新幹線」もありかなと思っています。

 私も「関越」という言葉は、結構馴染みやすいものがあると思います。 関越、上越、信越、磐越、羽越、上信越と「越」のつく地名の合成は数々ありますが、これがいちばん語感がいいと私は思います(あくまで個人的見解です)。

 ところで、この「越」の字ほど何にでも合うものは、ほかにはないのではないか、と私は思います。 京浜、京葉、京成がありつつ埼京がある、総武がありつつ常総(これは学校名ですが)がある、磐越がありつつ常磐がある、信越がありつつ上信、甲信がある、といった具合に、鉄道路線に多く見られる地名の1字と1字を併せるという方法は、ケースバイケースで語呂良く行われていますが、「越」の場合は必ず後ろにくっついて、全体の語感を整える役割をしています。

 仮に、新潟県(越後国)に隣接しない地域とこの方法を試してみると、総越、常越、甲越、武越、陸越、駿越(すんえつ)、讃越、備越(びえつ/びんえつ)、筑越 ...と、意外にもマッチしてしまいます。

 ところが、ただ一つ、「越」の字が頭になるものがあります。「越佐(えっさ)」です。佐渡海峡を俗に越佐海峡と言ったりして、おもに観光用に使われる言葉です。
 私なんかは「佐越」でも、別に違和感を感じません。しかし、このように言い習わしているのは、単にこっちのほうがより語呂がいいと思われているからでしょうか、それとも、両国が今はともに新潟県であるため、本土のほうを優先しようとする意図が働いているからでしょうか。

 ささやかな発見を、発表させていただきました。

※ 福井県には「越美北線」という路線がありますが、これは「九頭竜線」とも呼ばれていますし、この場合の「越」は、越前の「越」なので、埒外と考えました。(ちょっと、強引な論理展開かもしれません)
[4880] 2002年 11月 14日(木)13:06:38蘭丸 さん
東京都北区
[4868]ヒロオ さん

 東京都北区は、政令指定都市の行政区とは違って、 今では曲がりなりにも自治体なわけですから、 私もこの
区名には違和感を覚えるのはたしかですね。 しかしながら、 この区名はさまざまな苦悩の結果、 なかば妥協の産物として生まれたものです。

 もともと、 現在の北区の区域には、 戦前までは王子区と滝野川区が存在しました。 王子区はもとの北豊島郡王子町、同 岩淵町の、滝野川区は同 滝野川町の区域をもって昭和7年に設けられ、東京市35区の仲間入りを
しました。この時、滝野川は「1町1区」の猛運動を展開し、滝野川区設置を実現したそうです。 こういった
ことから、この地が地元への愛着の強い土地柄であったことを窺い知ることができます。

 両区を統合した新区の名称については、「城北区」「京北区」「飛鳥山区」「赤羽区」などが候補としてあげられていて、「飛鳥山区」については、区のシンボルであり、新生区の名にふさわしいという意見もあったようです。しかし、 当時は漢字をできるだけ簡素に使おうとする風潮が強く、「あすかやま」 と読ませることに対
する漢字の用法上の配慮から、 結局、平明簡潔な「北区」に落ち着いたのだそうです。
 今から考えればたいした問題ではありませんが、当時は、そういったことも区名選定においての検討要素だったんですね。時代の流れを感じさせるエピソードです。

 慎重な検討を重ねた末の区名ですが、 結果的には[3842]ken さんのおっしゃるような、いろんな場面における据わりの悪さを伴ってしまいました。 それは、紛れもない事実だと思います。 「北区」 と表記される限りにおいては問題はありませんが、行きがかり上、「北」としか表記されないケース(統計表・一覧表や23区名を列挙する場合など)もよくあって、そんな場合は‘これが北区を表わしているのか’と、その別物のような姿にちょっと目を疑うことがあります。また、各種団体の支部などは「○○協会北支部」といったようになってしまい、単独ではほかとの関連性がわからないので、都内北部地域の支部なのか、北区に限った支部なのか、正直言って見分けがつきません。

 実は、なにを隠そう私はその北区の住民です。(これも、「北区民」と言うと、どうもしっくりしない)この区名のなんともいえない違和感が、私に地名に対しての興味を持たせた一つの要因でもあります。わが北区には「北区立北中学校」なる学校もあり、私なんかは、もっと違う名前を考えられなかったものか、と思ってしまいます。

 とはいえ、慣れ親しんだ者にとっては、この中途半端さが逆に他の区と違う個性かな? なんて、どことなく
愛着を感じるのも、また、事実です。北区誕生からすでに50年以上が経ち、この区名のお蔭か、もとの2区は、今ではすっかり融合しているようです。

 もっとも、東京に住んでいると何区というよりも、もっと細かい地域名や(有名な駅周辺では)駅名のほうを地名として使うことが多く、 北区でも、王子・滝野川・赤羽と3地域に分け、 その区分や駅名を称することの
ほうが圧倒的に多いのが実情です。(Q.「お住まいどちらですか?」→ A.「赤羽です」/「滝野川です」/「東十条です」というふうな感じで) 区内はもとより、対外的にもそれで充分通じてしまいます。というよりも、「北区」より個々の地名のほうが存在感が大きいのです。
[4861] 2002年 11月 13日(水)21:42:55蘭丸 さん
町+町+町=村?
 宮城県加美郡の4町合併が、さきに色麻町の離脱によって破談となりました。今後は、残る3町のみで合併を進めるとのことです。4町は合併後市への移行を目指していましたが、この離脱によって合併特例法の人口要件3万人を満たさなくなったため市への移行は果たせなくなりました。

 さて、残る3町による合併となったため、合併後は市ではなく町になるかと思いきや、なんと、このままでは村になってしまうということです。 この3町で、 もちろん人口は町となるべき要件を満たすのですが、 問題は連檐戸数(宮城県条例では「中心の連戸区域内に在る戸数」)で、3町併せた場合の割合が、宮城県条例で定められた「五割以上」に届かなくなるそうです。
 宮城県市町村課によると、3町のうちで中心的存在となる中新田町で6割前後、他の2町を併せると、総戸数が増えるため、5割を切ってしまうのだそうです。

 市の成立要件をギリギリまで緩和し、なんとか合併の気運を盛り上げようとした政府の特例措置が、とんでもない事態を引き起こしたことになります。

 もっとも、町と村の間に実質的な差異はないわけで、「なんということはない」と受け止めればそれで済む話でしょうが、やはり、ご当地では、一様に困惑の色が広がっているとのことです。「市になってジャスコできてほしかったのに...」「市になれないのなら合併する必要なんてない」と、小・中学生にいたるまで青息吐息だそうです。(小学校高学年では、4町合併について勉強しているところだったとのこと)
 やはり、「町」から「村」になることへの心理的な抵抗は大きいようです。合併協議会の事務局は「町と村で事務的に違いはない」と言っているようですが。

 このような事態を回避するため、県は対応を検討し、合併特例法期限内は、町を含む合併で誕生する自治体は、県条例で定められた町の要件を問わず町とする、という条例の附則案を15日からの県議会に提出することにしたといいます。

 このニュースを知って、私が感じたことは、「そもそも市とはなに?」「町とは?」「村とは?」ということでした。明治時代から続くこの区別は、果たして今日的意義を持っているのだろうか、単に政府の合併誘導策の手段となってはいないだろうか、と思えてなりません。

[宮城県条例による町となるための要件]
 ・人口5,000人以上
 ・連檐戸数5割以上
 ・非農業的産業従事世帯人口5割以上
 ・非農業的産業従事世帯人口が過去5年間増加傾向
 ・病院、診療所、劇場、映画館等の施設があること
[4744] 2002年 11月 10日(日)10:13:59【1】蘭丸 さん
宇摩新市市名案について
[4705]でるでる さん

 この11案中、6つが方位づけ、4つが平仮名、1つが広域地名の借用ということになります。見事なほどに、いま流行りのパターンが出揃った、という感じです。

 なかでも注目は「東えひめ市」でしょうか。この、漢字+平仮名の案が、もし「東かがわ市」を意識したものだとしたら、二番煎じの感は否めません。「しこくなか市」も、茨城県ひたちなか市を想起させます。これも、もしかするとひたちなか市の影響を受けたものでしょうか。 そうだとすると、 こちらもオリジナリティーに欠
ける感じがします。
 しかも、ひたちなか市は、 常陸国那珂郡を意味するもので 「常陸中央」 の意ではありませんから、ご当地の場合、この方式を当てはめると「いようま」「えひめうま」か「しこくうま」となるはずです。

 「法皇市」は、 法皇山脈・法皇湖などに由来すると思われますが、 いかんせん全国的な知名度が低いため、 周辺の地理を知らない人にはいくぶん(というか、ずいぶん)突飛な印象を与えます。地図や道路標識などで、単に「法皇」と表記される場合があることを考慮すると、市の名称としてはやや不適切な感じがします。
 同じく自然地名からとられた「ひうち市」は、燧灘の「燧」が常用漢字にないため、平仮名にするのも致し方ないといえますが、これも「ひうち」単独だと何のことかさっぱりわからなくなります。

 「四国中央市」「北四国市」「東えひめ市」「東愛媛市」「愛東市」は、漠然とした広域、あるいは四国での位置を指す言葉を新たに創作したものですが、1自治体が名乗るにふさわしいかどうか、充分考える必要があると思います。すでに東予市、伊予市もあることとの兼ね合いもあるでしょう。
 「瀬戸内市」 も同様に、「瀬戸内」という広汎な地域を指す地名のなかに、 この市の個性が埋没してしまう
可能性は否定できません。

 「四国中央市」は、交通の要衝であるという地域のアピールポイントを表わしたものでしょうが、高松市や
松山市がどのような反応を示すでしょうか。気になるところです。

 数々の案の中でも、やはり「宇摩市」がいちばん適当かと思われます。川之江市、伊予三島市ともにかつては宇摩郡の所属でしたし、 今回の合併で、 別子山村を除いた郡のほぼ全域が新市に移行することになるわけです
から、 なにも、もともとあるこの地名を差し置いてまで新しいものを模索する必要はないように思われます。

 いつもの、外野の余計なお節介でした。
[4742] 2002年 11月 10日(日)07:56:06蘭丸 さん
法皇山脈の由来 その2
[4731]でるでる さん、[4735]rio さん

 「法皇市」案の由来となった法皇山脈ですが、通説はrio さんに示していただいたように、白河法皇とのゆかりにちなむとされています。伊予三島市もこの見解をとっているようですね。

 しかし、「ほうおう」にあてる文字は、もともとは「鳳凰」であったという説もあります。これは、山の形状が鳳凰が飛び立つ姿に似ており、この地方独特の「やまじ風」も鳳凰が飛び立つときのつむじ風に通ずる、というものです。

 私は、この説のほうが由来としては信憑性が高いと見ています。白河法皇ゆかり説については、果たして、時の法皇みずから「法皇」と称することを許すことなどあるのだろうかという疑問がまっ先に浮かびます。歴史ある地名のなかには、ときおり貴人とのゆかりを称するものがありますが、そういったもののほぼ100%に「みずからの名(称号)を許す」などというケースはありません。
 第一、日本の皇室は古来より質実剛健を旨とし、華美や驕りを戒めてきましたから、いかに法皇(上皇)とはいえ、「褒美」として法皇と称すことを許す、などという高飛車なことはおっしゃらないはずです。

 また、地名は時を経るごとに変化するものでもあり、例えば、補陀洛(ふだらく)→二荒(ふたら/にこう)→日光、粕壁→春日部のように、佳字に変化するということはよくあることです。(苗字でも窪→久保という
ふうに、同様の例はたくさんあります) ※

 「京に寺院を建て」た故事も、この時建立された寺は何寺か、年代はいつ頃なのか、といった点について、
あまり詳らかではないことが気になります。

 ですから、私は「鳳凰」転化説のほうが真実に近いのではないかと思います。

※ 日光市の語源は現在の二荒山(男体山)といわれ、はじめ梵語のポタラカ(観世音菩薩の
 住む山の意)を訳した補陀洛(ふだらく)だったものが二荒(ふたら)に転化し、さらにそ
 れを音読みしたもに日光の字を当てはめたといわれています。
  春日部市の「春日部」は「粕壁宿」に由来し、昭和19年の南埼玉郡粕壁町と同内牧村の合
 併の際に春日部町と表記を変更しています。 その後、昭和29年にこの春日部町と南埼玉郡
 豊春村、同武里村、北葛飾郡幸松村、同豊野村の大合併が行われ、その際に引き継がれて現在
 にいたっています。
[4718] 2002年 11月 9日(土)15:01:22蘭丸 さん
北陸新幹線上越駅(仮称)私的代案
大幅な亀レスで申し訳ありません。

[4602]いな さん

 やっぱり、「上越」のまま変更なしでしょうか。ほかに新幹線駅にふさわしい名称が見つからないのも事実
ですね。旧郡名の中頸城郡から「頸城」を採ったとしても全国的な知名度に問題がありますし、中頸城郡頸城村という村もありますから、適当とはいえません。

 いっそのこと「高田直江津」あるいは「直江津高田」なんていうのはどうでしょうか。実際に、東北新幹線「那須塩原」「水沢江刺」や上越新幹線「燕三条」といった同様の命名法による新幹線駅もありますから。

[4603]YSK さん
>混乱を避けるために、「上越市駅」とするのはいかがでしょうか。

 う~ん、これだと根本的な問題の解決にはならない気がします。
 私が[4441],[4533]で指摘した問題点は、上州(群馬県)と越後(新潟県)の併称として使われる「上越」と新潟県の地域区分である「上越」(「上越後」ではない ※ )が外見上全く同じで区別がつかないという点であって、「上越市」という駅名にしたところで上越新幹線との誤乗の懸念は払拭できないと思われます。


 「○○市駅」の具体例もいろいろ読ませていただきましたが、市町村の名称もさることながら、駅の名称を
どうするかという問題にも、各地でさまざまな苦労があるようですね。


※上越・中越・下越という新潟県の地域区分の呼称は、「越」の字そのものに「越後国」の意が含まれていて、「上越後」を約めたものではありません。ですから、上越後・中越後・下越後などという呼称はないのです。
もし、「上越」とともに「上越後」という呼称が現実に通用しているとすれば、それこそ「上越後」駅で問題
ないと思われます。
[4707] 2002年 11月 9日(土)08:50:55蘭丸 さん
「美雪野市」案について
[4686]Firo さん
>「美雪野」「美雪」という市名は好感が持てる感じがしますが、確かに該当地域は有数の豪雪地帯であります>けど、他にもそういった地域がないわけではなく、ある意味「魚沼」と同じに問題がないとは言えないと思い>ます。

 おっしゃるとおり、ご当地のみが豪雪地ではなく、魚沼全域が世界的な豪雪地帯です。ですが、だからといって「美雪野」も問題ありとは私は思いません。なぜなら、この「美雪野」は、これまで地名としては使われておらず、この合併を機に新たに創作されたものだからです。私は、その独創性を評価するわけです。

 「同じような地域がほかにもあるから問題」と言うことは、「新しい地名の命名は不可能だ」と言うことと同じになるのではないかと思います。例えば、大きな井戸はほかにもあるから「大井」はだめ、青い山はほかにもあるから「青山」はやめよう、新しい橋はほかにもあるから「新橋」はよそう、というふうにほとんどの地名の妥当性が疑われることになります。
 その土地の風土や歴史を表わし、 周辺地域との区別がつく限りにおいて、 新しい地名の創作は、 安易な合成地名や抽象地名に走るよりも賢明な方法であると私は考えています。

>ただ、逆に3地域が牽制しあって、いずれも「魚沼」の地名を使わない可能性もあるわけで、そうなると
>「魚沼」が消滅することになり、自分としては、それが一番懸念されます。

 ご懸念は無用と思われます。確かに「魚沼」のつく郡が消滅すれば、公式にはこの地名が姿を消すことになります。しかし、この「魚沼」という地名は郡がなくなるからといって消えてしまうようなものとは思えません。この地名は、最高級米の産地としてすでに自他ともに認める地位を築いていますから、地域の呼称として生き続けるものと予想できます。
 むしろ一定の知名度を確立している地名であるからこそ、 1つの自治体の名称としてしまって、 2市3郡に
わたる広域地名であったものが、本来の語義から離れて矮小化して理解されかねない、ということのほうが懸念されるのではないでしょうか。[4695]ken さんのおっしゃるような「ドメイン先取りの感じ」のほうが問題だと
思います。


[4695]ken さん
>「みゆき野市」だったら、最悪ですけど。

 そのとおりだと思います。創作した上に平仮名を使って意味不明にしていたら、私も好感を持たなかっただろうと思います。同じような意味であると思われる「美雪市」も、単に「美雪」と表記された場合の尻切れとんぼみたいなぶっきらぼうさがネックになると思います。


 というようなことで、やはり「美雪野市」に、なんだか惹かれてしまう私です。
[4678] 2002年 11月 8日(金)21:12:57【1】蘭丸 さん
「魚沼市」「うおぬま市」「越後魚沼市」「北魚沼市」案について
[4659]miki さん

 ここでも、またまた平仮名の市名案が登場しているようですね。 「うおぬま市」 なんてわざわざ平仮名にする必要性はここでもないと思われます。「魚沼」という文字は誰でも読み書き可能です。

 それとともに気になることは、この市名案中の「魚沼市」「うおぬま市」「越後魚沼市」「北魚沼市」についてです。これだけ「魚沼」のついた市名案が残っているということから、この地名をぜひ新市の名称に使いたいという強い志向性が窺えます。
 しかし、これらの市名案では広域地名の借用となります。魚沼とは旧魚沼郡域を指し、現行行政区画でいうと南魚沼郡、北魚沼郡、中魚沼郡、小千谷市、十日町市の地域となります。 この 「魚沼」 は単に広域地名であるだけでなく、名立たる・ブランド地名・でもあります。

 その地名を、もっぱら1自治体が公式に名乗るようなことになれば、おそらく周辺自治体の反発を招くこととなるでしょう。現在、魚沼地域では六日町を中心とした南魚沼、十日町市を中心とした中魚沼、小千谷市を中心とした地区の3地域 ※ で合併に向けた動きがあり、 これら地域はいずれも合併後の新自治体は市となって郡の呼称を伴わないため、「魚沼」を独占されることに対する警戒感を持っているであろうことは容易に推測できます。「北魚沼」にしても、小千谷市がもとは北魚沼郡の中心地であったこととの兼ね合いが問題になるかと思われます。

 いっぽう「美雪野市」は、他の案と比べて、オリジナリティーの点からも周辺自治体との兼ね合いの点からも評価できる、 ここ最近の新市町村名案では稀に見る秀作だと私は思います。 地域の特色を表わし、 しかも地名らしくまとめられている点がポイント高いと思います。(「美雪市」では、地図などで単に「美雪」と表記された場合の違和感が問題となるでしょう)

 こういった地名の創作ならば、出所不明の抽象地名とは違って対象地域を適切に表現することができるため、対等合併で従来からの地名を使いづらい場合に有効な解決策になると思います。 このような創作の例は、 過去
にも長野県駒ヶ根市などに見られますが、こういうセンスのいい創作地名が全国的にも広がればいいが、と私は秘かに思っています。

 とはいっても、いろいろ言ってみたところで「美雪野市」になるかどうかはわかりませんが、私としてはこの「美雪野市」、一押しです。

※ 南魚沼郡任意合併協議会加盟自治体-南魚沼郡六日町、同塩沢町、同大和町〈南魚沼郡の湯沢町を除く地域〉
  十日町広域圏六市町村合併問題研究懇談会加盟自治体-十日町市、中魚沼郡川西町、同津南町、同中里村、
                           東頸城郡松代町、同松之山町
                           〈十日町市+中魚沼郡全域+東頸城郡2町〉
  小千谷市が検討している合併枠-小千谷市、北魚沼郡川口町、三島郡越路町、古志郡山古志村、刈羽郡小国町
                 (川口町とは勉強会を結成)
[4663] 2002年 11月 8日(金)14:19:27蘭丸 さん
「ななお市」「能登市」「のと市」案について
[4601]miki さん

 七尾・能登、いずれも全国的に知名度のある地名ですから、この4案には突飛な感はなく、比較的妥当な線と言えるでしょう。 が、 しかし、やっぱり気にかかることがあります。 平仮名市名と広域地名の借用がここでもまた行われようとしています。

 なにゆえ「七尾市」「能登市」のみではなく「ななお市」「のと市」が入ってしまうのでしょうか?どちらも特に難しい文字を使っているわけでもなく、また全国的にも知られた地名ですから、わざわざ平仮名にすることはないと思われます。

 また、「能登市」あるいは「のと市」を採った場合、これは旧国名に由来する広域地名の借用となります。「能登」とは、通常は能登半島全体を指すと理解されていますから、1市の名称としてはあまりふさわしいとは思えません。同じく能登に位置する輪島市や珠洲市などの立場はどうなってしまうのでしょうか。
 一般的な傾向として自治体名を借用地名にするケースは、 合併でできた新しい自治体に多く、 結果的にあと からできた歴史の浅い自治体が、由緒ある広域地名を僭称してしまっている場合が多いようです。どんな市名をつけるかはその市の自由ですが、選考の際は他地域との関係という視点も忘れてはならない重要な検討要素だと思います。

 ということで、いつもの外野の余計なお節介ですが、この4案では「七尾市」がいちばん適当かと思われます。

※旧能登国は、現行行政区画では珠洲郡、風至郡、鹿島郡、羽咋郡(完全には一致しない)、珠洲市、輪島市、
 七尾市、羽咋市の地域。
[4581] 2002年 11月 6日(水)08:18:54蘭丸 さん
横浜
 みなさんの「横浜」に関するご意見を読ませていただきました。

 果たして横浜は独自に成長したのか否か。やはり、大きな目で見たら横浜は東京の多大なる影響下で成長してきた、ということになるでしょう。私もその点は充分理解しています。横浜が東京大都市圏の一翼を担っていることは紛れもない事実だと思います。

 しかし、そのような影響下にありながらも、横浜は他の東京周辺の衛星都市とは異なり、独自の求心力をもっていると私は思います。[4531]YSK さんのおっしゃるように、横浜を一般的な住宅都市と見るのは適切ではないような気がします。例えば、さいたま市と比較した場合、それがよくわかると思います。

 横浜には独自の都市の「印象」あるいは「外観」があるように思います。みなとみらい21を代表とする近代的なウォーターフロント、 国際都市を実感させる中華街、 多くの人々でにぎわう繁華街、 山の手に開けた閑静な住宅地、そういった都市を構成する要素が、必ずしも東京を補完することを意図してにつくられたようには思えないのです。
 もちろん、東京の外港としての機能はありますし、東京のベッドタウンとしての機能もあります。ですが私はこういった都市の「外観」を通しては、他の衛星都市のような東京の補助的な役割のようなものは感じません。
 東京の衛星都市の多くは、それぞれがまた、その都市の中心をもち、就業者や買い物客を吸引してはいますが、多くの場合は最終的には東京に依存することが多いのではないかと思います(例えば「あれを買いたいが近くにないので新宿まで行く」「銀座まで行く」といったようなことと思って下さい)。

 ですが、横浜の場合はそういうケースは比較的少なく、他の東京周辺の都市と比べて自己完結性が高いと私は見ています。ですから「横浜は独自に成長した」と私は思うのです。

 これらは非常に観念論に近いものであり、それを裏づける資料などは持ち合わせていませんが、私の横浜を見る目はそんな感じです。単に「東京の近くにあったから人口が膨張した」とばかり言えないような気がします。


(長々書いてそんな締めかい!と怒られそうですね)
[4540] 2002年 11月 5日(火)07:52:36蘭丸 さん
中心駅について
[4527]いな さん

 さいたま市の中央駅は大宮だと思うのですが、どうでしょうか?

[4528]YSK さん
>私は、密かに前橋市の中央駅はJR高崎駅なのではないかと思っています(笑)。

 そうですね。私もそんな感覚です。なんてったって長野新幹線開業で、この高崎は上越新幹線と長野新幹線(将来の北陸新幹線)※ が分岐する、全国的にも有数のターミナル駅となりましたから。そうでなくとも数多くの在来線特急が乗り入れる群馬県随一の要衝ですし。その駅がある高崎市が前橋市に隣接してるとなれば、前橋の力不足は否めませんね。

 こういったことを考えると、都道府県庁所在都市の中心駅もさることながら、都道府県全体から見た中心駅はどこか?という見方もおもしろいですよね。さいたま市ができる前まで、埼玉県の中心駅大宮は、県庁所在都市(浦和市)ではなく、そのとなりの市(大宮市)にあったように、こういう例はほかにももっとありそうですね。

 余談ですが、大宮は車のナンバーもありますが、こういったことからくる大宮の自負心というかプライドみたいなものが、さいたま市誕生まで紆余曲折があった要因だったように私は思っています。

 ※私は、今の長野新幹線は北陸新幹線とは思っていませんのでこのように書かせていただきました。
[4533] 2002年 11月 4日(月)23:12:13蘭丸 さん
高田と直江津と上越
[4530]Issie さん

 直江津の歴史を詳しく教えていただいてありがとうございました。


 直江津ってそんなに古い歴史があったのですね。(越後の国府は高田にあったと思っていました。勉強不足です...。)ということは、[4450]で雑魚 さんがおっしゃっていた飫肥と油津の関係などよりも、ずっと複雑なものがあるわけですね。
 [4441],[4480]のように、外野が本家「高田市」復活を、なんて軽率に言えないですね。直江津が高田を補完する都市だったと思われる、なんて浅はかなことを言ってしまいました。

 しかし私としては、どーしても「上越」という言葉がひっかかるんですよね。[4441]のなかでも大半を割いたように、北陸新幹線上越開業時での混乱が憂慮されますので。やっぱり・上越新幹線で行けない上越駅・は誕生するのでしょうか?それとも「脇野田」のままいくのでしょうか?私は、この点に非常~に興味をそそられるんですよね。

 ところで、ここまできて、ふと疑問に思ったことがあります。それは、じゃあ、なんで高田と直江津が合併することになったのか?です。

Issie さんは
>お互い厳しいライバル関係にあった両市の競争を止揚・統合(ジンテーゼ)して「上越」地方全体の発展を目>指すという意識があったはずです(少なくとも「建前」の上では)。

と書いていらっしゃいますが、この合併はそもそもどんなことが発端となってすすめられたのでしょうか。高田と直江津どっちが先に言い出したのでしょうか? 疑問はさらに深まりました。
[4499] 2002年 11月 4日(月)08:59:20蘭丸 さん
横浜の人口350万人突破!
[4494]白桃 さん
>神奈川県
> ◎横浜、350万に迫る

ちょっと補足させて下さい。

 先月28日、横浜市は人口が3500,184人となり、350万を突破したと発表しました。記念事業として、同日に出生届が出された新生児の家を市長や区長が訪れ、メッセージと記念品を贈ったそうです。

 これは、都道府県でいうと約299万人の茨城県(第11位)を上回り、静岡県に次ぐ規模となるそうです。
また、諸外国と比較した場合、レバノンやエリトリアに匹敵するとのことです。 市制施行時、約116,000人でスタートした横浜市は、2020年頃に370万~380万でピークに達し、その後緩やかに減少すると予測されているようです。(東京新聞10月29日付朝刊を参考にしました。)

 ところで、私が疑問に思っていることに、横浜のように大都市(東京)に近い都市が独自に発展して大都市に成長するようなことは、外国ではあるんだろうか?というものがあります。
 日本では、ほかにも神戸と大阪のように大都市と大都市が非常に近接していたり、比較的規模の大きい都市が連続して並んでいる(特に東海道沿い)という例が多々あります。こういうことは、国土の狭い日本の特徴なんでしょうか?
[4480] 2002年 11月 3日(日)19:48:22蘭丸 さん
ふたたび 「高田市」& 北陸新幹線
[4450]雑魚 さん、レスありがとうございます。

 そういった事情もありますから「上越市」よりも「高田市」のほうがしっくりきますね。直江津が交通の要衝であったとしても、歴史的に見れば、やはりそれは高田を補完する役割であったようにように思われますから。

                        * * * *

ところで、件の拙文[4441]に関連して新潟日報のおもしろい特集記事を見つけました。
http://www.niigata-nippo.co.jp/kokyo/kokyoindex.html
「揺らぐ公共王国 第7部 悲願の鉄路 北陸新幹線30年目の光と影」 です。

 整備新幹線の沿線地域が、政治に翻弄されてきた軌跡を取り上げていて、結構読みごたえありました。直江津も脇野田も同じ上越市ですし、上越市も十日町市も同じ選挙区だというのに、光と影とはいってもこんなに明暗が別れるとは....。

 並行在来線の経営分離問題もあります。フル規格にこだわる必要性がそんなにあったのかなあ、と感じました。
[4477] 2002年 11月 3日(日)18:36:16蘭丸 さん
レスありがとうございました。
[4469]てへへ さん。詳しい補足と解説、本当にありがとうございます。

 やはり、財政健全化は大問題なのですね。でも私は、合併で大きな自治体に飲み込まれてしまう町村の危惧も、わからないではないのです。そんなことであの[4423]の書き込みをしました。

 しかし、一方で失職を恐れる首長や議員の思惑で合併が進まないという地域もありますから、全国町村会などの言い分を真に受けるわけにもいかないですね。
[4441] 2002年 11月 2日(土)18:52:17【1】蘭丸 さん
「高田市」は遠慮したほうが...
[4425]いなさん
>まあ、新潟県の大本家は
>「おらとしては口出しできる立場じゃないが、ちぃ~っとあんまりじゃないかい?」程度でしょうが
>岩手県・奈良県・大分県の諸先輩方は黙っちゃあいないでしょう。
>「おまえなに考えてるんだ~」
>「こんなことだったら、義理も道理もあったもんじゃない・・・筋を通せ~」って、激怒また激怒ですよねえ

 ホント「高田市」なんてなったら、各方面から大反響が巻き起こるでしょうね。高田という土地が市制を敷く場合は冠称を付す、というのは、諸先輩方(陸前高田市・大和高田市・豊後高田市)が宗家に対して守ってきた礼節です。新参者がその美風を壊してしまうことになれば、先輩諸氏ならぬ諸市は「今までおれたちがやってきたことを無にするつもりか!」とおそらく穏やかではおられないでしょう。

 上越市民だって複雑だと思います。かつての高田市は、単にいち早く市制施行した高田だったというだけでなく、高田藩が徳川家康の六男・松平忠輝が60万石で入封した御家門であったという歴史的なことも含め「うちが本家だ」という自負をもっていたと思います。それに、直江津市と合併してからも「上越市高田」という呼ばれ方をされ(天気予報なんかで)、今でもご当地の方々の多くは「高田の人間だ」という思いをもっておられるようです。

 ところで私は、「上越」という言葉を見聞きする度に、上越市は高田市に改称しては?と思います。
それは「上越」という言葉が、
 1)新潟県上越市
 2)新潟県上越地方(気象予報区でもあり、行政上の区分でもある) ※
 3)群馬県と新潟県の併称(上越新幹線、上越国際スキー場などに登場)
という具合に多義性を含んでいるからです。
 高田市と直江津市が合併した際、この市が上越地方の中心都市だったことから「上越市」という名称になりました。高田は城下町として、直江津は陸海の交通の要衝として栄え、どちらも周辺地域の拠点的な性格をもっていたため、高田市にするわけにも直江津市にするわけにもいかなかったようです。しかし、合併当初から上越線の上越と同じになることから、この市名についてはいろいろ議論があったようです。とはいえ、「上越市」の名は別の名称に変更されることはなく、現在にいたっています。

 ところが、平成10年1月、北陸新幹線長野-上越間のフル規格での着工が決定しました。もし、「上越」という仮称駅名がそのまま通れば、・上越新幹線では行けない上越駅・が誕生します。こうなると新潟県民は別として、なにがなんだかわけがわからなくなってしまいます。
 今のところ、この駅についてほかの名称案はないようです。もともと建設地にあった「脇野田」駅では遠方からの旅客案内上あまりふさわしくないですし、「高田」だと新幹線の開通で特急「はくたか」が用済となり、
地盤沈下が予測される直江津(「はくたか」の停車駅)が黙ってはいないでしょう。いったい開業時にはどのような駅名になるのでしょうか?私個人としては、現脇野田駅が旧高田市域にあることから「高田」がいちばん
適当ではないかと思います。

 こういった諸々のことにかんがみ、ぜひ本家「高田市」の復活を、と思うわけです。「高田市にある高田駅」がいちばん分りやすいです。上越新幹線との誤乗の心配もないでしょう。上越新幹線「あさひ」と長野新幹線「あさま」の誤乗がしばしばあるそうですから。(その「あさひ」も、この12月から「とき」に変わりますが)
 実際、地元にも高田市への改称を求める声は根強くあるようですし、「高田市」の名は今も空席のままにされているわけですから、「高田市」への改称はできない話ではないと思います。

 本家「高田市」の復活の脈を残しておくために、ここはできれば「高田市」の名は遠慮していただきたい、と私は思います。同名回避の原則からすれば、現にほかに存在しない「高田市」でもOKですが、先輩諸市との絡みもあります。
 それに、もし「高田市」になった場合、北茨城市の例のように、外圧によって名称を変更しなければならなくなるようなことになりはしないでしょうか。

 ということで、いつもの外野の余計なお節介でした。

※新潟県は通常、大きく上越(じょうえつ・上越市中心)・中越(ちゅうえつ・長岡市中心)・下越(かえつ・
新潟市中心)・ 佐渡(両津市中心)の4地域に区分されることが多く、この区分はそのまま気象予報区の一次
細分区域にもなっています。

高田市と後発3市については、
http://uub.jp/zat/takada.html が詳しいです。
[4423] 2002年 11月 2日(土)14:15:24蘭丸 さん
町村制廃止!?
 今日の毎日新聞の朝刊1面に、首相の諮問機関である地方制度調査会の方針を伝える記事が載っていました。もし、これが実施されるとしたら結構大問題ではないかと思いました。内容は次のようなものでした。

合併特例法の期限後も一定の推進期間を設け、それでも合併にいたらない小規模町村について、
1)従来の町村と比べ、一部事務を都道府県に移管した簡素化した自治体にする。
2)他の基礎的自治体に編入し、内部団体とする。
3)両制度を併せて導入する。

 実質的な町村制廃止だと毎日新聞は書いています。対象とする小規模町村の判定基準は明示されていないようですし、他の自治体に編入し「内部団体」とするという概念が記事からはよく推測できませんでしたが、基礎的自治体からの事務権限剥奪は地方自治の本旨に照らして果たして妥当な方策といえるのか、おそらく全国町村会を中心に反発を受けることは必至でしょう。
 いくら聖域なき構造改革といっても、この案はちょっと過激ですね。

 この調査会は本当に地方自治を理解した人々が集まったものなのでしょうか。構造改革のための構造改革では、まともな議論はできないでしょう。もちろん、地方の財政状態の改善は大きな課題ですが、企業の合併などとは根本的に意味合いが違います。最近の政府側の(与党や民主党、自由党といった有力野党も含む)議論は、財政健全化の議論のみ先行し、将来の地方自治のシステムをどうするかといった大局的な見地からの議論が少ないことに私は危惧を感じています。
 基礎自治体を市に統一するならするで、何も合併という段階を必要条件とすることはないと思います。

 私は、郡制の復活による町村の連合体化といったような、思いきった発想の転換が必要な気がします。市と郡を同等の基礎自治体とし、町村はその内部団体として政令指定都市の行政区を発展させたような役割をもたせるようにしてみたらどうでしょうか。合併をしなくても基礎自治体の数が減り、また、慣れ親しんだわが町わが村の火を消さずにすみますから、小規模町村を傷つけることもありません。その際には、町村の合併ではなく、郡の再編成ですみます。一度こっちの郡に属したが、その後状況の変化であっちの郡に入りたいというような融通の利く制度にしてみたらおもしろいと思います。

 合併するかどうかという問題そのものも、本来「自治」の範囲内の問題であるはずなのに、合併をなかば強制するなんて何だか時代錯誤な感じですね。

 とまあ、いろいろ心配したって、この案が当の調査会で実際にまとめられるかどうかも不透明ですが。
[4344] 2002年 10月 31日(木)14:58:33【1】蘭丸 さん
「見沼区」はやっぱりいい名前です。
「見沼区」についてのみなさんの感想、読ませていただきました。ほとんどの方がこの区名を是としているようですね。

 [4321]猫使いさん、[4329]Issieさんのおっしゃる通り、「沼の字がつくから地価が安い」なんてとんでもない、という街が東京近郊に現にあります。
 拙文[4306]では、地名と云いながらも市町村名という感じで、全国的なレベルでの地名を考えていましたので、津田沼、鷺沼の存在を忘れていました。

 津田沼は、JR総武線と京成線が連絡する要衝で、習志野市の中心を形成しています。丸井やパルコをはじめとした商業施設も集積し、とても地価が安いようには思えません。

 鷺沼は、東急田園都市線沿線のハイソな住宅街です。東京周辺の人々にとっては東急沿線であることだけでもステイタスだというのに、この周辺の宮前平-鷺沼-たまプラーザ-あざみ野のラインはひときわ高級感が感じられますね。私も数年前までこの路線をよく利用していましたので(住んでいたわけではありませんが...)この周辺の土地の雰囲気の良さを覚えています。

 ほかに、都内には蓮沼というところ(正確には板橋区蓮沼町)もあります。ここは中山道と都営地下鉄三田線が通る交通至便の地で、都営三田線には本蓮沼駅もあります。周辺に建つマンションなどには、蓮沼町の町域外であっても「本蓮沼」を称するものが多いです。そこには沼の字を忌避する様子は感じ取れません。

 [4318]松戸さんのおっしゃるように、沼の字がつくこと=田舎なんて即座に連想する人はほとんどいないでしょう。同様に青山が山奥で、五反田や田園調布が農村だと連想する人もいないはずです。[4317]のような反対派の言い分は荒唐無稽と言わざるを得ません。
 [4307][4326]のように、確かに「見沼区」が100%完璧な選定結果とは言えない面もありますが、少なくとも「東区」や「大宮東区」なんかよりもずっとセンスのいい案だと思います。

 私の持論は、すでに[3797]でも述べましたが、住所として実際に書いて使われる市町村名や区名はできるだけオリジナリティーのあるものにしたほうがいい、です。さいたま市の区名案をも今一度考えてみると、A区は西区→指扇区、Bは北区→宮原区、E区は中央区→与野区、F区は桜区→秋ヶ瀬区、I区は緑区→美園区というように変更したほうがいいのでは?と思います。余計なお節介ですが。(H区の区名についてはなかなかいい案が思いつきません。)

 試しに「見沼田んぼ」でサイトを検索してみたところ、予想以上に多くのサイトがひっかかりました。全部覗いてみたわけではないですが、周辺の住民にとってはとても大きな存在であることが、おおよそ理解できました。都市に潤いを与えるこのような緑地帯が、多くの人々に愛されているということは、都市の理想像ではないかと私なんかは思います。大都市の中にこれだけのオアシスが存在するなんて自慢すべきことなのに、なんで反対派はあんなに嫌うのでしょうか。

 見沼区反対運動を熱心にされている方々は、裏磐梯にある五色沼の、あの筆舌に尽くせぬ美しさを、ぜひ一度ご覧になってはいかがでしょうか。きっと考え方が変わると思います。


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