[30154]hmt さん
「上島」・「下島」は交通体系が変った後の命名なので、上下関係が郡の場合とは逆転したのでしょうか。
上下逆転といえば、関東では房総半島の奥にあるのが上総で、手前が下総ですね。古代の東海道は、三浦半島から海路で房総半島に抜けるルートだったので房総半島の奥の方が当時の都に近く、上だったわけです。
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日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が三浦半島から房総半島に船で渡ろうとして、暴風雨にあい、遭難しそうになった時に妻である弟橘比売(オトタチバナヒメ)が自ら身を投げて嵐を鎮めたという日本神話は、都から房総半島への古代ルートが海路だったことを反映しているのでしょう。
当時は利根川・荒川が合流して流れる大乱流地帯であった現在の東京東部の低地の河口付近に古代の技術では陸路を確保できなかったのでしょうか?
やがて、奈良時代には、現在の東京を経由する東海道の陸路が開かれ、上総・下総の上下関係が逆転してしまいます。
同時に武蔵国は東山道から東海道に所属が変更になり、武蔵国内でも上下関係が逆転したことになります。
上総・上総・武蔵で奈良時代以前の地名について考える時は、上下逆転を念頭におく必要があるかと思います。
武蔵国の最北端、現在の埼玉県上里町付近にあった賀美郡は、東山道では最も都に近いから上で、上を好字2字で賀美と表記したのでした。
埼玉の語源の通説、「都から見て多摩の先にあるから先多摩」は逆で「都から見て多摩の前にあるから前(さき)多摩」だと思ったのも、埼玉が万葉集にも登場する奈良時代以前からある地名だからです。
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さて、上下といえば、国を分割する場合、上下や前後、あるいは前中後に分けますが、上下に分けるのは関東に2例(毛野->上毛野・下毛野->上野・下野、総->上総・下総)あるだけですね。
この違いはどこにあるのでしょう?分割された時期の違いで、上下に分ける方が古いのでしょうか?それとも関東の特殊事情があるのでしょうか?