[18507]ken さん
何ゆえ、回避手段として、「上」を選んだか、ということですが、納得性がないですね。
[18506]ゆう さん
・上福岡のほうが僅かながら高緯度にあるためか?
・「上」=「東」という用法があるのか?
・東京を基点とした上下という用法があるのか?
TOBULANBと上福岡市ホームページの内容を再確認し、少々補足を加え、経緯を時系列で並べてみると、
・明治22年に川崎、駒林、中福岡、福岡、福岡新田の5か村が合併して福岡村が誕生
・大正3年に東武東上線池袋~川越田面沢(たものざわ・今の川越市駅と霞ヶ関駅の間)間が開業、上福岡駅も同じ大正3年5月1日開業である
・昭和35年に町制施行で福岡町になった
・昭和47年に市制施行で上福岡市となった。市名は東武東上線上福岡駅に由来する
となります。
ここまでで読み取れるのは、埼玉県福岡町が市制施行の際、福岡県福岡市との同名回避の手段として駅名を採用しているということです。
お二方の最新の疑問としてあるのは、駅名「上福岡」がなにゆえ「上」を採ったかですよね?
ここで、可能な限りのデータを集めて、命名の手がかりを見出すべく、では同時期に開業した東上線の「上下」駅名がどういう経緯か調べてみました。
駅名 | 開業年月日 | 命名の根拠 |
下板橋 | 大正3年5月1日 | 駅舎の位置が北豊島郡板橋町大字下板橋に近接していたため |
中板橋 | 昭和8年7月12日 | 川越街道の上板橋宿と中仙道の下板橋宿の中間に位置するため |
上板橋 | 大正3年6月17日 | 川越街道の宿場町、上板橋宿に近接 |
下赤塚 | 昭和5年12月29日 | 700年くらい前の赤塚郷6ヵ村のひとつ、下赤塚村から |
上福岡 | 大正3年5月1日 | 前述のとおり、公募の最得票 |
この中で面白いのは、「下赤塚駅」ですね。対になる「上赤塚駅」が無く、「下」だけ存在の駅です。なにより、700年前の地名を採用したことですね。ちなみに、この赤塚郷6ヵ村は、上赤塚・下赤塚・成増・徳丸(本)・徳丸脇・四ッ葉で、明治22年に町村制布かれて東京府北豊島郡赤塚村になり、6ヵ村の各名称は大字として継承されたそうです。さらに昭和7年1月1日には東京市板橋区に編入となっています。
板橋3駅ですが、川越街道(板橋区近辺では現在の国道254号線)と中山道(もしくは中仙道。同様に国道17号線)の宿場町に関連する命名ですね。2つの宿場の位置関係では、上板橋が北西、下板橋が南東寄りですが、京都に向かうために中山道(中仙道)を進むと、日本橋→下板橋→上板橋→蕨→… となって、北西側の上板橋の方が京都に近いことになりますね。(Issieさん、フォローありがとうございます。書き込み訂正を利用して補足訂正させて頂きました。)
また同じ区間には方角を用いた「北池袋駅」があります。この位置での開業は昭和9年5月1日ですが、当時は「東武堀ノ内駅」と称していました。この駅は第二次世界大戦の東京大空襲で消滅し、その後昭和22年8月に一旦廃止されています。4年後の昭和26年に再開された時に現在の名称になったのですが、その頃になると地名の位置記号が「上下」から「東西南北」になったものと思われます。
と、こうなるとなんだか上福岡の「上」の根拠がもっとも玉虫ですねぇ…。ここまで調べればかなり核心に迫れる類推を導き出せるかと思ったんですが、どうやら進展しなかったというか逆に混乱したというか…。せめて、上赤塚と下赤塚の位置関係がわかれば。こちらに関しては、板橋区教育委員会が発行している文化財シリーズというものがあるらしく、そのひとつ「まち博ガイドブック・下赤塚・成増・徳丸・高島平」でこの近辺はわかりそうですね。埼玉県あるいは上福岡市にも同様の資料があれば助かるのですが。
ただ、福岡県との直接的位置関係の「上」でははく、間接的に位置記号としての「上下」を用いているように推測されそうですね。これは、東京都東大和市が神奈川県大和市に対して東に位置するのではなく、東京の「東」を冠したのであると同様、位置記号が直接的に使われているのではないグループに入りそうですね。東大和の「東」の場合も、京都に対して「東の都」である東京から採ったのであれば間接的位置記号といえなくもないですし。
こうなると、同名回避の分類に1つ加えても良いような気もしてきましたが、果たしてそう単純なものなのか。オーナーグリグリさん、如何でしょうか?