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三丁目さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[16722]2003年6月13日
三丁目
[16684]2003年6月12日
三丁目
[16679]2003年6月12日
三丁目
[16676]2003年6月12日
三丁目
[16675]2003年6月12日
三丁目
[16628]2003年6月11日
三丁目
[16625]2003年6月11日
三丁目
[16624]2003年6月11日
三丁目
[16623]2003年6月11日
三丁目
[16584]2003年6月10日
三丁目
[16580]2003年6月10日
三丁目
[16535]2003年6月9日
三丁目
[16533]2003年6月9日
三丁目
[16451]2003年6月8日
三丁目
[16448]2003年6月8日
三丁目
[16412]2003年6月7日
三丁目
[16373]2003年6月6日
三丁目
[16368]2003年6月6日
三丁目
[16367]2003年6月6日
三丁目
[16341]2003年6月5日
三丁目

[16722] 2003年 6月 13日(金)19:14:39【1】三丁目 さん
府中と聞くと
しばらく府中の話題が続いたので、昔話を1つ。子供の頃、私が府中と聞いて連想していたのは、広島県府中市でした。ちょうど、3億円事件の時効が迫っていると世間で騒がれていた頃、現場の名前として「府中」がよく出てきました。転勤族でしたが、当時は高崎市に住む小学生で、ニュースを聞くと、どうも広島じゃないみたい、なんでだろう、と思っていました。逆に、自分がなぜ、身近な関東地方の府中ではなく、遠い中国地方の府中を連想していたのか、不思議ですね。東芝府中工場と聞いてたからかな?
蛇足ですが、府中と調布を、勘違いしたことがありました。「ふ」と「ちゅう」「ちょう」の音の組合せからだと思います。京王線沿線に疎い、というのも大きな理由かもしれませんが。
[16684] 2003年 6月 12日(木)21:23:30【1】三丁目 さん
雑魚さん宛レス:北海道大百科事典からの補足
[16681]NSさんを受けて、
函館東:1940年(昭和15年)4月、函館市船見町に函館市立中学校として設立。
岩内:1919年(大正8年)創立の岩内町立女子職業学校から発足した北海道庁立岩内高等女学校と、1941年(昭和16年)町立として開校した北海道庁立岩内中学校とが、1949年、統合して岩内高等学校となった。

1年、NSさんの情報と異なるのが、気になるところではあります。「年度」の捉え方でしょうか?
[16679] 2003年 6月 12日(木)20:08:01【1】三丁目 さん
勝手な推測を、カッコ悪く訂正します。
拙稿[14715]
土地に執着する傾向が強い、日本人の心情を考えると、たとえ釧路集落の方が大きかったとしても、根室の名前を前面に出すことで、根室地元民の、北方警備へのプライドを高めたのかしら、とも思いましたが。これは、完全に私の推測です。
一応、推測とお断りしましたが、訂正いたします。(アーカイブテーマに採用されてるから、恥ずかしいなぁ)

江戸時代後期のネモロ(根室)とクスリ(釧路)は同格だったかもしれませんが、明治前期は根室の方が発展しており、釧路は遅れていたようです。戸長役場は最初に根室と厚岸に置かれ、釧路は旧国名でありながら、根室、厚岸よりも小さい集落でした。1885年(明治18年)に郡役所が釧路に設置されたことが、釧路の発展の一大契機となったように、釧路史には書かれていました。それまでは、厚岸にも劣る寒村だったそうです。

ということで、[12033]uttさんの
根室支庁は南端の根室市にあるのは、一時期、根室県が設置されたこともあり、当時は根室が他を圧倒するほどの、道東の拠点だった名残りなのかなって推察されますね。
ご明察のとおり、です。
[16676] 2003年 6月 12日(木)19:02:35【2】三丁目 さん
雑魚さん宛、じゃないレス
[16642]般若堂そんぴんさん
久しぶりに、フィンランド語とノルウェー語の表記を見て、なんだか懐かしくなりました。ほとんど意味はわからないものの、フィンランド語では「~katu」が「~通り」だったなぁ、なんて思い出しました。

[16664]kenさん
気が狂ったかのような連続書き込みでしたが、(中略)一瞬7位になってみたいがための、
フフッ(笑)。ランキングを意識されてるのですね(笑)。以前から書込まれている方が、ランキング上位なのは当たり前、なので、私はマイペースで淡々と。

とはいえ、先日やっと100番単位のキリ番をゲットできたので、次は17000を狙ってみたいと思っておりました。志?は高く持たないと、ですからね。私が書込める時間だといいなぁ。深夜帯にかかってしまうと、お酒とオネムなために、起きてる努力をする気はないですし。一応、そのための、連続書込みネタを、密かに準備中なのでした(笑)。「北の防人」連載を、終了宣言する原稿も、5月上旬には書き終えたのですが、幸いにして、北海道大百科事典サマサマのおかげで、単発の書込みネタでいろいろと思いついているところです。また、皆さんからネタを振って頂いたおかげで、しばらく、食いつないでこられましたしね。感謝!です。懐かしついでにKiitos!とTak!

[16627]kenさん
>【4】
何気ないレスながら、4回も推敲されている。雑魚さんの繊細ぶりが窺えます。
おっ。実は、自分の書込み訂正回数が多いことを、私は気にしていたのです。フタケタの大台、狙っちゃおうかな(冗談ですよ(笑)、オーナーグリグリさん。見逃してくださいな)。
[16675] 2003年 6月 12日(木)19:02:20三丁目 さん
雑魚さん宛レス
[16633]雑魚さん
私は、Fを通る補助線や、Oを通る補助線を引いて考えたのですが、どうにも解けなくて、困ってノーベル賞田中さんの後輩に当たる友人と、学校の先輩に、メールで聞いたのです。「わかりそうで」という件名で返事が来て「わからん!」と本文に書いてありました。これでも私、共通一次の数学は、満点とれたんですけど(過去の話ですな)。かねてから、[16374]まがみさんで思っていたのですが、まがみさんも理数系でいらっしゃるのですかねぇ。
ちなみに、解答を送ったところ「補助線の引っ張り方だろうなと勘は立つところまではいきました。後は訓練ですよ、あれ。」友人からも同様なコメントをもらいました。そんなもんすかねぇ。

それにしても、[16665]雑魚さん。大型シリーズが始まりましたね。実にグッドタイミングな連載開始ですよ。ちょうど今週末に、北海道大百科事典を、図書館へ返すところだったのですが、その記述からご紹介すると、
北見北斗:1922年(大正11年)4月、北海道庁立野付牛中学校として開校した。
苫小牧東:1937年(昭和12年)町立苫小牧中学校として設立。
室蘭栄:1917年(大正6年)同市栄町に北海道庁立室蘭中学校として開校。
北海:創立は1885年(明治18年)の北海英語学校で、1901年北海英語学校中学部の認可、1905年に私立北海中学校(以下、略)

ちなみに、事典を職場へ持っていって、必要なところはスキャンしたりして、CDへの保存等してたのですが、本日、上巻を持って帰ってきたところでした。ところが、電車の野郎ときた日にゃあ、線路内に人が立ち入ったとの無線信号が発せられ、と、突然駅で緊急停車。おかげで15分ほど多く電車に乗る羽目になり、ただでさえ重い荷物に、ウッとなってしまいました。タイプする腕も、疲労困憊しております。
[16628] 2003年 6月 11日(水)20:58:09三丁目 さん
Re:回転禁止の青春さ/弾丸道路
私は、[16582]NSさんがおっしゃっているのは、棺桶道路=弾丸道路(国道36号線の札幌~千歳間)と理解していましたが。
ちなみに、弾丸道路と聞いて、私が連想したのは、国道5号線(長万部付近)の一般国道、又は、道東の一般国道でした。だって、高速道路を走っているようなスピードでも、抜かされるんですから。
でも、軒下提灯さん、て、サイクル野郎(死語?)だったのですねぇ。
[16625] 2003年 6月 11日(水)19:14:14三丁目 さん
1都4県?
6月6日付日本経済新聞首都圏版の記事を以下、かなり省略してご紹介します。
(見出し)1都4県:昨年度税収、軒並み減
(記事)首都圏一都四県の・・・山梨で・・・次いで神奈川・・・東京と千葉は・・・埼玉は、
1都3県(東京、埼玉、千葉、神奈川)は聞くけど珍しい括り方だなぁと思ったので、職場で相談したところ、これは記事を書いた日経に聞いてしまうのが手っ取り早いだろう、ということになり、電話してみました。逆に「山梨が入っていると不自然なのか」「隣の記事では関東財務局1都9県とある」(そりゃ管轄エリアだろう、と言ったのですが)と言われたので、このオッサンとは何を話しても無駄だな、と思い、早々に電話を切りました。

税金関係の記事だからと、財務省管轄下の関東「財務局」に電話したところ、東京「国税局」に問合せてもらった方が良いかもしれない、と教えてもらいました。ということで、改めて東京国税局に電話すると、管内は1都3県の「東京、千葉、神奈川、山梨」との回答を頂きました。東京国税局の中では「1都3県」と言ったら、前述の管内のことを指すそうです。ですから、たぶん、日経が記事にまとめるときに、東京国税局管内+埼玉県(関東信越国税局管内)と、したのではないでしょうか。。。これくらいの内容は、日経の方で答えろよなぁ、、、あ、これは独り言。

なお、ご紹介した両国税局の管内については、[4261]で雑魚さんが書かれています。蛇足ですが「国税局」で記事検索したら、出てきた8件中7件が雑魚さんの書込みでした。残り1件の両毛人さんの書込みは、雑魚さんの書込みを引用したものに引っかかったものですから、国税局ネタは、雑魚さんの独壇場でしたか?
[16624] 2003年 6月 11日(水)19:01:04【1】三丁目 さん
Re:♪どぉこかぁらぁ来るのかぁ、黄金道路!
ワタクシ的には「おぉごんどおぉぉぉ、ろっ」としたいところですが(笑)。
[16589]雑魚さん
開通以前、浦河、えりも界隈と十勝方面との相互往来需要は皆無に近かったのか、または船舶を介していたのですかね。
北海道大百科事典(北海道新聞社、1981年)の「黄金道路」の記述から、以下、引用しますが、

帯広―浦河間の国道236号のうち、十勝支庁広尾町広尾橋から日高支庁えりも町庶野市街間約31.7kmの別名。この間に初めて道路が造られたのは1798年(寛政10年)で、幕府勘定支配近藤重蔵が東蝦夷地の巡視の帰路、広尾から幌泉に至るが、海路が危険なため自らの資金でルベシベツ―ビタタヌンケの山道10km弱を開削した。北海道における道路築造の初めでもある。その後幕府は国防の見地から様似山道、猿留山道などを造った。(中略)1891年(明治24年)にルベシベツ―タニイソ間の海岸沿いの難所を開削した。(中略)1927年(昭和2年)に現道に近い所に8年の歳月をかけて広尾橋からビタタヌンケまでの16.3kmが完成した。

ということで、上記の記述から推測すると、道路開削以前から、江戸時代には既に、海路による往来があったようですね。

また、昨日は何らの疑問も抱かずに、[16582]NSさんの書込みを読んでいたのですが、「黄金道路」という呼称が、国道236号線から336号線に変わった、というのは、考えてみたら不思議じゃないですかねぇ。「本家」黄金道路が、別称を付けられて、由緒正しい名称を奪われてしまっただなんて。とはいえ、私自身は、336を黄金道路と聞きましたし、手元の地図でもそのように表示されているから、違和感はないのですが、なんとなく236が不憫に思えて(涙)。
[16623] 2003年 6月 11日(水)18:49:27【1】三丁目 さん
厳密な首都とは?
[16617]花の東京都民さん
日本の首都は東京でございますが厳密にいえばいったい何処でございますかしら?
下記URLで、東京都が、「首都とは何か。首都の定義は」について、衆議院「国会等の移転に関する特別委員会」委員等からの回答を紹介しています。
http://www.chijihonbu.metro.tokyo.jp/chosa/syuto/3_katudou/4_teigi/a111104a.htm
この中で「明確な定義づけは今後も議論の余地を残す。」「はっきりした定義はないと考える。」と示されています。

なお、三省堂の辞書では、首都という単語について「その国の中央政府のある都市。*日本では東京。」とあります。「東京都」が自身の問題として首都について考えていることから判断すると、「東京都」という答え方も一つかもしれませんね。都道府県単位になるから、わかりやすい分け方だと思いますし。ただし、「都市」に拘るならば、通常は「市」という行政単位が該当するのでしょうが、特別区である23区域をまとめて1つの「都市」と見る見方もあるでしょうね。
[16584] 2003年 6月 10日(火)20:22:41【3】三丁目 さん
おろおろ、してます
[16582]NSさん
フォローありがとうございました。事典が20年以上前に発行されたものであることをド忘れして、そのまま引用してしまいました。たしかに、おっしゃるとおり、国道番号は236ではなく336でしたね。失礼いたしました。でも、弾丸道路の別名をご存知ということは、私よりも、お歳が上でいらっしゃるのかしら?たぶん、私は雑魚さんと同学年、、、と私は信じていますが。。。あ、いえ、別に、お返事を頂きたいわけではありませんから、テキトーに流してくださいね。

石勝樹海ロードは、uttさんの書込みにもありましたが、道外でも知られているのでしょうかねぇ。また、知床横断道路も、有名か(特に雪解け時期に通れるかどうかは毎年情報になりますね)とは思いましたが。歴史的に、「最も」知られているかな?という基準で選んでみたつもりでした。

[16544]白桃さん
解説、ありがとうございました。実は拙稿[16535]は、書込む前に我が地理アドバイザーにどぅお?と聞いてみたところ、人口データが様々あることは、一般の人は知らないから(地理アドバイザーも含めて)書込んでみたら、と言われていたのでした。白桃さんの解説を頂いたものを、アドバイザーに紹介したところ、なんだかテキトーな自分の理解を言ってましたが、私たちにとっては、勉強になりました。重ね重ねの御礼です。
[16580] 2003年 6月 10日(火)19:04:30三丁目 さん
ニックネーム国道
北海道大百科事典の項目の1つに、標記件名がありました。私は、名前で呼ばれるよりも、国道ナンバーで言われたほうが、ピンとくる方なのです。例えば、
国道122号線:北本通り
国道254号線:川越街道、などです。
明治通り、目白通り等に至っては、私にはどの道路のことを言っているのか、サッパリイメージがわきません。また、
第一京浜:国道15号線
第二京浜:国道1号線
第三京浜:一般有料道路(世田谷区玉川IC~横浜市保土ヶ谷IC)
以前、国道15号線近くに住んでいましたが、私はこの第一から第三までの区別が覚えられなくて、必ず国道15号線、と説明していました。でも、15号線と言った方が、わからない人が多いように私には感じられました。海側から1、2、3と付けたんじゃないの、と職場の人は言ってましたけど。ぢゃあ、なぜ東名高速道路のことを第四京浜と呼ばないの?と、私は声を大にして言いたい!横浜ICだって、しっかりあるのに。。。ま、どうでもいいから、この話はこのくらいにして。

それでいよいよ?北海道のお話。
北海道で最も有名な(全道で知られているという意味で)ニックネーム国道と言えば、黄金道路(国道236号線)ではないか、と私は思っています。我が地理アドバイザーによると、小学校で習った、と言ってました。私は、この道路を通ったときに、小樽出身の人から教えてもらいました。ちなみに、黄金道路の由来は、この道路の建設に膨大な費用がかかったことから、黄金を敷きつめたような道路だ、ということからです。

また、札幌圏の人にとっては、石山通り=国道230号線も知られているでしょうね。実は私は、由来を知らなかったので、「まさか石山本願寺絡みで、本願寺街道(拙稿[16367]をご参照下さい)から石山通りと呼ぶの?」と地理アドバイザーに聞いたら、「そりゃまた本願寺つながりで、ずいぶん遠大な推論ですな。単純に石切り山があったから石山という地名になっただけだと思ってましたが」だそうでして。札幌市南区のHPに石山が出ていました。
http://www.city.sapporo.jp/minami/ トップページの左側にある「知っていますか南区の歴史」です。

他にも、私は知らなかったのですが、国道240号線のことを「まりも国道」と呼ぶのは、地元で知られているようですね。地理アドバイザー情報によると、道路標識にも示されているそうです。手元の最新版北海道マップルを見ると、いろいろと○○街道とか○○国道と表示されているので、ニックネームを付けたのが、増えたのか?それとも、積極的に表示するようになったのか?ハテナ?

さて、事典を見ていると、弾丸道路=国道36号線の札幌~千歳間、と出ていました。初めて聞きましたが、地理アドバイザーが調べていた資料でも出てきたので、なんだろうと思いましたが、これはあっさり判明しました。アドバイザー殿の父君が「昔は弾丸道路って言ったんだ」とおっしゃられていたそうでして。かつてはそう呼ばれてましたが、どうやら高速道路が出来ている時代(現代?)では、もう死語になっていたためのようです。

第三京浜道路のことが話題に上がったから、急遽アップした書込みです。でも、流れとは全然違う話でしたね。これが三丁目テイストなのかな?へへッ(^◇^;)。
[16535] 2003年 6月 9日(月)20:34:26【3】三丁目 さん
実人口って、登録人口ベースなのですか?
[7598]松戸さん
北九州よ~~100万を切らないでおくれ~~。。。

[9056]seahawkさん
北九州市も100万人を割りそうな勢いです。

[13077]TACOさん
北九州市ももう100万を割り込むのは時間の問題ですね。

本日、宮崎出身の人と話をしていて、北九州市の人口はもう100万人を割っているとい言われて、ほらぁ、と
http://dir.yahoo.co.jp/Regional/Japanese_Regions/Kyushu/Fukuoka/Cities/Kitakyushu/Outline/
を示されました。よくよく北九州市HPのデータと比べてみたら、これは、2002年3月末での住民基本台帳ベースの人口なのですね。落書き帳を読んでいた記憶では、[13026]で松戸さんが「セーフッッ」と書込まれていたし、まだ100万人を割っていないと思っていましたから。

それで、そもそも住民基本台帳って何?と思ったので、ネット検索したのですが、よくわかりませんでした。横浜市HPによると、
住民基本台帳とは?
住所・氏名・生年月日・性別など、法律で決められた事項を記載したものを住民票といいます。この住民票をまとめたものが住民基本台帳です。
だそうです。「住民基本台帳上の人口=日本国籍保持者数=日本の人口」かと思っていたものですから「日本国籍を持っていても、住民基本台帳に載らないようなケースはあるのですか?」と電話で聞いたところ、明確に具体例で、回答して頂きました。
(1)居住者が不在となった部屋に、マンションのオーナーが新しい人を入居させようとしたら、前居住者の住民票が残っている際に、近所に聞き込み等の現況確認をして、職権で前居住者を除票するケース。
(2)転勤等で海外へ出られた方が、異動手続きをして、除票のみ残っているケース。
(3)手続き上から(釧路で里帰り出産して出生届を出したが、住民票のある宮崎まで届くのに時間がかかる)、住民登録事務作業が終了するまでの間に発生するケース。
が、考えられるそうです。レアケースはまだあるのでしょうけれど。

それで、気になりましたから「人口が350万人を超えたという場合は、何ベースで考えるのですか?」とお聞きしたら、登録人口ベースなのだそうですね。私も迂闊でした。人口は、基本的に国勢調査ベースで考えていたのですが、直近の数字を知りたい場合は、住民基本台帳ベースでお聞きしていました。ということで、数値には、以後気をつけよう、と思いました。このあたりのお話は、白桃さんがお詳しいのでしょうね。

参考:北九州市の人口推移(単位:人)
推計人口登録人口住民基本台帳人口外国人登録人口
1999年1,011,7621,018,6341,008,18610,448
2000年1,011,4711,015,6561,005,35310,303
2001年1,008,6571,012,9261,002,49910,427
2002年1,006,4581,010,338  999,80610,532
2003年1,001,3971,008,197  997,39810,799
注1:推計人口は、各年10月1日現在。ただし、2003年のみ4月1日現在です。
注2:登録人口とは、住民基本台帳法に基づき住民基本台帳に登録された人口と、外国人登録法に基づき登録された外国人の数を合計したもの(注2のここまでは北九州市HPから引用)であり、時点は各年の3月末現在です。
[16533] 2003年 6月 9日(月)19:38:52【1】三丁目 さん
おばんでした(ちょうど「こんばんは」ですね)
[16520]般若堂そんぴんさん
山形県の少なくとも内陸部の一部で過去形が丁寧表現になる
苫小牧で独身寮に入ったとき、そこには単身赴任者も結構いて、挨拶について注意されたことがありました。風呂場で、私が目礼だけで通り過ぎようとしたら、「なんか挨拶したらどうだ?」と言われ、何と言ったら良いかわからなかったので、ズバリ聞いてしまいました。すると「おばんでした」と言うんだ、と教えられました。

北海道の言葉は、東北地方の影響を受けていることが多いと聞きますが、この言葉を教えてもらったときに、そのことを思い出したものでした。でも、なぜ過去形を丁寧用法として使うことを、東北地方と同様と思ったか、自分でもフシギ。たぶん、山形市の祖父母のところへ小学校卒業までは毎夏行っており、「おばん」という挨拶語を聞いていたためと、山形県村山市楯岡(父の出身地)に4歳の頃、40日ほど預けられていたからかな?と自分では思っているのですけど。あるいは、「おばんでした」と一緒に教えてもらったのかも。記憶が曖昧なのです。

ちなみに「おばんです」も使いますが、同年齢又は目下に対して使ってたはずですから、過去形の方が丁寧な意味になります。「おばんでございます」もありますが、「おばんでした」の方が伝統的?な用法だと、私は思っておりました。紅葉橋瑤知朗さん、NSさん、と地元の方がいらっしゃるのに、僭越でしたが。

ちなみに、先日私の父が「ゴミをなげる」と言ったので、北海道と一緒だぁ、と思ったものでした。
[16451] 2003年 6月 8日(日)08:27:00【1】三丁目 さん
書き落としてましたが、思い出した件です。
[16374]まがみさん
白老~沼ノ端です。堂々の(鉄道)直線区間第1位です。
昨日は、同じ書込み番号について、お礼を申し上げながら、こちらの方を書き落としておりました。失礼をお詫びするとともに、ありがとうございました。

[16349]雑魚さん
176は、やはり国道番号だったのですね。実は、その数字は関西を通る国道番号だったはずだ、とは記憶にあったのですが、どこを通っていたのやら思い出せなくて、国土交通省に電話して聞いてしまいました。「みた」を通ってと、教えてくれた方は言ってました。「さんだ」を知らないのね、と思ってしまいましたが。

ちなみに「さんだ」と聞くと「サンダ対ガイラ」をいつも連想してしまいます。般若堂そんぴんさんのテリトリーに踏み込んでしまいますが(笑)。実際に、同タイトルの映画を見たことはありませんが、たぶんソノシートで聞いていたのだと思います。
[16448] 2003年 6月 8日(日)06:49:58三丁目 さん
過去ログを読んでいて、思いついたレス
[4848]夜鳴き寿司屋さん
元々は、(釧路市と釧路町は)ひとつの行政単位だったわけで、2つに分離させた時点で「区」と「村」と異なる行政組織だったので、隣接していても同じ名前でも構わないとされたのだと思います。どうして別々の名称にしなかったかは謎です。
拙稿[13312]で引用した部分と、今回は異なる箇所の引用です。旧釧路村(現釧路町)は、旧釧路町=旧釧路区(現釧路市)からの分村にあたっていろいろな交渉条件を提示したのですが、その中の一つに「村名を釧路村とする」というのがありました。当初の案(道庁・釧路区側)では、村名を別保村とすることで内定されていたのですが、それを覆すことができたわけです。戦後の民主主義の時代しか知らない私たちですが、当時のことを考えると、よくぞ交渉しぬいたものだと感心しました。

たかだか80年前の出来事でも、立場が異なれば同じ事実であるにも関わらず、記録・記述する濃淡も異なりますから、[15794]Issieさんの
複数の資料をつきあわせる努力をすることでしょうね。
を、痛感したところでした。
[16412] 2003年 6月 7日(土)14:31:16三丁目 さん
お礼、をお伝えしたかった書込みです。
[16374]まがみさん、[16385]uttさん、クロソイド曲線について、ありがとうございました。

また、私の妙な質問に、[16398]雑魚さん
>アングラでは(鉄道直線最長区間について)どこか別の路線があるのですか?
うーん、ちょっと該当しそうな区間は思いつきませんね。
ご丁寧に、ありがとうございました。青葉駅についての記述が抜けているのだけ、ちょっと気にかかりましたけれど、お手持ちの文献がちょっと古めなのかしらん。苫小牧西高の生徒のためにつくられた、後から取ってつけられたように造った駅(確かホームだけ)ですから、線路形状には、影響がなかったのでは、と思ったのですけれどね。

[16383]スナフキんさん
鉄道直線最長区間ですが、(中略)「測量上の敷地中心線が一直線である」ことから直線最長区間であるとされているもののようです。
基準がよくわかりました。さっそく、我が地理アドバイザーには、休み明けに、職場からメールで、教えてあげようと思いました。
[16373] 2003年 6月 6日(金)21:11:09【2】三丁目 さん
「適当」という単語を、良い意味で使いたいレス
[16134]まがみさん
>JR東日本の図が北方へ長い
Suicaの使える範囲とだいたい一致しています。
かつて、Suicaが導入された当初は、ドコソコの駅では使えます、とか、使える範囲が広がりました、とか車内広告をよく見かけたものでしたが、最近は、スッカリ見ておりませんでした。Suicaのことは、スッカリ忘れておりましたがな。

[16370]雑魚さん
>そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。
公式にはその様に聞きますが、駅構内の ポイントに伴う僅かな スライドまで考慮すると、少々 「?」 気味ですね。
ということは、アングラではどこか別の路線があるのですか?
[16368] 2003年 6月 6日(金)19:41:25【2】三丁目 さん
Re:国道五号線、の続き
ところで、道路関係をいろいろと見ているうちに、直線道路(北海道大百科事典)についての記述が目にとまりました。
北海道に多い直線道路の中で、日本一長いのが国道12号の美唄市光珠内跨線橋から砂川市空知太橋の間27.7kmの道路。これを上回る直線道路を造ろうとしても、地形や土地利用状況などから困難であること、直線道路はドライバーにとって単調であり、クロソイド曲線などの連続的な曲線道路が望ましいことから、可能性は少ない。
と、ありました。「クロソイド曲線」の専門的な意味はよくわかりませんでしたが、安全に高速運転するための理想的な曲線、という感じでしょうか。「数学的に滑らかでも、人間的には滑らかではない」という記述を見つけましたから、何やら、黄金比みたいなものかも、とも思いましたが。
この、直線道路の話を我が地理アドバイザーに紹介したら、そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。いかんせん、私たち、鉄分不足なものですから。
[16367] 2003年 6月 6日(金)19:41:10三丁目 さん
Re:国道五号線
[16067]雑魚さん
ところで、国道の経路を考えると、(中略) 函館と札幌を結ぶ 5号線の経路選定については、その必然性において少々微妙なものを感じます。(中略)鉄道基準で見た場合、(以下、省略)
国道5号線は、道内唯一の1ケタ国道であり、函館~小樽~札幌と、最も早くから区制が施行された三都をつなぐ主要な道路ですから、ご興味を持たれるだろうな、と思います。でも、私自身は、初めての北海道旅行の時の、片道1回しか通ったことがありませんねぇ。なぜなら、函館から札幌へ一般国道で向かう場合、国道5号線~長万部町~37号線~豊浦町~230号線、が現在の最短ルートだからです。難しかった中山峠越えも、近代土木技術(定山渓トンネルより札幌側の無意根大橋、渓明大橋等)によって、通行が容易になりましたから、ね。

なお、我が地理アドバイザーからは「鉄道だと、山ルートは登りが厳しく、それに伴いカーブもきついことからスピードが極度に落ちるけれど、自動車だとその影響は小さく、狩勝峠よりも険しい日勝峠の方が短時間で着けるように、距離最短が第一だと思われます」とのコメントをもらいました。私は思いつかなかった話でしたが、ナルホドと納得しました。

ということで、以下は北海道道路史(参考文献も同名)になってしまいますから、もしなんであれば、飛ばしてくださいな。鉄道には、少~しだけふれます。

函館から札幌への陸路は、1870年(明治3年)から翌年にかけて開削された、本願寺街道が、開拓最初期の道路です。このときのルートは、軍川(七飯町)から砂原6里半(25.5km)の道路を開通させ、海(内浦湾)を渡って長流(伊達市)から、壮瞥、尻別(喜茂別町)、定山渓を経て平岸(札幌市)に至る26里10町(103.2km)です。現在の国道230号線に近いルートなのですが、厳密に言えば、230号線の起点が虻田又は豊浦なのに対して、本願寺街道は伊達を出発点として、洞爺湖を東回りで留寿都村に上っています。また、札幌市内を石山から豊平川左岸、石山通りが230号線ですが、本願寺街道は豊平川を渡らず真駒内を通って平岸に着いているあたりが異なります。

次に着手されたルートが、札幌本道です。初めは本願寺街道ルートと同様に考えられていましたが、変更されました。函館から森に出て、森から内浦湾を船で渡ってトキカラモイ(室蘭市海岸町)に上り、そこから苫細(苫小牧)を経て札幌・豊平橋に至るルートをとることとなりました。1873年(明治6年)に竣工し、幅員44尺(13.3m)ないし22尺(6.7m)の西洋式馬車道が完成しました。もう少し詳細にルートを記述すると、函館~亀田~峠下~森~(内浦湾)~室蘭港~登別~苫小牧~千歳~札幌、となります。

1885年(明治18年)の内務省告示によって、全国で44の国道が指定され、
6号「東京ヨリ函館港ニ達スル路線:東京~宇都宮~郡山~仙台~盛岡~青森~函館港」
42号「東京ヨリ札幌県ニ達スル路線:東京~6号・函館港~七飯~森~室蘭港~苫小牧~千歳~島松~札幌」
となりました。大雑把に言うと、現在の国道5号線~(内浦湾)~36号線という感じですね。

その後、札幌本道以外の道路も開削が進められ、1888年(明治21年)から森~長万部の道路工事に着手し、1894年(明治27年)頃までに礼文華山道(長万部~虻田)の改良が行われました。また、札幌~定山渓~虻田の旧本願寺街道も、1894年(明治27年)に改良・開通しています。しかし、車が未発達の時代にあっては、内浦湾の交通による船の方が速くて安価だったために、道路はあまり利用されず、1904年(明治37年)の小樽~函館間、1914年(大正3年)の伊達~長万部間の鉄道開通以降は、陸上輸送の主役は鉄道に譲ることとなりました。

なお、1907年(明治40年)内務省告示により国道が改正されて、
42号「東京ヨリ北海道庁ニ達スル路線:東京~6号・函館~森~長万部~蕨岱~倶知安~小沢~小樽~札幌」
43号「東京ヨリ第七師団ニ達スル路線:東京~6号・青森~室蘭~植苗~早来~追分~岩見沢~滝川~神居古潭~旭川」
と、この時に、現・国道5号線の全ルートが、主要国道として登場しました。

1918年(大正7年)に旧道路法が成立し、1920年(大正9年)の内務省告示で国道が指定されました。
4号「東京市ヨリ北海道庁所在地ニ達スル路線:東京~青森~函館~森~長万部~倶知安~小樽~札幌(北3条西5丁目)」
27号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(甲):東京~4号~札幌(北1条西4丁目)~岩見沢~旭川(4条通7丁目)」
28号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(乙):東京~4号・青森~室蘭~苫小牧~栗沢~岩見沢・27号」
と、この段階でも、まだ長万部~室蘭間のルートは主要国道としての要件を満たしていなかったようですね。

1952年(昭和27年)の道路法改正により、多くの幹線道路が国道に昇格し、一級国道、二級国道が指定され、北海道での一級国道は、以下の8路線でした。(注)
(1)札幌~余市~倶知安~長万部~八雲~森~函館
(2)札幌~岩見沢~滝川~旭川
(3)室蘭~苫小牧~早来~岩見沢
(4)旭川~名寄~音威子府~天塩~稚内
(5)滝川~富良野~狩勝峠~帯広~釧路~根室
(6)旭川~上川~白滝~遠軽~留辺蕊~北見~美幌~弟子屈~別海~根室市厚床
(7)長万部~虻田~室蘭
(8)札幌~千歳~苫小牧市植苗

その後、主要幹線の拡幅・舗装改良が進められ、1955年(昭和30年)札幌~小樽間、1961年(同36年)に現・国道36号線全線、1967年(同42年)に国道37号線の舗装、1970年(同45年)には国道5号線全線が舗装されました。

また、冬季は雪崩の危険から通行途絶となることが多かった、国道5号線の小沢~仁木間の稲穂峠は、1962年(昭和37年)に稲穂トンネルが開通、1965年(同40年)までに改良、舗装完成し、走行性が飛躍的に向上しました。これと並行して、1965年(同40年)に、礼文華峠のトンネルが開通したことで、国道37号線ルートもかつての難所が克服され、高速走行が可能となっています。

一方、二級国道だった札幌~虻田間の現・国道230号線は、1957年(昭和32年)から改良、舗装工事が行われ、最大の難所である中山峠は、大規模な橋が連なる近代的な道路(先述のとおりです)に生まれ変わり、1969年(同44年)に完成しました。これによって、札幌から函館への自動車ルートは、この国道230号線経由が距離、時間ともに最短となり、主役の座を奪うことになったのでした。ちなみに、現在の豊浦町から北へ行くルートは、かつては国道230号線ではなかったのですが、有珠山の噴火に伴い寸断された経路の迂回ルートとして、設定されました。もともと道道だった時代から、函館~札幌の近道として使われていました。

5号線なのか、37・36号線なのか、じゃなくなってしまいましたね。スイマセン。鉄道ルートは、小樽の地位低下を考えると、室蘭・苫小牧・千歳回りが経済的に、優先されるのでしょうね。特に、千歳空港駅(現・南千歳駅)の開業(1980年)と石勝線開通(1981年)が、決定的だったと思われます。

注:現在の国道と一致するのは、(1)=5号、(2)=12号、(4)=40号、(5)=38号+44号、(7)=37号だけで、(3)は室蘭~苫小牧が36号の一部+苫小牧~岩見沢が234号、(6)は旭川~上川が39号+上川~留辺蘂が273号と333号と242号+留辺蘂~美幌が39号+美幌~根室が243号、(8)は36号の一部です。
さらに留意点としては、国道39号の上川~留辺蘂の区間は、現在の石北峠ではなくて、鉄道と同じ北見峠ルートだったことです。また、苫小牧から早来までの区間は、現在の沼ノ端ではなく、植苗が分岐点だったことが、異なっています。
[16341] 2003年 6月 5日(木)22:00:59三丁目 さん
両毛人さんと、雑魚さんへ
一昨日はアーカイブが読めなかったために、本日、新着テーマ「地形図」に親しもう!を見たところ、私の書込みが採用されていたので、ビックリしました。もしかして、国土地理院HPを紹介していることが、採用して頂いた理由なのでしょうか?実は、ワタクシこの件については、オーナーグリグリさんに対して申し訳なく思っていたのです。1ヶ月くらい前に何気なく、都道府県市区町村 http://uub.jp/index.html を下の方までジックリ見ていたら、参考HPとして、国土地理院をリンクされていたのですね。普段は「サイトマップ」又は「落書き帳」をすぐクリックしてしまうから、見落としておりました。
さも自分が見つけたかのように書いてしまいましたから、いかにオーナーグリグリさんのHPをちゃんと見ていなかったことかと、反省しておりました。ハァ。

雑魚さん、メンバー紹介の更新、ありがとうございました。また、雑誌?の件、私は不興には感じておりませんので、どうぞご心配なく。それと、貴書込み[16067]から2つほど思いつき、現在、我が地理アドバイザーと情報交換しているところでした。あ。ところでナンバー176のナゾ解きは、いつして頂けるのでしょうか?興味津々なのですけど。


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