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伊豆之国さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[108468]2023年7月31日
伊豆之国
[108445]2023年7月30日
伊豆之国
[108417]2023年7月29日
伊豆之国
[108408]2023年7月29日
伊豆之国
[108374]2023年7月28日
伊豆之国
[108324]2023年7月24日
伊豆之国
[108293]2023年7月23日
伊豆之国
[108199]2023年7月17日
伊豆之国
[108175]2023年7月10日
伊豆之国
[108069]2023年6月22日
伊豆之国
[108066]2023年6月20日
伊豆之国
[108014]2023年6月14日
伊豆之国
[107970]2023年6月10日
伊豆之国
[107960]2023年6月7日
伊豆之国
[107879]2023年5月30日
伊豆之国
[107848]2023年5月21日
伊豆之国
[107818]2023年5月13日
伊豆之国
[107809]2023年5月12日
伊豆之国
[107799]2023年5月9日
伊豆之国
[107777]2023年5月5日
伊豆之国

[108468] 2023年 7月 31日(月)22:33:36伊豆之国 さん
十番勝負
問七:袋井市
問九:富士宮市
[108445] 2023年 7月 30日(日)23:47:53伊豆之国 さん
十番勝負
問二:鎌倉市
[108417] 2023年 7月 29日(土)23:52:26伊豆之国 さん
十番勝負
問三:調布市

お題のあの市に惑わされました…
[108408] 2023年 7月 29日(土)22:06:56伊豆之国 さん
十番勝負
問八:南アルプス市
[108374] 2023年 7月 28日(金)23:10:42伊豆之国 さん
十番勝負
問四:調布市
[108324] 2023年 7月 24日(月)23:31:41伊豆之国 さん
十番勝負
問一:東村山市

…これには参りました…
[108293] 2023年 7月 23日(日)21:31:50伊豆之国 さん
十番勝負
問十:狛江市
[108199] 2023年 7月 17日(月)22:12:25伊豆之国 さん
「忍町」はなぜ「忍市」ではなく「行田市」になったのか?
一昨日の「ブラタモリ」の舞台は、埼玉県行田市でした。映像では、「埼玉」の県名発祥の地とされる「埼玉(さきたま)地区」の風景から始まり、地名の由来と深いつながりがある「前玉(さきたま)神社」、国宝の鉄剣が出土した「稲荷山古墳」や日本最大級といわれる円墳「丸墓山古墳」などがある「埼玉(さきたま)古墳群」、利根川べり(旧南河原村)にある、長年の土砂の堆積などですっぽり地中に埋まった幻の古墳群「酒巻古墳群」、石田三成の「水攻め」の猛攻に耐えた「忍城」と、その三成が城攻めのために築いたという「石田堤」、市街地中心近くにある「高札場」跡など、盛りだくさん(市が番組放送に合わせて作成した「町歩きマップ」より)。
そして、番組の終りのほうでは、行田の特産として知られた「足袋作り」の映像が流れ、かつては全国の生産量の7割を占めたという「足袋の街・行田」の知名度もあり(番組には出てきませんでしたが、駅名にも「忍」ではなく「行田」が開業当初から使われていた(「元祖」行田駅である秩父鉄道の現・行田市駅))、武士の街であった「忍」に比べて範囲が圧倒的に狭かったのにもかかわらず、市制施行にあたって「行田」の名が採用されたのではないか、と推測していましたが、いかがでしょうか。
「忍市」(手続き上は「瞬間の市」)でなくて「行田市」になった理由の推測は、20年以上も昔の記事ですが、でるでるさんの[5052]に出ていました。
忍(おし)町の城下町で、足袋(たび)の生産で有名になった行田地区が市名の由来の様ですよ。
江戸時代の中期頃に、忍藩主の松平氏が、藩士の婦女に内職として足袋の生産を奨励したのが始まりなのだそうで、その後次第に行田地区の主産業として盛んになり、「足袋の行田か、行田の足袋か」と言われた「行田足袋」の生産地として知られたそうです。
第二次大戦後は、足袋の需要の低下から、靴下やサンダルの製造への転身が多くなってしまいましたが、現在でも足袋生産の全国シェアは約60%を誇っているそうです
行田足袋で全国的に名の知れた「行田」の名称を採用して「忍市」や「埼玉市」ではなく「行田市」としたものと推測するのですが、いかがでしょうか
…「埼玉古墳群」のある一帯が行田市の一部になる前は、「埼玉県北埼玉郡埼玉村大字埼玉」の「下埼玉」(「上埼玉」だったっけ?)地区だった、ということが映像に出ていました。「埼玉」の最初の2つは「さいたま」、あとの3つは「さきたま」…実にややこしい!「ややこしい」といえば、「町歩きマップ」のトップに、「行田(ぎょうだ)市長の行田(こうだ)さん」が顔写真入りで出ていました…。そういえば、「保谷市長の保谷さん」がいましたな…。
♯「埼玉(不協和音?)五重奏」を見て、「志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所」を思い出してしまったのは、内緒…
[108175] 2023年 7月 10日(月)22:07:39伊豆之国 さん
嵯峨野にある「嵐電」嵐山駅
だいぶ遅レスですが…

[108130] 千本桜さん
嵐山の竹林という呼び方が引っかかります。地理的に、あそこは嵐山ではなく嵯峨でしょう。嵯峨または嵯峨野の竹林と書いて欲しいのに、イメージと知名度優先の観光業者は嵐山の竹林と書きます。近年、ますます嵐山が嵯峨を地名侵蝕しているように感じます
「嵯峨野」という地名も全国的に相当メジャーな地名だと思うのですが、「『嵐山』が『嵯峨野』の領域を侵食してきている」というのは驚きでした。「嵐山」という鉄道駅が、渡月橋のかかる桂川を挟んで両岸にあるのですが(地図)、川の南側にある阪急嵐山線の駅は「西京区嵐山東一川町」にあるのに対し、北側にある京福電鉄嵐山線(嵐電)の駅は「右京区嵯峨天龍寺造路町(つくりみちちょう)」にあり、これは明治末期に開業して以来現在まで名乗り続けており、その当時から既に「嵯峨野にある嵐山駅」という状態が今日まで続いているこになっています。
天龍寺や「嵯峨野の竹林」を初め、この界隈の主な寺社などの観光地はそのほとんどが桂川の北側の「嵯峨野」地域にあり、もっと北側の大覚寺などとなると、この一帯までも「嵐山」と呼ぶというのには、私もやはり大いに違和感を覚えます。思えば、山陰線(嵯峨野線)の「嵯峨駅」が今の「嵯峨嵐山」駅に改称したのは、もうすでに今から29年も前。その頃から「嵐山の嵯峨野侵食」が始まっていたのでしょうか。ちなみに、山陰線の旧線跡を利用した嵯峨野観光鉄道の「トロッコ嵐山」駅も「嵯峨」地域にあります。
ところで、京都市内には長い町名が多く見られるのですが、この辺りの地図を見ると、とにかくやたらに長い町名が目につきます。「嵯峨大覚寺門前宮ノ下町」はフリガナで19字。「嵯峨二尊院門前善光寺山町」など3町は21字、「嵯峨釈迦堂門前南中院町」は22字…。これは、「旧町村名-大字-小字」をそのまま引き継いだ、ということが、今尾恵介氏の著書で見たことがあります。
…これ以上の話は、地元の方に任せてこの辺で「お開き」に…

[108163] 白桃さん
1933年(昭和8年)に市制施行、これは県都に次ぐ早さ。同年市制は、松阪、銚子、延岡、帯広、延岡、酒田、熊谷、川口という面々
延岡がかぶっていますね。後のほうのは「石巻」ですね。
[108069] 2023年 6月 22日(木)23:20:37伊豆之国 さん
三ヶ日蜜柑 & 中野太陽広場
[108054] 勿来丸さん
「三が日」と書いたら「三ケ日」に似てるなと思ってしまいました
現・浜松市北区の「みっかび」、正式表記は「三ヶ日」か「三ケ日」か。過去記事でも何度か話題になったことがありました。
(開く)三ヶ日? 三ケ日?

[108065] 海辺を飛ぶ鳥さん
「三ケ月」に見えて、月名コレの作業しよう、と思いました。
地理のテストで「三日月湖」を「三ヶ月湖」と書いた人が結構いた([63022] Issieさん)という記事がありました…。
「三日月町」という自治体がかつて兵庫県と佐賀県にありましたが、いずれも平成の大合併で消滅しました。
太陰暦三日の細い月相を「三日月」と呼び、兵庫県佐用郡三日月町05と佐賀県小城郡三日月町05とがありました。前者は「三日月の影」に祈った山中鹿介幸盛(尼子十勇士)に因む地名でしょう
([70649] hmtさん)
千葉県松戸市に「三ケ月」という町名がありますが、「みこぜ」と相当な難読です。町内に「三日月神社」があり、これと関係ありそうですが、「みこぜ」の読みはどこからきているのでしょうか?

[108063] 白桃さん
中野町と野方町の区域でもって中野区ができたのですが、その名称について、
①中野町からそのまま
②中野の「中」と野方の「野」、一字ずつ取った
と二説あるようなのですが、白桃は絶対①だと考えます
[108064] Nさん
以前住んでた時に貰った広報誌かなにかに上記の説が書いてあった記憶もありますが、初めて見たときは自分もそんな馬鹿な、と思いました。確たる物証があるわけではないようなので、本音は①だけど建前で②にしてる感じですかね
中野区の公式HPを見ましたが、「中野」という地名そのものの由来については書かれていましたが、「中野区」の名称の由来についての記事は見つけられませんでした。「東京地名考」(昭和61年・朝日新聞社会部編)を見ると、やはり中世以来の村名に由来する説と、「中野と野方の頭文字を取った」という説の両方が書かれており
「中野区史」昭和資料編に当時の区会議員談があり、野方町の住民は砂糖・醤油一つ買うのも中野へ行かなければならぬ状態で、「ですから、これは中野ということにしてやろうという相談があり、その時誰も反対したものはなかった。だからスムーズに決まったんです」とあるが、頭文字説も残っており、確定する資料もないという。両町に対抗意識がなかったわけでもないようで、あるいは「玉虫色」の解釈だったかもしれない
とあり、これが現在に至ってもまだどちらかに確定できる資料が見つからない、ということでしょうか?
[108066] 2023年 6月 20日(火)22:59:56伊豆之国 さん
クイズ問五十
[108056] 白桃さん
【問五十】
もう一つの該当市は、天理市でしょうか?
♯あきごんさん、ゴメンナサイ…

他に反応したいのがありますが、別稿で…
[108014] 2023年 6月 14日(水)21:21:16伊豆之国 さん
天和駅、野外教育施設
「麻雀」の話題でにぎわっているようですが…

[107996] Nさん
役満を作れる市
天和
一駅だけで役満ができる市がありますね…(これ、反則?)。それは、「天和」駅がある、「忠臣蔵」で名高いあの市。この「天和」駅の住所は、赤穂市「鷆和」。読みは共に「てんわ」ですが、字が違います。「鷆和」地区にできた(国鉄→)JR赤穂線の駅が「天和」になった経緯、更に「鷆和」には字体が微妙に違う「鷏和」という表記も一部で見られることなどが、過去記事にありました。

[107991] ただけんさん
[108001] あきごんさん
[108002] メークインさん
[108003] サヌカイトさん
[108005] おがちゃんさん
[108008] Nさん
[108013] とりぴーさん
野外教育施設
少し違うのかもしれませんが、世田谷区民だった私の小学生時代には「臨海学校」というのがあり、多分4年生の時に三浦市にあった区立の臨海学校に泊まったことを覚えています。このような「その自治体の区域外にある、その自治体の公立・公設の臨海学校」は、東京の特別区にはその大半にあって、多くは伊豆とか南房総といった気候温暖な場所に設けられ、元々は食糧難の時代に多かった「虚弱児童」の保養施設として設けられた、ということを聞いたことがあります。こうした「公立臨海学校」は、時代の流れと共にその役目を終えて廃止されたところが多く、世田谷区の施設も既にとうの昔に廃止されているようです。

>グリグリさんへ
今晩のTV(BS)を見ていたら、長野県大桑村の阿寺渓谷に「千畳岩」というのが出てきました。
「千畳敷」コレクションの「参考」欄を見ましたが、まだ登録されていないようなので、新規登録をお願いいたします。
大桑村観光協会HPにある案内図があるページと、地図SVをリンクしておきます。
[107970] 2023年 6月 10日(土)23:37:09伊豆之国 さん
自分一人だけの経県値(宿泊) & 野々市市の旧家で「開かずの金庫」を開けろ!
[107878] サヌカイトさん
[107967] 未開人さん
[107968] k_itoさん
自分だけの経県

遅レスですが…
[107878] サヌカイトさんの「特殊経県値」の一覧表を見ると、私一人だけになっているのは
居住+宿泊…8、訪問…0、接地…8、通過…3
と出ていますが、記事が書かれた日より10日以上過ぎておりこの間の変化があることと、実は私自身もこの間に過去の記憶より経県値の見直しをしており、訪問以下(未踏を含め)の数値はこの表と異なっていますが、宿泊については「8」で変わらず、該当する市町村は

青森県黒石市(温湯温泉郷…この日は暴風雨でたどり着くまで大変だった。こちらに投稿した記事あり。宿泊した宿は今はない)
青森県風間浦村(下風呂温泉。こちらも宿は既に廃業したようだ)
岩手県野田村(海辺の高台にある国民宿舎。東日本大震災のときは被災者の避難所となっていたという)
秋田県潟上市(高台にあった公共の宿。ここも今はない)
千葉県大多喜町(養老渓谷の温泉宿)
新潟県阿賀町([67176]阿賀野川の川辺の温泉宿)
奈良県山添村(勤め先の「研修旅行」で「名古屋市にない麒麟麦酒の名古屋工場見学」([98078])の後で「古民家民宿」を借り切り一泊)
広島県大崎上島町(旧木江町の岬の突端近くにあった国民宿舎。現在このホテルが建っている場所と同一と思われる)

の8町村と見られます。

ところで、昨日のTV番組で、「開かずの金庫を開けろ」というのがあり、オーナーさんの故郷・野々市市の旧家で、国指定重要文化財になっている「喜多家住宅」(SV)にある「開かずの金庫」を開けろ、という場面が出てきました。悪戦苦闘の末、金庫の扉は無事開きましたが、残念ながら金庫の中身は空っぽでした…。
[107960] 2023年 6月 7日(水)22:47:02伊豆之国 さん
八番勝負見物記 & 名所クイズ & ご破算になった合併
まず、「今の自分の実力ではもはや到底無理」ということで、宣言通り「休場」「高みの見物」を決め込んだ、「メダルが取れなければ即終了」という「八番勝負」ですが、やはりほとんどの問題はお題を見ただけでは全く見当がつきませんでした。その中で唯一共通項らしきものが見えかけていたのが問六。佐倉市→国立歴史民俗博物館(30年ほど前に行ったことあり)、吹田市→国立民族学博物館…から「国立博物館がある」ということなのか…。結果はまさにその方向でした。もし参加したのであれば、まず「絶対鉄板」の京都か奈良を答えたでしょう。
ついでに、余計なおせっかいですが…[107947] オーナー グリグリさん
箱根登山ケーブルの早雲寺駅
「早雲山」ですね。

次に、2週連続でTVのクイズ番組でやっていた、日本の観光名所・世界遺産に関する漢字穴埋めクイズより。
次の□内に入る正しい漢字を書け、というものですが、解答者が間違えたものをいくつか。Q5は「正確に書け」となると難問です。

問題名所
Q1.□見銀山
Q2.種□島
Q3.大浦天□堂
Q4.延□寺
Q5.□美大島

(開く)正解と誤答例は…(自分の感想も交えて)

ところで、"You Tube"の動画に、破談に終わったヤバすぎる合併計画10選+αというのがありました。かの悪名高き「南セントレア市」なども登場するこの動画、それはベテランメンバーにとってはまさに「落書き帳」が「平成の大合併」ネタで大いに盛り上がっていた頃の記憶を蘇えられてくれるものです…。
…かくいう私も、早いもので明日で「落書き帳」初書き込みから数えて17年目に入ることになりました…。
[107879] 2023年 5月 30日(火)23:05:48伊豆之国 さん
今頃になって連休中の旅日記です
[107848]の最後で書き込んだ旅日記の件、やっと何とか書き込む時間ができました…

5月2日の朝、小田急にのり、本厚木※からロマンスカーで小田原へ、JRに乗り換えて熱海で下車。外に出たのはもう○十年以上もなく、駅も建て替えられており、駅前にあったはずの「軽便」の機関車が記憶にあった場所に見つからず、見回したらアーケード街の入り口近くにあったのでした…。アーケードを抜け、坂道を下って海岸へ出て、熱海海岸のシンボル「お宮の松」の前へ。「水泡経済破綻」で立ち並んでいたホテル群が軒並み倒産・廃業、廃墟となったのちに解体され、だだっ広い空き地となった頃の映像が今も印象に残る中、近年になってようやく復興に向かい、新しいホテルやマンションが建ち始めたということは既に知ってはいて、今もこれまで空き地だった土地に新築ホテル?の工事が始まっていたのですが、「大昔」の姿がどうだったのか、なかなか思い出せませんでした(確かにこの界隈にあったホテルに泊まった記憶は残っているのですが)…。
熱海駅への帰りは急な上り坂になるのでバスを待つと、結構本数はあった。駅へ戻り、昼食の時間帯にかかったのですがどこも満員、結局駅の立ち食いそばで我慢(去年([104824])も実はそうでした…)。熱海駅から電車で伊東駅へ。この区間はJRなのですが、走っている車両は相互乗り入れしている伊豆急のが多く、乗ったのはやはり去年と同様、元東急の銀色電車でした。
伊東駅に着いてから、どのように回るのか、駅に着いてもまだ迷いましたが、なぜかわからないけれどもこの一帯だけは今まで「見た」という記憶がない、大室山からシャボテン公園と回ることに。大室山ではリフトで山頂に登るのですが、連休の谷間の平日にも関わらず大行列ができ、乗るまでに1時間近くかかったように覚えています。山頂の「駅」で降り、すり鉢状の火口を囲む「尾根」の遊歩道を一周するのですが、外側にも内側にも転落防止用の「柵」がなく、傾斜も結構急で、足がすくんで怖い思いでした(過去にはいずれも一部分だけですが阿蘇山とか草津白根でもこのような場所に行っているのですが、そちらには柵があったような…)。でも、間近に綺麗に見えた富士山の雄姿は印象的でした。
山麓に戻って、すぐ向かい側にある「シャボテン公園」へ。手元にある昭和30年代の観光案内にも出ている、古くから知られた名所で、今までずっとこの名で覚えていたのですが、正式名称は伊豆シャボテン動物公園で、いつの間にか「動物園」の施設も加わっていたとは知りませんでした(ちなみに「日本動物園水族館協会」にも加盟しています)。入場料の馬○高さには少々腹が立ち、名物という「カピバラの露天風呂」は冬季限定なのでこの時期には見られませんでしたが、原産地別に分かれている、昭和30年代から建っているというピラミッド型の大温室や、メキシコから持ってきたという巨石群など、「オジサン」にも結構楽しめる観光施設だという感はありました。
帰りも大混雑で、臨時のバスが出ていたのでそれに乗って伊東駅に戻り、この日に予約した宿は…私の少年時代、耳にタコができるほど聞かされたかの名ホテル。宿に着くなり早速大浴場で疲れをほぐしたのですが、「格安プラン」故、「落とし穴」もありました。朝食のみのプランであり、夕食会場は9時まで使えず、近所に飲食店もないのでそれまで我慢するほかないのです。でも、よくTVの旅番組に出てくるようなタレント達などとは正反対に「食事は二の次、空腹を我慢してでも見たい(行きたい)ところが優先」というタイプの私は、すぐに気持ちを切り替えることができました。夜のTV番組は、予想した通り、おそらくCATVで配信されている([94658] Takashiさん)東京と同じチャンネル。いつも見ている番組を見た後、この日2度目の入浴、ようやく晩飯、拉麺で我慢…。
翌朝、起きてすぐに朝風呂、そして外の景色を見ると…「格安プラン」だから山側の部屋だったのですが、客室がある建物が八角形で、洗面所に行くと…窓からわずかに海が見えた!それにしてもこの建物、1階の上のエレベーターが止まる階が7階になっていのですが、外から見た限り、1階と7階の間に5つも階があるとは思えない。機械室などになっているようですが、どんな構造なのか謎です…(以前にこれに似た話題がありました…[91459] MasAkaさん)。
建物が古く、耐震の問題?なのか、連休中の「書き入れ時」なのに立ち入り禁止になっていた棟があり(前の晩に見たら確かに明かりがついていなかった)、人手不足なのか売店も早じまい、サービスも「手抜き」が多く、ちょっと寂しい感じでしたが、まあこんな世の中だから受け入れるか、ということになるのでしょうか。でも、帰ってからしばらく経った日に、熱海~伊東界隈をやっていた旅番組があり、「昭和レトロ」の宿として、「若い人に結構人気がある」ということらしいとか…。そういえば、昭和の温泉宿によくあったゲームセンターもありました。さすがにゲーム機自体は現代のものに変わっていて、遊んでみる勇気はありませんでしたが…。
このホテルの姉妹店で、「魚が泳ぐ水槽」がある大浴場が名物の海辺のホテルの、その大浴場の入場券をもらったので、そちらに行くことにしたのですが、そちらに直行するバスの時間はずっと後なので、まず駅に戻り、歩いて10分ほどの中心街にある、昭和初期に建てられた木造3階建ての元旅館で、現在は観光施設として運営されている「東海館」を見学。駅に戻り、ホテルの少し手前にある「マリンタウン」(どうやら、子供の頃に行ったことがある「伊東水族館」の跡地らしい)までバスに乗ったのですが、道路は大渋滞、しかも進行方向の右側にあり右折もできないので、到着まで1時間近くもかかったような…。そんなわけで「マリンタウン」には入らず、ホテルまで歩くことに。中途半端な時間帯とあって大浴場はすいていたのですが、何とも「わざとらしい演出」のように見えてしまうのは仕方ないのでしょうか。こちらも人手不足なのか、サービスに難点があるようなのが残念でした。
帰りの道路はすいており、バスはスムーズに伊東駅に戻って、1年前には悪天候で諦めた、源氏と北條氏ゆかりの「修禅寺」を目指すことに。バスの本数が少ないので事前にメモしていたのですが、出発時間が迫っており、ここでも食事に時間をかけられず、駅前の「大衆食堂」で「困ったときには必ずコレ」というカレーライス…。修善寺駅で温泉街行きのバスに乗り継ぎ、目指す修禅寺へ。だいぶ前に一度お参りしているのですが、夕暮れ時で本堂を拝んだだけだったので、今度はじっくり見て回ることに。宝物殿も見てきました。
門前に戻って温泉街へ。町のシンボルだった「独鈷の湯」は洪水?で流されて立ち入り・入浴禁止になったままで、近くにある立ち寄り湯で一風呂。バスで修善寺駅に戻り、駿豆線・東海道線と乗り継いで小田原駅に。ここでようやく夕食、としたのですが、駅ビル内も駅前の飲食店も大混雑。ようやく手ごろな値段の店で刺身定食。ここまで来てやっと本格的(とまで行かないのですが…)なグルメ、ということになりました。小田原駅からロマンスカー、海老名駅※で鈍行に乗り換えて家路に…。
※どちらも既に出発・到着した駅を失念してしまい、時刻表からの推定です(お粗末…)

[107864] かぱぷうさん
[107868] メークインさん
[107871] スナフキんさん
宿が目的の旅行
今回の道中も、形の上では「宿を目的にした」旅であって、その前後はいわば「行きあたりばったり」という形だったのですが、
[107868] メークインさん
名古屋クラウンホテル
中心部にある天然温泉
実は私も一度宿泊したことがあります。4年前の大連休で、お伊勢参りからの帰り、元号が「令和」と改まったまさに最初の晩に投宿したのがこの「名古屋クラウンホテル」でした。
終点の【A市】に。とにかくここのターミナル駅はJRと私鉄・地下鉄との乗り換えがわかりにくく、結局ホテルまではタクシーで。このホテルには【A市】では数少ない温泉もあり、「大都会の温泉」気分を味わうこともできました
([97673])
この【A市】がその名古屋市(解答は[97706]にあり)で、「温泉があるホテル」がまさにその「クラウンホテル」。このホテルに温泉があることは既に知っており、ネット検索で予約情報に当たったところ「空きがある」と分かって早速予約したのでした。…この後は、引っ越しのドタバタとその後の「コロナ」の影響で、丸3年間宿泊を伴った旅行ができず、それがやっとできたのは、去年の春の連休、大河ドラマの舞台を訪ねた旅で泊った伊豆長岡温泉でした([104824])。
最近はビジネスホテル(シングル)で泊まる事が多いのですが、ユニットバスにお湯を溜める事が面倒なので大浴場があるホテルを選ぶことが多いです
これは私も同じです([105967] )。大半のホテルに大浴場がある「ルートイン」(昨年秋の上山田温泉もそうでした)のようなチェーン店に泊まることが多い点は異なりますが。
[107848] 2023年 5月 21日(日)23:50:38【1】訂正年月日
【1】2023年 5月 22日(月)21:16:50
伊豆之国 さん
東陽町、駒澤村
昨日の「アド街」は、江東区「東陽町」でした。私にとってはほとんどなじみがない地域で、東西線で何度か地下を通り過ぎたくらい、地上の景色を見たのは、何と半世紀以上も昔(!)。廃止間近になっていた、砂町界隈を走っていた都電(旧城東電気軌道の路線)を見に行った記憶があるくらいですが…。映像には、hmtさんが[66539][75329]で紹介している、かつて存在していた「洲崎遊郭」と「洲崎球場」も登場しましたが、
明治の地図では 土手で囲まれた一角が見えます。城郭の「曲輪」にも例えられる この別世界に びっしり立ち並んだ施設 は遊郭です
根津遊郭が深川洲崎に移転したのは、明治20年代とのことです。洲崎橋から北にある「大門通り」という名も、最後には「赤線」という名で1958年まで存在したこの種の施設の痕跡を伝えています
[66539]は初期のプロ野球が行われた洲崎球場のことも記しています。1937年修正測図の地形図 を見ると、満潮時にグラウンドに海水が入りコールドゲームになったという珍事があったことも納得します
肝心の「東陽(町)」の町名の由来とも言われている「東陽小学校」([75329])が出てこなかったのは残念でした…。「洲崎球場跡」は、第61回十番勝負・問一の共通項「野球の聖地・名所150選」にもしっかり登録されていました。

[107847] EMMさん
「駒沢村(町)」は「合成地名に該当しない」という理由ですが、
意訳的な合成…「意味は合致していようとも、元の地名に無いパーツが出てくる合成」は現状の「合成地名」コレでは×
つまり、形式的には「参互折衷」という形を取っているとしても、「馬」と「駒」では意味は類似でも、「駒」は元の村名には出てこない文字であるから、というのであれば理解しました。言ってみれば「合成地名に近いけれども、実態としてはやはり違っている」、いわば「合成地名もどき」とでもなるのでしょうか。もっとも、「駒沢村」の中心となっていたと思われる「上・下馬引沢」自体に「沢」の字が入っており、他の「沢」の付く村との完全な合成ではない、とも見えるので、そもそも「合成地名」と見ること自体に無理があるかもしれませんが。
なお、江戸時代以前の村名であり、地名の合成でもないので範疇外ですが、前身村の1つ「野沢(村)」の由来は、「野村氏と澤田氏によって開かれた」という説を、かつて世田谷区の広報紙で見たことがありました。

♯先の連休中に、「かつてCMで有名だったホテル」に一泊してきましたが、道中記がなかなか書けません…。
<ヒント>自分の「領地」です。

【1】一部加筆修正
[107818] 2023年 5月 13日(土)22:41:20伊豆之国 さん
香取市に多い香取さん(Remake) & 香川県に多い香川さん
[107817] ぺとぺとさん
石垣市で石垣姓が2番目に多い
可児市では可児姓が6番目に多い
古賀市では古賀姓が20番目に多い
もしかすると石垣市や可児市を超える市があるかもしれません

この手の話題、実は私も14年前に書き込んだことがありました…[71931]
「香取」という苗字は、下総国香取郡が発祥地。全国に約8千人いると推定されますが、現在も千葉県に多く、全国の半数近くが集まり、更にそのまた半数が香取市に集中し、市内第4位に入ります。中でも旧佐原市に多く、市内最多の苗字になっていました
この「香取」さんのように苗字がそのルーツの地に多いというのは、実は稀なケースなのだそうです。地名と同じ苗字がその地に多数居住している例には、西東京市保谷地区の「保谷」、羽村市の「羽村」、愛媛県旧越智郡一帯の「越智」([10568]kenさん)、宮崎県椎葉村の「椎葉」などがあり(以下略)
「香取市に多い香取さん」については、こちらに詳しく書かれていました。
「香取」さんが集中しているのは、千葉県北部、利根川の右岸に位置する香取市香取地区。ここが「香取」さんのルーツの地だ
代々この神社の神官をつとめているのが香取家で、経津主神の末裔でもある。香取一族は周辺に広がり、現在でも「香取」さんの大半はこの付近に住んでいる
「保谷」さんは、Web版「写録」では、西東京市で10位ですが、旧保谷市では5位以内に入っていたような記憶があります。保谷市の最後の市長と、西東京市の初代市長を務めていたのは「保谷」さんでした。「羽村」さんは、羽村市で13位に入っています。
町村では、宮崎県椎葉村で「椎葉」さんが村内に300件近く集まり、村全体の3割近くを占めてダントツです。ついでにですが、この椎葉村で2番目に多い苗字が「那須」さん。平家の落人伝説が残る椎葉村には、源氏の追手・那須大八郎と村の娘・鶴富姫との悲恋伝説が伝わっています(椎葉村HPより)。
県レベルでは、香川県に「香川さん」が多く見られ、県ランクで16位に入っています。この「香川」さんには、讃岐発祥のものも確かにあるようですが、現在の神奈川県茅ヶ崎市香川が発祥の別流もあり、この一族が讃岐に移住して栄えたと言われているようです。
ところで、香川県は(四国の他の県も同様なのですが)、県内でも「苗字の統一性」がとれておらず、地域によって多い苗字がバラバラ、という特徴があります([65455],[86488])。東かがわ市出身の白桃さんと、丸亀市民のサヌカイトさんとでは、「身近な苗字」が全く違っていると思います。「香川」さんは、県の西寄りに集中しており、善通寺市で市内最多、丸亀市でも2位に入りますが、高松市では60位台、東かがわ市には何と一件もありません。
[107809] 2023年 5月 12日(金)00:06:37伊豆之国 さん
「奈良」さんのルーツは、大和の奈良ではなくあの「暑い街」
「苗字と市名」にまつわる話題でにぎわっていますが…

[107802] あきごんさん
奈良県に長く住みながら奈良さんは1家族しか知らないので、もっと珍しいのかと思ったら、587位、全国に33,300人とそこまで珍しくない名字でした
私が苗字の分布・ランキングで普段利用している「Web版・写録宝夢巣」(2007年頃のデータ)で「奈良」さんの分布を調べると、全国に約6600件、苗字順位は564位となっています。最も多いのは青森県で1062件、県ランク48位。これに次ぐのが秋田県で、775件、53位となっており、県ランキング100位以内に入るのはこの両県だけです。青森県ではその大半が青森市から弘前市にかけて、津軽中部に集中しており、「南部」ではほとんど見られません。実数では青森市が最多で260件余り、市町村ランクでは平川市と板柳町の17位が最高です。秋田県では、数では最多の県都・秋田市を除くとほとんどが青森県と接する北部に集中しており、鹿角市と大館市には200件近くあり,鹿角市では市内10位に入ります。
そのほかでは、数の上では両県からの移住も多い北海道と首都圏が上位に来ますが、県ランクでは山梨県で150位・群馬県で174位に入っているのが目を引き、県ランク200位以内に入っているのは青森・秋田と合わせてこの4県です。山梨県ではそのほとんどが東部に集まり、上野原市では130件を数え市内6位、大月市でも20位以内に入ります。群馬県では、前橋市を中心とした地域に集中しているのですが、県南東部の明和町にも多く、60件近くあり町内で2位に入っています。一方、西日本には少なく、100件以上あるのも大阪府と兵庫・香川両県のみ。奈良県には30件余りしかなく、「奈良県で奈良さんを見たことがない」というのも頷けましょう。
この「奈良」という苗字ですが、大和の奈良が発祥ではなく、「現在の埼玉県熊谷市の地名から発祥した一族が繫栄した」とされているようです(→[74921])。この武蔵の奈良氏は「中世の名門」であり、またこの(「奈良」という)地名が新しくないことは明らかである(柳田国男氏「地名の研究」より)ともあります。柳田氏も触れていますが、「なら」というのは「平らな地形」(「平らにする」ことを「ならす(均す)」という言い回しもありますね)を指す広い言い方であったと思われ、例示されている、現在の東京都町田市成瀬の旧小字「奈良谷戸」(現在もバス停名などに残っている。隣接する横浜市青葉区には「奈良町」がある)など、各地に「なら」あるいはそれに近い地名があったことも書かれていました。
もっとも、現在、熊谷市には「奈良」さんはわずか数件しか見当たらず、東北地方に多いことから、「関東発祥の苗字が東北によくみられる」(「熊谷」さんもその例の1つ)というケースに当てはまるのでしょう。一方で、埼玉県内では久喜市の旧栗橋町に「奈良」さんが50件以上集中して町内10位にランクし、埼玉県内の市町村でも最多になっており、群馬県明和町のも共に、発祥地からもそう遠くない場所なので、熊谷市の奈良地区から移ってきたのかもしれません。
なお、こちらによると、秋田の奈良氏は「佐竹氏家臣」、山梨の奈良氏は「武田氏家臣」といった由来が書かれていました。
[107799] 2023年 5月 9日(火)22:33:05【1】訂正年月日
【1】2023年 5月 9日(火)22:38:05
伊豆之国 さん
あの大学の名は、合成地名由来です。
[107758]未開人さん
[107787]EMMさん

東京23区内にあった、昭和以前に消滅した合成自治体名で、「合成地名コレクション」に掲載されていない旧村(町)名がありました。現在の世田谷区の一部になります。
今年正月の箱根駅伝で優勝、昨年秋の「出雲」「全日本」と合わせて年度三冠を達成した「駒澤大学」。その大学名の由来となった所在地の当時の地名「東京府荏原郡駒澤村(→町)」、実は「合成地名」だったとされています(以下「澤」は「沢」と表記)。
明治22年、東京府が市町村制を施行するに際し、駒沢村が誕生した。荏原郡上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、深沢村、世田谷村新町、弦巻村などが合併して、行政単位としての村を作ったわけだが、新町名は上・下馬引沢村の馬(すなわち駒)と野沢・深沢の沢の合成である
(「東京地名考・上巻」(昭和61年・朝日新聞社会部編…[93054] 他)より。同様な記事がwikiにもあります)。
なお、「駒沢」の地名は、世田谷区成立時にいったん消滅しますが、大学名や路面電車「玉電」の停留所名に残り、昭和40年代に「上馬」「深沢」などの各町の一部をもって現在の「駒沢1-5丁目」と「駒沢公園」の町名ができましたが、これらはかつての「駒沢村(町)」のごく一部にすぎません。
[107777] 2023年 5月 5日(金)21:21:17伊豆之国 さん
戦国市盗り合戦最新情勢
[107686]
「市盗り合戦」のその後の情勢の変化を含め、項を改めて書き込むことにします
だいぶ遅くなりましたが、その「市盗り合戦」の現在の情勢(第63回終了時点)を、2年ほど前の第57回終了時点([102089]、以下「前回」とする)と比べてどのように変化したか、調べてみました。
まず、領国数ランキングから、領地を10ヶ所以上持っている22名を見ると、出身地・居住地を明かしていないくはさんを除くと、「東軍」に属しているのが12名、「西軍」が9名となっており、第57回と比べると東軍が1名増、西軍が1名減となっています。それを個々のメンバーで見ると、前回は2位だったスカンデルベクの鷲さんが、東北で勢力を伸ばして前回より差し引き4か所の領地増となり、ついに首位に立つことになったのを初め、勿来丸さんが甲信で勢力を広げ美濃国にも大きく食い込み、前回から11か所も領地を増やし8強入りするなど、数字以上に東軍の優位が強まっていることをうかがえます。その一方で、上位7名を見ると西軍が5名を占めている状況は変わらず、東軍勢の攻勢で目減りした方も多いものの、全て40以上の領地を確保し、8位以下とはまだまだ差をつけています。その中で特筆されるのが、かぱぷうさん。全体の領地数は1つ減らしたものの、地元の福岡県全29市を制覇し、一色に染め上げたのは快挙といってよいでしょう。
一方、領国石高ランキングを見ると、領国石高が100万石以上の15名中、東軍勢が8名と、こちらも前回と大きな変化はありませんが、上位4名は依然西軍勢が占め、戦況があまり変わっていないことが見えます。北陸道(越後・佐渡を含む)で圧倒的な強さを誇っている首位のEMMさんは、500万石の大台に王手をかけています。
領民数ランキングでは、大坂城・二条城(京都市)を初め、姫路城・和歌山城といった名城、堺市など領民数の多い関西の主要都市をがっちり押さえている深夜特急さんの独走態勢は変わらず、100万人以上の領民を抱えている上位20名中、東軍が11名を占めている状況も変わりませんが、名古屋城を一気に攻略したNさん、札幌市の領主についたおがちゃんさんの躍進が目覚ましく、共に前回より領民数を約2倍半に増やし、トップ10入りを果たしています。

最後に、[107733]の末尾でちょこっと触れた地方選挙について。ここは政治や選挙を語る掲示板ではありませんので簡略に書くだけにしますが、小規模な市町村の議会で目立つ、無投票当選や欠員の発生といった事態の続出に見られる「議員の成り手不足」の深刻さとか、大きく増えたとはいえ、女性首長・議員の数の比率の相変わらずの低さなど、今後さらなる意識改革の必要性があるでしょう。
それと、地元の近隣の話ですが、結果がどうなるのか注目されていたのが大和市長選挙。(当時の)現職市長が「パワハラ」問題が表沙汰になったことから、職員から「告発」される(この辺の記憶はあいまいですが…)などで窮地に陥り、いったんは引退表明したものの、直前になって前言を翻して出馬し、結果は3候補中最下位で落選。パワハラ問題と、引退撤回という直前の「変節」が選挙民の反感を買った、ということになるのでしょうが、当選すれば5選になったそうなので、長期市政への「飽き」もあったのでしょうか…。


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