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むっくんさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[107626]2023年4月16日
むっくん
[107123]2023年3月21日
むっくん
[107100]2023年3月18日
むっくん
[107023]2023年3月4日
むっくん
[107005]2023年3月1日
むっくん
[106915]2023年2月10日
むっくん
[106275]2022年12月19日
むっくん
[106096]2022年11月11日
むっくん
[106025]2022年10月29日
むっくん
[105788]2022年9月23日
むっくん
[105787]2022年9月23日
むっくん
[105785]2022年9月23日
むっくん
[105777]2022年9月23日
むっくん
[105774]2022年9月23日
むっくん
[105350]2022年8月27日
むっくん
[105248]2022年8月7日
むっくん
[104941]2022年7月17日
むっくん
[104860]2022年6月25日
むっくん
[104803]2022年6月7日
むっくん
[104776]2022年5月30日
むっくん

[107626] 2023年 4月 16日(日)15:36:41むっくん さん
香川県綾歌郡久万玉村と鹿児島県薩摩郡入来町
[107174]YTさん
[107611]サヌカイトさん

53 1951(S26).4.1 新設 綾歌郡久万玉村 綾歌郡 栗熊村, 富熊村
兵庫縣報第二千八百號昭和二十六年四月六日p13雑報では
二○ 香川縣綾歌郡栗熊村及び富熊村を廢し、その區域をもつて新たに久榮村を置き、昭和二十六年四月一日から施行された。
とありますが、兵庫縣報第二千八百十六號昭和二十六年五月二十四日p8正誤
昭和二十六年雑報欄搭載の内、市町村の廃置分合並びに境界變更についての二○「久榮村」は「久万玉村」の誤り。
とあります。

兵庫県報の記述からも、S26.4.1に成立するのは久栄村だったがいつの間にか久万玉村に変更されたのは間違いないと思います。


別件で。
117 1948(S23).10.1 町制 薩摩郡入来町 薩摩郡 入来村
兵庫縣報第2509號昭和23年10月6日彙報では
S23.10.1鹿児島縣薩摩郡入來村を廢し、その區域を以て、十月一日から、薩摩郡入來町とすることとなつた
とあり、町制施行に際し、一度自治体の廃止を伴ったようです。
[107123] 2023年 3月 21日(火)16:39:17【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 21日(火)16:40:16
むっくん さん
丸亀五番町
[107114]YTさん
明治22年(1889年)12月31日調の香川県の現住人口について、一点扱いに困っている項目があります。それは、丸亀城下におかれた「丸亀営所(旧一番丁~五番丁)」の扱いです。
(中略)
『新版 角川日本地名大辞典』などによると、例えば那珂郡丸亀五番丁について、
----------------------
明治7年広島鎮台丸亀営所創設にともない,陸軍省が一番丁~四番丁の用地を買収,その後当町も歩兵第12連隊の作業場地域となり,町は消滅した。なお,昭和25年当町域は城東町の一部として再発足した。
----------------------
とあり、丸亀営所は旧那珂郡丸亀一番丁~五番丁に設置されたことがわかります。実際官報の方では那珂郡丸亀六番丁~十番丁の記載がありますが、那珂郡丸亀一番丁~五番丁はありません。
当時の資料を見てみます。

地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

全国現行警察区画一覧(著・出版:東京和泉橋警察署、M21.4.)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

府県管轄区域郡区町村名集覧(編:樋口文治郎、出版:赤志忠七、M21.4.13)
丸亀一番町~四番町はなく、丸亀五番町~十番町が存在。

香川県令第84号(M22.12.28)
M23.2.15に丸亀町を構成することになる町村として丸亀一番町~丸亀十番町が存在。

郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M26.1.27)
M25.4.1に丸亀町大字一番~十番が存在。

これらからすると明治7年に、おそらく、住民の数が0人となった自治体としての丸亀一番町~四番町が無くなり、登記簿上のみに丸亀一番町~四番町が残った。その後、明治23年の市制町村制施行に伴う丸亀町の成立に伴い、他の町村の管轄区域ではない丸亀一番町~四番町(土地の登記簿上のみ存在)が自治体として一瞬だけ復活していることとしていたものと考えます。
#丸亀一番町~四番町のような事例としては、現在の京都市上京区の京都御苑に存在していた西殿町(M19.5.13廃止、M22.4.1に上京区の一部)が挙げられます。

当時の丸亀営所は丸亀五番町にあり、丸亀五番町は丸亀通町外二十二箇町連合を形成する一つの町ではないでしょうか。おそらく、何らかの手違いで丸亀五番町が抜け落ち、その為に丸亀通町外二十一箇町連合となったのでしょう。
[107100] 2023年 3月 18日(土)22:27:37【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 19日(日)01:28:53
むっくん さん
若年で当選した首長PART22
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。

○岡山県
情報源は退職町村長名簿(地方自治法30周年記念発行)(編・出版:岡山県町村会、S52.8.)です。S52.8.現在で岡山県在住の方のみが記載されています。当時の町村数から推測しますと、網羅されているのは全体のおよそ1/3程度だと思います。

まずは新規情報です。

松島 賢さん
上道郡御休村
任期は1948(S23).3.-1952(S27).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1948(S23).3.は34-35歳。

三崎 嘉明さん
児島郡藤田村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).9.、期間は1年5ヶ月
1977(S52).8.現在で62歳、就任時の1947(S22).4.は31-32歳。

星島 睦雄さん
児島郡藤戸町
任期は1947(S22).4.-1947(S22).10.、期間は6-7ヶ月(注1)
1977(S52).8.現在で64歳
閨閥学(星島家(衆議院議長・星島二郎・星島和一郎の家系図))では1913年誕生とありますので、
就任時の1947(S22).4.は33歳7ヶ月-34歳3ヶ月。
生年月日は1913(T2).1.-1913(T2).8.
#(注1)退職町村長名簿では、1947(S22).4.-1948(S23).11.、期間は1年8ヶ月とされていましたが、wikipedia(藤戸町)の1947(S22).4.-1947(S22).10.の方がおそらく正しいと考えられます。

中村 純雄さん
児島郡味野町
任期は1947(S22).4.-1948(S23).3.、期間は1年
1977(S52).8.現在で61歳
Wikipedia(中村純雄)では1916年(大正5年)1月6日生まれとあります。
就任時の1947(S22).4.は31歳2-3ヶ月。

安原 増夫さん
都窪郡茶屋町
任期は1947(S22).4.6-1951(S26).4.5(注2)、期間は4年
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1947(S22).4.6は34-35歳。
#(注2)Wikipedia(茶屋町地区)での1947(S22).4.6-1951(S26).4.5による。退職町村長名簿では任期は1947(S22).4.-1951(S26).4.

高木 正志さん
小田郡新山村
任期は1949(S24).8.-1953(S28).9.、期間は4年2ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1949(S24).8.は34-35歳。

太田 秀郎さん
吉備郡日近村
任期は1947(S22).4.-1956(S31).3.、期間は9年
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

小西 伊三雄さん
吉備郡神在村
任期は1947(S22).4.(注3)-1951(S26).3.、期間は4年(注4)
1977(S52).8.現在で66歳、就任時の1947(S22).4.は35-36歳。
#(注3)退職町村長名簿では、任期は第一回統一地方選前の1946(S21).11.から1951(S26).3.とされていましたので、収録基準に合わせました。
#(注4)注3の修正に伴い、情報源で記されていた期間4年5ヶ月を4年に変更

赤木 正一さん
吉備郡富山村
任期は1947(S22).4.-1952(S27).3.、期間は5年
1977(S52).8.現在で61歳、就任時の1947(S22).4.は30-31歳。

藤原 正男さん
御津郡宇垣村
任期は1949(S24).5.-1953(S28).3.、期間は3年11ヶ月
1977(S52).8.現在で61歳、就任時の1949(S24).5.は32-33歳。

入江 卯一郎さん
御津郡牧山村
任期は1951(S26).8.-1953(S28).3.、期間は1年8ヶ月
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1951(S26).8.は37-38歳。

菅原 利男さん
御津郡建部村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).5.、期間は7年2ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
御津郡建部町(旧)
任期は1959(S34).2.-1967(S42).1.、期間は8年
就任時の1967(S42).1.は44-45歳。

香山 義加さん
御津郡豊岡村
任期は1950(S25).4.-1955(S30).3.、期間は5年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1950(S25).4.は35-36歳。

実山 稔さん
赤磐郡布都美村
任期は1947(S22).12.-1950(S25).2.、期間は2年3ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).12.は37-38歳。

福島 敏太さん
赤磐郡布都美村
任期は1950(S25).3.-1953(S28).2.、期間は3年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1950(S25).3.は35-36歳。

伊永 貞さん
和気郡熊山村
任期は1947(S22).4.-1953(S28).12.、期間は6年9ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

中川 菅男さん
和気郡神根村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).2.、期間は6年11ヶ月
1977(S52).8.現在で70歳、就任時の1947(S22).4.は39-40歳。

長代 武一さん
小田郡美川村
任期は1951(S26).4.-1954(S29).4.、期間は3年1ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1951(S26).4.は38-39歳。

仁熊 八郎さん
上房郡豊野村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.、期間は7年10ヶ月
1977(S52).8.現在で64歳、就任時の1947(S22).4.は33-34歳。
賀陽町の地名と歴史によると著者の仁熊八郎さんは1913年生まれ。

平松 幹章さん
川上郡成羽町(旧)
任期は1949(S24).4.-1955(S30).2.、期間は5年11ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1949(S24).4.は39-40歳。
川上郡成羽町
任期は1955(S30).3.-1959(S34).1.、期間は3年11ヶ月
就任時の1955(S30).3.は45-46歳。

長谷川 与一さん
阿哲郡新郷村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).4.、期間は8年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。
阿哲郡神郷町
任期は1955(S30).5.-1959(S34).4.、期間は8年
就任時の1955(S30).3.は44-45歳。

太毛 貞治さん
阿哲郡新見町
任期は1947(S22).4.-1954(S29).5.、期間は5年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。

田辺 万寿治さん
阿哲郡千屋村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).12.、期間は1年9ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。

太田 博道さん
阿哲郡豊永村
任期は1954(S29).5.-1954(S29).5.、期間は1ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1947(S22).4.は39-40歳。

妹尾 太郎さん
苫田郡一宮村
任期は1948(S23).1.-1948(S23).7.、1951(S26).5.-1954(S29).6.、期間は合計で3年9ヶ月
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1948(S23).1.は33-34歳、1951(S26).5.は36-37歳。

片岡 元武さん
苫田郡高田村
任期は1952(S27).6.-1954(S29).6.、期間は2年1ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1952(S27).6.は39-40歳。

牧野 松寿さん
苫田郡上齋原村
任期は1947(S22).4.-1948(S23).12.、期間は1年8ヶ月
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。

松本 正義さん
苫田郡上齋原村
任期は1961(S36).7.-1973(S48).7.、期間は12年
1977(S52).8.現在で51歳、就任時の1961(S36).7.は34-35歳。

伊丹 哲男さん
苫田郡羽出村
任期は1947(S22).4.-1959(S34).3.、期間は12年
1977(S52).8.現在で66歳、就任時の1947(S22).4.は35-36歳。
苫田郡奥津町
任期は1963(S38).4.-1971(S46).4.、期間は8年
就任時の1963(S38).4.は51-52歳。

神崎 一二さん
勝田郡大崎村
任期は1947(S22).4.-1954(S29).6.、期間は7年3ヶ月
1977(S52).8.現在で69歳、就任時の1947(S22).4.は38-39歳。

山本 万之助さん
勝田郡河辺村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).2.、期間は3年11ヶ月(注5)
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
#(注5)退職町村長名簿では、期間は1年11ヶ月とあったが3年11ヶ月と修正。

内藤 五郎さん
勝田郡勝加茂村
任期は1948(S23).3.-1952(S27).2.、期間は4年
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1948(S23).3.は35-36歳。

森元 次男さん
勝田郡勝田町(旧)
任期は1949(S24).8.-1953(S28).8.、期間は4年
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1949(S24).8.は38-39歳。

竹久 皎さん
勝田郡植月村
任期は1951(S26).4.-1954(S29).3.、期間は3年
1977(S52).8.現在で63歳、就任時の1951(S26).4.は36-37歳。
勝田郡勝央町
任期は1970(S45).4.-1974(S49).4.、期間は4年
就任時の1970(S45).4.は55-56歳。

芦田 卓三さん
勝田郡北吉野村
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.(注6)、期間は7年10ヶ月(注7)
1977(S52).8.現在で67歳、就任時の1947(S22).4.は36-37歳。
勝田郡奈義町
任期は1955(S30).2.-1959(S34).2.、期間は4年
就任時の1955(S30).2.は44-45歳。
#(注6)退職町村長名簿ではS30.2.までとあったが、北吉野村は1955(S30).2.1に合体で奈義町となり消滅したことより、1955(S30).1.までと修正した。
#(注7)注6より、期間を7年11ヶ月から7年10ヶ月へと修正した。

山本 太熊さん
英田郡粟井村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で59歳、就任時の1947(S22).4.は28-29歳。

長瀬 時夫さん
英田郡福山村
任期は1947(S22).4.-1952(S27).7.、期間は5年4ヶ月
1977(S52).8.現在で65歳、就任時の1947(S22).4.は34-35歳。

江見 晴則さん
英田郡土居町
任期は1953(S28).2.-1953(S28).8.、期間は7ヶ月
1977(S52).8.現在で53歳、就任時の1953(S28).2.は38-39歳。
また、作東の文化No.40(PDF)14コマ,16コマで
昭和53年9月江見晴則 作東町長に就任。
平成10年9月春名宏 作東町長に就任。
岡山県市町村年報平成7年度-1(PDF)10コマで
作東町長江見晴則
任期H10.09.21
より
英田郡作東町
任期は1978(S53).9.22-1998(H10).9.21と推測。
就任時の1978(S53).9.22は56-57歳。

国司 武夫さん
英田郡福本村
任期は1947(S22).4.-1950(S25).2.、期間は2年11ヶ月
1977(S52).8.現在で62歳、就任時の1947(S22).4.は31-32歳。

青山 茂さん
英田郡河会村(注8)
任期は1947(S22).4.-1955(S30).1.、期間は7年10ヶ月
1977(S52).8.現在で68歳、就任時の1947(S22).4.は37-38歳。
英田郡英田町
任期は1959(S34).2.-1971(S46).2.、期間は12年
就任時の1959(S34).2.は45-46歳。
#(注8)情報源では河合村とあったが、正しくは河会村。

草地 保さん
久米郡垪和村
任期は1947(S22).4.-1953(S28).3.、期間は6年
1977(S52).8.現在で69歳、就任時の1947(S22).4.は38-39歳。

重近 久保さん
久米郡神目村
任期は1947(S22).4.-1951(S26).3.、期間は4年
1977(S52).8.現在で57歳、就任時の1947(S22).4.は26-27歳。

黒田 義夫さん
久米郡久米村
任期は1947(S22).12.-1953(S28).10.、期間は5年11ヶ月
1977(S52).8.現在で57歳、就任時の1947(S22).4.は27-28歳。

続いて追加情報です。

柴田 健治さん(久米郡倭文村)
任期は1948(S23).3.-1951(S26).8.、期間は2年8ヶ月
就任日年齢は31歳3-4ヶ月

藤原 香さん(赤磐郡仁堀村)
任期は1955(S30).5.-1951(S31).9.、期間は1年5ヶ月
1977(S52).8.現在で60歳
[103295]拙稿と合わせますと、就任日は1955(S30).5.1or1955(S30).5.2
生年月日は1916.8-1917.5。

春名 明さん
1975(S30).4.30ではなくて1975(S50).4.30
[107023] 2023年 3月 4日(土)20:09:18むっくん さん
自治体越えの小学校
自治体越えの地名関連の話題に便乗です。

それは、自治体越えの小学校です。同一名称の小学校が隣接する市に存在します。
井田川小学校(亀山市)/井田川小学校(鈴鹿市)
[107005] 2023年 3月 1日(水)13:50:21むっくん さん
ロータリーコレクション
>あきごんさん

HTB北海道ニュース(YouTube)によりますと、3/1午前10時より北海道北広島市にラウンドアバウトが出来ました。
[106915] 2023年 2月 10日(金)22:57:25【1】訂正年月日
【1】2023年 2月 10日(金)23:23:12
むっくん さん
仙台市が1988年3月1日に泉市と秋保町を編入した件
[106912]白桃さん
仙台市は1988年3月1日に泉市と秋保町を編入していますが、当落書き帳の「変遷情報」や「市の変遷」では別々(項目が二段に分かれて)に書かれています。
官報公示日が異なるため、そういう風になっているのでしょうか?それとも、別々の合併協議だったからでしょうか?
当時のことはよく分かりませんが、過去ログを見る限りでは[49915]にて88 さんが
1990年以前のデータについて、お手伝いさせていただくことになりました。
とあり、[52105]にて
既入力済み分でも、「官報告示日」や「協議状況・経過等」欄での、さらなる情報については追加・充実予定です。
とあるように、法的根拠(官報、都道府県公報)や合併協議で分けていたようです。
ところが、記載が年度を遡るにつれ、これが守られていません。

例えば兵庫県の
158 1951(S26).4.1 編入 西宮市 西宮市, 武庫郡 鳴尾村, 有馬郡 山口村, 塩瀬村
の法的根拠は
兵庫縣告示第百八十三號
 昭和二十六年四月一日から武庫郡鳴尾村を廢し、その區域全部を西宮市に編入する。
昭和二十六年三月二十三日 兵庫縣知事 岸田幸雄

兵庫縣告示第百八十五號
 昭和二十六年四月一日から有馬郡山口村及び同郡鹽瀬村を廢し、その區域全部を西宮市に編入する。
昭和二十六年三月二十三日 兵庫縣知事 岸田幸雄
であるのに、一つにまとまって記載されています。

また、島根県の
84 1951(S26).4.1 編入 松江市 松江市, 八束郡 忌部村, 大庭村の一部
の法的根拠は
島根縣告示第二百三十號
昭和二十六年四月一日から八束郡忌部村を廢し、その区域を松江市に編入する。
昭和二十六年三月二十七日 島根県知事 原 夫次郎

島根縣告示第二百三十一號
昭和二十六年四月一日から八束郡大庭村を廢し、大字大庭、佐草、大草及び大字山代の区域を松江市に編入し、大字平原の区域を昭和二十六年四月一日から施行する同郡八雲村(昭和二十六年島根県告示第九十三号)の区域に加え、その区域をもつて八雲村とする。
昭和二十六年三月二十七日 島根県知事 原 夫次郎
であるのに、一つにまとまって記載されています。

法的根拠が別のものは、基本的には合併協議は別のものであるはずです。

現状で、同一日に新設合併や編入合併がなされたもので、法的根拠(官報、都道府県公報)が別のもの、合併協議が別のものはともに複数あります。
#戦前ですと、編入合併においては合併協議が別であるものはかなり多いはずです。

逆に、同一日に新設合併や編入合併がなされたもので、「市区町村変遷情報」にて別々に記載されているのは、この仙台市の事例ぐらいであるはずなので、統一的記載を考える立場からは
144 1988(S63).3.1 編入 仙台市 仙台市, 泉市, 名取郡 秋保町
と、まとめて記載した方がいいのではないか、とは思います。
[106275] 2022年 12月 19日(月)21:44:10むっくん さん
Re:経県値ページリニューアル!
[106263]海辺を飛ぶ鳥さん
鉄道で通過している途中で、乗り換えの為ではなく、満員電車などで数秒程度(?)駅のホームに降り立ち、すぐに乗った場合は「接地」なのでしょうか。
これと関連してですが、バイクですと、信号待ちで足をつく必要があり、これで「接地」としたところがあります。
他に、変わったところとしては、
十津川村・・・北山川を船で「通過」した(陸上はかすってもいません)
くらいでしょうか。

そして、本題です。

[106266]グリグリさん
まずは、リニューアルありがとうございます。

[106263]海辺を飛ぶ鳥さんが書かれた書き込みで鉄道で乗り換えの為に降りたところは「接地」ということに初めて気付きました。
そこで私の兵庫県のところを更新しようとして、落書き帳メンバー入口からメンバー名と暗証コードを入力し兵庫県を選択して、某自治体を変更して【経験値を再計算する】をクリックしたところ、
指定されたURLが正しくありません。
とのメッセージが出て更新できませんでした。
[106096] 2022年 11月 11日(金)14:15:31むっくん さん
経県値(市区町村版)京都府
[106091]グリグリさん
経県値(市区町村版)リリースありがとうございます。

一点だけ気付きましたのでご報告です。
京都府の経県値の京都市と大山崎町の区域が誤っています。
正しくは都道府県市区町村の京都府の地図だと思いますのでよろしくお願いいたします。
[106025] 2022年 10月 29日(土)17:04:22むっくん さん
市制町村制施行時で町となり、その後に市となった大津
[105934]未開人さん
「生まれながらの市」はどのようにして決められたのでしょうか。概ね人口2万5000人だったということは[85273]でわかりましたが、前橋や宇都宮、大津などはなぜ含まれなかったのでしょうか。
大津市誌によりますと、大津が市制施行を選ばなかった詳細な経緯は残っていないようですが、概ねの経緯は以下の通りのようです。

大津は基準を満たしていましたが、市になることになるのに賛成している方が少数派であったことから、滋賀郡長が市制町村制施行時には大津町でいくと勝手に国に報告を挙げました。町となることより市となる事の方が行政経費がかさむ事が想定されていたことより、住民からの反対行動がほとんどありませんでした。
この結果、明治22年の市制町村制施行時には大津町となったようです。

その後、翌年から市となる方向で町民が動き始めました。明治30年にはこれを阻止すべく、滋賀郡長が大津町の内の旧・藤尾村などの区域は滋賀郡に残す形を取る上申書を内務省に提出し、人口要件の点で市制施行を阻止しようとします。ところが、分離されることとなる旧・藤尾村などの区域の住民の反対運動で、分離することが出来ませんでした。その為、明治31年に無事に大津の市制施行となりました。([63923]拙稿)
[105788] 2022年 9月 23日(金)21:31:51むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問八:大田市
[105787] 2022年 9月 23日(金)21:26:41むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問三:霧島市
[105785] 2022年 9月 23日(金)21:20:54むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問五:松江市
[105777] 2022年 9月 23日(金)17:38:59むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
[105776]海辺を飛ぶ鳥さん
ありがとうございました。

問十:大竹市(既解答市のため再答)
[105774] 2022年 9月 23日(金)14:04:46むっくん さん
第六十一回全国の市十番勝負
問一:名古屋市
問二:福井市
問三:野洲市
問四:北茨城市
問五:京田辺市
問六:うきは市
問七:松浦市
問八:安来市
問九:赤穂市
問十:有田市
[105350] 2022年 8月 27日(土)10:57:35【3】訂正年月日
【1】2022年 8月 27日(土)11:06:49
【2】2022年 8月 27日(土)11:09:04
【3】2022年 8月 27日(土)23:45:37
むっくん さん
Re2:飾西郡高浜村と飾東郡高浜村
[105348]サヌカイトさん
「同一郡に同一村(町)名をつけてはいけない」というルール(マナー?)があったのだろうか
明治4年の廃藩置県までは、各藩は複数の村をまとめた○○組(○○郷、○○庄など)という単位で統治していたので、同一郡に同一村名があってもしっかり区別できたため、同一の郡に同一の名称の村は普通に存在していました。

その後、明治5年に大区小区制が施行され、例えば△△県(□□郡)第一大区第三小区●●村もしくは△△県□□郡第三区●●村というような形で表記されることになりました。この時も同一郡に同一村名があっても基本的には区別できたため、同一の郡に同一の名称の村は普通に存在していました。

ところがその後、郡区町村編成法(M11.7.22)が各府県に施行されたことで、大区小区制が廃止されました。この時、今と同じように△△県□□郡●●村という形で表記されることになったのですが、同一郡に同一村名があると区別できなくなり各地で統治に支障が出るようになりました。
そのため、全国的に明治12年から明治17年にかけて、同一郡の同一名称の村は、地域の総称や、東西南北や、上中下などが村の名称に付け加えられる形で村の名前の改称が行われました。

一例として和歌山県乙第238号布達(M12.10.31)で行われた村の名前の改称は以下の通りです。
名草郡 西村→名草郡 山口西村
名草郡 別所村→名草郡 北別所村
名草郡 中村→名草郡 和佐中村
名草郡 中村→名草郡 山東中村
名草郡 黒谷村→名草郡 上黒谷村
名草郡 中ノ村→名草郡 楠見中村
那賀郡 中村→那賀郡 野上中村
那賀郡 中村→那賀郡 猿川中村
那賀郡 中村→那賀郡 毛原中村
那賀郡 中村→那賀郡 麻生津中村
那賀郡 市場村→那賀郡 神野市場村
那賀郡 市場村→那賀郡 名手市場村
那賀郡 宮村→那賀郡 岸宮村
那賀郡 宮村→那賀郡 毛原宮村
那賀郡 宮村→那賀郡 真国宮村
那賀郡 馬場村→那賀郡 田中馬場村
那賀郡 小野村→那賀郡 小川小野村
那賀郡 小野村→那賀郡 岸小野村
那賀郡 上村→那賀郡 名手上村
那賀郡 上村→那賀郡 毛原上村
那賀郡 西野村→那賀郡 名手西野村
那賀郡 西野村→那賀郡 志賀西野村
那賀郡 中畑村→那賀郡 細野中畑村
那賀郡 東野村→那賀郡 志賀野東野村
那賀郡 上野村→那賀郡 最上村
那賀郡 新在家村→那賀郡 風市村
那賀郡 新村→那賀郡 野上新村
那賀郡 新村→那賀郡 池田新村
那賀郡 下村→那賀郡 名手下村
那賀郡 下村→那賀郡 毛原下村
伊都郡 馬場村→伊都郡 北馬場村
伊都郡 馬場村→伊都郡 南馬場村
有田郡 中村→有田郡 東中村
有田郡 中村→有田郡 尾中村
有田郡 大谷村→有田郡 東大谷村
有田郡 中野村→有田郡 上中野村
有田郡 中野村→有田郡 植野村
有田郡 中島村→有田郡 上中島村
有田郡 中島村→有田郡 下中島村
有田郡 金屋村→有田郡 南金屋村
日高郡 神ノ川村→日高郡 西神ノ川村
日高郡 神ノ川村→日高郡 東神ノ川村
日高郡 吉田村→日高郡 東吉田村
西牟婁郡 大谷村→西牟婁郡 西大谷村
西牟婁郡 長瀬村→西牟婁郡 上長瀬村
西牟婁郡 伏菟野村→西牟婁郡 東伏菟野村
東牟婁郡 中村→東牟婁郡 下中村
東牟婁郡 大居村→東牟婁郡 南大居村
東牟婁郡 和田村→東牟婁郡 東和田村
東牟婁郡 和田村→東牟婁郡 下和田村
東牟婁郡 長井村→東牟婁郡 上長井村
東牟婁郡 中野川村→東牟婁郡 西中野川村
東牟婁郡 赤木村→東牟婁郡 西赤木村
東牟婁郡 平野村→東牟婁郡 南平野村
東牟婁郡 大野村→東牟婁郡 上大野村

よって、
兵庫県が市制町村制施行した際、飾西郡と飾東郡両方に高浜村が誕生しました。そして飾西郡と飾東郡は1896/04/01に合わさって飾磨郡となるのですが、それに先立ち飾西郡高浜村は(中略)広村へと改称しています。僕はこれを、郡が合わさることで同じ郡に高浜村が2つできてしまうために、改称せざるを得なかったのではないかとにらんでいますが、いかがでしょうか?
とのサヌカイトさんの推測は正しいと思います。


飾西郡高浜村は1か月ほど前の1896/03/03に広村へと改称
兵庫縣告示第六十九號(1コマ2コマ)では
明治二十三年法律第七十七號ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ飾西郡高濱村ヲ廣村ト改稱ス
明治二十九年三月五日 兵庫縣知事 周布公平
とありますので、1896(M29).3.3改称→1896(M29).3.5改称です。>グリグリさん

(余談)広村はのちに八幡村と合併し広畑町となっています
ちなみにこちらは
兵庫縣告示第三百六十號
町村制第三條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得昭和十六年四月一日ヨリ飾磨郡八幡村ヲ廢シ其ノ區域ヲ同郡廣村ニ編入ス
昭和十六年三月三十一日 兵庫縣知事 坂 千秋
---------------------------
兵庫縣告示第三百六十二號
昭和十六年四月一日ヨリ飾磨郡廣村ヲ廣畑町ト改稱ノ件許可セリ
昭和十六年三月三十一日 兵庫縣知事 坂 千秋
とあります。

以下はグリグリさん宛てで
#7 1894(M27).4.1 分立 飾東郡下中島村 飾東郡 高浜村の一部
兵庫縣告示第八十一號では
町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得飾東郡高濱村ノ内下中島村ヲ分割シ下中島(シモナカシマ)村ヲ新設ス
明治二十七年四月五日 兵庫縣知事 周布公平
とありますので、1894(M27).4.1分立→1894(M27).4.5分立です。
[105248] 2022年 8月 7日(日)22:10:21むっくん さん
若年で当選した首長PART21
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。
すべて山口県になります。

情報源は山口県選挙史(編・発行:山口県選挙管理委員会、S56.3.31)です。

まずは新規情報です。

高橋 一雄さん
都濃郡中須村
1949(S24).5.28の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1949(S24).5.28-1954(S29)
任期は2期。
都濃郡都濃町(旧)
1954(S29).12.15の選挙で44歳で当選。
首長の就任期間は1954(S29).12.15-1955(S30)
任期は1期。
都濃郡都濃町(新)
1955(S30).8.12の選挙で45歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).8.12-1963(S38)?
任期は2期。

津穐 孝彦さん
佐波郡富海村
1947(S22).4.5の選挙で35歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.6-1950(S25)?
任期は1期。

内富 弘さん
都濃郡米川村
1951(S26).4.23の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1951(S26).4.-1954(S29).10.31
任期は2期。

沖 正歌さん
玖珂郡新庄村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1954(S29).3.30
任期は2期。

中本 武夫さん
玖珂郡余田村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.5-1951(S26).4.4
任期は1期。

松田 勲さん
大島郡平郡村
1947(S22).4.5の選挙で投票上位二名となり、1947(S22).4.15の決選投票で33歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.15-1954(S29).4.30
任期は2期。

山本 真太郎さん
熊毛郡伊保庄村
1953(S28).12.20の選挙で、31歳で当選。
首長の就任期間は1953(S28).12.20-1956(S31).9.29
任期は1期。

牛尾 美鶴さん
美祢郡大嶺町
1947(S22).4.5の選挙で38歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.5-1954(S29)
任期は2期。
美祢市(旧)
1954(S29).5.9の選挙で45歳で当選。
首長の就任期間は1954(S29).5.9-1966(S41).5.8
任期は3期。

安元 作十さん
大島郡大島町(旧)
1952(S27).10.16の選挙で36歳で当選。
首長の就任期間は1952(S27).10.16-1955(S30)?
任期は1期。
大島郡大島町(新)
1955(S30).1.31の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).1.31-1967(S42).1.30
任期は3期。
大島郡大島町(新)
1971(S46).1.17の選挙で55歳で当選。
首長の就任期間は1971(S46).1.31-1977(S52)?
任期は2期。

柳居 宏俊さん
大島郡白木村
1947(S22).4.5の選挙で投票上位二名となり、1947(S22).4.15の決選投票で27歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.15-1951(S26).4.14
任期は1期。

中原 健夫さん
大島郡橘町
1959(S34).1.18の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1959(S34).1?.-1967(S42).1?.
任期は2期。

原田 正直さん
玖珂郡玖珂町
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1951(S26).4.
任期は1期。

富士原 景樹さん
玖珂郡秋中村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1949(S24)
任期は1期。

吉永 茂さん
熊毛郡平生町(旧)
1947(S22).4.5の選挙で33歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1949(S24)
任期は1期。
熊毛郡平生町(新)
1955(S30).1.30の選挙で40歳で当選。そして1958(S33).12.11の選挙で44歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).1.30-1962(S37).12.10
任期は2期。
参考:平生町HP2005町勢要覧(資料編)行政・議会(PDF)

山部 信夫さん
熊毛郡高水村
1955(S30).10.15の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1955(S30).10.15-1956(S31)
任期は1期。

藤生 仕郎さん
吉敷郡秋穂町
1959(S34).4.30の選挙で39歳で当選。その後、1963(S38).4.30、1967(S42).4.28の選挙でもそれぞれ43歳、47歳で当選。
首長の就任期間は1959(S34).5.7-1971(S46).5.6
任期は3期。
#首長の就任期間は3期とも任期満了したこと、そして2代前の町長が辞任した後、次の町長が1955(S30).5.7の選挙で当選して任期を全うしていることからの推測です。

紀藤 信義さん
厚狭郡船木町
1947(S22).4.5の選挙で34歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1948(S23)
任期は1期。

山本 静男さん
厚狭郡船木町
1948(S23).9.9の選挙で37歳で当選。
首長の就任期間は1948(S23).9.9-1952(S27).9.8
任期は1期。

竹中 典久さん
豊浦郡角島村
1951(S26).4.23の選挙で35歳で当選。
首長の就任期間は1951(S26).4.23-1955(S30).3.31
任期は1期。

永田 泰郎さん
佐波郡出雲村
1952(S27).10.5の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1952(S27).10.5-1955(S30).3.31
任期は1期。

白松 寛さん
阿武郡篠生村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1951(S26).4.
任期は1期。

松井 剛さん
阿武郡弥富村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-1951(S26).4.
任期は1期。

次に追加情報です。
白地 照彦さん
玖珂郡日積村
前任者辞職による1948(S23).3.1の選挙で当選。
よって就任日は1948(S23).3.1で、就任日年齢は31歳10ヶ月


これで、山口県も大阪府([104722]拙稿)についで、若年で当選した首長をほぼ網羅できたものと考えられます。
[104941] 2022年 7月 17日(日)17:05:08むっくん さん
Re:町制施行時の改称
[104935]グリグリさん

88さんの編集方針は、まずは市制町村制施行時を、現実的には明治初年まで、可能ならば近世村までを目指し、昭和、大正、明治へと遡って一つでも多くの変遷を入力すること、であったはずです([66349][67517][74238])。そして誤りがあれば、適宜修正されておられました。
明治の大合併以前は(1)「全訂 全国市町村名変遷総覧」(監修:自治省行政局振興課、編:日本加除出版株式会社出版部、出版:日本加除出版、1991.8.1)の記載の通りです。明治の大合併は(2)「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1,2)(別冊)」(監修:西川治、編・著:太田孝、出版:東洋書林、2000.9.)の記載の通りで、途中からは根拠たる府令、県令をも適宜参照されておられたようです。
他に使用されておられたのは(3)「旧市町村名便覧」(編:日本加除出版株式会社出版部、出版:日本加除出版、1999.4.)、(4)「市町村名変遷辞典 三訂版」(責任編集:楠原佑介、編:地名情報資料室、出版:東京堂出版、2003.8.(3版))、(5)「消えた市町村名辞典」(責任編集:楠原佑介、編:地名情報資料室、出版:東京堂出版、2000.9.)であり、将来的に(6)「地名研究必携」(監修:谷川健一、編・著:滝澤主税、出版:日本地名研究所、2003.5.)を使用される予定でした。
このうち参考情報に載っているのは(1)、版が異なるものが載っているのが(3)(4)です。(2)(5)が掲載されていないのは問題であると思います。

さて、埼玉県秩父郡下吉田村、及び福島県相馬郡原町村ですが、(1)の記載のまま、もしくは単なる入力の誤りのいずれかだと考えています。これら2件及び山形県東置賜郡高畠村は、町制/改称へと「改称」を入れればいいのではないかと考えています
#落書き帳での「どこまでを町村の名称とすべきか」ということの初出は、[104939]サヌカイトさんにあるように、[86677]拙稿(野村→野村町)ではないかと思います。

ちなみに官報第四二八七号附録(明治三十年十月十四日)では
○廳府縣公報
○町村名稱及合併等
相馬郡原町村ヲ原町ト改稱セリ
明治三十年十月 福島縣
とありました。
[104860] 2022年 6月 25日(土)15:20:20むっくん さん
若年で当選した首長PART20
>グリグリさん
若年で当選した首長の一覧への情報提供です。
すべて兵庫県になります。

情報源は(1)兵庫縣選擧大鑑(編:兵庫県選挙管理委員会、1952)、(2)兵庫県市町村合併史(上)(下)(編:兵庫県総務部地方課、出版:兵庫県、1962)です。(1)に40歳未満で当選と記載されていた方を見つけた後、(2)で就任期間を調べました。

まずは新規情報です。

澤井 利一さん
明石郡奥吉川村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.23-1955(S30).6.30
任期は3期。

上中 一郎さん
有馬郡高平村
1947(S22).4.5の選挙で38歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.-。
1956(S31).9.30に三田町の一部となって消滅したことより任期は1-3期。

横山 孜さん
揖保郡赤松村
1947(S22).4.5の選挙で34歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.10-1949(S24).6.13
任期は1期。

能勢 村次さん
氷上郡吉見村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.7-1951(S26).3.31
任期は1期。

土井 正義さん
津名郡野島村
1947(S22).4.5の選挙で39歳で当選。
首長の就任期間は1947(S22).4.10-1951(S26).4.4
任期は1期。

岩本 郁二さん
加西郡下里村
1947(S22).9.10の選挙で32歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).9.10-1951(S26).9.9
任期は1期。

高木 悦郎さん
養父郡宿南村
1947(S22).10.31の選挙で34歳で無投票当選。
首長の就任期間は1947(S22).10.31-1949(S24).5.31
任期は1期。

山本 貫一さん
赤穂郡船坂村
1948(S23).1.10の選挙で36歳で当選。
首長の就任期間は1948(S23).1.13-1948(S23).4.26
任期は1期。

仲野 一郎さん
津名郡阿那賀村
1950(S25).5.12の選挙で38歳で無投票当選。
首長の就任期間は1950(S25).5.12-1957(S32).6.30
任期は2期。

増田 卓爾さん
津名郡灘村
1950(S25).6.10の選挙で38歳で当選。
首長の就任期間は1950(S25).6.10-1955(S30).4.6
任期は2期。

次に追加情報です。

山上 晶さん(三原郡伊加利村)
[97678]拙稿では
(2)では就任期間はS23.4.5からとあったが、(1)のS22.4.7の新聞で当選とあることより、S22.4.に修正した。
と書きましたが、今回の情報源の(1)によるとS22.4.5の選挙で無投票当選であったため、単に(2)兵庫県市町村合併史(下)の誤植と判断でき、就任期間はS22.4.5からとなります。

鈴木 啓二さん(津名郡仁井村)
[97678]拙稿では
(2)では就任期間は-1951(S26).4.12とあるが、任期は当時は4年までで延長が無かったので1951(S26).4.7までと推測される。
と書きましたが、今回の情報源の(1)によると1949(S24).12.15に再選していますので、
就任期間は1947(S22).4.8-1951(S26).4.12
任期は2期
となります。

石古 勲さん(加東郡社町)
就任日は1970(S45).3.19
就任日年齢は39歳1ヶ月です。
参考:兵庫県自治名鑑創立三十周年記念(編・出版:兵庫県町村議会議長会、1979)

最後に、以前の[97678]拙稿(神戸新聞)と今回の調査での兵庫縣選擧大鑑での年齢の明らかな食い違いが3人の方でありました。
昭和22年の統一地方選挙のデータの年齢には、確たる裏付けをとる必要性があるようです。

氏名神戸新聞([97678]拙稿)兵庫縣選擧大鑑
立花 唯一さん(三原郡広田村)35歳65歳
西山 謙三さん(氷上郡竹田村)39歳59歳
奥田 武夫さん(城崎郡清滝村)34歳41歳
#他の方でも年齢の食い違いはありましたが、すべて40歳未満で収録の可否に影響を及ばさないのでここには記載しませんでした。
[104803] 2022年 6月 7日(火)18:12:29むっくん さん
徳島県名東郡北井上村祖母ヶ島、岡山県和気郡英保町から吉永町への改称
[104794]サヌカイトさん
徳島県阿波郡柿島村
柿原と知恵島の合成ですが、明らかに吉野川をまたいでいるんですよね。幅が広い川として有名な吉野川を。つかんぼやとの四方山話で例示されるほどの吉野川を!さすがに不便だったのか1957年に廃止される際、吉野町と鴨島町に分割されています。
このお話からも分かりますが、郡も吉野川を跨いでいました。
名東郡は吉野川の南側にあると思いがちですが、近世村単位で見ますと、祖母ヶ島(うばがしま)村は名東郡のうち唯一、吉野川(かつては別宮川と呼ばれていました)の北にある村でした。
参考:天保国絵図(阿波国)
その後、明治二十二年の市制町村制施行時には、吉野川以南の村々と合併し名東郡北井上村の一部となりましたが、現在は板野郡藍住町東中富の一部となっており、いつの間にか吉野川の北側の板野郡所属になってしまっています。
参考:四国社会資本アーカイブス2コマ

兵庫県の公報である兵庫縣報第二千四百五十五號昭和二十三年四月二十四日p6彙報では
村境界變更について
徳島縣名東郡新居村北新居字名田及び同郡北井上村東黒田字小塚、同村祖母ヶ島の全地域を、昭和二十三年四月一日から板野郡藍園村の區域に編入せられた旨の通知があつた。
とあります。
Wikipedia公益財団法人徳島県市町村振興協会発行の徳島県市町村要覧令和3年度版(PDF)45コマでも
昭和23年4月1日名東郡新居村名田,北井上村小塚,北井上村祖母ヶ島,藍園村に編入合併
との記載があります。現状で、徳島市に吉野川の北にあるまとまった区域は存在しません。そこで市区町村変遷情報に
# 1948(S23).4.1 境界変更 板野郡藍園村 板野郡 藍園村, 北井上村の一部(大字祖母ヶ島)
を追加することになります。>グリグリさん


兵庫縣報がらみでもう一つ紹介します。

以前岡山県和気郡英保町から吉永町への改称が話題となりました。

兵庫縣報第二千五百二十三號昭和二十三年十一月十八日p3彙報では
町の名稱變更について
岡山縣和氣郡英保町は、その名稱を吉永町に改め、十一月一日から施行せられた。
とありました。

それでは岡山県公報記載の岡山県告示ではどうかといいますと、
岡山縣告示第五百七十七號
和氣郡英保村を英保町とし、昭和二十三年十月二十日から、これを施行する。
昭和二十三年十月八日 岡山縣知事 西岡廣吉

岡山縣告示第六百四十七號
和氣郡英保町は、その名稱を吉永町に改め、昭和二十三年十一月一日から、これを施行することを許可した。
昭和二十三年十月二十五日 岡山縣知事 西岡廣吉
とあり、市区町村変遷情報の
#177 1948(S23).10.20 町制 和気郡英保町 和気郡 英保村
#178 1948(S23).11.1 改称 和気郡吉永町 和気郡 英保町
は正確で、英保町は12日間だけ存在しました。
[104776] 2022年 5月 30日(月)21:10:09むっくん さん
女流棋士
木村朱里さんが6月から女流棋士2級に

関西研修会B2クラス所属の木村朱里さん(13歳)から、女流棋士資格申請書が提出されました。2022年6月1日付で、関西本部所属の女流棋士2級になります。女流棋士番号は79です。
木村さんは滋賀県高島市出身だそうです。

棋士・女流棋士の滋賀県出身者は初です。


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