皆さんはじめまして。MI と申します。
数年前から市町村変遷を調べており、何度となくこちらも拝見しておりました。本日、
[68863]と
[68950]で石地町改称の件に気付きましたので、確認を兼ねてご紹介したいと思います。
しんたん さんが参考にされた新潟県の県令ですが、
現行新潟県法規類纂によれば、明治二十三年の県令甲第三十七号は南魚沼郡上関村役場位置に関するもののようです。
私が実見したところでは、新潟県公報の1890(明治23)年4月18日正誤で、
明治二十二年(三月)県令甲第二十二号改称市町村名中刈羽郡 石地町村 ハ 石地町 ノ衍
とあります。つまり1889(明治22)年4月1日に石地村と尾町村が合併した時点で石地町になっていたのです。
似たような状況にあるのが中頸城郡「北大瀁村」です。これも1890(明治23)年5月2日正誤で、
明治廿二年(三月)県令甲第二十二号改称市町村名中中頸城郡 北大瀁村 ハ 大瀁村 ノ衍
と訂正されています。下柳町新田、大谷内新田、柳町新田、寺田新田、富田新田、上柳町新田、中柳町新田、岡田新田、下池田新田、中城新田、片津村、姥谷内新田村、西湊新田村、大坂井村、田中新田、上泉新田村が合併して大瀁村になったのですね。
しかし「粟島浦」から「粟島浦村」へについては、新潟県立文書館や県立図書館に何度も足を運んでおりますが、いまだにその日付を特定できていません。情報がありましたら是非お知らせいただきたいと思います。