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ekinenpyouさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[100023]2020年7月25日
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[100018]2020年7月24日
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[99994]2020年7月18日
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[99984]2020年7月13日
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[99980]2020年7月12日
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[99947]2020年7月1日
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[99937]2020年6月26日
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[99928]2020年6月23日
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[99926]2020年6月21日
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[99917]2020年6月15日
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[99914]2020年6月14日
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[99910]2020年6月13日
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[99907]2020年6月12日
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[99889]2020年6月8日
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[99886]2020年6月7日
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[99353]2020年4月6日
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[99332]2020年4月3日
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[99290]2020年3月23日
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[99285]2020年3月22日
ekinenpyou
[99282]2020年3月21日
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[100023] 2020年 7月 25日(土)10:08:57ekinenpyou さん
Re:連担 DID 別統計
[100021]千本桜 さん
mg さんではありませんが・・・[100013]mg さん作成のリストについて

ご覧になられているブラウザの左上隅に「ファイル」というメニューがあり、
その中の「ダウンロード」からエクセルなど各種形式に変換できます。

推定中心地については例えば拙稿[100018]で示した成田市2(H27国調10,530人)では
こちらの位置となっておりました。(詳細はmg さんの解説待ち)

【参照】平成26年商業統計メッシュデータ
第2次メッシュコード(5340-53)新東京国際空港
[100018] 2020年 7月 24日(金)18:57:24ekinenpyou さん
商業統計とメッシュデータについてなど
予定投稿は後日延期として小ネタを1件投稿しておきます。
タイトルの件、調査の概要|商業統計|経済産業省(調査の沿革)には
○平成14年
平成14年3月に日本標準産業分類が改訂(第11回)されたことに伴い、商業統計表の産業分類を変更。大分類「I-卸売・小売業、飲食店」から「J-卸売・小売業」に改訂、飲食店は「M-飲食店、宿泊業」に移行。
なお、平成11年の数値は14年の定義に合わせて組み替えているため、11年の公表値とは必ずしも一致しない。
中略
○平成26年
平成26年商業統計調査は、総務省所管の「経済センサス-基礎調査」との同時実施。
平成19年11月に日本標準産業分類が改訂(第12回)されたことに伴い、商業統計表の産業分類を変更(大分類「J-卸売・小売業」から「I-卸売業・小売業」に改訂。管理・補助的経済活動を行う事業所の新設、無店舗小売業の新設、料理品小売業の一部が「持ち帰り飲食サービス業」「配達飲食サービス業」へ転出等)。
とあります。
【参考】日本標準産業分類分類関係資料

[99990]mg さん
C 人口: それ以外の、買い物に行ったり、旅行に行ったり、休日に出かけたりする場所でカウントする人口
中略
中心地の判定には三種類の小売メッシュ統計を用いて総合的に判断する
[100013]mg さん
次に連担 DID ごとに、その連担 DID を覆うような四次メッシュを取ってきて、その合計値として各種経済・商業統計を算出します。

小売業の事業所数・従業者数、年間販売額、売場面積に限ったデータでも上記内容を十分把握できそうですが、
例えば日本標準産業分類における※宿泊業,飲食サービス業生活関連サービス業,娯楽業などに関する指標も
あわせて参照すると色々と参考になるかもしれません。

※飲食サービス業のうち持ち帰り飲食サービス業・配達飲食サービス業は商業統計(2014)では飲食料品小売業の一部となる
産業分類対応表(平成26年/平成19年)5コマ参照

なお、4次メッシュ(500mメッシュ)ごとの統計データについては
経済センサス-基礎調査では2014年データも「全産業事業所数及び全産業従業者数」までしか得られないようですが、
経済センサス-活動調査は2016年データは「産業(大分類)別事業所数及び従業者数 」も得られるようです。
(地図で見る統計(統計GIS) などで表示可能)

【参考】Q&A|商業統計|経済産業省より
質問:経済センサス‐活動調査という調査票が届く年がある。何が違うのでしょうか?

回答:経済センサス‐活動調査は、我が国における全産業分野の経済活動を同一時点で網羅的に把握すること等を目的として創設され、5年に1度実施される統計調査です。統計調査の重複を防ぐことから、経済センサス‐活動調査実施年には商業統計調査は中止となり、経済センサス‐活動調査として実施されます。

(平成28年経済センサス‐活動調査)統計表一覧はこちら

【おまけ】
[100002]千本桜 さん
結局、DIDにしてもメッシュ統計にしても、地図や各種資料と照らし合わせながら使用することが肝要なのでしょう。
全くもって同感です、面白いDIDの例として成田市2(H27国調10,530人)があり、地図上の領域はこちらになります。

[100013]mg さん作成のリストでは推定中心地をDID領域北東古込成田国際空港内としていますが、
人口の大半は(正反対の)南西部に集中しており(参考・成田市の人口世帯数マップ)、中心地の解釈は人により異なると思われます。
[99994] 2020年 7月 18日(土)11:42:49【1】ekinenpyou さん
Re:三宅島・八丈島など(2)
[99981]伊豆之国 さん
三宅島と八丈島に関しては、設計図に載せる物件の所在地名は、島名を省くこともあるのですが、たいていは「八丈島八丈町〇〇(=大字名)△△番地」のような「島名+自治体名」のような表記になっています。

(解釈例の一つとして)司法書士法人様のブログには以下のようにありました。
マザーシップ司法書士法人(赤羽)小笠原村から失礼します。※1より
島の自治体としての正式名称をご存じだろうか。例えば、大島は、東京都大島町、三宅島は、東京都三宅島三宅村、八丈島は、東京都八丈島八丈町である。普段見聞きする地名と違うはずだ。そう郡名がない。

過去ログにも頻出している不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)には
第三十四条 土地の表示に関する登記の登記事項は、第二十七条各号に掲げるもののほか、次のとおりとする。
一 土地の所在する市、区、郡、町、村及び字

とあるのですから、「郡名なし」ですと「三宅島と八丈島」がどの部分に該当するのかいまいち不明瞭です。
(郡名に代えて島名としているとみなすのが一般的かもしれませんが)仮に町村名の一部と解釈されますと
短い市区町村名・長い市区町村名(市区町村雑学)などにも影響が出てきます。

【おまけ】(歴史上の経緯から)色々訳ありの経緯がある土地なので専門家も手を焼いているようだ
前述※1より
伊豆諸島は、旧土地台帳法適用除外だった関係で、前述の「土地台帳法の一部改正」により、それまで、税務署に備え置かれていた土地台帳・公図が登記所に移管されていないので、いわゆる一元化登記要領に基づき旧土地台帳と旧登記簿の一元化登記がなされていない。これは、現在の登記簿の起源が法令により作成されたものではないことを指す。つまり、無根拠だ。しかも、例えば、三宅島では、およそ1000筆の土地が、事故簿として旧登記簿から登記簿に移記されていないことがわかっている。

土地問題から見る伊豆諸島・小笠原三宅島(5)~土地台帳はあった~より
多くがいわゆる旧土地台帳から移記されたという事実と、その旧土地台帳は三宅村にあって、法務局に移管されなかった事実はわかりました

不動産登記制度の沿革と役割「(6) 登記簿と台帳の一元化作業」より
この表題部の改製または新設の作業(登記簿・台帳の一元化作業)は、1970(昭和45)年に完了した(ただし、土地台帳法等の適用のなかった伊豆七島管轄の東京法務局の新島、三宅島および八丈島の各出張所は1977[昭和52]年に完了した)。

【おまけ2】リニューアルに伴う記事訂正機能確認のため、都内町村の公印画像などが例規集で確認できるものを以下リンクに示す。
西多摩郡瑞穂町日の出町奥多摩町檜原村/島嶼部大島町利島村三宅島三宅村八丈島八丈町青ヶ島村小笠原村
※新島、神津島、御蔵島の3村を除く、郡名はあったり無かったりと区々で共通ルールはない模様

続きはまた後日・・・
[99984] 2020年 7月 13日(月)20:33:49ekinenpyou さん
Re:三宅島・八丈島など
[99981] 伊豆之国 さん
早速の解説ありがとうございます、(推測の検証もかねて)以下2点を参照しますと・・・

東京都支廳ノ名稱等(S18.6.29 内務省告示第470号・中央下部)
東京都支庁設置条例(S38.10.10 東京都条例第60号)

いずれも島名までは記されていません、恐らくこの表記で(公称地名として正当で)十分なのでしょうが、
例えば戦前の告示にある「東京都元村・神着村・大賀郷村」では場所がわかりにくいなどの理由から、
住所を記す際などに島の名前も記すという習慣が生じて、多方面に幅を利かせ主流になったと思われます。
例)自治年鑑. 1948年版

※公文書の告示などでも用いられた。(以下例)
村の廃置分合(S31.1.28 総理府告示第16号)
地方自治法第7条第1項の規定により、東京都三宅島三宅村、阿古村及び坪田村を廃し、その区域をもって三宅村を置く旨、東京都知事から届出があった。右の廃置分合は、昭和31年2月1日からその効力を生ずるものとする。


村を町にする処分(S30.3.25 東京都告示第225号の3)
地方自治法第8条第3項の規定により、東京都八丈島八丈村を町とし、昭和30年4月1日から施行する。


【おまけ】(というかこちらがメイン?)
自治体名でも郡名でもない「島名」表記の有無について関連する事例(雑学?)を1つ紹介

青ヶ島について(青ヶ島村ホームページ)の沿革には
S15.04.01 普通町村制施行
S63.10.01 村名称表示統一

とありますが、S63.10.01に行った「村名称表示統一」については市区町村変遷情報の収録対象外で
(具体的に何をしたのか)あまり知られていないと思われます。

本件について、菅田正昭さん(詳細[24183]hmt さん参照)のサイト
でいらほん通信拾遺(第26話)には以下記述が見られます。
昭和63年10月1日付けで「八丈島」を削除するという「村名称表示統一」を村議会が行ったからである。


青ヶ島は(八丈島からは相当離れているが)八丈支庁の管轄で「東京都八丈島青ヶ島村」という表記になってしまった?
理由は定かではありませんが、なぜわざわざ村議会に諮る必要が生じたのか?

地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)
第四条 地方公共団体は、その事務所の位置を定め又はこれを変更しようとするときは、条例でこれを定めなければならない。
中略
○3 第一項の条例を制定し又は改廃しようとするときは、当該地方公共団体の議会において出席議員の三分の二以上の者の同意がなければならない。

との規定より

例えば東京都八丈島八丈町役場の位置を定める条例(S31.4.6 八丈町条例第7号)では
地方自治法(昭和22年法律第67号)第4条第1項の規定に基き、東京都八丈島八丈町役場の位置を次のように定める。
東京都八丈島八丈町大賀郷2551番地2

のようになっているので

青ヶ島村事務所の位置を定める条例(H12.3.9 条例第14号)も過去の条例では役場の位置を
「東京都八丈島青ヶ島村無番地」としており、「東京都青ヶ島村無番地」へ変更するためには必要な手続きだった。

以上のように推測してみましたが、真相は???
[99980] 2020年 7月 12日(日)08:27:59ekinenpyou さん
Re:変遷情報 小笠原など
[99962]hmt さん
[79266]でリンクした小笠原村沿革」の代りに、現在閲覧できる同名のページ をリンクしておきますが、当時リンクしたページに巧く辿り着ける自信はありません。
恐らくこちらでしょうか?(内容ほぼ同じ)
小笠原村のサイト自体は過去10年程度であればWARPでも閲覧できます

同村(小笠原諸島)については小笠原支庁のサイトにある資料も参考になると思われます。

令和元年版管内概要小笠原支庁50年の記録

本件に関しては(大幅に書き足りず)後日追記を行うかもしれませんが、
やや多忙なため(前振りとして)初心者向けの?謎々を1問

市区町村の役所・役場一覧(東京都)には所在地の住所が記されているが
島嶼部(大島町から小笠原村までの部分)は郡名が無いので「東京都」+「町村名」以下・・・
となるところ何故かルール通りになっていない仲間はずれが2つ存在している、それはどの部分か?

【おまけ大ヒント】
地理院地図などの地図サイトの多くは(住所が)省略表記となっているが(マピオンは例外)、
郵便番号自動車登録関係コード検索システム三宅支庁八丈支庁も同様に仲間はずれ表記である。

※自治体名の手前に違いがあるので、例えば京都市の通り名(町名の手前)とは性格が異なる
ここまで書いておけば、伊豆之国 さんあたりが即正解を書いて片付けてしまうでしょうか???
[99947] 2020年 7月 1日(水)07:41:36ekinenpyou さん
印旛郡龍服寺村?など
[99923]むっくん さん
99 新設 印旛郡本郷村 印旛郡 龍「服」寺村, 笠神村, 中根村, 滝村, 物木村, 荒野村, 角田村, 惣深新田(微)
龍福寺村→龍服寺村

(居住地を佐倉市としている)グリグリさんの対応後、投稿でも良かったのですが
上記「龍福寺村→龍服寺村」訂正依頼の件、簡単にまとめておきます。(「龍・竜」は同一とみなす)
※本郷村はT2.4.1埜原村と合併本埜村となる。

現在は印西市竜腹寺、地名は寺院名と関係が深いと思われる。以下、龍腹寺 - Wikipediaより引用
天和元年(1681年)に書かれたという略縁起によれば、大同2年(807年)の創建で、開山は慈観、初めは慈雲山延命院勝光寺と号したとされ、また龍福寺とも称されたが、釈命上人が雨乞いの祈願をした時、龍が死んでその腹が落ちた地であるため、龍腹寺に改めたとされる。

利根川図志(天龍山龍腹寺)にも同趣旨記載あり

資料ごとの表記(例)
【龍腹寺】
天保郷帳(下総国)(124コマ)・明治22年千葉県町村分合資料(印旛郡2-2)(17コマ右上)
(いずれもやや不鮮明だが恐らく龍腹寺)・同左(16コマ中ほど)
千葉県印旛郡本埜村誌市町村大字読方名彙(左下の本埜村)・通信区画便覧(左側)
時系列地形図(今昔マップ on the web)・Google マップ標識(同左ストリートビュー)
【龍福寺】
郵便区画町村便覧(M19.6調査)(中央)
【龍服寺】
下総国輿地全図(2コマ地図中の中央付近、ただし左下の略目では龍腹寺)
地名索引郵便区画町村便覧(M28)(左側)

以上を踏まえ考察
歴史的な経緯から龍腹寺の表記が地元では幅を利かせているようで、
県令などに記された龍服寺の表記はあまり定着しなかったのではないかと思われる。
(法的根拠の県令表記としても良いが、龍服寺→龍腹寺の改称履歴も示していただければつじつまが合うのでベスト)

【おまけ】[99341]MI さん
あらためて『高畠町史』下巻の第二章第五節 補筆・特筆の第一項(p.691~711)を読み直してみました。執筆者の思い入れが強烈に入っている感じもしますが、如何に高畑と高畠が混用されてきたかを検証しています。
中略
 明治の村々大合併以前の元村「高畑村」の地名は「高畑」であって、「高畠」ではなく、むしろ幕藩体制期を通じ地元では、「高畑村」と書記している。

資料ごとの表記
【高畑】
国郡全図(右上)・郡区町村一覧(右1列1行)・地方行政区画便覧(東置賜郡1列1行)
【高畠】
天保国絵図(右側四角で囲まれた村)・天保郷帳(2コマ)

高畠は幕府側の資料で用いられたが、地元では高畑という解釈?
[99937] 2020年 6月 26日(金)20:20:09ekinenpyou さん
越後府(初代)の管轄区域など
思いつき小ネタを投稿しておきます。

(越後府について)多くの方はご存知と思いますが(明治)維新期に越後国(新潟県)に存在していたもので、
詳細は[75457] [75459]hmtさんなどを参照のこと

さて、その管轄区域は越後府 - Wikipediaでは
7月27日、柏崎県(第1次)が設置され、8月5日にその管轄区域が越後国南半の頸城郡・刈羽郡・魚沼郡内の旧幕府直轄地および新政府の没収地などとされた。これにより、越後府(第1次)の管轄地域は越後国北半の三島郡・古志郡・蒲原郡・岩船郡となった。

ということですが
公文録(三島郡外四郡管轄ノ儀達)
三島・古志・蒲原・沼垂・岩船郡(5郡)
法令全書(慶応4=M1.9.3・715)
三島・古志・蒲原・沼垂・巖船郡(5郡)

では上記の通りで、どこかで見た表記ゆれが・・・という点は置いておき、
注目したいのは三島・古志・蒲原・岩船4郡の他※沼垂郡を加えた5郡が管轄区域とされている点でしょうか。

※沼垂郡とは?詳細は過去ログでうまく見つけられませんでしたが
新潟市の歴史(古代)沼垂郡 - Wikipediaに解説があります。

実態として蒲原郡の一部であるという解釈で例えば天保国絵図でも蒲原・岩船郡のみの色分けとなっております。
(三島・古志郡はこちら)

なお※新潟県史(8コマ左)には沼垂郡の記載に関する考察があり、復古記(右)の注にも引用され、
(達書は誤りで)4郡が妥当との解釈です。

※(達書)を改ざんせず原文掲載とあり、例えば「岩船郡」は「岩舩郡」と書かれていた???

そもそも、なぜ「沼垂郡」が記載されてしまったのか?
個人的な推測としては新政府の行政官が※国郡全図(市川東谿作)のような越後国を8郡としている
(幕末期の)資料を元に郡名を記したものと思われる。

同図には「沼垂郡」も記載されている。(凡例はこちら)

【以下、蛇足】[72041]伊豆之国 さん
鈴木良徳氏(栃木県岩舟町出身)の著書に「時刻表マニア」(昭和48年発行)というのがあります。この本を読むと、著者が小学生時代(明治末期)に「汽車・汽船旅行案内」という本を愛読し、
東海道線の新橋から大阪・神崎・西ノ宮・住吉・灘・三ノ宮・神戸までと、信越線の加茂・羽生田・矢代田・新津・亀田・沼垂・新潟までを暗記していた

生粋の鉄道マニア?と思われそうですが・・・こんな人でした。
[99928] 2020年 6月 23日(火)19:15:42ekinenpyou さん
「畑」と「畠」(補足編)
拙稿[99926]の続きです、以下に特徴的な3例(村名に「畑」と「畠」を含むものの資料ごと表記)を示します。

番号天保郷帳郡区町村一覧地方行政区画便覧M22.4.1町村制施行新旧対照市町村一覧5万図(図歴番号)現状(地理院地図)
【1】小畑村(8コマ)(4列5行)(7列3行)小畠村(左側の三浦村)(左下)小畑・鶴川(120-7-2)(北西部の三浦村)(豊後高田市)小畑
【2】菅畠村(92コマ)←古志郡の(8列5行)(6列2行)菅畑村(中央右側の前東谷村)(左上)菅畠・守門岳(73-16-3)(北西部の※東谷村)(長岡市)菅畑
【3】小畑村(59コマ)←神石郡の(3列4行)←神石郡の(3列4行)(中央左側)・合併なし(右下)小畠村・油木(109-12-2)(南西部の小畠村)(神石高原町)小畠

表中の「←」は左の資料と同じ表記
M34.11.1合併で東谷村

以下、各番号ごと簡単に要約
【1】M22.4.1合併時県令に記された「小畠」の表記ほとんど定着せず?
郵便区画町村便覧(M22.4調査)(中央右側の三浦村大字)でも「小畑」と書かれている。

【2】(戦前地形図は「菅畠」だが)M22.4.1合併時県令に記された「菅畑」が徐々に定着?

【3】年代が進むと徐々に「小畑」から「小畠」が幅を利かせているようにも思われるが、
(天保郷帳 天保国絵図でも表記ゆれがあり)判断が難しい
「小畑」表記例・広島県小誌
「小畠」表記例・天保国絵図(神石郡の中央部)、神石郡地誌広島県史

郵便区画町村便覧(M28)では「小畠郵便局」「小畑村」とどっちつかずの表記
S17.4.1新設合併時は「小畠村」S17.3.26官報広告右下(町村廃置3番目)
町村制施行以降に(高畑→高畠町のような)小畑→小畠村という改称履歴はみあたらず。
[99926] 2020年 6月 21日(日)10:02:47ekinenpyou さん
桐畑村→桐畠村など
[99923]むっくん さん
236 新設/村制 鳳至郡柳田村 鳳至郡 鴨川村, 国光村, 石井村, 柳田村, 桐「畠」村, 笹川村, 長尾村, 鈴ヶ嶺村, 小間生村
桐畑村→桐畠村


以前どこかで見たようなネタ???とグリグリさんも共感しているかどうかはともかくとして、
ご指摘にあるよう県令第23号の通りとしても構わないのですが

鳳至郡柳田村の領域から恐らく現在の能登町字桐畑付近と思われます。

【参考】地方行政区画便覧(左側の5列3番目)・地名索引(少し字が見にくいので補足)
(いずれも内務省地理局刊行)
5万地形図宝立山(図歴リスト番号87-8-2)

[99917]拙稿の高知県高岡郡与津村→興津村について

答えはこちら

上記にもあるが、興津峠の北側にある与津地は東又村だった
地理院地図

残り投稿分は少し間が空くかもしれません・・・
[99917] 2020年 6月 15日(月)08:20:32ekinenpyou さん
過去の変遷情報要修正箇所について補足
だいぶ時間を遡ってしまい恐縮ですが
[85558]YT さんで変遷情報を修正する必要があるのではないか?と指摘があった件について補足投稿します。

まず以下4件については
(1) 鳥取県日野郡江尾町の町制実施の年月日 (鳥取県#82)
(2) 徳島県麻植郡山瀬町の町制実施の年月日 (徳島県#35)
(3) 福岡県田川郡彦山村の編入先 (福岡県#155)
岡山県和気郡英保村→英保町→吉永町の変遷

[85567][85569][85570][85571]MI さんなどで速やかに回答が示されましたが

広島県豊田郡木ノ江町から木江町への改称(広島県#130)、高知県高岡郡興津村から与津村への改称(高知県#75)が、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 や『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その34 広島県』・『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その39 高知県』などで名称変更情報として扱われていません。

(恐らく回答がなかったと思われる)上の2件について・・・

まず、1943(S18).10.1 広島県 改称 豊田郡 木江町 豊田郡 木ノ江町
S18.10.2官報広告右上中ほど(町改称)に記載があり国勢調査報告の記載漏れが妥当と解釈します。

次に、1948(S23).5.3 高知県 改称 高岡郡 興津村 高岡郡 与津村ですが
高岡郡 - Wikipediaも同趣旨の記載があるものの当時の官報類に告示などはみあたらず、そうした関係からか
高知県高岡郡興津村(歴史的行政区域データセットβ版)でも有効期間開始年月日が1889-04-01になっています。

本件については、時間の都合で補足追加を後日投稿予定です。
(例によって、詳細をご存知の方は先行して示していただいても可)

[85558]YT さんでは高知県高岡郡興津村から与津村への改称とあるが逆(これは変遷情報の通り)
以下2資料でローマ字読みが変化している点は確認済み

昭和23年常住人口調査報告(左上8番目)
"Yotsu-mura"
昭和25年国勢調査の都道府県郡市区町村別人口
34広島県~40福岡県(9コマ高岡郡19番目)
"Okitsu-mura"
[99914] 2020年 6月 14日(日)17:43:32ekinenpyou さん
Re:岩手県への表記統一など
拙稿[99907]の続きもかねて投稿します。

[99911]hmt さん
明治9年当時は 正式の「岩手縣」と慣用の「巌手縣」とが共に使われており、旧印鑑の欠損を機会に、慣用している「巌手縣」の印鑑も彫刻し、届出をしたのでしょうか?


(欠損前の印鑑がどのような印影だったかは定かではありませんが)おおむねその通りだと思います、
以下に公文録に残されたM9.10.9届出当時の原本を示します。
岩手県県印改刻届

当時は岩手県・国側双方で「岩」が「巖」である程度なら特に気にしなかったというのが実情でしょうか。

※法規分類大全の印影「岩手縣」は同書がM24年刊行であり、
「巖」を「岩」に置き換えた可能性があると推測しております。
(複数改刻届があって、その印影を模写するなどした可能性もありますが・・・)

なお、府藩県印の印影については色々と興味深いものがあり
例えばこちらに関連した投稿も後日行うかもしれません。

牛塚虎太郎


統計局ホームページ-国勢調査100年のあゆみPDF(4コマ左中ほど)に記載があります。

※大正6年提出の意見書は下記より閲覧可能です。(先述PDFには書かれていませんが、実際はかなりのページ数)
国勢調査実施ニ関スル意見書牛塚統計局長ヨリ提出ノ件

要望実現のための文書作成などに長けた方だったようで、
同氏が「巖手縣」をお気に入りだった場合「岩」が「巖」になっていたかもしれませんね・・・
[99910] 2020年 6月 13日(土)10:22:38ekinenpyou さん
地図上の「令和」
[99880]鳴子こけし さん
昨年5月の改元以降、『年号』コレクションに収録されている大津市の瀬田川令和大橋や、平成筑豊鉄道の令和コスタ行橋駅などが誕生し、「令和」の名が地図上に登場してきていますが


例えばこちら
とでも(無駄に?)小ネタを量産投稿しておくと、[99906]グリグリさんで触れた件が予想よりも早く実現???
[99907] 2020年 6月 12日(金)19:19:12ekinenpyou さん
Re:慣用されていた 巌手県 から 正式の 岩手県 に統一する手続など
[99890]hmt さん、[99894]MI さん
正解です、お二人に示していただいた文面ですが
恐らくT12.9.10付で国側へ照会し了解を得た文書が元になっていると思われます。
県名ノ文字ニ関シ岩手県知事ヨリ照会ノ件(2コマ)

その後官報での表記はT10.8.27(左下)→T15.6.11(左中ほど)のように変化した箇所も多いですが、
(国側で告示などは無く)周知が徹底されていたとは言い難い状況だった?のか

[35710]Issie さん
衆議院議員の選挙区(いわゆる中選挙区制)についての「別表第1」で,岩手県の第1区にしっかりと「巖手郡」という表記が行われています(「小六法・昭和58年版」による)。


官報(号外)S25.4.15(左上)のような表記も残ったようですね。(上記例は郡名ですが・・・)

(いとも容易に謎が解かれてしまったので)次投稿までのつなぎとしてもう1問用意しておきます。

【その1】法規分類大全
【その2】諸県県印彫刻・九条(9コマ)

上の資料二点にM9.10.9岩手県届けによる印鑑の印影が示されていますが、明らかに違いがあるのは
どなたでもおわかりいただけるかと思います、どちらが(岩手県より)届け出た印影画像に近いものでしょうか?
(できれば証拠を示していただければ最善ですが、次回投稿で示すので・・・ひとまず投稿終了とします)
[99889] 2020年 6月 8日(月)08:26:16ekinenpyou さん
Re:高知県長岡郡西本山村から本山村への改称など
[99887]MI さん
明治23年が幅を利かせてしまったようですが、改称日は 1891(M24).5.9 が正しいと判明しております。

その通りです、以前配布されていたファイル(ctv_total_pref.xlsx)に
18910509 +1村 -1村

とありましたのでご存知なのだと思いました、的確なフォローありがとうございます。

逓信公報(M24.8.27)82コマ(右上告知欄)・官報(M25.7.15)の記述からも
M23年実施は疑わしいことが確認できます。

思いのほか速やかな正解が示されましたので、1件追記しておきます。

射水市サイト内の射水市の名誉市民・牛塚虎太郎の詳細な功績を記したワードファイルに

岩手県知事時代には、県名を「巌手」から「岩手」に改め


という記載※がありますが、
このような変更手続は法的には行われていないという見解を多くの方がお持ちだと思います。
(高畑町→高畠町のように読みは同じで字が違うだけの変更ですが、何しろ県名という重要な名前なので
正式に変更となれば官報なり何らかで周知されるはず)

牛塚虎太郎 - Wikipediaにも同趣旨記載あり

過去ログでは

[35708]Issie さん
「巖」と「岩」とは“交換可能”な文字のペアーであったようで,特に明治期には県・郡ともに「巖手」という表記がよく見られます。

[50713]hmt さん
これらの名前は特別な変更手続なしに、「いつの間にか」現在の表記が定着するようになったようで、「巖手県」ではなく「岩手県」の形で現行法に引き継がれたと思います。


とありますが、この件が何故知事個人の功績として記されているかの詳細についてまでは
答えをうまく検索できなかったので、関連内容を後日投稿予定です。
(本件は既に詳細をご存知の方もいらっしゃると思うので、先行して示していただいても構いません)
[99886] 2020年 6月 7日(日)10:36:19ekinenpyou さん
官報に掲載された変遷履歴情報など
ひとまず、小ネタから・・・

[99831]hmt さん
NDL官報に基づく変遷情報
中略
変遷施行日はわかるが、必ずしも施行日付とは一致しない官報発行日を絞り込めない。


[99832]MI さんでも言及されていますが、全ての変遷履歴が官報に掲載されているわけではないので
使い勝手が良いものではないことは確かです。ただし(掲載されたものに関しては)当方や一部のメンバーの方々で
ほとんど発見&把握されているはずなので、関連投稿の際に「官報掲載箇所は未確認」とでも併記していただければ、
何らかレスが入るのではないかと思います。

【おまけ】官報の掲載箇所についてはだいたい施行日のあたりに掲載されていることが多いですが、
その日付に疑わしき点がある情報源を参照してしまうと捜索?困難になる場合があります、以下例

1890(M23).6.1 改称 長岡郡 本山村 長岡郡 西本山村
長岡郡 - Wikipediaも同じ

官報掲載は1年ほど後の1891(M24).5.13(左下の村名改称)
高知県処務提要. 上巻右上欄外も参照のこと
従って、どのように解釈すれば正しいのかは

結局は全国の都道府県立図書館や文書館巡りをすることとなってしまいました。

と仰っているMI さんが恐らくご存知かと思われますので省略・・・
[99353] 2020年 4月 6日(月)20:29:18ekinenpyou さん
東置賜郡高畠町
[99336]むっくん さん・[99341]MI さん・[99349]グリグリ さん

本件に関しての詳細はこちら63コマ(左ページ以降)参照のこと

1905(M38).1.13 改称 東置賜郡 高畠町 東置賜郡 高畑町


とありますが国側は通牒を出したM38.9.25改称許可(右ページ中央)とみなしているので、
この日付(あるいはそれ以降)とした方が(法的には※許可前に実施扱いにはできないはずなので)良いかもしれません。
(極めて特殊な事例であり山形県が改称として告示したかまでは未確認)

※詳細[86677]むっくん さんの
(C)市制町村制施行時(M22)~地方自治法施行以前(S22.5.2)
も参照のこと
[99332] 2020年 4月 3日(金)19:16:14ekinenpyou さん
Re:明治12年当時の北海道 北見国網走郡と釧路国網尻郡など
[99293]hmt さん
明治35年の北海道二級町村制で誕生した「網走町」を構成した旧町村の一つである「網走郡北見町」です。この町は、明治12年の公文録に記載されておらず、その実体が不詳でしたが、網走町の市街地部分でしょうか?


その通りと思われます、なお過去ログ検索では以下のようにありました。

[6060]グリグリ さん
現在の網走市の中心部を北見町としていましたが、網走町に取り込まれて字名も無くなったため、野付牛町が市制施行時に北見市を採用しました。この時、網走の住民から強い反対があったそうです。

[12313]三丁目 さん
網走市の古くからの集落は北見町と言い、現在、条・丁目が採用されている地区にあたります。


M35合併後は大字北見町となり大正末期に消滅
網走市歴史年表の大正時代北海道市町村行政区劃. 昭和17年10月1日現在も参照のこと

記載がなかった原因を推測すると、明治12年から35年の間に【例えば】網走村からの分割 or 分立により誕生していたのか? それとも、公文録の記載漏れか?


沿革類聚布令目録 : 沿革類聚. 明治23年編纂(国郡町村(附)大小区画)よりM14.11.15誕生と思われます。
開拓使事業報告. 附録 布令類聚上に布達本文あり
網走市歴史年表の明治時代北海道史. 管轄略譜・年表・統計表の記述も同じ

[99288]hmt さん
北海道における 郡区町村編制法の実際の施行日は、M12/7/28? との疑惑。


完全に疑惑を払拭できるかわかりませんが、M12.7.23布達により施行で変更は無かったと思われます、以下資料参照
記録材料・開拓使第五期報告書
北海道史. 管轄略譜・年表・統計表の記述も同じ

※開拓使時代の管轄変遷については開拓使事業報告. 第1編も参照のこと

[99289]YT さん
戦前の『広島県史』の記述と、公文録の記録からすると、広島県 甲第137号布達が出されたのは明治11年11月1日の可能性の方が高いと思います。


こちら(13コマ)でも布達本文までは記されておらず(確証が持てなかったので)疑問としておきましたが、
的確な調査回答を示していただきありがとうございました。
[99290] 2020年 3月 23日(月)19:16:08【1】ekinenpyou さん
Re4:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
引き続き、[99252]MI さん・[99259] むっくん さん関連
(上記引用文中「第貳拾貳號」とは明治13年5月5日太政官布告第22号のことで、各府県の郡分割などを示したもの。)


法令全書のリンクはこちらですが、
後に出版された府県及北海道境域沿革一覧では、この布告を以て(郡区町村編制法施行に伴う)
郡区の新設・分割・改称が行われたという説明が複数あります、これについては不適切とみて良いでしょう。

(一例)沿革図表(M13の箇所)・愛知県(名古屋区設置・設楽郡、加茂郡、春日井郡の分割が同時扱い)

【参考】例えば日本全国郡区分人口表(M12.1.1現在)(国刊行の戸籍統計・M13.3編纂)では
既に多くの府県で新しい郡区名になっている。(当然ながらM13.5.5布告以前から存在していた点明白)

※ただし長野県(M12.1.4郡区町村編制法施行)はM13.1.1現在(M14.3編纂)から、
愛知県はM13.2.5春日井郡分割(東春日井郡と西春日井郡)を同じくM13.1.1現在から反映している。

また、滋賀県はM13.5.29浅井郡の分割(東浅井郡と西浅井郡)がM13.1.1現在には反映されず
M14.1.1現在(M15.2編纂)から反映している。

同書で区名のそばに郡名も併記されているのは何故か?
新旧名対照という目的もあるかもしれませんが、恐らく以下のような理由からです。
東京府下区郡ノ改正ハ行政上ノ区域ニテ地理上ニ於テハ旧ノ郡界ヲ存ス

【おまけ】滋賀県浅井郡の分割についてなど(以下、最初の投稿内容で説明に不備・不足があったので若干修正あり)
[99252]MI さん(従来の浅井郡は2つ)
明治12年の時点では浅井郡が2つあったが郡役所の名称だけは東西を付けて区別していた。13年に郡名も東西を付けて文字通り別の郡となった、と判断することにしました。

[99259] むっくん さん(従来の浅井郡は1つ)
滋賀県 甲第61号布達 M13.5.29 浅井郡→東浅井郡、西浅井郡


上記の通りお二人の見解が少々分かれておりますが、資料によっても説が若干異なっており

東浅井郡志. 巻3(S2発行)の左ページでは
従来は便宜上郡名を東西に分称→M13.5.5太政官布告第22号により完全に分割
(ややMIさんの解釈と近い?ただし従来の浅井郡が2つとまでは明記していない)、
滋賀県沿革略誌(M23.9出版)の右ページ真ん中付近では
5.29浅井郡に東西の字をつけて2郡に分割 (むっくんさんの解釈とほぼ同じ?)という内容になっています。

※東浅井郡志では便宜上郡名を分称とあるが郡役所名に使用されたぐらいなので、比較的通称?として
浸透していたらしく、滋賀県管内浅井郡誌(M13.3)その1その2にも記載が見られる。
また現行滋賀県布令類纂の内容はごくまれに誤記や後に変更した内容に置き換わってしまっていることがあるので、
郡長任命時の記述(57コマ)も確認したところ、確かに「東浅井郡郡長」「伊香・西浅井郡長」とあった。

(M13.5.5太政官布告第22号で)国側が東浅井郡、西浅井郡と布告を出してしまった原因ですが、
前述(紛らわしい郡役所名を記した布達)のほか岐阜県の石津郡のように地理的な要因もあり、
(郡区町村編制法施行に伴い)分割されたと誤解されたのかもしれませんね、
参考として布告第22号が出た頃に国が作成したと思われる地図のリンクを示しておきます。

公文附属の図・一八〇号 大日本分国輿地全図(郡区編制全ノ図)
公文附属の図・一八一号 府県新設区ノ図

以上で関連投稿を一旦終えます。(他にも書けることがありますが、いつごろ投稿するかは検討中)
[99285] 2020年 3月 22日(日)10:37:15ekinenpyou さん
Re3:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
(大区小区制が廃止され)郡区町村編制法施行の布達が使府県より出されると、
ほぼ同時期に郡区長が置かれるという点はご存知の通りかと思いますが
当時の(郡区長)任命に関する記録(履歴)が多くの府県で残されており、いくつか実例を示します。

[99264]YT さん関連
熊本県(M12.1.20施行)(9コマ)・茨城県(M11.12.2施行)(199コマ)
新潟県(M12.4.28施行)(17コマ)・長野県(M12.1.4施行)(1および8コマ)

[99263][99270]白桃 さん関連
愛媛県(M11.12.16施行)(76コマ)・和歌山県(M12.1.20施行)(5コマ)

以上の通り、(おおむね)布達の日以降に任命を行っている事実が確認できますので
(郡区町村編制法)施行時期の実態を把握するという点で参考になるかもしれません・・・

【おまけ】[99259] むっくん さんで示された表について補足

高知県 甲第267号布達 M11.12.6 M12.1.1

上記の布達の後、甲第278号布達(M11.12.14)でM12.1より実施と示された。

広島県 甲第137号布達 M11.11.11 M11.11.11

郡区町村編制法 - Wikipediaでの施行日がM11.11.1とあったため、以下の資料類を再確認した。

広島県史. 第1編(左隅)
公文録・明治十二年・第百七十一巻・府県判任官進退録第九(2コマ)

以上より、布達がM11.11.11に出されたという点に少々疑問が生じました。
(絶対にあり得ない話ではないと思いますが・・・)
[99282] 2020年 3月 21日(土)10:44:40ekinenpyou さん
Re2:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
昨日の続きです。(つなげると1投稿が長くなるので別投稿に分割しました)

[99252]MI さん
大島郡だけは同年4月8日太政官布告第15号で
鹿兒島縣管轄大島喜界島徳ノ島沖永良部島與論島ヲ以テ大島郡ト爲シ大隅國ヘ被屬候條此旨布告候事
とありますので、これのみ4月8日としました。

[99259]むっくん さん
(大島郡) 太政官布告第15号 M12.4.8 M12.4.8


上記は当方も郡設置を以て郡区町村編制法施行とみなしているのですが、初代郡長はM12.7.1に任免されている
らしく、この日を(郡役所設置&行政区画としての大島郡発足)施行日としているケースもあるようです。

大島郡 (鹿児島県) - Wikipedia

【参考】
日本の国郡区域と新しい広域行政区画の展望 - J-Stage(6~8コマなど)
奄美大島史その1その2


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