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三丁目さんの記事が93件見つかりました

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[13758]2003年4月22日
三丁目
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[12383]2003年4月3日
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[11594]2003年3月21日
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[11589]2003年3月21日
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[11569]2003年3月21日
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[11539]2003年3月20日
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[11416]2003年3月18日
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[11405]2003年3月18日
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[11362]2003年3月17日
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[11271]2003年3月15日
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[11156]2003年3月13日
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[11080]2003年3月12日
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[11075]2003年3月12日
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[11074]2003年3月12日
三丁目
[11008]2003年3月11日
三丁目
[11007]2003年3月11日
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[10922]2003年3月10日
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[10576]2003年3月6日
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[10477]2003年3月5日
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[10387]2003年3月4日
三丁目
[9712]2003年2月24日
三丁目
[9708]2003年2月23日
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[9587]2003年2月21日
三丁目
[9581]2003年2月21日
三丁目
[9574]2003年2月21日
三丁目
[9534]2003年2月20日
三丁目
[9525]2003年2月20日
三丁目
[9509]2003年2月20日
三丁目
[9502]2003年2月20日
三丁目
[9453]2003年2月19日
三丁目

[13758] 2003年 4月 22日(火)22:08:00三丁目 さん
書き込み材料の、ヒントを下さいぃっ
[13751]まがみさん
じゃあ私の未定稿をお分けしましょう(笑)(中略)あと10回分ぐらいは(中略)私の書込みがなくなっちゃうので、やっぱりあげない
そんなに持ってらっしゃるのですかぁ?さりげない、皆様方の書き込みの中から、コツコツと「コア」な分野を見つけているワタクシといたしましては、羨ましい限りです。ジツは、北海道方面にいるアナザー友人にも、何かな~い、と聞いているところなのですけれども、ちょっと期待ウス、かなぁ?これわ、と思われた話に、チラッと北海道方面の話をかまして頂ければ、至急、調査いたしますので、どうぞ、三丁目探偵事務所にご用命のほどを。。。あ、、、でも、、、難しそうなテーマは、目にとまらないかもしれませんし、調査報告も遅いかもしれません。あしからず、ご了承お願いいたします、とともに、ご贔屓、ご用命くださいませ。
[13746] 2003年 4月 22日(火)20:52:51【1】三丁目 さん
K、、KMKZさん
あ、タイトルは「ク、クムクズさん」と読んでくださいね。
それで[13738]KMKZさん
釧路市と釧路町の複雑な関係は、確かに拙稿[13312]にてご披露いたしましたが、「自治体の分離」とサラッと流して頂けませんでしょうか。こう見えても?一応気を使っているつもりなのです。現実に今も、その地域に住んでいらっしゃる方に、不快感を与えないように、と。未定稿で用意しているものも、ナマナマしい記述は避けて、事実を淡々と述べる姿勢に、チョビッとヒントを混じえようとは、思ってましたけれど。
[13744] 2003年 4月 22日(火)20:32:13【1】三丁目 さん
お礼、と日本銀行をちょびっと、とレス
[13563]紅葉橋瑤知朗さん
三丁目さんだけひいきしているわけではなくて、
ご贔屓ありがとうございます\(^O^)/。というか、そちらのお礼ではなくて、「福島県双葉郡久之浜村は、明治35年6月1日に町制施行しています。」と補足して頂き、ありがとうございました。書きこむときには、資料をちゃんと手元に持ってきとかなきゃ、と反省した矢先、昨日も資料を忘れたために、日銀の支店の順を間違えてしまいました。
釧路支店を2回表記したことに気づき、慌てて1つを削除したのですが、道内での正しい日銀上の組織順は、釧路支店、札幌支店、函館支店でした。

[13670]uttさん
北のウォール街、小樽は北緯43度付近、本場のウォール街(ニューヨーク)は北緯41度で「北」と称しながら、緯度はそれほど差がないような気がする
ぃきた~のお~、ぇさかばどおりにぃわ~♪。ここでいう「北」とは北海道を表していて「北海道のウォール街」と、私は思っていましたけれど。あ。。。歌は、直接は関係ありませんかね。失礼しました。

[13666]雑魚さん
札幌の玄関口、ないしは開拓政策上の重要な港湾としての小樽の拠点性は、私なんぞが想像するより遥かに大きいのですね。
「大きかった」と過去形になるかとは、思いますけどね。だって、小樽支店が閉鎖されてしまったくらいですから。
ちなみに、道内での日本銀行の支店・事務所開設順は、以下のとおりです。
1888年(明治21年)函館出張所
1893年(明治26年)小樽派出所
1897年(明治30年)小樽出張所
1906年(明治39年)小樽支店
1911年(明治44年)函館支店
1942年(昭和17年)札幌支店
1946年(昭和21年)帯広事務所
同年旭川事務所
1952年(昭和27年)釧路支店

なお、日本銀行の支店、事務所所在地一覧で、私が興味深く思ったのは、下関支店です。山口県下随一の人口を誇り、県内で最も古くから市制施行されたところ。福島県での支店所在地が郡山市ではなく、県都福島市内にありますが、下関市が山口県の中では、県都山口市も足元にも及ばない(とまで言って良いのかしら?)他を凌駕する、抜きんでた存在であることを、改めて認識しました。

[13706]雑魚さん
私が当選した暁には、以下の公約を実施致すべく、御誓いを申し上げます。
(中略)○ 街の中心となる鉄道駅名は、無理矢理自治体名に合わせる。
あぁ、こ~れ~はっ♪、、、私は対立候補に投票しま~す(^o^)/~~~~~私の無念シリーズをご覧になってらっしゃらないのでしょうか(笑)。ね、雑魚さんのこの公約は、落書き帳仲間といえども、投票できませんよね、Issieさん。

[13742]月の和熊さん
>トルコには、トーゴー通り、トーゴー公園や、ノギ通りもあるようですが。
これはロシアに負けたトルコが、日露戦争で戦功を立てた両名をたたえたものでしょうか。
トルコの事情に詳しくはありませんが、日露戦争で大国ロシアを破った日本に対して、トルコ国民は親日的、と、どこかで読みましたから、まぁ、そのような経緯で名づけられたものと思われます。当時、生まれた子供に「トーゴー」「ノギ」と名づける人がいた、とも、どこかで読みました。もしかしたら、フィンランドの話と混ざっているかもしれません。それであればゴメンナサイ(..)ペコリ。

[13695]オーナーグリグリさん
生まれた場所:東京都(両親の出身は山形県ですが、私自身は住んだことがありません。)、居住地:東京都、又は埼玉県。現在は、主な生息地を首都圏に構えていますが、転勤族として育ち、北海道の会社に就職したものの転職した私は、フクザツな心境なのでありました。説明するのが、メンドくさいからなのですけれど、ね。
[13739] 2003年 4月 22日(火)20:05:25【2】三丁目 さん
太白さんへのお礼、とちょっと独り言(愚痴かな?)
[13041]太白さん
横レスですが
横レス、大歓迎です。お礼を申し上げねば、と思いつつも、10日ほど経ってしまいました。道路について私は、あまり興味を持っていないものですから、連名でご指名もかかっていたし、どうしたものかと思っていましたから、助かりました。ありがとうございました。ご存知の方から、どんどんお返事を頂けるのが、この落書き帳の魅力の一つですよね。少々遅くても、許して頂けてるし。それに甘えているワタクシなのでした。((((((^_^;)

[13692]太白さん
「北の防人」の北海道の都市紹介、興味深く拝見しています。(中略)「無念」シリーズですか(笑)。
過分なお言葉、ありがとうございます。実は、そろそろ、ネタがつきてきたのです。ハァ(ため息)。あと、3回分までの原稿を準備してはいるのですが、その後はどうしたらよいでしょうか(→。←)聞かれてもいませんが「無念」シリーズは、ホントは、楯岡、小樽、までは実際に地元の無念さを知っているから、その順に出して、平を最後にするつもりだったのです。平は、地元の情報をよく知らないので「平も無念、なのかな?」にするつもりだったのです。

でも、先般も申し上げましたが、いわき市の話が流れた中に載せた方がスムーズかなぁ、と思って、急遽、順番を変更したのでした(中学生の皆さん、英語ではsmooth[smu:th]ですから、発音に注意しましょうね。と書いておいたら、thの発音記号でエラーメッセージが出てしまったので、thへ緊急で直しました。ティエィチですゾ、中学生の皆さん!)。だから、というわけではありませんが、ちょっと調査が行き届いていない、荒い原稿だったかもなぁ、と反省している部分がありました。「平について、三丁目からの調査未了分のリベンジ」編でもやってみようかなぁ。

きょうはきょうで、昼休みに来た生命保険の勧誘員に、未定稿の感想を聞こうと思って見せたところ、もらっていいですか?と聞かれ、渡してしまったのですが、帰宅途中に思いました。渡さなければ良かった、と。生命保険の勧誘員って、いろいろなところで話をするから、せっかく私が、この落書き帳用に用意したネタを、方々で話すかもしれない。そうするとマスコミがかぎつけて、面白おかしく取り上げるかもしれない。私の著作権わぁ???と、妄想が広がっていったのでした。来週、書き込む予定だったのですが、繰り上げて明日ご披露する予定です(本日は、手元に持ってくるのを忘れました)。

実は、自分色登録をためらっていたのも、いずれネタに尽きるであろうことは、わかっていたからなのです。いつまで、現在のような調査・書き込みペースを続けられますことやら。レス専科になってしまうと、レスできるお話も、私では限られているものですから。

纏めレスにしようと思って書き始めたのですが、長くなってしまいましたので、分けますね。
[13664] 2003年 4月 21日(月)22:15:51三丁目 さん
Re:こだわるJR北海道
[13662]ちりたまさん
函館本線で移動中、車窓からは北海道新幹線の早期完成(だったかな?)を求める(中略)長万部駅にも・・
こちらの掲示板では、新幹線に対して歓迎的なムードが比較的多いように感じていたものですから、あまり否定的な話をするのはと、差し控えていたのですが、北海道新幹線については、釧路在住友人も、私もきわめて懐疑的です。ホンキでツクルノ?とメールでやり取りしていたところです。たとえ、青函トンネルが新幹線対応でつくられていても、です。

地元が早期建設促進を求めているのは、当然のことですよね。それをポーズと言うつもりはありません。ただ、新幹線は、かえって一極集中を加速しているように、私には思えるのです。出張で山形市へ行った際に、上山温泉に4人で泊まりましたが、旅館の方が言っていたのは、山形新幹線ができたおかげで、東京からの出張は日帰りされるようになり、泊まってもらえなくなった、と。あるいは、何かの記事で読みましたが、交通が便利になったおかげで、東北地方での営業所関係が、仙台拠点への集約化が進んでいるとか。

話がそれましたが、少なくとも北海道新幹線に関しては、昭和の三大~~査定と比較されるようなシロモノにはならないように、と願っております。いらないんじゃないのかな?という意味です。
[13648] 2003年 4月 21日(月)19:23:22【1】三丁目 さん
小樽の無念
今回の無念のテーマは、日本銀行小樽支店が閉鎖されたことについて、です。というのも、日本銀行は、日本の経済・金融活動の拡大に伴って、各地に支店、又は事務所を配置してきました。これまでは、事務所から支店へ移行したことはありましたが、支店から事務所への移行はありません。そういう点で、支店、又は事務所を廃止したのは、日銀史上、初めてのことなのです。私が北海道にいた頃から、支店廃止反対運動がありましたので、気になってはいたのですが、ついに、2002年9月16日に廃止されました。

もともと、日本銀行小樽支店は、1893年(明治26年)に日本銀行派出所として設置されました。その4年後には出張所となり、1906年(明治39年)に支店になりました。現在は、2003年5月14日に「日本銀行旧小樽支店金融資料館」として開館すべく、準備が進められているところです。皆さんも、小樽観光の際には、ぜひお立ち寄りください。いかにも明治の建物らしい、重厚感がドッシリときます。

小樽市HPによると、小樽は、1865年(元治2年)に「幕府は「オタルナイ」を村並とする。」とあり、1965年に開基100年式典を実施したとあります。道内でも最も早い時期から入植が進んだ地域です。また、北海道最初の鉄道が、手宮(小樽)~札幌間に開通したところでもあります。

簡単に小樽市の歩みをご紹介しますと、開拓の本府が札幌に置かれると、北海道開拓の最も重要な港湾として位置づけられて、商業港湾都市として急速に発展しました。やがて、中央の金融機関が多数進出してきて、通称「北のウォール街」と呼ばれた銀行街を形成するようになります。これらの建物が、現在、市内で歴史的建造物としての街並みになっています。

以前、拙稿[13312]にて道内の都市(札幌、函館、小樽、旭川、室蘭、釧路)に区制が施行された順、また[11539]ではその6市の国勢調査による人口推移をご紹介しておりますので、ご興味をお持ちになられた方は、併せてご参照くださいませ。

最後に、日本銀行の支店、事務所所在地をオマケに載せておきます。先般は、ナマモノの「血」にかかる血液センター所在地をご紹介しましたが、今度は経済の「血」ということで。カッコ内は、日本銀行が所在する都市名です。事務所の記載順は、日銀のHPのとおりですが、地域・管轄別という形には分かれていませんので、私が見やすいように、勝手に改行しました。

本店(東京都中央区)

札幌支店(札幌市中央区)、函館支店(函館市)、釧路支店(釧路市)

青森支店(青森市)、秋田支店(秋田市)、仙台支店(仙台市青葉区)、福島支店(福島市)

前橋支店(前橋市)、横浜支店(横浜市中区)、新潟支店(新潟市)、金沢支店(金沢市)、甲府支店(甲府市)、松本支店(松本市)、静岡支店(静岡市)、名古屋支店(名古屋市中区)

京都支店(京都市中京区)、大阪支店(大阪市北区)、神戸支店(神戸市中央区)

岡山支店(岡山市)、広島支店(広島市中区)、松江支店(松江市)、下関支店(下関市)

高松支店(高松市)、松山支店(松山市)、高知支店(高知市)

北九州支店(北九州市小倉北区)、福岡支店(福岡市中央区)、大分支店(大分市)、長崎支店(長崎市)、熊本支店(熊本市)、鹿児島支店(鹿児島市)、那覇支店(那覇市)

水戸事務所(水戸市、常陽銀行本店別館内)
帯広事務所(帯広市、帯広北洋ビル内=旧北海道拓殖銀行ビル内)
旭川事務所(旭川市、旭川北洋ビル内=旧北海道拓殖銀行ビル内)
盛岡事務所(盛岡市、岩手銀行本店内)
山形事務所(山形市、山形銀行本店内)
富山事務所(富山市、北陸銀行本店内)
福井事務所(福井市、福井銀行本店内)
長野事務所(長野市、八十二銀行本店内)
鳥取事務所(鳥取市、山陰合同銀行鳥取営業部内)
徳島事務所(徳島市、阿波銀行本店内)
佐賀事務所(佐賀市、佐賀銀行本店内)
宮崎事務所(宮崎市、宮崎銀行本店内)

ニューヨーク事務所、ワシントン事務所、ロンドン事務所、パリ事務所、フランクフルト事務所、香港事務所

日本銀行は、日銀短観を発表しているわけですから(役割はそれだけではありませんが)、経済活動の拠点地域から、直接現場で情報を収集するためもあるのだろう、と思っています。もしかしたら、支店や事務所の設置基準があるのかもしれませんが、それは確認しませんでした。

ちなみに、地図上で見ると「日銀」と表示されていますから、私が知っている限りでは、全て独立した建物だろうとは思っていたのですが、念のため一般広報部とやらに、電話して聞いてしまいました。支店は、それぞれ1つの独立した建物だそうです。サスガは、日本銀行ですね。

長野県が、長野「事務所」と松本「支店」に分かれているところは、興味深いものを感じました。また、面積が圧倒的に広い北海道を除くと、2つあるのは、長野県と福岡県だけですからね。北九州市には、小倉市の時代(明治時代)から支店があったことと、福岡都市圏からは距離も離れているし、独立した経済圏であることから、そうだろうな、と思いました。

このお話。先週からのんびりと調査していたのですが、ちょうど本日書き込もうと思っていたら、太白さん[13623]から銀行のお話が。。。おぉっ、とあまりのタイミングの良さに驚いてしまいました。
[13556] 2003年 4月 20日(日)18:52:26【2】三丁目 さん
JR東日本殿、ごめんなさい。陳謝いたします。
拙稿[12833]にて、「楯岡駅が改称されたのは、JR東日本からの働きかけだったという話を耳にしました。真偽のほどはわかりませんが。」と書きましたけれども、それは誤りだったようです。

その件に関連して、平駅が、いわき駅へ改称したケースを調べていたのですが(楯岡駅が、山形新幹線延伸に伴う改称と同事例として、どのようなタイミングで改称したのか?)、平成7年に福島国体が開催されるのにあたり、「JR線活性化推進協議会」から、いわき市をアピールしたいとの要望があったため、JR東日本は平成6年12月3日に改称したとのことです。念のため、JR東日本広報部にお聞きしたら「駅名の改称は、地元からの要望がない限り、行いません。」との回答を頂きました。
謹んで、お詫び申し上げます、JR東日本殿。

それで、せっかくいろいろと調べて用意していたものですから、ただではコロバナイ三丁目としましては、いわき市のデータだけ、淡々と、ご紹介したくなりました。タイプするのも疲れましたが、これだけの経緯があって、よくぞ大合併に至ったものだと感心しました。現在の広域合併(平成の大合併)の、まさにお手本ですよね。全国から視察は来ているのでしょうか??

平市を除いて、1950年代の合併に限定してご紹介することにしましたが、それだけでもたいした量です。古地図があると、楽しめるのですけれども、現在の地域名を見るだけでも、十分面白いかもしれません。いわき市になる直前は、下記の5市4町5村です。最初は全部「旧」を付けたのですが、あまりにうるさくなってしまったので、駅名紹介の方にだけ、残しました。

平市(1937年市制施行:平町と平窪村が合併)
   1950年に飯野村・神谷村と合併
   1954年に夏井村・高久村・草野村・豊間町と合併
  1957年に赤井村の一部(大字赤井)と合併
内郷市(1954年市制施行:内郷町が単独で移行)
  1955年に箕輪村の一部(大字高野)と合併
常磐市(1954年市制施行:湯本町と岩崎村が合併
  その前段として、1954年の市制施行2日前に湯本町と鹿島村の3部落が合併
磐城市(1954年市制施行:江名町、泉町、渡辺村、小名浜町が合併)
  その前段として、1953年に鹿島村と小名浜町が合併、半年後に鹿島村の3部落が分離し湯本町と合併
勿来市(1955年市制施行:植田町、錦町、勿来町、川部村、山田町が合併)
石城郡遠野町(1955年町制施行:上遠野村と入遠野村が合併)
石城郡小川町(1955年町制施行:赤井村の一部と上小川村、下小川村が合併)
石城郡四倉町(1955年町制施行:大野村、大浦村、四倉町が合併)
石城郡好間村(1955年に箕輪村の一部と好間村が合併)
石城郡三和村(1955年に永戸村、沢渡村、三阪村が合併)
石城郡田人村、川前村
双葉郡久之浜町、大久村

それで、もともとは駅名を調べていたので、こちらもご紹介しますと、
常磐線
勿来駅(旧勿来町~旧勿来市~いわき市)
植田駅(旧植田町~旧勿来市~いわき市)
泉駅(旧泉町~旧磐城市~いわき市)
湯本駅(旧湯本町~旧磐城市~いわき市)
内郷駅(旧内郷町~旧内郷市~いわき市)
いわき駅(旧平駅:旧平町~旧平市~いわき市)
草野駅(旧草野町~旧平市~いわき市)
四ツ倉駅(旧四倉町~いわき市)
久ノ浜駅(旧久之浜町~いわき市)
末続駅(旧末続村~旧久之浜村~旧久之浜町~いわき市)

磐越東線
赤井駅(旧赤井村~旧平市・旧小川町~いわき市)
小川郷駅(旧上小川村・旧下小川村~旧小川町~いわき市)
江田駅(もともとの字名~いわき市)
川前駅(旧川前村~いわき市)

ちなみに、いわき市未来づくりセンター(電話0246-22-7408)というところが「いわき市内地域別データファイル2002」(572円プラス税)を発行しており、こちらに詳しく載っています。

本来、引用は前段に持ってくるべきではと思ったのですが、構成上、コメントを最後にしたかったものですから、失礼ながら。

[1254]Issie さん
「いわき」の場合,合併前に「磐城市」を名乗っていたのは小名浜でしたね。幸い,小名浜には常磐線の駅がなかったのですが,合併後40年が経過して「磐城市」の記憶が薄れたことと,平の地位がゆるぎないものになって初めて可能になったのでしょう。
でも,私は「平」を残してほしかった。

[6829]YSKさん
(3)いわき市(旧平市、旧常磐市、旧磐城市、旧内郷市、旧勿来市を中心とした広域合併)のケース
新産業都市の指定を受けて都市基盤の強化が行われた(主に住宅地と工業用地の拡大)が、官公署等の行政・文化の拠点となる施設は主に平地区に配置されて拠点化する一方で、小名浜地区や常磐地区等では観光機能を強化する施設配置がみられた(小名浜地区には、一部港湾関係の官公署も立地)。その結果、対等合併であったものの、その後の施設配置は、平地区の拠点性を強化させる方向であった。

[11984]蜜蜂 さん
対等合併であれば、いわき市の14市町村の合併(5市4町5村)というのがありました。

[13365]ken さん
平市、内郷市、常磐市、勿来市、磐城市、遠野町、小川町、四倉町、田人村、好間村、三和村、川前村、久之浜村、大久村が合併した福島県の「いわき市」も磐城市があったにも関わらず、いわきの名を生かしつつ、なおかつ磐城市とは別物というニュアンスをということで、ひらがな市が誕生しましたから、ちょっと似てますね。

はぁ。。。いわき市のように注目されている市は、皆さんいろいろ書きこまれているのですねぇ。過去ログを調べたらずいぶんと多かったので、私のようなものが立ち入るジャンルじゃなかった、と後から反省しました。最初は「平も無念、なのかな?」で、原稿を用意し始めたのですが、トーンをだいぶ変えました。Issieさんも、残念がっておられますし、ね。

平は、私が調べた限りでは「平藩」(ということは、地名としては、それより相当以前に遡ることができるはずですが)、あるいは勿来の関など、いろいろありましたけれど、ご興味を持たれた方は、ご自身でお調べくださいませ。なにせ、平藩だけでも、たいへんだったので、私は途中で、やめてしまいました。内郷市も、常磐炭田の中心地だった、等いろいろ見つかりますよ。

本当は、いわき市の話題が出た直後に書き込もうと思って、急遽、調査スピードを上げて(もうひとつ用意していたものよりもこちらを優先して)、職場から自宅に送っておいた原稿なのですが、私事「不」都合により、本日の書き込みとなりました。しかし、「いわき市」だけで、一つのアーカイブができそうなくらい、皆さん、たくさん言及されているのですねぇ。

ネット検索を、最初は平市で行っていたのですが、赤「平市」と小「平市」にやたらと多く引っかかったため、磐城市、常磐市、内郷市、勿来市での検索に切り替えました。

最後になりましたが、Issieさん。貴兄のHPで、地理>市一覧表>福島県の「いわき市」合併前の市町村のうち、久之浜が「村」になってますよぉ。あれ?蜜蜂さんがおっしゃられたように5市4町5村の合併だったのですが、kenさんも久之浜村と記述されてますね?少なくとも、合併直前は「町」だったはずですが。資料を職場に置いてきてしまったため、今、手元では確認できないのですけれども。合併直前の町制施行だったのかな?
[13549] 2003年 4月 20日(日)17:54:33【1】三丁目 さん
遅い話も含めて、纏めレスです。
[13388] 紅葉橋瑤知朗さん
どうして(岩見沢市には)こんなに人口がいるんだろう、とわたしも思います。(中略)
物流の、というか、鉄道の町ではありました。
どうして、なんておっしゃらないでください。私が旭川出身の友人に、どうして旭川市に36万もの人口がいるのだろう、と聞いたら、理由なんているのか?と逆に聞かれました。札幌市に180万もの人が住んでいるのは、そこに住んでいる人を相手にする、第三次産業が集積し、その好循環だからじゃないか、という話になりました。旭川市も同様であり、岩見沢市も然り、なのではないでしょうか。少なくとも、現在の姿は、というカッコ付きですけど。人口が減少傾向ではないのは、札幌通勤圏に入っているからかな、と思っていました。まあ、どちらかというと通勤圏といえば、北広島市、恵庭市、千歳市方面に、その傾向が強いのではと、見聞の限りでは思っていましたけどね。
鉄道の町、というご説明は、ナルホドと思いました。ありがとうございました。

[13542]月の輪熊(地域研究家)さん
ご復帰おめでとうございます。私が印象に残っていたのは、数少ない北海道の都市をあげていらっしゃったからなのですが、ボチボチといきましょうね。よろしくお願いいたします。

そうそう。地理学で皆様方から書き込みが続いて、金曜日の午前中にフムフムと思いつつも、職場だし後でゆっくり読もうと思っていたので、今、改めて拝見しました。たいへん興味深いお話でした。ありがとうございました。
[13535] 2003年 4月 20日(日)14:45:11【1】三丁目 さん
私の無念
やっと書き込めるようになりました。私事ではありますが、せっかく用意した原稿を書き込んで、楽しい週末を迎える予定だったのですが、パソコントラブルのため(ちょうど13300番代事件?の頃と重なりましたが)、憂鬱な週末となってしまいました。拙稿[13426]の書き込み自体、モデム不調により、なかなかダイヤルアップ接続できず(雑魚さんと同じ通信環境なのでは?)やっとつながって書き込めたと思ったら、タイミングがずれた間抜けな書き込みになってしまい。。。書き込みを訂正しようと思ったら、キーボードが突然作動せず(涙)。[13338]と、かなり内容が重なっていますが、放っておいてよろしいでしょうかねぇ。

日本から撤退した、アメリカの会社のパソコンを使っていたのですが、撤退前の迅速な修理体制を心強く思っていましたが、撤退してからは・・・。諸般の事情が重なったことと、修理費用と期間を考えると、急遽、新しいパソコンを購入することにしました。本来は、お買い物って楽しいはずなのですが、どうしても涙、です。以前のパソコンに比べれば性能はあがったし、ちょっと古めのものを買えたから、価格的にはそれなりに抑えられたのですけれどね。あ。。。決して外国産のパソコンは良くない、と申しているつもりではありませんから、誤解なさらないでくださいね。

でも、これから気を取り直して、せっかく調べたものもあるので、書き込みま~す(って現金なワタクシ)。
[13426] 2003年 4月 18日(金)20:52:38三丁目 さん
Re:神戸 メモリーズ・アンド・メロディーズ
[13184][13185][13186]YSKさん
とても、楽しみにしております。実は、どこまで細かくレスしようか、迷いましたが、大学生活を神戸で過ごし、実際に地震後にかの地でお手伝いした者としての体験も交えて、簡単に。(と言いつつも、高速神戸、新開地、長田方面はあまりわからないのですけれども)

神戸市内では、西区、中央区、灘区、東灘区が私の行動範囲でした。神戸市営バスの2系統沿いに、三宮~六甲もよく歩いたものです。また、三宮~元町界隈もよくウロウロしていました。地震のニュースを朝7時のNHKで見たときには、神戸で地震がありました。フ~ン、大変そうだなぁ、と第一報では思ったものです。

ところが、時間が経つにつれ、伝わってくる情報がどんどん深刻になってくるのです。始業時刻を過ぎ、午前10時くらいには、深刻さが判明しました。それからは、いてもたってもいられませんでした。職場には1週間くらい休んでボランティアに行かせてくれぇ、と言ったのですが、ダメと言われました。

地震発生後10日め(1月26日)にして、現地(この言葉を不快に思わないでくださいね、ニジェガロージェッツさん)に、職場から行かせてもらえました。行けることになったから後輩に何がほしいか聞くと、「乾電池がほしい」と言うので、アルカリ電池を1万円分くらい買って行きました。重かったのですが、お手伝い作業が終わった後に、暗い中を自転車で走って行くと、街の明かりはあまりないし、周囲は倒れかけた建物も多く、崩れてくるのではないかと思うと、正直なところ怖かったです。

話が前後しますが、初日は大阪に集合だったのですが、大阪に着くと何も変わらない日常風景だったので、あのテレビの報道は何?と思ったものです。ところが、たしか大阪から甲子園口まではJRが運転していたと思いますが、武庫川を渡ると景色が、あまりに違うのに轟然としました。親しんでいた甲子園口の商店街も、半分くらいは建物が倒れていたでしょうか。

私が作業したのは、灘区の篠原公園でのお仕事だったと思いましたが、短い間でしたが、お手伝いできました。しかし、上空にはヘリコプターが、バラバラと音を立てたくさん飛んでおり、不謹慎ですが、その音はベトナム戦争を扱った映画のように、私には感じられました。

私が神戸を離れたのは、たしか日曜日だったと思いますが、倒れた建物を見に来たのか、結構、見物客がいました。後日、大阪在住の友人に聞くと「こういうことがあるっちゅうことを、肝に命じるために見に行ったんや」と言うておりましたが、私には、単なるケンブツキャクにしか、思えませんでした。

YSKさんからは、私がポランティアで神戸に行った、と、現時点では消失している13300番台でレス頂いてましたが、実はボランティアとはちょっと違うので~す((((((^_^;)。あえて「お手伝い」と書きましけれど、ボカしている点については、悪く思わないでくださいね(^O^)。これ以上、細かくコメントすると、私の正体にかかわる話になりかねないので、このお話は、このへんで。

私が通った学校も、わかるような書き方にしてしまうか、迷ったのですが、一応、ウヤムヤにできてますよね?消失している13300番台で、白桃さんも、ご卒業された学校と思われる学校名(一期校でしたっけ?、共通一次世代にはわからないのですぅ、スミマセン)を出されていたので、私も思い切って、とは思いましたが、私のことを知っている人が経歴を照らし合わせて読むと、何者なのかバレバレなので、一応、伏せたつもりです。

ところでこれは、職場に残っている原稿に、加筆修正しました。13300番台が復活するようであれば、そちらの方を削除して頂けますか?一晩寝た後で考えると、新しいコメントも沸いてきましたので、ワガママなお願いで申し訳ありません。
この質問は、ご多忙を極めてらっしゃるオーナーグリグリさんにすることになってしまうような気がするのですけれど、13300番台が復活できるようであれば、職場に残っていた原稿(釧路、補遺編だけですが)の、再書き込みはしませんが、どうしたものでしょうか?
[13341] 2003年 4月 17日(木)19:46:30【1】三丁目 さん
理数系さん、いらっしゃぇあい!と、他の話も纏めるのが悪い癖です。
[13337]KMKZさん
大学は理学部でした。(中略)この掲示板に出没しているのは何でだろう~~♪(^^)
やはりそうでしたか。私が覚えているだけでも、YSKさん(理学部)、uttさん(化学系ですから工学部?)といらっしゃって、あんどれさんの反応も、数学がお好きなのだろう、と思っていました。
ジツはわたくし、北海道方面地理アドバイザーを抱えておりまして、拙稿に何度となく登場する釧路在住友人が、その人なのであります。友人の専門は電気(工学部)なのですが、北海道大スキ人間なものですから、話題をふると、ああだこうだ、メールで返事してくれるのです。私もたいへん助けられており、この場をお借りして、友人に謝辞申し上げる次第です。ワタクシ一人の力では、とてもあないにコアなお話は、ご披露できまへん(笑)。
とは言いつつも、もちろん、自分自身でも調べておりまするのですよ(一応、謙遜?)。
KMKZさんがおっしゃって下さった、アーカイブには未登録の、中国地方の由来(異説)も、友人の文章の代理書き込みなのです。。。と言いながら、次なる書き込みも、検討中なのでしたけれど、、フッフッフッフッ(笑)フゥオッフゥオッフゥオッフゥオッ(あ、これはバルタン星人です)。

この落書き帳を知ってから、地理学とはいかなる学部で扱っているのだろう、と思い、大学入試案内を調べました。と言うのも、物理学系的な理学部地理学科なのか、歴史系と同様な文学部地理学科なのか、どっちなのだろう、と思ったからです。。。どうやら、どっちもありなのですね?好きだから、文理関係なく、楽しくお互いに書き込めているのね、と思いました。友人によると、日本で一番ホニャララなのは?のような数字が好きなのであれば、数的感覚を持っている皆さんじゃないの、とのことでしたが。

[13339]だんな さん
百万石ストアは数年前に倒産してしまいました。地場スーパーは(中略)苦戦気味のようです。
さふでありましたか。さびしくおもひまする。ぜふほふ(でいいのかな?)ありがとふござひます。

本日は6時前に目がさめてしまい、早起きは三文の得とばかりに職場へ早く行ってしまったため、既に、すこぶる眠いのです。かやふな時間ではありますが、お酒も十分飲んでおり、いささか?ハテナでありまする。一応、青少年に配慮するとすれば、このような私でも、中学卒業時では、仲間と飲んだ蛎鍋パーティで、ビールがあまりに苦く、とても飲めませんでした。お酒の「味」をわかるようになってから、飲まれた方が楽しいのではないか、と若年時には飲めなかったワタクシが思う次第です。
[13338] 2003年 4月 17日(木)17:26:51三丁目 さん
Re:神戸 メモリーズ・アンド・メロディーズ(震災後、のお手伝い体験も踏まえて)
[13184][13185][13186]YSKさん
神戸に行かれたということで、ご執筆を楽しみにしておりました。とともに、かつ、拝見しております。実は、どこまで細かくレスしたものか、躊躇しましたけれども、大学生活を神戸で過ごし、実際に地震後に、かの地でお手伝いした者としての体験も交えて、簡単に。(と言いつつも、高速神戸、新開地、長田方面はあまりわからないのですけれどね。)

私が通った関西の大学というのは、神戸市内にありますが、自分自身の主な行動範囲は西区、中央区、灘区、東灘区でした。また、三宮~元町界隈もよく歩いてウロウロしたものです。地震のニュースを朝7時のNHKで見たときには、神戸で地震がありました。。。フ~ン、大変そうだなぁ、と思ったものです。

ところが、時間が経つにつれ、伝わってくる情報がどんどん深刻になってくるではないですか。職場の始業時刻を過ぎ、午前10時くらいには、深刻さが判明してきました。それからは、いてもたってもいられませんでした。職場には1週間くらい休んでボランティアに行かせてくれぇ、と言ったのですが、ダメと言われました。

地震発生後10日め(1月26日)に、現地(この言葉を不快に思わないでくださいね、ニジェガロージェッツさん)に、職場から行かせてもらえました。行けることになったから、後輩に何がほしいか聞くと「乾電池がほしい」と言うので、アルカリ電池を1万円分くらい買って行きました。重かったのですが、お手伝い作業が終わった後で、暗い中を折りたたみの自転車をこいで持って行くと、街の明かりは少ないし、周囲は倒れかけた建物も多く、崩れてくるのではないかと思うと、正直に言うと怖かったです。

話は前後しますが、初日は大阪に集合だったものですから、すわ、新幹線で!とばかりに新大阪駅に着いたら、何も変わらない日常風景が目の前にありました。あれ?あのテレビの報道はナニ?と思ったものです。ところが、たしか在来線は、大阪から甲子園口まではJRが運転していたと思いますが、大阪から武庫川を渡ると景色が、あまりに違うのに轟然としました。親しんでいた甲子園口の商店街も、半分くらいは建物が倒れていたでしょうか。

私がお手伝いできたのは、神戸市灘区の篠原公園だったと思いましたが、短い間でしたけれども、その場の雰囲気は、肌で感じたつもりです。あのときは、上空にヘリコプターが、バラバラと音を立ててたくさん飛んでおり(TV中継のためだったのでしょうか?今から思うと)、不謹慎かもしれませんが、その音はベトナム戦争を扱った映画のように、私には感じられました。当時は、手探り状況の中で、毎日毎日議論して良い方法を考えながら、被災された方々にとって最も良い方法は何だろう、としていたのです。だって、三文判すら、持っておられないわけですから。

とりとめもなく、思うがままにここまで書いて、どのように終わらせるか考えていたのですが、うまくまとめられないものですから、唐突ですがこれで終わりにします。あまり詳細に書き込みすぎると、自己紹介みたいになる、と思ったものですから(汗)。
[13336] 2003年 4月 17日(木)16:43:15【2】三丁目 さん
SEICO MART
[13331]雑魚さん
当地ゆかりらしい 「セイコー・マート」、北海道ではダントツの業界最大手なのだとか。(驚)
北海道地場のコンビニだと思っていました。ヘェ、茨城発なのですかぁ。意外でした。道内ではあれだけ目にするオレンジの看板。私は、日本最大手のコンビニよりは、品揃えが好きで、愛用していましたよ。気のせいか、若干、安めだったように感じてましたし。
コンビニではありませんが、スーパーのカスミ(という名称だったかな?)はニュースで記憶にあり、仕事で龍ヶ崎市へ行ったときは、オォあるある、と思ったものです。そういえば、金沢の百万石ストアは、元気にしてるかなぁ。よく、親に買い物に行かされたものです。
[13312] 2003年 4月 16日(水)22:39:19【4】三丁目 さん
釧路、補遺編
[4848]夜鳴き寿司屋さん
釧路市と釧路町のケースですが(中略)当時の釧路郡釧路町が北海道区制が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離して、それが現在の「釧路市」と「釧路町」になったそうです。

[4867]ゆうさん
市街化していない地域を「区」から切り離すための分離だったという内容の文献を、(中略)読んだ記憶があります。

しばらく釧路方面の話を、拙稿[12542][12717]にて続けましたが、補遺編ということで。たぶん、これで終わりになると思いますけど。釧路史を調べていく中で、いろいろと、私が興味深いと感じ、ご紹介したくなったものですから。

北海道では、1879年に札幌と函館に区制が施行され、それぞれ札幌区、函館区になりました。その後、1899年に小樽区、1914年に旭川区、1918年に室蘭区、1920年7月1日に釧路区が誕生しています。釧路での区制施行は、先述の6区が1922年に市制施行した中では、最も遅かったのです。第1回の国勢調査が1920年(10月1日現在)に実施されていますから、いかにも、駈込んで区制を施行したのだなぁ、という印象を、私は持ちました。

区になるためには、ゆうさんもふれられていますが、人口が集中する市街地の割合が大きいことが条件であり、釧路は当時から面積が大きかったために、要件を満たしていなかったそうです。それでも、なんとか「区」になりたかった旧釧路町(現釧路市)は、人口が少なく面積が広い地域を分離することで、市街地の比率を増し、釧路区の実現を果たそうとしたのでした。

旧釧路町としては、釧路川より東の山間部の別保地区だけを分村しようとしたものの、住民は、当時は湿原だった雪裡太(せちりぶと)地区も含めることを要求し、旧町側もいろいろと検討した結果、2地区を分村したとありました。現在の姿は、釧路市愛国地区と隣接する雪裡太地区が、住宅、商業地域として発展したために、現釧路町が2万を超える人口を有する町となったのも、雪裡太地区があるおかげと言えましょう。

釧路市としては、この雪裡太地区を譲り渡したことが、後になって悔やまれることとなり、現釧路町ともどもお互いに、いろいろな思いをもつところ、となったそうです。釧路史によると、分村が、旧釧路町役場と北海道庁との間で非公式に進められた秘策だったため、表に出るや地区住民が猛反発して大問題となり、道庁が仲裁に入って解決に至った、そうです。

ところで、夜鳴き寿司屋さん、ゆうさんがふれられているとおり、分離「された」地区は旧釧路村となり、現在の釧路町になったわけですが、釧路町の公式HPには、
「1920年(大正9年)
 釧路町(現釧路市)に区制が施行されるため、11万円の年賦助成金を受けて釧路村が分村独立する。」
と載っていますから、これまた正直なHPだなぁ、としみじみ思いました。「ゼニをもろたから、しゃあないけど分かれたってん」と言うてるように、私には見えてしまいました。調べて書き込むときは公式HPを必ず見ているのですが、南陽市のHPではありませんけれど、ときどきこのような記述があるから、調べるかいもあるというものです。

なお、分離された釧路村は、1955年に、沿岸部の昆布森村と合併して新・釧路村となり、1980年には町制が施行され、現在の釧路町になりました。

このような経緯があったため、釧路町は、今まで何度となく釧路市との合併話があっても、拒み続けてきたようです。でも、こうした歴史にこだわる町民も少なくなったことから、合併に応じたらどうか、との意見もあるそうです。とはいえ、釧釧合併(釧路市・釧路町合併協議会)が、より広域の釧路地域6市町村合併協議会(釧路市、釧路町、阿寒町、鶴居村、白糠町、音別村)になってしまいましたから、どうなることでしょうね。

そう言えば、昨日の釧路在住友人からのメールでは「本日の視界300m。朝の全道の天気をみると、札幌、旭川は快晴で、室蘭は霧でした。苫小牧も室蘭も、この時期はキリが多かったっけかね。」とありました。私が苫小牧に赴任したときに、「三丁目えぇ、苫小牧ってのはなぁ。春、霧、秋、冬と、夏はないんだぁ。」と言われたのを思い出しました。そういえば、夏に晴れてて良い天気だなぁ、と思っていると、昼過ぎにみるみる霧が出てくることが、結構ありました。

4月に霧が発生しやすかったかどうか、記憶が定かではありませんが、黒潮と親潮がぶつかる潮境だから、霧が発生しやすい、と誰かに教わりました。潮境だから魚が豊富で、三陸海岸から北海道太平洋岸にかけては、漁業が盛んなのだと聞きました。これは耳学問ですので、申し訳ありませんが、文献での確認はしていません。少なくとも、体験的に知っているのは、北海道の太平洋側では、よく霧が発生するということです。三陸海岸から北側全般の太平洋沿岸では、霧が発生しやすいのですか?あまり、東北地方の気候がよくわからないものですから。夏に「やませ」が吹くと、農作物に被害が出るとは聞きましたが。

[12876]uttさん
根釧台地の範囲に厳密な定義はあるのでしょうか??
[12891]拙稿
スイマセン、自分では確認しておりません。
友人からの情報だったので、出典を聞いてしまいました。以下は、友人が記述してくれた文章の、引用です。

台地の定義を、平野でも山地でもない中間で、海抜数十メートルの比較的平坦な地域、とするならば、根釧台地の西端は、釧路湿原に面する別保、細岡、茅沼、多和平までになるでしょう。湿原から見ると、崖状に高く、高い部分も平に見えます。

それじゃ、釧路市東部の丘陵地も含まれるか、となると、それは違うと思われる記述が、釧路史の資料にありました。
釧路東部丘陵は、米町から緑ヶ岡までの丘と、桜ヶ岡から武佐までの丘と、桂恋から高山、別保に続く丘陵との3段階に高くなっており、前の2丘は地質的に新しく、かつては海岸や海底だった履歴があるとのこと。
つまり地質的に、根釧台地から一連なのは、桂恋、高山、別保までのようです。
[13310] 2003年 4月 16日(水)22:16:37【3】三丁目 さん
血液センターにかかる話メインで、遅いレス
[13153]三鈴さん
福島県や長野県が3センター体制なのに、新潟県は、あれだけの面積・南北距離・人口がありながら1センターのみ!!
福島県が3センター体制なのは、浜通り地方、中通り地方、会津地方に分けたのでしょうね。私は福島県を、主に南北の移動しかしたことがないものですから推測なのですが、東西の交通は、南北移動に比べると、山越えが不便なのではないでしょうか。長野県が3センター体制なのも、山間部ごとの拠点地区に設けられたものと思いました。冬の交通事情なのでしょうね。ただ、新潟県は、私もナゾです。日本赤十字社に聞いてみましょうか?(*^-^*)(半分、本気)。もしかしたら[13174]で白桃さんがおっしゃっているように、地域の医療機関との関係があるのかもしれませんね。最後になりましたが、三鈴さん、お気遣いありがとうございました。

実はワタクシ、全国で献血をしている献血功労者?なのです。最近でこそあまりしていませんが、10歳台、20歳台までは、年間の制限回数(200mlで6回、400mlだったら3回)までガンガンしたものです。ということで、若い皆さんも(16歳以上)、時間に余裕があって、体力がそこそこであれば、献血してくださいね。分析結果を送ってくれるから、定期的な健康診断にもなりますし。

[13181]黒髪さん
>愛知県(瀬戸市)、・・・福岡県(筑紫野市)、・・・
なぜに政令指定都市を差し置いてのブロック基幹血液センター(・・?)
私もナゾでした。政令指定都市から離れていた方が、渋滞に巻き込まれなくて、車の便が良いからでしょうか???

[13161]KMKZさん
>KMKZさんて一体???
KMKZの正体ですか?それは、
URLにodayujiとあった時点で、気づいてしまい(笑)見ませんでした。スイマセン(*^-^*)いったい何をご専門とされたのかな?という興味なのでした。YSKさんやuttさんのように理数系でいらっしゃるのかいな、と思ったものですから。

なお、拙稿[11362]で四全総のことにチラッとふれましたが、五全総「第五次全国総合開発計画」も1998年3月に閣議決定されておりました。職場での回覧物で気づきました。ただし「五全総、今や破綻、総点検を」というトーンで記事が出ていましたけれど。

19時、20時台の接続でダメだったから、これでダメだったら今日は諦めようと思っていたので、用意しておいた原稿を書き込めて良かったです。もともと亀レス系なものですから。昨日は、歓送迎会があり、夜遅かったため、パソコンにはとても向かえませんでした。
[13146] 2003年 4月 14日(月)19:36:19【1】三丁目 さん
さまざまな地域
本日(4月14日)の読売新聞朝刊「編集手帳」から、ほんの一部を、かなり端折って、ご紹介します。
「だいぶんけん」。大分県の平松守彦知事は24年前(中略)負けてなるものかと思ったという。企業誘致の担当者が有力企業の幹部から県の名をそう呼ばれたと聞いたからだ。(中略)そこで提唱したのが「一村一品運動」だった。運動は全国各地に波及し(中略)「おおいたけん」はいつしか、アジアで最も知られる県の一つになった。

平松知事は最近「地域力」という言葉をよく使う。「豊かな自然や文化を持つ地方が潜在力を発揮し、「東京力」「都会力」に対抗していかなければ日本はよくならない」と。

[13016]YSKさん
私は地域が好きです。(中略)なるべく、まっさらな気持ちで、客観的に書くことに努めています。その工夫の一つに、「格差」という言葉を極力使わず、「較差」という言葉を使うことを徹底するということを行っております。

私も地域が好きです。私が顕著に地域の彩りを感じるのは、その土地の人同士が話す言葉からです。例えば、高知で献血したときに、血液センターの方が地元の皆さんと話されているのを聞いて、幕末の土佐の志士は、こういう感じで話していたのかなぁ、と思いました。テレビの影響が大きいために、各地の独自色が薄まってきているのは確かですが、地元の方同士の会話は、やはり気の置けない同士?なのか、旅行者に接する言葉とは違うのでは、と思っています。

もう一つ街のカラーの差を感じるとすれば、広告看板でしょうか。全国区である企業の看板が多いのはたしかですが、その中に地元企業と思われるものを見つけると、おっ、と思います。だんだん街の顔の見分けが、つかなくなってきてはいますが、興味を持って見ていると、おもしろいですよね。

以前、いろいろな分類の仕方で日本を分け、管轄とか、広島VS岡山など、の話題がありましたが、ナマモノを扱う、血液センターの所在地をご紹介しようと思います。技術が進んだから、以前ほど遠方地域への輸送は困難ではなくなりましたが、それでも中国・四国地方での基幹センターは岡山にあるなど、面白い視点かな、と思ったものですから。

改行で区切ったところが、それぞれのブロックが分かれるところです。また、その行で最初に書いた血液センター名が、そのブロックの基幹血液センターになります。カッコ内は、所在市区町名です。地理的、時間的な考慮をされた配置だろうか、と考えると、私には興味深かったです。

北海道(札幌市)、北海道旭川(旭川市)、北海道釧路(釧路市)、北海道室蘭(室蘭市)、北海道函館(函館市)

宮城県(仙台市)、青森県(青森市)、青森県八戸(八戸市)、岩手県(盛岡市)、秋田県(秋田市)、山形県(山形市)、福島県(福島市)、福島県会津(会津若松市)、福島県いわき(いわき市)

東京都(渋谷区)、茨城県(水戸市)、栃木県(宇都宮市)、群馬県(前橋市)、埼玉県(日高市)、埼玉県伊那(北足立郡伊奈町)、埼玉県熊谷(熊谷市)、千葉県(船橋市)、千葉県千葉港(千葉市)、東京都東(葛飾区)、東京都西(立川市)、東京都北(豊島区)、東京都武蔵野(武蔵野市)、神奈川県(横浜市)、神奈川県川崎(川崎市)、神奈川県湘南(厚木市)、新潟県(新潟市)、山梨県(甲府市)

愛知県(瀬戸市)、富山県(富山市)、石川県(金沢市)、福井県(福井市)、長野県(長野市)、長野県松本(松本市)、長野県諏訪(諏訪市)、岐阜県(岐阜市)、静岡県(静岡市)、静岡県沼津(沼津市)、静岡県浜松(浜松市)、愛知県豊橋(豊橋市)

大阪府(大阪市)、三重県(津市)、滋賀県(草津市)、京都府(京都市)、京都府福知山(福知山市)、大阪府北大阪(茨木市)、大阪府南大阪(貝塚市)、兵庫県(神戸市)、兵庫県姫路(姫路市)、奈良県(大和郡山市)、和歌山県(和歌山市)、和歌山県田辺(田辺市)

岡山県(岡山市)、鳥取県(鳥取市)、島根県(松江市)、広島県(広島市)、山口県(山口市)、徳島県(徳島市)、香川県(高松市)、愛媛県(松山市)、高知県(高知市)

福岡県(筑紫野市)、福岡県天神(福岡市)、福岡県北九州(北九州市)、佐賀県(佐賀市)、長崎県(長崎市)、長崎県佐世保(佐世保市)、熊本県(熊本市)、大分県(大分市)、宮崎県(宮崎市)、鹿児島県(鹿児島市)、沖縄県(那覇市)

最新の情報を念のために確認したら、面白くなくなってしまいました。私が持っていた10年前の資料では、都道府県名を血液センター名の前につけていないところが、結構ありました。

旭川、釧路、室蘭、函館、熊谷、葛飾(現在は東京都東)、大田(現在は、ないようです)、八王子(現在は、立川市に移転して東京都西?)、川崎、湘南、諏訪、浜松、豊橋、姫路、佐世保です。これらの都市名(湘南を除きますが)は、地理に詳しくない人でもわかるから、付けないのかな?と思ったものですから。例えば同じ長野県内にあっても、松本が長野県松本なのに対して、諏訪にはついていなかったので、ご紹介したくなったのですけれどね。
[13145] 2003年 4月 14日(月)19:27:27【1】三丁目 さん
たけもとさんへのお礼、とKMKZさんて?
[13093]たけもとさん
ここで話題になってる京葉線が…。
常磐新線にはJR東日本は出資していません。
ありがとうございました。京葉線は、貨物線の利用線だと思いこんでおりました。
また、常磐新線のお話もわかりました。

[13037]KMKZさん
素数などという、この掲示板らしからぬ用語が出てきたので悪乗りしちゃいます。
私は文系とはいえ、入試科目に数学があったから、複素数や数列(複利計算)くらいまでは付いていけますが、、、ご教示頂いたURLを見ました。いや、まったく知らなかった話でしたから、とても面白かったです。守備範囲がお広いのですね。KMKZさんて一体???あ、いえ、別にお返事を頂きたいわけではありませんので、、、感想です。

と用意しておいたら、[13137]あんどれさんまで。皆さん、数「字」大好き、数「学」大好き、なのですか?私も数学は、きらいじゃないですけど。
[13144] 2003年 4月 14日(月)19:16:54【2】三丁目 さん
大阪府西宮市上甲子園
[13135]uttさん
西宮も宝塚も芦屋も三田も、み~んな「大阪」と一緒にされているのでしょうか??
[13091]たけもとさん
[13072]uttさん
三田、は少なくとも知られていないでしょう。東京の人は東京の地名の「みた」を連想するでしょうね。三田市、と書くと別でしょうけれど、はたして兵庫県とわかるかどうか。宝塚は、ウ~ン、どうでしょうか?タカラヅカ歌劇は有名ですが、兵庫県と意識されているかどうか。それよりは、芦屋は、神戸市の隣ということもあり(その方が知られていないですかね)少しは大阪から遠いから、大阪とは違う、と思われていると思いますけど。関西の高級住宅地として知られていますし。

東京の高校を卒業した後、当時、親が住んでいた西宮市上甲子園に移りましたが、東京の友人から来た手紙の宛名。「大阪府西宮市上甲子園」でした。関西の地理を知らないと、甲子園=大阪というイメージがあるのだなぁ、としみじみ思ったものです。これは、たけもとさんがおっしゃっているとおりです。高校野球の中継の中でも、ほとんど「兵庫県西宮市にある甲子園球場」と聞かないと思います。それは阪神-巨人戦でも、同様です。

関西の人にとっては甲子園が西宮市にあるのは常識ですが、全国的には「甲子園」、は独立したイメージで捉えられますから、関西にあることはわかっていても、残念ながら、東日本では特に、誤解している人がいるようです。

ま、私も地域愛(住んだ中で愛着のある土地へ)を持っているつもりですが、このお話は簡単にして終わりたいと思います。きょうはどうも体調が悪く、お酒は飲まない日にするのですが、あらかじめ用意した原稿だけ書き込みます、淡々と。
[13084] 2003年 4月 13日(日)20:44:16三丁目 さん
「れ」歴史に名高い新田義貞by上毛カルタ
[13078]Issieさん
私は是非,皇国史観で「逆賊」とされた人々の名誉回復を,と思っているのです。あとは,蘇我入鹿かな…(中略)ショーケンの新田義貞を最後まで見たかったなぁ…。

あのときはショーケン倒れる、で、急遽代役が立てられたのでしたね?たしか。

私は、世界史を受験科目に選択した者なので、歴史の話はできるだけしないように努めているのですが。引きずり込まない下さいぃ(笑)。

史実に忠実かどうかは別として、黒岩重吾氏が、奈良ご出身ということもあって、奈良時代前後の話を小説で書かれていますね。私は大好きで、ほとんど読みましたけれど。蘇我入鹿も、黒岩氏が「落日の王子」だったかな?(以前、タイトルはメモしたのですが、今すぐには出てこないものですから)描かれています。ちなみに私は、氏の小説で「磐井の乱」を初めて知りました。どうやら、九州方面の人にとっては、知ってるのが常識らしいですね。

私がスカンジナビア諸国で、「ノルウェー、スウェーデン、デンマークの関係はどうなの?」と質問したら、逆に「日本は、アジア諸国との関係はどうなの?」と聞かれ、返答に窮したことがありました。それ以来、反省して、日本とアジア諸国との関係(情報)には、意識して注意するようになりました。自国のことを知らずして、他国の人に他国のことを聞く恥かしさ、を肌で知ったものですから。
[13074] 2003年 4月 13日(日)19:11:28【1】三丁目 さん
Re:肖像画
書き込みを訂正したら、目にとまってしまいました。
[13068]Issieさん
足利尊氏といえば,以前の教科書によく載っていた「足利尊氏の肖像画」は,どうも本人ではない,というのが最近は有力ですね。家来の高師直らしい,とか…。
私もその話は、どこかで耳にしました。「こうのもろなお」。大河ドラマのイメージがあるものですから、どうにも。

道鏡と孝謙(称徳)女帝との間に世間で言われるような「関係」はなかった,という視点で描いたものがありましたが。ま,それ以前にマイナーすぎてダメでしょうね
ワタクシ的には「メジャーな聖徳太子」を「日出処の天子」漫画by山岸涼子でドラマ化して欲しいと思っていましたけれど。ちなみに、Issieさんご教示のお話は、黒岩重吾が小説化しております。小説名は?、スイマセン失念しました。たぶん「ゆげのどうきょう」だったと思います。実はワタクシ、奈良時代以前のお話が大好きでありまして、奈良ダイ好きなのでした。

話を変えてしまいますが、たまたま12月7日に、以前スウェーデンに滞在しておりまして、パールハーバーをどう思う?と質問されたときは、時差を意識したものです。そうか、日本では12月8日だけれど、欧米では12月7日と覚えておられるのね、と。

ジョン・レノンが1980年に射殺されたのも、日本時間の12月8日でしたけれど。
[13064] 2003年 4月 13日(日)18:03:54【3】三丁目 さん
楠木正成
神戸の湊川公園に、楠木正成の銅像があり、湊川合戦のことを思うと、しみじみ思ったものです。それで、

[13042]special-weekさん
皇居の楠木正成と関連性を見出せないんですが
[13050]kenさんのように、参考資料をお知らせできなくて申し訳ありませんが、たぶん、ネットで「楠木正成とは」で検索するだけで、結構いろいろな情報を得られると思いますよ。少なくとも、昭和20年までは、楠木正成は忠君、足利尊氏は逆賊、と日本国民に教育されておりました。戦後、足利尊氏に対する評価は、大きく見直されたそうですが。

付け足すようで申し訳ありませんが、本日、投票に行ってまいりまして、投票所である小学校には、今、「話題」の二宮金次郎石像があって、おぉ、と思いました。私の得意?な歴史系ネタですいませんでした。

それにしても、[13051]kenさん、お詳しいのですねぇ。田中角栄像が建っていたのは私も覚えておりましたが、浦佐駅でしたか。。。像の話は、どちらかというとその個人、偉人?の話に関わる話になりそうかな?と私は思っていたものですから、控えていたのでありました。

追伸:[13066]ちりたまさんの引用が、拙稿[13064]本文と異なってしまったのは、優柔不断な私が拙稿を書き換えてしまったからであります。なんだか、ちりたまさんには、申し訳ありませぬ。
[13055] 2003年 4月 13日(日)17:01:25【3】三丁目 さん
Re:りんかい線~京葉線
[13007]雑魚さん
[13038]Issie さん
[13043]太白さん
[13047]白桃さん
昼休みに立ち読みして知った話としては、線路の構造的にはりんかい線と京葉線の直通運転は可能ですが、直通運転をすると、りんかい線がスルーパスされる恐れがあるために、りんかい線側が嫌がっているのだとか。京葉線とりんかい線が直通すると、JRの切符を買うだけで、新木場から大崎まで行けてしまいますからね(太白さんがふれられている通りです)。ただでさえ経営が苦しいのに。。。話は変わりますが、3月の半蔵門線と東武線の直通運転も、東武が悩んだとか、書いてありましたよ。ご参考までに。

分割民営化されてから、三島弱小のJR北海道でさえ、新千歳空港への乗り入れ新線をつくったのに、JR東日本は、自身での新線建設はありませんよね。常磐新線くらい、JR東日本自身の線となってほしかったという思いを私はもっていましたが、せいぜい東京モノレール的に、イオカードを使えるようにする程度なのでしょうかねぇ。JR東日本が、常磐新線に出資はしてましたよね?確か?
[12965] 2003年 4月 12日(土)18:06:39【4】三丁目 さん
Re:2のべき乗に興味を持つ理由
[12960]N-Hさん
早々にありがとうございます。いや。実は私もそうかな?と思ったのですが、数学を絡めた話にしよう、と思ったのです。でも、こちらでは(私も含めて)皆さんが個人情報をちりばめてお話されているから、構わなかったのでしょうかねぇ。N-Hさんご自身も
私の仕事はコンピュータのハードウェア設計なので
とおっしゃって、自らのお仕事を明かされていますし。私自身は、ナゾのサラリーマンとしか申し上げたことはありませんけれど。

ワタクシ、ネットの掲示板というものを、こちらしか知らないものですから、ルールがよくわからないのです。だから、どこまで書いてよいのやら、と思う気持ちがあり、できるだけ押さえ気味にして(お酒が入ってるときは暴走?)、地理系情報を心がけています。とは言いつつも、皆さんがハラハラ?成り行きを見られていたであろう「ぢょしこおせぇなのかどうか解明事件?」はリアルタイムでとても面白く拝見しておりました。男なのか女なのか、くらいは個人情報として、聞いて構わない話だろうと思っていましたし。ご自身が「バレンタインでクッキーを」とポロッ?と書かれていましたから。

以前、2チャンネルなどでは変な大人が隣国を馬鹿にしたような、という話があったので、一度だけ覗いてみたのですが、なんだかチャット(携帯のメール)のようで、ついていけないと感じましたから、それっきりです。こちらでは、マイペースで書き込ませて頂いているので、ホッとしておりました。

たまたま、拙稿を訂正しようと思ったらN-Hさんの書き込みを拝見し、とりあえずのレスです。しかし、インターネットとは油断ならず、なのですなぁ(笑)。こんなに早くレスを頂けているとは、思ってもおりませんでした。

念のため。全体としてはあくまでN-Hさんが解説して下さったことへのお礼のトーンのつもりですので、誤解なさらないで下さいね。量的には、私の感想のほうが多くなってしまいましたけれども。(この文章は、書きあげてから1時間くらい、書き込むかどうするか、迷ってしまいました。)

追伸:[12964]はやいち@大内裏さんへ
>貴方様は一体何者なのでございましょうか?
内緒(笑)。やんごとなき
同期のよしみで、私だけにこの掲示板で教えてくださいよぉ(笑)。ちなみに私は北の防人と申します(笑)。
[12958] 2003年 4月 12日(土)15:10:52【1】三丁目 さん
Re:サマータイムブルース(私の場合はエディ・コクラン)
There ain`t no cure for the summertime blues(歌詞カードを見ました)
[12938]太白さん
524288(私が暗記している中で最大です)を2で割ってください。それをまた2で
ありがとうございました。そういう興味の持ち方もあるのかと、感心してしまいました。2進法系ですかね。数学的には、どちらかというと、素数に向かうのかと思っていました。

それで、[12936]太白さんのサマータイム導入については、私は賛成です。雇用創出、社会負担の話については太白さんと同意見なものですから、自分自身の個人的傾向からだけのお話にします。というのも、私は朝型人間なのです。朝、鳥が鳴き、あたりが明るくなってくると、目がさめてしまいます。だから夏は苦手なのです。ということでかねてから「日本にもサマータイムの導入を」と、雑談では言ってました。外が明るいのに人間が活動しないなんて、もったいないじゃないですか。

古い話ですが、狩猟採集や農業の時代、太陽とともに生活していたことを考える?と、文明の利器でそれら自然を克服してきたとはいえ、どこかで太陽に合わせる生活をしてもいいのではないか、と朝型人間としては、痛切に思うのでした。
[12937] 2003年 4月 12日(土)05:54:00【2】三丁目 さん
メンバー紹介、鉄道、と数字が不明なのです
夜明け前なのに目がさめてしまいました。それで、落書帳を覗いたところ、書き込みが、またまたおおぜいなので、つれづれなるままに(昨晩は体調が悪かったため、珍しく酒を飲まなかったので、買い置きの発泡酒を飲みながら、眠気が来るまで)。

[12887]三鈴さん
(メンバー紹介を)読ませていただいて汗みずくになってしまった三鈴ですが、
三鈴さんて、丁寧な方なのですねぇ。私は、お返事系は、失礼ながらまとめてしまっています。いったんある程度網羅して、以前にお返事したためたつもりだったのですが、このように気が向いて思いついたときには、また、書き込んでしまいます。雑魚さんのメンバー紹介は、雑魚節?が発揮されるところですから、お気楽にいくことでいかがでしょうか?職場で笑っていた、だんなさんや私のように。でも、将来は幹部になってくださいね(笑)。私はあなたについていきます~。ちなみに、私が改名したのはYSKさんと最初の「Y」が同じだったので、同名回避したつもりだったのですが、三丁目と同じ「三」鈴さんが、いらっしゃったことを、失念しておりました。改名を思いついた時期は、三鈴さんご登場よりも早かったとはいえ、改名そのものは遅かったわけですから、うかつでした。半角に比べると全角の方がまだ見分けやすいかな?と思っていたものですから、今までこの話はふれなかったのですが、、、失礼いたしました。拙稿[12096]で冒頭「ふぃ」の音が似ている話をご説明いたしましたが、それに似た話になるのでしょうかねぇ。目と音の違いはありますけれども。

[12911]まがみさん
住宅・都市整備公団(中略)都市基盤整備公団に改組されたのは、1999年10月1日です。(中略)「会社」じゃないのか。何て言うんだろ?
ご参考までに。行政改革が進められる中で、都市基盤整備公団は、独立行政法人化される予定であります。私が聞く限りでの音は、独立行政法人ということで「ドッポー」ですから、北総ドッポー鉄道となるのではないでしょうか???

ちなみに、「乗り鉄」として鉄分が少しだけある私ですが、東京の地下鉄で~号線、という言い方が一般的ではなかったのは、都営新宿線だけなのだそうですね。それ以外は、当初は~号線と一般にも呼ばれていたと、先日、昼休みに立ち読みしていて初めて知りました。都営大江戸線のことを12号線と言われて、同僚にエッ?それは古くないですか?と言ってしまいましたが、私自身も、自分が3年間通学で使っていた東急「新玉川線」を田園都市線、と呼ぶのには、抵抗があるのでした。当時、新玉川線と田園都市線を併せ「デンタマ」線と、一部では言うと聞いていましたし。ま、そもそも「シンタマ」と呼んでいましたが。

[12929]ゆうさん
職業柄なのか、1000や10000よりも1024とか16384とかに惹かれる私です。
???ゴロ合わせですか?1192、いいくにつくろう鎌倉幕府、はわかるのですが、どのような意味があるのでしょうか?16384に至ってはお手上げです。私にはさっぱりわかりませぬ。
[12891] 2003年 4月 11日(金)20:10:38【4】三丁目 さん
視力検査、お礼、根釧
[12877]えっすさん、はじめ、視力で悩み始めた皆様方へ
私自身は、高校生になって初めて、授業用の眼鏡を買いましたが、20歳を過ぎてからいつもかけるようになりました。それで、即効性があるワザではありませんが、努力すれば少なくとも悪くなるのはおさえられるのでは、と実感した目の体操をご紹介します。

寝る直前に、目をつぶって右、左と10往復くらい、目玉を動かすのです。次に上、下に10往復くらい、最後は目玉をグルリとやはり10回くらい動かすと良い、と何かの本でだいぶ前に読みました。私はさらに工夫して斜めに動かす体操もするようにしましたが、悪くなり始めた頃にちゃんとやっとけばよかったかも、と後悔しました。まだ筋肉がやわらかい皆様方のことですから、動かすことで、目の良い運動になると思いますよ。

Issieさんへ
どうにも、礼儀に欠けているせいか、タイミングは間が抜けているのですが、拙稿[12833]で、IssieさんのHPにたどりついた旨を述べましたが、お礼をお伝えしなければ、と思っていたのに落としていました。最初は、楯岡をメインにした村山市の話だけにするつもりで、調べ始めたのですが、Issieさんがまとめられている市一覧表を見ているうちに、合体市制に目が止まり、山形県内で比較するのも面白いかも、と思いついたのです。ヒントを頂き、ありがとうございました。また、利用させて頂くことがあるかもしれません。メンテナンス大変だとは思いますが、今後もよろしくお願いいたします。。。で、そういう理由で、例によって長文を作成してしまったのでした。



話は変わりますが、ご紹介した村山市の地域別データのうち、楯岡地域の世帯数(戸)が誤っていたために、楯岡以外の計にも狂いが生じましたので、訂正しました。いえいえ、私が書き込みミスしたのではありませぬですのよ。村山市の公式HPに載せられていたデータが違っていたのです。地域別の数字を足し算すると、載せられている合計値を超えるから、確認しました。「ご指摘ありがとうございます」と言われました。マッタク。これが楯岡市だったら、こんなミスはなかったでしょうに。今からでも良いから楯岡市に改称しろ~~!

[12872]雑魚さん
メンバー紹介、どうもありがとうございました。どのように書いて頂けるのかと期待しておりましたところ、
道内のコアな情報を多々提供し
には、勤務中にコッソリ読んでいたにもかかわらず、クスクスと笑ってしまいました。自覚しておりませんでした(笑)。私が自分でニッチだのマイナーだのと言っているのに、ウマイ言葉を選ばれたものだ、と恐れ入りました。以後、ヒヒ道ならぬコア道に精進したいと思いました。

[12876]uttさん
根釧台地の範囲に厳密な定義はあるのでしょうか??
お久しぶりでしたね。。。それで範囲につきましてはスイマセン、自分では確認しておりません。釧路在住友人の言葉を信頼しておりました。最初、この話を釧路関係拙稿[12545]でふれなかったのは、出すかどうするか迷っていたからなのです。え?そうなの?という話だったものですから。でも、[12717]泥炭地編を書きこむに当たり、つい出来心でオマケをつけたくなってしまいました。

そう言えば、[10541]
リンの話は本来の専門なので、
とおっしゃっていたので、化学系でいらっしゃるのかなとは思っていましたから、炭化関係の話は釈迦に説法だったでしょうか。それにしても、復帰されたと思いきや、早い書き込みペース、恐れ入るばかりです。
[12833] 2003年 4月 10日(木)22:13:59【4】三丁目 さん
楯岡の無念
何かと言うと、山形新幹線が新庄まで延伸された1999年に、奥羽本線楯岡駅が、村山駅に改称されてしまったことなのです。父は山形県村山市楯岡の出身ですが、我家では村山とは聞いたことがありませんでした。昨年、久しぶりにお墓参りのため「楯岡」へ行きましたが、ついでに図書館に寄り、お話を伺ったら、駅名から楯岡がなくなったのは、楯岡界隈の人にとってはショックだったという話を聞きました。すなわち、楯岡の地名が、市名にもなっておらず、また駅名でもなくなってしまったということなのであります。

そもそも、村山市は1954年に楯岡町、西郷村、大倉村、大久保村、冨本村、戸沢村の1町5村が合併して、できました。山形県下では、合併により誕生した市はほかに、寒河江市、上山市、長井市、南陽市がありますが、従前の自治体名を引き継ぐ新市名にしなかったのは、村山市と南陽市です。南陽市については後述しますが、簡単な年表を見ただけでも、合併が一筋縄ではいかなかった経緯がよくわかりました。

もともと楯岡は、江戸時代から羽州街道の宿場町であり、1876年に置賜、山形、鶴岡の3県が合併し、現在の山形県になったときには第三大区区務所が置かれ、2年後には北村山郡役所(管轄は、現在の村山市、東根市、尾花沢市、大石田町)が設置されました。周辺の村々に先がけて、町政が施行されたのは1892年のことです。ちなみに、楯岡駅の開業は、奥羽本線の延伸が進む中(全線開通前)での、1901年のことです。

だから、合併時には、他の村に比べ経済の中心地であった「楯岡」を冠する、楯岡市も候補に上がったのですが、村山地方ということで「村山」を採用することになりました。決定の理由まで調べ上げることはできませんでしたが、合併して誕生した村山市に、1ヶ月後には袖崎村、さらにその1ヶ月後に大高根村が合併してますから、いろいろと複雑だったようだなと、思いました。

市のHPに掲載されていた地域別データをご紹介しますと、
地域世帯数(戸)人口農家数農家人口事業所数商店数
楯岡3,11910,3424061,838758221
西郷1,0234,2546112,83016435
大倉4741,8952441,1419524
大久保6032,5503611,69114440
冨本6582,4983771,74011728
戸沢9303,9446352,99619338
袖崎5262,0113401,42310930
大高根5432,3454121,98810426
楯岡以外の計4,75719,4972,98013,809926221
ただし、世帯数(戸)・人口は2001年4月1日現在、農家数・農家人口数は2000年2月1日現在、事業所数は1996年7月1日現在、商店数は1999年7月1日現在、と時点は、それぞれ異なります。

世帯数は、楯岡と楯岡以外の計が拮抗していますが、人口では大きな差が開いています。このことは、楯岡以外の地域は、一家族当たりの人数が多いことを示しています。逆に、楯岡は、いわゆる都市部に見られる小人数家族の傾向があります。先ほど「経済の中心地」と述べましたが、事業所数、商店数を見るとわかりやすいかと思います。周辺が農村的な集落なのに対し、楯岡には集積しています。

楯岡のお話の最後に付け加えると、楯岡駅が改称されたのは、JR東日本からの働きかけだったという話を耳にしました。真偽のほどはわかりませんが。

それで、南陽市は、データだけご紹介しますが、
[2644]黒髪さん
山形県南陽市
昭和42年4月1日 赤湯町・宮内町・和郷村が合併して誕生。
市名の由来
当時の県知事、故安孫子藤吉氏が命名。

[9998]般若堂そんぴんさん
南陽市,という言い方はしますが,南陽と単体で使うことは少ないように思います.むしろ,赤湯,宮内などと旧自治体名またはより小さい地域名を使うことの方が多いようです.

経緯と、2000年の国勢調査ベースでの地区別人口は以下のとおりです。
表は、時系列でタテに見て頂いて、左に寄せて記したのが、合併後の自治体名になります。例えば、宮内町、漆山村、金山村、吉野村が合併して、次の行の宮内町になった、などです。

宮内町漆山村金山村吉野村梨郷村沖郷村赤湯町中川村
宮内町和郷村赤湯町
赤湯町の一部が上山市へ分町
赤湯町に高畠町の一部から合併
南陽市
8,4752,9626581,0572,0057,07612,0701,888

ややこしいですよね。南陽市のHPにも「この「南陽」によって2町1村の良識が、年来の懸案を解決して三位一体、九十九鱗悉く宇宙時代の大活躍を示してもらいたい。と命名の意味を結んでいます。」と載せているくらいですから、正直だなぁ、というのが、私の感想です。

ただ、赤湯町にとっては、温泉があるためでしょうが、JRの駅名でその名が残っていますから、楯岡の場合とは異なりますね。

念のため、寒河江市、上山市、長井市の最近の地区別人口だけは調べてみましたが、それぞれ旧寒河江町、旧上ノ山町、旧長井町(ただし、旧長井村も合わせるとですが)、地区の人口は、市全体人口の少なくとも半分を占めています。それに対し、村山市、南陽市では、どこか1地区の人口が市の半数を占めていることはありません。

ほかに、楯岡のようなお話をご存知の方がいらっしゃれば、ご教示頂ければ興味があります。弟子屈駅が、町名由来から有名観光地由来になった逆の例を、[2178]で雑魚さんがふれられておりますが。

最後になりましたが、ネットで「楯岡町」で検索していたら、IssieさんのHPに当たりました。以前、拝見したときには全ページを見たわけではなかったので、最初は便利なサイトに当たったものだと喜んでいたのですが、ン?このデータ整理のマメさはIssieさんでは?とすぐに気づきました。
[12829] 2003年 4月 10日(木)21:56:18【4】三丁目 さん
纏めているレス
[12792]yamadaさん
拙稿[12757]で、高崎での休みについて北日本型の述べましたが、説明不足でした。
[12787]般若堂そんぴんさんが
夏は北日本型,冬は多勢型……どうも損をしたような気がしてなりません.
とおっしゃってますが、まさに同じパターンで、高崎では夏休みだけ短かったのです。でも
[12764]なきらさんの
小学校時代夏休みが7月21日頃~8月25日頃(終わりが早い)で、6月初めに5日くらいの農繁期の休み
の名残で、農繁休みだけがなくなって、夏休みは短いままだったのかも、と思いました。理由がわかっても、損してることには変わりないのですけどね。

[12781]雑魚さん
ローカル線の都市間連絡機能が低下している現況にあっても、やはり鉄道の存在は役所にとって意義があるのでしょうか。
私も、わかりかねますねえ。ただ、少なくとも出張で該当する支庁所在地と札幌とを往復する場合は、公共交通機関を使うのがルールですから、鉄道又はバスを使っていると思われますが。念のため時刻表を調べると、乗換不要な直行バスは、江差町、浦川町、留萌市、根室市ともあるようですね。出張時に乗換は嫌がるでしょうから、すでに鉄道は使われていないのですかね?

[12794]紅葉橋瑤知朗さん
ご指摘ありがとうございました。ところでいきなり話は変わりますが、私が興味を持っていた道内の諸都市の1つに、岩見沢市があります。私自身の岩見沢市の記憶は、選挙活動のお手伝いの一環で、市街地の一部と近郊の農村部?をまわった程度なのです。道内の、戦前から市制施行された市の1つで、人口は8万を超える。市のHPで岩見沢市のあらましを読みましたが、強引に例えると、物流の集散地として北見市に似たタイプの発展の仕方、が簡単な説明になるのでしょうか。

[12808]三鈴さん
別立てでの投稿を五月雨的にしている訳ですが、やはりそれよりも、まとめレスにした方が、
私の、「あくまで」私のスタンスですが、テキトーです。人それぞれで良いと思っていますけれど。同時期に自分色登録して頂いた同期生?としましては。

本日は、突然上司に飲みに行こう、と誘われまして、あらかじめ職場で用意しておいた原稿を書き込むものであります。ただひま、必死で?レスしておりまする。

酔った勢いで、訂正しましたが、まがみさん[12834]のお話を見て、原文をできるだけ再現するようにします。
私の、「あくまで」私のスタンスですが、テーマが独立するのかな?アーカイブに入るのかな?と思ったときは分けた書き込みを心がけていますが、これはそれほどでもないかな?と自分で思っているときの書き込みは、一緒くたんにしています。もともと私の1回あたりの書き込みが長いから、分けているという切実な問題もありますけれど。
[12762] 2003年 4月 9日(水)20:57:06三丁目 さん
支庁再編、に鉄道を絡めて
拙稿[12025]で、北海道の支庁再編が検討されていることをご紹介しましたが、鉄道の話も絡めて。

留萌本線、日高本線、江差線、根室本線には、北海道庁の出先機関である、支庁所在地が関わっています。支庁所在地の留萌市、浦河町、江差町、根室市への交通路として、存続を余儀なくされていると見られなくもないのです。JR北海道としては、経営に重荷になる線は廃止したいのでしょうけれど。

これで、支庁が再編され、案どおりの8支庁に集約されれば、鉄道はどうなるのでしょうね。地元が廃止に反対するときに、北海道庁の後ろ盾がないと、その運動も弱いものになってしまうような気がします。それで、

[11375]まがみさん
旭川駅付近の高架工事に伴い(中略)改装列車の輸送などに必要なため旭川~北旭川運転所の間を電化工事中のようです。ただ、電化されても旅客列車としての電車は走らないのでしょうね。

この話に関連させていいのかわかりませんが、小耳にはさんだお話を少々。
数年前に,上川支庁庁舎が市中心部から永山に移転しましたが、支庁職員からは、永山まで電化延長して、札幌行の特急電車を永山始発にしろ、という運動が起こったそうです。JRは難色を示しつつ将来に含みを残したのに対して、一般市民からは、役人のエゴだ、と非難を浴びたようです。ちょうど、先述の廃線の可能性とは、逆の動きだな、と思ったものです。

以前[443]で、鉄道なし市をケンさんがまとめられていましたが、廃線によって鉄道なしになるケースは、寂しいものがありますね。私の手元にある1978年文部省検定済地図帳には、ほとんどが記載されているものですから、見てみました。逆に、予定線が載っているくらいですから、今議論されている高速道路の比じゃないですが、シミジミ思いました。鉄道が記載されていない地図帳で見ると、わかりにくいかもしれませんが、ご参考までに、道内の廃止された路線一覧をオマケということで。よくここまで廃止したなあ、というより、作っていたものだと感心してしまいました。

白糠線:根室本線白糠(釧路支庁白糠町)~北進(同町)(1983年10月)
相生線:石北本線美幌(網走支庁美幌町)~北見相生(同支庁津別町)(1985年3月)
万字線:室蘭本線志文(空知支庁岩見沢市)~万字炭山(同支庁栗沢町)(1985年3月)
渚滑線:名寄本線渚滑(網走支庁紋別市)~北見滝ノ上(同支庁滝上町)(1985年3月)
岩内線:函館本線小沢(後志支庁共和町)~岩内(同支庁岩内町)(1985年6月)
興浜北線:天北線浜頓別(宗谷支庁浜頓別町)~北見枝幸(同支庁枝幸町)(1985年7月)
興浜南線:名寄本線興部(網走支庁興部町)~雄武(同支庁雄武町)(1985年7月)
美幸線:宗谷本線美深(上川支庁美深町)~仁宇布(同町)(1985年9月)
富内線:日高本線鵡川(胆振支庁鵡川町)~日高町(日高支庁日高町)(1986年10月)
胆振線:室蘭本線伊達紋別(胆振支庁伊達市)~函館本線倶知安(後志支庁倶知安町)(1986年10月)
広尾線:根室本線帯広(十勝支庁帯広市)~広尾(同支庁広尾町)(1987年2月)
瀬棚線:函館本線国縫(渡島支庁長万部町)~瀬棚(檜山支庁瀬棚町)(1987年3月)
湧網線:名寄本線中湧別(網走支庁上湧別町)~石北本線網走(同支庁網走市)(1987年3月)
士幌線:根室本線帯広(十勝支庁帯広市)~十勝三股(同支庁上士幌町)(1987年3月)
羽幌線:留萌本線留萌(留萌支庁留萌市)~宗谷本線幌延(同支庁幌延町)(1987年3月)
幌内線:函館本線岩見沢(空知支庁岩見沢市)~幌内(同支庁三笠市)(1987年7月)
松前線:江差線木古内(渡島支庁木古内町)~松前(同支庁松前町)(1988年1月)
歌志内線:函館本線砂川(空知支庁砂川市)~歌志内(同支庁歌志内市)(1988年4月)
標津線:釧網本線標茶(釧路支庁標茶町)~根室標津(根室支庁標津町)(1989年4月)
     中標津(根室支庁中標津町)~根室本線厚床(同支庁根室市)
名寄本線:石北本線遠軽(網走支庁遠軽町)~宗谷本線名寄(上川支庁名寄市)(1989年4月)
      中湧別(網走支庁上湧別町)~湧別(同支庁湧別町)
天北線:宗谷本線音威子府(上川支庁音威子府村)~宗谷本線南稚内(宗谷支庁稚内市)(1989年4月)
池北線:根室本線池田(十勝支庁池田町)~石北本線北見(網走支庁北見市)(1989年6月~第三セクター化)
函館本線上砂川支線:砂川(空知支庁砂川市)~上砂川(同支庁上砂川町)(1994年5月)
深名線:函館本線深川(空知支庁深川市)~宗谷本線名寄(上川支庁名寄市)(1995年9月)

なお、士幌線は、全線廃止される前、1978年に糠平~十勝三股間が一部廃止になっています。
また、札沼線はかつては名前のとおり札幌から石狩沼田まででしたが、1972年6月に新十津川(空知支庁新十津川町)~石狩沼田(同支庁沼田町)の区間が廃止されています。

たぶん、漏れはないと思いますが、テツな方のご指導をあおげれば、と。ちなみに私は「乗り鉄」であることに、数年前気づきました。といっても、乗りつぶし派ではなく、目的地へ行くのに、極力、各駅停車を使う、というだけのことなのですが。おかげで、何度も往復した青森~大宮間での乗り継ぎ駅である、八戸、盛岡、一関、仙台、福島、黒磯の駅名は、時刻表を見ずともスラスラ出るようになりました。場合によっては、北上、郡山での乗り換えもありましたが。乗り継ぎ時間の短い間に駅前をウロウロするのが好きなのです。ただし、大垣夜行から小倉まで各駅停車でズ~ッと乗り継いだときには、乗り鉄を自認する私も、さすがに疲れました。とともに、懲りました。でも、その帰りも、もちろん各駅停車でしたが。
[12757] 2003年 4月 9日(水)20:26:12三丁目 さん
レスばっかり
[12715]ゆうさんへ。お言葉に甘えて、拙稿[12713]に、参考までに原文も加えておきました。このたびはご迷惑をおかけしました。それで、[12723]なのですが、もし訂正時間に間に合うようであれば、せっかくの表ですから、余計なおせっかいで申し訳ありませんが、
道府県 市町村 町名
北海道  千歳市 長都駅前
と、いう感じでタイトルを入れて頂ければ、と思いました。

[12724]般若堂そんぴんさん
以前から三丁目さんの御両親が山形県出身であることを知りつつ,つい御挨拶が遅くなりました.
いえいえ、ご丁寧に、恐縮です。こちらこそよろしくお願いいたします。実は、拙稿[12722]にて東北地方の書き込みを考えている旨、申し上げましたが、考えてみたら、自分が興味を持つところしか調べる気がないのですよ。当たり前かあ。だから、あまり書けないような気がしてきました。実は、南陽市を絡めた話を調査中でしたので、書き込んだ際には、舌足らずなところ等にフォロー頂ければありがたいと思っておりました。

[12755]yamadaさん
全国的に休みの始まる日や学校の始まる日って同じなのですか?
これは、主に北日本の学校と、それ以外の学校にわかれるようですよ。すなわち、夏休みが短めで冬休みが長め、というのが北日本型(主に北海道、東北地方)で、それ以外は全国ニュースで流れる多勢型(夏休み:7月25日頃~8月31日、冬休み:12月25日頃~1月7日頃、春休み:3月20日頃~4月5日頃)です。ただ、高崎で私が通った小学校が、北日本型だったので、北日本でもないのに、と思ったものです。
[12722] 2003年 4月 8日(火)22:11:52【1】三丁目 さん
東北の話題も少ないのでは、と思っていました。
[12720]津軽衆さん
珍しく青森市の話題がでたもので
私の両親の出身地が山形県であることに鑑み、北海道に続き調査するお話は、東北地方にしたいと考えておりました。できますれば、青森方面のホッとな、お話しをご提供いただければ、ワタクシは、ありがたいと思っております。

ところで最近ようやく気づいたこと。雑魚さんは、マメにレスされているのですね。私には反応できかねることにも、丁寧にレスされているのだ、と思いました。まさに、ヒヒひろくなのですね?
[12717] 2003年 4月 8日(火)21:15:03三丁目 さん
でえたんち、釧路?、北海道限定の話題です。
[11974]uttさん
釧路川の北側は湿原の泥炭地帯が広がっていた

泥炭地だとよく聞いていたのは、石狩平野の一部や、サロベツ原野などだったので釧路?泥炭地?と思いました。確かに、釧路市には炭坑がありますけれども。それで、調べた結果をご紹介します。

現在の釧路市平地部と釧路町、標茶町、鶴居村にわたる釧路湿原の低地一帯は、内陸部の丘陵地に縄文期の貝塚遺跡が発見されていることから、数千年前までは海湾であったと推定されます。それが現在の海岸線付近に砂洲ができたことで汽水の潟湖となり、海面の低下により浅い湖沼となって、水草の沼沢地に変わっていったと考えられています。

北海道のような寒冷地では、こうした低層湿原の湖底には、枯草が腐敗せず泥として堆積することにより、泥炭層が形成されています。つまり、釧路の地質は、釧路川左岸の丘陵地は、数万年前から陸地だった岩盤または火山灰地であり、釧路川右岸は河口から大楽毛に至る海岸線は、1~2キロメートルの幅で砂丘地で、それにより内陸部は泥炭地(低湿地)ということになります。

オマケの情報。
今回調べていく中で、私は初めて知ったのですが、根釧台地は、根室支庁の別海町、中標津町を中心として、一部が釧路支庁の浜中町、厚岸町、標茶町にわたっている地域のことで、根室市域も釧路市域も入っていないのですね。おそらく旧国名で、根室国と釧路国にまたがる台地なので、そう命名されたのでしょうけど。

自分が知らないことを調べる、って面白いですね。久しぶりに、感じました。。。イエイエ、ワタクシが何もかも知っている、ということでは、ありませぬのですよ。逆に、こちらの掲示板では教えて頂くことばかりです。
[12713] 2003年 4月 8日(火)19:56:56【4】三丁目 さん
バリアフリーに取り組む基本的な考え方、と、ゆうさんへ
仕事で関係する者として、ご参考までにお話しさせてください。
今までの日本は、高度成長の中で量的な充足を求めて、経済成長をとげてきました。それは、道路の整備しかり、街づくりしかりです。しかし、ここ10年来、やっと、他のことに目を向ける余裕が、でてきました。それは、今までのつくり方は、健康な人向けであったと。

健康であろうが、そうでなかろうが、誰でも自由に、自分がしたいときに、他の人の手を借りずとも行きたいところへ行ける、そんな社会が必要なのではないか、と。他の先進諸国に比べ、日本はそういう点での整備が遅れている、と気づきました。それで、遅ればせながら、遅々と進められているところです。願わくば、そういう点で、日本が先進国になりたいものです。だって「ヒト」の社会って、さのやふにつくられてきたのでは、ありませぬか?

この話を書き込むかどうするか、迷いましたが、職場の人と話をし、簡単にお話することにしました。議論するつもりではないことを、ご承知おきください。こちらのけひじばんの、趣旨からはずれると思ふものですから。また、ワタクシはコホムヒンでもありませんので、いちおふ。

それで、これだけだと気恥かしいものですから、付けたしのやふでゆうさんには申し訳なひのですが、、、
[12660]ゆうさん
>高田馬場は同じ鉄腕アトムの主題歌、旋律をうまくアレンジして差を作ったものだ
音の高さが違うだけ、アレンジ(?)は同じです。
えっ?さふなんですか?音楽的教育を25歳でヤマハフルート教室で初めて受けた者としては、気づきませんでした、絶対音感は持っていると、自信があったのですけれど。
本稿は、酔はないやふに、できるだけ気をつけてはおりますが、旧仮名遣い誤用と併せ、ひらにご容赦下さりませ。

書込訂正機能はとても重宝しているのですが、ゆうさんの[12715]の中で、ツマという言葉があるのは、ワタクシの責任であります。ツマは、ゆうさんに対してあまりに失礼かな?と思い削除してしまいました。

追加の追伸:ゆうさん[12715]の暖かいお言葉に甘えて、原文をご参考まで。
「それで、これだけだと気恥かしいものですから、「サシミのツマ」のやふでゆうさんには申し訳なひ」
と、当初は書いておりました。話し言葉のような抑揚がなく、目にとまる文字でしか表現できないから、言葉遣いは気をつけなきゃ、と深く反省しました。オーナーグリグリさんも、ガイドラインを書いてらっしゃることですし。お互いに相手をわかっている、友人とのメールのやり取りでさえ、できるだけ丁寧にするよう気をつけてはいるのに。。。酒を飲んでいるときの書き込みは控えなきゃ。。。?そしたら私は書き込めなくなってしまう。から、とにかく気をつけます。
[12710] 2003年 4月 8日(火)19:05:31【4】三丁目 さん
お礼、池袋、国土地理院、と、どろろ
[12664]YSKさん
私の[3904]の「平野」についての基準(中おもいっきり略)間氷期(氷期と氷期の間の暖かい時期)
詳しく解説して頂き、ありがとうございました。用語に注釈をつけてお話されるのは、さすがに丁寧で、いろいろと配慮されるYSKさんだなあと、思いました。実は、拙稿[12643]での書き方が舌足らずだったと反省してまして、かねてから「金沢平野は(中略)川の運んだ土砂でできた平野で、この中心は手取川扇状地である」の記述に引っかかっていたのです。平野の中心を形作っているのが扇状地ということは、平野の方が面積としても用語としても広いのかな、扇状地<平野、三角州<平野、河岸段丘<平野なのかな、そうすると平野って一体何?と思っていたのです。本当は授業で習ったときに、先生に質問すべきだったのですけれどね。最後に付け加えるようで申し訳ありませんが、ご復帰おめでとうございます。

[12662]スナフキんさん
「池袋」が出てこないことに改めて気付きました。よくよく考えると、あれほどのターミナルにもかかわらず、ペデデッキはおろか歩道橋の類いも駅前から見えたような記憶が全然ありません。
池袋の話が出ましたから、ちょっとだけデパート関連本で読んだお話。池袋は、駅の東西に西武と東武という巨艦デパートがひしめいているために、街としてあまり広がらなかった、とありました。サンシャイン60が起爆剤となって東口が開けるかと思われましたが、サンシャイン通りが整備された程度にとどまり、中途半端な形に終わったそうです。

西口も、東京芸術劇場をはじめきれいに整備されましたが、人の回遊は結局、駅周辺からサンシャインまでの線的な動きで、あまり面として広がっていないとありました。なるほど、と思ったものですからご紹介した次第です。池袋止まりだった赤羽線が、埼京線として新宿、渋谷と延伸されたことも、埼玉方面からの人の動きに影響しているそうですね。

この話題でのご提供によって、池袋「単品」では話がふくらませられないと思っていたものですから、きっかけを頂き、ありがとうございました。

[12584]KMKZさん
以下のページで大宮駅西口の変遷が良くわかります。
お礼が遅くなって申し訳ありませんでしたが、ご紹介頂き、ありがとうございました。早速、昨日見ておりました。大宮駅西口の、再開発により大変貌していく様子が、よくわかりました。


ところで話は変わりますが、職場で面白そうなものを見ている人がいたので、「それな~に?」と聞いたら、国土地理院の航空写真紹介でした。まだ載せられている地域は狭いのですが、ご興味を持たれましたら、国土地理院トップページhttp://www.gsi.go.jp/ から>(右下黄緑の欄)地理情報の閲覧・提供サービス>(真ん中あたり)空中写真を見る(東京・大阪・名古屋)、とやっていけば、見られます。よくよく見ると、このHPは、このサイトの皆さんにとって、宝の山のようですね。

最後にまたレスですが
[12657]雑魚さん
手塚漫画は決して子供向けだけではない、と思い知らされたものでした。
[12680]KMKZさん
>私の好きな「どろろ」をしみじみと読むこの頃です。
KMKZも「どろろ」は好きですよ。
どろろでレスを頂けるとは、思ってもいませんでしたので、調子に乗って少々。最初はあえて地理に絡めておくと、ときは応仁の乱後の戦国時代、舞台は北陸地方と、よく紹介されていますね。東尋坊を思わせる断崖絶壁、ばんもんの巻で出てくる富樫領(加賀)と朝倉領(越前)の争いなど、手塚治虫らしい、異色時代劇です。アニメの方も(ここからアニメの話しに切り替えますが)、カラーが主流だった1969年放送にもかかわらず、流血シーンが多いのと製作費の関係で白黒でつくられました。アニメブームの頃には、まだ画像の再生技術が廉価でなかったため、LPレコードを買って、音だけで私はドラマを楽しんだものです。昨年、DVDソフトを買って、やっと音と映像で全話を楽しみました。体の48箇所を魔物に取られた百鬼丸(主人公)が、魔物を倒すごとに体を取り戻し、最後の妖怪として自分の父親を倒すことで取り戻した部分が「人としての心」とは、、、そして、どろろ(主人公)に込められた手塚治虫の思いは、、、と、どこかの解説で読みました。原作の漫画とはラストが異なりますので、ご存知でない方には、念のためお知らせいたします。

[12472]で太白さんがおっしゃっていた、1件当たりの書き込み文字数が多いことを、最近自覚しました(笑)。計算はしていませんが、Issieさんの方が、1件当たりは上かとは思っていましたよ。自覚はしましたが、私のペースはたぶん変わらないだろうと思うのでした(笑)。長々と失礼いたしました。
[12658] 2003年 4月 7日(月)22:44:37三丁目 さん
Re:?発車メロディー
[12654]Issieさん
高田馬場も蒲田も,方面・ホームに関係なく同じ音が鳴り響いていますが。

えっ?明らかに違う曲調ですよ、少なくとも高田馬場は。蒲田で乗り降りしたときの記憶は定かではありませんが、高田馬場は同じ鉄腕アトムの主題歌、旋律をうまくアレンジして差を作ったものだ、ということ自体には感心していましたが。

たしかに、ヨーロッパの鉄道では発車ベルが鳴らずに列車がスーッと走り出しましたが。それを念頭において書かれているのかな?とも思っていましたけれど。

Issieさんとは逆に、きょうはお酒を飲んでいないから、冷静に淡々と書いていますけど、だんだん私の活動時間の限界をこえそうなので、できるだけ参加しようとは思いますが。寝てしまったらごめんなさい。
[12652] 2003年 4月 7日(月)21:42:18三丁目 さん
手塚治虫を少々
[12642]Issieさん

誕生日、だからちょっとふれてみたのですが、私もIssieさんより年下ということもあり、実はリアルタイムでの手塚アニメの記憶があるのは、ワンサくんくらいでしょうか。白黒の鉄腕アトムは、山形の祖父母のところで再放送を1、2回見たことがあるくらいです。高崎在住時に群馬テレビで見ていた「悟空の大冒険」も、後年、再放送だったことを知りましたし(これはアニメとしては、子供なりに好きでしたが)。

たしかに、今はいいように解釈されて(ある意味で使いまわされて?)、鉄腕アトムが一人歩きしている印象があります。実は、私は鉄腕アトムは単行本で結構読みましたが、あの作品そのものはあまり好きではないのです。もともとは、国産TVアニメ初ということで、そういう面での興味から入りましたが、どうも、違うというか。昨年のNHK・BSでの取り上げ方には、違和感を感じていました。

科学に対してシニカルだったとは思いませんが、少なくとも科学万能、パラ色の未来を描く、という姿勢なかったのは確かです。ただ、そうではないからと言って「人間とロボットの対立を通じて、わかりあうことの難しさを描いた」部分はあるにせよ、それが強調されてしまうと、ちょっと違うのでは?と思ってますし。ヒューマニズムの大切さを謳ったと解釈するトーンが落ちてきたのだけは、ホッとしてますが。

最近の持ち上げすぎ、には私は困惑しています。だからそれには背を向けて、私の好きな「どろろ」をしみじみと読むこの頃です。もちろん、メジャーな火の鳥やブラックジャックも、手塚治虫の入門書として最適だと思いますが、なにせ私はマイナー派なものですから。
[12643] 2003年 4月 7日(月)21:07:17三丁目 さん
YSKさんありがとうございます。
[12638]YSKさん
地図帳などにおける「平野」は、標高の低い平坦地(標高100メートル以下のことが多いようです)を指すことが多いように思います。

[3904]を、さっそく拝見いたしました。
(1)一定の基準の標高よりも低い地域を機械的に呼ぶ場合
(2)標高の低い地域で、かつ地表が比較的平坦な地域を呼ぶ場合
(3)河川の堆積作用により形成された低平な土地を指す場合

まさに、地図帳で目にする平野は(1)の「機械的」なのですね。その土地がどのような地質なのかに関係ないと。ありがとうございます。

ところで、私たちがふだん目にする機会が多いのは地図帳ですから、(1)以外の使い方をする平野、すなわち(2)、(3)であえて使うケースは、どちらかというと学問的に分類する場合に使うのでしょうか?

私が中1で学んだ社会科の副読本には「金沢平野は大聖寺川、梯川、手取川、犀川、浅野川などの運んだ土砂が積み重なってできた平野で、この中心は手取川扇状地である」と細かく書いてあるのですが、地図帳には金沢平野とあり、これも理由は(1)なのですね。

しつこくて申し訳ありませんでしたが、単純に(2)、(3)として使うのはどういう場合なのかな?と思ったものですから。
これとは別に、低湿地だった釧路も、(1)の適用ではなくとも、(2)には該当しますから、やはり平野になるのですよね?
[12639] 2003年 4月 7日(月)20:25:31三丁目 さん
「テツ」腕アトムの誕生日
本日、2003年4月7日は、手塚治虫氏が漫画の中でアトムの誕生日としたことで、本年はいろいろなイベントが企画されているようですね。昨日、本日と高田馬場へ行きましたが、大きな画面が設置されており、なにやらやっているようでしたが、通りすがりなので、あまりよくわかりませんでした。

いえ、「テツ」分多めの方が多いようですので、ちょっと「テツ」にふれてみたくなったのでした。

実はワタクシ、その昔は、手塚治虫ファンクラブに入っていたことがありまして、初めて高田馬場のファンクラブ事務局へ行ったときは、嬉しかったものです。

強引に「テツ」の話に関係させますと、高田馬場駅の発車を知らせるベルが鉄腕アトムの主題歌になったと新聞記事で読んでいたので、3月のいつだったか忘れましたが、本当にそうだったので、なんとも言えませんでした。

いろいろな話題があがるので、この話題も出るかなあと思っていましたが、ちょっと遠い話題でしたか?
[12637] 2003年 4月 7日(月)19:54:47三丁目 さん
平野、盆地
[12556]での太白さんのお話をきっかけに、

[12578]三鈴さん
東京の都心は、武蔵野台地と荒川などによる沖積平野との縁(へり)に位置しているので、その結果として、台地に侵食して入り込んだ谷や、台地と低地とを結ぶ坂が多くなっているわけです。

[12586]KMKZさん
構造的には関東平野は盆地でして、東京は、その盆地の縁にあたります。

[12632]KMKZさん
関東平野に限らず日本の大きな平野の幾つかは実質的な盆地(構造盆地)らしいのですが

と、東京都心部の地形的な成り立ちがわかり、大変勉強になりました。ありがとうございました。

ところで、これは地理学なのか、地形、地勢、地質学?の話になるのかわかりませんが、そもそも「平野」の定義はあるのでしょうか。

実は、拙稿[12542]を書きこむに当たり、友人とメールのやりとりしているときに、釧路平野ってあるのかな?という話になり、私の高校時代の古地図で確かめてみたら、しっかりと釧路平野と書いてあったので、この質問は一旦やめたのです。

ちなみに、このときの疑問は、釧路湿原のような湿地帯は、乾燥していない土壌だから平野とは言わないのかな?あまり釧路平野とは聞かないよなあ、だったのですが、先述のとおり「平野」でした。

もともと、三角州、扇状地、など海岸に面してできた平地を総称して平野と言うのでしょうか。河岸段丘でできた平地も場所によっては平野になるのでしょうか。関東平野と括られた表現になるから、東京は平坦だ、というイメージにつながるのでは、と思っていたものですから。

同様に、盆地は、周囲を山に囲まれた平坦な土地、という理解でよいのでしょうか。平野と同様に、厳密な分類はされないものなのでしょうか。ご教示頂けると幸いです。

それにしても、十勝平野、関東平野、濃尾平野、大阪平野は構造盆地というのも驚きました。いやあ、本当に勉強になります。

実はこの文章は、職場で用意しておいた原稿なのですが、「[12632]KMKZさん」は、一生懸命追いかけて読んで、たった今付け加えたのでした。
[12562] 2003年 4月 6日(日)16:05:33【1】三丁目 さん
Re:東京の地形
[12556]太白さん
「茗荷谷」「四ツ谷」「渋谷」と、谷が付く地名が3つもあります。

デパート関係の本を読んだときに、「すり鉢状の渋谷」という記述されていたのが、とても印象に残りました。確かに思い出してみると、JR渋谷駅が低く、スペイン坂など坂のつく名もあるし、国道246号線も渋谷駅あたりから東西に上っていくし、街も緩やかな傾斜地を上がっていくように形成されています。

ところで、23区内で私がすぐに思い出した坂の名は、神楽坂と九段坂です。

実はかねてから思っていたのですが。。。東京、というと、広い関東平野の海に近い方なので平坦な印象がありますが、結構アップダウンがあるのですよね。四国出身の人から聞いてなるほどとうなずいたのは「讃岐平野に比べると、東京はアップダウンが多いから、坂道発進が多くて車の運転はイヤだ」でした。電車に乗っているとわかりにくいのですが、歩くとよくわかります。YSKさんじゃありませんが、私も歩くのは好きで、新宿~秋葉原、品川~渋谷、東京~田端、新宿~下北沢など、結構歩いているので、実感しているところです。電車代をケチってるのもありますけどね。一石二鳥と言うことで。

この話、あまりふくらませることができないから、躊躇していたのと、ここまでしか書けないものですから、「街を知る一番の手段は、歩くことだと思います」で終わりにします。自転車も良いのですが、私のように、歩くのは速いけど注意散漫な者にとっては、歩くのがちょうど良いスピードなのです。ちなみに、私が海外で街歩きをした中で気持ちよかったのは、碁盤の目のニューヨークでしょうか。マンハッタンの中にセントラルパークがあることも含め、平坦だったから、楽でした。それほど海外の都市を歩いたことがあるわけでもないですけれど。
[12554] 2003年 4月 6日(日)11:37:44【2】三丁目 さん
歩行者連絡橋
しばらくペデストリアンデッキの話題が続いていたので、遅いのですけれども、ちょっとだけ加わらせてください。
[12369]で、太白さんが
P.S. ペデストリアンデッキの日本語訳って、確かにありませんね。

という書込と共に「車人分離立体歩道橋」とタイトルをあげられてましたが、通勤中に電車の中で漫然と思いついたのが、表記タイトルです。少し短くして、歩者連絡橋でもいいのですが。既存の歩道橋とはちょっと違う、というニュアンスを表したくて、連絡橋にしてみました。

この話は終わりにしましょう、ということでしたので、議論するつもりはありませんから、念のため。ただ、私が拝見していて、大宮駅西口のペデストリアンデッキの話がなぜ出ないかなあ、と思っておりました。首都圏近郊の新幹線駅でもありますし、具体例として引用されてもいいはずなのに、と。以前の大宮駅西口の姿はわからないのですが、1985年にそごうが出店したと聞きましたから、再開発がらみでできたのだろうとは、思っていましたけれど。

ペデの話だけにするつもりはないので、マルチレスにしてしまいますが。

[12518]mikiさん
広陵高校は元・男子校ですが、今は共学

ビックリしました。私が広島市に住んでいたときは、広島学院、修道、城北などなど全ての私立が男子校だったのに、変わったのですねえ。逆に、当時から共学だったところは、思い当たらないのです。西条秀樹の出身校をはじめ、ですが。

[12519]ちりたまさん
今思えばなぜ(仙台の学区を)北と南をすっぱり分けたんでしょうか・・?

私が、仙台一高出身の人から聞いた話では、学区分け当時の宮城県知事だか副知事だかの出身校が二高で、二高の進学率を高めようと、あのような線引きになった、そうです。真偽のほどを私自身は確認しておりませんが、あり得る話だなあ、とは思いました。

[12465]三鈴さん
ほかに、2,000平方キロを超すような巨大合併構想というと、どこかありますでしょうか?

少なくとも、北海道での合併話は、ポーズだよねえ、と友人と話しておりました。もともと、道内の自治体は比較的面積が広いから、実際の問題としては、合併で都府県よりも広い市町村をつくったとしても、ただ面積がベラポーに広くなるだけで、人口は少ないから、ナンボノモノかなあ、とは思ってました。先日、網走市の分村を拙稿[12383]にてご紹介しましたが、分村などの経緯があるところは、平成の大合併で元の鞘に戻るのだ、という意識があるようですよ。

[12535]special-weekさん
[12532]白桃さん

佐賀市のお話。佐賀市へは、1986年の春以来訪れておりませんが、佐賀駅で降りて驚いたのは、県都の駅前にいきなり田んぼが広がっていたことです。恐らくバブル時の開発の波の中で、変わったとは思いますが、その印象がとても強く残っています。
[12542] 2003年 4月 6日(日)08:21:56三丁目 さん
釧路市
釧路市の市内観光といえば、有名どころはMOO(釧路フィッシャーマンズワーフ)、幣舞橋、春採湖等かとは思いますが、釧路湿原、阿寒湖、川湯、摩周湖といった道東観光地への入口の拠点市という位置付けもできるかな、と。

まずは、釧路方面の情報から。社会科で習ったのは「根釧」台地として、記憶にある音は「コンセン」ですが、地元では「センコン」と言うそうです。例えば新聞の「釧根版」などです。根室県が置かれたくらい、根室という地名にも由緒がありますが、市制施行は根室市に比べると、釧路市が道内最古参市の1つであることなど釧路市の方が大きく発展したことなどから、釧を先につけるのかな、と思いました。

それと、釧路では吐瀉物が道端で凍っていると聞いたことがあり、私自身は見たことがなかったので、釧路在住5年目の友人に聞いてみました。それは事実あるそうで、友人は危うく踏んで滑るところだったとのことです。雪が少なく、冷たく乾燥した風が吹きすさぶため、フリーズドライされるのでしょうね。端的に土地柄を表現すると、このような、お上品でない言葉になってしまうのでしょうか。

私が調べた情報源の1つを明かしますが、コンパクトにまとめた下記HPを見つけましたから、宜しければ、そちらもご参照なさってください。
http://www.kuhcci.or.jp/as_for_us/city.htm

それで、かなりの遅レスですが、調べるのに時間がかかったものですから。

[11974]uttさん
釧路川の北側は湿原の泥炭地帯が広がっていたそうで、住むのには適さなかったようです。
鉄道開通をきっかけに、ようやく北側も区画整理され、人が住むようになったらしいですが、
それでも今よりもっと港寄りに駅があり、今の釧路駅周辺は何もない原野だったそうで、
漁業と炭鉱のおかげか、相変わらず南側の丘陵地帯が街の中心だったようです。

このお話は、きっと友人は何か言いたくなるだろうと思い、聞いてみたら、案の定、返事が返ってきました。私自身も地図を見、釧路市史等を調べたのと、しばらく友人とメール交換しましたから、それらを併せ、ご紹介いたします。まったく、なぜ友人が自分で書きこまないのか不思議なのですが。。。通常、私は読点に「,」は使わないのですが、以下は友人の文章の方が多いので、トーンを合わせるために、今回はカンマにします。

ということで。

釧路の開拓が釧路川南岸の丘陵地から始まり,その地域から発展していったことは間違いないのですが,釧路駅付近が鉄道開通後も原野だった,というのは歴史的に誤解があると思います。

鉄道開通前の明治期から,釧路川北岸にも入植が進んでおり,今の釧路駅周辺より西の地域は鳥取村といい,農業集落が点在していました。名前のとおり鳥取地域からの入植者が多かったところです。釧路市と1949年に対等合併する前は,鳥取町でした。

根室本線が釧路まで開通し,終着駅だった当時は,釧路川北岸はまだ市街地ではなく,南岸市街地への利便のため,今の釧路駅よりも釧路川側に駅がありました。その後,鉄道が根室方面へ延伸するにあたり,釧路駅は現在位置に移され,旧釧路駅は貨物駅となりました。これは遅くとも大正期の頃と思われます。これ以降,釧路駅前から釧路川までの北大通りの市街地化が進み,昭和初期には,多くの商店が立ち並ぶ商業地域に発展していました。

南北市街地間を結ぶ幣舞橋が明治期からあって,その往来が盛んだったことからも,2市街地が両立発展してきたのが,1960年代頃までの釧路の歴史だと考えられます。つまり,南岸地域は漁業と炭鉱という古くからの基幹産業によって栄えた地域であり,北岸地域は陸上交通と第3次産業を中心に栄えた地域であって,南大通りと北大通りはそれぞれの中心市街地だったと言えます。

南地区の方が市の中心と考えられたのは,1960年代までは幣舞橋の南,つまり南大通の北端に官庁街があった(釧路支庁,財務事務所は今もそこにあります)ためで,そこから両方向に市街地が発展していたと言えます。ちなみに,市役所が現在のきた北地区に移転したのは,1965年のことで,それ以前は官庁街を形成したうちの1つでした。

1970年代後半から,漁業と炭鉱の衰退によって,南地区の人口が減少したことと,新しい築港と工業地域が西地区に伸びていったことから,北大通りを中心に新しいビル街が発展したため,南大通りのかつての繁栄は見る影もなくなりました。これが現在の釧路の南北市街地の姿です。しかし,その北大通りも今や,郊外型スーパーにお客を取られ,テナントがなくシャッターの閉まったビルが増えて,ドーナツ化による衰退の途をたどっているようです。

なお,北大通り周辺地区は,平地で計画的に区画化されたらしく,ほぼ碁盤の目の区画で,条・丁目制としてもよいような街区です。具体的には,西から順に,幸町,黒金町,末広町,栄町などの南北に細長い住所区画が横一列に並び,東西に同じ丁目が仕切られています。つまり,町の名前を~条にあてはめれば,条・丁目制だと言えます。逆に,南岸の丘陵地帯は,細い道が曲がりくねり,北とは対照的な
街区です。(オシマイ)
[12497] 2003年 4月 5日(土)14:49:27三丁目 さん
産後のお礼
すいません。「三顧の礼」と書かれていたので。ツイ出来心でヤッてしまいました。

[12390]白桃さん
町時代の人口につきまして白桃はデータをもちあわせておりません。(中略)いったいどこで手に入るのかご教授いただければ

ヂツは、データ記入に当たり、「白桃さん、チェック方お願いいたします(笑)」と付け加えようかと思ったのですが、それではあまりに自分の書き込みとして無責任かな、と思い、遠慮しました。基本的に、紙の資料(図書館)とネットで入手できるものを利用しておりますが、入手できなかったときは、ソノスジの人に聞くことにしています。さて、ソノスジって誰だと思いますか?

では、お答は次の書き込みで(笑)。

と、焦らすほどのソースでもありませんので、、、、、地元である市役所に電話で聞いてしまってます。数字データですから、12,345人は、いち・に・さん・よん・ご、と棒読みしてもらい、私も復唱しながらテンキーでエクセルに打ちこんでいます。5分とかからずに終わります。本来、こういうやり方が良くないのはわかってはいますが、学問的検証のためではなく、オマケデータ作成という気持ちからなので、簡便法として、これですませてしまっています。

ちなみに、市役所の電話番号は104で問い合わせるとお金がかかるのと、近所の大きなNTTで調べるのも大変ですから、このサイトの市区町村プロフィール>北海道市区町村一覧から、調べたい市のHPを立ち上げます。するとだいたいトップページに市役所の代表電話が載っていますから、104の手間は省けます。そのような使い方をしているのは、意外に思われるかもしれませんが、そういう点でもこちらには感謝しております。もちろん、市の公式HPですから、そこから得られる情報も結構あります。

しかし、本来のデータ請求の方法としては、お手紙で資料請求すべき、とは思っています。そうすれば、データを回答として手元に残せますしね。もしかしたら、HPのご意見お寄せくださいコーナーあたりにメールを送ると、電子データでお返事を頂けるかもしれませんね。そもそも、市役所の職員を私のようなつまらぬ用事で対応させてしまっていることについては、申し訳なく思っています。

本来は、公僕として市民向けのお仕事をすべき時間に、市外からの妙な問い合わせに付き合わせてしまっているわけですから。たぶん、私自身、今後は電話聞き取りはしないと思いますが。学生の皆さんは、手間と時間を惜しまずに、データ収集を心がけてくださいね。自分への反省も込めて。

実は、平日の文章の多くは、職場で作成し、自宅へ送って書き込んでいるのです。職場から直接書き込むのは、控えようと思ってるものですから。この文章も、昨晩のうちに書き込もうと用意してたのですが、不幸にも、お酒を飲みに誘われてしまったものですから(嬉?涙?)遅くなりました。深く飲んでしまったため、午前中は久しぶりに死んでました。

最後になりましたが、オーナーグリグリさん、自分色登録、ありがとうございました。粗忽者の私にとっては、書込を訂正できるのは、本当に助かります。
[12386] 2003年 4月 3日(木)21:00:59三丁目 さん
非常に遅い「正直」なレス、ともろもろ
他の方が引用されて、白抜きになって初めて気づくマヌケな私ですが、太白さんが[12273]で「正直にレスしましょう」とおっしゃってたのですね。また、[12335]で夜鳴き寿司屋さんが、まとめて下さったので、改めて、読み直しました。皆様方の書き込みをフムフムと読んでいましたが、昨日の段階で、エープリルフールだからの話題だったのかと、やっと気づかされていたのですが、脱帽です。

それで、
[12325]雑魚さん
>私は旧海軍予備校出身ですが、
おっと、三丁目さんは江田島の御出身ですか

江田島がすんなり出てくるところはさすがですね。私は自分の通った学校とはいえ、好きではないのですが、昔の校章が錨のマークにNS(Navy School)だったという話を聞いたときは、その方がカッコイイのに、と思ったものです。ちなみに、10年くらい前に、たまたま本屋に並んでいる雑誌のタイトルで「日本を動かす人物を生んだ名門高校」が目にとまり、買ってしまいました。旧中につながる話をオヂさんたちとできると、その場の話題しのぎにもなると思ったからです。まあ、自分が興味あるというのも理由ですが。しかし、雑魚さんの守備範囲の広さには、驚くばかりです。

[12371]三鈴さん
[12337]TKS-Hさん
私は、たとえお二人の往復書簡「的」だったとしても、ふだん自分では調べないことを、いろいろと紹介して下さっていることには感謝しておりました。日に一度くらいしか書き込まないグータラな私にすれば、お話が続いているので、ありがたかったです。

実は小学生さんへ

初めてHNを見たときに、不思議なHNを使う大人がいるものだと思っていましたが、いろいろと読み進めるうちに本当に小学生(当時)だったことを2ヶ月ほど前に知り、驚いたものです。文章がしっかりしていらっしゃるから、まさか小学生だったとは思いませんでした。実は、先日「天然の良港」が、参考書でどのように記載されているか興味があったので、中学生向参考書を何冊か比べて読んでみました。

それで、結果的には、どの参考書にも天然の良港という言葉は出てこなかったですね。逆に私が驚いたのは、日本の分類の仕方として「マクドナルドをマックというかマクドというか」「使う方言の種類」など、様々な切り口で記載してありました。私の頃は、気候風土など、物理的側面での分類しかなかったはずですが。それで、テーマを絞って北海道地方の産業をどのように書いているか見ましたが、大きく括ったところはごく少数の都市しか紹介されないのに、ある参考書は白老町など、ずいぶん細かく載せているなあ、と感心したものです。でも、いろいろと興味を引くように、出版社も努力しているのね、と思いました。

これからも、アーカイプ編集は大変だとは思いますが、よろしくお願いしますね。(このすぐ上の段落は、中学生になられる皆さん全員へ、うらやましいと思う気持ちをこめて書きました。)
[12383] 2003年 4月 3日(木)20:06:49三丁目 さん
北海道の東半分のお話
[11974]utt さん
あと、北見市は網走支庁の中心に位置しており、圧倒的に人口も多いのに、
なぜ網走に支庁が設置されたのでしょうか??

[11983]Issieさん
内陸の北見市(旧称:野付牛)が都市として発展したのは比較的に新しかったのではないでしょうか。北海道に「支庁制」が実施されるのは1897年のことですが,この段階では網走の方が大きな集落だったのでは。

[12033]uttさん
やはり、(以下略)

で、お話は終わっていますが、私自身がかねてから気になっていたことでもあり、調べておりました。そもそもの興味は、なぜ北見市に11万もの人口があるのか、でしたけれど。旭川市が36万であるのと、同様の興味なのでした。以前も書きましたが、物流の集散地として、道北の札幌が旭川であり、道東の旭川が北見、が私の最終的な理解の仕方ですけれども。

Issieさんがふれられている話と一部ダブリますが、公式に出ているものを、簡単に年表風にしました。なお、内陸の開拓は、道路網が整備されてから本格化していますから、沿岸だった網走市よりも、内陸の北見市の方が開基は遅いのですね。ちなみに、旧北見国のうちで最初に市となることから、北見市と改称したそうです。

1872年:アバシリ村開基。
1886年:北海道庁設置とともに、網走に郡役所設置。
      (それ以前から郡役所はありましたが、道庁組織ということで)。
1889年:札幌~旭川間「上川道路」開削。
1891年:旭川~網走間「北見道路」開削。
1897年:5月、野付牛村(現北見市)開基。
      11月、郡役所を廃止し、19支庁の1つとして網走支庁設置。

国勢調査による市別人口推移のオマケ
(半角数字の単位:人)網走北見紋別帯広釧路根室
市制施行年194719421954193319221957
1920年27,89930,1526,97216,08139,39224,770
1925年24,48623,3928,84520,20842,33328,890
1930年26,94627,76610,42128,13551,58629,986
1935年31,66831,12916,12035,69556,17032,012
1940年32,73232,84919,85436,55563,18035,543
1947年34,85040,98917,86346,77461,36826,047
1950年39,21845,95223,04651,79493,35729,934
1955年42,96152,98837,38870,027119,53635,799
1960年44,05266,93240,281100,915150,62442,740
1965年44,19574,84140,389117,253174,10545,149
1970年43,90482,72735,110131,568191,94845,381
1975年43,82591,51932,825141,774206,84045,817
1980年44,777102,91533,860153,861214,69442,880
1985年44,283107,28132,163162,932214,54140,675
1990年44,416107,24731,078167,384205,63936,912
1995年44,176110,45230,137171,715199,32334,934
2000年43,395112,04028,476173,030191,73933,150

オマケのオマケ(第1回国勢調査以降の動き)
網走市:1921年、女満別村(当時)が分村、1947年、東藻琴村が分村。
北見市:1956年、かつて分村した相内村と合併。
紋別市:1954年、紋別町(当時)が上渚滑村、渚滑村と合併。
帯広市:1957年、川西村、大正村と合併。
釧路市:1949年、鳥取町と合併。
根室市:1957年、根室町(当時)が和田村と合併、1959年歯舞村と合併。

uttさんへのレスとして、釧路市の話を一緒にまとめようかと思ったのですが、長くなりましたので、分けることにします。
[12381] 2003年 4月 3日(木)19:48:18三丁目 さん
北東北の印象
[12359]seahawk さん
ごめんなさい、盛岡以北在住経験があるんですが、よくわかりませんでした。どういうことなのかご説明いただけませんか?
推測するに、青森市だったら青森市街と浅虫のことと捉えればよいのでしょうか?

わかりにくい表現でゴメンナサイ。実は、青森市街と浅虫温泉の関係は、何年も前の年末に雪道の中を、首都圏へ向けて700kmを車でひた走る際に、国道4号線沿いを夜中通過した記憶しかないので、あまりピンと来ないのです。その機会とは別にもう一度、車で4号線から6号線へ抜けて青森から水戸まで行ったこともあるのですが、たぶん、そのときに受けた印象だと思います。それでも、青森市街と浅虫温泉のつながりの記憶はないのですけれど。

2つの話をゴチャ混ぜにしそうなので、予め定義しますと、
(1)青森市という1つの行政単位の中で、市街地が、青森市街と浅虫温泉ではつながっていない。
(2)大都市圏では、例えば、川口市、戸田市、蕨市など、行政をまたがっているのに市街地がわかれていない=つながっている。

それで、何をお話したかったというと、市街地の連続性から受けた印象のことなのです。大都市圏は別格ですが、市街地が連続してつながり、川で分かれたりしていないと、どこが市境だかわかりにくいことが多いです。これは、(2)のことです。

それよりは、密度は落ちますが、仙台~水戸間の国道6号線での印象ですが、海沿いでつながっている関係もあるかもしれませんが、それほど集落と集落の間があいていたとは感じませんでした。たぶん、ときどきガソリンスタンドなど、いくつかお店や人家があったからだと思います。これは、(2)の話でもあり、(1)とも言えます。

というのも、車を運転しているときは、たしかに標識案内を見てどこそこの市町村に入った、とは思いますが、あまり市町村境を強く意識はしていないのです。そういう点では、漫然とした印象、になっているかもしれませんが。

一方、同じ海沿いにもかかわらず、函館~室蘭間を国道5、37号線と走ると、函館市街を抜けてしまえば、極端に言うとですが、店もあまりなく、ときどき集落はあるけれど、まわりに何もない印象が強いのです。

同じ印象を、4号線で仙台から北上したときに盛岡を過ぎてからの風景で、感じたのです。なぜ、覚えているかと言うと、「だから東北新幹線の開業は盛岡までだったんだ」と思ったからです。それは、以前は東北線を各駅停車でしばしば往復していたのですが、客車で感じたのが、盛岡以南は電車タイプ(自走タイプと言うのですか?)であるのに、盛岡以北は客車が牽引されるタイプだな、と思ったからです。どういうタイプの車両をどこで使うのか、お詳しい方に解説して頂けるとありがたいですが。

客車タイプにはデッキ部分があって、電車タイプほど乗客は乗れない、乗せるほどの需要がないからかと思いました。話が前後してすいませんが、東北新幹線が盛岡までだったのも、それほどの需要がないからだったのかな、とも思っていたものですから。

話がそれて申し訳ありませんでしたが、拙稿[12312]で書いた内容は、登別市内で集落が分かれているという(1)の話と、4号線沿いの盛岡~青森間の印象を混ぜて書いてしまったため、わかりにくくしてしまいました。その点は反省しております。

私の受けた印象を表?のようにご説明すると、
大都市圏:街・街・街・街・街・街・街
水戸~仙台:街・ナシ・街・ナシ・街・ナシ・街
盛岡~青森:街・ナシ・ナシ・ナシ・街・ナシ・ナシ・ナシ・街
函館~室蘭:街・ナシ・ナシ・ナシ・街・ナシ・ナシ・ナシ・街
という感じなのですが、おわかり頂けたでしょうか?なお、街は集落と読み替えて頂くこともあるのと、「ナシ」は集落が途切れているという意味であり、他意はありませんので、ご容赦のほどを。

一方、登別市内での話としては、西から順に、
鷲別地区・ナシ・幌別地区・ナシ・登別温泉地区、という感じです。
青森市内を、わからないなりに駅名で地区を表現すると、
青森・東青森・小柳・矢田前・野内・ナシ・浅虫温泉、という感じになるのでしょうか?
なにせ青森市内は、駅周辺をウロウロしたのと、アスパムと言いましたっけ?三角の建物(物産館でしたよね)くらいしか、覚えていないものですから。

以上、長くなりましたが、わかりにくい点等あれば、ご指摘頂ければ、と思います。

なお、旧登別市民と書いてしまいましたが、元登別市民が正しい言い方ですね。書き込むときに、読み直してチェックしてはいるのですが、今朝、気づきました。「旧」だと、それがなくなってしまったときに使う言い方ですよね。例えば、旧浦和市民とか。
[12313] 2003年 4月 2日(水)20:54:00三丁目 さん
しつこく条・丁目
[11997]地理好きのケンさん
北海道で条・丁目を使用している市は札幌市、石狩市、江別市、岩見沢市、美唄市、旭川市、深川市、砂川市、芦別市、帯広市、名寄市、士別市、北見市、網走市です。
[12087]てへへさん
地理好きのケンさんの挙げている14市です。北海道の町村でも調べてみました。

条・丁目について、引き続き考察しましたので、ご紹介いたします。

まず、現在、条・丁目を住居表示に採用している市町村のうち、せっかくてへへさんが全て挙げてくださったのですが、とりあえず市だけで考えました。住居表示は古くからあることを鑑みて、石狩市が新しい市制施行(と言っても7年前ですが)ということで除くと、それ以外は基本的に海に面していない市です。このうち、網走市だけが、例外です。ちょっと話はそれますが、町村まで範囲を広げると、海に面しているところが増えるので、考察対象を絞り込むために、市だけにしたものです。

それで、私の疑問は、海に面した網走市が、なぜ条・丁目を採用しているのか、でした。海に面した人口の多い市は、函館市、小樽市、室蘭市、苫小牧市、釧路市を思い浮かべましたが、それらの市では採用していません。結論を先に申し上げてしまうと、明解なこれだという理由はわかりませんでした。

網走市の古くからの集落は北見町と言い、現在、条・丁目が採用されている地区にあたります。簡単に述べると、平坦地だから、につきるのかな、と思いました。

では逆に、平坦地なのに、苫小牧市は、なぜ条・丁目制を採用していないのだろう、とも思いました。この疑問は、苫小牧市役所に聞いてしまいました。回答としては、住居表示は2通りあり、道路方式(条・丁目)と街区方式(町名を付けていく)なのだそうです。それで、どちらを採用するかはそれぞれの市町村の判断となり、苫小牧市では街区方式を採用した、とのことでした。なんか、あまりあっさり言われると、拍子抜けしました。

実際のところ、苫小牧市は、一部は碁盤の目ですが、あちこち斜めに曲っていたり、T字路が多かったりして、広い範囲には条里制を適用できなさそうに思われます。逆に、都市計画の観点から言うと、もっと計画的にできたはずで、網走市のように条・丁目を採用できたのでは?と思わずにはいられませんでした。

以上ですが、こねくりまわした割りには、たいした結論を導けなくて、申し訳ありません。
[12312] 2003年 4月 2日(水)20:53:34三丁目 さん
御茶ノ水女大附属
[12771]雑魚さん
未確認情報ですが、御茶ノ水女大附属では中学に限り共学とか。

過去ログをず~っと読んでいたときにも記憶に残りましたが、時間が経ってるからいいや、と思ってお返事しませんでしたが、共学ですよ。念のため、大きな本屋さんで中学受験本を確認しましたから、間違いありません。

私は旧海軍予備校出身ですが、同級生に、御茶女出身がいました。高校は女子高だからねえ、と言ってました。たまたま、確認しているときに、早実が2002年から共学化、という字が目にとまり、オドロキました。男子校系だと思っていたあのワセダが、女子も受け入れるとは・・・。

それで、地理ネタじゃない話のついでに。
[12140]白桃さん
いやぁ、まったく、よくこれだけ斜陽都市を選んで頂いたものです。

その言葉、聞き捨てなりませぬうぅ!!(笑)。あれだけ都市名を挙げられた雑魚さんもスゴイと思いましたが、反応される白桃さんもサスガ、と思いました。

旧登別市民といたしましては、幌別町に登別市役所がある理由がわかり(もともと幌別町だから)、ありがとうございました。登別市は駅名であげると、鷲別地域、幌別地域、登別温泉地域と3つに分かれています。同じ市なのに一体化していないのは、盛岡以北の東北地方の風景と同じだなあと思っています。それは、集落が山間部の平地にポツンポツンとあり、市街地が一体化していない、ということなのです。

これは、本州(盛岡以南、とシツコイのですが)にしかいらっしゃらなければ、わかりにくい感覚かもしれません。

今はニッチと言うより、サッチにもいかないかもしれないマイナーな話題で調査中でしたので、書き込みたいと考えております。
[12252] 2003年 4月 1日(火)20:38:39三丁目 さん
年度末・年度始で、社会(会社)人はツライよ♪
年度末・年始のため?か、いささかお酒が入っておりますが、感情をこめずに淡々と進めるよう努力してます。

[12120]三鈴さん、、、以降の役所についてのお話。たしかに、以前、お話があったことではありましたが、どんどん内容が深まっているので、興味深く、職場で拝見しておりました。職場でROMくらいはできるのと、私が知識を持ち合わせていないため意見を述べられないことと併せ、興味深く読ませて頂いております。

今は、uttさんへお返事したいと思いつつも、道東方面の情報を集めているところです。道東は、土地勘がなくあまりわからないのですけれども。。。なにせ、手持ち資料がないため、外から入手しないと、自分からは発信できないものですから・・・。
[12119] 2003年 3月 30日(日)20:13:42三丁目 さん
支庁の出張所
[12117]白桃さん
行政管轄が広くなると、行政サービスの質が低下するおそれはあります。

それは、まさに言われるとおりでありまして、支庁統廃合、及び支庁舎廃止は道の裁量次第とはいえ、地元の意向は無視できないでしょう。実は、私自身がパスポートの申請をしたのは、県(及び道)庁だけで、でして、そこから遠い地域、例えば兵庫県では日本海側の城崎。その地域の方々がどこで手続きされるのかな?とは思ってましたが、たぶん、市町村役場で、受け付けるのではないでしょうか?

同じように、例え支庁が廃止されても、人数は減るもののいくばくかの人数は残して、出張所機能は残すという形でないと、地元からは反対されっぱなしだろう、と思っていました。妥協するためには、そういう形になるのではないでしょうか。その出張所が、市町村役場の中に入るのか、入れてもらえない(笑)かは別にしてですけれど。

それは、市町村合併でも同じことだと思っていました。合併前から各々、支所、出張所を設けて、市民への行政サービスが、低下しないように努めており、合併後も、旧市町村役場の建物を活用しているのですよね?

先ほど書き込んだ後で思ったのですが、住民票は「異動」が正しいですよね?どうにも、異動というと、人事異動のイメージしかわかなかったものですから。

ところで話は変わりますが、市「役所」に対して町村「役場」なのは、呼び方としての慣習なのでしょうか?それとも、何か根拠があるのでしょうか?ご教示頂けると幸いです。
[12113] 2003年 3月 30日(日)18:26:33三丁目 さん
支庁再編
[12105]seahawkさん
北海道の支庁はただでさえ管轄が広いのに、統合などされて大丈夫なのでしょうか?それとも、支庁はそんなに役に立たないからという理由で切られてしまおうとしているのでしょうか?

日常の市民生活において、県庁は身近でしょうか?普段の生活で、行政に関係することと言えば、市町村役場で、住民票の移動等、だいたいの用事は、こと足ります。逆に、私が道庁に個人的な用事で行ったことと言えば、パスポートの申請しか思い当たりません。たまたま、そのときは札幌在住だったから、道庁別館へ行きましたが、用事があったのはそれくらいです。もし、石狩支庁管内以外であれば、例えば胆振などの、支庁舎へ行ったと思いますが。

でも、パスポートの申請って、市民生活の日常レベルじゃないですよね?私は商法ゼミだっから、行政関係はよくわかりませんけれども、行政法に照らし合わせれば、たぶん、日常レベルでの市民生活は、市町村単位で処理するように規定されているはずです。そういった処理の一部を、大規模な政令市では、各区で処理できるものと思っていました。(申し訳ありません「はず」と「思ってる」ばかりで)

逆に、都道府県庁は、そういう意味で、日常生活よりちょっと上のレベル?に対応する組織の「はず」です。だから、あまり身近ではないと思いますよ。それこそ、私にとって室蘭在勤の2年間の生活の中で、胆振支庁舎が身近だったのは、たま~に昼食を食べに、職員食堂を利用しに行くくらいでした。蛇足ながら、室蘭市役所へも、たま~に食べに行きました。

だから、支庁再編は、どちらかというと行政レベルの問題だからこそ、地元北海道でも、盛り上がっていない話題なのだと思います。でもそれは、支庁舎がなくなる地域にすれば、地元で生活する人が減るなど(経済的な面で特に)大問題で、だから、そういう地域では反対運動が起こっているのです。過疎化に拍車がかかる等ということで。

でも、道庁職員にすれば、イナカ勤務が減るから、うれしいんじゃないの、と友人とは言ってたのですけどね。
[12111] 2003年 3月 30日(日)17:45:11三丁目 さん
きたひろ
[12105]seahawkさん
北広島インターチェンジは北広島市の存在を予言していた

[12107]雑魚さん
広島出身の開拓団に因むと聞く「北広島」は、「北国の福岡」を意味したと思われる東北線二戸駅の旧称 「北福岡」 に通じる命名感覚かと思います。駅名や道立高校名など、以前から広範に使われた
名称の様ですので、最も自然な改称予想例だったのでしょう。

まず、広島の由来は、雑魚さんが聞かれたとおりです。それで。

地元ではかねてから「きたひろ」と略し、駅名も北広島(これは、国鉄時代に広島駅との同名を回避したと聞きました)でしたから、逆に、私はなんの疑問も感じておりませんでした。インターチェンジも同名回避するのかな、と思っていました。ただ、その「きたひろ」が具体的にどこを指したかは、会話の流れで異なるとは思いますが、駅のことだけだったのかな?すいません、私が道在住だったのは、広島町の時代だったものですから。

そういう意味では、北広島駅も、北広島市を予言???というか、逆に、市制施行にあたり、広島市との同名回避と共に、広く馴染まれた「北広島」に改称したのではないかと、私は思っていました。既に市制施行時には道内におりませんでしたので、紅葉橋瑤知朗さんがお近いこともあり、このあたりの事情をご存知かもしれませんね。
[12096] 2003年 3月 30日(日)09:41:31三丁目 さん
「ふぃ」の国
北欧滞在から帰国して写真を現像に出したときに、以下のような会話があったのを思い出しました。

お店の方:まあ、ずいぶんフィルムが多いですね。
ワタクシ:ええ、フィンランドとノルウェーに行ってきたものですから。
お店の方:それはそれは。寒いところと暑いところへ、まとめて行くなんて大変ですね。
ワタクシ:??

フィンランド(Finland)ってどんな国?と聞かれて、「フィ」が同じというだけで「フィリピン(Philippine)」と混同している人もある、と、あるガイドブックに書かれていました。先般、久しぶりに北欧の国を書き込むに際し、いくつかの本を読み直して、日本でのスウェーデン以外の北欧諸国の認知度の低さを具体的に、思い出しました。

こちらにいらっしゃってる皆様方には、そのような勘違いがないのはわかるのですが、つい、強い思い入れを込めた文章を書いてしまい、話の流れの中で「特定のキーワード」に引っかかったかもしれないことを、反省しているこの頃なのでした。
[12025] 2003年 3月 28日(金)19:04:55三丁目 さん
支庁の再編
[11952] seahawkさん
北海道の支庁所在地も町にあるところはあるので。(中略)県庁移転計画を打ち出しても市民団体に激しく攻撃されてしまうと思います。

他の市へ県庁を移転するほどの大ゴトな話ではありませんが、北海道では、道庁組織改革として、支庁再編論議が進められてきています。この結果、現在ある支庁舎が移転、又は廃止の可能性が出てきました。

拙稿[11075]で「室蘭市内での胆振支庁舎の移転、さらには胆振支庁と日高支庁との合併案による市外への移転の可能性」にふれましたが、支庁再編について、若干の情報を得ましたから、ご紹介したいと思います。市町村合併の話についてはさかんに出ますが、それよりちょっと上の行政単位ということで。

平成13年3月に出された「支庁改革に関する試案」では、現在の14支庁を、以下の8支庁に割る案が提案されています。
(1)石狩・空知、(2)後志、(3)胆振・日高、(4)渡島・檜山、(5)上川・留萌・宗谷、(6)網走、(7)十勝、(8)釧路・根室

区割りの一次案としては、後志を(1)か(3)かに入れるのか、(1)に入れるなら空知を(3)に入れるか、などの道央圏の分割パターンが分かれたものの、(3)、(4)、(5)、(8)の統合パターンは結局崩されませんでした。これは、規模が小さい日高、檜山、留萌、宗谷、根室支庁の集約化が、再編論議の主眼であり、道庁組織のスリム化の観点から進められています。

廃止が予想される支庁舎所在地では、当然ながら支庁廃止反対、及び存続運動が、市町村長会から住民署名活動までいろいろと起こっているそうです。

道のホームページには、支庁制度検討の流れがあり、平成14年4月に出された「支庁制度改革に関する方針」素案2を見ると、道の各種圏域等の状況が、表にまとめられていました。掲載するにあたり、オリジナルの表に支庁所在地を加え、第二次保健医療福祉圏という項目は割愛する等、勝手ながら、若干、手を加えわかりやすくしたつもりです。なお、カッコ内の数字は、該当する地域の人口です。

(人口単位:千人、2000年の国勢調査による)
地域生活経済圏土木現業所支庁支庁所在地広域市町村圏
道南(517)函館渡島(462)函館市渡島
檜山(55)檜山郡江差町檜山
道央(3,413)小樽後志(263)虻田郡倶知安町後志
札幌石狩(2,243)札幌市札幌
空知(387)岩見沢市南空知
中空知
北空知
室蘭胆振(435)室蘭市西胆振
東胆振
日高(86)浦河郡浦河町日高
道北(694)旭川上川(548)旭川市上川北部
上川中部
富良野
留萌留萌(66)留萌市留萌
稚内宗谷(81)稚内市宗谷
オホーツク(338)網走網走(338)網走市北網(北見、網走)
遠紋(遠軽、紋別)
十勝(358)帯広十勝(358)帯広市十勝
釧路・根室(363)釧路釧路(277)釧路市釧路
根室(86)根室市根室

と、さまざまな切り口で、検討が進められています。この他、支庁別人口の推移、支庁別市町村数の比較、支庁区域を超えた国の機関の所管区域(財務事務所、労働基準監督署、法務局、運輸支局等)等、いろいろありました。

でも、関心を持っているのは、廃止される地域の方がほとんどらしく、友人の話によると、市町村合併はなにかとニュースになりますが、支庁再編の話は、TVや新聞であまり見かけないそうです。北海道全体としては、マイナーな話題のようですね。

[11997]で、岩見沢市の紅葉橋瑤知朗さんがいらっしゃったのに、地元でもないのに僭越でしたが。

[11798]太白さん
私は、本落書き帳においてはニッチ分野重視を心がけております

実は、私もニッチ分野(笑)を心がけていたため、このような話題になりがちなのでした。王道、本道の話題で、参加できそうなときには、加わらせて頂きたいと思ってますが、なかなか、これが、難しくて。最後に付け加えるようで申し訳ありませんが、条・丁目のkenさんの引用を、[12007]でわかりやすくして頂き、ありがとうございました。
[11970] 2003年 3月 27日(木)20:43:20三丁目 さん
Re:ポーランド・ウクライナ・バルト史
[11825]Issieさん

本日、時間があったので、都心の大きな書店で、ご紹介頂いた本を少しだけ立ち読みしました。第一次大戦後に、突然バルト3国が独立した印象があったので、ナンノコッチャ、と思ってましたから。ポーランドとの関係が記述されていたので、つながりを少しだけ理解できました。

しかし、世界史を受験科目として学んだ当時は、あまり考えてませんでしたが、一国(ポーランド)を他国が分割して自国の領土に組み入れてしまう、というのは、凄まじいばかりですね。朝鮮半島を日本が自国の領土としていたことも、併せて考えてしまいました。

そもそも、この本の出版は、私が北欧関係を探していた頃よりは新しめで、だいたい北欧関係の本は、スウェーデン関係を除くとあまり新しい本が出版されることがなかったので、久しくそういうコーナーへは立ち寄ってませんでした。

しかし、この本が出版された経緯を読むと、もともと東欧史として括られ1冊の本だったものが、世界の激動により、分かれて独立することになった、とありましたから、さもありなん。と言うのか、国際情勢の変化はこういうところにも影響を与えるのか、と思いました。

バルト3国史も、分量は少なかったので、たぶん、立ち読みですませてしまうと思います。

[11842]Issieさんの
フィンランド語は「田舎の農民や牧民の言葉」と意識されていたようです。

にも反応したかったのですが、本日は既にお酒が入り、本を読む能力と思考能力が既に低下しているので、ネタがそろえば、ご質問したい気持ちです。

でも、あまりお酒が入ったときは、書き込みを控えねばならぬ、と反省しているこのごろです。そもそも、私がHNの変更を決断したのは、自分色登録をお願いしたからなのです。自分の恥ずかしい書き込みを、自身で訂正しなければ、と先日気づいたものですから。地理ネタご提供は少ないかもと思いつつも。。グリグリさんもお忙しいようですから、お手すきになられるのをお待ちしております。

でも、雑魚さんて、お酒が入っても冷静に書き込めるのがスゴイ、とかねてから思ってました。
[11968] 2003年 3月 27日(木)20:06:24三丁目 さん
北海道「都市部」での条・丁目
[11851]uttさん
北海道では、都市部では東西を条、南北を丁目といった地名を付けますが

つまらない反応をして、スイマセン。揚足を取るつもりではないので、ご容赦下さい。[11907]で、太白さんが引用されているのを見て(引用の白抜きに目がとまりました)「都市部」に引っかかったものですから。

道内の市で、条・丁目が使われているのは、私の記憶では(細かい地図が手元にないので確認せず申し訳ありません)札幌、旭川、帯広、北見、岩見沢くらいでしょうか。以前、拙稿[11539]で最古参6市という言い方をしましたが、札幌、旭川、函館、釧路、小樽、室蘭(現在の人口順)のうち、上位2市だけが、条・丁目を採用しています。

たしか、札幌市史で読んだと思うのですが、もともと、新しい入植地として北海道を開拓するに当たり、条里制を導入しようとした、そうです。が、それなりの平坦地があったのが、先述の5市だったと思われます。小樽、室蘭は、かねてから港町であったように、傾斜の急な土地が多かったため、条里制を採用できなかったのではないかと、思っていました。釧路は、よくわかりません。

函館は、歴史的に既に土地の名が定着しており、それが函館旧市でも、採用されたと考えていますが、確認はしておりません。スイマセン。

uttさんも、北海道にお住まいになってたと記憶してますから、他意がないのはわかるのですが、「都市部」と言われてしまうと、その他大勢の方が多いのに、とつい、反応してしまいました。

なお、太白さんへ。私の平行線で囲まれた四辺形という表現よりは、[10398]kenさんの帯と帯が交差したところ、の方がわかりやすいと、反省してました。
[11870] 2003年 3月 26日(水)18:45:34三丁目 さん
72年ぶりの大祭(雑魚さんへ)
お疲れ様でした。

そのような、大祭に参加されたことを羨ましく思います。自身を振り返ると、参加した祭りは、苫小牧港祭り、室蘭港祭り、くらいしか思い当たりません。当時は、地域密着型の会社員として、踊りの練習をサセラレ、さらに参加サセラレた、という思いが強かったです。神戸港祭り(だったかな?)は、見学者としてしか、参加したことがないものですから。

でも、今になって振り返ると、室蘭では、室蘭サンバという変な振り付けの踊りがあり、踊るのがとてもイヤでしたが、室蘭サンバの音色を聴きたい~~、とチョッピリ思ってます。

ところで、なぜ72年なんでしょうかね??還暦を迎えた人もいなくなる?から、次の世代は、次の世代なりの、工夫した新しい祭りをやれい、との先人の思いがこめられているのでしょうか?
[11865] 2003年 3月 26日(水)17:51:10三丁目 さん
旭川ご紹介、、、になってますか?
[11575]白桃先生へ、遅くなりましたが宿題を提出します(笑)。

まず最初に、旧市域と、合併した旧町村の、合併直前と2002年9月末との人口を比べてみました。時点を書かなかったものは、全て2002年9月末のデータです。

旧市域:149,903人(1954年)~158,497人

東鷹栖:8,307人(1970年)~31,514人
神 楽:20,488人(1967年)~38,452人
東旭川:17,038人(1962年)~54,979人
永 山:10,543人(1960年)~43,841人
江丹別:3,020人(1954年)~485人
神 居:8,040人(1954年)~35,437人

合併町村の人口計:67,436人(時点はグチャグチャ)~204,708人

考察するには手がかりが乏しすぎるので、地区別人口で示されている地区名と旧町村名が一致しているのか、確認がてら、旭川市役所に以下の2点も聞いてしまいました。
(1周辺の田んぼを宅地化したことで人口が増えたのか。
(2)旭川旧市域と周辺町村の市街地が一体化したことによる、自然な合併だったのか。

(1)については、宅地化が進んだのは1960年代のことで、少なくともここ数年ではない、とのことです。
また、(2)も1960年代の話だから、合併が自然かと聞かれると、はてさて?ということでした。
合併旧町村と現在の地区が、旧神楽町=神楽+西神楽とは、厳密には異なるのですが、傾向を見るためなので、この場合は同じものとして考えました。また、他にも若干の相違があるようですが、それは誤差の範囲ということで、ご容赦ください。(論文のためなら、テッテー追求するとこですけども。)

周辺市町村から人が集まって来て、市域=住宅地が拡大し、合併することで「旭川市」の市域も増え、人口が増えた、が私の考えた考察結果です。(このことは、自然な合併だったと言えるかもしれませんね。)少しクドクて申し訳ないのですが、旧市域も1954年に比べれば人口が増えてますから、合併だけが人口増の要因ではないものの、市域の拡大は「旭川市」としては人口増につながっていること、人が集まることで第3次産業が雇用を創出し、人口増の好循環を生んだ、と考えます。本来であれば、各地区別の人口推移を、1954年当時から調べると良いのですが、今回はそこまでの調査はしておりません。ごめんなさい。ペコリ。

ご参考までに、旭川市のHPに、地区別人口推移が1994年から載っていましたから、2002年と比べると、
旧 市 域:165,175人から158,497人へ
合併地区:197,733人から204,708人へ
と、旧市域の人口が減少傾向なのに対して、合併地区の方は増えていますから、いつからかはわかりませんが、スプロール化は進んでいると思われます。

なお、合併した旧町村の中で、江丹別だけ桁違いに減少しています。これは、友人に理由を教えてもらいました。他の地区は全て上川盆地に面しており、時期的な差はあれ、旭川郊外を住宅地化しました。地区の中に山間農村部もありますが、宅地化された地域の、プラス分の方が多かったようです。しかし、江丹別は完全に山間部だけの地区であるため、農家が転出していく一方だったのでしょう、とのことでした。

もともとは、製紙工業がメーンであれば工業都市の苫小牧や室蘭、あるいは工業都市ではありませんが北見、帯広ほどの人口にしかならないだろうから、なぜ旭川市が36万もの人口を擁しているのか、の理由を知りたい、が発端でしたけれどだけ、考えるきっかけを頂いたことには、感謝しております。ちなみに今思っている例えは、旭川が道北の札幌で、北見は道東(道北でもある)の旭川、、、ますますわかりにくい例えになりましたか?すいません。

最後に、友人が、旭川の産業を教科書のように解説してくれたので、あわせてご紹介したいと思います。ホントは、旭川のためには名物、観光紹介の方がいいんだけど、と言ってましたが。

旭川地方の第一の産業は,稲作農業です。
上川盆地は,広く平坦で川が多い地形と,夏の高気温と冬の豪雪の気候条件から,開拓当初から稲作が行われた適地で,上川百万石と称される大米作地帯です。(上川盆地とは,旭川市,鷹栖町,比布町,愛別町,当麻町,東川町,東神楽町に亘る平地一帯のこと)

上川米を利用した第2次産業が,酒造,醸造業です。現在は男山酒造が全国的に有名ですが,かつては大雪山の名水を原料とした酒蔵会社が多くあり,また味噌,醤油の製造も盛んに行われました。

第二の産業は,木材加工業です。
現在は旭川家具のブランドで有名になりましたが,大雪山系の豊富な森林資源を生かして,製材,家具製造,民芸品加工などの木材加工業が盛んに行われています。

森林資源によって最大の工業生産高を上げているのが,日本製紙(株)旭川工場です。市内随一の高煙突で煙を上げているパルプ工場は,1事業所としては道北最大の従業員を抱える大工場です。しかし,近年,原料は海外産になり,林業,製材業は衰退ぎみです。

また,旭川は道北,道東への物流,交通の要衝であることから,国鉄旭川鉄道局は北海道一の規模を誇り,国鉄工場がひとつの産業と呼べるほどの,機械加工業の裾野を広げていました。しかし,最近は札幌への移管で衰退してます。(以上で、宿題?はオシマイです)
[11862] 2003年 3月 26日(水)17:18:01三丁目 さん
Re:バルト史
[11825]Issieさん
『新版 世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』,山川出版社というのがあります。

Issieさん、ご教示下さり、ありがとうございました。さっそく図書館へ行き、探してみようと思います。実は、先般紹介した「嵐の中の北欧」武田龍夫著(中公文庫)で、バルト3国についても若干ふれられていたので、流れの中で皆様にご紹介したい誘惑にかられたのですが、あまりに情報が少なすぎるので、思いとどまった次第です。これで知識を補強したいと思います。

バルト3国と聞くと、日本では、旧ソ連から久しぶりに独立をはたした国、程度のイメージしかないのでは、と自分自身がそうでしたし、思っていましたから、ご紹介したくなったのです。それに3国は、まとめられてしまってますし。親フィンランド派の私としては、特に、エストニアに興味があったものですから。

また、駄文を続けると、なぜ日本では北欧と聞くとスウェーデンのイメージがわくのか、先日、立ち読みして初めてわかりました。スウェーデンを、日本の進むべきモデルとして研究されたからなのだそうですね。すなわち、(1)高福祉先進国家、(2)200年弱もの中立国家、として、とある本に書かれていました。人口800万人強と、北欧最大ですから。

でも、この800万という数字すら、ご存知の方は、どれくらいいらっしゃるかなあ、と思ってしまいました。人口だけが全てではないですけど。

最後に蛇足ですが、本日は、現場からの直帰ということで、かような時間でも、自宅から書き込めるのでした。
[11811] 2003年 3月 25日(火)19:19:36三丁目 さん
ふんランド、ふんガリー
[11686]Issieさん
事実がどうかは別にしてフィンランド人やハンガリー人がフン族に連なるとしばしば信じられていることは確かです。

英語表記にするとフィンランド、ハンガリーが、それぞれフンに通じる音であるし、いくつかの資料でも出てくる話だったので、拙稿[11654]にてフン族とする「説が有力」と紹介したのですが、それは「しばしば信じられている」程度なのですか?揚足を取るつもりではなく、ご紹介した手前、できるだけ話を正確にお伝えしたい気持ちからの、ご質問です。

あくまで一般向に書かれた本からの情報なので、ご教示頂けると幸いです。もっとも、英語読みでこそフィンランドですが、彼ら自身の言葉ではSuomiですから、自ら否定するような話で、フンとフィンが似ているというのも、甚だ心もとない根拠であります。ちなみにハンガリーはMagyarですね。ますます、自分の話を否定。。。

フィンランド語とエストニア語が似ているという話は、私も読んだことがあり、興味を持っておりました。また、バルト3国について、詳しい資料をご存知でしたら、併せて、いくばくかの解説をご教示頂けると幸いです。なにせ、一般の書店では、日本ではあまり目にすることがないものですから。
[11766] 2003年 3月 24日(月)19:46:01三丁目[YJ3] さん
千葉市の拠点性
最初に申しあげますと、かねてから考えていたHNの変更をすることにいたしました。どうぞ宜しくお願いします。

それで、この話は、後にしようかと考えていたのですが、旭川ネタや北欧ネタに優先して、せっかく千葉市の話題が出たので。

[11759]松戸さん
私的にみれば、やはりちょっと千葉贔屓なんですが、千葉市も少しは独自の都市として頑張っている気はしています。
東葛飾や印旛の地域をはさんで東京とは少し離れていますし、昼間人口も中央区や美浜区は夜間を上回る値になっています。

3月21日の日経(首都圏版)を読むと、千葉市は東京への近さが裏目に出て、2003年問題といわれるオフィス事情が直撃し、千葉市中心街の賃貸オフィス空室率は1年以上にわたり20%以上で高止まっている、とありました。

かつて、バイクで国道14号線を走り、千葉市の友人のところへ行ったとき、なんてデコボコな舗装なのだろうと思いました。なんでだろう♪と当時、考えたのですが、千葉はその先がないからだ、とすぐに思い当たりました。

すなわち、神奈川県は、東海道沿いの西日本への交通の結節点、埼玉県も、北関東及び新潟、東北との結節点、しかし、千葉は???千葉で終わりで、その先がないのです。国道の整備優先基準はわかりませんが、千葉は低いのではないかと思いました。

ある銀行は、東京から出向く対応で十分こなせる、と判断し、千葉支店を閉鎖した、とも記事にありました。大企業が首都圏の拠点を集約する際、「まず千葉が閉鎖の候補地になることが多い」(市経済部)、とも記事では紹介されていました。

同じ千葉県でも、松戸、柏は常磐線沿いに茨城につながっていくぶん、千葉市とは地理的な立場が異なります。千葉市より都市としてのポテンシャルは高いのではないかと、私は考えていました。どうなるのでしょうか、千葉市は?
[11711] 2003年 3月 23日(日)18:31:01三丁目[YJ3] さん
Re:帝国大学
[11695]まがみさん
神戸大学はもう少しで帝国大学になれそうだったのに、敗戦で「帝国」でなくなってしまったために、帝大の仲間入りを果たせなかった
神戸商業大学は、東京商業大学と同様、元来、経済系の大学です。一橋大が戦後、文系の単科大学となったのに対し、神戸は姫路高専等との再編により総合大学になってしまいました。東京が一橋、東工大、という分けに対し、関西では、大阪工業大、神戸大、にはならずに、阪大が先に帝国大学になってしまったがために、関西では東京のような分かれ方にならなかった、と聞きましたが。。。

[11692]special-weekさんへ

職場で「二期校」で検索したときに、文部科学省のHPにヒットし、学制100年史をしばらく読んでしまいました。お時間があれば、文科省のページをご覧になると、教育機関の成り立ちがよくわかりますよ。何せ、本家本元が書いてますから。お役所の文書だから、まどろっこしいぐらい、正確に細かく記述してありますけど。下記をご参考になさってください。

http://wwwwp.mext.go.jp/v120nen/index-100.html

蛇足の話ですが、私の父は山形出身のためなのか、名大のことをあれは帝大じゃない、と言ってました(東海地方の方、ごめんなさい)。東北大が明治時代から帝大だったのに比べると、敗戦までのわずか数年、帝大だっただけだから、かもしれませんね。念のため、父の非礼を重ねてお詫びいたします。
[11690] 2003年 3月 23日(日)11:40:30【1】三丁目[YJ3] さん
ノルウェーって、フィヨルド以外にイメージわきますか?
[11671]夜鳴き寿司屋さん
フィンランドの歴史は把握していたのですが(中略)
中欧のほかの3カ国はファシスト政権が成立しており(他にもノルウェーやクロアチアにも傀儡ファシスト政権あり)

[11684]ニジェガロージェッツさん
小生もロシアとフィンランドの領土問題では、親フィンランド派ですが

私が書き込める話は少なくなりつつあるかも、と思っていたこの頃、反応したくなる話題を提供して頂き、ありがとうございます。日本で北欧と言うと、スウェーデンの印象が強いし、スウェーデン関係の本がほとんどなので、フィンランドの経緯をご存知の方が他にもいらっしゃることを知り、驚きました。ニジェガロージェッツさんは、ロシア側からのご賢察でご存知かも、とは思っておりましたが。

北欧を5カ国(フィンランド、アイスランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)と表現するときが、最も国数が多いわけですが、その中で、フィンランドは拙稿[11654]にてご紹介したように、民族も違えば言語も違います。アイスランドは、私が持っている資料では「われら北欧人」(東海大学出版会)で簡単にふれられている程度で、ご紹介できるほどのデータを持ち合わせていませんので、お詳しい方のフォローをお願いしたいと思います。それ以外の3カ国は、共同でスカンジナビア・エアを運行するなど密接な関係で、特に言語の関係は、おもしろいです。

ノルウェー人にとって、デンマーク語を読むのは容易だが、聞く方は読むほどに理解できない。スウェーデン語は読むのは困難だが、話されるとよくわかる。デンマーク人に言わせると、聞く分にはノルウェー語とスウェーデン語の違いがわからない、とのこと(以上は、古~い「地球の歩き方」から引用)。日本語で強引に例えると、各地の地域言葉どうしのような関係、といったところでしょうか。

と、引用とは関係のない書き出しになってしまいましたが、ノルウェーのこと。親ナチスの政権が樹立されたのは事実とはいえ、親ノルウェー派の私としては、若干ご説明したくなりました。

ノルウェーは、11世紀に国内を統一しました。1397年に、スウェーデン、デンマークとの同君連合(カルマル同盟)を結成しましたが、次第に主導権がデンマークへ移っていきました。しかし、1523年にカルマル同盟は解体し、1536年にはデンマークがノルウェーを併合しました。しかし、1814年のデンマークとスウェーデンのキール条約により、今度はスウェーデンの支配下になりました。しかし、ノルウェーはこれを受け入れず、同年、ノルウェー憲法を制定しました。スウェーデンは、その独立と新憲法を認めつつも、スウェーデン王がノルウェー王を兼ねる、という形になりました。

ちなみにノーベル賞が創設されたのは1901年。まだ、ノルウェーがスウェーデンの支配下にあった頃で、平和賞だけノルウェーなのは、その関係です。1905年には、平和裏にスウェーデンからの独立をはたし、第一次対戦中は中立を保てましたが、第二次大戦時にはドイツにあっという間に占領されてしまいました。占領前から、ノルウェー国内にはクィスリングを党首とする親ナチスの政党があってナチスとは連絡を取り合っており、そういう意味では、「一部の」ノルウェー人がナチスを招き寄せ、傀儡政権を樹立させた、という表現が正しいかもしれません。

このときに、ノルウェー国王が、スウェーデンへの受け入れを要望したにもかかわらず拒否され、イギリスに行かざるをえなかった、という事実は、その後の国民感情に影響を与えているようです。あまり、スウェーデンのことを悪く言いたくない(私が好きだった女性の母国だから)のですが、フィンランドとの関係でも、スウェーデンがフィンランドとの同盟に合意していれば、フィンランドはドイツとくみすることがなかったかもしれない、と思います。現実に、スウェーデンはドイツ軍の資材、兵器輸送を1940年に承認しているのですから。

勢いでもう少し付け加えると、パワーポリティクスの中で、スウェーデンはしたたかであり、それによって近世の200年弱も中立を保ってきました。北欧の強国だからできたことでしょうが、では、かつて支配下にあった小国(フィンランド、ノルウェー)はどうすればいいのか???自国スウェーデンのためなら関係ないと言い捨てるのか???とたぶんに政治学的になりがちなので、この話はここで終わりにします。このあとに、実はだいぶ書き加えたのですが、考え直して削除しました。

ノルウェーの話に戻りますが、そのような経緯があったものの、反ナチスへの国内でのレジスタンス運動は盛んで、ドイツの降伏により、ようやく独立を回復しました。それで、そのような経緯があったため、第二次大戦後は、すぐにNATO(ネイトオゥ)に加盟しました。余談ですが、フランス語ではOTANとつづりが全く逆になることを、昨今のニュースで初めて知りました。ちなみに、1945年7月8日にノルウェーは対日宣戦布告してますが、枢軸国側に宣戦布告したかどうかが、敵国条項適用可否の判断につながっているのですか?そうだとすれば、あまりに酷い判断基準です。

実は、ワタクシ、ムンクの絵(特に色づかい)が好きでして、それでノルウェーのことを調べたのでした。日本でムンクと言うと「叫び」の印象が強すぎて、好きというとエェッ?と引かれてしまうのですが、叫びだけではありませんので、念のため。実はホームステイしたことがありますが、ムンクが好きと言うと、皆さん快く迎え入れてくれたような気がします。他にも作曲家グリーク、作家イプセン、そして彫刻家ヴィーゲランが有名です。

ちなみに、私が行ったことのある北欧は、11月中旬から1月中旬まででして、なんといっても日が出ている時間が短い。ぜひ、夏のトップレス北欧を見たいと思いつつ、その願いは、なかなか叶いません。ノルウェーで泊めていただいた家の女性は、たいへん心根の優しい女性で、私が親ノルウェー派になった一因でもあります。

ノルウェーの紹介というよりは、私情を含めてスウェーデンを絡めた話になってしまいましたが、以上でお話をおわりたいと思います。
[11654] 2003年 3月 22日(土)17:42:36三丁目[YJ3] さん
フィンランドって枢軸国?
[11558]夜鳴き寿司屋さん
日本には「旧敵国条項」が規定されておりドイツ、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなど枢軸国にかつてついた国が規定されています。
どうにも、フィンランドへの誤解?をときたいという気持ちにかられてしまい、書き込む次第です。親フィンランド派のワタクシとしましては。

簡単に、フィンランドのことをご紹介したいと思います。敵国?枢軸国側だったフィンランド?と理解されては、親日的なフィンランド国民に申し訳ないと思いましたので。ホームステイさせてもらったこともあるし。敵国条項に該当する国の中で、私が経緯を知っているのは、フィンランドだけ、というのも理由ではあるのですが、歴史を語って申し訳ありません。

現在の、フィンランド地域には、東方からフン族が民族大移動により住みついてきたという説が有力です。フン族は、もともとアジア系でしたが、移動の途中の様々な交流の中で、現在の金髪碧眼になりました。フィンランド語は、母音が多く、そのままローマ字読みすれば、とりあえず日本人でもそれらしく発音することはできます。

しかし、12世頃にスウェーデンが東方に進出してきたことにより、その支配下に組み入れられました。長らくその状況が続いた後、北方戦争で敗れたスウェーデンが、1809年、ロシア(当時)に、フィンランド地域を割譲しました。それで今度はロシアの支配を受けたわけですが、1917年に、ロシア革命のさなか、独立を果たしました。フィンランドでの公用語が、フィンランド語とスウェーデン語なのは、長いスウェーデン支配の名残です。

フィンランドの独立前に、日本が日露戦争で大国ロシア(当時)を破ったことは、民族を勇気づけ、当時生まれた子供に、トーゴーあるいはノギと名づける人がいたほどでした。ちなみにフィンランドにはトーゴービールがあるそうですが、私がフィンランド滞在中には、飲んだことがありません。だって、アルコールは値段が高いですから。

話がそれましたが、フィンランドが独立を果たした1917年前後は、国際情勢としては不安定な時期でした。その後、ロシア革命を果たしたソ連から、レニングラード防御のためとして、フィンランド領土の租借・割譲要求がありました。しかし、それを断ったフィンランドは、侵攻してきたソ連と冬戦争(1939~40年)を戦いましたが、最終的には、カレリア地方を割譲することで終結しました。この戦いは、小国が大国ソ連と互角に戦ったとして、世界中から賞賛がよせられました。

しかし、冬戦争が終わった1940年当時と言えば、既にドイツが1939年にポーランドへ侵攻し、その2日後に英仏がドイツへ宣戦布告していたなどの情勢でした。そんな中、フィンランドはいろいろな道を模索したものの、最終的には、2大勢力のドイツ又はソ連のどちらかを選ばざるを得ない状況になってしまいました。ドイツもまだ、破竹の勢いでしたし。

それで、1941年のドイツのソ連侵攻にくみして、フィンランドは対ソ連との継続戦争に入っていったのでした。しかし、日独伊のような同盟とは異なり、手段としてナチスドイツと組まざるを得なかったので、独ソ戦の趨勢が見えてくる過程の中で、フィンランドは1944年にソ連の和平条件を受諾し、領土をソ連に割譲することで、継続戦争は終わりました。

この結果、フィンランド国内に残っていた20万ものドイツ軍を国外へ追い出すことが必要になり、6~7ヶ月かかって、やっと成功しました。しかし、せっかく冬戦争で得た賞賛は、「ナチスと組んで連合国に戦争をしかけた」ことで、吹き飛んでしまいました。これが、現在の国際連合で、敵国条項が適用されている理由です。

しかしながら、旧ソ連と陸続きの長い国境線を接しながら、自由主義陣営(今となっては古い言葉ですが)の一員として、1952年にはヘルシンキオリンピックを開催するまでに復興し、経済成長には紆余曲折があったものの、現在は、成長分野の通信産業ががんばっている、きょうこの頃です。ちなみに人口は500万強です。

当時の複雑な国際情勢を、相当端折って書いてしまいましたが、大雑把にするとこのような感じです。参考文献としては、「嵐の中の北欧」武田龍夫著(中公文庫)をベースとして、他にもいくつか読んだものを切り貼りしてます。日本では、北欧と聞くと、スウェーデン、ボルボ、サーブ、エリクソン、そしてフィンランドのノキアがあがるくらいで、あまりイメージがわかないかもと思ったものですから。

ちなみに、フィンランドでは、お客さんを家族全員で素っ裸になってサウナに入ってもてなすと、観光ガイドで読んでたので、ホームステイのときにドキドキしてました。私がお世話になったお宅には、18歳のお嬢さんがいたからです。残念ながら?私が期待したようなことはなく、タバコのヤニくさいお父さんと2人でサウナに入りました。

最後に付け加えるようで申し訳ないのですが、白桃さんへ。もっと前の書き込みでお礼申し上げるべきだったのに、今さら気づいたものですから。私の書き込んだ国勢調査のデータをチェックして頂き、ありがとうございました。
[11594] 2003年 3月 21日(金)17:09:20三丁目[YJ3] さん
Re:政令市の温泉
[11590]まがみさん
仙台市には秋保温泉と作並温泉が比較的有名どころ
作並温泉の名は知ってましたが、定山渓、有馬ほどでは・・・。たしか、まがみさんは大阪府在住と記憶してますが、大阪では知られているということになるのでしょうか?私は、尼崎、西宮、神戸に住んでましたが、他の関西の人が知ってるかと言うと。ウ~ン?感覚ですからね。ま、この話はこのへんで。

[11575]白桃さん
「合併で人口が増えた」の意味がよくわからないのですが
旭川について、もう少し考えていたのですが、職場にデータがあるものですから(自宅にはエクセル、ワードがないのです。トホホ)、後日、改めて付け加えたいと思います。実は、道内都市シリーズとして北見、帯広、釧路を考えているのですが、道央、道南は居住経験等があるのに比べ、極端に見聞がないので、どうしようかと迷ってました。旭川出身の友人が、現在は釧路在住5年目なので、そこからの情報に頼ろうかな、とも考えているのですが。自信を持って書けるのは、見聞情報があるところなので。
[11589] 2003年 3月 21日(金)15:42:57三丁目[YJ3] さん
らいさわ駐日アメリカ大使
[11567]だんなさん
「来沢」ですね。もちろん読み方は「らいたく」です。
北国新聞を読んでいたはるか20年以上前の記憶で、来沢は覚えてはいたのですが、自信がなかったので、[11540]にて来札と同時には、来沢を書けませんでした。でも、「らいさわ」と読んでましたから、間違いを訂正できました。ありがとうございます。

全然、違う話ですが、私がこのような間違いを犯してたのは、新聞に振り仮名がふっていないからだ、とつくづくうらめしく思うこの頃です。常用漢字(当用漢字と言った方が良いのですか?)による使用漢字制限のため、逆によほど難しい漢字でないと、振り仮名が振られなくなった、と聞いてます。

戦前の活字は、難しい漢字を多用していた反面、振り仮名が振られていたから、繰り返して見ているうちに、自然と覚えて難しい漢字も読めるようになったと聞きました。日本人の日本語力が、落ちてきている一端は、そのあたりにあると痛切に感じます。北海道の難読地名は、漢字の教養が豊かだった、明治の人によってつけられてますしね。コジツケ、当て字も結構、ありますが。

で、難読地名の簾舞(みすまい)にこじつけて、札幌市南区の話に強引につなぎますが。
[11519]special-weekさん
定山渓が札幌市というのがそもそも違和感あるのですが、それはよいとして、南区となると無理があるような気がします。生活上のつながりもなさそうですし
には反論です。札幌圏では、生活する上で、何かと言うと札幌圏へお買い物に行きます。苫小牧を札幌圏とは言いませんが、それでも休日に先輩達と、よく札幌へ行ったものです。余談ですが、私がいた頃の苫小牧は、人口が16万に達したものの、22時を過ぎて開いてる喫茶店はRというファミレスの1軒しかありませんでした。また、Mという日本一のハンバーガーチェーンもなく、札幌に出るたびに食べて、嬉しがってたものです。ウゥッ、寂しい(涙)。。。

話はそれましたが、定山渓地区も、国道230号を通じて、石山、真駒内地区、そして市の中心部へつながっていきます。中山峠を越えて、山向こうへは買出しに行かないでしょう(推測です)。したがって、少なくとも現在の定山渓は、札幌市に属する意味があると思いますが。自宅のため、職場でダウンロードした札幌市のデータを確認できないから、推測で書き込んでて、すいません。

ついでなので、ここで、私が勝手に思ってたことをご披露します。札幌と神戸って似てませんか?

ともに定山渓、有馬と有名な温泉街を抱える政令指定都市。というか、似ているのはそれだけなんですが。強いて言えば、それが、南北に逆転した地形だということでしょうか。政令市で有名な温泉地があるところが、他に思い浮かばないだけなんですけど。
[11569] 2003年 3月 21日(金)09:23:03三丁目[YJ3] さん
「帰神」
[11563]kenさん
神戸=神は、個人の勝手な造語ではないんじゃないですかね。
舌足らずな表現で、誤解させてすいません。神戸を略すときに「神」を使い「来神のおりには」はありますが、「帰神」という言葉はないのでは、という意味です。「帰神」という葉書を見たときに、後輩一同、神様のところへ帰る?教会へ行くということ?と笑ったのでした。神戸に帰るよ、と伝えたい気持ちはわかりましたが。

[11552]雑魚さん
水戸への来訪を「入洛」よろしく「入水」とは決して言いません。(笑)
シャープな切り返し、お見事です。軽やかな遊び心?の書き込み、感心して読んでます(笑)。で、「来水」とは使うのでしょうか?
[11540] 2003年 3月 20日(木)20:21:43三丁目[YJ3] さん
Re:来阪
[11527]まがみさん
大阪に来ることを「来阪」とも言いますね。
出すか迷っていたのですが、来阪に応えて。

地元紙を読むと、その土地に来ることを、漢字一字で表すことがよくあります。札幌に来ることを「来札」とか。私の先輩は神戸に帰ることを「帰神」と言ってましたが、その人の勝手な造語のような気がします。

で苫小牧民報、室蘭民報を読んでいて出てきた表現。苫小牧「来苫」、千歳「来千」、室蘭「来蘭」他にも地元で使っている略し方があると思いますが。
[11539] 2003年 3月 20日(木)20:11:40三丁目[YJ3] さん
函館と旭川
函館と旭川は北海道第2の都市を争っていた記憶がある、と友人からのメールにあり、ン?と思い、しばらくメールのやりとりをしました。私は、道内都市の人口の順は、札幌、旭川、函館、釧路で固定状態と思っていました。調べてみると、人口が都市に急速に集中した1960年代に都市間競争、というか、人口面で「抜きつ抜かれつ」ではなく「抜かれて抜かれ」があり、その頃に、現在の順が固定したのでした。

見聞した情報は函館が多いのですが、旭川出身の友人からの情報等で知識を少しは補強したので、両市を簡単にご紹介したいと思います。

函館は、古くは室町時代、松前藩の時代から、そして幕末に開港した5港の1つであり、北海道では数少ない、日本史にその名が出てくる都市です。「天然の良港」だったため、港町としても発展しました。飛行機が庶民の足でなかった連絡船の時代には、函館は北海道の表玄関であり、函館の人(お年寄り?)は、函館以遠(札幌など)を「奥地」と呼ぶと聞きました。

世界3大夜景の1つとして有名で、行ってみたい観光地によくあげられるところです。かつて道内ナンバー1だった人口が、道都札幌に抜かれたのは仕方ないにしても、旭川にも抜かれナンバー3になってしまい、函館市民には、人口は抜かされたけど歴史は道内一古いもんね、という思いがあるようです。

一方、旭川。戦前は陸軍の駐屯地として北方日本の守りの要衝でしたが、人口が急速に増えたのは戦後です。1960年代に函館、小樽を抜き、道内人口第2位となりました。道北・道東(網走・北見等)地域の商業・流通の拠点として発展しました。2000年には、道内初の中核市となったところです。

実は、私は、旭川がどうして36万もの人口を擁しているのか、イメージがわきませんでした。旧市がわずか42平方kmだったのに、江丹別村(1955年)、旧神居村(1955年)、旧永山町(1961年)、旧東旭川町(1963年)、旧神楽町(1968年)、旧東鷹栖町(1971年)と合併し、面積は747平方kmと、17倍以上になりましたから、合併で人口が増えたのかと思いました。地区別人口でも、江丹別を除いて、それぞれ合併時よりも人口が増えてますから。しかし、メールでの意見交換や資料を見ると、合併だけが旭川市の人口増の要因ではない、と考えるようになりました。

簡単に説明すると、都市に人口が集中し始めた高度成長期、求心力のある中心市に周辺町村から人が集まり人口が増えた、全国で見られた現象が、道北では旭川だった、ということのようです。例えると「道北の札幌」に該当するでしょうか。札幌は、現在も道内への求心力で人口が増え続け、リトル東京化が進んでいます。ま、札幌が全国区で観光イメージもある巨大都市であるのに比べ、旭川の地味な印象はぬぐえませんが。

このことは、観光で有名な道内の「都市」は、札幌、小樽、函館で、イメージもそれぞれ伝わるものの、
[10608]uttさんの
北海道は何故か地域性を感じにくいですね。
と、道外では感じられるのでしょう。私が旭川のイメージがわかなかったことと、同様かもしれません。前述の3市は、それぞれ、古い建築物が市内にあり、観光イメージの向上につながっていると思いますが、それらを除くと、どちらかといえば、観光は、都市よりはまわりの自然が売りですしね。なんて言うと、観光に力を入れている市町村の担当者から怒られそうですが。

以前、亀田市域が[6083][8406]等で話題に上がってましたが、友人は、旭川在住だったにもかかわらず、函館を意識していたから、亀田市域を知ってました。五稜郭周辺より北の平野部はかつては亀田市で、函館市は室蘭市と同じく、半島部だけの狭い行政範囲だったのに、合併で人口を増やしてズルイ、と思ったそうです。たしかに、国勢調査ベースで1970年と1975年の間の函館市の人口急増は、亀田市との合併が効いてますね。ちなみに、合併直前(1973年11月末)の亀田市の人口は67,007人でした。

ついでの情報として、函館市と合併した市町村は、湯の川町(1939年)、銭亀沢村(1966年)、そして亀田市(1973年)です。

今は、それぞれの道を歩んでいる函館と旭川ですが、かつてライバルだったということで、ご紹介を終わりたいと思います。オマケとして、国勢調査ベースの道内最古参6市(1922.8.1市制施行)の人口推移をのせときます。打ちミスはないと思いますが。

(単位:人)札幌函館小樽旭川室蘭釧路
1920年102,580144,749108,11354,93156,08239,392
1925年145,065163,972134,46964,99150,04042,333
1930年168,576197,252144,88776,54155,85551,586
1935年196,541207,480153,58783,68365,09556,170
1940年206,103203,862164,28287,514107,62863,180
1947年259,602211,441164,934107,09096,72261,368
1950年313,850228,994178,330123,238110,44393,357
1955年426,620242,582188,448163,483123,533119,536
1960年523,839243,012198,511194,621145,679150,624
1965年794,908243,418196,771257,206161,252174,105
1970年1,010,123241,663191,856300,593162,059191,948
1975年1,240,613307,453184,406321,969158,715206,840
1980年1,401,757320,154180,728352,793150,199214,694
1985年1,542,979319,194172,486365,036136,208214,541
1990年1,671,742307,249163,211362,453117,855205,639
1995年1,757,025298,881157,022362,959109,766199,323
2000年1,822,368287,637150,687364,093103,278191,739

追伸

拙稿[11075]で苫小牧市は順調に人口が伸びている、と書きましたが、地元紙(苫小牧民報、室蘭民報)を読むと、12月末現在で、2001年に続き、2002年も人口が減り、人口が減少したこと自体、市制施行以来、初めてなのに、2年連続なので危機感があるようです。人口動態別に見ると「社会増加」での減少が止まらないことから、対策を検討しているようです。

また、[9574]で室蘭市の人口が18万を超え、と書きましたが、国勢調査ベースでは16万人強なので、気になって室蘭市役所に聞いてしまいました。というのも、私の在住当時に聞いた話で、データとして確認してなかったからです。結論としては、1969年7月の住民基本台帳ベースで、183,605人だったのがピークでした。国勢調査の方が少なめになりますから、とのことでした。

室蘭市の人口密度が道内1位だったという話も、併せてお聞きしたのですが、対応してくださった職員の方も聞いたことがあるそうです。が、データ的には確認できませんでした。ただ、人口が多い他の市に比べ、面積が圧倒的に小さい(80平方km)ことから、人口がピークだった頃にトップだったことは、まず間違いないと思います。
[11416] 2003年 3月 18日(火)21:39:33三丁目[YJ3] さん
しゃっかてん
[11408]kenさん
「じゅっぼんのてつどうろせん」は「じっぽん」が正解ではないですかね
江戸っ子は「ひ」と「し」を言えねぇんでぃ(笑)。職場の人が入力した百貨店は「しゃっかてん」でした。「ひ」と「し」を言い分けられない人は、書き文字でも同じようにされるのかぁ、と思ったものです。言葉には「ゆれ」があり、違和感を感じる言葉も、それが多数を占めれば正しい言葉になってしまうようですよ。

私は「全然~ない(否定形)」を、全然OKと言われると違和感がありますが、もう少しすると、全然OKの方がよく使われる言い方で当然の用法になるのかもしれませんね。

最後に。夜景情報を書こうかと思ったのですが、あまりに地元の密やかな楽しみを紹介すると、ちとあれかな?と思ったので、言葉で少々説明するにとどめます。

(1)神戸の天狗岩からの夜景は、180度のパノラマと、天候がよければ和歌山まで見えるのが最高でした。
(2)函館の裏夜景。函館山を市域の北西側の高台から見るものです。絵葉書で見たことがあるので、ご存知の方もいらっしゃるかも。
(3)苫小牧の夜景。糸魚川沿いに上がり、ゴルフ場方から振り返ってください。平坦な苫小牧には珍しく、夜景が見れます。ほとんど人はきません。ムフッ?
(4)室蘭の夜景。白鳥台ではない、もう少し東北方の住宅街を上がったところにあります。これまた、人は来ません。ムフフッ?地元の人に聞いても、あまりわからない場所かも。

ムフが多かったですけれど、私自身は、夜景を見たことしかありません。念のため。
[11405] 2003年 3月 18日(火)18:57:23三丁目[YJ3] さん
脱東京は、現実には難しいと思います
[9556]touhembokuさん
さわやか青年のtouhembokuです。
[11382]touhembokuさん
首都圏にすまないというのは首都圏にある会社に就職しないという意味でしょうか?それとも首都圏に会社があっても遠くから通えという意味でしょうか?
昨日、[11362]で、自分が首都圏に住みたくないから、地方本社の会社へ就職しました、とお話したかったのを、いろいろ話をそらして長ったらしい、わかりにくい文章になってしまい、申し訳ありませんでした。なお、首都圏の事務所へ新幹線通勤等で遠距離通勤しろ、という意味ではなかったことをご理解ください。それでは、首都圏に住んでることと同じだと思いますから。

それで、地理からはずれる話で恐縮なので、簡単にまとめるようにします。touhembokuさんもお若いのですよね。それで、ご参考になるかどうか。私がした行動以外に、首都圏以外で働くのを主に就職という面で、どのような職業が可能か、考えていたことをマジメに列挙したいと思います。

(1)地方公務員(学校の先生等もあります)
(2)首都圏本社以外の会社員(信用金庫等だと勤務エリアは限定されます)
(3)税理士等の資格に基づく仕事(人脈でお客さんを獲得する面が大きいから、Iターンで見知らぬ土地へ飛び込むのは困難?)
(4)自分の技術で仕事を獲得(家業を継ぐのもありますが、昨今だとIT関連がポピュラーですか?)
(5)新規農業従事者
といったところでしょうか。

それで、一極集中を解消するための仕事としては、
(6)国家公務員(国土交通省、産業経済省等)
(7)国政政治家(地元への利益誘導)

(7)は現実的ではありませんから、政官のうちの官で、(6)として分析・立案・提案が良いと思います。で、私自身は(2)を選んだわけですが、それは地方に住みたかったからです。帰る地元があれば(1)、(2)、(3)が実現容易でしょう。私にはこの程度の発想しかなかったので、逆に、地方で現実に生活されてる方が、どのような仕事なのか、興味があるところです。

最後はお願いということで。拙稿[11008]で北海道の桜をご紹介しまして、special-weekさんにおかれましては、アーカイブに採用して頂ければ、と。市町村合併が低調な北海道は、こちらではなかなか話題に上らないようですので、北海道紹介大使(ウソです)として、ご紹介できれば、と思っているものですから。
[11362] 2003年 3月 17日(月)21:12:23三丁目[YJ3] さん
東京一極集中に対して一個人ができることは?
大げさなタイトルでしたが、

[10592]松戸さん
最近つくづく思うのは、東京の人口をもう少し分散させたら・・・と。(中略)
日本には大都市が多くあるので、分散させる余裕はあるんじゃないでしょうか?

[11076]startさん
これからの日本は一極集中から地方分権に変わるべきだと思います。

を読んで、松戸さんは高校生でこういう発想がでてくるのはエライ、と思いました。startさんも、私よりも相当お若いようなので、若年層への提言?ということで、お話したいと思いました。
それで、一個人でできることは何か、を自分自身が実行した例で、ご紹介いたします。というのも、私は、就職する段階で、東京本社という会社は多く、経済活動のために全国から東京に人が集まるから、ほっといても東京は発展するので別のことをしたい、という思いがありました。

また、私の両親は山形の出身ですが、私自身は山形に住んだことがなく、自分は転勤族だからドコという出身地を言えない、というコンプレックスがありました。さらに、父は最終的に旧大宮へ家を建て、そこを終の棲家としたので、地方出身者って故郷へ帰らずに、最終的に首都圏に住むのかぁ、という反発もありました。それで故郷を作りたいという気持ちと、地域振興を仕事としてできれば、という思いで北海道の会社に就職したのでした。

しかし、その後いろいろ考えるところがあり、北海道から転職してしまい、現在は首都圏で働いているところです。それで、私が実行したアンチ東京集中は、と言えば、自分が首都圏に住まないようにする、でした。でも、実際のところは難しいですよお。なにせ働く機会は首都圏が圧倒的に多いのですから。日経の日曜日の求人広告を見て頂ければわかります。ほとんどが東京に事務所を構える法人です。就職ではなく、個人の力でガンバル、というなら別ですが。。。

私が地方生活で感じた東京発信ニュースのウソは、バブルのときでした。「本日、信託銀行の前に長蛇の列が・・・」とテレビでありましたが、信託銀行すらない10万人都市に住んでては、どこの世界の話?でした。また、街の人の声を聞きます、といって紹介されるのは、在京キー局が取材可能な東京の人の声でしかありません。テレビのニュースは、東京発があたかも日本全国に通じるかのように流していますが、あれは誤解だと思います。確信してやってるとすれば、たいしたデマゴーグですが。

それで、国土の均衡ある発展についてですが、以前から言われているところでして、私の記憶では「四全総」が最新ではないかと思いますが、いろいろと政官で考えられてはいるのです。10年ほど前の首都移転法も、その一つです。しかし、日本は、江戸時代は地方分権でしたが、明治以降の140年足らずで中央集権の発想が染み付いて、それから離れられないのです。

よく、政治の中心Washingtonと経済の中心N.Y.と分離している例のアメリカが引き合いに出されますが、日本の明治維新以降とでは成り立ちが違います。日本では中央集権を進めてきたのですから、今さら分離は困難です。現実に首都移転が進まないのは、経済的理由が最大ではありますが、明治以来の発想から変われないのも大きな理由ではないかと、考えています。別のレベルの話ですが、政治の場が経済の場と離れるのは、今後のことを考えると、今の日本の経済では、国際競争の点からたいへん不利である、と思えます。

長くなりましたが、一個人でできることは、自分が首都圏に住まないことではないかと思います。私のムチャクチャな意見が変なアドバイスとならないことを期待して、今回は終わりにしたいと思います。
[11271] 2003年 3月 15日(土)17:27:11三丁目[YJ3] さん
路線バス運営のこと
[11260]spcial-weekさん

[11263]般若堂そんぴんさん

[11265]般若堂そんぴんさん

[11268]spcial-weekさん

と、続いたところに、割って入って申し訳ありません。私が足の手術のために1ヵ月半入院したときに、入院しているお年寄りから聞いた話は、目からウロコ、でした。というのも、お年寄りにとって、駅の段差の上り下りは大変なんだそうです。だから、鉄道駅よりはバス停の設置はこまめだし、上り下りも比較的楽なので、バスの方が利用しやすいそうです。

バスの利用者には、交通弱者が多いのではないか、と私は推測しています。したがって、健常者(交通強者?)の視点で路線廃止を考えるのは、いかがと思い、思わず反応してしまいました。

もともとは、東京一極集中についての私見を書こうかな、と思って、過去ログを読んでいたのですが、つい、割って入ってしまい、申し訳ありません。
[11156] 2003年 3月 13日(木)20:08:02三丁目[YJ3] さん
Re:2579
先日、友人にメールで、中国地方の由来のことを紹介しました。すると、電気専攻だったけど、書き込まれている内容に反論があるとのことで、3、4度ほどメールでやり取りしました。それで、私も記紀の時代の「中つ国」が中国という地域名の由来説がソウカモナと思うようになり、ご紹介がてら、代理書き込みいたします。本人は、任せる、と言ってるものですから。以下、引用です。

中国地方の由来は,古事記および日本書紀(以下,記紀)の神話に出てくる「中つ国」を起源とする説が有力とされています。

日本神話では,皇祖神とされるアマテラスと,その弟神スサノオとの天上界でのやり取りが,天の岩戸伝説でよく知られていますが,アマテラスと決別したスサノオが地上に降り立ったのが,「中つ国」の出雲だったとされています。

スサノオは,ヤマタノオロチ退治を経て,出雲に本拠を構えて中つ国の統一事業に乗り出します。
そしてその息子とされるオオクニヌシは,因幡の浜で泣いていたシロウサギを助けると,ウサギの予言によって兄たちを出し抜くことができ,ついには中つ国の覇者となったのです。

しかしその後,オオクニヌシは天上界からの侵略者との戦いに敗れ,自分を出雲大社に祭ることを条件に中つ国の覇権を明渡す,国譲りにより隠居します。そして神話は日向の高千穂への天孫降臨,つまり天下り以降,天皇家の祖先,天つ神の話が続き,出雲は神話の舞台から遠ざかります。

以上の記紀の記述から,中つ国とは,天つ神による大和朝廷以前に,スサノオ,オオクニヌシら国つ神の出雲政権が支配した領域のことであり,山陰地方を中心とする地域であることは確かだと言えます。

それでは中つ国,つまり出雲王国の領土は,山陰地方だけだったのでしょうか。

記紀は天皇家の正統性を誇示することを主目的としており,アマテラスに始まる天つ神の神話だけを書き連ねればよかったはずです。それが,打倒した出雲の王の活躍を,こうまで高らかに書かなければならなかった理由はなんでしょうか。

その答として,実は出雲王国が日本最初の統一国家であり,大和朝廷はその政権を簒奪した革命勢力だったというのが,隠された史実だと考えることができるのです。 記紀では出雲王国の存在を隠そうにも,出雲の習俗が全国に浸透してしまっていたためにできず,国つ神の神話としてメインストーリーに残さざるを得なかったのだと考えられます。

つまり中つ国は,少なくとも現在の中国地方全域,さらには近畿や北九州までもを領域とする,古代日本の中心地域のことだったと考えられるわけです。出雲政権の領土が広範囲に亘っていたことを裏付ける根拠として,以下のことがあげられます。

(1)国譲り以降の大和朝廷による日本統一に至る過程で,吉備の豪族との戦いや,九州での反乱(磐井の乱)などが記述されている。もし,出雲政権が山陰地方だけの豪族勢力だっ たとすれば,これらの反乱と同様に扱われて,神話前半の主人公には出てこないはずである。これらの反乱は,出雲政権の残党か,新政権の支配に反発した豪族勢力との戦いだったと考えることができる。

(2)日本全国には,スサノオやオオナムチ(オオクニヌシ)を祭神とする神社が数多くあり,大和朝廷の支配以前に,出雲王朝の支配が広範囲に及んでいたことが推定される。また,祟神天皇の時代,疫病が大流行したため,その名のとおり全国に多くの神社を建立したという伝説があるが,これは歴史から隠蔽されようとした国つ神の怨霊のせいだと信じられたためで,それを鎮めるために国つ神系の神社が多く作られたという説もある。

(3)さらに
・天つ神の元祖アマテラスを祭っているのが,近畿の外れの伊勢神宮であること
・ニニギノミコト,ウガヤフキアエズ,神武天皇などの天皇家の祖先を祭っている神宮の多くが,宮崎県(日向)にあること
・天皇の陵墓である古墳の多くが,大阪府(和泉)にあることがあり,大和地方は,朝廷の本拠地でありながら,天皇家を祭る宗教環境になかったことを物語っている。

つまり,中つ国」とは古代日本全域のことであり,その主要地域が現在の中国地方だったことから,その名前を起源としていると考えられているのです。

ということで、既にアーカイブにあるし、半年以上前の話題なので、ちょっと書き込みをためらいつつも、ご紹介しようと思った次第です。
[11080] 2003年 3月 12日(水)21:10:09三丁目[YJ3] さん
Re:仮免ライダー
[11076]startさん
仮「免」ライダー
はご勘弁願えませんか?酒を飲む手が、思わず硬直してしまいました。クウガから始まる平成シリーズが始まっていますから。。。それで、1、2号仮「面」ライダーですが、九州でダブルライダー編があった(そのときの旧1号のことを桜島ライダーとファンは呼ぶそうです。私はファンじゃありません。念のため)それ以外にも、「怪人カニバブラー北海道に現る」等、たくさんあります。だから、東京でのロケのみに見えますが、必ずしもそうではありませんよ。必ずしも、東京征服だけではないと思います。ちなみに、1、2号仮面ライダーが闘った地域は、神戸、白糸の滝(紀伊)、室蘭、昭和新山そして最終回の浜松でのパルパル遊園地等、多数ありますから。。。こういう話題で反応してしまった自分自身のことをも心外に思うとともに恥じてしまいます。。。

地方分権については、機会があれば、詳述したいと思います。私が北海道の会社に就職したのは、ほっいても東京には人が集まるのだから、地域振興に携わりたいという理由でしたから。
[11075] 2003年 3月 12日(水)20:03:58三丁目[YJ3] さん
室蘭と苫小牧(その2)
[9574]でご紹介した両市ですが、手持ち資料なしで、何も調べずに記憶だけで書き
ましたから、少々いいかげんなところがありました。それで、訂正と補足と、新し
めの情報(ネットで室蘭民報、苫小牧民報をザッと見ました)を追加させてくださ
い。

室蘭にある製鉄所の1つを日本鋼管と書いてしまったのですが、あれは日本製鋼所の
誤りでした。地元で日鋼と呼びますから、勘違いしてました。また、新日鉄前身と
しての製鉄所は、富士製鉄でした。もっと遡ってもしょうがないので「鉄」の話は
このあたりでオシマイということで。

せっかく調べたのでマメ知識をご披露すると、室蘭の市制施行は1922年と札幌等と
並び道内最古参、かたや苫小牧は1948年と戦後のこと。また、室蘭港は1872年開港
に対し、苫小牧港は1963年に、完成した工業港に第1船が入港と市のHPにあります。北海道という歴史のない中同士とはいえ、両市の発展の差は歴然です。だから、室蘭市民には忸怩たる思いがあるのでしょう。

室蘭民報を読むと、胆振支庁舎の移転が取り上げられていました。港近くに庁舎移転用に整備した用地が、北海道の行政改革の中で、日高支庁と合併する案もあるとのこと。そんなことになったら、新支庁舎は室蘭市内で移転するのではなく、新しい地域へという可能性がなきにしもあらず。そうすると室蘭としては大打撃で、それがきっかけで人口が10万を割るのでは、と思ってしまいました。室蘭市に電話で聞いたら、住民基本台帳ベースで2003年2月末は102,297人と、既に危ないのですけど。

かたや苫小牧は、順調に人口が伸びており、胆振支庁推計による10年後の胆振管内の人口動向では、苫小牧以外の残り14市町村は人口が減るだろう、とのこと。ちょっと古いデータですが、1997年の苫小牧市がまとめた人口動態によると、帯広市との人口差は1年間で233人縮まって、あと1638人まで追い上げてきているそうです。人口は、都市の大きさを計る1つの尺度ですから、どうやら苫小牧は、帯広を意識しているようです。オシマイ。
[11074] 2003年 3月 12日(水)20:03:40三丁目[YJ3] さん
金沢への想い(でもちょっと気象・地勢かな)
[10113]だんなさん
先輩とお呼びしてもよろしいでしょうか
「おお、よろしくうぅ」と雑魚さんなら言われるのでしょうか?でも、私には先輩という言葉は、面映いです。自分が一方的に金沢に片思いしてるだけで、しょせん転籍者ですから。でも、大学生のときに金沢のときの記憶で「金沢では弁当忘れても傘忘れるな、と言われてるんだよ」と後輩に話したら、「先輩、それは日本海側全般がそうなんですよ」とたしなめられました。ちなみにその人は米子出身です。そのときに初めて、それが日本海式気候の特徴の1つであり、金沢だけではないのねと、理解しました。お恥ずかしい話ですが。

蛇足の話ですが、札幌在勤時、北大生が「札幌って川が南から北へ流れるから驚いた」と言ってました。それを聞いて、この人の出身は、太平洋(神奈川以南)に面したところなのかな?と思いましたけど。誰でも、自分の育った環境で、各々の地理勘を持つのですね。さらに続けると、神戸にいる後輩(出身は鳥取)は、神戸は北が山、南が海、とわかりやすいのに、東京はわからんと言ってました。私も神戸に住んでましたが、原始的なので、太陽で方角を探す習性があるものですから、あまりそういうことを思ったことはありません。

最後に、雑魚さんを勝手に呼んでしまったので、ちょっと補足を。[10421]で雑魚さんが年上でないとわかり、チト、ショックです。いろいろに歳を探るキーポイントはあるものですね。で[11024]startさんの「悪の組織は東京しか襲わない」は、反応するに十分なのですが(1、2号仮面ライダーは広く日本で戦ったのよ、といいたい気持ちを抑えてます)、それはあまりに地理から外れると思い、遠慮してます。ということで、この項オシマイ
[11008] 2003年 3月 11日(火)22:23:27三丁目[YJ3] さん
北海道の桜
[10904]special-weekさん
各地の桜自慢もいいかなあ
北海道は、本州以南の地域と異なり、ほとんどサクラサク状態にはなりません。けれど、special-weekさんがあげられていた静内は、道内ではつとに有名なのでした。それで私は、五稜郭公園をあげたいと思います。千鳥が淵ほど水面が低いわけではありませんが、お堀端らしい、よい風情ですよ。北海道生活1年目のとき、GW中に行きましたが、北海道には一面満開の桜はないのかな、と思っていたので、驚きはなおさらでした。

函館在住経験があれば、もう少し詳しくご紹介できるのでしょうが、簡単に、ここもありますよ、という耳ヨリ情報ということで、ご勘弁ください。
[11007] 2003年 3月 11日(火)22:23:17三丁目[YJ3] さん
Re:同窓
[10926]だんなさん
ネットで北国新聞を読むのもいいのですが、いかんせん、行動範囲が広くはない中学生で、金沢の土地勘がはたらくところと言えば、学校の校下と街の中心部、そして犀川沿いに自転車で行く県民プールといったところです。だから、新聞を読んでもあまりピンと来ないのです。だから、だんなさんが書き込まれる金沢方面からの話題を、楽しみにしています。

ところで、兼六園といえば、私が住んでいた頃に入園が有料化され、残念に思ったものでした。旧四校裏の公園(名前を失念しましたが中央公園?)と並ぶ、金沢市民の庭だったのに。年に何度か無料開放されていると聞きますが、年中無料のときに比べれば、行きにくくなったと思います。しかしながら、日本三名園の中では、最も変化に富んだ、美しい庭園である、と自負?してます。慣れ親しんでたから、余計にそう思うのかもしれません。

ちなみに、29号と文集の号数をかけば、だんなさんならお分かりになるだろうと思ったからでして、ご推察のとおり年次は上になります。だんなさんが、以前、市電廃止がご誕生前と書かれていたので、私の方が上なんだな、と気づきました。(どうもプライベートかつローカルな話ばかりでスイマセン)
[10922] 2003年 3月 10日(月)20:40:05三丁目[YJ3] さん
泉中学(全くのローカルネタ&私的感情)
グリグリさんは金沢のご出身ということで、気になってはいたのですが、[10756]で地域が判明し、驚きました。さらに[10776]で、だんなさんも泉中学のご出身とわかり、思わず書き込まずにはいられませんでした。というのも、私も1年生の入学から、2年生の10月まで在籍していたからです。残念ながら、転勤族だったため、卒業生ではありませんが。私が金沢と唯一公式記録としてつながっていられるのは、弥生小学校卒業という事実だけかもしれませんけれども。

転校して離れてしまった泉中学2年3組は、私にとって最も楽しかったクラスで、それが転校による10月末という中途半端な形で終わってしまったため、金沢に思いを残すこととなってしまいました。今でも金沢とつながっていられるのは、弥生小以来の友人が、家業をついで建具屋さんで、がんばっているからです。今回は、全く私的な思いの文章ですが、4クラスだった弥生小から14クラスの泉中学へ進学し、その建具屋さんの友人と、小6から中1になっても同じクラスになれたのは、驚きでありました。

当時、1年から3年まで14クラスあり、40名×14クラス×3学年=1680名だから、校歌に歌われた2000人(に~せんにん~♪)はサバよんでるなと思ってたのですが、実際に2000人いた時代があったのですね?これまた、驚きました。ちなみに私は文集いずみの29号を、大事に、記念品のように持っております。付け加えると、社会科副読本だった「身近な地域」もタカラモノとして持ってます。

最後に、ケンカを売るつもりではないのですが、三馬「みんま」は「さんま」と言われませんでしたか?私は、自転車通学できるのがうらやましいと思ってましたが、いろいろな地域感情があったようで。そのあたりがわからないのが、転校生の辛さ?なのかもしれませんけれども。

最後は、まったく関係のない話題で。[10904]special-weekさんの、桜の名所、静内。静内の二十間道路だと思いますが、桜の開花時期になると、道内から、咲いたか?という電話が殺到し、仕事にならないという話を静内勤務の人から聞いたことがあります。なお、桜の開花は、咲いても5月いっぱいではなく、5月中旬までかな、と思いますけれど。
[10576] 2003年 3月 6日(木)20:10:52三丁目[YJ3] さん
Re2:地味な戦い
[10494]uttさん
実は、YJ3さまの記述、室蘭vs苫小牧を見て、他にもそういった人口の緊迫したライバル都市をあげたら面白いだろうと思い
恐悦至極に存じます(笑)。音では知ってましたが、漢字変換したら、このように出てきました。
また、暖かい励ましのお言葉ありがとうございます。書き込めそうな話題にはROMの可能性大ですがついていけたら、と思います。
しかしながら、いかんせん、職場のパソコンは他サーバーへの接続制限がかけられたため、日中は書き込みを控えなければならなくなりました。当たり前ですか???ということで、私が活動できるのは、限られた時間内です。

それで、前回は書き忘れて申し訳なかったのですが、
[10424]
ニセコ町vs留寿都町
少し感想を述べさせてください。データでライバル関係をひろわれたのかな?と思いましたが、ニセコはなんと言っても、有名なニセコです。ゲレンデとして有名な東山、比羅夫、アンヌプリなどを抱え、JR北海道もニセコ号と名づけた列車を走らせるくらいです。かたや、留寿都町。ルスツリゾートの名のもとに開発されているようですが、イマイチの感はぬぐえません。

ライバルの定義は難しいのですが、片方が、一方的にライバル視してる相手に対し、この野郎と思って意識しているのが多いかもしれませんね。

でも、過去ログを追いかけてずっと読んできた印象として、北海道関連の記述が少なめかな、と思っていたので、本当にうれしかったです。uttさん、ありがとうございました。
[10477] 2003年 3月 5日(水)20:02:17三丁目[YJ3] さん
Re:地味なライバルの争い
[10424]uttさん
根室市vs中標津町
北海道を我が故郷にしようと、北海道の会社に就職したものの、志破れ、首都圏へ転職してしまった小心者なので、中標津町をあげられていたのは、うれしかったです。同期入社の者が中標津配属となり、人より牛が多い町、と揶揄されていたのを思い出してしまいました。就職して初めて北海道へ行ったので、部屋に北海道の大きな地図を貼ってましたが、体感的にわかるのは、住んだことがある札幌以南ですけどもね。

高校時代は理系ゆえに日本史選択で、地理の知識は義務教育程度しかない
文系で地理を選べなかった私は、ここでは異端かと思っていたので、心強いお言葉でした。実は、北海道時代の友人とメール交換してるのですが、彼も電気専攻だったにもかかわらず、やたら地理の話に詳しいのです。というか、私以上に勉強してます。彼1人ではないのね、と思いました。

ちなみに、拙稿[9574]も、地味なライバルとしてあげたつもりだったので、今回のような地味なライバルが、もっと皆さんから出てくると、おもしろいなあ、と思いました。

最後に書き加えるようで、kenさんには申し訳ないのですが、
[10398][10363]kenさん
北海道の「条」・「丁目」って、なかなか「面としての住居表示」に馴染まないですよね。
趣旨を誤解しておりました。[10398]で、了解いたしました。
[10387] 2003年 3月 4日(火)18:04:33三丁目[YJ3] さん
札幌での居住経験から
[10363]kenさん
条と丁目は両方書き、下目黒5-3-17のように丁目を省略する書き方の場合は、条も丁目もセットで省略して、北3-東12-、と書く(以下略)
頭の中の位置把握では、条と丁目は同列の緯線経線で、意識としては「丁目は条に所属していない」し、必ずしも条を先に規定してから丁目を意識するということでもなく、話の展開としてはその逆も有り得る、ということでした。
[10368]uttさん
中心部の「北〇東×」は、「大字なし」にあたるのでしょうか(え、まさか??)
[10379]まがみさん
同じ一つの交差点でも、例えば、
 北東側は「北7西3」
 北西側は「北7西4」
 南西側は「北6西4」
 南東側は「北6西3」
という標示が取りつけられていて、「同じ交差点なのに」と興味深く思ったことがあります。

皆様方のお話を私が勘違いしているのかもしれませんが、○条×丁目という住所を聞けば、○と×で囲まれた平行線同士の四辺形の中を、連想していましたよ。私が住んでいた住所を明らかにすると、札幌市中央区南5条西16丁目でしたから、南5という東西を既定する平行線と、西16丁目という南北を既定する平行線で囲まれた四辺形の中で、さらに1-1などの地番(?)がふられてましたから、それで細かく特定できるわけです。

そのことは、同じ一つの交差点なのに、四辺形のどの角と接しているかで、○条×丁目が変わりますから、まがみさんが表示を興味深く思われたのも、無理もないことだと思います。

最後に、言い訳を少々。私は、大学受験科目で世界史を選択したと、かつてご紹介したことがありますが、点をとれる科目と好きな科目は違う、と、言わせてください。ちょっと、受験生の皆さんへのアドバイス(?になるかどうか)も含めて。小学校では地図帳遊びをしてたなど、小中学校での地理は好きでしたが、高校での地理は、私が覚えられない各国の特産物や気候などがたくさんでてきて、どうにも苦手でした。興味を持っていれば覚えられる、という単純なものではありません。

かたや、数字や人名は意識しないでも記憶に残る方なので、歴史系の方がテストの点はよかったのです。そうすれば、ペーパーテストというのは点数勝負ですから、点数をとれる方で挑戦するのはいたしかたないこと、ではないでしょうか。とは言いつつも、私が書き込める内容というのは、地理ネタというより、経験からくる地域ネタなんだな、と気づいたこの頃なのでした。だから書き込めることがあまりないのです。
[9712] 2003年 2月 24日(月)09:48:40三丁目[YJ3] さん
YSKさんへのレスをメインで
[9545]YSKさん
HNが似てるかなとは思いつつも、YSKさんは自分色登録されているので、簡単に見分けがつくだろうと思っていました。しかし、レスを見るときにYで始まるのを見ると、紛らわしかったですね。大変失礼いたしました。実は、「三丁目」という日本語のHNを思いついたのですが、変えるかどうか、ちょっと思案中です。というのも、私がご提供できる地理ネタには自ずと限界があり、ぼちぼちROMへ移行かな?と思っているものですから。少し、考えさせてくださいね。YSKさんがどうこう、ということではなく、自分の身の振り方?として。

[9601]ニガロージェッツさん
[8450]を○○っ子のまとめだと思って読んでいたのですが、あれは地名との異名編だったのですね。失礼いたしました。斜め読み、飛ばし読みは不正確でいけませんね。改めて[8057]を拝見し、理解いたしました。

[9617]でるでるさん
私も住んだことのある所が3ヶ所ありました。なんだか少し嬉しいですね。上尾市と浦和市、それと、この落書き帳内にて住民率が高いとの噂のある東京・北区(赤羽)です。
レスありがとうございます。酔っ払った勢いで書いてしまったのに、恐縮です。先般、北区の謎をベースに、さも自分で勉強したかのように語ったら、ホホォと感心されたので、一人悦に入ってしまいました。皆様方のご教示に感謝しております。

[9634]グリグリさん
解答不十分と思われる出題書き込みについては、出題者の判断で締めの書き込みをするのがいいと思います。
了解しました。

[9709]雑魚さん
いきなり「田中さん」の進学と書いてしまい、ノーベル賞の、と書いたつもりがなぜか抜けてしまっていたのに、適切にフォローして頂き、ありがとうございました。私も文系なので、理系の学科(特にその学校にしかない、あるいは特定の研究分野に優れている)がよくわからないのですが、理系の方が特定の学校を志向する傾向は強いようですね。東北大が伝統的に電気系に優れている(八木アンテナや、半導体等)とか、名大に航空関係の学科があるなどと、聞きました。

[9711]uttさん
なんかトラブルがあったようで。。。ようやく復旧したようですね。
やはり、そういうことだったのですね。2/23(日)19時に書き込んでから、このレスを送ろうと思ったらエラーメッセージが出たので、しばらく待って、私は寝てしまいました。それにしても、平日の朝8時に書き込みされる皆さんって、スゴイですね。

最後になりましたが「天然の良港」について。私は、大学受験の入試科目には世界史を選択したくらいなので、地理学については詳しくなく、今回、そのことが話題に上がったのが、不思議な思いでした。中学生レベルでの理解としては、山と海が近く、湾が深く、人工的に掘らなくとも大きな船が入れる港のことを「天然の良港」だと思っていました。だから、具体例で申し上げると、室蘭は天然ですが、苫小牧は人口なのだと理解していました。まあ、それを深めて議論できる場であることが、この落書き帳の魅力なのですよね。
[9708] 2003年 2月 23日(日)19:05:42三丁目[YJ3] さん
人事交流(大学進学編)、と、一件カッコイイのですが個人的仄聞から、一言
田中さんが富山から東北大学に進んだことになぜ、と思われた方はいらっしゃるでしょうか。

さて、今回は、人の流れ(国立大学進学編)を、知ってる範囲で勝手に推測して、ご披露します。たぶん、こういうのは統計的な調査ってないのでは、と思ってます。ただし、学部、学科、入試科目等いろいろな要素が進学には絡みますから、あくまで大雑把な一般論として。それと私がコメントできるのが1980年代までという古~い情報なので、最近の動きはよくわかりません。でも、こういう動きって伝統的(?)なところがあるかと思うので、今でも通用するのかな、と思ってます。

一期校、二期校の時代(1978年以前)は国立を2回受けられたので、国立志望者は私立との併願は多くはなかったと聞いてます。だから、この時代までに大きな流れができたと私は考えています。また、交通網の整備状況も影響しているでしょう。何せ東北・上越新幹線がまだなかったのですから。

それで例えば東北大学、ここへ進む人は、広く関東、東北、北海道そして、日本海側の石川くらいまで、いるようです。というか、私が知ってるのが金沢までだから、福井の人がどういう進学先へ行くかわからないので、この辺の境界は定かじゃありません。また、私は東京の高校でしたから、皆がどういうところへ進学するのか興味があったのですが、東京(関東かな?)の人って西へ行くよりは北へ行くんだな、と思いました。東北、北海道へ、という感じです。(静岡の動きがわからないのですが、東北大よりは名大へ行くのかな、と勝手に推測してます。山梨は東北かな?)また、西日本へ行かないのは、言葉の関係?(大阪弁への違和感)かと思ってます。

なお、ここでは東大、京大、北大という全国区の学校は省きます。

一方、北海道の人がどこへ学するか、というと北大第一ではありますが、東北、東京、新潟などへ進むようです。ただ、国立の話と言いながら、いきなり同志社のことなのですが、北海道から行く人がいます。これは、地方入試(札幌会場)を実施していることと、船ルートの小樽~舞鶴の関係かと思います。(だから北海道人が関西の言葉を嫌って関西へ行かないかと言うと、必ずしもそうではないのかな、と思ってます)

ただし、これらの動きを劇的に変えたのが、1987年の史上初、東大・京大併願可能入試のときでした。それまで、東北大学キャンパスで関西の言葉を聞くことがなかったのに、この年の新入生からそれが聞こえるので、違和感を覚えたと友人が言っておりました。とはいえ、そんなことが可能だったのはこの年限りで、1988年以降は、今の分離・分割方式になってしまいました。だから、今でも関西から東北大学へ進む人がいるのかは、私はわかりません。

でも、世の中には異なる動きをする人がいるもので。名古屋から東北大学に進んだ人(法学部)がいたので、理由を聞いたらそのまま名大だとあまりにベタで嫌だったから、だそうです。また、水戸から名大に進んだ人(法学部)は、もともと岐阜方面に親戚が多いから、名古屋へ行くことに違和感はなかったそうです。かくいう私も、自分で言ってる一般論をはずして、関西の大学(私以外では、1年下で戸山高校出身の人が、私は経済の勉強をするためにここへ来たのですと言ってた1人しか知りません)へ行ったのでした。で、後が続かないので中途半端ですが、これにておしまい、ということで。
[9587] 2003年 2月 21日(金)21:01:39三丁目[YJ3] さん
それって「関西弁」全般じゃないのですか?
[9582]らるふさん
ちなみに京都では、少し他人行儀な丁寧さで、「居ない」を「いはらへん」とか、そのバリエーションで「いやらへん」とか「いやへん」とか言うように感じます。

しはる、いはる、ちはる(あ、最後は人名だから全然違います)のいわゆる「はる」語形、関西丁寧語?じゃないでしょうか。ワタクシ、言語学に入ってしまうのは本意ではありませんが。

以前は書きませんでしたけど、文法的に関西の言葉は「する」「せむ(ーへん)」、「いる」「いーひん」のように、元の言葉に否定形「む」「ん」をつけるだけで成り立つので、英語のnotを付けるようにわかり易い日本語だったなあ、と感心したものです。

ということで、地理学から言語学になってしまうのを避けたいので(自分が知らないからなのですけど)、このへんで退散いたします。
[9581] 2003年 2月 21日(金)19:23:35三丁目[YJ3] さん
まとめレスと小心者の独言
[9554]ニジェガロージェッツさん
真性神戸っ子(後述)にコメントして頂いて、偽兵庫人の私としては、嬉しい限りです。パチパチパチ。
大阪 「お前、何してんねん!」(何してまんねん!とは一般には言わない。「偽関西弁」?)
神戸 「お前、何しとんねん!」

で、京都の連中は神戸弁を「豚言葉(とんことば)」と言うとか?

加古川へ来ると独特の表現
神戸 「腹立つなぁ」
加古川 「ごうわくのぉ」
私の知人は、自分のことを神戸っ子と言ってました。だから○○っ子のときに、どうしてニジェガロージェッツさんが言及されないのかなと思っていたのですが、もしかして、それは知人の個人的な造語だったのでしょうか?「知っとう?」が神戸弁だととも言ってたので、紹介しようかと思いつつやめましたから、豚言葉と紹介されたので嬉しかったです。また、「ごうわくのぉ」を姫路の人から聞いたことがあったので、それが加古川から、と初めて知りました。ありがとうございました。

[9554]雑魚さん
転居歴は、実に気合が入ってますね。
感想を頂きありがとうございます。自己顕示欲が満たされました。

おお、ここにも飲兵衛が。
飲めるけど飲みに行かない、でも飲んでる。一応ポリシー?です。誘われれば一緒に飲みに行くけど、自分から誘うことはしない、でも家でしみじみ飲んでる。そんなサラリーマンになってしまいました。学生のときは皆と楽しく飲むのが好きだったから、一人で飲むことはなかったのに。しみじみ。

[9570]地域研究家さん
京都と神戸では、『三都物語』などといって大阪と一緒にされることに怒っている
先述の神戸っ子は、大阪がおるから関西全体のイメージが悪なるんじゃあ、と言ってましたよ。

[9572]uttさん
それらサイトと比較して、ここだけ異様に男女比が偏っているような気がします。
私はネットサーフィンをしたことがないので、他は知らなかったのですが、そおなのですか?まあ、ここの皆さんの「鉄分」の多さには、鉄ちゃんと通ずるものを感じていたので、男の世界になるのかな、と思ってましたが。mikiさん、松戸さん、ビギナーなのに変なコメントでごめんなさい。

[9538]special-weekさん
それこそが、この落書き帳の魔力ですね
魔力にはまったかもしれないのですが、地理情報を積極的に収集してないので、いつまで続くやら。

最後になりましたが、空襲って出したのはどうだったかなあ、といまだにウジウジしてるYJ3なのでした。でも、日本人は、近現代の日本史を知らなくちゃイカン!!という気持ちもこめて(照れてます)書き込んでしまったのでした。
[9574] 2003年 2月 21日(金)18:10:55【1】三丁目[YJ3] さん
室蘭と苫小牧
先般、企業城下町のことが話題に上がってたので、室蘭のことが出るかなあと期待して読んでいたのですが、残念ながら出ませんでした。と言うか、北海道の都市についての話題は、今まであまり出ていないようですね。[9071]地域研究家さんがふれられている程度でしょうか。私の記憶でも、学校の地理で北海道については、リトル東京の札幌とか、釧路港がかつてナンバーワンだったとか、程度のことしか習わなかったと思います。だから北海道の都市のことは話題に上がりにくいのかなと思ったので、簡単に述べたいと思います。

室蘭は、地形的には天然の良港です。すなわち、山坂が多く、平地の少ない地勢ということになります。室蘭本線を大動脈とする石炭積出し港、そして新日鉄(合併前の富士なのか八幡かは調べてません)や日本鋼管の製鉄所所在地として、最盛期は人口18万人を擁し、北海道一人口密度の高い地域でした。行政としても、胆振支庁舎があります。しかしながら、炭鉱業の衰退、鉄冷え、と主力産業がダメージを受け、人口も最盛期の2/3を割るまでに落ちてしまいました。蛇足ですが、北海道は空襲をほとんど受けてないと思ってたので、室蘭は空襲されたと聞き、意外に思ったものです。

と、暗いトーンになってしまいましたが、ここ20年近くは、市も観光に力を入れ、チキウ岬で地球のまるさを実感しようと、チキウ岬をシンボル的に売りの一つにしてます。皆さんも、ぜひそこで売ってるホッキ貝を食べてみてくださいね。

一方、苫小牧は、王子製紙を軸に戦後発展した工業都市です。王子製紙は自家発電設備を持ち、自前の社宅にはそれで電気を供給しているほどです。話がそれましたが、苫小牧東部(通称、苫東)に工業用地を大規模に造成したものの、オイルショックとともに甘い夢となり、失敗した国家プロジェクトの一つとして時々マスコミの話題に上がります。しかしながら、札幌や新千歳空港に近い立地に加え、札幌側の明野などの工業用地を宅地化していること(駅で言うと沼ノ端北側あたり)から、順調に人口が増えているところです。

で、何が言いたかったかというと、ライバル市の関係です。ローカルなネタかもしれませんけど。室蘭側は、戦前から栄え、胆振支庁舎もあるし、人口が減って苫小牧にも抜かされたけどまだまだ胆振地方の中心的な存在だぞ、と。かたや苫小牧は、室蘭?フフン、関係ないね、行政はそっちにあるかもしれないけどさ、という感じでしょうか。以上、長い前ふりでしたが、両市域に住んだ者として、ご紹介した次第です。でも、ライバルと言うよりは、室蘭が一方的に昔の栄光で強がっているだけかもしれませんね。ちなみに、両市ともに、ローカル紙の室蘭民報、苫小牧民報があります。

ついでに北海道の気候をご紹介すると、北海道にも「太平洋側」があります。代表的な都市をあげると、室蘭、苫小牧、帯広、釧路です。積雪が少ないので、ウインタースポーツにスケートが盛んなのです。帯広、釧路は住んだことがないので実感としてわかりませんけど、苫小牧は、札幌方面の雪が千歳を抜けてきて積もることがあります。室蘭は、年に数えるほどしか雪が積もらないから、北海道なのに雪道に慣れてないためか、ドカ雪が降ると道路が渋滞して大変でした。

思い出したのですが、飲み屋街について。室蘭市は、駅で言うとかつては輪西が鉄関係の人で潤ったそうですが、もうだいぶ寂しくなったらしく私自身は室蘭、東室蘭にしか行ったことがありません。でも、東室蘭の方へ比重は移っていると、居住当時に聞きましたから、今ではもっと差が大きくなっていると思います。苫小牧市は、駅では区別できないので町名になりますが、苫小牧駅からちょっと歩いた錦町が中心になります。こういったところにも両市の歴史の差が出ますね。

ところで、室蘭が空襲を受けたのに驚いた、と書きましたが、京都、金沢が空襲されなかったのは有名だとしても、他にも空襲されなかった都市はあるのでしょうか?逆に空襲された都市を列挙した方が、わかりやすいかもしれませんが。穏やかでないテーマなので、独言として流して頂いて構わないのですけれど。(最後の3文を流れと勢いで書いたものの、載せるかどうか、相当逡巡したので書き込むまで時間がかかってしまいました)
[9534] 2003年 2月 20日(木)22:56:07三丁目[YJ3] さん
レスが嬉しかったので、ヘロヘロながら今日はがんばってます。
私は、最初の書込みで自己紹介しましたが、幼少から引越しが多かったのです(夜逃げじゃないですよお)。だから、土地柄にはいつのまにやら反応するようになりました。で、今まで住んだ市区名を自己紹介がてら述べようかな、と思ったのですが、なんか、自己顕示欲の塊みたいな感じがしたのと、いつまで書込みが続けられるかわからないから(ROMになる可能性大)、やめたのです。でも[9524]uttさんからレスを頂けたので、聞かれもしないのに、勝手にダラダラと述べてしまいます。

○東京都足立区(最寄駅、利用駅共に北千住駅):幼少だったのでほとんど記憶はありませんが、近くの日暮里て面白いオトだな、と思ってました。

○上尾市(最寄駅、利用駅共に東大宮駅又は宮原駅):まだ小学校低学年でしたので、バス便でした。もうちょっと大きければ、自転車だったでしょうけど。

○尼崎市(最寄駅、利用駅共に園田駅):阪急沿線以外(特に阪急より北以外)の方には申し訳ありませんが、ダウンタウン出身の尼崎とは、チト違うんでないかと、後年思ってます。

○高崎市(最寄駅:南高崎駅、利用駅:高崎駅)南高崎駅と書きましたが、私の記憶にあるのは別の名前です。でもそれが思い出せませ~ん。尼崎から高崎に転校して、初めて言葉を笑われました。「お前らもダンベエと言っとろうが」と言いたかったのですが、多勢に無勢なので、何も言えませんでした。

○金沢市(最寄駅:野町駅、利用駅:金沢駅)私が住んできた中で、最も思い入れがある街です。最初、HNを金沢にしようかと思ったのですが、ネットで無用にヒットするのも嫌だなあ、と思いやめました。

○広島市(最寄駅、利用駅共に高須駅)市外局番が0822から082になったので、政令指定都市に移行すると局番が3桁になるんだあ、と思ったものです。4/1~4/7までは政令指定都市の広島にいましたが、4/7からは、進学のため広島を離れてしまいました。

○東京都世田谷区(最寄駅、利用駅共に桜新町駅)私が利用していたときは新玉川線だったのに、今は田園都市線と名前を変えたので、寂しいです。

○西宮市(最寄駅:甲子園口駅、又は甲子園駅、でしたが利用駅は自転車で通って西宮北口駅)高校野球の頃は、逐次天気予報が流れるので、いいところだなあ、と思ってました。

○神戸市灘区(最寄駅、利用駅共に六甲駅)阪急六甲又は阪六と呼んでたのですが、駅すぱあとで確認すると六甲なんですね。

○苫小牧市(最寄駅、利用駅共に苫小牧駅)本日、苫小牧市の人口が16万人に達しました、とマチナカの有線放送が盛んに言ってたのが、印象に残っています。

○登別市(最寄駅、利用駅共に鷲別駅)登別と言いながら、10m先が室蘭市だったので、ほとんど室蘭気分です。勤務先事務所も室蘭でしたし。

○札幌市中央区(最寄駅:西18丁目駅、利用駅:札幌駅)すすきのから徒歩20分で帰れる立地の独身寮に住んでたのは、ヨカッタですよ。

○東京都品川区(最寄駅:北品川駅、利用駅:品川駅、又は大崎駅)飲んで帰って山手線に乗ったら寝てしまい、2時間経ってました。廻る電車に感謝したものです。

○浦和市(最寄駅、利用駅共に浦和駅)埼玉のことをわかってなかったので、初めて浦和が、都心に近いのを実感しました。

○戸田市(最寄駅、利用駅共に西川口駅)3市境を初めて経験しました。戸田、蕨、川口って複雑に入り組んでるんですね。面積小規模自治体は合併せよ、と思いました。

○東京都北区(最寄駅、利用駅共に赤羽駅)アーカイブズテーマ、北区の謎は嬉しい特集でした。

長くなって申し訳なかったのですけれども、uttさん、私はとても生粋の関西人ではないのですけれど、私の兵庫県での居住経験が阪急線から国鉄(失礼!JRですね)までと限られてますから、同じ市内でも違うのかもしれませんね。あるいは、いわゆる3線の通っている海沿地域とそれ以外では、異なるのかもしれませんね。
[9525] 2003年 2月 20日(木)20:54:02三丁目[YJ3] さん
皆様方の早々のレスに感謝、と共にその早さに驚いてます。
最初に申し上げますと、ワタクシは基本的に朝型人間ですので(年取ったからじゃなくて昔からです)、活動時間は今のところ子供が寝るくらいの時間まで、だと思います。それを超えてると酔っ払って使い物にならなくなってしまっているのです。今日は「まだ」大丈夫ですけど。

[9518]雑魚さん
出題自体も散漫なので
どうぞご謙遜なさらずに。四文字熟語出題の国語編の知識と(解答を見ても知らない熟語があったので辞書を調べました)、落書き帳の書込み文章中に占める漢字使用率の高さと、そして「誉める」と博学である点から、40代で私より年上の方だと勝手に思ってたのですが、[5861]で三十路で書かれてたので、エエッ!と思ったのです。実は、私も共通一次世代なのですが、それでもまだ自分は雑魚さんの年下だと思い込んでます。

[9520]白桃さん
松戸さんの件といい嬉しいニュースが
すいません、笑っちゃいました。私も過去ログをずっ~と読む限り、松戸さんは男だと思ってました。クッキーの件で私もあれれと思ってたので、
[9514]松戸さん
自分では女子高生だと思ってます
というコメントがあったので、白桃さんと同じ(又はそれ以上)くらいの気持ちで、胸のつかえが取れました。

[9521]YSKさん
書き方がちょっと至らなかったかなあ、と反省してましたので、レス頂いたので感謝しております。私も、落書き帳を全部読みましたから、アーカイブズの趣旨は理解してたつもりです。しつこいのですが、その経緯を知らないでクイズにチャレンジしたら、という意味で感想を申し上げた点についてもご理解頂き、ありがとうございます。アーカイブズ編集は、とても大変な作業だと思います。勝手な感想ばかりでしたが、どうか、初心者にも地理の面白さが伝えられる良いものになりますよう、期待しております。
[9509] 2003年 2月 20日(木)15:49:00三丁目[YJ3] さん
アーカイブズ解答編のこと全般的に
[9455]雑魚さん
記憶している範囲で回答申し上げます。
早々にご親切にありがとうございます。と言いながら、実は私が答えを知りたいと書いたのは、雑魚さん個人に出題者として正解教えてくださいな、とお願いしたつもりではなかったのです。このサイトを初めて開き、クイズ問題が目にとまり、そこを開くと問題編がシンプルに問壱から記されてるのに対して、解答編は皆さんのレスを集めたものになっているから、正解はどれを見るの?というつもりでした。せっかく初めて書きこむのだから、こちらの感想を書いとこうと思ったのですが、舌足らずでわかり難くてすいません。

しつこいですが補足すると、GLinGLin>都道府県市区町村>落書き帳アーカイブズと開いていき、いっちょクイズに挑戦してみるか、と思ったとします。で、答合せしようと解答編を開くと、
例えば
(1)グリグリの理系な問題/ポーカー編(解答)は、般若堂そんぴんさんが一発で解答したのに対して、グリグリさんが完璧です、と答えられてるから、この問題の解答はそういうことなのね、とわかりました。
一方、
(2)グリグリの理系な問題/あいうえお編(解答)は、般若堂そんぴんさんが「書きこんで良かったのかな?」とコメントされながら列挙されてるものの、グリグリさんが特に答えられていないので、この問題の解答はこれのこと?とよくわかりませんでした。
そして、回答数の多い雑魚さんの問題になると、
(3)狂養問題/時刻表編之弐(回答)は、皆さんがバラバラに答えたものを書込み順に並べてあり、さらにその中に解答とは直接関係のないコメント(レス諸々になってしまってるので)もいろいろあるので、どれが答なの?と思った次第です。改めて厳密に見なおすと、問七と問十に対しては正解と答えられてますが、それ以外には、これが正解と答えられてるのがなくて、更に問八と問九はどなたも回答を出されてないので、これという答が示されなくなってしまってます。

すいません、あら捜ししてるんじゃなくて、単に、ネット上でみつけたクイズの答が、アーカイブズとして編集されてることがわからないと、答がわかり難いですよ、ということなのです。(1)が「私の」理想形ですが、事情がわかった今では、(2)もそれが解答とわかります。(3)は見難いので、できれば(1)のような形にまとめた方がわかり易いんじゃないでしょうか。???もしかして編集の仕方に注文つけてますか?

グリグリさんがガイドラインで「(8) ここは自由広場ではありません。ここは管理人グリグリの個人ホームページです。個人の庭を開放し皆さんに心地よい語らいの場を提供することを願っています。私の考える環境づくりにできるだけご協力、あるいはご理解をいただけると幸いです。」と示されてます。だから、決して個人のホームページのつくり方に注文つれるものではないことは、理解してくださいね。

それにしても、皆さんの書込みペースの早さには驚かされます。朝、お国言葉ネタを見つけたっと思ったので、自分の文章を読み直したりしてやっと書きこんだら、もう数件書きこまれてて。平日の午前中なのに。私は今はナゾのサラリーマンだから、平日の日中でも書きこめるのですが。

最後になりましたが、問題の答がわからなくて、結局書込み帳を最初から読み始めたことは、私にとってよかったと思ってます。こういうところに出会えたのですから。だったら文句言うなって?すいません、感想は、それはそれとしてお伝えしたかったものですから・・・。
[9502] 2003年 2月 20日(木)11:48:11三丁目[YJ3] さん
お国言葉(主に関西)
私には体験的、経験的に知っている程度の知識しかありませんけど、いきなり書きこめる話題が出てきたのでうれしいです。ただ、言葉ってちょっと深く知ろうとすると、新書のレベルでも言語学、音声学の領域に入ってしまうので、そこまで追求したことはありませんけどね。

[9465]地域研究家さん
三重県ですが、桑名、四日市辺りの高校生や主婦が話しているのを聞くと、明らかに関西弁なのですが、大阪弁の威勢のいい感じはなく、ゆったりとして柔らかく、京都弁に近い印象を受けましたね。
[9483]uttさん
私は昔、西宮市に住んでいましたけど、大阪に比べたら、かなりソフトな関西弁です。
「おおきに」とか「~やさかい」はあまり使いません。
[9493]でニジェガロージェッツさんがいらっしゃったのにコメントされてないので、僭越ですが、大雑把に関西圏の○○弁を西から言うと、播州弁(姫路)、神戸弁、大阪弁、京言葉、そして大阪南部の河内弁、という感じじゃないですかね。神戸弁・大阪弁の人が、播州弁と河内弁は汚い、と言うのを聞いたことがあります。私には、次に紹介する言い方が、それぞれどこの言葉に当たるのかわかりませんけど、このような差があります。
「いない」→おらへん、おれへん、いーひん
「来ない」→こーへん、けーへん、きーひん
また、「おおきに」を西宮であまり使わないと紹介されてますが、私は西宮に4年住んだことがあり、甲子園口の商店街で買い物したときにお店の人から「おおきに」と言われて、優しい良い言葉だなあと思ったものです。一般には使われてないという意味かもしれませんが、少なくともお店の人は使ってませんか?

学校の後輩に、津(女性)、伊勢(男性)から来た人がいて、男だからという部分があるかもしれませんが、伊勢の彼は大阪弁かな、というくらいの口調でした。一方、津の人からはそれほど強い関西弁は感じませんでした。また、和歌山市、橿原市出身の女性も同様です。でも、同じ女性でも阪南町(当時)出身の人は、大阪弁よりは明らかに違う独特のイントネーションだったので、これが河内弁かな、と思ってました。とはいえ、知ってる人だけで断定的に語るのは危険なので、あくまでご参考に、ということで。

関西から北海道へ引越したときに、本間さんという先輩が、関西弁はキライだ、と言ってました。当時、まだ私は関西風に話してましたが「ホンマに?」と言われるのが、自分の名前を呼ばれているようだから、だそうです。実話ですよ。

蛇足ですが、地の人間じゃないので今は使えませんが、金沢の「あの~おね」(あのね、ですが独特の伸ばし方をします)「○○しまっし」(しなさい、したら)という言い方が、私は好きでした。京言葉の影響かな、と思ってました。

[9467]般若堂そんぴんさん
私は「東北言葉」「米沢言葉」という表現を意識して用い,「方言」という表現(あっ,掛詞みたいになってしまいました)を極力使わないようにしております
同感です。かつて、方言撲滅運動があり、学校で方言を使ったら、首から札を下げられて廊下に立たされた、ということがあったと何かで読んだことがあります。そういう経緯を私は「方言」に感じてしまうので、あまり使いたくない、と思ってます。

ホントは雑魚さんに、すばやくレスして頂きありがとうございました、と書こうと思ってたのですが、つい書きたくなる話だったので、こちらを先にしてしまいました。
[9453] 2003年 2月 19日(水)11:49:27三丁目[YJ3] さん
初めてネットの掲示板なるものに書きこみます。
初めまして。皆さん、こんにちは。
いろいろなきっかけでここを知った方がいらっしゃるようですが、私もあるサイトで、ここが地理情報に詳しいよと紹介されてたことから、3ヶ月ほど前に知りました。当初は市区町村雑学系を見る程度でしたが、狂養問題を見るうちに、これは落書き帳を読まないと流れがわからないなと思い、最初から読み始め、やっと追いつきました。とはいえ、相当端折って追いかけましたけど。

私はどちらかというと、歴史モノが好きなのですが(受験科目は世界史を選択しました)、幼少から転勤族だったため、日本地理は比較的わかるつもりです。とはいえ、住んだ地域が北海道から広島なので、九州、四国は弱いです。以前に、訪れたことがある地域ネタがしばらく出てて、この話題に参加したいと思いましたが、もう遅いですね。と言いながら簡単にふれると、九州には中高の修学旅行と大学生のときの都合3回周遊旅行し、四国は高松を拠点に県庁所在地くらいは出かけてるのですけど。行ったことがない都道府県は沖縄県だけです。

しかし、全国の県庁所在地くらい心得てるつもりだったのですが、関西の大学にいたとき金沢の友人が大津で会おうと言うので、大津???と思ってしまいました。なぜか滋賀県滋賀市があって、そこが県庁所在地と思いこんでおりました。慌てて地図で確認して、それ以外の市で勘違いはなくホッとしましたが、一人恥ずかしく思ったものです。

なお、超遅レスではありますが、まだ出てない単語で私が反応したい件があります。東北○○のうち、大学はとんぺいが出たことでケリがつきましたが、電力について私も以前同じように疑問を持ち、仕事の関係があったので、東北電力の方に地元(その方は仙台勤務ですが)でどう呼ばれているか聞いたことがあります。結論は「電力さん」だそうです。[8447]いなさんが納得されてるし、[8380]般若堂そんぴんさんが米沢では東北電力を略しません、とあるのに、蒸し返して申し訳ありませんでした。

最後になりましたが、アーカイブズの狂養問題を読んでなぜ落書き帳に来たかというと、解答が、国語編以外はよくわからなかったからです。今は、皆さんの書込みをアーカイブズ化したものとわかりましたが、できれば問いに対する答えを、それぞれ書いてくれたらなあ、と思いました。

ということで、以後、よろしくお願いいたします。


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