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[94056] 2017年 10月 22日(日)19:32:03千本桜 さん
シノレパシクソさんのクイズに挑戦
[94047] シノレパシクソ さん
最後に。よろしければ、先日僕が投稿したクイズ[94026]もぜひ解いてみて下さい。残り2枠(銀銅)です。

お誘い、ありがとうございます。
銀を狙って、答えは「飯田」でいいだろか?
[94042] 2017年 10月 20日(金)22:32:35【1】千本桜 さん
クイズここはどこでしょう 解答
[94012] 千本桜
クイズここはどこでしょう AからSに当てはまる字句をお答えください
白桃さん、特急とりあたまさん、シノレパシクソさん、おつきあいいただきましてありがとうございました。解答は下記の通りです。

A東根市東根IC、B村山市、C背炙峠、D尾花沢市、E延沢城延沢集落、F銀山温泉銀山川、G白銀の滝、H大石田町大石田駅、I最上川、J国道13号、K舟形町、L小国川、M国道47号、N陸羽東線、O最上町、P瀬見温泉、Q喜至楼、R山形県、S新庄市新庄まつり新庄駅
C背炙峠、E延沢城、G白銀の滝、Q喜至楼などの固有名詞はマイナーすぎて難しかったかもしれません。伏せ字に解答を入れると、以下のようになります。

東根市の東根インターで高速道路をおり、村山市を走行しています。東根市と村山市は隣接していてライバル同士。市制施行は、村山市が昭和20年代、東根市が昭和30年代で、村山市が少し先輩。当時は村山市が中心都市で、東根市を商圏に組み込んでいました。ところが今では東根市が中心都市で、村山市を商圏に組み込んでいます。昭和35年の国勢調査人口は、東根市を100とすると村山市も100で互角の関係でしたが、今では東根市100、村山市50の間柄。先輩村山市は後輩東根市の半分になってしまいました。人口が増え続ける東根市と減り続ける村山市。マクドナルド、モスバーガー、ミスタードーナツ、ケンタッキーフライドチキン、それにヤマダ電機もケーズデンキも全部東根市に出店して、村山市には出店しません。判官贔屓の私は、衰退して行く村山市が不憫でなりません。でも、ここはやはり、発展を続ける東根市の施策を称賛すべきなのでしょう。

村山市から県道で背炙峠を越え、尾花沢市の延沢集落へ向かいます。主要地方道なのに、背炙峠付近は道幅狭くてヘアピンカーブ。進むにつれて心細くなる。夜間は絶対に通りたくない。追い剥ぎに出くわしたら大変だ。でも、そんな心配も取り越し苦労に終わり、熊やヒッチハイカーなどに遭遇することもなく、無事に背炙峠を越えることができた。背炙峠を越えて7キロ、室町期から江戸初期にかけて延沢城があった延沢集落に差し掛かった。延沢城は典型的な山城で、城址は国の史跡に指定されている。だが、私の興味は延沢城址の麓に横たわる延沢集落にある。昔の人は宿場町の細長い街村を「ふんどし町」と呼んだが、この延沢集落の細長さは「ふんどし」どころか「ひも」である。

古い時代の歴史を秘めた延沢城址や延沢集落を散策してみたいが、今回はパスして銀山温泉へ急いだ。銀山温泉はワンダーランド。銀山川を挟んで、和洋折衷の木造3階、4階建ての旅館が建ち並んでいる。和洋折衷というか、疑洋風建築はどこか色っぽい。わずか300メートルの区間だが、土産処、食事処、さらには共同浴場や足湯まで揃っていて、まるでテーマパークのようだ。その上、温泉街のどん詰まりには、落差22メートルの白銀の滝が流れ落ちている。白銀の滝を眺めていたら、ぽつりと雨が。もっと奥へ進むと鉱山跡を見ることができるが、次第に強くなる雨に回れ右して引き返し、昼食予定地の大石田町へ向かった。

大石田町はその昔、最上川の河港として栄えた町。立ち寄りたいスポットもあるのだが、雨のため観光を断念。大石田駅の駅舎内に店を構える蕎麦処で昼食。立ち食いではありませんよ。駅舎内店舗だから日除け幕は要らないのに、デザインに気配りしてか、和風の日除け幕を張っている洒落た店。そのような蕎麦処です。この大石田駅、1日平均782人しか乗らないのに、みどりの窓口はあるわ、観光案内所はあるわ、そして指定席券売機まであるんです。そういえば、以前は大石田駅から尾花沢市の市街地まで鉄道が走っていました。

昼食を済ませ、大石田町を出発。どしゃ降りの雨の中、国道13号を北へ14キロ走って舟形町の市街地へ差し掛かった。おー! 雨降りのシチュエーションに48年前の記憶がよみがえる。あの日、自転車旅行をしていた私は、この舟形町を走行中に雨に降られ、民家の軒下で雨宿りをしたのだ。その軒下らしきものが前方左手に見えるではないか。ググッと懐かしさがこみ上げてくる。舟形町で国道13号を右折して県道に進入。最上川の支流の小国川に沿って進むこと15分。両側に山が迫る谷間を、小国川、国道47号、東日本鉄道陸羽東線が束になって走る最上町の瀬見温泉に着いた。瀬見温泉には義経伝説があり、温泉を発見したのは弁慶で、亀若丸(義経の子)の産湯は瀬見温泉の湯だそうな。

瀬見温泉には、ボロ宿で知られた漢字3文字の喜至楼と言う名の旅館がある。一生無縁と思っていたのに、訳あって仕方なく喜至楼に宿泊することになった。確かに古くさい、カビ臭い、薄暗い。蛇口からは茶色い沢水が出てくる。案の定、ひどすぎる。でも、私は見てしまったのです、この宿の正体を! 薄暗い迷路のような館内に好奇心が揺り起こされ、館内探検を決行。なんだ、あの欄間の美しさは。なんだ、この階段のしっかりした造作は。あれもこれも古いのに、基本が立派でビジュアルなのだ。そうか、この喜至楼こそ、山形県で1番最初の政府登録・国際観光旅館だったのだ。それは高級旅館のあかしだが、その後のメンテナンスが追いつかず、ボロ宿の烙印を押されてしまったのだろう。ちなみに喜至楼は、山形県に現存する温泉旅館では最古の建築だそうです。ボロだけど文化財みたいな旅館に泊まれて感激!

午後4時半、喜至楼旅館を外出して新庄市へ向かう。伝統行事「新庄まつり」の宵まつりを見物するためだ。国道47号を西へ15キロ走って、新庄駅の東口駐車場に到着した。東口駐車場は1千台駐車可能の広々した無料駐車場。人口3万人台の市にしては、何かと規模が大きく都会的である。宵まつりのメイン会場となる西口へ徒歩移動。西口は旧来からの玄関口で、大きくて斬新なデザインの駅舎が印象的です。新庄駅はこの地方と東京を結ぶターミナル駅なのだ。午後7時、電飾に照らされた極彩色の山車が、囃子を引き連れて広場へ入場してきた。山車は町衆が毎年新しく作り、囃子は在郷衆が奏でるらしい。1番運行「一寸法師京都成り上がり」から20番運行「平安絵巻雛祭り由来」まで、華やかに飾られた20台の屋台が興奮と熱気に包まれて練り歩く。それが新庄市の夏のフィナーレなのです。

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[94012] 2017年 10月 16日(月)21:02:31千本桜 さん
クイズここはどこでしょう
ここはどこでしょう
AからSに当てはまる字句をお答えください

A市のAインターで高速道路をおり、B市を走行しています。A市とB市は隣接していてライバル同士。市制施行は、B市が昭和20年代、A市が昭和30年代で、B市が少し先輩。当時はB市が中心都市で、A市を商圏に組み込んでいました。ところが今ではA市が中心都市で、B市を商圏に組み込んでいます。昭和35年の国勢調査人口は、A市を100とするとB市も100で互角の関係でしたが、今ではA市100、B市50の間柄。先輩B市は後輩A市の半分になってしまいました。人口が増え続けるA市と減り続けるB市。マクドナルド、モスバーガー、ミスタードーナツ、ケンタッキーフライドチキン、それにヤマダ電機もケーズデンキも全部A市に出店して、B市には出店しません。判官贔屓の私は、衰退して行くB市が不憫でなりません。でも、ここはやはり、発展を続けるA市の施策を称賛すべきなのでしょう。

B市から県道でC峠を越え、D市のE集落へ向かいます。主要地方道なのに、C峠付近は道幅狭くてヘアピンカーブ。進むにつれて心細くなる。夜間は絶対に通りたくない。追い剥ぎに出くわしたら大変だ。でも、そんな心配も取り越し苦労に終わり、熊やヒッチハイカーなどに遭遇することもなく、無事にC峠を越えることができた。C峠から7キロ、室町期から江戸初期にかけてE城があったE集落に差し掛かった。E城は典型的な山城で、城址は国の史跡に指定されている。だが、私の興味はE城址の麓に横たわるE集落にある。昔の人は宿場町の細長い街村を「ふんどし町」と呼んだが、このE集落の細長さは「ふんどし」どころか「ひも」である。

古い時代の歴史を秘めたE城址やE集落を散策してみたいが、今回はパスしてF温泉へ急いだ。F温泉はワンダーランド。F川を挟んで、和洋折衷の木造3階、4階建ての旅館が建ち並んでいる。和洋折衷というか、疑洋風建築はどこか色っぽい。わずか300メートルの区間だが、土産処、食事処、さらには共同浴場や足湯まで揃っていて、まるでテーマパークのようだ。その上、温泉街のどん詰まりには、落差22メートルのG滝が流れ落ちている。G滝を眺めていたら、ぽつりと雨が。もっと奥へ進むと鉱山跡を見ることができるが、次第に強くなる雨に回れ右して引き返し、昼食予定地のH町へ向かった。

H町はその昔、I川の河港として栄えた町。立ち寄りたいスポットもあるのだが、雨のため観光を断念。H駅の駅舎内に店を構える蕎麦処で昼食。立ち食いではありませんよ。駅舎内店舗だから日除け幕は要らないのに、デザインに気配りしてか、和風の日除け幕を張っている洒落た店。そのような蕎麦処です。このH駅、1日平均782人しか乗らないのに、みどりの窓口はあるわ、観光案内所はあるわ、そして指定席券売機まであるんです。そういえば、以前はH駅からD市の市街地まで鉄道が走っていました。

昼食を済ませ、H町を出発。どしゃ降りの雨の中、国道J号を北へ14キロ走ってK町の市街地へ差し掛かった。この雨降りのシチュエーションに、48年前の記憶がよみがえる。あの日、自転車旅行をしていた私は、このK町を走行中に雨に降られ、民家の軒下で雨宿りをしたのだ。その軒下らしきものが前方左手に見えるではないか。ググッと懐かしさがこみ上げてくる。K町で国道J号から右折して県道に進入。I川の支流のL川に沿って進むこと15分。両側に山が迫る谷間を、L川、国道M号、東日本鉄道N線が束になって走るO町のP温泉に着いた。P温泉には義経伝説があり、温泉を発見したのは弁慶で、亀若丸(義経の子)の産湯はP温泉の湯だそうな。

P温泉には、ボロ宿で知られた漢字3文字のQと言う名の旅館がある。一生無縁と思っていたのに、訳あって仕方なくQに宿泊することになった。確かに古くさい、カビ臭い、薄暗い。蛇口からは茶色い沢水が出てくる。案の定、ひどすぎる。でも、私は見てしまったのです、この宿の正体を! 薄暗い迷路のような館内に好奇心が揺り起こされ、館内探検を決行。なんだ、あの欄間の美しさは。なんだ、この階段のしっかりした造作は。あれもこれも古いのに、基本が立派でビジュアルなのだ。そうか、このQこそ、R県で1番最初の政府登録・国際観光旅館だったのだ。それは高級旅館のあかしだが、その後のメンテナンスが追いつかず、ボロ宿の烙印を押されてしまったのだろう。ちなみにQは、R県に現存する温泉旅館では最古の建築だそうです。ボロだけど文化財みたいな旅館に泊まれて感激!

午後4時半、Q旅館を外出してS市へ向かう。伝統行事「Sまつり」の宵まつりを見物するためだ。国道M号を西へ15キロ走って、S駅の東口駐車場に到着した。東口駐車場は1千台駐車可能の広々した無料駐車場。人口3万人台の市にしては、何かと規模が大きく都会的である。宵まつりのメイン会場となる西口へ徒歩移動。西口は旧来からの玄関口で、大きくて斬新なデザインの駅舎が印象的です。S駅はこの地方と東京を結ぶターミナル駅なのだ。午後7時、電飾に照らされた極彩色の山車が、囃子を引き連れて広場へ入場してきた。山車は町衆が毎年新しく作り、囃子は在郷衆が奏でるらしい。1番運行「一寸法師京都成り上がり」から20番運行「平安絵巻雛祭り由来」まで、華やかに飾られた20台の屋台が興奮と熱気に包まれて練り歩く。それがS市の夏のフィナーレなのです。
[93097] 2017年 8月 10日(木)16:49:54千本桜 さん
Re:広域都市圏内に市を含む村とは
[93092] 白桃さん
A村とB市の間には
深くて暗い河がある、と言うか、人口集中地区人口、昼間人口、通勤圏人口などを尺度にして都市の規模をはかろうとすると、一般人が感じている都市の規模から乖離することがありますね。人は、生産(1次、2次産業)の場には都市を感じないが、消費(3次産業)の場には都市を感じているように思えるのです。そこで、第3次産業のみを抽出して昼間人口、通勤圏人口を計測したらスッキリするだろうなと思うのですが、基礎データになるようなものは公開されているのでしょうか。
[93017] 2017年 7月 24日(月)07:37:33千本桜 さん
三本松
[93013] 白桃さん
三本松高校、おめでとうございます。
今年も一目千本桜の満開時は大混雑でした。大河原のセーヌ川に架かるポンヌフも大渋滞。そのポンヌフで香川ナンバーの車を目撃。大河原で香川ナンバーを見たのは初めてなので、思わず反射的に駆け寄ってドライバーに話しかけてしまいました。「香川県から来たんですか! 私の友達に香川県出身がいるんです、三本松なんですがね」 渋滞に拍車をかけてはいけないので、たったそれだけの短い会話でしたが、後になってハッとしました。三本松町→大内町→東かがわ市の経緯がありますから、「大内」や「東かがわ」という選択肢もあるだろうに、それらを抑えて「三本松」が出てくるから不思議。あのとき、私の頭の中には「大内」という選択肢はまったく浮かびませんでした。
 そこで気になるのが、この大内です。[61194] に書いたように、大内町の心臓部でもなければ発祥の地でもないこの場所に大内という地名を残しても意味がない。旧大内町全域を表すわけでもなく、単なる思いつきで、一部の区域にだけ旧町名を残されたら、後世の人が迷うだけです。平成の合併を見ていて知ったのですが、後先を考えずに住所が変更されたケースがほかにもあります。結局、担当者の勉強不足なのですが、地域を図化して見る習慣がないのが原因かな? 図化すれば気がつくはずなのに気がつかないまま決定してしまう。[67134]に書いた大崎市の岩出山もそのとおりです。岩出山が2か所出現。馬鹿げた話です。岩出山
[92892] 2017年 6月 6日(火)19:15:59千本桜 さん
Re:白桃杯水無月ステークス
[92891] 白桃さん
問二.アサクチ号の騎手名をあててください。

50年ほど前のテレビドラマ「源氏物語」を憶えていますか。主演が伊丹で、小山、川口、富士、加賀などの奇麗どころがぞろぞろ出てきたドラマです。その中で、岸田今日子が六条御息所を演じているわけですが、死んだはずの岸田今日子が現れて、あの分厚い唇をふるわせながら、答えは六条院だと言うのです。岸田今日子を信じていいのでしょうか。
それから、気になるのがノシロ、オオサキ、グジョウなどのキャリアハイです。たとえば、オオサキのキャリアハイは9,827ではないかと思うのですが、なぜ9,732の方がキャリアハイになるのでしょうか。
[92839] 2017年 5月 7日(日)06:26:25千本桜 さん
北白川駅
[92824] Takashi さん

駅名クイズにお付き合いいただきましてありがとうございました。
新聞チラシ広告で間違って「北城川駅」とされてしまった駅は、
Takashiさんが推測されたとおり「北白川駅」です。正解です!
皇族名と同じ駅名なので高貴なイメージがありますが、実は田舎の無人駅です。
いま、周囲の山はパステルカラーの若葉で山笑う季節ですが、
もうすぐ、カッコウの鳴き声が聞こえてくるでしょう。
どうでもいいことですが、私が「北白川駅」から連想する歌謡曲は、
石橋正次「夜明けの停車場」と加賀城みゆき「おさらば故郷さん」です。
[92823] 2017年 5月 2日(火)10:55:47千本桜 さん
駅名クイズ
数日前の新聞に売土地の折込み広告が入っていました。
その売土地の最寄駅はJR東北本線「北城川駅」なんだって。
こんな駅名は聞いたことがありません。
入力時の変換ミスは明らかですが、校正がおろそかですよね。
そこでクイズです。
間違って「北城川駅」にされてしまった駅の本当の駅名をお答えください。
ヒント。
小さな無人駅ですが、駅勢圏はそこそこ広くて、1市2町の住民が通勤などに利用しています。
[92782] 2017年 4月 8日(土)22:41:20千本桜 さん
無理矢理合併
[92776] 山野さん
静岡ねぇ。元々そんなに人口が無い所が、無理矢理な合併で政令指定都市になっちゃいました感のある合併。
静岡市と清水市の合併は無理矢理なんですか?
静岡と清水はすでに市街地が一体化していたのだから、合併して当然だったのではないでしょうか。
私が「無理矢理合併」と感じるのは、青森市と浪岡町の「地の理」に反した合併です。
よその地域のことながら、思い出すたび胸が痛むのであります。
[92148] 2016年 12月 31日(土)18:37:19千本桜 さん
北の宿から
[92143] 白桃さん
ずばり、横浜市泉区和泉町じゃございませんでしょうか?
ドッキリさせないでください。
昔、それと同名のホテルが白石市の国道4号沿いにあったことを思い出してしまいました。
あちら系のホテルですから、私は宿泊したことがありません。
都はるみが、あちら系のホテルに一人で泊まってセーターを編んでるなんて、もう、めちゃくちゃ。
[92140] JOUTOUさん
と、いうわけで、私の答えは宮城県白石市。
皆様、来年もよろしくお願いします。
[92053] 2016年 12月 6日(火)20:29:04千本桜 さん
Re:十番勝負予行演習問題
[92052] 白桃さん
A群 ---B群 ---C群 ---D群
高市  高砂  高島  高浜
B群の愛唱歌→中島みゆきの♪ひとり上手、菅原洋一の♪誰もいない
C群の愛唱歌→松村和子の♪帰って来いよ、一節太郎の♪浪曲子守唄(あれって、逃げた女房なんだろうか)
D群の愛唱歌→川中美幸の♪ふたり酒(時には三人酒、五人酒も)
※A群の「高市」は奈良県の幻の市。
[91901] 2016年 11月 3日(木)15:56:29千本桜 さん
国勢調査人口速報値の公表は必要なのでしょうか
[91899] 白桃さん
素朴な疑問です。
所沢市のような例をみると、国勢調査人口の速報値は混乱を招くから公表しなくてもいいと思うのですが、総務省はなぜ、確定値に先だって速報値を公表するのでしょうか。速報値を必要としているのは誰か? そして、速報値はどのような行政施策に反映されるのか? そんな素朴な疑問が湧いてくるのであります。
[91772] 2016年 10月 18日(火)05:58:03【1】千本桜 さん
 Re: 行き先はどこ?
[91760] じゃごたろ さん
三つの地名が記載されているのですが、その地名とはどこでしょうか?

想像力を掻き立ててくれる面白いクイズだと思います。
現地の状況は知りませんから想像で答えます。
自分が地域に住む道路利用者だったら、辰野・塩尻・岡谷を選択するかも知れない。
でも、道路を管理する側の人間だったら。
第1候補 浜松・高遠・岡谷
第2候補 伊那・高遠・岡谷
第3候補 飯田・伊那・高遠
第4候補 浜松・伊那・高遠
上記のような地名選択をするかも知れません。
行先案内板は、利用者ではなく道路管理者のためにあるのかな?と思うことも多々あり。

追伸
うっかりしてました。高遠町は消滅したんですよね。
すると、「浜松・伊那・岡谷」「飯田・伊那・岡谷」「浜松・飯田・伊那」も考えられます。
でも、その場所に「高遠」の案内表示がないとすれば、案内板の役目が弱まるとは思いますが・・・。
[91576] 2016年 10月 6日(木)17:29:02千本桜 さん
[91551] ニジェガロージェッツ さん
[91554] k_ito さん

[91548] で出題した
ここはどこでしょう
の答は、(A)萩博物館、(B)田中義一総理大臣、(C)菊屋家、(D)菊屋横丁、(E)高杉晋作、(F)江戸屋横丁、(G)木戸孝允、(H)萩西中学校、(I)萩高校、(J)堀内鍵曲、(K)口羽家住宅でした。

1泊旅行することは多々ありますが、今回はめずらしく2泊3日の団体旅行。ただし、広島市内で開催される研修会に参加することが条件です。旅行計画は、見学場所、見学地での滞在時間、道順、宿泊旅館、昼食店、さらにはトイレ休憩の場所から観光ボランティアガイドの設定まで、すべて自分で立案計画しました。旅行計画を業者に頼みたくない理由は、微細な事柄が伝わってこないからです。宴会場の広さは何畳?などの確認は、旅行業者を通さずに旅館と直接交渉した方が早いし、細やかな事まで聞き取れるというのが私の考えです。

今回の旅行の概略は、仙台空港→広島空港→広島市内(平和記念公園・原爆ドーム・研修)→宮島(厳島神社・ナイトツアー・宿泊)→岩国(錦帯橋・吉香公園)→秋芳洞(秋吉台はバスの中から展望)→萩(萩八景遊覧船・堀内地区・萩城城下町地区・宿泊。翌日は松下村塾・松陰神社・東光寺)→下関(火の山公園・唐戸地区)→門司(門司港レトロ地区)→福岡空港→仙台空港でした。

秋芳洞を出発して萩へ到着。まず、萩城跡近くの萩八景遊覧船乗場へ。40名が4艘の船に分乗して水の上から萩を観光。萩八景遊覧船に乗るのは全員が初めてで、みんなキャーキャー言いながら楽しそうでした。でも船から見える景観はいまひとつ迫力不足かな。下船後の観光は、萩は初めてという人のために史跡・萩城城下町(菊屋横丁・高杉晋作誕生地・江戸屋横丁・木戸孝允旧宅など)を現地の観光ガイドさんに案内してもらうように設定。別行動をしたい人のためにはレンタサイクルを紹介。

当然、私はレンタサイクル。萩の中心商店街探訪と、47年前に萩を訪れた時に最も印象に残った平安古(ひあこ)の鍵曲へ行くのが目的でした。ところが、貸し自転車を借りた人たち5名が「千本桜さんの後をついて行きます」と、私の後をついてくるではありませんか。う~ん、これはまずい。「ここが萩の商店街です」と、ジョイフル田町のアーケード商店街を案内しても、喜んでくれるはずがない。急遽、コースを変更。町人町&中級武士が住んだ史跡・萩城城下町地区と、上級武士が住んだ堀内地区の重要伝統的建造物群保存地区を重点に絞ってサイクリングすることにしました。心残りは、集合時刻が迫って平安古の鍵曲に行けなかったことです。でも、いいじゃないですか。旅は道ずれと言いますから、高齢者の人たちと一緒にサイクリングしたことは想い出に残るでしょう。翌日は40名全員で松下村塾、松陰神社、東光寺を見学。東光寺は良かったですよ。午前中の早い時間だったので逆光が射していました。逆光を浴びて佇む大きな三門や500基もの石灯籠がクラクラするほど幻想的でした。

ここで、こぼれ話を1つ。40名の団体ですから、萩に詳しい人、詳しくない人、いろんな人がいます。同行のおじさんが「萩焼って、かたいの?やわらかいの?」と聞いて来たので大笑い。どうやら「萩焼」とは、前日宮島で食べた「もみじ饅頭」のようなものだと思っていたらしい。それから、やらずじまいに終わったことを1つ。萩の人に「仙台銘菓・萩の月を知ってますか?」と突撃インタビューするつもりでしたが、うっかり忘れていて実行しなかったのが残念。
[91548] 2016年 10月 1日(土)12:07:10千本桜 さん
ここはどこでしょう
ここはどこでしょう。
先月、まちじゅうに観光スポットがごろごろ転がっているような、とある町(行政上は市ですが)へ行って来ました。いつものとおり、研修と言う名の団体旅行です。仮に、団体名をシルバー旅行会としておきます。一行は下船したあとバスで移動しますが、私は自転車で自由行動をとることにしました。すると、私も私もと、5名のおじさま、おばさまが後をついてくるではありませんか。最高齢は77歳のおばさま。私としては予想外の展開になりましたが、いいじゃないですか。高齢者6名、♪青い山脈でも歌いながら、二度と来れないかもしれない町をサイクリングするぞ~~~、ついてこい!!
さて、私はどこへ行ったのでしょう。(A)~(K)をお答えください。

船着場の近くで貸自転車をゲット。さあ、城下町の面影が残る町並みを走りまわるぞ! だが、自由時間はたったの1時間だけ。まず、本町筋を西に向かって走行。道幅5mほどの狭い道だが、江戸時代には2倍の道幅があり、殿様が参勤交代の際には必ずこの道を通ったのだとか。このあたりは上級武士の屋敷街で重要伝統的建造物群保存地区になっている。白壁の塀が続く町並みを6人のおじさん・おばさんが青年のように走り抜けます。
船着場から800メートル走って(A)○博物館に到着したが、時間がないので入館せずに外観だけ見物。敷地内には(B)○○○○総理大臣の銅像がある。博物館前の外堀を渡れば、そこは町人&中級武士の居住区。呉服町という町名から町人町らしさが伝わってくる。なまこ壁が目を引く豪商(C)○屋家の角を右折して(D)○屋横丁へ進入すると、いましたいました。案の定、シルバー旅行会御一行様が幕末の志士(E)○○○作の誕生地でたむろしていました。でも、自転車部隊は先へ急ぎます。お先に失礼!
(F)○○屋横丁は和服姿が似合いそうな静かな街路だ。その街路に面した(G)○○孝○の旧宅前を通って、再び上級武士の屋敷街へUターン。あれ、ぽつりと雨が。空模様と集合時間を気にしながら、230メートルも続く長い白壁の塀や、(H)○西中学校と(I)○高校の間にのびる白壁の道をびゅんびゅん走る。77歳のおばさんも75歳のおじさんもピッタリついてくる。だが、この町には47年前に来ただけで今回が2度目。道に迷わず案内するのは内心はらはら。
次に敵の進入を防ぐための鍵型街路へ行きます! 上級武士の屋敷街にあるこの鍵型街路は、所在地名を冠して(J)○内○○と呼ばれている。おお、江戸時代へタイムスリップしたような景観だ。さらに、○内○○の100メートル先には上級武士の(K)○○家住宅がある。立派な御屋敷で主屋と表門が国の重要文化財になっているが、中に入らず外観だけ観賞。ほかにも見たい所はまだまだあるが、集合時刻が迫っている。もう、髪の毛は薄くなり禿げになっているが、後ろ髪を引かれる思いでバスが待つ駐車場へ向かった。
[91526] 2016年 9月 28日(水)06:27:42千本桜 さん
土地地理流し
[91522] 白桃さん
箱根は地理のハンジロー
お見事です。お返しに春日八郎の土地地理流しをプレゼントします。かなり渋いので、酒で割って薄めると良いでしょう。
[91525] 2016年 9月 28日(水)06:24:48千本桜 さん
みちのくひとり旅
[91505] 伊豆之国 さん
みちのくひとり旅をされたのですね。「みちのくひとり旅」と書けば、どこか哀愁が漂う旅のイメージですが、 伊豆之国さんには、想い出に残る良い旅をされたことと推察申し上げます。

40年ほど昔、その白石市にある「小原温泉」に一泊し
温泉場の盛衰も激しいですね。宮城県では秋保温泉の一人勝ちでしょう。蔵王山麓の小原温泉、青根温泉などはすっかり寂れてしまいました。今年の春、一部分だけですが、白桃さんを案内して小原温泉の渓谷をハイキングしました。よろしかったら白桃&千本桜の置賜めぐりをご覧ください。

「温麺(うーめん)」
「うーめん」は短いから食べやすいですね。短い「うーめん」に馴れた人が他所の地方へ嫁に行き、「うどん」は長過ぎるので半分に折って茹でたら、こんなの「うどん」じゃないと怒られたとか。なんで「うどん」って、あんなに長いのでしょう。

白石は仙南の中心都市から脱落
全国的に見れば、仙南地域(宮城県南部)の中心都市は白石というのが定説でしょう。でも仙南地域で生活していると、それは違うことに気がつきます。ちょっと大きな買物は大河原へ。年金の相談も大河原へ。運転免許の申請も大河原へ。狂犬病の予防注射も大河原へ。そのつど白石市民は大河原町へ出向いているのが実情で、市と町の関係が逆転しています。ところが、大河原は仙南地域を背負って立つ中心都市としての気構えが希薄な町で、大河原の名を前面に出すことに臆病なのです。明治時代より今日まで、宮城県における国県の出先機関は、仙台>石巻=古川(現在は大崎市)>大河原の順で設置されてきました。国県は宮城県で4番目の拠点に大河原を選んでいる訳です。しかし、笛吹けども踊らず。大河原は自らを無名の小さな町だと思い込み、白石の陰に隠れて満足しています。
2年前、老人会の旅行で福島市の土湯温泉へ一泊した時のことです。山形県から来たと言う旅行客とエレベーターの中で一緒になりました。山形県人に「どこから来たの」と聞かれた老人会の「おんつぁん」は、少し考えて「白石の近く・・・ムニャムニャ」と答えました。ムニャムニャな答に山形県人は釈然としないようす。それを感じ取った老人会の「おんつぁん」は「ウ~ン」と考え込んだ末に、ふっきれたように爽やかな顔で「白石です」と答えたのです。何でやねん!
「大河原です」と答えれば良いものを、それができない町民が多いのです。

やがて町境を越えて柴田町に入っても桜並木はなお続き
船岡城址公園に立寄りながら大河原駅から船岡駅まで歩かれたようですが、ずいぶん疲れたでしょう。夏の一目千本桜も風情がありますが、秋の一目千本桜も見ごたえがあります。でも、やっぱり花が咲く春が最高です。機会がございましたら、ぜひ春にもおいでください。東北線の線路で分断されていた一目千本桜と船岡城址公園が「しばた千桜橋」で行き来できるようになりました。宮城県の2大桜名所が1つに結ばれてパワーアップ。柴田町では「しばた千桜橋」の建設をめぐって「要る」「要らない」の論争がありましたが、大河原町にも波紋が及びました。大河原の「のほほん派町民」は、「しばた千桜橋」ができると花見客が増えて大河原にも人が流れて来るだろうと楽観しています。一方「あせり派町民」は、「しばた千桜橋」ができると大河原に花見客が来なくなると、気をもんでいます。どちらに転ぶか見ものです。
地域間競争を煽るのは良くないと言う人もいますが、大河原VS柴田(船岡)の場合は煽って良いのです。なぜなら、この2つの町は抜きつ抜かれつシーソーゲームをしながら力を養ってきたのですから、今後もどーぞという感じです。「屋形船運行」で打って出た大河原に対し「しばた千桜橋」で対抗する柴田町。今度は大河原が新たな策を練る番ですぞ。分かっているのかな? のほほん大河原!
[90636] 2016年 6月 26日(日)07:51:25【1】千本桜 さん
加点要素に可住地昼間人口密度を
[90635] 白桃さん

可住地面積が狭いために都会度の統計数値が伸びないかわいそうな市を救済しましょう。という訳で、可住地昼間人口密度を加点要素に加えてもらいたいのですが、いかがでしょう。

(A)三大都市圏かつ都道府県庁所在市以外で可住地昼間人口密度が1㎢当たり3,500人以上の市。
該当するのは太宰府、野々市、塩竈の3市ですが、特に塩竈を上位に浮上させてください。離島を除いた本土だけならもっと密度が濃くなる。仙台のスプロール化で太ったというより独自の都市発展を遂げて来た。以上が理由です。そんな訳で太宰府、野々市とは一線を画しても良いのではないかと思う。都会度評価において、塩竈が佐渡や宇佐の下位にならないことを祈ります。

(B)都道府県庁所在市で可住地昼間人口密度が1㎢当たり6,000人以上の市。
該当するのは大阪、横浜、那覇、名古屋、京都の5市です。5市全部に加点しても良いと思いますが、特に大阪と那覇に厚く加点してください。大阪は世界有数の都会なのに、ピョンヤンとかアンカラより小さな都会だと思われたら嫌ですよ。那覇が、いわきより下位に評価されたら絶対に信用しません。

(C)上記の(A)(B)以外で可住地昼間人口密度が1㎢当たり10,000人以上の市。
該当するのは蕨、武蔵野、西東京、狛江、守口、三鷹、豊中、門真、国分寺、川崎、小金井、調布、吹田あたりかな。武蔵野以外は加点する気になれないけれど、密度が10,000人以上って都会的ですね。何らかの加点があって然るべきかも。

訂正機能を用いて訂正。(A)の「三大都市圏以外で可住地昼間人口密度が1㎢当たり3,500人以上の市」を、「三大都市圏かつ都道府県庁所在市以外で可住地昼間人口密度が1㎢当たり3,500人以上の市」に訂正しました。
[90542] 2016年 5月 27日(金)09:55:10千本桜 さん
奥会津と北魚沼の旅
[90525] オーナー グリグリさん
回答いただきましてありがとうございました。A~Jすべて正解です。
 A(会津坂下インターチェンジ)で高速を下り、B(福島県)C(柳津町)の円蔵寺にお参りしました。この円蔵寺、一般的には「柳津虚空蔵尊」の名で知られています。
 そこからD(金山町)のE(沼沢湖)に向かいました。この沼沢湖、以前は「沼沢沼」と呼ばれていましたが、今では「沼沢湖」の呼称が浸透しているようです。二十数年前の曇天の日に訪れた時は、少しおどろおどろしい風景に見えましたが、今回は晴渡った青空の下、透明感のある風景が広がっていました。
 F(只見川)の上流にあるG(奥只見ダム)へ車で行くには、H(新潟県)I(魚沼市)から進入します。今回の旅行で、じいさんたち(平均年齢70歳超)が一番喜んでくれたのは、奥只見ダムへ向かうシルーバーラインです。外の風景が見える訳でもないのに、果てしなく続く長大なトンネルに大興奮。このトンネル自体が観光スポットなのでしょう。
 魚沼市の旧J(小出町)は、私の勝手な都市規模ランキングによると、お隣の小千谷よりワンランク下のはず。それなのに中心商店街がずいぶん立派に見えました。アーケード商店街だけで比較すると、小千谷と同等またはそれ以上に見えました。
 宿泊は湯之谷温泉郷の大湯温泉。一見して温泉街も個々の旅館もぼろぼろに寂れていました。宮城県の人で、この大湯温泉に宿泊経験のある人は極めて少ないと思います。私も初めてでした。こんなぼろぼろの温泉街でも、何か心にグッと来るものがあるはずと思い、朝食前の早朝散歩に出かけました。ありましたね~。じんと染みる昭和レトロの景観が。特に、すずらん通り商店街。商売をやめたのに、看板だけが残るスナック、居酒屋。建物が取り壊された更地からは草の匂いがしてきます。昔は人ごみで賑わったであろう草の匂いのする商店街を歩きながら、大湯温泉に来て良かったと、ひとりしみじみ思うのであった。

[90526] 白桃さん
それにしてもJの街並みは画像で見ただけですが、とても立派ですネ。
市街地の広がりの規模はそれほどでもないのに、小出の街並みは立派に見えました。今までに白桃さんをおつれした(連れ回した)、飯坂、保原、梁川、桑折、藤田、角田、白石、大河原、船岡、槻木、村田、岩沼、登米、佐沼、若柳、築館、高畠、赤湯、宮内、小松の街並みと比較しても、小出のアーケード商店街は光っています。でも、白石は奥の深い町だから、裏道に入ると小出にはない厚みを感じるし、大河原と佐沼は中心街がぼろぼろでも、郊外に形成された商業ゾーンの迫力で小出をノックアウトするでしょう。小出がアーケードを取り外したら、どんな町に見えるのでしょう。

[90527] 伊豆之国さん
「無料」で覗けるこの川に沿って走っているJR線、結局復旧できぬまま(一部)過去帳入りして行く運命になるのでしょうか?
無料で見られる川は「只見川」だと、ご推察いただけて嬉しいです(笑)!
旅行に参加した、じいさん全員、JR只見線の一部運休中を知りませんでした。でも、途中でひとりが異変に気がつきました。ここ、汽車が走っていないんじゃないか? 線路に草が生えてるぞ。すると別のじいさんが、さっき通った駅(会津川口駅のこと)は汽車が走っている雰囲気だったな、と言いました。いや、走ってない、走ってる、走ってない、走ってると、まるでコスモスの花びらをちぎって花占いする状態。結局、走っているのか走っていないのか分からずじまいでした。

[90530] k-aceさん
I市は市街地にJ町だけでなくK村のところがあります。市役所からそれほど離れていない井口新田はJ町ではなくK村という。
K村は湯之谷村ですね。小出の市街地には東から西へ向かって進入しました。そのとき、井口新田を通過したのですが、突然、アーケード商店街が出現してびっくりしました。今は魚沼市ですが、もとの湯之谷村の区域にもアーケード商店街があったのですね。

そういえば大河原商業高校は大河原町の飛び地なんでしょうか? 高校の住所は「宮城県柴田郡大河原町大谷字西原前154-6」で、Mapionでは校舎部分だけ大河原町で、校庭部分含め柴田町に囲まれているように見えますが。
これは、地元でもよく話題になります。でも、大河原商業高校の敷地に関する変遷を体系的にまとめた記述が見当たらないのですよ。敷地の拡張変遷を表した地図があれば最高なのですが、それを求めるのは無理でしょう。そこで、千本桜が勝手に推測します。判断材料は次の4つです。
1、昭和30年代の航空写真
2、ある文献の記述の記憶
3、大河原町史
4、ゼンリン住宅地図
昭和30年代の航空写真を見ると、わずかの宅地が点在する中、農地に囲まれて高校の敷地がポツンとあります。敷地は今より少し狭いが、ほとんど柴田町の領域。でも少しだけ(1割にも満たないかな?)大河原町の領域にかかっている。それがここです。ここを仮に地点Aとします。
ある文献に、船岡海軍火薬廠跡地は柴田町、角田市にほかに、少し大河原町にも食込んでいると書いてあったのを思い出す。その場所がどこか不明であったが、いま思うに、地点Aではないかと推測する。
大河原町史によると「自前の校舎を持たない町立大河原高等女学校が、旧海軍火薬廠の宿舎を買収して、ここに移った」とある。大河原町が柴田町の領域を買収しないだろうから、大河原町域にあった旧海軍火薬廠の宿舎を買収したのだろう。海軍火薬廠と大河原町。2つのキーワードから推測できるのは地点Aである。当時は校舎があれば校庭など要らなかったのかな? とすれば狭い敷地でもOKだったはず。町立大河原高等女学校は後に県大河原高校の時代を経て、現在の県大河原商業高校となる。柴田町に属する学校敷地は、後に拡張されたのではないかと考えられる。
ゼンリン住宅地図からは「大河原町大谷字西原前154-6」の番地を見いだせないが、周囲の地番を追いかけながら推測すると、地点Aが西原前154-6に当たるのではないか。
以上のことから、大河原商業高校は大河原町の飛び地ではなく、柴田・大河原両町に跨がり、全ての校舎とほとんどの敷地が柴田町大字船岡字荻野に属するが、住所は学校発祥の地である大河原町大谷字西原前154-6のままである。以上、個人的推測ですが、たぶん間違っていないでしょう。
[90524] 2016年 5月 21日(土)02:42:50【2】千本桜 さん
ここはどこでしょう
 男(じいさん)7名で1泊2日の旅をしてきました。宮城県大河原町から150kmほど離れたAインターチェンジで高速道を下りる。そこから3桁国道を6km走行してB県C町のとあるお寺に到着。お寺の門前には温泉旅館が数軒あって、ちょっとした観光地。でも、千本桜以外の6名には初めての訪問地というから、その程度の観光地である。
 次に向かったのはD町のE湖。D町は隣県にも同名の町があり、E湖は火山でできたカルデラ湖。決してメジャーな観光地ではないが、5月の青空の下、静寂な美を放つ湖に、じいさん7名は「ほぉ・・・」とため息をつくのであった。
 湖を後に山を下って谷へ下りる。この谷を流れるのは水量豊富なF川で大蛇のように蛇行する。ちなみに、この川を見るのは無料です(笑)。じいさん7名の目的地は、この川の上流にある巨大なGダムなのだが、谷が険しくて道がない。山を越えH県のI市に入り、そこから進入するしかない。
 H県I市は平成の大合併でできた新しい市である。I市の中心は旧J町。「J町の町の中を走ってくれますか」と催促して、車を中心街に進入させる。千本桜以外のおじさん6名は町並みなどに興味はない。しかも、J町など名前すら聞いたことがない。山の中の小さな町だと思っているのだ。
 「それでは本町通り商店街に入ります。ここがJ町の中心街です。立派なアーケード商店街でしょう」と話しながら進むうちに、おじさんたちに変化が出はじめた。「なんだここは、大河原よりでかいぞ!」そんな声を聞きながら、千本桜はにんまり。
 「はい、次。その信号を右折して」と横町商店街へ誘導。「ありゃ、ここも立派なアーケードだなや~」と驚きの声。四日町交差点で「そこを右折して!」と指示を出し、さらに次の交差点でも「右折して!」と指示を飛ばしながら浦町商店街へ進入。またまた出現したアーケード商店街に「おぉぉ」と、おじさんたちのボルテージが上がっていく。
 「次は市役所前の通りを横切るから左を見て」と南本町商店街へ目を向けさせる。そこにも立派なアーケード商店街があることを確認したおじさんたちはハイテンション。「仙台みたいだ!」と言うおじさんもいたりして。いくら何でも、それはオーバーと釘を刺しながら、次のような質問をしてみた。
 大河原みたいに迫力満点のロードサイド商店街を形成しても、中心街をみすぼらしいまま置き去りにした町と、J町のように、ロードサイド商店街は少し物足りないかもしれないが、中心街が立派に見える町。どっちが良いと思う? ひとりのおじさんが即座に、J町が良いと返答してくれました。
 ちなみに、人口集中地区人口は大河原が約15,000人、J町はその3分の1で約5,000人。しかも、広域行政センターとしての役割は大河原の方がずっと大きい。それなのに、この中心街の賑わいの逆転劇。宮城県の都市の中心街って、仙台以外は全般的にみすぼらしく見えてしまうようです。

A~Jに該当する町名・川名などを答えてください。

書き込み訂正機能を用いて「次は市役所前の通りを横切るから右を見て」を「次は市役所前の通りを横切るから左を見て」に訂正。さらに、文章を少し書き加えました。
[90177] 2016年 4月 7日(木)06:18:42千本桜 さん
超特急さくら」停車駅誘致合戦 大河原駅vs船岡駅
[90176] 伊豆之国さん
今年の桜前線はまさに「超特急」ですね…。
一目千本桜は大河原町と柴田町に跨がって連なる桜並木ですが、
それぞれの町がそれぞれに桜まつりを開催しています。
おおがわら桜まつりは4月7日(木)~4月21日(木)
しばた桜まつりは4月2日(土)から4月24日(日)
樹によって個体差はありますが本日、おおがわら桜まつり会場の桜は満開になったようです。
一般の花見客は大河原か柴田かなど意識しないでお花見を楽しんでいますが、
地元民となると気になることが多々あります。
一目千本桜は大河原のものと思い込んできた「のほほん大河原町」。
そうはさせじと観光戦略を練ってきた「バリバリ柴田町」。
昨年までは大河原町の花見客数が柴田町を上回っていましたが、今年は逆転されそうな予感がします。
なにかにつけて実力が拮抗している両町ですが、ここにきて柴田町の戦略勝ちが表面化してきました。
桜まつりとは直接関係はありませんが、明治20年に開業した古参・大河原駅の乗客数が、
2014年度をもって、昭和4年開業の新参・船岡駅(柴田町)に抜かれてしまいました。
マイクロマガジン社発行の「これでいいのか宮城県」で、
「人よりこけしの方が多い?白石は仙南の中心都市から脱落!?」
「ゆっくりと廃れて行く仙南の秘境(?)角田)」と揶揄される2つの市を尻目に、
大河原町と柴田町は仙南の中心都市に向かってシーソーゲームをしてきましたが、
どうも、このところ大河原町に弱体化のかげりがみられます。
どうぞ皆様、この「のほほん大河原町」に活を入れるために、お花見にきてください。
一目千本桜ライブカメラ
[90174] 2016年 4月 4日(月)21:21:49千本桜 さん
これでいいのか足利市!
先日、とあるサークルから届いた研修旅行先一覧に、なんと「群馬県足利市」と書いてある。
このサークルには、いわゆる有識者と呼ばれる人が何人もいるのだが、地理には興味がないらしい。
「茨城県北茨木市」などと踏み外し、「栃木県草加・春日部・那須・黒羽・白河」へと突っ走るのである。
「栃木県草加・・・」って、なんじゃい。どうやら、県と市町村の関係など、どうでもいいようである。
[90006] 2016年 2月 23日(火)06:18:14千本桜 さん
国勢調査速報
[90005] 白桃さん
それにしても、国が公表する前に33道府県で速報が発表されている状況を、そしてまた、岐阜県、愛媛県、福岡県では一部の市町だけで公表されている状況をどう考えてよいのでしょうか。
どう考えて良いのか分かりませんが、こんなに速く情報が飛び交うと「知ることの感動」が薄れてしまいますね。昔は国勢調査の市町村別人口が新聞に掲載されるのを待ちこがれ、食い入るように読んだものですが、今はパソコンの画面で読み流しているだけ。さっぱり頭に残りません。
ところで、速報値の発表がこんな状況なら、確定値の発表も各県・各市町村ばらばらなのでしょうか。人から聞いた話ですが、4月(当然、今年の)には0町の確定値が分かるのだそうです。本当に、こんなに速く分かるものなのでしょうか。
[89244] 2015年 12月 3日(木)22:11:03千本桜 さん
「ここはどこ?」
「ここはどこ?」
1多々羅大橋
2山中湖
3美瑛町(いろずーさん、k-aceさん、ぺとぺとさん、今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断し、富良野市から鞍替えします。)
4浜名湖
5佐世保市
6伊方町
7南国市
8砺波市
9南牧村(今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断し、防府市から鞍替えします。)
10霞ヶ浦
11掛川市(Nさん、ぺとぺとさんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断。)
12小淵沢IC(今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断。)
13精進湖
14長浜市(今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断。私にとってこれが一番の難問でした。)
15古宇利島(k-aceさん、ぺとぺとさんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断。)
16調布市
17神戸市
18高山市
19舞子海上プロムナード(白桃さんの人口ヒントから判断し、渦の道から鞍替えします。)
20片品村
21南紀白浜空港
22屈斜路湖
23広島市(今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断し、富山市から鞍替えします。堀ではなく川なのね。広島を富山と間違えるなんて、この問題が一番に悔しい。)
24佐倉市
[89233] 2015年 12月 1日(火)21:05:23千本桜 さん
「ここはどこ?」へ挑戦
[89221] オーナー グリグリさん
オフ会二次会で実施したクイズ企画「ここはどこ?」をオフ会記録ページに公開しました。
この種のクイズは好きですが、今回のは難しいですね。

簡単に解けたもの。
4浜名湖、5佐世保市、7南国市、10霞ヶ浦、13精進湖、17神戸市、19渦の道、20片品村、21南紀白浜空港

少し迷ったもの。
3富良野市(美瑛か富良野か迷った)
6伊方町(直感で原発だと分かったが場所が特定できず。何となく『伊方 原発』で検索したら一発でヒット)
8砺波市(直感で砺波平野だと分かったが自治体特定できず。集落名『西中』で砺波市と特定できた)
16調布市(市街地の中に飛行場があるので)
18高山市(御岳か乗鞍か迷った)
22屈斜路湖(三方五湖かと勘違いしたが、中島があるので屈斜路湖)

かなり迷ったが、たぶん正解と思われるもの。
1多々羅大橋(しまなみ海道の橋をシラミつぶしに検索した結果、多々羅大橋と判明)
2山中湖(直感で白樺湖かと思ったが船が異なるようだ。山中湖だとすると、背後の冠雪した山並みは何)
24佐倉市(砺波市、小矢部市に惑わされた)

不正解かもしれないが。
9防府市(自信なし。しかしパラボラアンテナがこんなにあるのは防府しか考えつかない)
23富山市(中心街の総曲輪あたりから日本海方面を見ているように思えるのだが、自信なし)

これから晩ご飯です。時間切れお手上げ、難しい。
11、12、14、15
[89201] 2015年 11月 27日(金)06:34:33千本桜 さん
南砺市、砺波市、大館能代空港
[89155] 白桃さん
南砺市の市役所は福野にありますが、位置的に言っても偏りすぎてませんか?
相馬藩は伊達藩の侵入を防ぐために、あえて北辺の中村(相馬市)に城を築いたそうです。
そのような地政学をあてはめると、南砺波市が福野に市役所を置くのも納得できそうです。
福光に市役所を置けば、福野、井波などは出町(砺波市)に侵略されそうな感じがします。
あくまでも想像ですが、底辺には福光の衰退と出町の発展が作用しているような気がします。

[89169] 白桃さん
今回のオフ会が開催された富山県にある10の市の中で、南砺市と砺波市には無いものがあります。
人口集中地区ですよね。以前から砺波市の市街地(人が住んでいる住宅地)の小ささが気になっていました。
でも、土地区画整理も積極的に行われているようで、新市街地(ただし、住宅地というより業務地区)の
拡大が進行しているのではないでしょうか。出町(砺波市)はどんな町なのでしょう。見てみたい。

[89194] MasAka さん
飛行機に乗れる道の駅はもう1ヶ所、大館市にあるようです。
「道の駅」大館能代空港の所在地は北秋田市ですね。
[89152] 2015年 11月 24日(火)23:45:26千本桜 さん
福光
[89149] 白桃さん
城端、福光、福野、井波を周れたのが何よりでした。
個性豊かな町を見学されて良かったですね。
福光は「痩せても枯れても武士は武士」と、自己主張しているように見えませんでしたか。
宮城県の佐沼や大河原は市街地が拡大して、都市として一回り大きくなりました。
でも、都市機能は新市街へ移転して、旧来からの中心街は色あせてしまいました。
それに対し、福光は市街地が拡大しません。都市としては痩せて行く一方でしょう。
でも、新市街地がないから、都市機能は旧来の市街地内にとどまっているはずです。
旧来からの中心街を比較すると、佐沼や大河原より福光の方が商業都市の面影を残していると
推察するのですが、いかがでしたか。たぶん、福光は「腐っても鯛」かも。ちがいますか?
[88725] 2015年 8月 30日(日)08:37:38千本桜 さん
もろもろ
気分はすでに秋なのに、昨日は「村の鎮守」の夏祭りでした。延喜式神社の「大社」が、現代においてどれほどの価値?があるのか分かりませんが、この神社は全国に285座ある延喜式内大社の1つです。
[88708] hmt さん
「刷り込み」は、簡単には修正されません。
同感です。いまだに上越市より高田・直江津の方が分かりやすいです。奥州市に至っては水沢・江刺でないと困ったりして。さらに、私の場合、江刺よりも岩谷堂の方に親しみを感じるのは、行政体よりも都市集落に興味があるからだと思います。

[88705] 白桃さん
ブタ&ペスト、セントポール&ミネアポリス、伊田&後藤寺は世界三大拮抗複眼都市ですね。
最近は耳にしませんが武漢三鎮というのもありましたね。武昌、漢陽、漢口。この地名は、幼少のころ、中国好きの父親から叩き込まれて刷り込まれています。後藤寺と伊田は昭和40~50年代の5万分の1地形図によって刷り込まれました。当時は地形図から判断して、少し後藤寺の方が大きな町だと思っていましたが、どうも簡単には言い切れないようです。

[88714] かぱぷうさん
「どちらかに軍配をあげなさい」となったら…明るい伊田にします。
いろいろ調べてみると、私もそんな気がしてきました。平成27年分の田川税務署管内最高路線価は、中心街を離れた国道201号サンリブ田川店前で、1平方メートルあたり34,000円。伊田中心街の最高額は33,000円。後藤寺中心街の最高額は28,000円。それに、田川都市計画を見ると、伊田駅周辺が中心拠点、後藤寺駅周辺が副拠点になっているんですね。複眼都市でも、結局はどちらかに絞られていくのでしょうか。

[88722] ぺとぺとさん
商業地域および近隣商業地域
たぶん全国的傾向でしょうが、用途地域の中の商業地域から商業施設が逃げ出していますね。私などは、商業地域内で買物をすることは滅多にありません。せいぜい飲食店を利用くらいです。大河原町や柴田町では近隣商業地域や準工業地域が商業活動の場になっています。角田市ではなぜか第1種・2種住居地域に郊外型店舗が並んで、市内随一の商業地になっています。用途地域の商業地域から商店がなくなり、アパートや一般住宅になっていくのを見ていると、用途地域とは何ぞや?と感じます。
[88704] 2015年 8月 25日(火)05:25:48千本桜 さん
伊田と後藤寺
[88701] 白桃さん
1943年に伊田と後藤寺の2町が合併して成立した田川が、戸畑に代わってランクインします。
複眼都市「田川」の伊田君と後藤寺君。過去における両者の人口推移を教えてください。
♪「筑豊一代」渋くていい歌です。

[88702] かぱぷうさん
田川市の栄光がこれほどとは!
飯塚、直方、田川を見ないまま一生を終わりそうで、こころ残りです。
ところで、田川の後藤寺と伊田を「まち歩き」したなら、
どちらの方に都市としての中心性を感じるものなのでしょうか。
[88698] 2015年 8月 21日(金)06:35:27千本桜 さん
御礼
甲子園が終わって、一気に秋へ突入しました。毎年、この時期が一番さびしい。
昨夜は、橋の上から灯籠流しを見ておりました。

[88670] hmtさん
二百以降は(お)で、二百(ふたお )みお よお いお むお ななお やお ここのお ・・となる。
百を「お」と読むのは大和言葉だったのですね。
二百(ふたお)、七百(ななお)、九百(ここのお)については初めて知りました。
御陰様で、一つ知識が増えました。ありがとうございます。
[88665] 2015年 8月 18日(火)05:32:35千本桜 さん
百千家満&地方銀行
[88659] hmtさん
「ちやま」に「千家満」を宛てたのはよいとして、「お」を「百」に変えたのは荒療治。
確かに「百千家満」は難読ですね。私も読めませんでした。
しかし、「お」に「百」の字をあてるのは、それほど無理ではないと思います。
三百(みお)、四百(よお)、五百(いお)、六百(むお)、八百(やお)がありますからね。
八百屋はポピュラーで、地名好きには八百津もポピュラー。
でも、二百、七百、九百については、「お」と読むかどうか不明です。
そこのところをhmtさんに調べていただいて、解説していただけるとありがたいです。
時間に余裕があるときで結構ですので、よろしくお願いいたします。

[88660] 桜通り十文字さん
銀行の支店。私も興味深く拝見致しました。
なんの検証もしていなのですが、なんでこの都市に支店が?と感じたものを書きます。
秋田銀行の旭川支店・いわき支店、横浜銀行の桐生支店、スルガ銀行の仙台支店、阿波銀行の横浜支店。
また、それとは逆に、北海道銀行が深川市に支店を置いていないのは、なんでかな?と思いました。
[87966] 2015年 6月 27日(土)21:45:54千本桜 さん
県別トップ3
[87958] 白桃 さん
ここまでも 人口減るか 秋の暮れ
天才です。地理と文学の融合が素晴らしい!

[87959] N さん
自分でもトップ5を自信もって言えるのは三重県と鳥取県ぐらいです…(汗
鳥取県のトップ5を言えるのは素晴らしい!…(汗

[87965] 鳴子こけし さん
トップ2であれば、例えば岩手県(盛岡・一関)
岩手県のトップ2は意外に難しいような気がします。
いまどき盛岡・釜石と答える人は絶滅危惧種でしょうが、
あんがい盛岡・北上も多そうですし、盛岡・奥州や盛岡・花巻も食込んで来そうな感じ。

“新潟・長岡・直江津”の答えも出てくるかも?
新潟・長岡・高田の方が出てきそう。直江津よりも高田が出てくるのは老齢だからかな。
[87877] 2015年 5月 31日(日)08:37:19千本桜 さん
新聞広告に記載された地名で遊ぶ
地名の羅列を見るのは楽しい。
あれこれ想像力を掻き立ててくれるからである。
今朝の新聞に、似たような内容の広告が3本掲載されていました。

その1本目。
「使っていない農機具お売りください!!宮城県全域どこでも無料で出張査定!!」
と呼びかけて、仙台・石巻・塩釜・気仙沼・白石・名取・角田・多賀城・岩沼・登米・
栗原・東松島・大崎・大河原・亘理の順に13市2町の名を記載している。
宮城県全域どこでも無料なら、特定の市町村名を記載する必要はないだろうに、
あえて特定の市町名を掲載するクライアントの気持ちが分からない。
仙台から大崎までの13市をコード順に並べているようだが、
なぜ大河原・亘理の2町まで列記したのか、その心理が分からない。
使っていない農機具なら、大河原町より加美町・美里町などに多く転がっている筈だが、
クライアントおよび広告代理店には、そのような地理的発想はないのだろうか?

その2本目。
「あなたの農機具買取ります!!宮城県内どこでも無料でお伺いします!」
と言いながら、仙台・気仙沼・石巻・登米・栗原・角田・塩釜・大崎・名取・白石の順に
10市の名を記載している。
宮城県内どこでも対象地域なら、特定の市町村名を記載する必要はないだろうに、
あえて10市を掲げるクライアントの気持ちが分からない。
東松島・多賀城・岩沼の3市を無視しているのも変だが、並べ方がもっと変である。
県北の栗原から一気に県南の角田に飛んで、県央の塩釜に向い、県北の大崎へ進む。
地理的センスを感じさせない並べ方だと思いませんか?

その3本目。
「トラクター・田植機・コンバイン等、農機具現金買取。宮城県内出張査定無料」
としながら、仙台・石巻・大崎・登米・角田・白石の順に6市の名を列記している。
宮城県内どこでも無料出張するなら、あえて6市の名だけを掲載する必要はない筈である。
さらに突っ込めば、なぜこの6市を選定したのか見当がつかない。
白石よりも栗原あたりに買取対象の農機具が眠っていそうな気がするのだが、
クライアントおよび広告代理店の気持ちが分からない。

広告は単に「お飾り」として地名を羅列しているのだろうか?
[87630] 2015年 4月 30日(木)23:07:36千本桜 さん
われわれは栗原と角田
宮城県関連の書き込みです。
栗原市の4月1日推計人口が7万人割れして69,992人に、角田市も3万人割れして29,975人に。
どちらも7万人、3万人には二度と戻って来ないだろ、♪そんな気がする夕日の波止場~
なぜか及川三千代さんの昭和歌謡が身にしむ夜です。

[87613] 山野 さん
「市」になるにしても、まずは前提条件である国勢調査で、最低でも5万人無いと駄目ですね。
調査はそれからでも遅くは無いと思うが、ちと節操じゃありませんか。
「節操」は「尚早」の誤りかと思いますが、決して時期尚早ではないと思います。
富谷町は2016年4月の市制施行を目指しています。
2015年10月1日に実施される国勢調査の人口速報は2016年2月頃に発表される筈ですが、
その結果を待って動き出すのでは遅すぎます。

「人口水増し」
富谷町は計画人口11,000人の新富谷ガーデンシティをはじめ、大規模住宅団地が多数造成され、
確実に人口が増えています。水増ししなくても5万人を突破すると思います。
ちなみに、旧来の中心市街地は奥州街道の宿場町で、とても鄙びています。
[86601] 2014年 11月 4日(火)06:25:44千本桜 さん
佐久にて
[86596] 伊豆之国 さん
軽井沢・佐久と小諸の比較にも興味を惹かれます

名目は「研修旅行」、でも実態は「宴会旅行」が相次ぎ、体力と経済が破綻しかけているこのごろです。
草津・軽井沢方面には先月、二度行きました。
主催者は異なりますが、二度とも同じ観光ドライブインで同じ内容の昼食を頂き、
泊まる旅館も同じなら、通された部屋の階数も同じという味気ないものでした。
これだけなら我慢できるのですが、ストレスがたまるのは、団体旅行ゆえに自由行動がとれないこと。
佐久IC近くの大型観光ドライブインで昼食。同行者たちはその後、楽しそうにお買い物。
でも、私は買物に興味なく、そこから1500m離れた佐久平駅周辺の変貌ぶりを見たいのである。
一つの自治体(佐久市)の中で展開する岩村田vs中込vs野沢vs臼田の地区間競争を見たいのである。
でも、それができない。
思い余って、ドライブインの店員さんに直撃インタビューしました。
私:ここは岩村田ですよね。岩村田は中込に負けたと思っているんでしょうか?
店員:でも、今では勝ったと思っています。
たったこれだけの会話でしたが、もやもやが晴れて胸がすーっとしました。
こんな質問をする観光客は少ないと思うけれど、即座に返答できた店員さんって、地域好き・地理好きなのかな。

ガイドさんの珍答
小諸市内で鉄道の線路を見た同行者が「これは何線」とたずねたところ、ガイドさんは「小諸線」と答えました。
[85809] 2014年 7月 12日(土)18:25:55千本桜 さん
安足
[85805] じゃごたろ さん

栃木県には足利市と栃木市を管轄区区域とする「安足土木事務所」というのがあります。
安足土木事務所の管轄区域は足利市と佐野市です。

「足」は足利市のことですが
足利市ではなく足利郡の「足」と解釈するのが自然ではないでしょうか。

「安」はなんだろうと思ったのですがどうやら「安蘇郡」の「安」のようです。なんでここで古い「郡名」が名称に採用されたのだろうか、と疑問に思いました。
岩手県の胆沢郡と江刺郡を指して胆江と呼ぶように、安蘇郡と足利郡を併せて安足と呼ぶ習慣があるからだと思います。安蘇郡も足利郡も消滅したのに、地域名としての安足はまだ生きているのでしょう。
ところで先月、胆江地域を旅してきました。前沢(奥州市前沢区)で前沢牛のステーキを食べながら、思うのは水沢(奥州市水沢区)のこと。かつては一関・北上・花巻を凌ぐ商業吸引力を持っていた水沢ですが、徐々に力が弱まってきているように感じます。
[85629] 2014年 5月 19日(月)19:30:50千本桜 さん
祝!50万人超え
河北新報の記事によると、一目千本桜で知られる大河原・柴田両町の合計花見客数は今春、初の大台50万人超えを達成したそうです。内訳は大河原町が26万3千人、柴田町が24万8千人でほぼ互角。商圏拡大をめぐり抜きつ抜かれつのシーソーゲームをしているうちに、近隣の白石・角田両市を凌ぐ商業ゾーンに発展した2つの町は、花見客獲得においても激しいデッドヒートを展開中です。大方の町民はこのような状況に無関心ですが、敏感に反応してしまう人たちもいます。2町に跨がり8.5kmも連なる一目千本桜を、大河原町の物だ!、柴田町の物だ!と熱くなるのは悪いことではないと思います。要はアイディアを出し、ぶつかりながら全体が伸びて行ければ良いのです。現在、東北地方の花見客数は、1位が青森県弘前公園、2位が秋田県角館の桧木内川堤&武家屋敷、3位を岩手県北上の展勝地と一目千本桜(船岡城址公園を含む)が競っているようです。弘前、角館、北上の花見はゴールデンウィークの観光客を呼び込めますが、そうではない一目千本桜、なかなか健闘していると思います。
昭和の合併も平成の合併も不発に終わって市になれなかった大河原と柴田(船岡)。小規模ながら常に都市間競争に晒されているようで胸がきりきりしますが、合併したとしても同一自治体内での地域間競争に晒されるのでしょうね。根本的には盆地地形のせいではないでしょうか。大河原盆地と船岡盆地の盆地間競争に思えて仕方ありません。大河原・柴田両町とも日本創成会議とやらの「消滅の可能性が高い自治体」ではないし、合併しなかったから何か支障をきたしているという話も聞かないし、平成の大合併って何だったのでしょう。
[85562] 2014年 5月 5日(月)06:33:08【1】千本桜 さん
伊達郡の都市間競争
明治22年4月、町村制施行と同時に福島県伊達郡には4つの町が誕生しました。川俣町、梁川町、保原町、桑折町です。当時、東北地方の郡で町が4つも誕生したのは伊達郡だけだったようです。地理的に離れている川俣町は別として、梁川、保原、桑折の3町が自らの盛衰をかけて熱き都市間競争を展開するのは必然の状態でしょう。語り継がれているできごととして、伊達橋騒動(伊達橋騒動2)伊達郡役所移転問題があります。明治16年、郡役所は保原から桑折に移されましたが、保原はその悔しさを100年たっても忘れない。郡役所移転から105年後の昭和63年、阿武隈急行線保原駅が開業。保原駅舎は桑折の旧伊達郡役所を模して造られました。その姿は、保原こそが伊達郡の中心、伊達郡役所が置かれるにふさわしい町であると無言で訴えているようです。
以前にも伊達郡役所に関して書き込みしたのを思い出したので調べてみました。ありました。10年以上も前のことですが、私の書き込み[23206]「桑折駅」に対する、こおりさんの書き込み[23235]「伊達郡役所」です。

数字で見る伊達郡4町の盛衰
(平成18年に伊達市が誕生し、梁川・保原両町は消滅しましたが、現在も存続していると仮定して書きます。)

「DID人口推移」
DID人口昭和35年昭和45年昭和55年平成2年平成12年平成22年
川俣町7,4727,0666,6585,1474,2413,293
梁川町5,5547,1676,8696,5515,9125,554
保原町5,6607,7889,15410,44510,643
桑折町5,2004,4543,6924,6785,120

「行政人口推移」
行政人口昭和35年昭和45年昭和55年平成2年平成12年平成22年
川俣町25,98322,74721,09920,00117,75115,569
梁川町24,68823,65322,92122,21721,38518,749
保原町21,33922,13323,85925,08124,89123,654
桑折町15,81414,72314,90114,69213,70012,853

第1回DID人口調査が行われたのは昭和35年。当時は保原町・桑折町がDID未形成で、DID人口・行政人口ともに川俣町が1位だったのですね。ここに掲載した数字から判断すると、昭和45年においても保原より梁川・川俣が優位に見えますが、都市としての実態は違うような気がします。だって、40年前のことだけどヤクルト配達のおばちゃん(保原町出身)が、伊達郡の中心は保原!と断言してましたから。梁川より保原の方が大きい!と自信たっぷりに話してくれたヤクルトおばちゃんの言葉に嘘はないと思いたい。
それにしても、梁川って不思議な町ですね。伊達政宗の御先祖様の本拠地という過去はあるものの、近代史において伊達郡の中心・伊達郡の拠点という経歴はないはず。それなのに、あの奥行きと風格のある町並みはどこから来るのだろう。

書き込み訂正機能を用い(伊達橋騒動2)のリンクを変更しました
[85283] 2014年 4月 17日(木)06:20:50千本桜 さん
桜前線は東北地方を北進中です。宮城県南部の桜名所・一目千本桜は12日に満開となり、好天に恵まれた13日の日曜日は過去最高の人出を記録したようです。昨日は桜吹雪がはらはらと舞って松阪慶子様状態から岩下志麻様状態に突入。岩下志麻様を「まだまだ見れる!」と感じるか否かは人によって異なると思いますが、彼女と一目千本桜の名誉のために、「まだ見れる!」としておきます。でも、今度の日曜日あたりは若尾文子様に変身しそうな状況です。
いま、アトリエのブラインドを上げたら今朝も快晴。目の前の桜、「まだ見れる!」です。

[85281] 白桃さん
海に面している自治体すべてが「市」ではない都道府県がひとつだけあります。
それはどこでっしゃろ?
クゥーッ! 区や市いけれど難しすぎてわからない。(笑)
[84571] 2013年 12月 24日(火)03:52:56千本桜 さん
三本松市街、屋島市街
[84567] 白桃さん
DID人口に三本松に隣接する旧)誉水村の一部が含まれている可能性、また、旧)三本松町の中に在りながらDIDに含まれていない人口の可能性があります。
地図から判断すると、1970年国勢調査における大内町DIDは、旧三本松町と旧誉水村の横内・中筋地区に跨がっています。しかし、大内町DIDに占める横内・中筋地区の面積は僅かであり、全体の10%に満たないと推察します。大部分が三本松の領域で占められていますから、大内町DIDは三本松市街地のことと受け止めても良いと思います。大内市街地という言い方は馴染みません。

ところで、1970年国勢調査の高松市II DIDについてお尋ねします。「高松市II 」の場所を分かりやすくするために固有地名を用いた名称を付したいと思います。次のうち、どれが適切でしょうか。

1・高松市II は屋島と高松町に跨がる市街地です。しかし、高松町にJR屋島駅が所在するため、高松町を屋島の一部だと思っている人も多く、居住地を尋ねられると「屋島です」と答える高松町住民も多いかと推察します。従って高松市II は「屋島」と表わすのが簡単明瞭で良いと思う。

2・高松市II における屋島と高松町の面積比率は、大雑把にざっと見て、屋島が60%~65%を占め、高松町が35%~40%を占めているように見えます。高松町の面積比率を考慮し、「屋島・高松町」と連記するのが良いと思う。

3・1970年当時を思えば、世間では新地名の高松町より旧地名の古高松が汎用していた可能性があるので、「屋島・古高松」と連記するのが良いと思う。
[84158] 2013年 9月 29日(日)01:11:36千本桜 さん
四文字地名「犬卒都婆」
四文字地名で好きなのは、[84124]でグリグリさんが書いておられる津軽の五所川原(ごしょがわら)です。どこか野暮ったくて力強い語感が好きです。かつて五所川原には百貨店が3つもあり、小規模な市街地なのに濃密な商都の雰囲気がありました。小さな体で王者・弘前に立ち向かっていた頃の五所川原は魅力的でした。

四文字地名と言えば、宮城県白石市白川の犬卒都婆も妖し気で魅力的です。公的な読みは「いぬそとば」ですが、地元民は「いのそとわ」と呼び合っています。なぜ、「いぬ」が「いの」と発音され、「ば」が「わ」と発音されるのか、幼少の頃より今日まで謎のままです。

「白石市の文化財」という図書は、犬卆都婆碑について次のように記しています。まず、碑の場所を「白石市白川犬卆都婆岩の上」と記しています。このように、「大字」や「字」という接頭辞を付さない住所表記を見るたびに、「白川犬卆都婆岩の上」が9文字で1つの地名であり、切り離せない地名だと思う人がいるのではないか。切り離すにしても、どこで区切れば良いのか分からないのではないかと心配になるのです。

ちなみに、「白川犬卆都婆岩の上」は3つの階層から成り立っています。
「白川」は明治22年に犬卆(卒)都婆村ほか4村が合併してできた自治体で、明治22年~昭和29年は刈田郡白川村、昭和29年~現在は白石市白川です。
「犬卒都婆」は江戸期からの村で、明治22年までは刈田郡犬卒都婆村、明治22年~昭和29年は刈田郡白川村大字犬卒都婆、昭和29年~現在は白石市白川犬卒都婆です。
「岩の上」は犬卒都婆の小字で、明治22年までは刈田郡犬卒都婆村字岩の上、明治22年~昭和29年は刈田郡白川村大字犬卒都婆字岩の上、昭和29年~現在は白石市白川犬卒都婆字岩ノ上です。
なお、白川地内にはJR東北線の北白川駅がありますが、同じ東北線の白河駅との混同を避けるため、北白川駅としたそうです。

落書き帳には、地名由来や地名伝説に興味を持たれている方も多いと思いますので、「白石市の文化財」という図書に記してある「犬卆都婆碑」を、そのまま引用します。
大型の碑で文字は判読できなくなっているが、小野篁(おののたかむら)が大いのししを退治した時、協力した盤司三郎の愛犬を供養した卆都婆石という。堂山の虚空蔵様にちなむ伝説の碑。
一説には阿部則任の供養碑とも、また犬とめおとになった者の供養碑とも伝えられる。地名の犬卆都婆はこの碑から起こったという。
※阿部則任の「部」は誤植で、阿倍則任が正しいでしょう。

もっと犬卒都婆について知りたい方のために。
千葉県にお住まいの方が、「猫の神様を求めて」と言うブログで、「犬卒塔婆」とは?。本当に「犬」で、本当に「卒塔婆」か?。旧「犬卒都婆村」についての覚書。もう一つの徳本寺の犬供養など、かなり詳しく書いておられますので、どうぞ。

追伸
なぜ、「いぬ」が「いの」と発音され、「ば」が「わ」と発音されるのか、幼少の頃より今日まで謎のままです。
と、書きましたが、偶然にも今、ウィキペディアで卒都婆小町(そとばこまち)と言う能楽があることを知りました。観世流では「そとわこまち」と言うそうです。「婆」を「わ」と読むのですね。犬卒都婆と言う地名の公式読みは「いぬそとば」なのに、なぜか地元の人は「いのそとわ」と呼びます。その謎解きの糸口になりそうですが、私には理論的に整理できません。どなたか、なぜ「いぬ」が「いの」と発音され、「ば」が「わ」と発音されるのか、教えて頂けませんでしょうか。
[83660] 2013年 7月 3日(水)06:49:23千本桜 さん
地域経済
[83619] にまんさん
富谷町の市制施行に向けての動きやトヨタ自動車東日本の工場進出で、何かと話題が多いのが宮城県黒川郡。黒川郡の人口は9万人ですが、鉄道駅がなくバスへの依存度が高い地域でした。それに加え、トヨタ自動車東日本(株)の稼働で地域経済が活発化して交流人口が増えているようです。そのような背景があって、黒川郡の中心地・大和町吉岡にバスターミナルができたようです。

地域経済の活発度は、有効求人倍率からも推察できそうです。宮城県内に10箇所ある職業安定所の中で、最も有効求人倍率が高いのは黒川郡を管轄するハローワーク大和。それに対し、県南部の景気はパッとしません。県南部は大河原と白石にハローワークがありますが、どちらも有効求人倍率は低率で、県内の最下位争いをしています。

2013年の有効求人倍率
1月2月3月4月5月
ハローワーク大和1.701.761.741.711.58
ハローワーク大河原0.650.710.750.600.67
ハローワーク白石0.640.730.790.630.64

昨日、国税庁より平成25年分の路線価が発表されました。最高路線価と上昇率の都市間比較をしてみます。なぜか特例市の伊勢崎市より評価額が高い高知県いの町。なぜか、いの町より評価額が低い伊勢崎市。地域経済が低迷する宮城県南部の白石市、大河原町、柴田町、角田市。地域経済が活発化する宮城県中部の大和町。以上7市町の比較です。宮城県内の都市間比較をしている分には、なるほどなるほどと納得できるのですが、四国や関東の都市が加わると、路線価って何じゃいという感じになりますね。

1平方メートルあたりの最高路線価(当該自治体における最高評価額)の推移と、23年~25年の上昇率
23年分24年分25年分上昇率
高知県 いの町87,00078,00072,000-17.24
群馬県 伊勢崎市61,00058,00055,000-9.84
宮城県南部 白石市42,00040,00037,000-11.90
宮城県南部 大河原町38,00036,00035,000-7.89
宮城県南部 柴田町33,00032,00031,000-6.06
宮城県南部 角田市27,00025,00024,000-11.11
宮城県中部 大和町27,00027,00028,0003.70
[83623] 2013年 6月 20日(木)23:34:42千本桜 さん
もう一度「字」の省略について
[83606] ぺとぺと さん
ところで上述の住所録上、大河原営業所の住所は「柴田郡大河原町?町」と字表記なし、角田営業所の住所は「角田市角田字?町」と字表記ありとなっていましたが、千本桜流でいうとこれらはアリでしょうか。

私の場合、「字」と言う字句を省いて大河原町町と書いたことがなく、必ず「字」を付して大河原町字町と書きます。角田市の場合も「字」を省かずに角田市角田字町と書きます。全国的に見れば町と言う小字名は珍しいようですが、宮城県では田尻字町、富谷字町など、あちこちに点在します。岩手県一関市にも千厩字町、藤沢字町、花泉字町などがあります。しかし、大河原町の字町は他と異なる点があります。他は、大字の中に小字がありますが、大河原町字町は大字がなくて自治体名の直ぐ下に町と言う名の小字があります。「字」という字句を省くと、自治体名に付く「町」と小字名の「町」がくっついて、大河原町町になります。感覚的な事でしょうが、馴染めない表記です。

大河原町字町と同じケースが、かつて徳島県にもありました。貞光町字町です。「字」という字句を省くと貞光町町になります。貞光町は平成の合併で、つるぎ町になり、現在は貞光を大字として扱い、つるぎ町貞光字町と表記するようになっています。しかし、マピオンは字町の「字」を省いて、つるぎ町貞光町と記載しています。平成の合併前に存在した自治体の貞光町と混同して紛らわしいですね。

仙南広域行政圏に属する市町の「大字」と「字」の扱い方を見てみます。仙南圏は2市7町ですが、丸森町については確信が持てない点があるので除外し、2市6町を対象とします。この地域には「字」という字句を付す区域と、付さない区域があります。「字」を付さない区域は、白石市と柴田町の住居表示実施区域および柴田町の町名地番整理区域です。白石市大手町柴田町北船岡二丁目などが住居表示実施区域で、柴田町西船迫二丁目などが住居表示を実施したかのように見える町名地番整理区域です。柴田町の場合、既成市街地には住居表示を実施し、農地などを土地区画整理して生まれた新市街地には町名地番整理を施しているように見受けました。今回のテーマは「大字」と「字」の扱い方ですから、「字」を必要としない住居表示実施区域と町名地番整理区域は除外して前に進みます。

仙南2市6町の住所のうち、「字」を表記するものは下記の4種類に分類できます。

旧村名接頭辞大字名接頭辞小字名行政上の正式表記マピオンの表記
類型1越河----白石市越河平字入白石市越河平入
類型2----大字円田曲木畑蔵王町大字円田字曲木畑蔵王町円田曲木畑
類型3--------草刈谷地角田市岡字草刈谷地角田市岡草刈谷地
類型4------------宮前七ヶ宿町字宮前七ヶ宿町宮前

【類型1】「旧村+大字+小字」の住所ですが、大字には接頭辞「大字」を付さず、小字には接頭辞「字」を付します。昭和の合併で消滅した旧村名を継承しているのが特徴で、2市6町では白石市特有の形式です。表記例は白石市越河平字入、白石市白川犬卒都婆字小松方尻です。マピオンのように「字」抜きで「越河平入」と書くと、4文字で1つの地名に見えますが、話言葉では3つに区切って「越河の平の入」となります。「白川犬卒都婆小松方尻」などは、区切る場所を間違えると意味が通じなくなります。なので、住民は滅多なことで接頭辞の「字」を省かないと思います。
ちなみに、類型1の住民から届いた年賀はがきは1通だけですが、行政上の正式表記で書いてあり、接頭辞の「字」も書いてありました。

【類型2】「大字+小字」の住所で、接頭辞「大字」「字」ともに付します。蔵王町、村田町、柴田町、川崎町で見られる形式です。表記例は蔵王町大字円田字曲木畑、村田町大字村田字町、柴田町大字船岡字七作、川崎町大字前川字中町です。昭和の合併以前は、大概の自治体がこの形式で住所を表記していました。しかし、昭和の合併を境にこの形式は減ってきました。原因は、(1)昭和の合併時に角田市と大河原町が、大字名に接頭語の「大字」を付さなかった。(2)昭和の合併時に白石市と大河原町が、自治体名と同名の大字(大字白石本郷と大字大河原)を廃止した。(3)後に七ヶ宿町が大字を全廃した。(4)昭和50年代以降、柴田町と白石市で住居表示の実施が進んだ。(5)柴田町が町名地番整理区域に「字」を付さない住所形式を採択した。以上の原因で、類型2に該当する区域は狭まっています。
ちなみに、類型2の住民から届いた年賀はがきは9通。内訳は、接頭辞「大字」「字」を省かず行政上の正式表記で書いたものが6通。接頭辞「大字」「字」ともに省いたものが2通。そして、大字を省いて小字だけ書いたもの1通でした。「村田町大字村田字町」の大字村田を省いて「村田町字町」と書く人がいますね。看板などでも見かけます。この書き方だと、江戸期の村田本郷(本郷は村の意)が単独で現行村田町になったみたいで、歴史に反します。突き詰めて考えれば、他の大字に対して失礼な書き方だと思います。

【類型3】「大字+小字」の住所ですが、大字には接頭辞「大字」を付さず、小字には接頭辞「字」を付します。角田市、蔵王町、大河原町で見られる形式です。表記例は角田市岡字草刈谷地、蔵王町遠刈田温泉字本町、大河原町大谷字末広です。自治体名に係る接尾辞の「市」や「町」が区切りとなるので、「大字」という字句が無くても良い訳です。類型3は昭和の合併時に発生した形式ですが、当時から接頭辞の「大字」を不要とする考えがあったようです。でも、小字に係る「字」という字句まで省略する考えは薄かったと思います。
ちなみに、類型3の住民から届いた年賀はがきは29通。内訳は、接頭辞の「字」を省かずに行政上の正式表記で書いたものが23通。接頭辞の「字」を省いたものが2通。大字名を省いて小字を正式に書いたものが2通。そして、大字名と接頭辞の「字」を省略したものが2通でした。「大河原町大谷字○○」の大字名「大谷」と、小字の接頭辞「字」を省いて「大河原町○○」と書く人がいますね。しかも、郵便物が届くのだから、住所などこれで良いのだと確信しているようです。町内の特定の大字だけを省略すると、次にどのような地域変化が起きるのか。住所行政に携わる人には心して欲しいものです。

【類型4】大字なしで接頭辞「字」を付した「小字」だけの住所です。白石市、大河原町、七ヶ宿町で見られる形式でしたが、近年、川崎町にも同類が発生しています。表記例は白石市字延命寺北、大河原町字町、七ヶ宿町字宮前、川崎町字青根温泉です。これらは、大字を廃止して小字を剥き出しにした結果生じた住所形式です。昔からの小字は、面積が狭く人口も少ないのが一般的です。ですから、大字に比べて知名度が落ちます。七ヶ宿町役場の前で「七ヶ宿町宮前はどこですか」と尋ねても、返答できる町民は滅多にいないでしょう。類型4は、自治体名に係る「市」や「町」という字句が区切りの役目を果たすので、小字名に係る「字」という字句を省いても意味が通じます。白石市字延命寺北に住む知人からの郵便物には、「字」の字句を省いて白石市延命寺北と書いてあるのが常でした。
ちなみに、類型4の住民から届いた年賀はがきは23通。接頭辞の「字」を省かずに行政上の正式表記で書いたものが16通。接頭辞の「字」を省いたものが7通でした。
[83605] 2013年 6月 16日(日)07:20:04千本桜 さん
大野と大◯
[83604] 白桃さん

大野と言えば広い平地の農村部を連想しますが、異色なのは金沢市の大野と常滑市の大野。どちらも由緒ありそうな古い港町。金沢市の大野は江戸時代からの町場ですが、常滑市の大野も1889年に町制施行した古参町。常滑村が常滑町になるより先に、大野村が大野町になっているのですね。それなのに、常滑の勢力に呑み込まれてしまった大野って何なの。さらに、名鉄常滑線の大野町駅も新舞子駅との駅間競争に破れ、♪「哀れを誘う病葉や」と言った状態にあるのではないでしょうか。

現在も町を継続しているところは一つだけ
この町に今年、バスターミナルが完成しました。バス離れが進んでいる地域に住んでいると、何で今ごろバスターミナルが必要なの?と思いますが、それにはそれなりの理由があるのですね。その理由とは何でしょう。
[83596] 2013年 6月 11日(火)12:38:43千本桜 さん
マピオン、マップファンなどのネット住所検索は、申し合わせたように「大字」「字」という字句を省いて住所を表示しています。どうしてなのでしょう。(有り得ないと思いますが)国の総務省あたりが、「大字」「字」を省くように推奨しているのでしょうか。

例えば、マピオンで検索すると宮城県柴田郡の村田町大字関場字雉子尾は「大字」「字」が省かれ、村田町関場雉子尾と表示されます。そして、下記のような注意書きがあります。
※「宮城県柴田郡村田町関場雉子尾」は上記以外で以下のように記載されることもあります。
1. 宮城県柴田郡村田町関場雉子尾
2. 宮城県村田町関場雉子尾
郡名を記載することもあれば、しないこともあるという注意書きです。でも、あまりにも当たり前の事なので、この注意書きは必要ないと思います。それより、「マピオンは都合により大字および字という字句を省略していますが、本来は大字関場字雉子尾と表記します。」と注意書きして欲しかった。「大字」という字句を省略して関場字雉子尾と書くことはあっても、「字」という字句まで省略して関場雉子尾と書くことは非常に少ないのが現状だからです。でも、これからの時代、ネットで住所検索をした人は、関場と雉子尾が階層の異なる別個の地名であることを知らずに、5文字で1つの地名であるかのごとく関場雉子尾と書くのでしょうね。「字」という字句があることで地名の階層を判読できたのに、それが読めなくなるのは残念です。

東北地方や愛知県、京都府、徳島県に多い住所形式で、地番を小字ごとに起番し、住所を自治体名+大字名+小字名で表記する地域の話です。例えば、福島県伊達郡の桑折町大字伊達崎字下西は、「大字」の2文字を省いて桑折町伊達崎字下西と書くことがあっても、「字」という文字まで省いて桑折町伊達崎下西と書くことは滅多にないはずです。これが一般的な住民感覚だと思います。「大字」という字句は時として省略されるのに、「字」という字句が滅多に省略されないのはなぜでしょう。

個人的な考えですが、「町」「大字」「字」という字句は、地名の階層を区切る句読点のようなものだと思います。「町」「大字」「字」を「、」に置き換えると、桑折町大字伊達崎字下西は「桑折、、伊達崎、下西」になります。桑折と伊達崎の間に読点が2つ連続しますが、1つ有れば用が足りるので、片方の読点は無くても良いことになります。つまり、桑折町大字伊達崎は「町」と「大字」が連続しているので、「大字」という字句が無くても地名の階層が読み取れる訳です。しかし、伊達崎と下西の間には「、」が1つしかありません。この「、」を省略すると伊達崎下西になります。これでは階層の異なる別個の地名であることが読み取れません。読み取ろうとしても伊達と崎下西なのか、伊達崎と下西なのか判断できません。だから「字」は省略しない方が良いと思います。

次にマピオンで宮城県柴田郡大河原町の金ヶ瀬字神山を見てみます。やはり、「字」という字句は省かれて金ヶ瀬神山と表示されました。「字」を付して金ヶ瀬字神山と書く人と、「字」を付さずに金ケ瀬神山と書く人では、どちらが多いのだろう。そこで、住民5人に聞きました。何人に聞いても答は同じと思い、5人で打ち切りました。「あなたは住所を書く時、「字」を付して金ヶ瀬字○○と書きますか、それとも「字」を書かずに金ヶ瀬○○と書きますか。」と質問したところ、全員が「字」を付して金ヶ瀬字○○と書くと答えてきました。マピオンと住民では、表記が異なります。マピオンやマップファンが「字」の字句を省略するのは、何らかの理由があってのことでしょう。しかし、地番が小字起番で、住所を自治体名+大字名+小字名+番地で表記する地域の「字」まで省略するのは、機械的で画一的すぎると思います。

ちなみに愛知県犬山市の場合、次の3つの内、一般的に用いられるのは、どれですか。「大字羽黒字堂ケ洞」「羽黒字堂ケ洞」「羽黒堂ケ洞」。
[83278] 2013年 4月 29日(月)19:44:47千本桜 さん
十番勝負入門コース
問C:八戸市
[83236] 2013年 4月 28日(日)23:10:13千本桜 さん
十番勝負入門コース
問A:大阪市
問B;奈良市
問C;えびの市
問D;草加市
問E:釧路市
問F:北見市
問G:士別市
問H:北見市
問J:大分市
問K:湯沢市
[83165] 2013年 4月 26日(金)05:37:58千本桜 さん
白石商圏が消滅
[55468] 千本桜
それまで後背人口2~4万レベルで成立していた志津川、若柳、栗駒、涌谷、小牛田などは買回商圏を消失しています。冷たい言い方かもしれませんが、次に来るのは後背人口5万レベルの白石、角田、亘理の買回商圏消失ではないかと考えます。

上記は2006年に書いた記事ですが、案の定、2009年の消費購買動向調査報告書で角田、亘理の商圏消滅が判明しています。そして、ついに2013年消費購買動向調査報告書で白石商圏も消滅したことが明らかとなりました。当地域を代表する都市が、商業面で他の市町に依存する都市に落ちて行くのは寂しい。この調査報告書が初めて刊行されたのは1978年のことです。あれから35年が経った今日、宮城県南部では岩沼、柴田、亘理、角田、白石の各商圏が消滅し、大河原商圏と名取商圏に集約されました。次ぎに起きるのは、名取商圏の拡大による大河原商圏の弱体化でしょう。地域は変動するから面白い。
[83138] 2013年 4月 19日(金)00:59:59千本桜 さん
大字や字の字句の省略
[83016] グリグリさん
どちらかというと上記の大字や字を省略したバージョンに統一したいなと考えます。

とある公的機関に勤務する方から名刺を頂きました。その方の勤務先の住所は大河原町金ヶ瀬字町◯◯番地と書くのが正式であり、普通の人はそのように書きます。ところが、名刺には「字(あざ)」と「番地」の字句を省略して、大河原町金ヶ瀬町◯◯と書いてありました。「番地」と言う字句を省略するのは慣れっこですから気にしませんが、「字」と言う字句まで省略してあることに違和感を覚えました。

私の住んでいる地方には「町」と言う名の字(あざ)が多数あります。宿駅だったエリアが字町として伝承されているのではないかと考えます。角田市、村田町、大河原町の字町を例に、私の考えを述べたいと思います。
角田市角田字町◯◯番地
村田町大字村田字町◯◯番地
大河原町字町◯◯番地
以上が現在の正しい表記です。本来なら角田市大字角田字町になるはずですが、昭和の合併時に「大字」の2文字を外しました。現在、角田市は23の大字で成り立っていますが、全ての大字から「大字」の2文字を外しています。そこには平等と均衡が感じられます。また、大河原町も大河原町大字大河原字町になるはずですが、「大字」の字句だけでなく「大字大河原」そのものを昭和の合併時に廃止しました。7つある大字のうち大字大河原だけを廃止し、他の大字を存続させているのですから不平等、不均衡です。大河原町には「町」と言う名の小字が2つあって、金ヶ瀬地区の「町」はちゃんと大字名を付して金ヶ瀬字町◯◯番地と書きなさい。でも、大河原地区の字町は大字名を書かずに字町◯◯番地だけで良いですよ、簡単で便利でしょう。と、言う訳です。近世村の大河原村が単独で現在の大河原町になったのならそれでも良いのですが、他の村々と合併して成り立っているのに、それはあまりに身勝手と言うものです。かわいそうに現在、大河原町の人は大河原町の中に大河原と言う特定の区域があること(あったこと)を知りません。知らないと言うことは恐ろしいことで、大字大河原の存在や大字界に無頓着な人は、他の大字に属する土地を指して、そこも(大字)大河原にしてしまおうと言うのです。住所行政に携わる人までその調子だと、地域の歴史破壊になります。これ以上書くと涙が出て来るので止めます。

話が脇道に逸れましたが、グリグリさんが言われるように大字や字を省略すると、角田市、村田町、大河原町の字町はどうなるのかを下に書きます。
角田市角田字町◯◯番地→角田市角田町◯◯番地
村田町大字村田字町◯◯番地→村田町村田町◯◯番地
大河原町字町◯◯番地→大河原町町◯◯番地
「村田町村田町」と同じものが2回続くのは感覚的に変だと思いませんか。「大河原町町」はもっと変ですよね。でも、これは感覚的なものだから慣れれば苦にならないかも知れません。しかし、このようなことを実行すると、次に何が起きるのか。それを考えると恐くなります。村田町村田町◯◯番地なんて面倒だから村田町◯◯番地と書こう。大河原町町◯◯番地なんて変だから大河原町◯◯番地と書こう。そう言う人たちが出現して来るでしょう。同じ自治体に住みながら、自治体名+大字名+小字名+番地を書かなければならない人がいる一方で、自治体+番地で通用する人がいる。これは不均衡で不平等です。それだけでなく、地域の歴史破壊に繋がります。だから私は、大字や字の字句を安易に省略するのは避けたいと思います。
[83136] 2013年 4月 19日(金)00:19:45千本桜 さん
津軽の旅
[83132] 白桃さん
まわったのが、深浦、鰺ヶ沢、小泊、十三、五所川原・・・アレレ、少し違ったかな???

それは「よされ節コース」の正しい順路です。津軽海峡には行きませんでしたか。オプションで「あいや節コース」に乗ると、「津軽海峡 雪が舞う あいや あああ あー」となります。土の臭いがぷんぷんする津軽の旅を楽しまれた御様子で何よりです。
[83053] 2013年 3月 31日(日)11:38:48千本桜 さん
花見山
名残雪でしょうか、少し肌寒くて綿アメみたいな雪が舞っています。この十日間に葬式と法事が4回も相次いで、喪服が普段着になってしまいそう。我家の人口もピーク時の20年前に比べて66.667%減少し、老?夫婦2人暮らしになりました。そういう個人的な事情には関わらず、春は毎年確実にやって来るもので、白石川の土手の一目千本桜にも「お花見ぼんぼり」が設置され、桜まつりの準備が着々と進んでいます。

おととい、福島に行ったついでに花見山に寄ってみました。ロウバイは終わりかけて、ハクバイとレンギョウが満開でした。案内係のオジさんに見頃はいつですかと尋ねましたら、「4月10日ごろです。きょうは700人きました。」と言っていました。花見山は入園無料で、何時でも、どこからでも入り込めるのに、700人って、どうやって数えたのだろう。個人的な評価ですが、南東北地方の三大桜名所は、白石川堤の一目千本桜、三春の滝桜、そして福島の花見山だと思います。福島の現状を思うと気持ちが沈んでしまうのですが、花見山は梅、桃、桜、そのほか色々な花が咲き乱れる桃源郷です。どうか、皆さんも花見山を見物しに行って、福島を元気づけてやって下さい。
[82958] 2013年 3月 2日(土)12:04:56千本桜 さん
Re:“母都市-衛星市”が成立しなかった組み合わせ
[82937]で白桃さんが挙げた“母都市-衛星市”が成立しなかった組み合わせ、興味深く読ませて頂いています。特に関心があるのは東根vs村山です。東根と村山を母都市と衛星都市に見立てるのは無理がありますが、それを承知で当てはめるなら、50年60年前は村山が母都市で東根が衛星都市でしたね。それが今では、東根が母都市で村山が衛星都市かと思えるまでに立場が逆転してしまいました。まだ、都市施設が郊外に転出しないで市街地の中に集積していた時代を懐かしみ、下に昭和のデータを掲出します。

昭和45年国勢調査と昭和47年事業所統計調査報告をリンクしたもので、人口集中地区を地域単位とした産業別従業者数の統計です。かつて北村山郡に属していた村山市(楯岡)、東根市(東根、神町)、尾花沢市(尾花沢)の市街地の戦いに、何故か大内町(三本松)と大河原町(大河原)の市街地までが参戦した6つのDIDによる都市間競争です。いずれの市街地も、市にしては田舎的で、町にしては少し都会的なところがマニアの心をくすぐります。なお、下の表組では“電気・ガス・水道・熱供給業”と書くのは長過ぎるので、省略して“電気ガス”にしました。

合計鉱業建設製造卸小売金融保険不動産運輸通信電気ガスサービス公務
楯岡3,98203397401,051287938616720434
東根1,26001962294647164242480
神町3,85201001075991244814942572,464
尾花沢3,014033576197617231671551471
三本松4,27101341,7839482833140841519124
大河原4,007322136441,427251945610782183
鉱業から公務までの合計、つまり非農林水産業の事業所従業者数が最も多いのは三本松で4,271人。三本松をトップに押し上げているのは製造業のようです。2位は大河原で4,007人。大河原を2位に押し上げているのは卸売小売業です。町が1位2位を占めて市が後塵を拝するあたりが市制町村制の嫌らしさであります。

町の後塵を拝する楯岡、東根、神町、尾花沢の面々のうち、従業者合計1,260人の東根は数値が低すぎて都市失格でしょう。当時は東根が村山市楯岡の都市勢力下にあったわけで、それが今では逆転し、村山市が東根市の商圏下に従属しているのですから大きな地域変化です。楯岡が北村山地方随一の商都で賑わった昔を思えば、今は寂れた楯岡に“なかにし礼”の♪石狩挽歌がオーバーラップしてきます。

同じく東根市の神町も都市失格でしょう。従業者合計3,852人は楯岡に肉薄した数値ですが、その64%を公務(具体的には自衛隊駐屯地従業者)が占めているのが難点です。建設業、製造業などの第二次産業や自衛隊駐屯地の集積は、都市の中心性を太らせる肥になるかもしれませんが、中心性そのものの“現れ”ではないと思うのです。上記の表の中で中心性が感じられる数値は、金融保険業の楯岡287人、三本松283人、大河原251人。卸売小売業の大河原1,427人。運輸通信業の大河原456人、三本松408人、楯岡386人。サービス業の大河原782人、楯岡720人などです。

何だか結論に至ることができず、書き込みに時間が掛かりすぎています。もう時間がありません。何を言いたかったかというと、早い話が、昼間人口が夜間人口を上回っていても、中枢機能の集積に厚みがなくて中心性の弱い都市は、ちょっと物足りない。それを言いたかっただけなんです。
[82909] 2013年 2月 19日(火)22:49:31千本桜 さん
Re:地理の入試問題・補足
[82901] みかちゅう さん
「この地図が2万5000分の1の地図であるとわかる理由を説明せよ」という問題が定番です。簡単だとは思いますが、こちらもぜひ挑戦を。

等高線間隔が10mで、しかも50mラインの等高線が計曲線として描かれているから2.5万分の1地形図である。ツーカーの仲なら、これで通じ合えるはずですが、入試の解答となると不十分なんでしょうね。等高線を10m間隔で描くことや、50mラインを計曲線で表すことが2.5万分の1地形図特有のものであることを立証しなければならない。この設問は2.5万分の1地形図と5万分の1地形図の比較を求めているのでしょうね。つまり、5万分の1地形図の等高線間隔は20mであり、50mラインの等高線は補助曲線として描かれることがあっても、主曲線や計曲線として描かれることはありえない。したがって、この地図は5万分の1地形図ではなく、2.5万分の1地形図である。こんなふうに解答すれば良いのでしょうか。

ところで、2.5万分の1地形図を縮小編集して5万分の1地形図を作ると、寸法は縦横2分の1、面積は4分の1になります。4分の1の広さの中に2.5万分の1地形図と同量の情報は描けませんから、情報の取捨選択が行われます。河川や島などは、小さな物でもなるべく省略せずに5万分の1地形図に描き移しますが、等高線は1本おきに間引かれて本数が半分になります。独立建物は大幅に間引かれて3分の1程度に激減します。

ここから先は架空の話です。受験生の智津男君は集落の戸数を調べるのが大好きで、調査結果を地形図に書き入れては各地の集落のあれこれを想像していました。そんなことを重ねているうちに、戸数100戸程度の集落なら、2.5万分の1地形図では独立建物が90個ほど描かれ、5万分の1地形図では30個ほどに減少することを、誰に教わるわけでもなく感覚的につかめるようになっていました。

そんな智津男君に渡された入試問題は、「この地図が2万5千分の1の地図であるとわかる理由を説明せよ」というもので、地形図の一部分が掲載されていました。集落おたくの智津男君は、自然地形よりも先に山の麓の小さな塊村に着眼しました。その塊村状の集落は六本木と注記してあります。智津男君は集落おたくですから、六本木の戸数が50戸であることは以前から知っていました。掲載してある地形図で独立建物を数えると、六本木集落には44個の独立建物が描画してありました。そこで智津男君は次ぎのように解答しました。
「六本木集落の戸数は50戸である。50戸程度の集落の場合、2.5万分の1地形図に描画される独立建物は45個前後であり、5万分の1地形図では15個前後になるのが一般的である。問題の地図で六本木集落の独立建物の数を確認したところ44個であった。したがって、この地図は5万分の1地形図ではなく、2.5万分の1地形図だと判断しました。」
智津男君のこの解答は、どんな採点を受けるのでしょうか。
[82899] 2013年 2月 16日(土)11:55:24千本桜 さん
Re:香川県内の従業地・通学地に関する“人口収支”
[82895] 白桃 さん

坂出~宇多津~丸亀~多度津を見ていると、ドルトムント~エッセン~デュイスブルクを連想します。それはさておき、昼夜間人口比率では坂出の強さと丸亀の弱さが気になります。もし、産業を1次、2次、3次に分類し、3次産業における坂出と丸亀の昼夜間人口比率を算出したら、どんな結果になるのでしょうか。
[82898] 2013年 2月 16日(土)11:00:44千本桜 さん
Re:地理の入試問題から
[82892] みかちゅう さん
この地図を見て、「東側に書かれている水面は湖である」と分かる理由を説明しなさい。

にまんさんの回答は大人の含みがあってお洒落ですね。標高数値に着眼されているのでしょうが、私も同じ考えです。高校生にとっては難問だと思いますが、正解率が何パーセントになるのか気になります。
[82530] 2013年 1月 5日(土)14:21:43千本桜 さん
十番勝負
問E:神戸市
[82529] 2013年 1月 5日(土)11:55:43千本桜 さん
十番勝負
十番勝負への参加は久しぶりなので、一般コースは出題傾向など勝手が分からなくなっています。入門コースに参加しても良いのでしょうか。もし、だめな場合は削除して下さい。

問A:防府市
問B:陸前高田市
問C:大田原市
問D:二戸市
問F:四万十市
問G:南砺市
問H:札幌市
問J:陸前高田市
問K:陸前高田市
[82422] 2013年 1月 2日(水)17:45:53千本桜 さん
テキトーですが遊びながら商圏調査
毎年のことですが、元日の新聞には初売りの折込みチラシが大量に入って来ます。今年は71枚入ってきました。内訳は洋服の○山など衣料品店の広告チラシが11枚、ケー○ーD2などホームセンターが8枚、カ○チ薬品などドラッグストアが6枚、ド○モなど携帯電話関連が6枚、タ○ホームなど住宅関連が6枚、ほかに食品スーパー5枚、自動車販売店5枚、家電販売店4枚、メガネ店4枚などが主なところです。

このうち、家電販売店はY電機とKデンキが一騎討ちの様相を呈しています。双方とも四六全版に相当する大きな広告チラシを折込んで、常に戦っている感じ。見ていてウンザリです。でも、Y電機もKデンキも仙南地域内に店舗があるから、まだ良しとします(どちらも大河原町に所在)。

問題は住宅関連です。6枚のチラシのうち仙南地域に店舗があるのは1枚だけで、残りの5枚は地域外の名取市に店舗を構えています。ホームセンターについても同じ状況です。商圏人口1万人程度の町にも出店するホームセンターコ○リが、小型な店舗を白石市、角田市、川崎町、村田町、柴田町、蔵王町、丸森町、亘理町、山元町に出店。さらに、3万~5万人の商圏人口を見込むホームセンターが大河原町、白石市、柴田町、角田市に大型店を出店。最大規模は大河原町のケー○ーD2で約5,000m2です。ところが平成20年、大河原町のケー○ーD2より4倍も大きなホームセンターが名取市に2店オープン。店舗面積約20,000m2のスーパー○バホームと約24,000m2のム○シです。この2店が名取市に店舗を構えて仙南地域に広告チラシ攻勢を仕掛けてきます。

もっと凄いのは店舗面積約55,000m2の巨大SCイオンモール名取エアリです。私の友人(すでにオジイちゃん)は孫を連れてイオンモール名取エアリに行くのが楽しみなんだって。それなのに私は、仙南地域にのしかかってくる名取の影に怯えてはらはらしています。損な性分。

大河原町民の購買力を狙っているのは、どの市町に所在する店なのか。元日の折込みチラシ71枚について、店舗の所在地別に分類してみました。ただし、仙台市以北は無視して県南部の市町のみです。例えば、Y電機は大河原町にのみ出店していますから大河原町に1点。ユニ○ロは大河原町と名取市に出店していますから大河原町に1点、名取市に1点。墓石の紫○堂は柴田町と亘理町に店がありますから柴田町に1点、亘理町に1点。このようにして採点した結果、大河原町40点、名取市34点、白石市18点、柴田町15点、角田市15点、岩沼市11点(以下省略)となりました。やはり名取市が多いですね。

でもユニ○ロのように大河原町と名取市に店がある場合、大河原町民の購買力を狙っているのはユニクロ大河原店のはずで、ユニクロイオンモール名取店ではありませんから名取市を消さなければなりません。このように大河原町に出店し、更にほかの市町にも出店している店については、ほかの市町を消して行きます。

その結果、大河原町に店を構えて大河原町を狙っている店は40店。名取市に店を構えて大河原町を狙っている店は15店。柴田町に店を構えて大河原町を狙っている店は10店。白石市に店を構えて大河原町を狙っている店は8店。角田市に店を構えて大河原町を狙っている店は6店になりました(以下省略)。やはり名取市の商勢力が大河原町にのしかかっているようです。と言うより、仙南地域=大河原商圏全域に名取商圏が覆い被さっている状況です。

こんなテキトーな調査などしなくても「県の消費購買動向調査報告書を見れば解決することだろう」などと、堅いこと言いっこなしよ、お客さん。テキトーでも自分の手を費やしたものは結構な意義があるんだから。
[82420] 2013年 1月 2日(水)08:01:25千本桜 さん
新年おめでとうございます
[82418] グリグリさん
昨年私が撮影した写真集も掲載しておりますのでご覧いただければ幸いです。
拝見いたしました。どれも素晴らしくて美しい! 特に(紅葉風景シリーズ)浅間山の写真が印象的でした。
(花と昆虫シリーズ)ハイビスカスの次ぎの花
これは何の花でしょうね?
シクンシ(使君子)の花だと思います。
[82291] 2012年 12月 5日(水)20:16:14千本桜 さん
宮城県南部のイメージは豪雪地帯なんでしょうか
ネットで仙南地域のことをあれこれ調べていたら、下記の記述が目に入って仰天!
県南部の大河原、白石市周辺は、福島県との県境で山が多く、積雪量も多く厳しい寒さのため、豪雪地帯に指定されています。
これは地域の捉え方が大雑把過ぎると思う。白石市の山間部は豪雪地帯かも知れませんが、大河原町、柴田町、角田市などは雪が少ない地域です。私はクリスマスまでには冬タイヤにはきかえようと思っていますが、いまだに普通タイヤなんです。

さらに、記事は次のように進みます。
県北部の栗原、大崎、登米、古川地域は、日本海側の気候となり豪雪地帯です。
気候に関しては無知ですが、登米市あたりが日本海側の気候で豪雪地帯とは初耳です。結局、この記事は地域の捉え方が大雑把過ぎるんですね。

ちなみに、全国積雪寒冷地帯振興協議会による「豪雪地帯及び特別豪雪地帯指定図」では、このような区分になっています。
[81889] 2012年 9月 27日(木)18:38:58千本桜 さん
浜千軒
[81888] 來々軒さんへ
浜千軒(鹿島市)追加注文です
[81887] 2012年 9月 26日(水)06:42:31【1】千本桜 さん
榊町と霧多布
[81883] YT さん
仮に「浜中」という町場が存在したのなら、それは榊町のことということになります。

やはり榊町の可能性が高いですね。霧多布が榊町に取って代わるのは、もう少し後になってからなのでしょう。小学校の設置も榊町の方が先のようです。ところが、来年3月に榊町小学校は霧多布小学校に統合されるようです。発生して膨らんで、萎んでいつかは消えて行く集落の一生。じんと来ます。榊町と霧多布の関係を見ていたら、そんな感情が湧いてきました。

記事番号「81883」へのレスであることを書き忘れたので、訂正機能を使い追加書き込みしました。
[81882] 2012年 9月 24日(月)00:27:11千本桜 さん
北海道釧路の浜中とは
[81876] YTさん
YTさんが書き出して下さいました『日本帝国文部省年報』による明治10年~18年の都邑人口の中で、下から2番目の浜中についてお尋ねします。浜中の人口は明治15年1,227人、明治16年891人とあります。しかし、浜中といっても範囲が広く、しかも浜中と言う名の特定の集落(町場)は無かったと思うのです。現在では浜中と言えば浜中駅前の集落を思い起こしますが、当時はそこに町場らしき集落はなかったはず。すると、浜中とはどこなのか。おそらく、榊町霧多布を指していると思うのですが確たる証拠はありません。あの当時、あのあたりでは霧多布が最も町場らしい集落ではなかったかと想像するのですが・・・。
[81874] 2012年 9月 22日(土)08:01:37千本桜 さん
揺れ動く圏域
宮城県は7つの圏域に区分されます。昭和30年10月1日国勢調査人口と平成24年8月1日推計人口を基に、圏域の人口変動を見てみます。
圏域名昭和30年人口平成24年人口増加数増加率
宮城県全体1,727,0652,324,312597,24734.6
仙南圏202,592181,079-21,513-10.6
仙台圏669,4221,498,111828,689123.8
大崎圏250,980209,151-41,829-16.7
栗原圏136,19573,021-63,174-46.4
登米圏128,75383,081-45,672-35.5
石巻圏232,403197,003-35,400-15.2
気仙沼・本吉圏106,72082,866-23,854-22.4
こうしてみると、人口増加は仙台圏の一人勝ちで、仙台一極集中は明らか。昭和30年には全ての圏域が人口10万人を超えていましたが、現在は県北の3圏(栗原、登米および気仙沼・本吉)が10万人に満たない圏域になっています。小さい圏域は、大きい圏域への吸収統合にさらされます。現在、国が見直しを進めている2次医療圏にしても同じです。栗原医療圏は大崎医療圏へ統合。登米医療圏は、統合先を石巻医療圏にするか大崎医療圏にするかで検討の結果、石巻医療圏への統合が決まったようです。これは視点を変えれば、登米圏を引き込んで第2県都の座につきたい石巻と古川(現・大崎市)の都市間競争と言えなくもない。一方、県南部の仙南医療圏は代表都市・白石と中心都市・大河原が張り合って、それぞれに医療圏の核となる病院を置いています。でも、どちらも中途半端な規模に思えます。次に統合にさらされるのは仙南医療圏でしょう。ちなみに、見直し対象となる2次医療圏は、人口が20万人未満。他圏域からの入院患者の流入率が20%未満。他圏域への入院患者の流出率が20%以上の3基準全てに該当することだそうです。
[81841] 2012年 9月 15日(土)08:35:38千本桜 さん
裁判所、法務局、税務署あるのに、ホテルがない都市
[81838] 白桃さん
7.大河原から仙台
まだヒゲが生えていない頃、新しい靴下を履いて気を引き締め、気合いを入れて花の仙台へ“おでかけ”した記憶はありますが、どんなものを着ていたか憶えていません。

13.京都から博多?
京都の女性は、ぽっくり下駄を履いて“おでかけ”しそうなイメージですが、男を追って博多まで“おでかけ”するには、ぽっくりは非機能的です。どんな服装で京都から博多?まで“おでかけ”したかを知るのは阿久悠のみ。もう、阿久悠さんもこの世にいないけど。

話は変わります。裁判所、法務局、税務署がすべて立地しているのに、ホテルが1軒もない市町は全国にいくつあるでしょう。こんな風変りな町は大河原だけだと思います。それで事あるごとに、ホテルがないのは変ですよと訴えかけてきたのですが、興味のない人には何で変なのか分からないのですね。とある町会議員さんは、近くに遠刈田温泉があるからそれでいいじゃない、と言うのです。うんにゃー、そういう問題ではないだろう。あっしは都市戦略、都市政策として、変だ、危ない、と言っているのに、そのたびに歯ぎしりしっぱなしで、もう歯がボロボロなんです。ところが、そんなノホホン大河原にやっと待望のホテルができることになり、工事が始まりました。ホテルといってもビジネスホテルですが、それなりの規模のホテルのようです。これで当分の間は歯ぎしりしなくて済みそうです。ホテルがオープンしたら、自転車で5分の距離だけど泊りに行こう~。
[81835] 2012年 9月 12日(水)20:56:50千本桜 さん
村名と町場名の混用
江戸期、平村の中に金ヶ瀬と言う名の宿場町がありました。明治22年の町村制では、公称村名の平を抑えて通称町場名の金ヶ瀬が新村名に採択されました。この時、新村名を平とするか金ヶ瀬とするかで迷いはなかったか。記録がないので今となっては推測するのみですが、大きな迷いもなく金ヶ瀬村に決定したのではないかと思います。江戸期の頃より平と金ヶ瀬は混用されていたようですが、明治の頃には平より金ヶ瀬の呼称が多用されていたのではないかと勝手に推測をしています。さらに勝手な推測をすると、税を取り立てる官は地籍が大切だから公称村名の平を用い、世間的に通用すれば良しとする民は通りの良い町場名の金ヶ瀬を好んだのではないだろうか。そんなこんなを考えながら何年月日が経っただろう。

先日、旧家の奥様に誘われて蔵の中へ。蔵の中には江戸、明治、大正の文書、書類が保管してあるのですが、その中に明治12年の小学校卒業証書を見つけました。明治12年ですから平村の時代です。なのに、平小学校ではなく金ヶ瀬小学校と書いてあります。ああそれなのに、平小学校と彫られた学校印が押してあります。これはいったい金ヶ瀬小学校なのか平小学校なのか。こんな小さな卒業証書の中に、平と金ヶ瀬の混用の跡を発見した思いです。

町村制に移行する際、村名を捨てて町場名を新町村名にした例を何度か取り上げてきました。では、村名と町場名が同名の場合はどうなのか。例えば、明治22年、大河原村ほか3ヶ村が合併し、最大の村である大河原村の名を採択して大河原町になったと言うのが一般論です。でも、本当に大河原村の名を採択したのだろうか。もしかして、大河原村の中に形成された「大河原と言う名の町場」の名を採択したとは考えられないだろうか。こんなことを考えるのは野暮かな。でも、気になる。そんなこんなを考えながら歳をとっていくのだろう。
[81441] 2012年 8月 14日(火)21:21:59千本桜 さん
Re:旧矢吹町と広戸村の境界について
[81419] KTさん
現在の矢吹町東の内は、旧矢吹町と広戸村にまたがっていることが分かります。
調べていただいてありがとうございます。早速、KTさんが提示された境界線を繋いでみました。自然な流れの境界線で納得いたしました。東の内の西半分が旧矢吹町ということは、旧矢吹町大字大和久(江戸期~明治22年の大和久村)の一部だったのでしょうね。

5万分の1地形図「須賀川」(明治41年測図)
その地形図に注記(表記)してある集落名についてお尋ねします。矢吹町に合併した広戸村の区域は現在、境町、本郷町、南町、東の内、田内、子ハ清水の6つに区分されています。しかし、昔の5万分の1地形図は集落注記の数が今より少なかったですから、その区域内に注記された集落名はせいぜい2個程度かなと推測します。もし、私が明治41年に生きていたら、そして5万分の1地形図に注記する集落名を選択する立場の人間だったなら、現在の本郷町の家屋密集地を指して「柿之内」と注記し、田内の家屋密集地を指して「田内」と注記する。この2つで集落注記はOKかなと思いました。境町、本郷町、南町、東の内、子ハ清水は注記されていないと踏みましたが、実際のところ、5万分の1地形図「須賀川」(明治41年測図)ではどのようになっていますか。
[81281] 2012年 8月 9日(木)01:38:36千本桜 さん
鮫と湊
[81279] KTさん

江戸期には鮫が賑わい、その賑わいは明治中頃になって湊に移ったのだと思っていました。しかし、自信が無くなってきたので角川地名辞典に目を通してみました。どうやら私は覚え違いしていたようです。江戸期の内に鮫と湊の重要性は逆転していたようです。
角川地名辞典には次のように書いてあります。
天保年間になると湊へ廻船が入港するようになり、次第に八戸湊の中心は鮫湊から湊へと移っていく。
すると、八戸の外港としては鮫よりも湊の方がふさわしいのでしょうね。でも、鮫湊や湊を総称して八戸湊と呼んでいたそうで、そうなると八戸の外港は八戸?
[81277] 2012年 8月 8日(水)18:55:01千本桜 さん
八戸と鮫
現代では八戸そのものが港町として捉えられているわけですが、本来は少し内陸部に城下町・八戸の市街が広がり、その外港の役割を果たしていたのは鮫。・・・だと思います。
[81261] 2012年 8月 6日(月)06:40:26千本桜 さん
忘れてしまって漢字で書けない
[81239] 白桃さん
ところで、千本桜さんのお母様はどこなんでしょうか。

認知症で地名の記憶が失われて行くなか、今でも忘れずにいるのは生まれ故郷の「白石」です。でも、残っているのは「白石」と言う名のホルダーだけ。保存してあったファイルはことごとく破損または消去されてしまったようです。

実は私も最近になって書けなくなった市町村名が増えて困っています。三重県の「いなべ」の漢字が思い出せないのですよ。「そうさ」「しそう」もダメっぽい。これって認知症の始まりなんでしょうか。
[81260] 2012年 8月 6日(月)06:07:33千本桜 さん
赤穂と尾崎
hmtさん
「明治13年共武政表を眺める」の続編を期待しています。

明治13年共武政表「戸数1千以上地名表」を見て、おや?と思ったのが播磨の赤穂郡。リストに尾崎があって赤穂(加里屋・ 上仮屋)がないのですね。ちょっと奇異に感じましたが、当時の赤穂はその程度の町だったのでしょうか。
[81222] 2012年 8月 1日(水)07:57:03千本桜 さん
矢吹町の大字柿之内
[81213] 皿さん
他の字を合わせて大字の線を引いても、後から間違っている所が指摘されることがあるからです。

皿さんが求めている大字界線は大雑把なもので良いはずです。地権や水利権が絡むことではありませんから精密さを必要としません。ならば、角川地名大辞典とマピオンがあれば解決できる範疇の問題だとと思います。本当は皿さんご自身の手で調べてもらいたいのですが、1つだけ私がやってしまいます。大字柿之内をターゲットにします。時間がないので結果だけ書きます。なぜその結果が出たのかは書きません。
大字柿之内の領域は現在の境町本郷町南町東の内田内子ハ清水と推測しました。
大字柿之内の近隣に位置する堰の上、井戸尻、川原などは大字大和久の領域。花咲、舘沢、滝八幡などは大字矢吹の領域と推測しました。
現在の字(字か町丁かは大きな問題ではありません)をそのまま旧大字に当てはめるのは無理があるとは思いますが、こまかなことを気にしなければ、こんなもので良いのではないですか。
[81214] 2012年 7月 31日(火)01:04:27千本桜 さん
大字の探し方
[81213] 皿 さん
現時点で引っ張り出せるのは13の大字のうちわずか3つです。
その3つ、どういうわけか知らないけど、3つとも奥州街道の宿場町ですね。どのようにして引っ張り出したのですか。
[81211] 2012年 7月 30日(月)21:57:22千本桜 さん
矢吹町の大字
[81209] 皿さん
最後に矢吹町の字に関して一部確定しているところがあります。
大字矢吹:中町~本町
大字中畑新田:新町
大字大和久:大和久

ひょっとして、皿さんは矢吹町に13の大字があったことをご存知ないのでは?。だとすると、それを知ることから始める必要があると思います。13の大字名とその場所をリンクします。大字の「首部」にあたる位置にポインターが表示されるように狙い撃ちしていますのでご覧ください。
松倉中畑大畑三城目須乗神田中野目明新矢吹中畑新田大和久柿之内
これだけでは皿さんの疑問解決にはなりませんね。できるなら、私がリンクした13大字の首部と周辺部をにらめっこしながら、各大字の地域範囲をイメージして大字界線を線引きしてほしいのです。私がイメージするのではなく、皿さんがイメージするのです。

私がほしいのは、昭和54年までの矢吹町の大字図です。
それは、どうすれば入手できるのか私には分かりません。いっそのこと、 皿さんご自身が大字界図を作ってみてはいかがですか。精密さを求めない大まかなものでよければ作れるはずです。資料は角川地名大辞典とマピオンがあれば充分です。その二つを駆使すれば、大字の地域範囲と所属していた郡が明らかになるはずです。問題は皿さんが角川地名大辞典を読むか否かにかかっています。角川地名大辞典を読みたいと思われたとき、その旨を落書き帳に書き込んでください。微力ながら矢吹町の大字に関して多少のアドバイスはできると思いますので。
[81207] 2012年 7月 29日(日)23:55:14千本桜 さん
矢吹町の字(あざ)
[81198] 皿さん
福島県矢吹町の現行町名と江戸時代にのちの現在の矢吹町にあった村の位置が全然わかりません。
矢吹町の字(あざ)にハマってしまいましたね。あの町は大胆に字の整理を実施しましたから、現況の字界図をもとにして過去の村(近世村)の範囲を知るのは無理だと思います。町役場に問い合わせをするのが最良かと思いますが、それを実行しても埒があかなかったから落書き帳に書き込んだのですよね。私も三十数年前、矢吹町の字界図を入手したことがあります。でもそれはあくまでも現況字界図です。皿さんに必要なのは字の整理前と整理後をオーバーラップさせた地図ですよね。やっぱり、無いよね。役場には。困った、困った。
ところで、矢吹町の字にハマったということは、旧二本松市の字にもハマっておられるのでしょうか。
[81201] 2012年 7月 29日(日)08:35:06千本桜 さん
近世村「西野村」と町場名「米岡」
[81146] hmtさん
このような 町場名・近世村名・町村名の関係については、千本桜さんが事例を挙げて考察された 記事 が多数あります。
上にリンクしたのは一例で、マガジンの形にまとめて利用できればよいと思うのですが、私は手を出せずにいます。
千本桜さんの視点による 新マガジンの創刊を期待しています。
ありがたいお言葉、感謝申し上げます。しかし私は今、なかなか時間がとれない状況にあり、落書き帳への書き込みも途切れることがあるのが実状です。マガジン創刊など出来るかどうか自信がありません。とは言うものの「近世村と町場」、「町場名と町村名」、「公称と通称」、「住所と大字」の関係などは、次の世代に語り継がなければならない大切なものだと考えています。時間があれば何らかの形でまとめてみたいとは思っています。

近世の町場名が町村制下の村名に影響したと考えられる記事を一つ書きます。

明治22年、宮城県登米郡の西野・中津山2ヶ村が合併して米山村が成立しました。旧村名を継承する2大字を編成し、村役場を大字西野に置きました。角川地名大辞典は米山の村名由来を次のように書いています。
江戸期から干拓・開墾・新田開発の盛んに行われた米どころで、米の山を築く意味からなづけられたといわれる。
この説を否定するつもりはありません。けれども、どことなく作り話の臭いがしますね。「米の山を築く」は後で付けた理由で、本当は西野・中津山両村から1文字ずつ出し合って合成した村名だと思うのです。西野の「米」と中津山の「山」で米山です。西野に「米」の文字は見えませんが、実はあるんです。西野村には米岡と言う名の町場がありました。米岡は江戸期に商業活動を許された町場で、地籍の上では西野村に属していました。米岡宿、米岡驛、米岡町などと称されていたようですが、宿・驛・町の使い分けには明確な基準があるのでしょうか。ご存知の方、教えて頂けたら幸いです。

元来、米岡とは西野村の町場を指す地名ですが、時には西野村を指す名称としても用いられていた可能性があります。その根拠は、宮城県柴田郡において村名の前川と町場名の川崎、村名の入間野と町場名の槻木、村名の平と町場名の金ヶ瀬が混用されているばかりでなく、各地に同様のケースが見られるからです。槻木宿と書いてあるかと思えば、物によっては入間野宿と書いてあったり、入間野村と表記すべき所に槻木驛と書いてあったりで、大いに悩まされたものです。この通称町場名の川崎・槻木・金ヶ瀬は明治22年、それまでの公称村名である前川・入間野・平を抑えて町村制下の新村名に躍りでました。しかし、米岡は町村制下の新村名に躍りでることができなかった。なぜでしょうね。

なぜ米岡は町村制下の村名に採択されなかったのか。これにズバリ言及した記述を見たことがありません。そのような視点からの記録はたぶん存在しないのでしょう。ならば自分流に想像力を働かせて考えるしかありません。以下の文は想像で書く創作ですから鵜呑みにしないでください。でも本筋はそれほど大きく外れてはいないはずです。

(明治22年、西野村は中津山村との合併に向けて内部調整の話し合いをしていた。)
【西野村職員A】志田郡千石村など5ヶ村合併の新村名は、千石村の町場名をとって松山村とするそです。
【西野村職員B】桃生郡相野谷村など6ヶ村合併も、相野谷村の町場名をとって飯野川村とするそうです。
【西野村村長】すると西野・中津山の2ヶ村合併も、西野村の町場名をとって米岡村にするか。
【西野村職員A】西野村の名が消えるのは淋しいですね。
【西野村職員B】米岡村になっても西野の名は消えません。米岡村大字西野として後世に残ります。
【西野村職員A】そうなんですか。米岡も西野も消えずに残るなら、新村名は米岡村にしましょう。
【西野村村長】それに、西野より米岡の方が対外的に通りが良いだろう。
【西野村職員B】確かにそうです。佐沼や涌谷の人は西野のことを米岡と呼んでますね。
【西野村職員A】白石の近くから来ましたという人も、西野を知らないのに米岡を知っていました。
【西野村職員B】白石の近くから来ましたという人って、それ、大河原村の人だろう。
【西野村職員A】そうらしいです。なんで大河原から来ましたと言わないのだろう。
【西野村村長】主体性がないんだよ、大河原村は。我々もそうならないように気をつけよう。
【西野村職員B】やはり胸を張って自分の村の名を言えるようにしたいですね。
【西野村職員A】これからは対外的に通じやすい米岡の名を名乗り、胸を張って生きましょう。
【西野村職員B】了解しました。新村名は米岡村ということで、中津山村に話し掛けましょう。

(そして西野・中津山2ヶ村の合併協議が始まった。)
【西野村職員B】西野村としては、新村名を米岡村とすることを希望します。
【中津山村職員A】米岡って西野村の別称でしょう。西野村主体の考えは納得できません。
【西野村職員A】牡鹿郡根岸村など3ヶ村合併の新町名は、根岸村の町場名をとって渡波町とするそです。
【西野村職員B】近世の町場名をもって町村制下の町村名とする所が多いですね。
【中津山村職員B】そんな馬鹿な。人口の多い中津山が、人口の少ない西野に馬鹿にされてたまるか。
【西野村職員A】そんな馬鹿な。西野の方が人口が多いに決まってるだろう。
【中津山村職員B】そんな馬鹿な。中津山の方が多いんです。
【相談役の県職員】人口のことは落書き帳の方々が調べてくれるはずですから、話を先に進めましょう。
【中津山村職員B】中津山村としては、新たな合成村名を作ることを希望します。
【中津山村職員A】例えば、西野村の西と中津山村の山で「西山村」はどうでしょう。
【西野村職員B】西野村としては、西野より米岡の名を残したいのですが・・・。
【中津山村職員A】では、米岡の米と中津山村の山で「米山村」はどうでしょう。
【西野村村長】それは名案だ。
【中津山村村長】米どころにふさわしい村名だね。
【相談役の県職員】では「米の山を築く」という意味合いを込めて「米山村」としましょう。

こうして米山村は誕生したのではないだろうか。この場合、後世に伝え継ぐ村名由来は、下記の内のどちらがふさわしいのでしょうか。
1・西野村の町場名である米岡の「米」と中津山村の「山」を合成して「米山村」とした。
2・米どころなので、米の山を築く意味から「米山村」とした。

なお、人口のことで西野村と中津山村がもめていましたが、実際はどちらが多かったのでしょう。明治22年頃には、中津山村が西野村を凌いでいたと思うのですが、詳しいことが分かりません。ただし、西野村が中津山村を隷属扱いできるほどの開きは絶対なかったはずです。もし、西野村が中津山村を隷属扱いしていたなら「米山村」の名称は生まれず、「米岡村」の名称が誕生していた可能性が高いと思います。西野村の町場名「米岡」が町村制下の村名になれなかった理由の一つは、合併相手の中津山村が西野村に比して遜色なく、思いのほか大きな村だったからではないかと踏んでいます。
[81196] 2012年 7月 29日(日)01:15:49千本桜 さん
♪母の鞄
[81136] 白桃さん
3位 武豊(愛知) 29,634

武豊の文字から「たけゆたか」を連想する人は多いはず。ところが、私が連想するのは「武智豊子」。昔からそうでした。地図を見て武豊町の存在を知ったのは中学生の頃ですが、あれからずっと武智豊子は武豊町の生れだと思い込んでいました。実際は違うらしいけれど・・・。武豊から武智豊子を連想する人はもともと数が少ないはずだから、今となっては絶滅危惧種でしょうね。

ところで、私はいま老老介護の最中にあります。母親の口にスプーンで食事を与え、おむつの交換をする毎日。結構辛うございます。母は四捨五入すると100歳になります。認知症で親の名前も子の名前も忘れてしまいました。地名もほとんどすっかり忘れたようです。近隣の集落名は勿論、昔馴染みの人が住んでいる栃木・桐生・清水なども忘れてしまいました。そんな母が今も忘れずにすらすらと口にする地名が一つだけあります。それは、次の内のどれでしょう。

1・生れ故郷の「白石」
白石のど真んなか、中町の生れ。大正時代は町場と農村部のメリハリがはっきりしていたようで、町場生れの母の話言葉は、白石近郊の農村出身者と少し異なっていました。

2・楽しかった娘時分に暮らした「仙台」
数年間だけ仙台は大町東一番丁角あたりに住んでいました。大町と東一番丁の角といったら、銀座四丁目みたいなものです。凄い所に住んでいたんですね。

3・現在の居住地「大河原」

さて、地名の記憶が失われていく中、いまも母の脳内に張りついて剥がれないのは白石・仙台・大河原の内、どれでしょう。団塊世代のおじさんが思わず涙ぐむ静かなヒット曲、♪母の鞄をタイトルに用いました。
[81088] 2012年 7月 13日(金)20:05:41千本桜 さん
山目と中里の関係。輻輳地の鹿島台とはどこか。高須賀の輻輳地は荒浜
[81073] 白桃さん
山ノ目駅西側と(一関駅方面から来て)磐井川を渡った一帯の山目は同じ山目(旧村→旧町)なのでしょうか、多分そうなんでしょうけど、だとすると(旧)中里村が入りこんでいて不自然な気がします。
JR山ノ目駅がある場所は山目村ではなく中里村の領域です。また、また現在の新町蘭梅町山目町二丁目山目町三丁目なども元をたどれば中里村の領域でした。ですから、本来は山目村と中里村の間に不自然な領域の入込みはありませんでした。ではなぜ中里村にJR山ノ目駅や山目町があるのかというと、これには宿駅「山目」の存在が絡んでいます。山目宿は山目村と中里村に跨がる宿場で、山目町(現在の山目町一丁目、二丁目)と呼ばれる町場を形成していました。山目村に属す町場は現在の山目町一丁目、中里村に属す町場が現在の山目町二丁目です。中里村の内に山目町という町場があったわけですから、中里地区民はJR山ノ目駅や山目町二丁目の呼称も自然に受け入れていたと思います。

[81048]
明治11~13年当時、一関と山目の町並みは一体化していたのだろうか。
と書きましたが、角川地名大辞典を読んでみると、磐井川で分断されるものの、連続した町並みの様子が見えてきました。

明治11、12、13年の共武政表を見て思うのですが、宮城県の輻輳地のうち、下記の2箇所は場所を勘違いする人がいるかもしれませんね。
輻輳地明治11年の表記明治12年の表記明治13年の表記
鹿島台記載なし鹿島臺126人鹿島臺127人
高須賀高須賀村2,352人高須賀2,301人高須賀1,770人
共武政表は人口120人ほどの小さな輻輳地「鹿島台」を掲出しています。鹿島台とはどこを指すのでしょう。現代の我々が思い浮かべる鹿島台の町並みといえば、平渡地区(藩政村の平渡村)に展開するJR鹿島台駅前の町並みでしょう。でも、江戸~明治初期において平渡村内に鹿島台と呼ばれる集落があった話は聞いたことがありません。しかし、平渡地区に隣接した広長地区(藩政村の広長村)には元鹿島台(通称)という集落があり、2.5万分の1地形図にもその名が記載されています。また、宮城県各村字調書によると広長村に鹿島台(たぶん通称)があり、鹿島台には鹿島、琵琶原という二つの小字が記載されています。鹿島、琵琶原を頼りに場所を探すと、2.5万分の1地形図の元鹿島台と同じ場所に行き着きます。よって、共武政表の鹿島台とは元鹿島台の集落を指していると判断します。
また、共武政表は輻輳地「高須賀」を掲出しています。現代の我々が思い浮かべる高須賀はここ。でも、明治13年共武政表の輻輳地「高須賀」は、高須賀村の端郷で河口港の荒浜を指していると判断します。
[81048] 2012年 7月 8日(日)11:33:58千本桜 さん
岩手県の輻輳地「磐井」とは。宮城県の茶屋町ってどこでしょう。
共武政表の岩手県西磐井郡に「磐井」と言う名の輻輳地が記載されていますが、そのことでお尋ねします。磐井の人口は明治11年共武政表で4,561人、明治12年4,293人、明治13年4,310人となっています。人口規模からして磐井とは一関のことだと推測しますが、なにゆえ「一関」と表記しないで「磐井」と表記するのか、その理由が分かりません。一関城下は藩政期の一関、二関、三関の3村に跨がっていますが、3村は明治8年に合併して一関村を名乗っています。古来より城下町としての名称は一関、宿駅名も一関、村名も一関。ならば輻輳地の名称も一関で良いはずなのに、「一関」と表記できない何かがあるのでしょう。つらつら思うに、この「磐井」は一関以外のどこかを含んでいるのではないだろうか。そんな考えに至りました。一関宿の2キロほど北に山目宿があります。普通に考えれば山目は人口100人以上の輻輳地に該当するはずです。ところが共武政表には「山目」の記載がありません。そのことから、一関と山目を併せて1個の輻輳地とし、便宜上の名称を「磐井」としたのではないだろうかと考えるようになりました。明治11~13年当時、一関と山目の町並みは一体化していたのだろうか。いろいろ調べましたが定かなことは分かりませんでした。よって「磐井は一関と山目を併せた便宜上の名称」というのも、私個人の発想の域を脱していません。どなたか、共武政表に記載された「磐井」の正体をご存知の方はおられませんか。

共武政表の宮城県宮城郡に茶屋町という輻輳地が記載されています。初めて見る地名です。これは二軒茶屋のことなのでしょうか。それしか思い浮かびません。でもマピオンを見て、あれ!と思いました。本来の二軒茶屋はこのへんではなかったでしょうか。だって昔、新寺小路から延びてきた道路のこのへんに二軒茶屋南というバス停があったのですから。二軒茶屋は二軒茶屋南バス停より北にあったはずだと思うのですが、みんな遠い過去の思い出。
[81047] 2012年 7月 8日(日)10:45:29【1】千本桜 さん
町裏とは町の外側か、内側か
[81018] YTさん
これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
拝見いたしました。予想以上に小規模な集落まで掲出していますね。宮城県柴田郡菅生村(現・村田町)に造営された宿場町菅生驛や名取郡坪沼村(現・仙台市)に造営された宿場町赤石驛、宮城郡竹谷村(現・松島町)に形成された新田町などまで輻輳地として取り上げられているのには感動しました。
ところで、宮城県内には「町」と言う名の字(あざ)があちこちにあります。角田市角田字町、村田町大字村田字町、蔵王町宮字町、大河原町金ヶ瀬字町などです。みな町の中心部にあたります。少し詳しく見ると、金ヶ瀬の字町は奥州街道に沿った宿場町の区域であることが分かります。字町の裏側(外、陰、後、そんなイメージ)には字町裏があります。メイン道路に沿って字町が区割りされ、字町の背後には字町裏が区割りされる。それが一般的だと自分は思っているのですが、菅生(現・村田町大字菅生)の場合は様子が異なります。字町という区域がなくて、宿場の街道沿いに、いきなり字町裏が区割りされています。どう見ても町裏ではなく町そのものに見える区域です。街道を挟んで東側に連なる家並が字町東裏、西側に連なる家並が字町西裏です。主体となるはずの字町はどこにあるの?という感じです。
もしかすると、町裏=外側、背後、陰などを連想するからいけないので、裏=内側と解釈すれば良いのかなと考えたりもします。洋服の裏地は内側にありますからね。すると町裏は町の内側を指す地名、つまり町そのものになります。でも、このような考えは成立するのでしょうか?。実は竹谷村(現・松島町)の新田町にも字町裏があり、これまた街道に面した町並みの一角ですから町裏とは思えない区域です。どなたか、裏事情に詳しい方、字町裏の解釈の仕方を教えてください。
注:菅生でリンクしたマピオン地図に「町」という地名が記載されていますが、あれは字名ではありません。菅生宿の町並みの区域を指して通称「町」と呼ぶ慣わしがある。その意味での「町」です。

脱字1文字追加修正しました。
[81038] 2012年 7月 7日(土)11:51:29千本桜 さん
見ていないので難問でした
[81034] 白桃さん
次の市に共通する事柄は?
角田市 米沢市 亀山市 神戸市 伊丹市
どうでもいいけど、戸田、松本、蟹江、小野、長門、阿南に共通する事柄は?
付け加えると、平成の合併時期に惜しまれながらお亡くなりになられた前沢、石橋、津川、萩原、山崎も由紀恵ちゃんです。
[81019] 2012年 7月 1日(日)21:18:51千本桜 さん
昼夜間人口比率
[80994] 白桃さん
総務省から「従業地・通学地による○○・産業等集計」が公表になります。これで、昼間○○、昼夜間○○比率が明らかになります。
地域における中心性が高まる一方で、それに背を向けるように昼夜間人口比率が低下していく大河原町。おそるおそる平成22年国勢調査の昼間人口を閲覧すると案の定、昼夜間人口比率の下落は止まらず、前回調査の95.9%から1.6ポイント下がって94.3%まで落ち込んでいました。あーぁ、ひよわな中心都市。県は仙南圏を白石市、角田市、大河原町、柴田町を中心とする地域としていますが、力が分散して強力な中心都市が育たない地域です。大局的に見れば、昼夜間人口比率が高ければ吸引力が強く、中心性の高い自治体ということになるのでしょう。それを否定するつもりはありませんが、仙南圏の様子からは昼夜間人口比率と中心性の関連が見えてこないのです。

平成22年の昼夜間人口比率の高い順に仙南圏の自治体を並べてみます。

自治体名H22比率H17比率比率の増減H22昼間人口H17昼間人口昼間人口減少数昼間人口減少率
角田市102.5%100.8%1.7ポイント31,336人33,453人2,117人6.3%
七ヶ宿町101.6%101.9%-0.3ポイント1,721人1,907人186人9.8%
村田町101.1%98.7%2.4ポイント12,121人12,574人453人3.6%
白石市98.6%98.7%-0.1ポイント36,894人38,971人2,077人5.3%
蔵王町96.7%96.4%0.3ポイント12,463人12,838人375人2.9%
大河原町94.3%95.9%-1.6ポイント22,195人22,370人175人0.8%
柴田町92.1%91.8%0.3ポイント36,217人36,542人325人0.9%
川崎町89.8%89.0%0.8ポイント8,961人9,416人455人4.8%
丸森町86.5%87.3%-0.8ポイント13,402人14,653人1,251人8.5%

昼夜間人口比率が100%を超えるのは角田市、七ヶ宿町、村田町の3自治体。しかも前回調査(H17)に比べて角田市は1.7ポイント上昇して102.5%、村田町は2.4ポイント上昇して101.1%になっています。対して大河原町は1.6ポイントも低下して94.3%に下落しています。この数字だけから判断すると、中心性を高める角田市と村田町。中心性を喪失した大河原町になります。でも、実態は大きく異なります。

角田市、村田町の昼夜間人口比率が上昇した原因は常住人口が減少したため。大河原町の昼夜間人口比率が低下した原因は常住人口が増加したためと考えられます。常住人口が減少したために起こる昼夜間人口比率の上昇って、あまり喜べないと思うのです。

ここで、昼夜間比率ではなく昼間人口そのものの増減率を見てみます。経済活動が冷えている仙南圏では全ての自治体が昼間人口を減少させています。仙南圏の中心都市と目される白石市、角田市、大河原町、柴田町の昼間人口減少率を比較します。減少率が少ない順に大河原町0.8%減、柴田町0.9%減、白石市5.3%減、角田市6.3%減となっていて、大河原、柴田両町が何とか現状維持ぷらぷら。白石、角田両市が明らかに衰退。不思議なのは、新幹線の駅があり、高速道路のICがあり、国道4号が縦貫し、国道113号が横断し、国道457号が接続する白石市が、なにゆえ衰退状況に陥っているのかです。
[80986] 2012年 6月 22日(金)21:28:38千本桜 さん
島田は浜松の「となりまち」なんですか
市域同士が隣接しているのに、となりまち(お隣さん)と言うには違和感があるカップル20選。ランキングは私の感覚で決めただけですから異論もあろうかと思います。
1位・静岡と伊那
2位・静岡と飯田
3位・浜松と飯田
4位・高山と白山
5位・高山と大野
6位・高山と大町
7位・札幌と伊達
8位・新発田と喜多方
9位・高梁と庄原
10位・大野と白山
11位・大野と関
12位・富山と大町
13位・仙台と尾花沢
14位・宮古と花巻
15位・新潟と長岡
16位・田辺と新宮
17位・浜松と島田
18位・富山と高山
19位・鳥取と津山
20位・岩国と益田
ランキングの圏外ですが、前橋と桐生も「となりまち」らしくないカップルです。市原と君津も微妙な隣接市ですね。市原の隣は袖ヶ浦で、その先に木更津があり、そのまた先に君津があるから、市原と君津は「となりまち」ではないと思っている人も多いのではないでしょうか。
[80971] 2012年 6月 17日(日)01:42:41千本桜 さん
♪安芸灘の風
安芸灘とびしま海道のイメージソング♪「安芸灘の風」を聴きながら空想旅行をしています。還暦を過ぎたシンガーソングライター・レーモンド松屋が、エレキギターを弾きながら唄うロック調の歌謡曲である。歌詞には関前、観音崎、とまちせと、御手洗、大長港、下蒲刈、恋ヶ浜、十文字山の地名が織り込まれていますが、東北地方に住む私には馴染みの薄いものばかりです。以前から名称と場所を知っていたのは関前と下蒲刈だけ。御手洗と大長は何かで見覚えのある地名でしたが、場所を探すのに少し手間取りました。なお、安芸灘に浮ぶ島々の中に観音崎、とまちせと、恋ヶ浜、十文字山なる場所があるのは全く知りませんでした。どんな所だろう、ちょっと調べてみよう。という訳で、5万分の1地形図を引っぱり出して空想旅行に出発です。

1番の歌詞。歌い出しは「青くやわらかなこの海は島々つつむゆり籠」。とびしま海道のイメージソングにぴったりな良い歌詞だと思います。そして「関前の空~」、「観音崎からあなたを見送る~」と続きます。どうやら舞台は岡村島のようです。しかし、「とまちせとで その日が来るのを待ってた~」の歌詞に、はたと困りました。地形図に「とまちせと」の表記がない。「とまちせと」とは何ぞや。分からないのは後で調べるとして先に進むことにする。

2番の歌詞。舞台は岡村島から大崎下島に移りました。「御手洗の古い町並み歩いた~」、「大長港みかん船~」、「きっと来るあなたは来る安芸灘の風に乗って~」。どうやら、この歌は東から西へ向かって進んでいるようです。最後は本州島の川尻か仁方に辿り着くのでしょうか。

3番の歌詞。「下蒲刈のあかりの館訪ねた~」。あれれ・・・、豊島と上蒲刈島を飛び越えて一気に下蒲刈島まで行っちゃいました。飛び過ぎですよね。豊島と上蒲刈島を素通りしてはまずいと思ったか、レーモンド松屋氏はくるりと方向転換して東へ逆戻り。上蒲刈島へ戻って「恋ヶ浜の海まぶしく~」、豊島へ戻って「十文字山で遥かに見つめる~」、「きっと来るあなたは来る安芸灘の風に乗って~」と唄いあげます。

地理的に見れば♪「安芸灘の風」は順路が変だと思う。しかし、レーモンド松屋氏の優れた音楽性がそれを吹き飛ばしてしまう。それに、私の周りにいるカラオケ好きのオジさんたちは、関前がどこにあり下蒲刈がどこにあるかなど一向に気にしない。たぶん「とまちせと」が何であるかも気にしないだろう。「とまちせと」の正体を追って、マピオンを拡大してみました。すると、ありました。岡村島の西端に戸町鼻というのが・・・。この戸町鼻と中ノ島の間の水域が戸町瀬戸なのだろう。では、なぜレーモンド松屋氏は「戸町瀬戸」と書かずに、ひらがなで「とまちせと」と書くのだろう。ここから先は全くの推測ですが、戸町瀬戸を単なる地名に終わらせたくなかった。「とまちせと」と表すことで膨らみを持たせたかった。レーモンド松屋氏は「とまちせと」と唄う時、きっと頭の中では「ひとまちせと」と唄っているのではないだろうか。そうあって欲しいと願いながら♪「安芸灘の風」を唄ってみよう。「あれからずっと ひとまちせとで その日が来るのを待ってた あなたは来る きっと来る いくつもの橋を渡って~」。すばらしいイメージソングだと思います。被災した三陸の海辺にも、こんな力強く期待に満ちたイメージソングが作られ、観光キャンペーンが展開される日が来ることを願っています。
[80942] 2012年 6月 7日(木)20:07:53千本桜 さん
DID上位150都市、赫下バス停、和歌山市街図の「○○地区」
[80928] YTさん
その昔某所でこういう試算をしたことがありますけど、今ならもっと楽ですね。
http://mimizun.com/log/2ch/geo/1078037542/104-180
力作ですね。大変だったでしょう。私も40年ほど前、似たようなことをしました。当時、すでに世の中には電卓が普及していましたが、電卓を使う習慣がなかったので「そろばん」で計算しました。作業中何度も「俺はいつまでもこんな無益なことをやっていて良いのか」と思いましたが、いまとなっては「それで良かったのだ」と自分に言い聞かせています。DIDデータを加工し、独自のデータを作り出すのは楽しいですね。でも、私が本当に欲しいのは、市町村の境界線に拘束されずに集計された昼間人口集中地区昼間人口です。しかし、その基礎データがないですね。メッシュ統計に進めば良いのでしょうが、高額すぎて手がでません。

[80937] hmtさん
現地レポ はバス停ですが、片方は別の字と間違えられています。
面白い現地レポ、ありがとうございました。「はけ」に「赫」を用いるなんて大胆ですね。思わず顔がニヤケてしまいました。地元住民はバス会社に訂正を要求しないのでしょうか。そもそも「赫」という字は滅多に見かけないから、地元の人も何がなんだか分からないまま見ぬふりなんでしょうか。私も「赫」という字は、東千代之介夫人で女優の千之 赫子(ちのかくこ)さんの名前を介して知るのみです。千之 赫子さんは他界して久しいのですが、赫子(はけこ)なんてイヤよ、赫子(かくこ)と呼んでと苦笑いしていることでしょう。

[80940] レインメイカーさん
昭文社の県別マップル和歌山県版や関西版で、和歌山市の地図を見てみると、「○○地区」というのが表記されていました。
この件については全然詳しくありませんが、つい反応して昭文社の地図を見てしまいました。確認したのは、2008年発行「県別マップル和歌山県道路地図」の15,000分の1和歌山市街のページと、昭和61年発行「25,000分の1和歌山市広域図」の2種類です。レインメイカーさんが書いておられるとおり、どちらの地図にも「○○地区」の文字が表記されていました。ところが、双方ともに今福高松和歌浦田野の4地区名を表記していません。最初は表記漏れのミスかと思いましたが、どうやら、やむをえず意図的に表記しなかった可能性が高いようです。あの辺りは文字情報や線情報が込み入っている区域なので、編集者は地区名を挿入するスペースがないと判断したものと推察します。でも、25,000分の1には無理としても、15,000分の1には工夫をすれば「○○地区」の文字を表記できそうな気がしました。レインメイカーさんの質問に対する回答になっていなくてごめんなさい。
[80934] 2012年 6月 4日(月)02:59:26千本桜 さん
なぜか小都市のDIDに熱くなる
[80922] 白桃さん
古座中学校は隣の古座川町にあり、この辺りなかなかややこしいです。
しかも、古座町に国保古座川病院があったりするからややこしくて、やや♪夜霧のハウスマヌカン。

古座が主体とばかり思っていたのですが、「実権」は西向が握っていたのでしょうか。
wikipediaの古座駅の頁に次のような記述があります。
この駅は西向のうちの岩淵(後述)に立地している。西向は串本町と合併する前に存在していた古座町の中心部で、駅周辺には串本町役場古座分庁舎(旧古座町役場)をはじめとする各施設もある。なお、古座町の中心部が大字古座でないのは、「古座」という町名が、1956年3月にその前からあった古座町と西向町および田原村が合併し古座町が誕生した際、古座川などの影響で知名度の最も高かった古座から採ったに過ぎないからである。
上記から伝わってくるのは、新たに誕生した古座町の中心部は旧西向町であり、旧古座町ではないということです。でも、これを鵜呑みにして良いのかと少々疑問を感じます。古座町、西向町、田原村が合併して新たな古座町が誕生したのは、今から56年前の1956年。そして、第1回のDID調査が1960年です。その当時から新しい古座町の中心は旧西向町だったのだろうか?。旧古座町が中心だったとは考えられないだろうか?。そんな思いが行ったり来たりしています。旧西向町と旧古座町の現況比較を下に記します。
1・ネットに公表されている路線価の最高地点は、平成21、22、23年分いずれも旧西向町ではなく旧古座町に位置します。変化の少ない地域ですから、平成21年以前も今と変わらず最高額の路線は旧古座町にあったと推測します。
2・現況において古座町には銀行が2行あります。しかし旧西向町には立地せず、2行とも旧古座町に立地しています。もし、56年も前から旧西向町の都市勢力が旧古座町を上回っていたのなら、銀行は旧西向町に移転していたでしょう。それなのに、今も旧古座町に店舗を構えているのを見ると、旧古座町の底力を感じます。
3・旧西向町と旧古座町の人口については、[80922]で白桃さんが1955年の数値、[80925] でIssieさんが1920年と1940年の数値を書いておられます。現況の人口を知りたいのですが、資料がないので小学校児童数を基に現人口に思いを巡らすことにします。2011年度の小学校児童数は西向小75人、古座小57人、田原小23人で、古座川右岸(旧西向町)が75に対し、左岸(旧古座町+旧田原村)が80になります。さらに、左岸の旧古座町には古座川町高池の町並みが連担していますから、それを旧古座町グループに取込むと左岸の数値はもっと大きくなります。
そんなこんなを考えると、右岸の旧西向町を都市「古座」の中心とするのは少し変かなと思えてきます。たぶん、右岸と左岸の市街地は拮抗しているのでしょうが、もし、都市「古座」の中心を探し当て、そこに杭を打てと言われたら、私は左岸の旧古座町大字中湊の紀陽銀行古座支店前の十字路に打ち込みたい。

[80925] Issieさん
合併前の旧3町村のうちで一番西の西向に役場が置かれたのも駅のもたらす町勢の差が反映しているようにも思うのですが,実際はどうなのか。
私も実際はどうなのか分かりませんが、本当は駅も役場も左岸の旧古座町に置きたかった。でも、地形的に敷地確保が無理だった。そんなわけで、農地が広がる右岸の旧西向町に建設されることになった。地形図を見ていると、そんな感じが涌いてきます。古座町役場(現:串本町役場古座分庁舎)がいつ現在地に建てられたのか知りませんが、以前は古座橋のたもと付近にあったようです。昭和57年発行の5万分の1には、そう描かれています。

[80928] YT さん
『昭和35年国勢調査の人口集中地区の中には,5,000人に満たないものもあるが,これは,人口集中地区の設定に当たって,昭和35年国勢調査人口ではなく,昭和34年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』
例えば山梨県韮崎市のDID人口は昭和35年に4,070人、昭和40年に3,479人となっています。5,000人以上という規定を大きく下回っています。しかも、35年、40年の2回とも下回っているのは、やっぱり変ですね。昭和40年の調査で規定人口を大きく下回っているDIDとして、山梨県韮崎市3,479人、佐賀県厳木町3,565人、群馬県安中市4,401人、徳島県鴨島町4,490人、富山県福野町4,555人、北海道歌志内市4,593人などがありますが、これもやはり,『人口集中地区の設定に当たって,昭和40年国勢調査人口ではなく,昭和39年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』となるのでしょうか?。
[80895] 2012年 5月 25日(金)20:10:31千本桜 さん
Re:鶯沢町の1960年のDID
[80553] 白桃さん
ポンヌフの野洲酒場で飲んでいたら
その酒場は、ちょっと疲れた男たちが飲みにくる、こんな感じの店でしょうか。野洲酒場であれ、ポンヌフやタイガーゲートのような華やかにネオン輝く都会で飲めるのは羨ましいかぎりです。私なんぞ、友人たちに誘われて村田町まで飲みに行ったのですが、店の隣は草が繁る農業用水堀と田んぼでした。さびしかった-。

[80846] 白桃さん
鶯沢のDIDは意外でした。でも、ここには細倉鉱山があったのですね。
初めて鶯沢町の細倉鉱山へ行ったのは昭和42年か43年のことでした。鉱山事業所の周りにはDID人口5,000人ほどの町並みが展開し、映画館もあったように記憶しています。ここは江戸期からずっと鶯沢村(昭和26年に町制)の一角でしたから、この町並みを鶯沢と呼んでも間違いではないのでしょうが、一般には細倉と呼ばれています。この細倉の町並みは南郷という大字に属し、細倉という名の大字はありません。大字の南郷は幾つかの小字に分かれますが、細倉という名の小字もありません。また、町は地籍とは別に、行政区という地域区分を設けていますが、細倉という名の行政区はありません。したがって、細倉という地名は旧村名、大字名、小字名、行政区名のいずれにも該当しない俗称になりますが、地元の人はどのように地名を使い分けているのか気になります。
細倉ってどんな町?と聞かれると答に困る(記憶が薄れてしまった)のですが、当時、宮城県北でDIDを形成していた若柳、佐沼、涌谷などとは明らかに異なる雰囲気でした。平坦地の少ない地形に形成された町ですから、どこか雑然としていました。中心性、拠点性のない町ですから、どこか沈んでいるように感じました。当時、細倉はDIDを形成しない栗駒町岩ヶ崎の都市機能に依存していました。DIDを形成した町が、DIDを形成しない町の都市機能に依存するって何か変だなと思ったものですが、最近はどうでも良くなってきました。

炭鉱も含め鉱業で成り立っていた地といえば、岡山県の柵原と吹屋しか知りません。
私は柵原も吹屋も行ったことがありません。ただ、この前、テレビに吹屋が映っているのを、ちらっと見ました。鉱業で成り立っていた町は、普通なら閉山するとぼろぼろの廃虚になるじゃないですか。それなのに、吹屋には裕福そうで立派な町並みが残っていますね。不思議に思いました。
柵原の全盛期はどんな町だったのでしょうね。手もとには昭和62年発行の5万分の1地形図しかないので、それを基に柵原鉱山全盛期の昭和30年当時を想像するしかありません。全盛期の鉱山従業者数から推測すると、柵原には細倉と同規模の町並みが展開していたと思われます。しかし、平地が少ないですね。どんなふうに家屋が張り付いていたのでしょう。近世村(後に柵原町の大字)の柵原、吉ヶ原、藤原、久木4地区に跨がって、その平地を埋めるように家屋が立ち並んでいたのでしょうか。でも、4地区とも結構急斜面の山と吉井川で分断されていますね。町の「へそ」を形成しにくい地形のようですが、実際どこなんですか?柵原の中心って。どうも、柵原ではなさそうです。吉ヶ原、藤原、久木のいずれかだと思うのですが・・・。答は「へそ」のない町だったりして。
[80418] 2012年 3月 21日(水)21:28:19千本桜 さん
村が単独で町制移行する際に改称した自治体
[80336] YTさんの記述に
好地村内石鳥谷
というのが出てきます。YTさんが話題にしている事柄とは関係がないのですが、常々関心をいだいていることを「好地村内石鳥谷」に絡めて書きます。

石鳥谷は好地村の内に形成された町場(宿駅)の名称ですが、後に好地に代わって自治体名にのしあがります。昭和3年、好地村は単独で町制を敷き、石鳥谷町に改称しています。単独で町制施行するのですから誰にも遠慮は要らず、そのまま好地町を名乗っても構わないと思うのですが、わざわざ石鳥谷町に改称したのはなぜでしょう。

花巻市には、この類がもう一ケ所あります。十二鏑村と土沢の関係です。土沢は十二鏑村の内に形成された町場(宿駅)ですが、後に十二鏑に代わって自治体名にのしあがります。昭和15年、十二鏑村は単独で町制を施行して土沢町に改称。単独で町制施行するのですから、そのまま十二鏑町を名乗っても構わないと思うのですが、あえて土沢町に改称したのはなぜでしょう。思うに当時すでに、地籍を持つ公称名「十二鏑」より、地籍を持たない通称名「土沢」の方が通りが良かったからではないかと推測します。

このような事例を見るにつけ、公称村名よりも通称町場名を自治体名に採択した例は多々あるものと考えます。下に、通称の町場名に由来して改称したと思われる自治体町を掲出します。数が多いので条件を付けて絞り込みます。

条件1:村が単独で町制施行する際に改称した自治体。(村が単独で町に移行するのに、あえて改称したのは何故だろうという単純な疑問から。)

条件2:明治の大合併が済んでからの明治、および大正年間に町制へ移行し改称した自治体。(明治・大正時代に町に成れたくらいだから、そこには町場形態の都市的集落が存在した可能性が高いと思うから。)

条件3:地籍上の村名になったことのない地名を町名に採択して町制へ移行し改称した自治体。(大原、韮崎、水窪、茶屋町、辻、浜、本渡、米ノ津は藩政時代にも公称村名になったことがない(はず)。村名でなければ、町場名の可能性があるから。)

改称年旧村名新町名現行自治体名
明治32中魚落村大原町千葉県いすみ市
明治25河原部村韮崎町山梨県韮崎市
大正14奥山村水窪町静岡県浜松市
明治29江島村茶屋町岡山県倉敷市
明治40井川村辻町徳島県三好市
大正7八本木村浜町佐賀県鹿島市
明治31町山口村本渡町熊本県天草市
大正12中出水村米ノ津町鹿児島県出水市

大原、韮崎、水窪、茶屋町、辻町、浜町、本渡、米ノ津は、その起源が宿場町であれ港町であれ在郷町であれ、都市集落だったと思うのですよ。好きな言葉じゃないけれど、近隣の村落を支配する力のある町場です。地籍のない通称だったけれど、重要な地名だと思います。中魚落、河原部、奥山、江島、井川、八本木、町山口、中出水など、地籍上の公称村名に取って代わる力があったのですから。
[80412] 2012年 3月 20日(火)00:55:51千本桜 さん
Re:東北で「し」と「す」は区別しないか?
[80406] 般若堂そんぴんさん
東北地方在住,あるいは東北地方出身の方に伺いたいのですが,「し」と「す」は,皆様の「脳内」で識別されている(いた)でしょうか?

私の同級生は、みんな識別していたと思います。でも、中には訛りの強い人もいました。たとえば、新田町は「すんでんまぢ」になります。しかし、その人とて新田町にルビをふる場合は「しんでんまち」と書いたはずですから、「し」と「す」は識別できていたと思うのです。

「し」と「す」と言えば、隣家のおばちゃん(大正末年ごろの生まれ。故人)を思い出します。

エピソード1
そのおばちゃんは庭で採取した蝦夷菊の種を袋に入れ、「あか」とか「むらさき」と書いて花色別に区分けしていました。その中に、「すもふり」と書かれた袋を見て、笑ってしまいました。おばちゃんは、霜降り模様の花が咲く蝦夷菊の種袋に、「すもふり」と書いていたのでした。

エピソード2
そのおばちゃんは夕飯の支度中に「ある調味料」を切らしたらしく、「すを少し分けて欲しい」と小皿を持って来ました。まだ新妻だった家内は、どうしてコップや茶わんでなく小皿なんだろうと不思議に思いながら、台所から「す」を持ち出して小皿に注ごうとすると、「す」でなく、「すお」が欲しいの・・・。なるほど、それで小皿を持って来たのか。今では懐かしい想い出です。

宮城県には栗原市の清水目(すずのめ)、大清水(おおすず)など、清水を「すず」と呼ぶ地名がありますね。南三陸町の清水浜や長清水も正式には「しずはま」「ながしず」ですが、地元の人は「すずはま」「ながすず」と呼び習わしているようです。
[80403] 2012年 3月 14日(水)23:24:55千本桜 さん
Re:「歳の差」と「都市の差」
[80399] 白桃さん
Aパターン、Bパターン、Cパターンいずれにおいても登別の評価が高すぎるように感じます。私としては稚内、滝川、網走より登別の方が下位のイメージがあります。
[80331] 2012年 2月 25日(土)12:28:24千本桜 さん
謎解きはランチのまえに
[80330] 白桃さん
謎解きはブレックファーストのまえで
花巻の謎解きは御正解のようです。私も黒沢尻の人口を絡めて全く同じことを考えておりました。町分と里分を併せると黒沢尻村の人口は7,965人。あの時代、黒ちゃんが花ちゃん、水ちゃん、一ちゃんより人口が多かったとは考えにくいから、これはおかしいと・・・。それにしても激しく火花を散らす花巻、黒沢尻(北上)、水沢(奥州)、一関の都市間競争は江戸時代から続いていたのでしょう。花ちゃんは名前から受ける印象は優しそうですが、なんのなんの戦士のような町だと私は思っています。花巻と里川口は明治22年の町村制施行でも合併しませんでした。これも底辺にあるのは花巻と里川口の都市間競争意識でしょう。
[80301] 2012年 2月 17日(金)23:47:41千本桜 さん
丸亀
88さん
[79657]で仙台区の川内追廻を冠称する町々(川内追廻西町、川内追廻山下町など)が軍用地になり、町が消滅したことを書きました。88さんは既にご存知かもしれませんが、これと同じことが香川県丸亀でも起きていたようですね。角川地名大辞典には丸亀の一番丁, 二番丁, 三番丁, 四番丁, 五番丁は明治7年に軍用地となって町が消滅したと書いてあります。当然、丸亀町成立時(明治23年)には一番丁~五番丁は存在しなかったはずですが、 市区町村変遷情報 市制町村制施行時の情報 【香川県】では、丸亀町を構成する町のリストに一番町, 二番町, 三番町, 四番町, 五番町の名を載せています。実際のところ、県令などの布令は一番丁(町)~五番丁(町)の消滅をどのように扱っているのでしょう。また、角川地名辞典では「丁」を用い、市区町村変遷情報では「町」を用いているのも気にかかりますが、丸亀あたりの人は「丁」と「町」の違いを気にしないのでしょうか。
[80290] 2012年 2月 14日(火)06:41:40千本桜 さん
仙台区の町の形
郡区町村編成法で仙台区が生まれました。仙台区を構成する町々は本当に“自治体”として機能していたのだろうか。もしかして名目だけの“自治体”ではなかったのか?などと、考えが行ったり来たりして迷っています。この考えは仙台区を構成する町の形からきています。文章より図形の方が伝えやすいので図化してみました。仙台区の町の形

【仙台区の町の形・1  大町、肴町、立町、国分町、南町編】
藩政期の町人町の一部を図化しました。町人町には序列があって、その筆頭は大町です。大町の町域は東西に長く延びています。それを突き抜けて南北に走るのが奥州街道です。奥州街道沿いには国分町や南町が展開しますが、大町と奥州街道の交点は大町の町域に含まれます。道路の交点がどの町に含まれるかに着眼し、郡区町村編成法時代の仙台区の町を考えたいと思います。図に描いた大町、肴町、立町、国分町、南町はどれも江戸期からの町人町です。こういう町を市廛というのでしょう。自治権が与えられていたそうです。黄色で着色した肴町を見てください。東西に走る肴町のメイン道路に対し、南北に走る道路が3本交差しています。交点はどれも肴町の町域に含まれ、肴町はほかの町によって分断されることはありません。立町も国分町も同様です。図形からは自治権を持った町としてのまとまりが感じられます。これらの町は郡区町村編成法により仙台区を構成する町になりました。仙台区を構成する町はそれぞれが自治体ですと言われれば、そうですねと納得できる町の形をしています。しかし、下の図に掲げる南町通、柳町通、北目町通、北二番丁、北三番丁などはどうでしょう。それそれが独立した自治体だと言われても、即座には納得できない形をしています。

【仙台区の町の形・2  南町、柳町、北目町、南町通、柳町通、北目町通編】
図の左手に奥州街道が鈎型になって走っています。街道に沿って淡黄色で着色した南町、淡青色で着色した柳町、淡赤色で着色した北目町が連なっています。南町、柳町、北目町とも江戸期からの町人町でした。図の中を東西に3本の「通り」が走っています。東から南町に向かう「通り」が南町通。柳町に向かう「通り」が柳町通。北目町に向かう「通り」が北目町通です。いずれも「通り」の名称ですが、同時に「町」の名称でもあります。南町通の町域を濃黄色、柳町通の町域を濃青色、北目町通の町域を濃赤色で着色しました。3町とも形が変でしょう。例えば、南町通という「通り」は途中で東五番丁、東四番丁、東三番丁、東二番丁、東一番丁と交差しながら南町に向かいますが、交差部分は南町通という「町」ではなく、東五番丁や東一番丁という「町」になります。したがって、南町通という「町」は東西2つに分断されます。このように分断された南町通という「町」は、一体となって1つの“自治体”を運営できたのだろうか。はなはだ疑問です。柳町通という「町」、北目町通という「町」についても同じことがいえます。

【仙台区の町の形・3  北一番丁、北二番丁、北三番丁、北四番丁】
赤色で着色した北三番丁の町域に注目します。元来、北三番丁とは東端の宮町から西端の土橋通に至る「通り」の名称で、延長は約2,500mにおよびます。この「通り」に面した土地が北三番丁と呼ばれる「町」にあたりますが、形が変ですね。南北に延びる14本の「通り」によってバラバラに分断され、まとまりがありません。例えば、北三番丁という「通り」と堤通という「通り」の交点は堤通という「町」に含まれ、北三番丁という「町」には含まれません。同じように奥州街道との交点は二日町という「町」になり、木町通との交点は木町通という「町」になります。このように分断されてまとまりをなくした北三番丁という「町」は、一体となって一個の“自治体”を運営できたのだろうか。ここに描き出した変な町は全体の一部です。仙台には変だなと思える町がほかにも数多くあります。仙台と同じように城下町の歴史を持ち、郡区町村編成法で区制を敷いた名古屋区・金沢区・広島区・和歌山区・福岡区・熊本区・岡山区には、これに類似した変な町はございませんか?
[80283] 2012年 2月 12日(日)20:47:34千本桜 さん
門前
[80271] 88 さん
「輪島市門前町」の件
私には88さんの主張が基本的には理解できます。自治体+大字+地番、あるいは自治体+大字+小字+地番で住所は成り立ちますからね。普通なら市制町村制以降にできた門前町を住所に残さなくても良いわけです。住所に市町村合併の履歴を背負わせて、長い住所にするのはいかがなものかと思うからです。でも、門前は普通でない要素を含んでいるみたいです。
マピオンで門前の地図を一瞥して、うむむむ・・・と思いました。この複雑な大字界の陰に何か隠れているぞという感じ。地籍上の走出、鬼屋、門前、清水などに跨がって形成された町並みには、地籍名とは別に、生活空間としての町場名があるはず。その町場は「門前」と呼ばれていたのではないだろうかと推測します。たぶん、走出や清水という地籍の村の住民は、江戸期の頃より「門前」という町場の住民感覚で暮らしていたのではないか。消せないほどに「門前」という地名が染付いているのではないかと思うのです。走出、鬼屋、門前、清水などをひっくるめて「門前」と呼ぶのはデッチあげではなく、それらの地籍に跨がって形成された一塊の町場を呼びあらわす必然性から生まれたものではないかと私は推測します。近世村名「門前」と町場名「門前」が共存し、町場名「門前」には走出村や清水村の土地も含まれていたことが複雑さの原因かと考えました。間違っていたらごめんね。
[80282] 2012年 2月 12日(日)10:30:14千本桜 さん
いろいろ
[80222] 白桃さん
かつて造船業が盛んで1975年に人口ピークを迎えた瀬戸内海に面する市はどこでしょうか?
相生市のほかに旧因島市も造船業が盛んでしたね。因島市の場合は1970年に人口ピークを迎えたようですが、いずれにしても1970年代の初めごろが造船業都市の最盛期だったのでしょう。このように産業別に人口ピークを打ち出してもらうと勉強になります。続けて別種の産業で同じことを打ち出してもらえたらありがたいのですが、お願いできますか。たとえば繊維産業都市の人口ピークとか・・・。でも繊維産業は難しいかな?。絹織物とか、化学繊維とか、ニットとかに細分されて、それぞれのピークが異なるかもしれないし。遠洋漁業とか炭坑業とか、どんな産業でもいいです。白桃さんにお任せいたします。

[80237] 白桃さん
宮城県より2012年1月1日現在の推計人口が公表され
震災後は人口に触れることが怖くなってしまった私です。大河原町の人口が増えても、なんだか気持ちが重いのです。でも元来、人口統計が好きだから今朝は少し人口に触れてみます。平成22年の国勢調査結果を見ると、東北地方の県庁所在都市は仙台市を除いて全て人口が減少。郡山市や北上市のように元気だった都市も人口減少に突入して寂しい限りです。東北地方の広域市町村圏の中心都市に値する都市(ここでは、税務署、裁判所が所在する都市)の中で、人口が増えたのは仙台市、旧古川市(現・大崎市)と大河原町だけのようです。大河原町では町長も町の人口増加と中心地性の高まりを誇りにしているようです。私もそのことに同調なのですが、人知れず密かに怖れていることがあります。それは大河原駅の奇異に思えるほどの乗車客減少です。人口減少で乗車客も減っている白石駅よりも減少幅が大きいのです。10年前は明らかに乗車客が少なかった船岡駅と肩を並べるまでに落ち込んでいます。それまで大河原駅の勢圏内にあった村田蔵王から仙台行きの高速バスが出るようになり、大河原駅の中継機能が不要になったことが原因かと推測します。都市戦略上で見落とすことのできない重要なことだと思うのですが、のほほんスーパータウンでは、「都市戦略」などと口にすると笑われるのであります。下に2000年~2010年の乗車客数と10年間の減少数、減少率を掲げます。
駅名2000年2002年2004年2006年2008年2010年減少数減少率
白石3,590人3,324人3,317人3,104人3,030人2,897人693人19.3%
大河原4,052人3,856人3,786人3,574人3,435人3,218人834人20.6%
船岡3,234人3,224人3,193人3,170人3,128人3,125人109人3.0%
槻木3,478人3,310人3,224人3,148人3,039人2,826人652人18.7%


[80256] 白桃さん
私が見たYou Tubeのバック画像は仙南の古都?、白石ではなく、秋田県仙北市角館のように思われるのですが・・・。
♪「恋して仙南」がYou Tubeで聴けるとは知りませんでした。早速、You Tubeで聴いてみました。一番は丸まる船岡のことを歌い、大河原に関しては♪「香るハーブの大河原」だけで軽く流す。このアンバランスな作詞感覚に喝!ですね(笑)。私も瞬間的にバック画像は仙南の古都・白石かな?と思いましたが、結局、どこなのか特定できませんでした。
青森県人口第3位の市以外に思いつきません
正解です。弘前市です。弘前は私の好きな都市でして、弘前の街路形状をベースに、あれこれ手を加えては勝手に都市計画し、架空都市を描いて楽しんでいます。また、弘前はリトルさんの奥様の出身地でもありますね。

[80266] 白桃さん
今日で一つ歳をとってしまうのでしたね
還暦おめでとうございます。後は喜寿に向って邁進するのみ!。ガンバレ白桃さん!。
今はなき玉島市(1952.1.1)で、その次は、1952.4.1の大船渡、茂原、魚津、中津川、西脇、笠岡、柳川、阿久根です。以上の8市に加え、安城、氷見、益田が本年「還暦」を迎える市になります。
こうして同期生を並べると、阿久根だけが浮いて(実は沈んで)見えるのは私だけでしょうか。人口ではなく、都市機能集積の点から見て、1952年当時に少々背伸びして市制を敷いたように感じられます。
[80253] 2012年 2月 5日(日)19:29:16千本桜 さん
歌謡地理考
スーパータウンのスナックで還暦すぎのオジ様とオバ様が好んでデュエットするのが♪「恋して仙南」。地域限定のロングヒット曲です。歌い出しの♪「チュッチュチュッ チュ…」が少し嫌らしいけど、白石、角田、村田、遠刈田温泉など仙南各地の地名が盛り込まれていて楽しい。仙南というからには、代表都市・白石で始まり、中心都市・大河原で締めくくりたいのだが、この歌は船岡で始まり七ヶ宿で終わるのである。1番は船岡公園でデートした想い出を歌い、2番は「夢を飛ばそか宇宙のはてへ ロケット眺めて角田から」、「夏は阿武隈舟下り 商家名残りの斎理屋敷は丸森町よ」と続く。仙南地域のことを知らないと、「ロケット眺めて角田から」と言われても何のことやら意味不明でしょうね。ローカルソングの面白いところです。スーパータウンのママの作詞だから、けなすつもりはありませんが、1つだけ注文つけさせてもらえるなら、「丸森町よ」の「町」をどうにかして欲しい。流行歌に登場する地名は数々あれど、その地名に「市」や「町」をくっつけてしまうと、とたんに興醒め。事務的になって、心の機微を表せなくなるようだ。「そして神戸」は良いけれど、「そして神戸市」はなじめない。「東京だョおっ母さん」は良いけれど、「東京都だョおっ母さん」はなじめない。

なぜか、隠れた名曲が好き。さほどヒットしないで終わってしまった歌への愛惜か。いま、はまっているのが美樹克彦♪「回転禁止の青春さ」と佐々木新一♪「リンゴの花が咲いていた」。「回転禁止の青春さ」は、回転禁止と言われても、つい回転したくなるノリの良さ。体がひとりでに動き出すが、テンポもリズムもズレズレになっているのは明らか。歌い終わった後で恥ずかしくなる。昭和41年発売の「リンゴの花が咲いていた」は、これぞ青春叙情歌の名曲。すばらしい!。この歌には具体的な都市名は出てきませんが、ある都市をイメージさせる詞が出てきます。そこでクイズです。次の歌詞から連想する都市をお答え下さい。
お城が空に 浮いていたよ お岩木山は 月だったよ
(中略)
津軽は夢の 津軽は夢の 国だったよ
[79929] 2012年 1月 4日(水)08:07:30千本桜 さん
長久手町から長久手市へ
あけましておめでとうございます。

[79915] オーナー グリグリさん
大字や字の表記をなくした瞬間に、もはや大字であるか字であるかなどは、必要性も意味もなくなると考えるのが妥当なのでしょうか。

同じ小字起番地帯である東北地方の某町の事例からして、一般住民は、もともと大字と小字を区別することに必要性も意味も感じていないのが実状です。基本的に住所に無関心です。しかし、住所政策に携わる人は「必要性」はともかく、大字と小字の「意味」を忘れてはならないはずです。それなのに、「意味」を忘れた(あるいは、最初から意味を知らない)人たちが住所政策に携わっているから、こわいのです。
ついさっきグリグリさんの記事を拝読したばかりなので、長久手町に対する事前知識はあまり持ち合わせていませんが、即席で長久手町の住所変更の背景にあるものを推測してみました。

(ア) 大字長湫 ・・・「長湫」を表記しなくなります。
大字長湫を表記しなくなる理由を探ります。長久手町には、町村制以前の村を引き継いでだ大字長湫、大字岩作、大字前熊、大字熊張の4大字があります。このうち大字長湫の区域は、土地区画整理が進み、字名地番の変更が行われ、大字長湫を付さない字(例えば字荒田、字井堀、字杁ヶ池など)が多数出現しています。それまで長久手町大字長湫字荒田を名乗っていた土地が区画整理されて都市化すると、大字長湫を付さずに長久手町字荒田になるわけです。このような住所政策を施すと住民にどのような感情が芽生えるかが重要です。同じ字荒田の住民でも土地区画整理から外れた土地の住民は、従来通り長久手町大字長湫字荒田と書かなければなりません。なぜ我々だけが大字長湫を付して面倒な住所を書かなければならないのか、と疑問をいだくようになります。そして、大字長湫を付す土地は都市化から取り残された土地という疎外感をいだくようになります。東北地方の某町では、このことが一因となって、とんでもない住所変更が企てられましたが未遂に終わっています。いずれにしても、大字長湫を付す土地と付さない土地とが隣接する複雑さを解消するために、大字長湫の区域から「長湫」の名称を取り払うことにしたのだと推測します。

(イ) 大字岩作 ・・・「岩作」と字名を併記します。
大字岩作の区域に従前どおり「岩作」を付す理由を探ります。長湫地区と異なり、岩作地区は地域変化が少なく、すべての小字が昔どおり岩作という大字名を付してきましたから、あえて岩作を消す必要がなかったものと推測します。地域変化が少ないとはいうものの、岩作地区でも土地区画整理が行われています。しかし、対処のしかたが長湫地区とは異なっています。長湫地区では土地区画整理が行われると大字長湫を省いてしまいますが、岩作地区では土地区画整理後も大字岩作を省きません。この大字岩作字落合・大字岩作字長筬・大字岩作字西島)の一部は、岩作第一土地区画整理事業で新しい形状の土地になったのに、住所は大字岩作字落合・大字岩作字長筬・大字岩作字西島のままです。

(ウ) 大字前熊 ・・・「前熊」 と字名を併記します。
大字前熊は、さらに地域変化の少ない地区です。大字長湫地区とは異なり、大字名を付さない字は発生していません。地区住民は、前熊という大字名を自分たちのものとして自然に受け入れていることでしょう。住所から前熊という名称を外してくれという人はいないと思います。前熊という名称を省いたら、ここはどこなんだと、戸惑うだけです。

(エ) 大字熊張 ・・・「熊張」を表記しなくなります。
大字熊張を表記しなくなる理由を探ります。長久手町の4大字のうち、長湫、岩作、前熊は江戸期の村(もっと以前から村だったかも知れない)を引き継いだものですが、熊張は明治10年(1877)に大草村と北熊村が合併して成立した村のようです。どうも、今でも大草北熊が地区名として根強く生きているようで、そのぶん熊張の影が薄いのではないかと推測します。それは、この町議のこれこれからも読み取れます。この町議は岩作、前熊、大草、北熊を住所地名として残すように頑張ったようですが、受け入れてもらえなかったようです。同情します。この町議は「行き先を尋ねる場合、岩作、前熊、大草、北熊のどこと聞かれれば、おおよその見当がつきますが、字名だけでは数が多く見当がつきません。実生活では目次の無い本、ファイルの無いデータのようです。」と書いています。まったく同感です。
それにしても空しくなるのは、長久手町は市に移行するにあたり、住民アンケートを行っていることです。住居表示実施で新町名を決めるのならいざしらず、大字をどうするかと住民に問いかけて何になるんですか。こんなことは、行政担当者が過去、現在、未来、町域全体、他市町村の実態などを見据えて決めれば良いことです。そのためには、それなりの勉強しなければなりませんが、お給料を貰っているのですから当然のことです。岩作の住民に「岩作」という地名を残すか、熊張の住民に「熊張」という地名を残すかと個別にアンケートをとっても、町全体のバランスを考えた答など返ってきません。一般住民に、これを求めるのは酷です。

(オ) 大字の付かない地区 ・・・変更ありません。
大字の付かない地区とは、もともとは大字長湫に属していた土地で、土地区画整理によって大字長湫を付さなくなった土地です。念のために書きますが、住居表示実施で大字長湫が省かれたわけではありません。地番区域のままです。一つの考えとして、この区域に再び「長湫」という大字名を付してやれば、問題なく長久手町から長久手市に移行できた可能性もありますが、いったん省いたものは元に戻さないのが役所のやりかたなんでしょうね。

このような大字問題を考えると、胸が痛みます。国は自治体の自主性にゆだね、自治体は住民主体などと体裁のいいことをいう。これでは国全体として見た場合、ちぐはぐな住所が続出するだけです。何度も言いますが、大字の扱いをどのようにするかを住民に決めさせるのは酷です。
[79788] 2011年 12月 29日(木)23:35:42千本桜 さん
ここはどこ?解答
問題3(半島名を答えてください)

解答3
[79784] 2011年 12月 29日(木)17:36:48千本桜 さん
ここはどこ?解答
問題1(島名を答えてください)

解答1

こんなふうに答えればよいのでしょうか。
[79736] 2011年 12月 14日(水)08:59:43千本桜 さん
地番と住居表示
地番を住所にしている区域は「1番地1」と表し、住居表示実施区域は「1番1号」と表すものと思っていました。でも、住居表示を実施しても「1番地1」と表す場合もあるのでしょうか?
と申しますのは、[79728]でグリグリさんがご紹介されている第8回落書き帳公式オフ会記録・ミニ十番勝負・問1の解説を読むと、日光、銚子、茂原、市原、流山、武蔵村山、藤沢、笠岡、日南各市の市役所住所が「1番地」「1番地1」または「1番地の1」になっているのに住居表示に○が付いています。変だなと思いました。ちなみに、wikipediaの流山市には
流山市では住居表示は行っていないが、土地区画整理事業に合わせて地番整理を行っている。
と書いてあり、藤沢市の住居表示実施区域を見ると、市役所がある藤沢駅北側が住居表示されていない区域になっています。確認したのは2市だけですが、このことから推測すると、ほかの市の市役所所在場所も住居表示されていない可能性があると思います。


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