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蘭丸さんの記事が10件見つかりました

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[9063] 2003年 2月 11日(火)18:56:17蘭丸 さん
広域地名採用と近隣自治体の住民感情[補足]
[9026]拙文
たしかに、飛騨(斐陀)国府が、かつてこの地域に存在しましたが、それは遠くいにしえの話です。今、「飛騨」の中心地はどこかといえば、多くの人々は高山市と考えていると思われます。
 広域地名「飛騨」の中心地ですが、かつて国府所在地であった吉城郡国府町は、吉城郡での合併ではなく、高山市との合併(高山市への編入)を選択しましたので、今後誕生する新・高山市は名実共に「飛騨」の中心地たる資格を持つことになるでしょう。
 吉城郡4町村の合併では、「飛騨」の一部地域であり、また、過去および現在において「飛騨」の中心地域ともいえない地域が「飛騨市」を称することになるわけです。
 「吉城市」では、郡名の由来となった「荒城郷」が含まれない合併では具合が悪いという焼き味噌さんのご指摘[8947]もありますが、狭域を指す地名がそのまま郡名となったわけではないですし、永きにわたって「吉城郡」として広域地名として認識されてきたと思われますから、「吉城」を市名に使用しても大きな問題はないと私個人は考えます。さらには、国府町は「高山市」となる予定であり、「吉城」の使用をめぐる地域間の軋轢は生じないとも考えられます。少なくとも、「飛騨」を採るより「吉城」を採ったほうが周辺地域の納得の程度がちがうであろうと思います。
 そういうことから、私は吉城郡4町村合併では「吉城市」がもっとも妥当な選択ではなかったのでは?と考えるわけです。

[8947]焼き味噌 さん
地名はその土地に住んでいる人たちのもので、そのあたりの微妙な事情をご存じない方に「~すべきでない」と全面否定されますと、やはり少し悲しくなるものです。
 私も当事者ではない者ががあれこれと口を出すことには、正直、少なからず後ろめたさを感じています。しかし、なぜ私がこんなに広域地名問題に関心があるかというと、表題にあるとおり、広域地名を借用する際の決定過程において、当該広域地名の範囲内にある近隣自治体の意向や住民感情への考慮が抜け落ちていることが気になるからです。
 「地名はその土地に住んでいる人たちのもの」という点に、私はまったく異論はありません。ですが、実は「その土地に住んでる人たちのもの」が「その土地に住んでる一部の人たちのもの」にすり替えられてしまうということが、最近の自治体名選定における広域地名借用の実態なのです。
 歴史的蓄積から育まれた地名文化を大切にすべきという観点から、今後誕生する新自治体でも同じようなすり替えが行われて欲しくないというのが私の考えです。
[9026] 2003年 2月 10日(月)19:22:06【2】蘭丸 さん
広域地名採用と近隣自治体の住民感情
[9017]地域研究家 さん
「魚沼産コシヒカリ」のネームバリューを全面に押し出してもいいんじゃないか、ということで「魚沼市」も書いたのですが、中魚沼郡市・南魚沼郡への配慮というのは足りなかったですね。
 私も同様の観点から、北魚沼郡が「魚沼市」を名乗ることの妥当性に疑問を感じています。
 「魚沼」は、単に旧郡名(魚沼郡)に由来する広域地名であるだけでなく、最高級米「魚沼産コシヒカリ」の産地という、現代的なブランド価値をともなった地名でもあります。この二重の意味で、自治体名での「魚沼」使用には慎重さが求められると思います。
 現行の行政区画では、次の地域が旧「魚沼郡」に該当します。
小千谷市もと北魚沼郡
十日町市もと中魚沼郡
北魚沼郡川口町、堀之内町、小出町、湯之谷村、広神村、守門村、入広瀬村
南魚沼郡湯沢町、塩沢町、六日町、大和町
中魚沼郡川西町、津南町、中里村
 この広域にわたる地域をもって人々は「魚沼」と称し、そして、この地域の清冽な水と夏季における昼夜の寒暖差という気候条件が生み出した「魚沼産コシヒカリ」が、最高級米として好評を博しているのです。北魚沼郡だけが「魚沼」というわけではなく、また「魚沼産コシヒカリ」の産地というわけでもありません。南魚沼郡、中魚沼郡、小千谷市、十日町市も「魚沼」であり、かつ、「魚沼産コシヒカリ」の産地です。
 このようなことから、「魚沼市」は、少なくとも今の状況ではいずれの自治体も称すべき名称ではないと思われます。

 「飛騨市」も同様の問題を抱えていることから、適切さを欠くものと私は思います。
 「飛騨」は、古き良き日本の田舎情緒を現代に伝える観光地として高い人気を保ちつづけています。そして、一般的には飛騨高山、白川郷、奥飛騨温泉郷、下呂温泉などを総じて「飛騨」と認識されています。そして、この「飛騨」も観光地として一定の“ブランド力”を持っています。
 現行の行政区画では、次の地域が「飛騨国」に該当します。
高山市もと大野郡
益田郡萩原町、小坂町、下呂町、馬瀬村 (金山町は「美濃国」)
大野郡丹生川村、清見村、荘川村、白川村、宮村、久々野町、朝日村、高根村
吉城郡古川町、国府町、河合村、宮川村、神岡町、上宝村
 歴史的に見て、吉城郡のみが「飛騨」であったわけではありません。たしかに、飛騨(斐陀)国府が、かつてこの地域に存在しましたが、それは遠くいにしえの話です。今、「飛騨」の中心地はどこかといえば、多くの人々は高山市と考えていると思われます。
 高山市も、益田郡も、大野郡も「飛騨」であって、この地名は吉城郡の占有物ではないはずです。本来、「魚沼」同様、現状ではいずれの自治体も「飛騨」を名乗ることの妥当性を持ち合わせてはいません。

 広域地名を自治体名に借用・流用する場合は、当該自治体の住民の意思もさることながら、同じ広域地名の範囲に存する近隣自治体の住民感情への配慮も忘れてはならないと思います。そうでなくては、自分勝手になってしまいます。
 「魚沼市」選定過程では、住民への意向調査が最終決定に結びつきましたが、もし、同時に同様の調査が南魚沼、中魚沼でも実施されていたら、この2地域でも「魚沼市」が1位になっていた可能性が高いと思います。北魚沼郡でも吉城郡でも、それぞれ2位になった「北魚沼市」「吉城市」が、広域地名の適切な使用の観点からも、住民の意向という観点からも、もっともふさわしかったのではないかと私は考えています。

 最近の市町村合併にともなう新名称選考の状況を見ていると、広域地名がその表わす地域の共有財産であるという認識が、多くの場合に欠落しているように思えてなりません。
[8899] 2003年 2月 8日(土)08:00:57蘭丸 さん
これで広域地名を名乗れるの?
 最近の市町村合併で、広域地名を自治体名に使用したり、使用しようとする(構想する)ケースにおいて、合併によってできる新自治体の区域が、借用しようとする広域地名の中でどれくらいの範囲を占めるのか、地図上で大まかに見ると次のようになります。

さぬき市讃岐国の約10分の1
飛騨市飛騨国の約3分の1
魚沼市旧魚沼郡の約3分の1
「あわじ市」淡路国の約2分の1
「淡路市」淡路国の約2分の1弱
「能登市」能登国の約5分の1
「」は、正式な決定を受けていない市名候補。

 どれも、使用する広域地名の大部分を占めるまでにいたらないのが実情です。さぬき市にいたっては、本来の「讃岐」の範囲のほんの10分の1程度でしかないのに、ひらがな化したとはいえ、堂々と「さぬき」を名乗っています。「能登市」も区域的には相当無理があるような気がします。
 これらの新市名(案)は、中高生が使用する地図帳の上では、単に「さぬき」「飛騨」「魚沼」と表記されることになりますから、教育の場で「『讃岐』とは『さぬき市』のこと」「『飛騨』とは『飛騨市』のこと」「『魚沼』とは『魚沼市』のこと」という、不適切な地理の知識が知らず知らずのうちに浸透していくことが懸念されます。このような誤解を生じさせないように現場の教員が指導できるかといえば、ほとんど不可能と思われます。受験に必要のない知識についてあれこれ解説している暇など、現実の教育現場にはないでしょうから。

 自治体にとって不釣り合いな広域地名の借用・流用は、地名文化を保存する観点から、本当にこれ以上増えて欲しくないと思います。
[8863] 2003年 2月 7日(金)15:05:24【1】蘭丸 さん
広域地名乱用への憂慮
[8856]地域研究家 さん
太古の昔から「淡路町」だったのならともかく、昭和の大合併で「淡路町」になって、たかだか45年でしょう。
 お説ごもっともです。
 昭和の大合併の際には、市町村名に国名や郡名などの広域地名を借用する例があちらこちらに出現しました。その昭和の大合併時の広域地名の借用が、地名の歴史や伝統と履き違えられてしまうことは、本末転倒と言わざるを得ません。古くから伝わる地名は地域の文化遺産でありますから、その由緒や伝統、語義を尊重していくことが大切だと思います。
 しかし、広域地名を借用しようとする自治体の区域が、当該広域地名の指す範囲の全部または大部分を占め、近隣の自治体から大きな抵抗感もなく受け入れられる限りにおいては、広域地名の自治体名化も妨げられるものではなく、そういう場合はむしろ広域地名を使用するほうが適当ともいえます。要は、地名の適切な使用をしていくべきなのです。

 この「淡路」の例では、淡路町の「『淡路』はうちのもの」という誤解が根底にありますね(洲本市側が「あわじ市」を使おうとしたことも相当な問題がありますが)。本来、「淡路」は国名であり、島の名前であって、一自治体が称すべき地名ではありません。関係者は、なぜこんな簡単なことを理解できない(あるいは気付かない?)のでしょうか。

 私は、個人的に「京丹後市」の市名選定の際にも同様の思惑が働いていたと考えています。すなわち、市名に「丹後」を使うとして、なぜすんなり「丹後市」にならなかったという理由に、すでに存在する「丹後町」と同一の地名の使用を避けようとした配慮が含まれていると考えられるのです。この地域が「丹後」を独占してしまうことは、そもそもにおいてふさわしくはないのですが、このような配慮が「京丹後市」を産んだ面は、小さくないと思います。

 全国的に、「さぬき市」「飛騨市」「魚沼市」と、由緒ある広域地名が市町村合併の荒波にさらされ、その本来の姿での存立が危ぶまれていることは、看過し難い風潮です。これらの由来となった地名は、紛れもなく広域地名(国名、旧郡名)であって、それは地域の共有財産です。私は、特に「飛騨市」「魚沼市」については、なんとかもう一度再考できないものかと思っています。これらの地名には、ブランドという付加価値がともなっていますので、そのブランドの定義に混乱が生じることが懸念されます。地域経済にとっては大きな問題であることは否定できません。

 最近の新自治体名の選定では安易な広域地名の借用が数多く、各地の合併協議会の動向を見ると、今後も全国的に同様の傾向はつづくものと思われます。新自治体名の選定には、決して「早い者勝ち」などという気を起こさず、慎重に適切に選考しようとする姿勢が強く望まれます。
[8486] 2003年 1月 30日(木)21:38:44【1】蘭丸 さん
Re:「萩の月」
[8474]start さん
 私も同感です。「萩の月」ってなんであんなに過剰包装なんでしょうねぇ。菓子1つ取り出すだけのに手間がかかって、とってももどかしいですね。
 製造元としては、それによって高級感を演出して、商品へのプラスイメージを高めたいのかもしれませんが、かえって逆効果になりかねません。私は、この商品は好きなんですが、この点だけはいただけません。

 ところで、「萩の月」そっくりのこんなものもあります。
http://www.masakana.jp/shisatu/syashin5.html
http://www.masakana.jp/shisatu/syashin8.html
 私は、学生時代にアルバイト仲間(新発田市出身)の帰省土産で一度貰って、賞味したことがありますが、「萩の月」とほとんど変わりありませんでした。こちらのほうが、エコロジカルにできています。

 あと、浜松の「うなぎパイ」ならぬ気仙沼の「さんまパイ」を、これも学生時代に友人から口コミで知り、彼の帰省の際に所望して食べたことがあります。さんまの味がするのかと興味津々でしたが、味は「うなぎパイ」とほとんど変わりませんでした。
 こちらは、製造元のサイトを見つけることができました。
http://www.nakamati.com/koyama/cg/sanma.jpg
http://www.nakamati.com/koyama/index.html

 定番の銘菓もいいですが、こういう「パクりもの」(製造元にはその気はないかもしれませんが)を探すことがなかば趣味のようになって、最近は遠出する度に土産物店のはしごをする私です。
[8255] 2003年 1月 26日(日)20:01:46【1】蘭丸 さん
雑魚さんへ メンバー紹介記事の御礼
 雑魚さんには、メンバー紹介文の執筆にご苦労頂きながら、私ときたら書き込み記事へのレスに気を取られ、ごあいさつが遅くなってしまいまして申し訳ありません。
 「論客派の重鎮」とは過分にして不相応なほどのお褒めを頂き、恐れ入っている次第です。私としては、法学部出身ということで、学生時代に地方分権や市町村合併、地方財政論等について多少詳しく学んだ経験がありまして、それを今になって蒸し返しているに過ぎないのですが...。それと、根っからの思索好きの性分が相まって、いつの間にか本『落書き帳』が日常の一部になっていた。というのが実際のところです。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
[8206] 2003年 1月 25日(土)21:24:45蘭丸 さん
全国銘菓
私が頂いたり、おこぼれに預かったり、自分で買い求めたりして食べたことがあり、そしてよく印象に残っている全国の銘菓

北海道白い恋人、月寒あんぱん
岩手県南部煎餅、鴎の玉子
宮城県萩の月
福島県薄皮饅頭、柚餅子、ままどおる
茨城県水戸の梅
埼玉県草加煎餅、五家宝
東京都人形焼、雷おこし、花園饅頭、三笠山
神奈川県鳩サブレ
新潟県笹だんご、柿の種、万代太鼓
山梨県信玄餅
静岡県うなぎパイ、安倍川餅
愛知県ういろう
三重県赤福、神代餅
京都府生八ツ橋
岡山県吉備団子
広島県もみじ饅頭
愛媛県一六タルト
福岡県梅ヶ枝餅
佐賀県丸旁露(まるぼーろ)
長崎県カステラ
鹿児島県かるかん饅頭
沖縄県ちんすこう

 ほとんどが、一般に“定番”と呼ばれているものになります。地元東京や埼玉県の銘菓(草加煎餅は東京銘菓と思われていたりします)は、お土産としてではなく、おやつとして食べたり、贈答品やあいさつ品として頂いたことのあるもののうち、代表的と思われるものをあげました。文明堂の『三笠山』は、名前が奈良の地名に因んでいる上、文明堂自体が今では全国展開してしまっているので、東京銘菓と言えるかどうかわかりませんが、とりあえず口にする機会が多いのであげておきました。
 あと、『ナボナ』なるものが東京土産として人気だと聞いて、試しに買ってみたことがあります。

 東京発で全国区になってしまったものには、ほかに風月堂(銀座と上野と2系統ある)、新宿中村屋などがありますが、これらは東京銘菓と呼んでいいのでしょうか?
 新宿中村屋の菓子が地方のデパートや大手スーパーでも買えると聞き、近年このような疑問を抱くようになりました。それまでは東京限定とばかり思っていたもので、正直驚きました。さらには、風月堂も地方で売られているとのことです。文明堂(こちらも、日本橋と横浜の2系統があります)も然りです。
 東京の老舗の味が東京以外で手軽に味わえるということは、嬉しくもありますが、なんだか複雑な気持ちになってしまいます。
[8171] 2003年 1月 25日(土)08:26:25蘭丸 さん
Re:中核市の要件(2)
[8135]utt さん
どう考えても収入は面積に比例しないと思うのですが。。。
 そうですね。固定資産の価値は単純にその規模に比例するものではありません。さまざまな社会的付加価値を含んで資産の価値が決まってきます。しかし、だからといって、一定の面積を保有することが固定資産税の税額規模の確保につながらないとは言えませんね。

 utt さんは、どうも面積条項ばかりに拘泥されているようですが、それは中核市の要件の正確な理解とは言えないのではないでしょうか?
 私が[8127]でも書いたように、自治法は、人口と面積2つの要件を絡めて中核市の要件としています。もし、富良野市のように面積の広い市が「面積100平方キロ以上」だからといって中核市になろうとしても、それは無理な話ですね。中核市となるには、あまりに人口規模が小さいからです。
 相当程度の人口規模(ここでは30万人)を有する自治体であれば、大概は都市化の度合いが高いのが通例です。中核市を目指して新たに合併するようなケースでも、ほとんどの場合、中心となる市では市街化・都市化が相当程度進んでいます。農山村地域のみで大合併(大々合併?)して中核市を目指そうというケースは聞かれません。中核市を射程に入れられる自治体は、すでに人口が集積し、都市化した地域であると解するのが自然です。

 その上で、自治法は中核市の要件として「人口50万未満の場合は」面積100平方キロ以上であることを規定しているわけです。人口50万以上ならば面積は問わないと。都市化した地域ならば地価が高く、面積が狭くても相当程度の固定資産税収入はあるのですが、あまり面積が小さいと、やはり多くは望めません。
 市町村にとって、住民税と固定資産税が自主財源の主要部分を占める現状から、中核市としての行財政能力の維持のためには、一定規模以上の人口と面積が必要であるというのが法律の主旨です。

こんな非常識な法律
 私は、取りたてて「非常識」と呼ぶほどの内容ではないと思いますが...。

行財政能力とは、例えば上下水道普及率とか行政サービスの質を意味しているのですよね??
 正確には、その「行政サービスの質」を維持できる能力ということになります。行政サービスの質を確保するために、一般的な市よりも財政状況が良好(自主財源比率が高い)であって、都市行政の実績を積んでいることが「能力」として評価されるのです。
[8127] 2003年 1月 24日(金)13:35:37蘭丸 さん
Re:中核市の要件
[8068]utt さん
蘭丸さまの意見におおむね同意ですが、しかし、
 いえいえ、これ([8037]前半部分)は私の「意見」などではなくて、法律論としての中核市の面積要件条項の「立法者意思」を解説させていただいたまでです。

 たしかに、現実には固定資産税収入は地価や企業の立地状況などと密接な関連性があり、個々のケースにはさまざまな状況があります。ですが、法律としては、一定規模の面積を保有することが一定規模の固定資産税収入につながるという、あくまで「一般論」としてこのような条件を付しているのです。
 また、中核市の面積要件は、これのみで中核市の要件を満たすわけではなくて、同時に人口30万以上という条件も必要とされています。市民税など、人口に比例する市町村税収入にも一定の規模があり、その上で、一定規模以上の固定資産税収入があることが望まれるのです。人口と面積2つの要件は、2つ揃って意味を成すわけです。

 自治法が中核市指定の要件として想定していることは、要約すると、自治体の「規模」と「行財政能力」ということになります。実は、これは政令指定都市の指定の際に検討される事柄でもあります。この2つの要件を、政令指定都市の指定の際の基準(総務省の内規による運用基準)より緩くしたものが中核市の要件です。
[8037] 2003年 1月 22日(水)08:07:52蘭丸 さん
中核市の面積要件の意図
[8003]てつ さん
[8012]合併研究家 さん
 中核市の面積要件が意図するところは、一定の面積を有し、中核市としての行政事務遂行に充分な財政能力のある市を指定するためです。
 面積が、ある程度広いということは、そこからの相当程度の固定資産税収入が見込めます。ですから、人口とともに面積が要件とされるわけです。ただし、政令指定都市の法律上の要件でもある人口50万以上となれば、住民税収入が多くなりますから、必ずしも面積要件が必要ではなくなるのです。

 では、なぜ、100平方キロ以上かといえば、現在の政令指定都市の中でもっとも面積の小さい川崎市の面積が約142平方キロであることが考慮されたためです。
 ですから、合併研究家 さんの
現存の政令指定都市の平均面積を参考にして決められたようです。
は、誤りではないかと思われます。現在の政令指定都市12市の平均面積は約500平方キロですから、中核市の要件「100平方キロ以上」とは関連しません。

 また、てつ さんの
同じ人口なら、狭い面積で人口密度が高いほうが都市の性格に合うのでは
というご指摘ですが、
 そもそも、地方自治法が何ゆえ政令指定都市や中核市、特例市という一定規模以上の市に対する特例を設けているのかといえば、規模の大きな自治体には、その規模による特殊性により、一般的な自治体よりもより広汎な行政事務を管掌することが望ましいからです。大都市ともなると、多様な行政需要が生まれ、また、同時に行政の効率化も一般の自治体以上に求められてきます。
 それに加えて、一定の都市規模ならば相当程度の行財政能力があり、一般的な自治体以上の行政事務の処理が可能となってきます。

 そういった、大都市行政の観点と地方分権の思想とが相まって「大都市等に関する特例」という発想が生まれてくるわけです。それに、現在は市町村合併の推進という要素がリンクしてきます。さいたま市や新・静岡市をはじめとして、こういった特例を受けようとして市町村合併をするケースが全国各地に見られます。

 何も、地方自治法は“都市の箔付け”とか“都市のランキング”とかいうような意図でこのような制度を設けているわけではないのです(ただ、結果的に“都市の箔付け”になっている面は否定できませんが)。この点に誤解があると、市町村合併と地方分権とに関わりあいのあることが見えなくなってしまいます。


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