[84064](伊豆之国さん)
このうち堺市は、かつて国鉄時代の昭和40年代初期に「不人気特急の横綱」という不滅の不名誉記録?に輝いた、わずか1年余りで運行廃止に追い込まれた短命の特急「あすか」が堺市駅に停車していたことがあり、
特急「あすか」(名古屋~東和歌山=現:和歌山)の運転は1965年3月から1967年10月まででしたので、運転期間は2年半ということになります。この列車は、特急「くろしお」(当時は名古屋~新宮~天王寺)の間合い運用として和歌山運転区に配置されていたキハ80系特急気動車を名古屋に持っていくために設定されたもので、紀勢本線経由では時間がかかりすぎるため関西本線を経由していました。
当時は天王寺駅で阪和線と関西本線の線路がつながっていなかったため、八尾~杉本町の貨物線(阪和貨物線と呼ばれたが、関西本線の支線)を経由していました。このままだと大阪府内に全く停車する駅が無いため、阪和線沿線で大阪市に次ぐ第二の都市である堺市に停車させることになり、それまで金岡駅という駅名だった駅を堺市駅に改称して「あすか」を停車させました。
本来の目的が間合い運用だったため、下りが名古屋18時半頃発→東和歌山22時半頃着、上りが東和歌山7時頃発→名古屋11時頃着と観光利用には全く不適な時間帯に運転されていました。高い特急料金を取られるわ、大阪市内に停まらないわで「不人気特急の横綱」となり、「くろしお」が増発されて車両が増備され、車両を名古屋に長時間留置する余裕が生まれたために「あすか」は廃止となりました。
また、「あすか」という名前の特急列車は近鉄でも1955年1月から1960年1月に近鉄特急の愛称が廃止となるまで5年間にわたって運転されていました。こちらの方は現在の近鉄名古屋線・大阪線を運転していたもので、名古屋発のみ運転されていました。当時は線路の幅が名古屋線が1067mm、大阪線が1435mmと異なっていましたので伊勢中川乗換えでしたが、1959年9月26日に発生した伊勢湾台風の復旧作業と同時に名古屋線の線路の幅を1435mmに広げ、名阪間直通の特急が走れるようになったのは鉄道ファンの間では有名な話です。
ちなみに、どちらの特急「あすか」も名称の由来となった奈良県明日香村は全く経由していません。明日香村にある飛鳥駅に近鉄特急が停車していますが、これは平成に入った1990年3月からです。なお、明日香村は私鉄の特急が停車する唯一の村であり、大手私鉄の駅がある唯一の村でもあります。