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Issieさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[78683]2011年7月2日
Issie
[78675]2011年7月2日
Issie
[78661]2011年6月29日
Issie
[78608]2011年6月21日
Issie
[78595]2011年6月19日
Issie
[78594]2011年6月19日
Issie
[78582]2011年6月18日
Issie
[78575]2011年6月17日
Issie
[78569]2011年6月16日
Issie
[78546]2011年6月12日
Issie

[78683] 2011年 7月 2日(土)12:59:23【2】Issie さん
槍や穂高は隠れて見えぬ
[78680] グリグリ さん
浅間山や八ヶ岳を推す理由として、首都圏から見た目線もあると思います。

そうですねえ。これはやはり関東平野からの視点ではないかと。
松本平に住んでみると,浅間や八ッの存在はそれほど感じられません。何よりも目の前にある「西山」の存在が大きくて。ただし,県境の北アルプス主稜線ではなく,梓川と高瀬川で切り離された“前山”の方。まさしく,「槍や穂高は隠れて見えぬ」(…わけでは,必ずしもないけれど)。
松本であれば常念岳,“安曇野”であれば,今NHKの朝のドラマで主人公が勤務している国民学校(←間もなく学制改革で「小学校」に戻るはずですが)の名前にもなっている有明山。大町以北に行けば,また違う山が挙がるでしょう。
松本平も属する「中信」でも木曽に行けば,そこではやはり御嶽と駒ヶ岳。
「中信」だけでも1つに絞ることは難しい。

八ヶ岳は御柱を伐り出してくる山ですから,諏訪での存在は大きいでしょう。同じ「南信」でも伊庭谷に行けば,上伊那では駒ヶ岳,下伊那では赤石岳や恵那山なんかが浮上してくる。

浅間山の存在感は「東信」では絶大。
現在は佐久市になっている旧望月町のご当地ソングに「望月小唄」というのがあります。一連の中山晋平・新民謡シリーズの1つですね。その中に出てくるのが,「南蓼科,北には浅間」。望月を初めとした,佐久・小県の中山道沿いでは蓼科山の存在も大きいでしょう。しかし,やっぱり浅間山にはかなわない。藤村の「千曲川旅情の歌」にも印象的に登場するしね。

けれども,「北信」の善光寺平に入ると浅間の影は薄れます。
ここでは「北信五岳」と呼ばれる 飯縄・戸隠・黒姫・妙高・斑尾 が地域を代表する。中で抜きんでているのは飯縄山でしょうかね。妙高山は新潟県に属します。
ただしこれは飯縄山の足元の長野市というよりは,千曲川右岸の須坂・小布施・中野あたりからの視線です。
長野市内からは背後の飯縄山よりも前に広がる草津白根,四阿(あずまや)などの山の方が印象は強烈。
さらに,北信の中で豪雪地域と少雪地域とを分ける「高井富士」=高社山の存在も無視できません。

ことほどさように,長野県内で“どれか1つだけに絞る”というのはほぼ絶望的に不可能。だから,“あの投票結果”は十分に納得できるものです。
県外の視点から無理やり1つに絞って絞れないことはないでしょうが,それはおそらく地元の人の感覚からは大いにずれてしまいそう。
だから,

都道府県プロフィールのメニューとして、「都道府県を代表する山(落書き帳選定)」「都道府県を代表する川(落書き帳選定)」を作ってみようかなと思っています。ついでに「都道府県を代表する作家(落書き帳選定)」も。

これは面白そうな企画だけど,「1つに絞る」というのは避けた方がいいかなと思います。
これは努めて“主観的”な世界の話で,いかなる「客観性」も入り込む余地のないもの(流域面積とか人口とかの数字を持ち込んでどんなに「客観性」をよそおってみても,その数字の選択や扱い方に既に“恣意”が入り込んでいます)ですから,結局は自分の感覚に合うか合わないか,という話に行きついてしまう。
よほど圧倒的,絶対的な存在感を持つものでなければ,“万人が納得する”ものにはまずならない。
だからに,無理に1つに絞るのはよしましょう,というのが私の意見です。

なお,県歌「信濃の国」に登場する山は,“国の鎮め”の御嶽・乗鞍・駒ヶ岳,そして浅間。…地域的に偏りがありますね。別のところでは“月の名に立つ”姨捨山(冠着山)が登場します。「碓氷山」というのも登場しますが,これは「峠」。しかも歌われているの(穿つ隧道二十六)は,この歌には珍しく“県境の向こう”の群馬県部分ですね。
[78675] 2011年 7月 2日(土)02:34:29Issie さん
混声合唱組曲「筑後川」
当該記事の該当部分はすでに削除されているので引用はしませんが,

もうかなり昔のことですね,国鉄総武線の津田沼以遠がまだ複線で,地べたを走っていた稲毛駅では貨物扱いをやっていて,駅の近くのアルコール工場や専売公社のたばこ倉庫から,アルコールになりかけのサツマイモの甘い匂いや倉庫に集積されたたばこの匂いが風に乗って流れてくる,某中学校に通っていたころ,音楽の時間に合唱で「筑後川」の最終曲を習いました。
後で高校生になってからこの組曲の全曲を通して聴いたとき,中学校で教わったときはただのピアノ前奏部だと思っていた旋律が最初の曲の歌いだしに対応しているのに気付いて,なるほど「組曲」とはこうした綿密な計算の上に構成されるものなのか,と初めて納得しました。
…というのは,その書き込みを読んで改めてこの合唱組曲のCDを聞いて思い出したことです。
もともとこの合唱組曲は地元のタイヤメーカーの肝煎りで作られた曲ですが,やはりローカル色の強いものですね。
その筑後川,上流は熊本県だったり大分県だったりするし,下流は県境で佐賀県も十分に潤しているのだけど,やはり名前のせいか,福岡県の印象が強いですね。とは言え,それでは福岡・博多地域や筑豊・北九州が抜け落ちるのですが。

で,言いたかったことは,よそ者の私には「クリーク」というと,どちらかと言うと福岡県側の方がイメージが強いかな,ということ。
何よりも,高校の授業が終わった後に通った予備校の帰り,「全国の地形図が見られる(←買うのではない)」というので寄り道をした改装直後の神田・三省堂書店の地図コーナーで見た5万分の1「羽犬塚」図幅の強烈なイメージがあるからです。画面いっぱいに広がる不規則なようで規則的な,規則的なようで不規則な水色のクリーク網にびっくりしたものでした。
もちろん佐賀県側にもクリークはあるわけで,福岡県側の独占物でないことは十分に承知していますが,北原白秋の詩で刷り込まれている柳川(柳河)の風情もあわせて,私には福岡県側のイメージの方が強い,
という,そんな話…。

と言いつつ,実はこちらの方が本題に近かったりするのですが,

[78674] 実那川蒼 さん
市区町村変遷情報の誤り指摘だけを長々と書き込んだ、読んでいて退屈な記事よりもよほど価値あるものだと思っていたからです。(中略)メールでも済むのではないか?

私は逆に,これは個人的なメールではなく公開の場で交換されるべき情報だと思っています。正直なところ,私は読み飛ばしていますが(ごめんなさいね),これは開かれた場で蓄積されていくことにこそ意義がある情報だと考えます。
見えないところで,いつの間にか“直っている”というのは,こういう情報には不適切かな。どのように訂正(修正)されてきたかを跡付けることも重要な情報だと思います。
[78661] 2011年 6月 29日(水)20:24:41Issie さん
ときはいま あめのしたしる 五月かな
[78658] 白桃 さん
実は私も、亀岡市と亀山市を混同することがあります。

もともと「亀山」ですからね。
明智光秀といえば,「丹波亀山」。
今の「亀岡」を知らずに歴史の方から入っていけば,「亀山」なのもむべなるかな。
「亀山藩」が明治2(1869)年の版籍奉還後の知藩事任命に前後して「亀岡藩」に改称して今に至るものですが,これは伊勢の「亀山藩」に対する同名回避によるものと思われます。
類似例は全国に多数。
中には,安房の 勝山藩 → 加知山藩 → 加知山村 → 勝山村(→鋸南町)と,元の名前に戻っちゃった所もありますけどね。

でも何で伊勢が残って丹波の方が改称させられたかというと,やっぱり地元以外では不人気の明智光秀のせい…,だったりするんでしょうかね。
[78608] 2011年 6月 21日(火)21:51:31Issie さん
防鴨河使
[78597] futsunoおじ さん
都道府県を代表する山と川

[78604] N-H さん
ここは香川県の屋島よろしく、鋸山を提案させていただきます。

「地理」的には“超一等三角点”の鹿野山を推したいところですが,南関東における一般的な知名度から言えば N-H さんの御意見に賛成です。
川は難しいですね。養老川は小櫃川や小糸川,外房の夷隅川などと並ぶ“房総の大河”ですが,せいぜい(郡制施行のための郡統合以前の)郡単位のローカルな川です。やはり“外来河川”の利根川・江戸川に頼らざるを得ない。でも,江戸川は「寅さんの柴又」に取られてしまった感も無きにしも非ず。本当は 矢切の渡し は「野菊の墓」のこちら=千葉県側のもの,と言いたいところですが。

東京都を代表する川としては隅田川をあげたくなるのは人情ですね。

「水系」にこだわることをやめれば,都市・東京の川は,やはり隅田川以外にあり得ません。「荒川」と呼ばれている川の東京都区間は,そもそも人工の放水路ですから,どんなに規模が大きくても,それは“家の裏側をひっそり流れる川”。顔,ではないと思います。
ところが,これが「三多摩」を加えた東京“都”となると,話が変わる。多摩にとっての川は多摩川以外にあり得ず,隅田川・荒川なんて“東京都”の端っこをながれるだけの川です。
多摩川なら,田園調布や六郷・羽田の景観に欠かせない川だし,そもそも江戸・東京自体が玉川上水の水に潤されてきたのだから,多摩川の方に軍配が上がるかも。

似た構図は,京都“市”対京都“府”にも言えます。そして,こちらの方がもっと複雑。
平安時代の“令外官”に「防鴨河使」という役所がありました。「防河使」とも書いて,どちらも「ぼうかし」と読むのが古来の習わし。字のとおり,京都を鴨川の洪水から守る防災官庁ですが,「河」一字だけで「鴨川」を表してしまうあたり,本家の中国で「河」一字で「黄河」を意味するのと同じく,京都にとっては良くも悪くも鴨川なしにはあり得ない。
だから,「“京都”の川」と言えば,当然に鴨川を挙げなければならないでしょう。
けれども,京都“府”の川となると,話が違う。さらに東京都以上に難しいのは,三多摩を貫流する多摩川のような存在が京都府にはないこと。
“山城”だけ,というなら宇治川もいいですが,盆地全体を貫流する木津川の方が上に来る。
でも丹波・丹後の両丹地域は別世界。「桂川」はそれを慮っての選択かもしれないけれど,如何せん,この名前は京都盆地での名前。「保津川」と言ってみても,この名前の区間も短いですね。この川を何とお呼びするのが適当か。
そうするとやっぱり 由良川 が浮上するけれど,結局はこの川が“京都府全体”においてどれほどの存在感を持っているかにかかります。

その点,やはり構図の似ている大阪府では淀川の存在感が圧倒的だし,兵庫県に場合は摂津地方は神奈川県の鶴見川同様,あまり気にしなくてもよさそう(武庫川があるけど)。でも,私は 加古川 よりも“そうめんのブランド” 揖保川 を推したいな。

山梨県の富士川,奈良県の大和川は,水系としてはそうだけど,この名前で流れているのは盆地を出て,もう隣りの県(府)に入るころですね。肝心の(どちらも)「国中」ではその名前では流れていない。山梨県の場合は,笛吹川と釜無川のどちらに軍配を上げるか。
もっと難しいのは奈良盆地で,個々の川は決して大きくない。竜田川とか初瀬川とか飛鳥川,佐保川,とそれぞれに名のある川はあるのだけど,“代表”というにはやはり小さい。どうあっても吉野川や十津川,北山川には逃げたくないところですが。

五木ひろし(千曲川)と三橋美智也(石狩川)には異論ありません。「北上夜曲」は歌っている人が多くて。
さとう宗幸(広瀬川)も挙げたいところですが,やはりこれは仙台市の川。宮城県全体では“宮城郡ローカル”なんでしょうね。
[78595] 2011年 6月 19日(日)21:34:41Issie さん
みとる
「たぎる」と関係ある話かもしれません。

もう四半世紀前になりますが,教育学部の学生であった私は長野県内の中学校と小学校で6週間の教育自習をしていました。
実習では自分の授業をするたびに前もって指導案(教案)を書かされます。そこに 学習内容・教師の動き・子どもたちの動き などを45分の授業の流れに沿って書くわけですが,そこでは決まり事のように「子どもたちの動きを“みとる”」という表現をよく使いました。
これは長野県内の教育関係者の間ではごく普通に使われる表現で,私たちもあまり疑問に思わずに使っていたのですが,どうもこれはよその地方の人が聞くとかなり違和感を感じる表現らしい。
なぜなら,「みとる」というのは多くの地方で(“標準語”ないし“共通語”でも)「死者を看取る」という意味で使うのが普通であって,元気に生きている子どもたちに対して使う言葉ではない,という意識が働くからのようです。
上ではわざと“ひらがな”で書いたのですが,長野県の学校で使われる「みとる」は漢字で「見取る」。言われてみれば,現代の“標準語”にない見慣れぬ単語では決してないけれど,確かにあまり使わない表現かもしれません。珠算検定の「見取り算」くらいかも。

結果として,「みとる」というごくありふれた単語なのだけども,実際には微妙な意味のズレがある。もしかしたら,その地方では当たり前と思われている意味が,ほかの地方では全く通じない。
こういうことって結構あるのではないかと,今回の「たぎる」を見てふと思ったのでした。
[78594] 2011年 6月 19日(日)21:08:54Issie さん
小田切さん
[78590] 伊豆之国 さん
「田切」の付く苗字に「小田切」さんがあります。

そう言えば,長野市に「小田切」という地名があるのを失念していました。
国道19号を犀川に沿って下り長野盆地に出る直前に「小田切ダム」というダムがあります。このダムのすぐ下流で「両郡橋」(←更級郡と上水内郡にまたがるので)を渡ると急に視界が開けて善光寺平に入ります。
「小田切ダム」の名前は,ダムサイトの北岸(左岸)が長野市編入前の上水内郡小田切村に属するからですが,谷底の国道沿いにはめぼしい集落がありません。別にダム湖に沈んでしまったからではなくて,元からない。旧小田切村の中心集落は山のずっと上,北側を流れる裾花川の谷との間の尾根の辺りにあります。
で,「小田切」というのですが,どうもここの地形は伊那谷の典型的な「田切」とはだいぶ違う地形です。何よりここには地すべりによる緩斜面が散在してそこに集落があるのですが,伊那谷のような広い平坦面は存在しない。“若い谷”が発達している,という点は共通するのですが,その谷が侵食するのはここでは平坦面ではなく山なのですね。
もしかしたら,「小田切」の“小”の字に秘密があるのかもしれません。

[78589] hmt さん
自然災害に直面し、逆巻く急流により侵蝕され、耕地が分断される姿を目撃した人々が、これに「田切り」という字を当て、

[78582] で私は「若い」という表現を使いましたが,この“若さ”は言うまでもなく“地形形成史”の中での若さであって,これに比べたら人類全体の歴史など“一瞬”にならないほど若いものです。
30年ほど前の台風の集中豪雨で釜無川上流の河床が侵食されて一夜にして グランドキャニオンのような景観 が生まれたことがありました。1984年の長野県西部地震では,王滝村で一瞬のうちに山が抜けて集落が分断される災害が起きました。2004年の中越地震でもよく見られた光景ですね。
とは言え,これで伊那谷の「田切」のような地形が生まれるわけではありません。どんなに集中豪雨が繰り返されても,せいぜい120年の私たちの一生の間に「田切」のような深い谷に成長するはずもありません。
本家アメリカ・コロラド高原のグランドキャニオンは壮大な「田切地形」と言えなくもないのですが,これは何億年もかけて作られたものです。
信州の「田切」はもちろんそれよりも遥かに“若い”ものですが,それでも人類がそこに来たときには既にあったものだと思います。恐らくは目の前で「田が切られる」光景を見てついた地名ではない。もし現実の災害を目の当たりにして生まれた地名であるならば,それはもっと別のところに分布したのではないか。
たぶん「田切」というのは,既にそのような形になっている地形を人々が利用し始めてから,「田が分断されているように見える」様を見て生まれた地名なのだろうと考えています。
[78582] 2011年 6月 18日(土)19:26:33Issie さん
田切り落つ異郷の涙 by 藤村
[78581] k-ace さん
私なんぞは「田切」って地形名だったのかレベルですが。由来をいわれてみれはなるほど。

必ずしも「用語」としてきちんとした定義はされていないだろうと思うのですが,イメージ的には河岸段丘や火山山麓の平坦面を新たに侵食した川が作る若くて細長い谷,という程度のものでしょうか。「田切」地名が特に伊那谷に集中し,さらに隣接する八ヶ岳,蓼科,浅間の各火山の山麓緩斜面にも多く見られるので,この辺りをフィールドとする地元信州の郷土地理家が「田切地形」という語を多用しています。
同じ信州でもこのような地形があまり見られない中信や北信では,あまり使われません。たとえば,犀川丘陵は河岸段丘自体は多く分布するのですが,平坦面が断片的に散在しているために「田切地形」はあまり見られないのですね。
同様の地形はほかの地方にも見られます。たとえば鹿児島県のシラス台地などもそうですが,ここでは別の名前で呼んでいるのではないでしょうか。南関東にも似た地形がありますが,ここでは「ヤツ(谷津)」とか「ヤト(谷戸)」と呼んでいますね。
目黒区の「田切(たぎれ)」は,やや孤立した例ではないかなあ。

#後、東京「12チャンネル」(アナログ)か「7チャンネル」(デジタル)かという話もあるようですが…。

私的には,あの放送局は東京タワーの下にあった頃から「東京12チャンネル」ですから,今さら「7チャンネル」には…。7月以降も,私は「12チャンネル」と呼んでいますよ,きっと。
[78575] 2011年 6月 17日(金)21:51:57【1】Issie さん
なにもたべないほうが ましでした
[78572] hmt さん
これは、絵本作者の偏見に基づく記述ではないかと想像します。

元々の原文で「あぶらむし」が何を指しているかわからないところで議論してもあまり意味のないことかもしれませんが,ゴキブリは世界の中では非常にポピュラーな食材であるそうですね。何を食べるか,ということは文化の根源にかかわることで,自分たちの感覚に反するからという理由でその地域の食文化を貶めることは極めて不遜な行為です。
私も信州に住んでいた頃,カイコのさなぎや,天竜川つながりで ざざ虫 なんかも度々食べました。残念なことに蜂の子を食べる機会には恵まれませんでしたが。まあ,それなりに美味しいものではありますが,独特の臭みがあって,その辺りで好みが分かれるかな。

もっとも,この絵本のこの表現,作者が本気でそのように思っているなら,それは「偏見」かもしれないけれど,そこまで目くじらを立てることか。子ども心には,「なにもたべないよりは ましでした」が2回続いた後,3度めに「なにもたべないほうが ましでした」と来るところが,とても面白かったのでした。
絵本や童話に限らず,同じ展開を3度繰り返して,3度めは違うところに“落とす”というのは,ドリフのコントもそうであったように,お話づくりの最も基本的なお約束の1つです。ここでも,まずはそのお約束に則っているのだろうと思います。
とは言え,この絵本には別のところで,お話後半で登場する「黄色い目の猫たち」が,ただ1匹特徴の違う「あおい目のこねこ」に対して極めて「差別的」な発言と行動をとる場面があります。あおい目のこねこは,それにメゲない,というのがこのお話の大事な部分の1つなのですが,その部分はやはり結構エゲツない。

そんなことより,「空から日本を見てみよう」。
今回は,「天竜川」という素材がもたらしたものか,いつになく「地形」が話題に上る場面が多く,興味深いものでした。河口西側の砂丘地形から始まって(本当は砂丘としては河口の東側の方が有名なのですが,今のこの御時勢,話題にするには微妙すぎますね),蛇行や中央構造線,河岸段丘から,「田切地形」などという“信州ローカル”な地形用語まで飛び出して来たのには驚きました。実際のところ,伊那谷の地形を語るのに「田切地形」は外せないのですが,それが所詮は関東ローカル局の「12チャンネル」の電波に乗るとはね…。
以前にも一度ここでボヤいたことがあるのですが,NHKが特にそうなんだけど(民放はそもそも,あまりこういう番組をつくらない),どうも日本のテレビはせっかく自然番組を作っても“生き物”の方に流れてしまって,「地理」に留まって“地形”や“気候”をじっくり視せてくれる番組が極めて少ない。
その点では,地形にこだわる「ブラタモリ」が出色なのですが,如何せん,視点がマニアックすぎるのと,何より対象が東京の中でさえ極めてローカルで…。日本地理学会から表彰されたとは言っても,やっぱりねえ。
だから,今回の「空から日本を見てみよう」は私的には“大当たり”でした。
ここの地形の説明には,それぞれ一言二言もの足りなさを感じないでもないけれど,これだけいろいろな地形の実例を視せてくれた辺り,地理教材として十分使えるものに思いました。
もっとも,この番組の特性で,すぐに 下山ダッシュ みたいな鉄道ネタに走っちゃうんですけどね。
そこし恨めし。
[78569] 2011年 6月 16日(木)21:27:32Issie さん
あおい目のこねこ
今日の東京12チャンネル「空から日本を見てみよう」は天竜川。
河口から源流までさかのぼる,と言っていましたから,諏訪湖よりも上の八ヶ岳か霧ヶ峰まで行くのかと思ったら,諏訪湖出口の釜口水門まで。ま,確かにここが“天竜川の始まり”ですから,これが最も正しい「源流」ですね。

[78568] 白桃 さん
ゴキブリのことを「アブラムシ」って言うことについて、それが地域性の問題なのか、世代間の違いなのか・・・。

ここのところで思い出したのが,子どもの頃に読んだ 「あおい目のこねこ」 という絵本。
もうストーリーは忘れていて,検索してみて,そう言えばそういう話だった,と思い出したのですが,1つとっても強烈に覚えていたこと。
旅に出た子猫(飢えた子猫は餌のネズミがたくさんいる「ねずみのくに」を探しに出たのですね)が途中,空腹のために虫を捕まえて食べる。それが小さいハエや蚊だったりして,腹の足しにもならないのだけど「たべないよりは ましでした」。ところが最後に捕まえて食べた「あぶらむし」。これはマズくて「たべないほうが ましでした」。
子ども心に,「食べない方がまし」なくらい不味い「あぶらむし」ってどんな虫なのか,と思っていました。だって,アリマキのことじゃないよね。
それが“ゴキブリの別名”だと知ったのは,だいぶ成長してから。

これは外国の絵本を翻訳したもので,ここで「あぶらむし」という語に翻訳した せた ていじ さんという人が,どこの出身でどういう「方言」話者なのかも興味深いのですが,「“あぶらむし”は,食べない方がましだった」というのは,原作からのものですね。この作品の原作者は エゴン・マチーセン という人で,名前の“響き”から推測すると北欧の人ではないかと思うのですが,だとすると,北欧では「あぶらむし」はハエよりも蚊よりも「食べない方がまし」な虫なのですね。
問題は,その「あぶらむし」が元々はどういう虫だったか,ということです。やっぱりゴキブリなのかしら。

ひるがえって,再び日本のゴキブリの話。
「ゴキブリ」と言ってもいくつか種類があるようで,どうも北日本と東日本,西日本ではメジャーな種が違うらしい。基本体型は同じようなものでも,色や大きさなどが違っていて,もしかしたら同じ「ゴキブリ」という語で,違う虫を連想しているかもしれません。
そして最近の気候変動の影響か,各地でメジャーな種の交代が進んでいる,なんて話を漏れ聞いたような記憶も…。

名古屋の「御器所(ごきそ)」という地名を初めて聞いてすぐに「ゴキブリ」を連想してしまった私ですが(どちらも「御器」という語に由来するのですよね),ゴキブリの話題も結構奥の深いものです。
[78546] 2011年 6月 12日(日)12:24:11Issie さん
黒部の太陽
[78541] スナフキん さん
「ひかり号」も九州から急きょ召し上げられた名前ですね。

そうですね。とってもローカルなジーゼル急行でした。まさか,「こだま」を飛び越えて「夢の超特急」になるとはね。
でも,その前は「のぞみ」と一緒に満州を走っていました。
“名前の使い回し”の歴史も結構奥が深いものです。
超特急に名前が“召し上げ”られた後継の列車名が「にちりん」(日輪)。日豊線,日向国,そして九州を連想させる名前で,私はこちらの方が好きです。最近,(文字通り)“影”が薄くなっている気がしないでもないけど。

山名などはピンポイントで使える範囲が限定的であるのに対し

“ピンポイント”であるが故に,そのピンからどちらの方向にも向かえる,という面もありますね。
信越線を走っていた「妙高」や「とがくし」は“ピン”の長野地区から,ある時は上野方面へ,ある時は新潟方面へ,と真逆に向かっていました。

子どもの頃,時刻表を眺めているのが好きで,特急や急行(準急はもう国鉄には走っていなかった。京成には走っていたけど)の名前を見て喜んでいたものです。その中には意味の分からないものもチラホラ。
「にちりん」も子どもには難しい名前でしたが,これは何だろうと本当に疑問に思ったのが,中央西線から大糸線に乗り入れていた急行「くろよん」。語彙のない子どものことだから,クレヨンの変種か,などと思いました。
由来はもちろん,1960年代の国家プロジェクト,黒部ダムと「黒部第四発電所」。ダムの完成後は,急行「くろよん」が関西方面から“くろよんダム”への観光客を送り込むことが期待されたのでした。
今でも立山・黒部アルペンルートは人気の観光地で,多くの観光客でにぎわっていますが,昔ほど突出したものではなくなったような印象が。「くろよん」という言葉もあまり耳にしなくなったような気がします。
今,列車名や夜行バスの名前として「くろよん」が選ばれることはあるのでしょうか。この名前も,高度経済成長時代を懐かしむアイテムになっているのかもしれない。

昔,満洲を走っていた「ひかり」や「のぞみ」,そして「あじあ」もそうですが,列車名というのも結構,「時代」を映す鏡なのかもしれません。今,やたらとカタカナが多いのも。
でも,「サンダーバード」という名前は二重,三重の“誤用”を犯しているように思うのですが。


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