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hiroroじゃけぇさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[76263]2010年9月28日
hiroroじゃけぇ
[76203]2010年9月17日
hiroroじゃけぇ
[75995]2010年8月14日
hiroroじゃけぇ
[75468]2010年7月10日
hiroroじゃけぇ
[75463]2010年7月9日
hiroroじゃけぇ
[75134]2010年5月17日
hiroroじゃけぇ
[74540]2010年4月2日
hiroroじゃけぇ
[74502]2010年3月31日
hiroroじゃけぇ
[74259]2010年3月4日
hiroroじゃけぇ
[74170]2010年2月16日
hiroroじゃけぇ

[76263] 2010年 9月 28日(火)22:09:57hiroroじゃけぇ さん
続 児島のあれこれ
[76196]千本桜 さん

[76203]でのその後です。
残念ながら、どの項目もはっきりとしたことが確認できていないのが本当です。しかし、ちょっとしたヒントらしきものもあったので、そちらを少し。

「引網村」についてですが、由来は「地引網に適している地だから」という他に、「網に地蔵尊がかかったから」という説もありました。このどちらも共通しているのが、「漁師」漁業関係者が当時から減少傾向にあったようです(地下足袋生産に移った?)だから廃れたのか?ここから先は良くわかりません。一方の唐琴は「崇徳天皇」の時代の伝説にまで遡ることができ、こちらの方が由緒正しい地名ともいえるようです。

「大畠」・「菰池」についてもどういった理由なのか分かりません。ただ、驚いたことが一つ。「大畠」は「おばたけ」だと認識していたのですが、「おおばたけ」でしか見つけ出せなかったのです。地元では「おばたけ」と言っているのにどういうわけか分かりませんが、こちらが正式な模様です。

「宇野津」ですが、「目的地」になりえなかったということもあげられそうです。最近でこそ「ナフコ」が立地し、「目的地」ともなりうるようになったのですが・・・。また、玉野市の「宇野」と紛らわしいことも要因の一つのようです。それを避けるために敢えて表さないということもあるようです。それともう一つ、「バスの経由地」表記も参考にできそうです。児島駅~倉敷駅には3つのルートがあり、「天城・上の町経由」「天城・小川経由」「大高・塩生経由」です。お分かりのように、「塩生」が経由地の代表させています。これは、旧来からの慣例であったと考えてもいいということのようです。

以上、ちょっとしたことですが、参考になれば光栄です。お力になれず申し訳ございません。今後も機会があれば調査しますので、その時はまた報告させていただきます。
[76203] 2010年 9月 17日(金)20:27:43hiroroじゃけぇ さん
児島のあれこれと日比
[76196]千本桜 さん
ご質問のこと、自分がお力になれれば幸いです。なお、正確な答えが用意できていない部分もあるので、そのあたりは後日報告させて下さい。

まず1番目。
Q:
琴浦から少し離れた地域の人々、例えば下津井や日比の人は琴浦の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。A・下の町・上の町の区域を琴浦と呼んでいる。B・下の町・上の町・田ノ口・唐琴・由加・白尾の全域を琴浦と呼んでいる。
(中略)
hiroroじゃけぇさん世代の感覚で捉えた琴浦。もう1つは70才以上の高齢者の感覚で捉えた琴浦。二者の立場からの琴浦を解説いただけたなら幸いです。

A:「琴浦」の 範囲ですが、下津井や日比の方々に訊ねたことがないので、詳細は分かりませんが、自分がその人達と話している感覚では、Aに田ノ口の平野部を含めた地域を「琴浦」と呼んでいるようです。つまり「田ノ口の平野部」が児島地域内での感覚とズレている部分となります。では、「田ノ口の平野部」以外はというと、「加茂路(かもじ)峠」あるいは「加茂路池のあたり」と言われることが多く、地名の「田ノ口」と地域内の感覚に整合性がありません。また、「白尾」は地域人口が少ない為、バス停のある「峠」を代表させることが多いようです。

年代による差異はほとんど見られません。というのも、現在でも親の世代からの地理感を引きついている為で、またそのように教えられて育つからです。

2番目
Q:
唐琴は明治22年まで存在した引網村のことではないかと推察します。もし、地理範囲に変わりがないなら、今も引綱と呼ばれて良いはずなのに、どうして唐琴に改称したのでしょうか。

A:地域としてはその通りです。「唐琴」はそもそも「唐琴の浦」(「唐琴乃浦」という記述や石碑もあるので、昔はこちらを使用していたようです)からきており、昔から海岸沿いは引網村の「唐琴」であったと思われます。よって、人口が集中する「唐琴」を採用したのではと推測しています。このことについては、後日改めて調べてみます。

3番目
Q:
塩生(しおなす)・通生(かよう)で1つの区域とした場合、宇野津はどこへ行ってしまうのでしょう。塩生に含まれるのでしょうか。

A:「宇野津」は児島地区にありながら、その立地上水島に近い感覚があります。また、この児島の西側の地域は「塩生」を代表させることが多く、「通生」も含めてしまうことが多いと思われます。

4番目
Q:
旧児島市の区域では、大字に相当する町丁名のほとんどが児島を冠して倉敷市児島○○と表記するのに、郷内村、下津井町および味野町の菰池だけは児島を冠称しません。何故でしょうか。

A:下津井については、児島としている地域からは独立した文化圏を構成しています。特に「方言」においては下津井は少々違った言い回しをする場合もあります。また、このようなことから、児島と下津井との間には軋轢もあったようで、それが原因で下津井は児島を冠さなかったと聞いたことがあります。菰池の詳細は分かりませんが、下津井に含まれる地域も内包しており、その為の処置だと推測しています。こちらも、後日ということにさせて下さい。

5番目
Q:
明治22年以前、下津井町の区域は下津井村、吹上村、田ノ浦村、大畠村に分かれていました。現在の住所表記は、下津井村の区域が倉敷市下津井、吹上村の区域が倉敷市下津井吹上、田ノ浦村の区域が倉敷市下津井田ノ浦なのに、大畠村の区域は下津井を付さずに倉敷市大畠です。大畠村の区域が児島も下津井も冠称しないのはなぜでしょうか。

A:こちらも詳細なことは分かりませんので、後日報告いたします。ただ、この地域は「児島」から「下津井」のアプローチとなる地域で、下津井へはこちらを通るのが一般的なルートであったようです。現在の児島I.C経由には旧ルート(現在でも通行可のトンネルあり)が利用されていたようで、あまり好まれていなかったようです。少し脱線しましたが、これらの経緯により、わざと「児島」も「下津井」も冠さなかったのではないでしょうか。また、大畠も菰池と同様、「下津井」の部分を内包しているのも、理由の一つかもしれません。

日比のこと
Q:
玉野市やその周辺に住む世間の人は、日比の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。
A・日比という地名を耳にすると、藩政期の日比村に相当する区域を思い浮かべる。
B・日比という地名を耳にすると、日比に渋川、和田を加えた区域を思い浮かべる。
C・日比という地名を耳にすると、日比、渋川、和田に玉を加えた区域を思い浮かべる。

A:これは間違いなくAです。日比は「精錬」、玉は「造船」であり、わざわざ日比に「玉」を内包する必要はありません。また、和田はその地域を目的とすることが少なく、日比や玉に含める必要性はありません。ただ、上記のBとCで最も違うと断言できる理由はそこではなく、「渋川」を含んでいることにあります。確かに、日比と渋川の境界はあいまいですが、児島からでも宇野などの玉野市がわからでも中間点となり、多くのバス路線の終点となることから「渋川」は「渋川」として独立しています。なので、玉野市外から渋川にいく場合は「渋川に行く」とするのが一般的で、「玉野に行く」は宇野駅周辺の中心市街地を指してしまいます。そして、「日比」や「和田」、「玉」は「玉野に行く」に包括されてしまいます。なお、玉野市の「荘内」地区は「秀天橋(しゅうてんばし)」といわれることが多いので注意が必要です。この「秀天橋」は国道30号ある橋で、一部のバス路線で経由地などとして記載されています。

以上、現在のところこのようになります。後日また詳細を報告させてもらいます。
[75995] 2010年 8月 14日(土)22:17:29hiroroじゃけぇ さん
政令指定都市の経県値
テコ入れにもならないけど・・・(泣)

◎(居住):京都市、大阪市
○(宿泊):岡山市、広島市
●(訪問):横浜市、神戸市、北九州市、福岡市
△(接地):さいたま市、千葉市、川崎市、静岡市
▲(通過):浜松市、名古屋市、堺市
×(未踏):札幌市、仙台市、相模原市、新潟市

岡山市は居住ではないので・・・。
[75468] 2010年 7月 10日(土)20:25:49hiroroじゃけぇ さん
ようよと気づきました
[75464]般若堂そんぴん さん
[75465]k-ace さん
「ようよと」って方言だったんですね。今まで誰も言ってくれなかったので、方言だとは気づいていませんでした。

で、k-ace さんが調べたように「やっと」という意味で使っています。「ようよう」も使用しますが、「ようよと」の方が「やっと」の意味合いが強いですね。そそれと、「ようよう」が直前の事柄につかうのに対し、「ようよと」はそれよりも以前の事柄につかうことが多い気がします。あくまでも、使用方法は自分の感覚ではあるのですが・・・。
[75463] 2010年 7月 9日(金)22:37:58hiroroじゃけぇ さん
ようよと70万人に
岡山市の人口が住民基本台帳及び外国人登録の合計で70万人を突破し、70万115人になりました。これでようよと政令市移行の要件とされていた70万人という目安を上回りました。

岡山市自体も心配していたのか、9日に発表されたようです。人口は増加傾向のようなので、安定して70万人を上回るのも時間の問題のようです。
[75134] 2010年 5月 17日(月)23:20:58hiroroじゃけぇ さん
自分も観ました
[75129]いっちゃん さん

実は、番組の空撮では自分の家もちょっぴり映っていました(笑)これで、我が家も全国区です。

ところで、今までは『空から日本を見てみよう』というわりに、首都圏やその周辺を中心に関西圏を少し挟むといった程度の番組でしたよね。それがいきなり「岡山~香川」これには正直驚きました。やはり、テレビ東京系列の「テレビせとうち」があるのが大きいのでしょう。それでも、次に続かないのがやはりこの系列っぽいです。今週は首都圏に戻って南武線ですもんね。香川県側は中途半端な感じになっちゃてるので、続編を期待しております。
[74540] 2010年 4月 2日(金)16:44:00hiroroじゃけぇ さん
制限速度の緩和は「新基準」
[74503]みかちゅう さん
全国初は国道119号「宇都宮北道路」だったんですね。新聞報道なども適当なものだと思ったのですが、よくよく見ると「警察庁による新基準での引き上げが全国で初」ということのようです。今後も検討する自治体がでるはずですが、あんまり伝わってこないんですよね。

どうせ制限速度なんて「上限速度ではなく下限の速度(制限速度より遅いと後ろから煽られる)」というのが実態ですし、制限速度を引き上げることで流れやすくなるのならいいのではないでしょうか。
(笑)一応、安全性が確保できる区間であるようです。「歩行者や自転車は側道を利用」ということですが、バイパスの本線を歩く人はそうそういないと思うんですけどね。
[74502] 2010年 3月 31日(水)21:00:39hiroroじゃけぇ さん
制限速度引き上げ+E170
今日から、岡山市内の国道2号線君津JCT~大樋橋交差点で、制限速度が70?/hに引き上げられました。これは全国で初の試みということですが、他県では検討されていないのでしょうか。岡山バイパス以上に条件のよい区間もあると思うのですが。


ところで、今日驚いたのはE170を羽田~関空線に導入するということ。羽田~南紀白浜線はそうだろうなぁと思えるのですが、羽田~関空線は考えさせられます。伊丹便の利便が高いとはいえ、仮にでも日本の2大都市圏を結ぶ便です。こうでもしないと増便できないというのは、やはり関西の航空行政を象徴しているのかとがっかりしてしまいました。
[74259] 2010年 3月 4日(木)23:18:22hiroroじゃけぇ さん
宇高航路と香川の人口
先月から話題になっていた「宇高航路の廃止」ですが、宇高国道フェリーの存続が報道されました。6月の高速道路政策によっては、再度廃止も検討するとのことです。今後は、減便などの自助努力で運航する予定だそうです。

ここ数週間、様々な人の意見により、必ずしも必要ではないということが垣間見えました。今回の存続についても、それを大きく反映していると感じています。しかし、今後この航路の存続がうまくいけば、他の航路も存続の方法が見つかるかもしれません。「宇高航路の廃止」については、国土交通大臣からも「国策によって追い詰められた」との表明もあり、今後の存続方法については国も交えて検討する予定でした。今回の自助努力による存続は、今後の国からの何らかの支援があるということの含みがあるようです。それにしても、高速道路会社には数兆円も渡しておいて、他の交通機関の存続を危ぶませてしまう国の政策には納得ができません。これは前政権における政策によるものですが、現政権がどのような対応をとるのかは見ものだと思います。


上の話題と全くの無関係ではない話題。先月のことですが、香川県の推計人口(2月1日現在)で、100万人割れの99万9515人となりましたね。これも、香川県ではニュースとなっていました(岡山でも、勿論流れています)四国の人口減少が進んでいるということに、改めて気づかされました。
[74170] 2010年 2月 16日(火)23:18:47hiroroじゃけぇ さん
交通期間の選択肢は複数が望ましい
[74154]oki さん
宇高航路の廃止を聞いても、「相当な衝撃」を受けたわけではありません。
過去の幻想でしょうか。地元では「宇高航路こそ四国連絡航路で最重要ルートである」と今でも考えています。そして、過去の繁栄を今でも引きずっているのは確かです。「サンポート高松」などはその代表例です。それでも、四国と本州をつなぐ役割は他のどの連絡航路よりも大きかったと思っています。そして、その航路が廃止というのは、四国の歴史にとっては大きなニュースであると思ったのですが・・・。そうでないとすると、やはり「過去の幻想」なんでしょうね。

[74157]みかちゅう さん
「宇野の住民が岡山ではなくあえて高松に行く目的」も「高松の住民が岡山ではなくあえて宇野に行く目的」もいまいち思い浮かばないのですが、意外と通勤や通学の需要があるのでしょうか?
「生活航路」としては、通勤や通学の需要が高い比率を占めているはずです。hiroroじゃけぇが、児島から高松の高校に通学していたように、宇野から高松への通学需要はあるのです。実際、hiroroじゃけぇの知り合いにもフェリー通学者がいますから。

また、「振替輸送」についての重要度は見逃せないのではないでしょうか。松山から、あるいは高知からの旅客が香川県内で足止めを余儀なくされる。そのような状況下では、おそらくその旅客を宇多津~丸亀~多度津間で吸収するのは難しく、坂出・高松ということになるでしょう。しかし、本来のルート上にない都市に収容されるとなると納得できない人も多いのではと思います。そんな時の「フェリー」はありがたいものです。ただ、「振替輸送」の為だけに航路を維持するのは非効率なのは確かです。そういった点では、「振替輸送」は一つの参考点になるでしょうが、これを元に維持するということは無理だと自分自身思っています。

さて、oki さんもみかちゅう さんも、そして自分もですが人の移動手段の面でしか書き込んでいませんでした。しかし、フェリーは物流システムの一部であることを忘れてはいけません。橋の上では重量制限など様々な理由で、通過できない車両が多々あります。例えば、建設重機などがそれに当たります。もし、「宇高」などの「本四連絡航路」特に「直行航路」がなくなれば、重機の輸送コストが大幅に上がることになり、四国経済のテコ入れに水を差す結果になりかねません。逆に、四国から本州への重機の出荷にも影響がでかねません。また、同僚の元トラック運転手にきくと、「フェリーは休憩しながら前に進める唯一の機関。平日の料金などを考えるとフェリーで休んで、前後を走る方がいい」とのこと。このような利用のされ方も考えなくてはなりません。更に、このような利用方法は24時間運行しているフェリーだからできることなのです。「本四架橋」に移行となれば、与島P.Aなど中間点に宿泊施設が求められることになりそうです。物流という面からすれば、1時間に1本。特に夜間には確保してもらいたいというのが、物流業界末端の願いなのではと思います。


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