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okiさんの記事が10件見つかりました

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[76809] 2010年 11月 18日(木)18:12:09oki さん
町村制施行時の千葉県県令
むっくん さん宛ての業務連絡です。

居住地域周辺についての調べ物をしていて、千葉県(正確には千葉県立図書館)が明治8年~32年の県報をウェブ上に公開しているのを見つけました。
その中に、町村制施行時の県令がありました。明治22年3月分の県報のうち、35ページが該当部分です。
町村制の根拠が明治22年3月27日付県令19号、町村の廃置分合が同20号になると思います。具体的な配置分合の状況は38ページ以下に記載されています。

[75042] の「市制町村制施行時の府令県令(ver.4)」では、千葉県分は未発見になっていたので、とりあえずご報告しておきます。
[76729] 2010年 11月 10日(水)01:40:49【1】oki さん
あなうなぎ
[76725] hmtさん
[76724] おがちゃん さん
[76721] Issie さん

辞書を見ると、「妹(いも)」←→「兄(せ)」とあります。

「妹(いも)」の原義は、男性の側から年齢の上下に関係なく姉妹を呼ぶ語で、英語のsisterと同じです。転じて、結婚相手や恋人を意味するようになっています。「いもうと」はhmtさんのご指摘通り「いもひと」が変化したもので、もともとは姉妹を意味していたものが、年下の妹だけに限定されていったようです。
「妹」の対義語が「兄(せ)」で、こちらも女性が兄弟を呼ぶ際に用いるのが原義で、夫や恋人に転じたと考えられます。「夫」、「背」の字も用います。
したがって、「妹兄(いもせ)」は兄妹、姉弟、あるいは兄弟姉妹の意に用いていたようですが、「妹背(いもせ)」となると、Issie さんの仰るとおり、もっぱら夫婦もしくはそれに準じる男女を意味します。

これだけなら良いのですが、歴史上のどこかで妹背の音に逆転が起こったようで、妹を「せ」と呼ぶ場合が生じています。備中国で発生した現象らしく、「妹尾」を「せのお」と読み(岡山市南区)また「妹(せ)」(倉敷市)もあります。倉敷市の「妹」は和名抄の「呉妹(くれせ)郷」の遺称地とされており(備中呉妹駅があります)、かなり早い段階で「いも」→「せ」の逆転が起こったようです(「背」を「いも」と読む例はないようですが)。これ以外に「妹」を「せ」と読む地名としては、北秋田市妹尾館(せおだて)があります。なぜ、備中から遠く離れた秋田の地に「妹(せ)」の音があるのかは不明です。
(「兄弟姉妹」コレクションで、「倉敷市妹山(いもうとやま)」とされているのは、「せやま」だろうと思います。)

さらに、これが日本語の摩訶不思議なところですが、「妹」は本来「いも」ですから、「妹尾」を「せのお」と読まない地名も当然存在します。私が確認しているのは、次の2つ。
和歌山県日高郡日高川町上初湯川妹尾(いもお)
鹿児島県薩摩川内市高城町妹尾(いものお)
よろしければ、地名コレクションに追加してください(読みは「地図閲覧サービス」のものなので、正しいという保証はありませんが)。

以下は四方赤良の狂歌
あなうなぎいづくの山のいもとせをさかれてのちに身をこがすとは

鰻→山の芋→妹→背→裂く→焦がすと繋ぐ、達意洒脱の芸です。

※書き込もうとしたら、Issie さんの[76727]が先にあったのですが、ま、いいかと。
[76694] 2010年 11月 7日(日)11:09:39oki さん
寒田 西寒田 西寒多
[76624] オーナー グリグリさん

臼杵市野津町大字西寒田/豊後大野市犬飼町西寒田
読みが「ささむた」と面白いですね。これはもちろん採用なんですが、大分市寒田(そうだ)とは関連があるのでしょうか? 少し離れていて読みが違いますが偶然では片付けられない何かがありそうです。

面白そうなので調べてみたら、意外な事実を発見しました。
まず先に、臼杵市野津町と豊後大野市犬飼町の西寒田について。
この地名は、1975年(明治8)に5つの近世村が合併してできた村名に由来しています。その5村とは、豊後国大野郡の寒田(そうだ)村、細口村、松原村、御霊園村、鍋田村の5つ。西寒田の村名は、寒田村にある西寒田(ささむた)神社に由来しています(西寒多神社とも表記する)。
市区町村変遷情報によれば、西寒田村は明治大合併で、鳥岳村、千塚村など大野郡の6村と一緒に戸上村を構成しました。戸上村は1955年(昭和30)に犬飼町、長谷村と新設合併して新たな犬飼町となりますが、1957年(昭和32)、一部が大野郡野津町に境界変更されます。地形図を見ると、野津町に編入されたのは元の御霊園村、鍋田村の部分のようです。
寒田、細口、松原は犬飼町に残り、結果として臼杵市野津町大字西寒田/豊後大野市犬飼町西寒田の分断地名が生じました。これ自体はよくあることです。なお、地形図から判断すると、松原は松田という集落名になっているようです。また、寒田は地図上で松田の北北東にある神社記号(これが西寒田神社です)の周りにあったはずですが、地図上に集落名が記載されておらず、無住地になっているのかもしれません。

次に、グリグリさんが指摘された大分市寒田ですが、なんと、こちらにも西寒多神社があります(読みは「ささむた」で同じです)。おっしゃる通り、この二つは偶然では片付けられません。二つの地点を結びつける説があります。
豊後大野市の西寒田神社の社伝によると、ここは延喜式内社の大野郡西寒多神社であり、応永10年(1403)もしくは応永15年(1408)に豊後国守護大友親世が大分郡植田(わさだ)に分祀し、その地を寒田と名付けた(これが大分市寒田)、というものです。
この説が成り立てば、大分市の寒田は豊後大野市から移った地名と言えるのですが、実際には延喜式内社である西寒多神社は大野郡ではなく大分郡にあったというのが通説で、そうであれば、大分市寒田の西寒多神社の方が先にあったのかもしれません。こちらの社伝では、応神天皇9年(278)に西寒多山(神社の南にあり、現在は本宮山)上に創祀され、応永15年に大友親世が現在地に遷座した、ということになっています。
どちらの説が正しいかは分かりませんが、「応永15年に大友親世が現在地に遷座」という点では一致しています。また、神社そのものが古い歴史を持つことも確かで、「日本三代実録」には貞観11年(869)に、豊後国の西寒多神を従五位下に叙したという記事があります。
いずれにせよ、寒田というあまり見られない地名と、ほかには存在しない西寒多(田)神社とがセットで存在するわけで、豊後大野市の寒田(西寒田)と大分市の寒田が無関係なはずはない、と考えられます。

なお、西寒田神社を紹介したサイトで、所在地が臼杵市野津町西寒田神尾392となっていますが、おそらくこれは間違いで、西寒田神社は豊後大野市側にあるはずです。
[76678] 2010年 11月 6日(土)15:24:41oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の拾の二
[76674]の那珂市が既出のため、再答します。

問三:姫路市

[76677] maki さん
問三の那珂市は[76671]で今川焼さんが解答されています。

わざわざご指摘いただき、まことに有難うございます。
[76674] 2010年 11月 6日(土)10:24:58oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の拾
問三:那珂市

これも、準備はしてあるのに気付かなかった口
[76668] 2010年 11月 5日(金)22:23:51oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の玖
問九:西東京市

リストは準備しておいたのに
[76667] 2010年 11月 5日(金)21:19:46oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の捌
問六:阿波市

個人的には、これしかない、という回答です
[76662] 2010年 11月 5日(金)18:07:54oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の漆
連投失礼します

問五:日立市

江戸川区民としては、せめて第一ヒントで答えたかったところ
[76661] 2010年 11月 5日(金)17:19:25oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の陸
分かった問題から答えていこう

問一:別府市
[76637] 2010年 11月 3日(水)22:17:46oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の伍
とりあえず、最初に見つけた市で

問八:釜石市

案の定、問十を間違えたので完答権をなくしてしまった。
ま、その前にほかの問題も正答できるかどうか危ないわけだが。


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