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okiさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[64114]2008年3月24日
oki
[64048]2008年3月17日
oki
[64042]2008年3月16日
oki
[64041]2008年3月16日
oki
[63996]2008年3月12日
oki
[63922]2008年3月4日
oki
[63912]2008年3月3日
oki
[63579]2008年1月26日
oki
[63574]2008年1月26日
oki
[63483]2008年1月19日
oki

[64114] 2008年 3月 24日(月)03:19:11oki さん
高校数検証
[64050] EMM さん
少なくとも、七尾市に関しては何らかの注釈が必要だと思います。
また、ほかにも「移行期間中」の学校がある市がないかどうかの追加調査が必要なのではないでしょうか。

遅くなりましたが、追加調査の結果です(05年時点で高校数が7校以上の市に限定。「-」は不明です。表がちょっと複雑なので、きれいには整形されません)。

  旧市のみ   合併市町村を含む   
 2002年 2002年 2005年 2007年  
市町村高校数生徒数高校数生徒数高校数生徒数高校数生徒数備考
七尾市6185982331920946204109年4月から5校
高梁市5 -7 -814296177610年4月から5校
五所川原市6 -8 -8298582719   
福知山市6 -8 -8427084072   
天草市 - -834738291682638   
本庄市55237765697616975991   
栃木市6604466044760037587905年に1校開校
室蘭市7361973619733707309508年4月から6校

改めて調べて確認したのは、次の点です。
1.少子化に伴う高校の再編整備の行なわれている市があり、それに伴って高校数は減少する。今後減少を予定している市もある。
2.ただし、再編後の高校と閉校予定の高校は移行期間中に併存しており、閉校まで「瞬間風速」で高校数が増加することもあり得る。
3.逆に、平成の大合併の影響で、合併後の市の高校数は増加する。
4.生徒数が数10人程度の分校や定時制高校も1校に数えられており、高校の多さは必ずしも生徒数に連動しない。

以上の市のうち、高校の再編が行なわれているのは七尾市、高梁市、室蘭市で、前2市はすでに最高時より高校数が減少、室蘭市もその予定です(現時点で各市に存在する高校名と近年の再編経緯は、下の方に詳しく記載しています)。
また、七尾市と高梁市は瞬間風速で増加した事例で、七尾市はEMMさんご指摘の通り。高梁市も、高梁工業・成羽・川上農業の3校統合で高梁城南高校が誕生していますが、その開校時点である04年4月から3校閉校の06年3月まで、高校数が一時的に増えています。室蘭市は、室蘭東と室蘭商業が合併した室蘭東翔高が室蘭東の校舎に06年4月開校していますが、08年3月まで室蘭商業も存続し、見かけ上は高校数7校で変わっていません。
次に合併の影響では、上記のうち合併を経験していないのは栃木市と室蘭市のみ。他は合併で高校数が増加(水増し?)しています。天草市は、旧市そのものがないですから、合併による増加とは言えないでしょうが、合併前の最大自治体である本渡市の高校数は3校でした。

また、分校や定時制の高校も1校として数えられていますが、ほとんどの場合、その生徒数は少数です。たとえば、定時制の七尾城北高の生徒数は07年時点で45人、高梁市でも定時制である市立松山高・市立宇治高が2校合わせて55人、五所川原市の金木高校市浦分校(定時制でもある)が52人と言った具合。このような定時制高校・分校を、全日制と同列に置いて高校数を論じるのが妥当かどうか。

以上のような状況で、学校数が多いからといって、必ずしもその市の高校力(適当に作った言葉です)が高いとは限らず、生徒数等も加味して考える必要があると思います。

その中で異彩を放つというか、孤高を誇っているのが栃木市。8万人台の人口で、合併せずに高校が7校。生徒数は5879人で5991人の本庄市を少し下回りますが、本庄の7校のうち2校は旧児玉町所在ですから、旧市レベルでは栃木市の方が多い。しかも、他都市の多くで高校数が減少する中、05年4月の学悠館高校の開校で1校増えています。学悠館は定時制ですが、昼夜開講の単位制を取っており、07年の生徒数が661人と、全日制に引けを取りません。
何と言っても特筆されるのが、普通科の男子校である栃木高、女子校の栃木女子、実業科の栃木農業、栃木工業、栃木商業と、市名(ですよねこの場合)を冠した県立高が5校揃い踏みしていること。高校再編の進んだ現在、市名のついた県立の男女農工商高校が全部揃った都市などというのは、北関東や東北の県庁所在地レベルの都市でもなければ、滅多に見られないのでは([64054] 右左府さん によれば、能代市も以前はすべて揃っていたそうですが)。さすが元県庁所在地。人口10万人以下都市の「実質的な」高校力チャンピオンは栃木市で決定、というところですね。
[64047] いっちゃんさん
県南4市で人口最少となろうとも、栃木県南で揺るぎない「格」を備えているのが栃木市
と仰るとおりです。

ただし、その栃木市でも、02~07年の生徒数は6044人→5879人と減っています。07年の数字には学悠館の生徒数が加わっていますから、県立5校と國學院栃木の既存校では800人以上減少していることになります。栃木市といえども、少子化による生徒数減少の趨勢には抗し得ないということです。まして、他の市では大きく減っており、分かっている範囲では02~07年におおむね1割以上の減、天草市では1/4の減少です。学齢期人口は今後も減り続けますから、高校や生徒数も減少は確実。各都市の高校力は今後も衰えていくことが予想されます。寂しいことですが。

以下は、現時点で各市に存在する高校名と近年の再編経緯、および合併との関係。
-----------------------------------------------------
七尾市
公立全日制:七尾高校、七尾東雲高校(七尾工業・七尾商業・七尾農業の3高校を移行し、04年4月新規開校。3校の閉校は06年3月)、田鶴浜高校(旧田鶴浜町)、中島高校(09年3月七尾東雲高と統合して廃校予定。旧中島町)
公立定時制:七尾城北高校
私立高校 :鵬学園高校

高梁市
公立全日制:高梁高校、高梁城南高校高梁校地、高梁城南高校川上校地(高梁工業・成羽・川上農業の3高校が統合されて04年4月に高梁城南高校開校。ただし3校の閉校は06年3月。高梁校地は高梁工業の、川上校地は川上農業の校舎を引き継ぎ。川上校地は10年3月閉校予定。成羽は旧成羽町、川上農業は旧川上町所在)
公立定時制:市立松山高校、市立宇治高校
私立高校 :岡山県高梁日新高校

五所川原市
公立全日制:五所川原高校(定時制併設)、五所川原高校東校舎(分校)、金木高校(旧金木町)、五所川原農林高校、五所川原工業高校
公立定時制:金木高校市浦分校(旧市浦町)
私立高校 :五所川原第一高校、五所川原商業高校

福知山市
公立全日制:福知山高校、府立工業高校、大江高校(旧大江町)
公立定時制:福知山高校三和分校(旧三和町)
私立高校 :京都共栄学園高校、福知山成美高校、福知山女子高校、福知山淑徳高校

天草市
公立全日制:天草高校、苓明高校、天草工業高校(以上3校旧本渡市)、牛深高校(旧牛深市)、天草東高校(旧有明町)、倉岳高校(旧倉岳町)、天草高校西校(旧天草町。01年4月に、独立した天草西高校から天草高校の分校に移行)河浦高校(旧河浦町)
公立定時制:定時制のみの高校はなし
私立高校 :なし(通信制の勇志国際高校が本校を置くが、カウントせず)

本庄市
公立全日制:本庄高校、本庄北高校、児玉高校、児玉白楊高校(以上2校は旧児玉町)
公立定時制:なし
私立高校 :本庄第一高校、本庄東高校、早稲田大学本庄高等学院

栃木市
公立全日制:栃木高校、栃木女子高校、栃木農業高校、栃木工業高校、栃木商業高校
公立定時制:学悠館高校(05年4月開校)
私立高校 :國學院大學栃木高校

室蘭市
公立全日制:室蘭栄高校(定時制併設)、室蘭清水丘高校、室蘭工業高校(定時制併設)、室蘭東翔高校(室蘭東と室蘭商業が合併し、室蘭東の校舎に06年4月開校)、室蘭商業高校(08年3月閉校予定)
公立定時制:定時制のみの高校はなし
私立高校 :室蘭大谷高校、海星学院高校
--------------------------------------------
[64048] 2008年 3月 17日(月)01:48:25oki さん
七尾市の高校数
[64046] EMM さん
七尾市に現在有る高校は七尾高校・七尾東雲高校・田鶴浜高校・中島高校(以上県立全日制)・七尾城北高校(県立定時制)・鵬学園高校(私立)の6校となっております。
このうち、七尾東雲高校は2006年4月に七尾商業高校・七尾工業高校・七尾農業高校が統合されてできた高校です。
よって、2005年時点での七尾市内の高校は6-1+3=8校です。
鹿西高校(鹿島郡中能登町)を間違えて勘定してませんか?

表に示したのは05年学校基本調査の数値です。ただし、文部科学省の全国データでは市区町村レベルの数値がなく、全都道府県の統計を調べると時間がかかるので、統計局の「統計でみる市区町村のすがた2007」所載の全国市区町村別データを直接の引用元としています。したがって、各市に所在する高校をすべて調べ上げたわけではありません。
この調査の調査時点は毎年5月1日で、分校は1校と数える、全日制と定時制が併置されている場合は1つの学校と見なす、通信制のみの高校は含まない、という調査設計になっています。
で、改めて石川県の05年調査を確認したところ(PDFファイルの8ページ、別表7です)、七尾市の高校は公立全日制7、同定時制1、私立全日制1の計9校であったようです。EMMさんのあげられたのと比べると公立全日制が1校多くなっていますが、どちらが正しいのか、私には判断がつきません。また、中能登町には公立全日制高校が1校カウントされているので、鹿西高校が七尾市分に含まれていることもないと思います。
[64042] 2008年 3月 16日(日)16:55:46oki さん
表の訂正
今回はデータ出所が確かですから、間違いないはずです。
と言っておきながら、早速間違えてしまいました。[64032]今川焼さん ご指摘の室蘭市が抜けていたので、訂正しておきます。
また、福知山市の高校は7校とされていて、表の8校とは異なりますが、他の市と基準年を合わせるために、統計の数値のままにしてあります。05年以降に統廃合等があったのかもしれません。

市区町村人口総数高校数高校生徒数昼間人口昼夜間比
七尾市618719209465721106.2
高梁市387998142942635109.9
五所川原市621818298565487105.3
福知山市819778427088235107.6
天草市9647382916102339106.1
本庄市819577616983652102.1
栃木市823407600388095107.0
室蘭市9837273370111709113.6
富士吉田市525726242353348101.5
萩市579906157360708104.7
能代市628586287268755109.4
佐渡市673866194372249107.2
栗原市802486235882282102.5
中津川市84080625428347499.3
中津市843686303386644102.7
宇和島市894446289897234108.7
大和郡山市916726277296070104.8
米沢市9317864267102641110.2
大仙市933526264197471104.4
[64041] 2008年 3月 16日(日)16:33:54oki さん
人口に比べて高校の多い都市
[64032] 今川焼 さん
ところで、福知山市は他に府立高校が3校ありますが、このような人口8万人クラスの市で、7校も高校を擁する市って他にあるでしょうか。

調査結果です。

市区町村人口総数高校数高校生徒数昼間人口昼夜間比
七尾市618719209465721106.2
高梁市387998142942635109.9
五所川原市621818298565487105.3
福知山市819778427088235107.6
天草市9647382916102339106.1
本庄市819577616983652102.1
栃木市823407600388095107.0
富士吉田市525726242353348101.5
萩市579906157360708104.7
能代市628586287268755109.4
佐渡市673866194372249107.2
栗原市802486235882282102.5
中津川市84080625428347499.3
中津市843686303386644102.7
宇和島市894446289897234108.7
大和郡山市916726277296070104.8
米沢市9317864267102641110.2
大仙市933526264197471104.4
<参考>
市区町村人口総数高校数高校生徒数昼間人口昼夜間比
高槻市3518269772429556584.0
川口市4800798679838954581.1
所沢市3361007565127007280.4
八尾市2734876475725739994.1
 ※資料:人口=05年国勢調査 高校数=05年学校基本調査

今回はデータ出所が確かですから、間違いないはずです。
人口が少なくて高校数が多いということは、中心性はあるものの、その及ぼす範囲の狭い都市ということです。また、歴史はあるものの現在は衰退傾向を示す、という予想も成り立ちます。その手の都市は、昼夜間人口比が高くなるはずと思って一緒に調べてみました。
予想通り、江戸時代に城下町や陣屋所在地だった都市が多く、ほかも門前町、宿場町、在郷町など。昼夜間比も、中津川市を除いて100%を超えています。
逆に、人口が多いのに高校数が少ないのは大都市圏のベッドタウンですね。
[63996] 2008年 3月 12日(水)21:23:58oki さん
筑紫野市武藏
[63981]千本桜さん
どうして二日市の武蔵でもないのに、山口の立明寺に「むさしケ丘」なる団地ができちゃったんですか
[63990] 中島悟 さん
考えられるのは
 1.この辺一帯が広く武蔵と呼ばれていた。
 2.武蔵に近いからと、公社の担当者が適当に決めた。

武蔵は江戸時代の武蔵村で、その由来は大字武蔵に鎮座する椿花山武蔵寺(ぶぞうじ)のようです。武蔵寺は、現存するものでは九州最古の寺院だそうで、創建者である虎丸長者にちなむ縁起絵図もあります。Wikipediaによれば、武蔵台高校も武蔵村や武蔵寺にちなんで命名されたようです。
武蔵寺については、蘇我臣日向身刺(そがのおみひむかむさし)なる人物も関連しています。中大兄皇子の頃の政治家で、同族である蘇我倉山田石川麻呂を中大兄に讒言し、族滅させたものの、根拠のないことを知った皇子が後悔して身刺を大宰師に左遷したとのこと。その後、身刺は孝徳天皇の冥福を祈って「般若寺」を建立しましたが、この般若寺は筑紫野市に遺跡のある塔原廃寺で、それが再興されたのが現在の武蔵寺、という説もあるようです

いずれにせよ、武蔵もしくは武蔵寺は、現地周辺ではそれなりにネームバリューのある名称のようで、「むさしケ丘」団地の命名起源はそれに因むものでしょう。
ちなみに、筑紫野市やその周辺は新興住宅地に「○○丘」、「○○台」を付けるのが大好ききなようで、市内にちくし台団地、ちくしヶ丘団地のほか、美しが丘南・北、光が丘、桜台、太宰府市に長浦台、青葉台、大野城市のつつじヶ丘、緑ヶ丘、南ヶ丘、旭ヶ丘、紫台、平野台、宮野台など、どこかで見たような新興地名が目白押しです。

このうち、ちくし台団地、ちくしヶ丘団地は筑紫野市筑紫に位置し、筑紫の名称は延喜式内社の筑紫神社に由来するようです。「むさしケ丘」は、ちくしヶ丘のペアとして発想されたのかもしれません(どちらが先に建設されたのか確認していないので単なる想像ですが)。
[63922] 2008年 3月 4日(火)02:07:40oki さん
訂正してお詫び申し上げます
[63914] 千本桜 さん  宮城県の人口最小町

宮城県の人口最小町の欄に福島県岩瀬郡鏡石町が記載されているのが気になりました。

改めて元の資料を点検したところ、岩瀬郡が宮城県に含まれることになっていたのでした。おまけに、岩瀬郡だけでなく、安達郡、安積郡、北會津郡、南會津郡、大沼郡、河沼郡、耶麻郡、西白河郡、東白川郡、石川郡という多数の郡が宮城県に属しているではありませんか。さらに言うと、鏡石はこの時点で町ではなく村であり、町に昇格したのははるか後世の1962年のようです。
重ね重ねのミスをしてしまい、まことに申し訳ありません。宮城県の人口最小町は栗原郡岩ヶ崎町に訂正します。また、上記の次第で宮城、福島両県の関連データが大きく狂っているので、その部分をお示ししておきます。

町平均人口町数村平均人口村数人口最小町同人口人口最大村同人口町-村
宮城縣5648203233177栗原郡岩ヶ崎町2930桃生郡深谷村9379-6449
福島縣7378212430293磐城郡四倉町2776安達郡小濱村4962-2186

もともとこの資料は、人口などの数値そのものに疑問な点がかなりあり、原資料から入力する際にタイプミスしたのだと思うのですが、数値以外にも明かな間違いがあることが分かりました。したがって、[63912]に示した表はあくまで参考程度のものとしてお考え下さい。
元の資料は筑波大学空間情報科学分野の村山祐司先生が提供されているものなのですが、おそらく学生に入力させて、読み合わせもしていないのでしょう。しかし、他人の入力したものをチェックもせずに使用したのは私なので、責任は私にあります。やはりデータの正確性をきちんと確かめることが第一ですね。反省しております。

ついで、といっては何ですが、[63668]で触れられた「賀」美石村の件、
[63761] 88 さん
では「加」美石村と結論づけられていますが、新たな資料を発見しました。
[62863] むっくん さん が発掘してくださった「現行宮城県布令全書」に、県令第8号として、明治22年3月31日付の合併後宮城県市町村一覧表があり、その中では「賀」美石村と明記されています(111丁です)
したがって、誕生時には「賀」美石村であった、と考えるほかありません。賀美石という村名は、同村谷地森にある延喜式内社の賀美石神社に由来するものと想定され、賀美石小学校、賀美石郵便局が存在することも、この見方を裏付けます。また、現在の加美町のHPでも、賀美石村と明記されています。
一方で、88 さんが1954.7.1付けの新設合併告示で確認されているのですから、消滅時に「加」美石村とであったことも確かでしょう。
もちろん、途中で改称したということでもないと思います。にもかかわらず、誕生時と消滅時で、県や総理府の公式文書に記載されている名称が異なる、という事態が生じているわけです。
ここからは推測ですが、賀茂と加茂に見られるように、地名で「賀」と「加」の混用は一般的で、それもほとんど一方的に「賀→加」の変化が起こっています。「賀」と「加」が同音で、「加」の方が字形が簡単、しかも「賀」の一部分として「加」が含まれているという事情によると思います。さらに賀美石村の場合、賀美郡であった郡名が、村の誕生時には加美郡に変化していました。
以上の事情が作用して、本来「賀」美石であったものの、「加」美石と書かれるのが普通になり、消滅時には、公式にも「加」美石が使用されていたのではないか、と思われます。あくまで推測ですので、間違っているかもしれませんが。

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[63918] 伊那谷 さん
以上の事情なので、ご提供した資料は参考程度のものとしてご理解下さい。

また、明治大合併期後の町について補足しておくと、[63912]の記述では町になったのが合併前から町を称していた自治体だけのようにも取られますが、もう一つ、大きな供給源として旧城下町があったと思います。
大合併期に市になったのはたかだか40程度で、大半が表高20万石以上の大藩の城下です。それ以外に藩は200以上あり、小規模な陣屋を除いても、100以上の城とその城下町が存在しました。その多くは町になったはずです。この場合、自治体としての町の構成要素として、旧城下内の複数の町が含まれたと思います(字としての町、というべきでしょうか)。

------------------------------------------------------------------
[63916] hmt さん
現行地理例規」所載の「地所名称区別細目(明治9年5月18日内務省議定)」という文書の正しいリンク先を教えていただければ幸いです。

JPEG2000で閲覧しているので、その該当ページのURLを貼り付けたのですが、それでは正しいページにリンクしないようです。お手数を取らせて済みませんでした。今後はページを明記するようにします。
字とは何か、という問題に対する参考にもなるか、と思ってこの部分を引用しておいたのですが、はるか昔に言及されていたのですね。さすがhmt さん、敬服いたします。
浜名港の件は私も気がついていたのですが、長文になりすぎたのと、浜名港に新居宿以外の村が含まれるか否か、については何も語られていないので割愛したのでした。

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上記を書き込もうとしたら、
[63919] EMM さん Re:町と村 その他(石川県関係)
のご指摘がありました。やはりほかにも間違いがありましたか。
おそらく、他の府県でも間違っている部分があると思いますので、[63912]で示した表は、全面的に撤回します。改めて信用できる(原典を確認できる)データをもとに、正しいものを作り直したいと思います。
といっても、万単位のデータを入力するには相当な時間がかかるので、いつになるか分かりませんが(そもそも、本来やるつもりであった藩政村から明治合併期までの村の推移を明らかにする作業がほとんど進んでいないもので)。

とりあえず、寝ることにします。
[63912] 2008年 3月 3日(月)02:04:30oki さん
町と村 その他
[63737] 伊那谷 さん
[63862] 88 さん

いずれにせよ、結果としても(法律である)(旧)町村制では町と村の別は人口では区別していなかったようです。法律M44施行の(新)町村制でも同様に規定は見つかりません。内務省令や内務省告示などに何らかの規定があるのだとは推測しますが詳細は不明です。

ご存じだと思いますが、M21(1888)法律第1号市制町村制には、「市制町村制理由」という付属文書があり、その中に町村(および市)に対する明治政府の認識を示した部分があります。町と村の関係について、もっとも肝要な部分を示すと次のようになります(新漢字に直し、濁点、句読点を補ってあります)。

「元来町ト村トハ人民生計ノ情態ニ於テ其趣ヲ同ジクセザルモノアリテ、細カニ之ヲ論ズレバ均一ノ準率ニ依リ難キモノナキニ非ズト雖モ、本邦現今ノ状況ヲ察シ旧来ノ慣習ニ依リテ之ヲ考フルニ、都会輻輳ノ地ヲ除クノ外、宿駅ト称シ町ト称スルモノ施政ノ大体ニ於テ村落ト異同アルコトナシ。故ニ今之ヲ同一制度ノ下ニ立タシメントス。」

持って回ったくだくだしい表現ですが、要するに、町と村は「人民生計ノ情態」を異にするものの、「都会輻輳ノ地」と対比した場合町村間の相違は小さく、「施政ノ大体」では異同が認められないので、町村制という同一の制度を適用する(一方、都会輻輳ノ地である市には市制という別の制度を適用する)、ということです。
当時の政府は、市と町村とは別の存在と認識していたが、取り立てて町と村を区別する必要性を認めていなかったようです。
ただ町と村は「人民生計ノ情態」が異なるわけで、具体的にはどう違うのでしょう。「現行地理例規」所載の「地所名称区別細目(明治9年5月18日内務省議定)」という文書によると、町と村は次のように定義されています。

一 郡ト称スルモノハ国中ノ区分ニシテ村町ヲ轄スルモノナリ
一 村ト称スルモノハ郡中ノ区分ニシテ字ヲ轄シ農民ノ部落ヲナスモノナリ
一 町ト称スルモノハ郡中ノ区分ニシテ商民ノ市街ヲナスモノナリ。字ヲ轄スルコト村ニ同ジ
一 字ト称スルモノハ村町中ノ区分ニシテ数十百筆ノ地ヲ轄スルモノナリ

町は人家の密集した市街地で商業活動の盛んなところ、対して村は農村地域、というのが「人民生計ノ情態」の具体的な有様ということで、ごく常識的な考え方でしょう。
一方、町村制はその第3条で、「凡町村ハ従来ノ区域ヲ存シテ之ヲ変更セズ」と規定しています。従来の区域を存する以上、名称もそのままにするのが当然でしょうから、結局のところ、町村制施行時までに「商民ノ市街ヲナ」して町であったところはそのまま町であり、村であった自治体は村の名称を継続した、ということになります。
実際には「区域ヲ存」せずに合併した町村の方が多いですし、従来町であったところが町村制の適用後に村になった場合もありますが、農村の数に比べて町は非常に少なかったのが実態ですから(おおむね、村が約60000に対し旧城下町内を除いた町は600くらい)、旧来の町の多くがその名称を保存したでしょう。
この場合、町と村の別を人口で区別するという発想は基本的になかった、と考えられます。

以上ではあまりに当たり前すぎて詰まらないので、町村制施行直後の町と村の人口を示すデータをご呈示しておきます。府県毎の町と村の平均人口と、人口が最小の町と人口最大の村との一覧です。資料出所は以前ご紹介した明治24年の徴発物件一覧表で、明治22年の町村制施行から2年後ですが、大きくは変わってないはずです(資料の制約から九州北部の4県分が欠損しています。鹿児島県も少しおかしいようですが、そのままにしてあります。北海道と沖縄は含んでいません)。

町平均人口町数村平均人口村数人口最小町同人口人口最大村同人口町-村の差
青森縣922552856165三戸郡三戸町4045上北郡野邊地村7001-2956
岩手縣4364202597205氣仙郡盛町1728膽澤郡金ヶ崎村5177-3449
宮城縣6551302808325岩瀬郡鏡石町2758桃生郡深谷村9379-6621
秋田縣6511142665213雄勝郡岩崎町1536北秋田郡阿仁銅山村8641-7105
山形縣8056112906210飽海郡松嶺町2711西村山郡谷地村8843-6132
福島縣6070112560145磐城郡四倉町2776行方郡小高村4391-1615
茨城縣4355442574351那珂郡大宮町1614西葛飾郡五霞村7019-5405
栃木縣7572233623128安蘇郡堀米町2447足利郡北郷村8781-6334
群馬縣5312373165168西群馬郡伊香保町1051山田郡韮川村9374-8323
埼玉縣4823362696324北埼玉郡騎西町2325榛澤郡藤澤村5056-2731
千葉縣5502453054295香取郡滑川町2106海上郡高神村6781-4675
東京府76519283796南葛飾郡新宿町1324荏原郡大森村9767-8443
神奈川縣7320183079205鎌倉郡藤澤大富町1742久良岐郡戸太村10519-8777
新潟縣5285471896736刈羽郡椎谷町1069北蒲原郡新發田本村7327-6258
富山縣5482302128237砺波郡福岡町1772砺波郡平村5466-3694
石川縣5489142275259珠洲郡飯田町2139江沼郡大聖寺村9692-7553
福井縣832793034157今立郡鯖江町2958今立郡上池田村8035-5077
山梨縣2248142南巨摩郡増保村10206
長野縣8824152762369小縣郡長久保新町1060諏訪郡上諏訪村9034-7974
岐阜縣4687242383151可児郡兼山町1291大野郡大名田村8002-6711
静岡縣6128272998272引佐郡金指町1086有渡郡長田村10353-9267
愛知縣6222231943576知多郡高横須賀町1321碧海郡北大濱村5767-4446
三重縣7963182456309度會郡大湊町2118答志郡磯部村5407-3289
滋賀縣1291563210189神崎郡八日市町3823有渡郡豐田村6913-3090
京都府5496152008264船井郡園部町2219宇治郡山科村7052-4833
大阪府5311112542297茨田郡守口町1370西成郡難波村26405-25035
兵庫縣6818292818506有馬郡湯山町1824多可郡中村6796-4972
奈良縣6468123038137宇陀郡松山町1936吉野郡十津川村10419-8483
和歌山縣882022469227西牟婁郡田邊町7199有田郡湯淺村11455-4256
鳥取縣165929邑美郡富桑村3513
島根縣4304111926319周吉郡西郷東町664迩摩郡明治村4967-4303
岡山縣702932260446東南條郡津山東町3617小田郡笠岡村8591-4974
広島縣6371142984357豐田郡御手洗町1590安藝郡仁保島村15060-13470
山口縣1143643952192玖珂郡柳井津町4139都濃郡徳山村12113-7974
徳島縣1285424402137美馬郡脇町7177勝浦郡小松島村12617-5440
香川縣1093853325176多度郡多度津町6699豐田郡大野原村8958-2259
愛媛縣5159122947284温泉郡道後湯之町1267西宇和郡伊方村6735-5468
高知縣285322793194長岡郡後免町835香美郡槙山村6859-6024
熊本縣3855252842300阿蘇郡高森町1722葦北郡水俣村12725-11003
宮崎縣55605410895南那珂郡油津町2514西諸縣郡小林村10796-8282
鹿児島縣974027谿山郡谷山村25060
全国計6001668266910214周吉郡西郷東町664西成郡難波村26405-25741

ご覧のように、平均人口で比べれば村より町の方がよほど大きくなっていますが、個々の町村で見ると、すべての府県で、人口最小の町より人口最大の村の方が多数の人口を抱えています。人口最小町については、それなりの歴史と拠点性を有し、人口はさほど多くないにしても、この時点で町であっておかしくないところが多いと思います。この状況では、単純に人口基準で町村を区分することができなかったのも無理はないでしょう。

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なお、ついでなので、「市制町村制理由」に則って、町村と明確に区別された市についての明治政府の考え方を、次にご紹介しておきます。
・「都会輻輳の地」は、町村と「人情風俗を異にし、経済上自ずから差別がある」ために別に市制を適用する。
・市は基本的に区を継承するものであるが、市制によって明確に郡から分離するとともに、従来区内の町(旧城下内の町)が独立した自治体であったのを改めて、市を最下級の自治体とする(これによって、旧城下内の町が市の内部的な区分=字に戻った、と言えます)。
・市制の施行対象は、3府のほか、人口25,000人以上の市街地とする(従来の区以外も市制の対象にするということです)。
・「区」を改めて「市」とするのは、3府では区が存続するため、これとの混同を避けるためである。

どのような基準で市制の適用対象が決定されたかが窺えてなかなか面白い記述だと思います。実際、明治24年時点の市のうち人口最小の姫路市で24,608人ですから、人口規定はかなり厳密に適用されたようです。

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もう一つ、以下の件について。
「○○村」、「○○町」ではなく「○○鉄山」というものがありました。これは一体何なのでしょうか?
これが一体何なのかは、[63862] 88さんの説明でお分かりかと思います。明治政府は、従来区々としていた自治体の区域名称を町、村に統一しようとし、新田、宿、浦、分、組、郷、島、浜、山、寺、谷、刈、等々を名乗っていたところの多くがそれに従いましたが、郡区町村編制法の時点では旧来の名称に留まったものも少なくなかったようです。
明治24年の段階でも、新潟縣岩船郡粟島浦、神奈川県北多摩郡府中駅、同南多摩郡日野宿が、町村に名称変更していません。明治30年までには変えたようですが。
[63579] 2008年 1月 26日(土)15:15:31oki さん
地名の発音雑感
[63576] Issie さん

的確なご指摘ありがとうございます。
1:カナ表記が現実の発音を“その通りに”写しているとは限らない(これは現代表記も同じ)。

この意味で、調べるときに少し期待を持っていたのが「実用帝国大字辞典」です。「実用帝国地名辞典」と同じ人物の著作ですが、まさに「カナ表記で現実の発音を“その通りに”写す」ことを目的としています。「地名辞典」の方の前書きによれば、現地調査のほか、現地の役所、学校などと何度もやり取りするなど、相当苦労して「見出仮名の発音の儘の表出」に努めているようです。たとえば、徳島県の「一宇」は「いッちュー」と表記されていますが、ともに内務省地理局編纂で
“公式表記”
である「郡区町村一覧」や「地名索引」では「いちう」の表記ですから、「大字辞典」が実際にかなり調査した上で地名表記を行なっているのは事実と考えられます。
また、正確な発音表記のため、長音に「棒引き仮名遣い」を利用し、促音、拗音は小書きのカタカナで表しているのがお分かりと思います。

ですので、「あそー」は当時の発音をそのままうつしたものだと考えます。ですが、「すがお」の方は若干疑問があります。というのも、橘樹郡向丘村の菅生だけでなく、全国すべての菅生の発音が「すがお」だとされているからです。今朝、図書館で平凡社の歴史地名大系を調べたところ、あきる野市の菅生は室町期に「須賀尾」と表記されていたそうなので「すがお」でしょうが、ほかの菅生のほとんどは現在「すごう」の発音になっており、それらが明治後期にすべて「すがお」であったとは考えにくいのです。
著者も言うように、「数萬の地名、時に或は誤謬なきを保せず」ということで、すべての地名について表記されている発音が正しい、とは言えないようです。

ともあれ、今回調べて改めて確認したのは、明治初期はもちろん、学校教育を通じて歴史的仮名遣いが一般に普及定着したとされる大正期以降になっても、地名の発音表記に本則から外れた揺れが見られることで(1929年地形図における「かきを」駅)、こういう類はほかにもたくさんあると思われます。
また、向丘村の菅生の発音にしても、「すごう」「すがお」のどちらかが絶対的に正しいというものでもなく、時代により、地域により、あるいは人により、両方の発音が併用されていたことも十分に考えられるところです。

発音だけでなく、文字の表記も含めてこのような「揺れ」を許容せず、
「公式表記が絶対である」という“思い込み”が激しくなっている
のが現代の特徴で、パソコンによるデータ処理の一般化(「揺れ」を吸収できないデータベースの蔓延)がそれに拍車を掛けているように思います。私自身はできるだけ「思いこみ」に囚われないようにしたいと思っているのですが、自分でお馬鹿なデータベースを扱っていると、役所が出しているデータなのに、櫻井と桜井、四条畷と四條畷が混在し、検索がうまくいかなくてイライラしている、のも事実なのです。

以上、地名の発音に関するとりとめのない雑感です。
[63574] 2008年 1月 26日(土)03:36:03oki さん
麻生 菅生 柿生
[63555] 稲生 さん
[63556] スピカ さん
[63557] [63558] Issie さん

調べてみました。

 18791883190319121917
上麻生カミアサフカミアサフかみあそー
下麻生シモアサフしもあそー
菅生スガフスガフすがおスガオスガフ

 188918991912192119291954
柿生かきをかきおカキオかきをかきお
忠生ただをただおタダオ(タダ)オ(タダ)オ(タダ)オ
 ※すべて、資料掲載の読みがなをそのまま記載しています
  柿生は、1912まで村名、1921以降は駅名を示しています

基礎資料は以下の通り。
1879 郡区町村一覧
1883 地名索引
1889 新旧対照市町村一覧
1899 実用帝国地名辞典
1903 実用帝国大字辞典
1912 改正新旧対照市町村一覧
1917~地形図

「かきを」と「かきお」が混在したり、「すがお」より後で「スガフ」が出てきたりして解釈が難しいのですが、少なくとも、明治大合併時に「かきお」「ただお」という音を持つ村が出現した時点で、「麻生」は「あそう」、「菅生」は「すごう」と発音していたようです。
村名に引きずられて大字名の発音が変わっていったようにも思えますが、いかがなものでしょうか?
[63483] 2008年 1月 19日(土)01:30:38oki さん
共武政表 徴発物件一覧表 その他のデータ
[63482] hmt さん 
近代デジタルライブラリーに、明治40年発行の「徴発物件表」がありました。
ご教示いただき、有り難うございます。

実は、共武政表と徴発物件一覧表については、ほかにもネット上にデータソースがあり、そちらについてご報告しようと思っていたところなのです。

それは、筑波大学の村山祐司先生が運営されている歴史地域統計データのサイトです。見ていただければ分かりますが、明治期の市区町村レベルのデータとして、明治13年の共武政表、24年、30年、34年、40年の徴発物件一覧表、大正期のものとして大正9年の第1回国勢調査、昭和初期の第3回国勢調査(昭和5年)が掲載されています。いずれもエクセルデータなので、そのままダウンロードして閲覧するだけでなく、加工・分析することが可能です。
ほかにも、明治5~18年に至る県レベルの人口統計である日本全国戸籍表、郡区レベルの日本全国民籍戸口表(明治19年)などもあります。
これらは統計データですが、地図データとしても、大正・昭和期の県別行政界データ、明治24年の関東地方、近畿地方、北陸地方の旧市区町村界データも収載されています。
いずれもダウンロードにはユーザー登録が必要ですが、メールアドレスを記入するだけなので簡単です。興味のある方は閲覧してみてください。

私はかなり以前に発見して共武政表以下のデータも見ており、[63434]でご呈示した新居宿等の人口もそれに拠っています。ただ、データ量が膨大なのと、地名とのマッチングに結構手間がかかるので、まだ有効な分析はできていない状態です。
近代デジタルライブラリーに「徴発物件表」があるのは知りませんでした。歴史地域統計データの明治13年の共武政表と照合すると、後者は前者のデータを忠実にデジタル化しているようです。

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なお、このサイトの年次別行政区界シェープファイルのダウンロードというページに、別の興味深い地図データがあります。1889~2006年の任意の時点で、市区町村別の行政区界データをダウンロードできるというものです。つまり、このデータを利用すれば、明治大合併期から平成合併期までの任意時点の市区町村地図を自由に作成することができます。
データ形式はシェープファイルなので、MANDARAなどのGISソフト(もちろんフリーの)で閲覧、加工が可能です。世界測地系の経緯度座標で表現されているので、KMLファイルに加工してGoogle Earthに表示することもできます。
このデータは、1995年の国勢調査町丁・字等別地図(境域データ)の町丁字界を結合することにより作成されたものです。住居表示が行なわれた都市部では、現行の町丁字界は必ずしも明治期市区町村の境界とは一致しませんが、明治合併期以降の自治体であれば、多少の誤差を大目に見れば十分に使えるものだと思います([60788]でIssie さんが作成されていた神奈川県地図の全国版、と考えれば分かりやすいかと)。
ただし、特に初期のファイルはバカでかいので(1889年データはLHZファイルで130Mbyte)、ダウンロードやGISソフトでの取り扱いに注意が必要です。kmlに加工する場合は、県別に切り分けないとファイルの立ち上げすらできないかもしれません。

とりあえず、興味のある方はご覧下さい。


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