都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
YSKさんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[61059]2007年9月5日
YSK
[61035]2007年9月4日
YSK
[61017]2007年9月3日
YSK
[60981]2007年9月2日
YSK
[60920]2007年8月30日
YSK
[60880]2007年8月28日
YSK
[60859]2007年8月28日
YSK
[60828]2007年8月27日
YSK
[60818]2007年8月26日
YSK
[60785]2007年8月25日
YSK

[61059] 2007年 9月 5日(水)21:29:29YSK さん
へび道
[61056]YASUさん
ご指摘の道路は、以前は「藍染川」という川だったのですが、今では暗渠となり、生活道路となっているものであるとのことです([6241]TNさん)。「へび道」なる通称があるようです。私も現地を訪れたことがあります。谷根千は雰囲気的に落ち着いた町並みが脚光を浴びて久しいエリアですね。日暮里界隈と絡めて歩いたことがあるのですが、本当にあたたかい気持ちになれる地域でした。

参考:“へび道”関連の記事
[61035] 2007年 9月 4日(火)08:21:52YSK さん
おはようございます
2007年度大フィールドワーク、最終地広島市内からの書き込みです。朝方雨が降っていたようで、日中は曇りベースの蒸し暑い陽気になりそうな広島です。2005年夏以来の広島ですが、一日かけて可能な限りまわってこようと思っています。

[61029]スピカさん
アーカイブについてお知らせいただきありがとうございます。記事番号が誤っていたようです。[44937]ではなく、[49374]が挿入されるべき記事だったようです。アーカイブについては現在見直し作業が進んでいますが、コンセプト系アーカイブといわれる、各企画の設立・更新の経緯をまとまたアーカイブについても、適切な対応がとられていくことを期待します。
[61017] 2007年 9月 3日(月)08:08:23YSK さん
おはようございます
大フィールドワークも3日目に入ります。本日は現在の滞在地からいろいろ回った後に、明日のフィールドワーク地である広島へと向かいます。

今回の地域めぐりの中で、地名コレクションに未収録の事例をいくつか発見したのですが、編集者が最近「落書き帳」にお見えになっていないコレクションなので、情報提供しても良いものかどうか考えてしまいました。

新規コレクションサービスイン時に、一定期間更新が無かった場合編集長が代わって編集してもいいかどうか事前に確認しておくなどの対応が必要かもしれないなとも感じますが、いかがでしょうか。

では、大フィールドワーク3日目に出発しようと思います。
[60981] 2007年 9月 2日(日)08:01:56YSK さん
町と丁
[60974]ペーロケさん
[60896]inakanomozartさん
メッセージありがとうございます。仙台の町名については、メッセージを頂いた後にも調べていたのですが、まだはっきりとしたお答えができませんが、少なくとも仙台においては武家地に町名が無かったということは無かったように感じています。といいますか、通りの名前が現代における町名と同義で使われていて、町人地でも武家地でも通り名によってその町を区別していたような雰囲気が仙台城下町ではあったと思うのです。仙台における「番町」の意味も含めて、調べてみようと思っています。

なお、昨日より2007年度の大フィールドワークが始まりました。この書き込みも自宅以外の場所(初宿泊地)から行っています。これから2日目の活動に出かけてまいります。
[60920] 2007年 8月 30日(木)19:40:42YSK さん
鬼石町の冬桜はきれいです!見頃は11~12月!
[60918]右左府さん
[60919]淡水魚さんも指摘されていますが、この藤岡市の関連の附則は合併に伴い、告示の内容が変更されたことを示しています。藤岡市と鬼石町の合併は編入合併であったため、藤岡市の条例がすべてそのまま生きておりますから、昭和54年3月9日に告示によって制定された市の木・花の規定が、平成18年1月1日の告示によって変更(この場合、鬼石町の木と花を追加)されたので、附則によってその施行日を示したものです。

なお、仮に藤岡市がこの後別の自治体を再び編入するなどしてこの告示内容が再び変わった場合は、附則にその都度施行日が付け加えられていきます。たとえば、平成19年10月1日に市の花にサルスベリを加える告示がでたとすると、

#####以下は例示です。事実ではありません#####

○藤岡市の市の木、市の花
昭和54年3月9日
告示第9号
市の木 くすのき、もくせい、杉
市の花 ふじ、サルビア、冬桜、サルスベリ

附 則(平成17年告示第85号)
この告示は、平成18年1月1日から施行する。
附 則(平成19年告示第○○号)
この告示は、平成19年10月1日から施行する。

といったようになります。
[60880] 2007年 8月 28日(火)22:24:07【1】YSK さん
仙台における町と丁
[60853]ペーロケさん
(東二番丁通は;YSK補記)単に「東にある二本目の大きな通り」という意味なのかな
[60857]ペーロケさん
(東;YSK補記)2~5番丁はおよそ120mでほぼ等間隔に並んでいますね。ということは、やはり距離由来なのかな。
[60874]千本桜さん
仙台では武士が居住するのは「丁=ちょう」で、片平丁(かたひらちょう)や名懸丁(なかけちょう)と呼ばれていました。町民が住むのは「町=まち」で、南染師町(みなみそめしまち)や二日町(ふつかまち)と呼ばれていました。
千本桜さんのおっしゃるとおりで、仙台における通り名並びに町名における「丁」はほぼ例外なく城下町時代武士が居住していた町と言う意味です。東に二番目に割り出された武士の居住する町=東二番丁ということでしょうか。

※この部分追記です
なお、例外のひとつが「通町(とおりちょう)」です。元来旧奥州街道筋を総称して通町と称したのですが、後に町人町が次々に割り出されて、残された部分のみに通町の名が残りました。したがって、通町は仙台城下町における「町」と「丁」の原則が生成される前の名前の名残であると考えられます。
※追記終了

なお、お話の国分町ですが、現在は「こくぶんちょう」と呼ばれていますが、元来は「こくぶんまち」と呼ばれた町人町でした。こちらのページによりますと、

伊達政宗の仙台入府以前からこの地域を所領としていた國分氏に従った人々により成立した町であったため名づけられた。伝馬町で馬市が開かれていた。 商売上の特権を与えられて豪商の町として発展し、小間物商や薬屋、呉服屋などがあった。また本陣があり旅籠屋も多く、繁華街であった。

とのことです。なぜ「こくぶんまち」から「こくぶんちょう」に転訛したのかは分かりません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください!

[60854]牛山牛太郎さん
街路名が変わる以前の名称が書いてあります。
おそらく、「住所が現在の住居表示による町名に変わる以前」という意味だと思いますが、通り名としては現在も多くの道路で変更はなく、従来の名前で呼ばれていると思うのですね。細横丁→晩翠通、元常磐町~元柳町→西公園通、東五番丁~上杉山通→愛宕上杉通など、主に幹線道路で愛称が付されたことによる呼び名の変更はあります。

あと、ご紹介の地図、仙台駅北方にちゃんと「東六番丁」の表記がありますね。仙台駅=東六番丁というイメージって、どれくらいの年代の方までだったらもっていらっしゃるのでしょうか、ふと疑問に思ってしまいました。
[60859] 2007年 8月 28日(火)07:27:11【2】YSK さん
東番丁、北番丁
[60857]ペーロケさん
[60854]牛山牛太郎さん
仙台市街地の高度経済成長期前の様子がわかりやすい地図ですね。北仙台から北へ向かう旧仙台鉄道や長町から秋保へ向かう旧秋保鉄道などの軽便鉄道、そして何より旧仙台市電も一部(原町線は戦後の延伸なのでまだ描かれていません。長町までの路線が書かれていないのは休止状態だった?)描かれていまして、たいへん興味深い地図です。一部に誤表記も認められますが、基本的に内容は正確ですね。

当時の東2番丁通りが狭いこと。東5番丁まであるんですね。
確かに東二番丁は戦後の復興事業の一環で拡幅されましたので、狭いですね。青葉通は既存の道路の拡幅ではなく新たに作られた道路なので、地図には描かれておりません。 なお、東六番丁が仙台駅建設のために無くなってしまったので分かりにくいのだと思うのですが、東○番丁は仙台駅の東まで続いていまして、東十番丁まであります。地図では北一番丁から北九番丁まであるのも分かるかと思います(地図にはありませんが、北十番丁まであります)。

これらの地名は一義的には通り名ですが、その通りに面したエリアの町名でもありまして、仙台市民の感覚では町名としてのニュアンスのほうがより大きかったのではないかとも感じます。
[60828] 2007年 8月 27日(月)06:32:33【1】YSK さん
通称
[60824]ペーロケさん
七十七銀行本店:仙台市青葉区青葉通り国道4号西入る中央三丁目(国道4号の通称ってあるんでしょうか?)
あの道路は国道なる制度ができる前から「東二番丁」です。国道4号線なる名前のほうが後からついた通称のようなものです。
仙台市民であればたいていの人は「東二番丁通り」と呼ぶと思います。

それと、「東入る」ではないでしょうか?
[60818] 2007年 8月 26日(日)22:27:26【2】YSK さん
アーカイブ更新
[60812]hmtさん
アーカイブへのメッセージありがとうございます。アーカイブが新体制移行の準備が整うまでは、必要に応じて編集をしていこうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

さて、アーカイブ平安京から京都へ~京都市街地・都市構造の変遷~ への記事追加のご提案についてです。このアーカイブの制作意図は、アーカイブ冒頭の[60769]Issieさんにて引用されている
[60759] 千本桜 さん
京都のヘソって東に寄り過ぎではありませんか。
の疑問に対応し、京都市街地における都市構造の変遷に関連した記事を収集したものでありますので、アーカイブとしては[60769]Issieさんの記事のみでほぼその目的を達成しているのですが、それ以外にも京都の都市構造に言及した記事がありましたので、それらを補足的に追加したものです。このような趣旨から、京都市街地周辺における郡関連の話題にまで広げるのは本アーカイブの論点を薄めてしまうことにもなると思われますので、平安京以前の京都における郡のエリアを要領よく整理された[33777]Issieさんの記事のみを、参考的な話題として、アーカイブに追加させていただきます。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

なお、収録記事の順番ですが、私は編集担当時、古い記事から並べるというルールには特にこだわっていませんでした。それぞれのアーカイブによって伝えたい内容に応じ、最も効果的な順番で並べればよいと思っています。今回のアーカイブの場合、アーカイブの主題の中心的な位置にある[60769]Issieさんの記事をまず真っ先に置き、その後に関連話題を並べるという手法をとりました。とはいえ、拙稿[36642]に始まった「洛中論」関連の記事は芋づる式に議論が展開していますので古い順番から並べたほうがより理解しやすいと思いますので、この部分のみ記事の順番を入れ替えました。

末筆ですが、早速推奨を頂きました皆様、ありがとうございます!

【1】一部誤字訂正・加筆
【2】重複した単語を削除
[60785] 2007年 8月 25日(土)21:12:31YSK さん
仙台市と多賀城市の境界変更
[60782]スピカさん
東北新幹線って多賀城市を通っていますか?
どうやら新幹線の鉄路が仙台市と多賀城市の境界となっているようですね。鉄路の中央のラインが境界であると便宜上判断すれば、「通っている」としてもよいような気もしますが、厳密に判断するとすれば登記簿とか課税台帳とかで当該土地が多賀城市域になっているかを確認する必要もありますね・・・。

なお、新幹線西側の宮城野区南宮は、東側の多賀城市の住所が同じ「南宮」となっていることから類推されるとおり、もともとは線路の両側ともに多賀城市域であったようです。2005年12月末に、多賀城市南宮のうち、新幹線より西側の部分が仙台市域となる境界変更が行われた模様です。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示